第104話 手合わせ/厭戦の握手
-手合わせ-
アリシアさんの気遣いのおかげで、僕はエイミアさんと二人、ギルド本部の練兵場にいた。けれど当然ながら、二人きりというわけでもなかった。ギルド所有の練兵場である以上、他にもたくさんの冒険者たちが使用しているからだ。
もちろん、時間枠を指定して予約を取り、割り当てられたスペースを占有した使い方もできなくはない。とはいえ、当然前もっての予約などしてあるはずもなく、僕らは共有スペースの一角を使わせてもらうことになっていたのだが……
「お、おい! 見ろよ……。あれって『魔神殺しの聖女』だろ?」
「うわ、隣にいるのってエリオットじゃないのか? なんだあの二人組?」
さすがに不躾に話かけてくるような連中はいないものの、やりづらいことこの上ない。なにせ、僕らの一挙手一投足に注目が集まっているのだ。
「うーん、困ったな。準備運動ひとつでああも騒がれたんじゃ、集中できないぞ」
さすがのエイミアさんも困った顔をしている。なにしろ彼女がうっかり視線を向けただけで、その方向にいた冒険者たちから、わっと歓声が起こる始末なのだ。
「有名になるのもいいことばかりじゃないな。……今日は諦めようか?」
「……そうですね」
残念だけど仕方がない。僕は恨みを込めて遠巻きにこちらを見つめる冒険者たちを睨み付けたが、同じく歓声があがるだけだった。このままじゃ、せっかくの機会を水に流すことになる……。
──と思っていたところへ、一際大きな歓声が上がる。
「よお、お二人さん。何やってんだ、こんなところで?」
歓声の原因は、勇敢にも僕ら二人に声をかけてきた男の存在だった。
「……ヴァルナガン、……さん」
「がはは! 呼び捨てで良いぜ? さん付けで呼ばれるなんざ、背筋がむずがゆくって仕方ねえ」
その男は、焦げ茶色の頭髪に精悍な顔つき、簡素な衣服の上から細い鎖を巻きつけた異様な風体の大男だった。
「……ま、まさか、あれ、『悪魔ヴァルナガン』か?」
第一線からは姿を消したとはいえ、この場にいる冒険者の中にも、かつてはギルド最強の二枚看板の一人と言われていた彼を知るものはいるようだ。
そう──『二枚』看板だ。
「お困りのようですね?」
大男の背後からするりと姿を現した白衣金髪の女性。硬質な美貌を持つ彼女は、『天使ルシエラ』の異名を持つ、ヴァルナガンの相棒だ。
あの謁見の間における凄まじい戦いぶりを見た後では、こうして二人が並んでいるだけで、息が詰まるような迫力を感じてしまう。
「なんのようだ?」
そんな彼らに物怖じすることもなく、エイミアさんが問いかける。すると、ヴァルナガンがその焦げ茶色の目を輝かせながら愉快そうに笑う。
「いいねえ! 噂通りのいい女だ。俺は強い女が大好物でね。よかったら、俺と一戦やろうぜ? もちろん、寝室でな」
なんだ、こいつ? エイミアさんに向かって、下品な言葉を使いやがって……。
「あいにく、わたしは君のようなガサツな男は好みじゃない。レディに対する態度を学びなおしてから来たまえ」
「がはは! 振られちまったか! でもまあ、俺は諦めが悪いんだ。何度でも誘ってやるからな?」
僕が拳を震わせ、殴りかかるのを我慢していると、そこに無機質な声が響く。
「馬鹿は黙っていなさい」
「ん? なんだよルシエラ。焼きもちか? だったら、言ってくれりゃいつでも相手になってやるのによ」
「お二人は訓練に来たのでしょう? なら、わたくしたちの区画を使わせて差し上げましょうか?」
ルシエラはヴァルナガンの言葉を完全に無視して、こちらに語りかけてくる。その背後では、つまらなそうにヴァルナガンが肩をすくめていた。
「何が目的だ?」
「ただの親切心ですよ。あなたたちはシリルさんの護衛として、いわば『エージェント』に近い立場にいらっしゃる。仲間が困っていれば手を差し伸べるのは当然です」
思いやりのこもった内容に反し、想いのこもらない声で彼女は言う。
「……なるほど、区画を使わせてくれるのはありがたいが、ついでに一つ頼んでもいいかな?」
「なんでしょう?」
「手合わせを願いたい。いつもの仲間内だけの訓練より、得る物も多いだろうからな」
「ちょ、ちょっとエイミアさん!」
エイミアさんの思いもかけない言葉に慌てる僕に、彼女は軽く目配せをしてきた。何か考えがあるのだろうか?
