第103話 イノセンス/驕れるものは久しからず
-イノセンス-
王都マギスレギアは今までに見たどの街よりも大きくて、気を抜くと迷子になってしまいそうです。とはいえ、あのまま宿に居続けるなんて耐えられませんでした。
ヴァリスさん……勉強熱心なのはいいのですが、恋愛小説の登場人物が語る愛の台詞について、わたしに質問するのだけはやめてください……。
だいたい、ああいうのは黙読だから意識せずに読めるのです。それを真面目な顔で声に出して読み上げた挙句、顔から火が出るくらい恥ずかしい場面を詳細に分析しながら、「シャル、これはどういう意味だろうか?」と聞いてくるだなんて、まったく拷問もいいところです。
「うう、こうなったのも全部ルシアのせいなんだから……」
人々が行き交う大通りを一人歩きながら、わたしはそんな言葉をつぶやきます。すると、反論するような声が聞こえました。
〈もともとシャルの一言から始まったんでしょう? ルシアは助けてくれただけじゃない〉
〈フィリスってば、いつからルシアの味方になったの?〉
〈でも、本当のことでしょう?〉
〈それはそうだけど〉
もうひとりの『わたし』である彼女と口論しても勝ち目はありませんでした。何と言っても『精霊』としての性質があるせいか、彼女はわたしよりも自分自身に素直な分だけ、わたしの方が分が悪いのです。
〈ところでどこへ行くの?〉
〈うーん、考えてなかった。でも、本屋にはこの前行ったばっかりだし……〉
わたしは心の中の会話に夢中で、自分が歩いている方向すらあまり確認できていませんでした。──結果として、ものの数分で立派な迷子の出来上がり。
「あれ? ここどこ?」
人通りの激しい通りであることに変わりはありません。けれど、どっちに進めば見覚えのある場所に出られるのか、わからなくなってしまったのです。うう、迷子です。十二歳にもなって、こんなの恥ずかしいです。とはいえ、怖いなんてことはありません。わたし自身も身を護る力なら十分ありますし、それになにより──
〈グルグル〉
わたしが胸に抱くこの子、『リュダイン』もいるから、心細さも感じません。
ただ、道行く人は物珍しげにわたしのことを見つめているようです。角の生えた金色の子猫を抱いた女の子なんて、大層珍しいには違いありませんから、無理もないでしょう。
〈知らない人について行ったら駄目なんだよ?〉
〈ふふ! わかってるよ。子供じゃないもん〉
シリルお姉ちゃんの言葉をそっくり口にするフィリスが可笑しくて、わたしはつい、笑ってしまいました。傍から見たら、頭のおかしな子だと思われてしまうでしょうか?
とにかく、街の四方には方角が分かるように色つきの尖塔が建っているのだから、それを目印に適当に歩けばどうにかなるはずです。そう思って歩き続けていると、不思議なことに気が付きました。
「あれ? なんであそこだけ、人だかりがないんだろう?」
石畳の道の両脇に立ち並ぶ商店に、足を止めて買い物を続ける人たち。初めてこの街に来たらしく、物珍しげに街を歩く冒険者の人たち。それらの景色の中に、一か所だけ違和感のある場所があるのです。路地の一角、ちょうど建物と建物の間。その周辺だけがぽっかりと空間が開けていて、人々は皆、その場所を避けるようにして歩いていました。
「……行ってみようかな?」
なんとなく胸騒ぎを覚えながらも、好奇心を抑えきれないわたしは、ゆっくりとその場所へと近づいていく。わたしの胸に抱かれた『リュダイン』が怯えるようにわたしの胸に顔を押し付けてくるのが分かりました。近づけば近づくほどに、わたしの心に得体の知れない不安が募ってくるようです。
……やっぱり、やめておけばよかったでしょうか?
〈フィリスは何か感じる?〉
〈え? ……ううん、別に〉
怖がっているのは『リュダイン』とわたしだけで、フィリスは何も感じていないみたいでした。
そして──辿り着いた場所には、一人の少女。
「……セフィリア?」
彼女は、建物同士の隙間に置かれた樽の上に腰かけていました。裾だけが紅い純白のワンピースを着て、紅い髪が斑に混じった金の髪を長く垂らし、真紅の瞳で楽しそうに道行く人を眺めています。
ど、どうしよう……。わたしは混乱の極みにありました。あの謁見の間で彼女が見せた力は、強力な光属性魔法を消去した不思議な能力のみです。けれど、彼女の存在を見ているだけで、わたしの心の中の何かが、悲鳴を上げているのです。
「あれ? あなた、だあれ?」
『無邪気』な声──気付かれてしまいました……。
戦ってどうにかできる存在とも思えません。そもそも、敵意を見せてきているわけでもない彼女に、どう対応したらいいのでしょうか?