「おもしれえ! 寝室じゃないのが残念だが、まずは前哨戦ってわけだな? 俺が勝ったら『続き』もやるかい?」
うるさいな、この男は。再び嬉しそうに大声を上げるヴァルナガンに、僕は顔をしかめて彼をにらむ。だが彼は、僕の方など見ようともせずにエイミアさんを見ている。なんだか無性に腹が立つ……。
「……いいでしょう。それではついてきてください。わたしたち『エージェント』のための特別練兵場は最上階にあります」
ルシエラはエイミアさんに探るような視線を向けた後、あっさりとこちらに背を向けて歩き出す。
「ど、どういうことですか、エイミアさん……」
僕は『風糸の指輪』で彼女に呼びかけてみた。
「……彼らが元老院の『エージェント』なら、将来は敵になる可能性もあるだろう? 謎だらけの彼らの能力を少しでも把握することができるなら、その方がいいじゃないか」
「……なるほど、そうですね」
二人きりの訓練とはいかなくなったのは残念だけど、何もせずに帰るよりはよほど良い。
「……だから、エリオット。頑張るんだぞ?」
「え?」
「わたしの相手はルシエラだ。もっとも訓練に参加するのはヴァルナガンだけだろうから、『相手』と言っても意味は違うが……。それに、わたしにあんな野獣の相手をさせるつもりか?」
冗談めかして笑うエイミアさんに僕は首を振る。……もちろん、そんなわけがない。ちょうどあいつには腹が立っていたことだし、僕がやってやる。なんならこの場で再起不能にしてやったっていいぐらいだ。
「……やる気になったのはいいが、ほどほどにな? こちらの手の内も隠せるものは隠しておくんだぞ?」
エイミアさんが何か言っているけれど、僕にはよく聞こえなかった、
「さあ、ここです」
ルシエラに案内された場所は、最上階に四つある部屋の一つだった。ギルドの練兵場棟はかなりの大きさがあるが、ワンフロアで四部屋しかないというのだから各部屋の広さもまた、推して知るべしだ。
「随分と豪華だな。これを君たち二人だけで独占しているのか?」
「そうですね。実際に作戦行動を共にする相手がいれば、ここでその実力を測ってあげたりもしますし、ご覧のとおり休憩所・宿泊所も兼ねていますから利用方法は様々です」
「まあ、大概の奴は『どの程度の足手まといか』を調べてやるだけだがな」
「この馬鹿は少々やりすぎなのです。そのせいで訓練相手が委縮してしまうのが困りものですね。もっとも、こちらの指示に従ってくれやすくなるのは都合がいいのですが」
僕らの前には、石床の広大な戦闘用スペースが広がっている。さらに、隅の方にはテーブルや椅子が置かれ、その側には食器や飲み物が陳列された棚などがあり、恐らく奥の壁面についた扉の向こうが宿泊所になっているのだろう。
「さて、エイミアさんは、わたくしとこちらで歓談でもしていましょう」
「え? なんだよ、ルシエラ。エイミアは俺とやるんだろうが」
「……そちらの彼は、貴方とやりたそうですよ?」
ルシエラが僕を指差す。僕は半ば殺気を込めてヴァルナガンを睨みつけていた。
「ん? お前はこのあいだ俺の誘いを断りやがったじゃねえか。俺が怖いんじゃねえのか?」
「お前をエイミアさんと戦わせるよりましだ。彼女がお前なんかに負けるとは思わないけどな」
「へえ、言うねえ。いいぜ。じゃあ、前哨戦はお前ってことにしといてやるよ。後悔して泣き叫んでもやめてやらねえからな?」
「うるさい。御託はいいから、かかってこいよ」
苛立ちながら僕がそういうと、ヴァルナガンはにやりと嬉しそうに笑う。なんなんだ、こいつ?
「なるほどなあ、あの女に惚れてるわけか? がはははは! 楽しくなってきたぜ! じゃあ、お前を転がした後にじっくり楽しませてもらうとするかな?」
その言葉に目の前が赤く染まり、心の奥底が灼熱する。
「エリオット! 安い挑発に乗るな」
エイミアさんのその言葉がなければ、『轟き響く葬送の魔槍』の因子制御を危うく解放してしまったかもしれない。
「けっ、余計なことを……」
やっぱり意図的な挑発だったのか。こいつ、見た目に反して意外と計算高いのか?