「あ、えっと、ここで、何をしているの?」
思わず、そんな風に尋ねてしまいました。
「人を見ているの。フェイルが忙しいみたいだから、遊びに来たの」
「そ、そうなんだ……」
そう、彼女はフェイルの仲間なんです。その一点だけでも彼女を警戒する理由にはなるでしょう。
「ねえ、あなたは何をしているの?」
「え? えっと、その、道に迷っちゃって……」
……ああ、なんで正直に言ってしまったんでしょう? これじゃ周りに仲間はいませんって教えてしまってるみたいじゃないですか。
「迷子? 迷子なの? 迷子なんだ! ……あははは!」
わ、笑われた……。
「ま、迷子じゃないもん! 帰ろうと思えば帰れるんだから!」
わたしはむきになって彼女に言い返すけれど、彼女は楽しそうに笑い続けています。けれど彼女は、ふと笑いを収めると、わたしの顔を見上げるようにして言いました。
「……帰っちゃうの?」
「え?」
冷たい手で心臓をわしづかみにされたような感覚。それは、悲鳴を上げなかったのが不思議なくらい、ぞっとするような声でした。
「セフィリアは暇なの。お話ししよう? ね?」
彼女からは、一刻も早く離れた方がいい。わたしの心の中にある何かが、そう警告を発しています。けれど一方で、彼女の寂しそうな顔を前に、わたしはその決断ができないでいました。
「うう……す、少しだけだからね!」
「うん! ありがとう!」
……なんだろう、この子。見た目はわたしより年上(シリルお姉ちゃんと同じぐらい?)のはずなのに、年下の子を相手にしている気分になります。
そして、わたしは勧められるがままに彼女の隣へと腰を掛けました。
「ねえねえ、あなたのお名前は?」
「シャルよ」
「そっか。……ねえ、シャル。あなたの──『大切なもの』って、なあに?」
大切なもの? なんでそんなことを聞いてくるのでしょうか?
わたしは妙な胸騒ぎを覚えながらも彼女を見ました。わくわくと何かを楽しみにする子供のように、目を輝かせて答えを待っている彼女。
……昔、こんな詩を本で読んだことがありました。
──声をかけられても、振り向いてはいけません。
──名前を呼ばれても、返事をしてはいけません。
──何を聞かれたとしても、答えてはいけません。
それはあなたを破滅に導くもの。だから、あなたは『間違えて』はいけません……。
なぜ、そんな詩をこの時になって思い出したのかはわかりません。ただそれよりも、わたしが気になったのは彼女の目でした。
無邪気な瞳──けれどそれは、本来備えていたはずの『邪気』さえも、喪失してしまったかのような瞳。……たとえ『間違い』だとしても、わたしにはそれを放っておくことなんてできない。
……だから、わたしはそのとき心に思い浮かんだことを、無意識に口にしていました。
「……全部よ」
「え?」
そこで初めて、セフィリアは驚いたような顔を見せました。
「……わたしは、わたしが生まれたこの世界が大好き。わたしと、もう一人の『わたし』が生まれたこの世界は、わたしにとって何よりも大切で、掛け替えのないものだもの」
わたしの言葉に、セフィリアはしばらくの間、呆けたような顔をしていましたが、やがて満面の笑みを浮かべてわたしを見ました。うう、可愛い……。
「わ……」
「わ?」
「『わたし』も!!」
セフィリアは、声を張り上げるようにして言いました。
その笑顔は、何故かさっきまでの笑顔とは微妙に違うように思えます。
それまでただ単に『無邪気』な笑顔だったものが、生き生きとした感情を持つ、本当の意味で『純真無垢』な女の子の笑顔になったかのような? 自分でもよく意味が分かりませんが、そんな印象です。
「わたしも、わたしが生まれた、この世界が大好き! 大好き!」
「そ、そうなんだ」
身を乗り出さんばかりの勢いで迫るセフィリアに、わたしは思わず身体をのけぞらせてしまいました。
「うふふ! シャルって、わたしとおんなじなんだ! じゃあ、わたしたち、友達だね?」
「え? 友達?」
あっというまに友達認定されてしまいました。いったいどういうことなんでしょう?