「じゃあ、いざ尋常に始めるぜ!」
広間の中央で向かい合って立つ。
ヴァルナガンは両脇を締めるようにしながら、腰の左右に拳を握った構えをとる。そしてそのまま──いきなり間合いを詰めてきた。
猛然と突進してくる奴の動きは、その巨体からは信じられないくらいに速い。けれど、……僕から見れば遅い。あまりにも、遅すぎる。
「っでえ? どこに行きやがった!」
【魔法具】『デッドウイングの羽靴』の効果を利用した高速移動。それもフェイントをかけてからの急加速によって、奴は僕の姿を完全に見失う。僕はもともと、『乾坤霊石の鎧』さえ脱げば、この程度の速度は出せる。だが、高速移動によって自分の体重にかかる慣性を殺すことが難しかった。だから、そんな問題を見事にクリアしてくれたこの羽靴は、僕の戦力を飛躍的に高めたと言ってもいい。
「はあ!」
奴の背後に回り込み、その背中に捻りを加えた槍の一撃を叩き込む。しかし、渾身の力を込めて放ったその一撃は、金属同士がぶつかり合う音をたてて弾かれてしまった。
「やっぱり、その鎖は【魔鍵】か!」
「いってえな! ちょこまかと動き回りやがって!」
僕は強引に振り回される裏拳を飛びさがって回避しながら、奴の上半身に巻かれた『鎖』を観察する。そこには傷一つ残っていない。奴の尋常ではない強さの秘密は、やはりこの『鎖』にあるのだろうか?
などと考えている余裕はなかった。ヴァルナガンは裏拳の勢いのままこちらを振り返ると、両腕を大きく広げながら飛び掛かってきたのだ。
「でも、遅い!」
僕は再び急加速により、奴の視界から姿を消そうとした。──が、しかし。
「ぐがっ!」
背中に強烈な一撃を受け、勢いのままに石床へと叩きつけられる。その際にうまく慣性を殺していなければ、かなりのダメージを受けていただろう。
「はっ! 同じ手が二度効くかよ!」
動きを先読みされた? ……いや違う。それなら正面から迎撃されたはずだ。だが僕の速度が奴を上回っている以上、考えられる可能性は……『最短距離を追撃された』しかありえない。
野生の勘──という奴だろうか?
「くそ、厄介だな……」
戦闘感覚を研ぎ澄ませつつも、基本的には敵の戦闘行動を分析しながら戦う今の僕にとって、こういうタイプは最も苦手とする相手でもあった。
-厭戦の握手-
悪魔ヴァルナガンと天使ルシエラ。
五年前の時点でも名前ばかりが先行し、その能力の詳細が明らかでなかった二人組。ただ、現時点においてはアリシアが二人を目撃していることもあり、所有する【スキル】についてなら、はっきりしている。
だが、それだけでは掴めないことがあまりに多かった。
「彼が心配ですか? エイミアさん」
気遣うような言葉を、無機質な声で口にするルシエラ。
何よりもまず、彼女の能力が分からない。アリシアの鑑定結果によれば彼女の【スキル】は次のようなものだ。
氏名:ルシエラ・リエラハート
年齢:27歳 性別:女 種族:人間 生誕地:オミング村
所有スキル:
【オリジナルスキル】
なし
【エクストラスキル】
なし
【アドヴァンスドスキル】
“先見の軍師”:戦術系の上級スキル。戦闘指揮における先読みなどの優れた才能がある。
【通常スキル】
“魔術師適性+”:融合魔術に適性がある
“剣術適性+”:剣術に適性がある
【種族特性】
“魔鍵適性者”:人間種族の共通スキル
この【スキル】の内容を見て、一体誰が彼女をSランク冒険者だと思うだろうか?
もちろん、冒険者としての能力や実績は【スキル】によってのみ、左右されるわけではない。だが、【スキル】の有無は、確実に人間の能力の限界──いわば、『到達点』までに必要な時間を左右する。
ましてや、彼女やヴァルナガンの力は、一般的な『到達点』をはるかに凌駕している。それは【エクストラスキル】所持者の中でも、ごく限られた者だけが辿り着ける領域だ。
にも関わらず、彼女は若くして伝説級の光属性魔法を無詠唱で使いこなす。光属性の【属性適性スキル】すら持ち合わせていないというのに、だ。むろん【魔鍵】の力である可能性も高いけれど、シリルによれば彼女の装備からは【魔鍵】らしき力を感じないと言うのだから不可解だった。
「心配などしていないよ。エリオットは、わたしの心配など必要ないくらいに強い」
「そうですか。いずれにしても怪我に関しては安心してください。あの馬鹿はあれでも【生命魔法】の使い手ですからね」
ルシエラの言葉どおり、アリシアが見たヴァルナガンの【スキル】には、【生命魔法】に関するものがあった。──それも、とびきりのものが。
氏名:ヴァルナガン
年齢:33歳 性別:男 種族:人間(半『???』) 生誕地:ヴェスタ村
所有スキル:
【オリジナルスキル】
なし
【エクストラスキル】
“奇跡の癒し手”:【生命魔法】の最上級適性スキル。
“神気剛拳”:体術系最上級適性スキル。体術・気功術に天才的な才能がある。
【アドヴァンスドスキル】
なし
【通常スキル】
なし
【種族特性】
“魔鍵適性者”:人間種族の共通スキル
“因子所持者”:亜人種族の共通スキル:タイプ『???』
【生命魔法】と体術・気功術の最上級【スキル】がある以上、あの男の異常な強度は強化魔法と気功の組み合わせによるものの可能性が高い。
わからないのは、彼が何の【因子所持者】であるかという点だ。アリシアによれば、最初に見たときは彼が【因子所持者】であること自体を見抜けなかったと言う。それがわかったのは、あの謁見の間での戦闘時に彼の全身が黒く染まり、異常な力を発揮した時だったらしい。
「がははは! 俺に殴られて立ち上がるなんざ、生意気だぜえ!」
「ちっ! しつこい!」
エリオットが手にした【魔鍵】を小さく振るうと、ヴァルナガンは何かに弾かれるように二、三度身体をのけぞらせた。
「なんだあ? こりゃ?」
空気の刃だか弾丸だかをヴァルナガンに叩きつけたようだが、彼はまるで堪えていないようだ。そのまま体勢を立て直すと、再びエリオットに猛然と殴りかかる。
「……力に任せた戦い方をしているようで、無駄な動きがまったくないな」
野獣のような外見に反し、戦闘に関して言えば実に洗練された動きだ。それでいて、エリオットの分析・予測を裏切るような野性的な動きまで織り交ぜてくる。『理性』と『野性』の奇妙なバランスの上に立ちながら、それらを絶妙に使い分けているのだ。
エリオットは【魔鍵】の力を駆使してどうにか攻撃をしのいでいるが、劣勢であることは間違いない。
「あの馬鹿の能力が気になりますか?」
「……いや、どちらかと言えば君の力の方が気になるかな。あの反則技のような光属性魔法がね」
唐突なルシエラの問いかけに返事をすると、彼女は少し意外そうな顔をした。
「なかなか、正直な方ですね。わたくしは貴女のようなタイプが一番苦手かもしれません」
「それこそ意外だな。自信家に見える君が、そんなことを言うなんて」
「貴女はヴァルナガンに似ているのです。──ああ、馬鹿の部分ではなく、主に性格的な面が、ですけれど……」
ほんの少しだけ、ルシエラの言葉に感情の色が見えたような気がした。わたしはそのことに驚いて彼女の顔を確認しようとしたが、ちょうどそのとき、目の前の戦闘に動きがあった。
「はあっ!」
凄烈な気合いの声とともに、エリオットが『轟き響く葬送の魔槍』を繰り出す。大きく間合いを取ってから放つ、彼の最大威力を誇る技『轟音衝撃波』だ。
技後硬直が大きい技を放つには、迂闊なタイミングだ。エリオットも焦ったのだろうか?
「ん? うおお! あっぶねえ!」
やはりヴァルナガンは野生の勘で察知したのか、迫る不可視の衝撃波を片手でいなしつつ真横へ跳躍して回避する。──直後、その際にずたずたに裂けたはずの手の皮膚が、見る間に治癒していくのが見えた。
「なんだ、あれは?」
「あれがあの馬鹿の力の一端です。あれの身体には常に自動治癒する【生命魔法】がかかっているようなものだとお考えください」
わたしは今度こそ、驚いてルシエラを見る。
「なぜ、そんなことを教える?」
「所詮は『一端』でしかないからです。あれを知ったところで、あの馬鹿の力の本質には辿りつけないでしょう。……ほら、もう決着のようですよ?」
わたしはその言葉に、再びエリオットへと視線を戻す。ちょうど、彼はヴァルナガンの拳の一撃を受けて吹き飛ばされているところだった。
「エリオットさんも随分と丈夫な方のようですが、あれではもう立ち上がれないでしょうね」
ヴァルナガンがエリオットを打ち倒した姿を見ても、ルシエラには何の感慨もないのか、至って平坦な口調である。彼女にとっては彼が勝つことなど、当たり前なのだろうか?
「ったく、大した野郎だぜ……」
ヴァルナガンは拳を振り切った姿勢のまま、倒れたエリオットを見つめている。
……エリオットめ。隠しておけと言ったはずなのに。
──立ち尽くすヴァルナガンの右腕は、バッサリと何かで斬り裂かれたかのようにドクドクと血を流している。もともとは相当に深い傷だったらしく、少しずつ回復してはいるものの、ヴァルナガンはその姿勢から動こうとしない。
「ヴァリスの『竜の爪』を真似してみたんだが、上手く行ったみたいだな」
そう言いながらエリオットはゆっくりと立ち上がる。彼の右手には鋭い鉤爪が生えている。因子制御をすべて解放したわけではないようだが、全解放した時ですらあり得ないほどの、巨大な爪がそこにはあった。部分的な制御、なのか?
「なるほど、『ワイバーン』の因子の力をあんなふうに制御できるのですか。【気功】の力を組み合わせているにしても、あの馬鹿の表皮をああも簡単に斬り裂くとは大したものです」
同じく能力の一端でしかないとはいえ、ルシエラに見られてしまった。
「はは! がはははははは! おもしれえ! お前も『そう』か! だったら俺も全力で相手をしてやるぜえ!」
一方、ヴァルナガンはそう叫ぶと、おもむろに自分の身体に巻かれた鎖を解き始めた。何をする気かはわからないが、まずいかもしれない。エリオットはどうにか立ち上がったものの、ダメージを受けていないわけではない。
「はっ! ようやく『奥の手』のお出ましかよ! 待った甲斐があったってもんだぜ!」
部分解放とはいえ、因子制御を緩めたエリオットは昔のような口調に戻っている。今の口ぶりから言って、ここまでの彼の戦いぶりは、どうやらヴァルナガンのコレを引き摺り出すための演出だったらしい。
「お止めなさい。馬鹿」
わたしの隣でルシエラが、流れるような所作で動く。椅子に悠然と腰かけたまま、ヴァルナガンに向かって軽く手をかざしたのだ。
彼女の掌に光が集まるのが見える。【魔法陣】の構築もないままに、周囲の【マナ】が強制的に収束していく光景は、わたしの背筋に寒気をもたらすものだった。本当に、彼女は人間なのだろうか?
やがて放たれる螺旋の光弾。二度、三度と立て続けに撃ち出されたそれは、鎖を解き、皮膚の色を変えようとしていたヴァルナガンの頭部に、違うことなく命中する。
「ぐげ! ごあ! ぎが! いってええええええ!」
頭部を襲う強い衝撃に、たまらずしゃがみこみ、頭を抱えるヴァルナガン。
彼女が使った【魔法】は、わたしの目に狂いがなければ、《妖精の魔弾》と呼ばれるものだ。人間の頭部など、一撃で粉々にできる破壊力を持った光属性『中級』魔法。たとえ光属性禁術級適性スキル“光明の天帝”があったところで、無詠唱での連発など絶対に不可能な【魔法】である。
「な、なんだ?」
さすがにエリオットも呆気にとられたまま、頭を押さえて呻くヴァルナガンを見ている。 ……だが、その程度で済む方が異常だろう。他の属性より威力が高いはずの光属性の中級魔法を頭部に受けて、『痛い』などと言っていられる方がおかしい。
「ちっくしょう。邪魔すんなよな!」
「黙りなさい。こんなところで『鎖』を解放しては、皆に迷惑がかかるでしょう。せっかくの宿泊場所も台無しです」
「ん? ああ、そうだったな!」
この練兵場は特殊な石材を用いることでかなり頑丈にできているはずなのだが、二人はそれが壊れる心配をしている。『鎖』の解放とやらは、よほど危険なものらしい。
──最後に、部屋の中央に全員が集まったところで、ルシエラがわたしに手を差し出してくる。
「……貴方たちを侮っていたことを謝罪しましょう。ヴァルナガンとあそこまで渡り合った冒険者は初めてです。まだ、奥の手もあるようですしね」
「それはお互い様だろう?」
「ええ。ですから、お互いに今後も良好な関係でいたいものです」
こちらの心を見透かしたかのような言葉だが、恐らく彼女の本心でもあるのだろう。にこりともせずに差し出してくる手と握手を交わしながら、わたしは自らの判断の正しさに安堵していた。
エリオットの能力を多少見せてしまったとはいえ、彼らの異常さを改めて確認できた点は大きい。可能な限り敵に回さない方が賢明な相手だ。もし戦うならば、最大限の準備をしてから、ということになるだろう。