「だめ?」
彼女は、紅い瞳をきらきらと輝かせてわたしを見上げてきました。わたしより背が高いはずなのに、随分器用な真似をするものです。
「……う」
「だめ?」
悲しげに潤む瞳。だ、駄目です。この目は反則です……。
「だ、だめじゃないわ。いいよ。友達になってあげる」
将来的にはともかく、敵意を見せない今のセフィリアを嫌うことは、わたしには出来そうもありません。
「ほんとう? 嬉しい!」
両手を胸の前で合わせ、セフィリアはまたも声を張り上げます。ただ、こんなに大きな声を出しているのに、道行く人は誰もこちらを見ようとしません。彼女を見ると胸に沸き起こる不安な気持ち、それが無意識にこちらを見ないように仕向けているのでしょうか?
「ねえねえ、シャル。その子は何?」
セフィリアは、わたしが胸に抱く金の子猫『リュダイン』を指差しながら聞いてきました。
「え? ああ、『リュダイン』よ。わたしの友達」
「ふうん。じゃあ、わたしの友達だね!」
ああ、そうなっちゃうんですね……。
話しているうちに、だんだんとわたしの中からは、セフィリアを脅威に思う気持ちはなくなってきました。それと同時に、『リュダイン』からもセフィリアへの恐怖がなくなったようで、顔を上げて不思議そうにセフィリアを見上げています。
「可愛いね? 触ってもいい?」
一瞬だけ、わたしは迷いました。けれど、直後にわたしの口から出た言葉は……
「いいけど、優しくしてね」
「うん!」
セフィリアはそーっと『リュダイン』の頭に手を伸ばすと、ゆっくりと撫ではじめました。最初はびくついていた『リュダイン』も、やがて気持ちよさそうに目を細めます。
「ねえねえシャル。そっちの子は?」
「え?」
セフィリアはわたしの胸を指差しています。まさか、『フィリス』のこと?
「ふうん、フィリスって言うんだ?」
「うん。もう一人のわたしなの」
「ふふ! そっか。じゃあ、わたしの友達だね!」
〈友達だって、フィリス〉
〈うん。……可愛い子──でも、可哀そうな子。友達になってあげられてよかった……〉
〈可哀そうな子? どういう意味?〉
〈世界で最も孤独な魂。運命の悪戯なんてものがあるとするなら、あなたはその最大の被害者。それでもあなたは、『ワタシ』を大好きだと言ってくれるの?〉
〈え? ど、どうしたのフィリス〉
彼女はまるで、心ここにあらずと言ったつぶやきを続けています。
〈あ、え? どうしたのって?〉
うーん。自分でも自覚がないみたいです。
「……セフィリアはね、人を見るのが好きなの。でも、時々寂しくなるの。なんでかな?」
いつの間にか、彼女は『リュダイン』から手を離し、人ごみに目を向けていました。そんな彼女に、わたしは胸が締め付けられるみたいな思いがして……。気づけば、わたしは彼女に『指輪』を差し出していました。
「なに、これ?」
「連絡用の【魔法具】だよ。あまり遠くなければ繋がるから、いつでも連絡してね。他のみんながいない時なら、いつでもお話ししてあげる」
何故か、そんな言葉を口にしてしまいました。
『指輪』を受け取りながら、彼女はにっこり笑って頷きを返してきます。
「うん。『セフィリア』のお友達になってくれて、ありがとう」
──それから日が暮れるまで、わたしたちはその場で雑談を続けたのでした。
-驕れるものは久しからず-
宿の一階にある食堂で、うろうろと落ち着かなげに歩き回る男が一人。
「少しは落ち着かんか、このたわけが!」
「な、何言ってんだよ。俺は十分落ち着いてるさ」
「なら、歩き回るのをやめたらどうだ。面倒くさい奴め」
「ん? ああ、わりい」
わらわの言葉に、今気が付いたとばかりに足を止めるルシア。
「あはは! シャルちゃんなら心配いらないよ。『リュダイン』だってついてるんだしね」
アリシアがこちらを見ながら、可笑しそうに笑う。そら見たことか。やっぱり笑われてしまったではないか。
「わ、わかってるって。でも、万が一ってことがあるだろ? ただでさえあいつは目立つんだから、変な男に目を付けられたりするかもしれないし……」
まあ、ルシアが心配するのもわからないではない。外を見れば、とっぷりと日も暮れている。今までシャルがこんなに遅くなることはなかったのだ。
「だ、駄目だ。悪い想像しか思い浮かばない……」
再びうろうろと歩き回るルシア。ええい、本当にうっとおしい。
「止まれと言っているだろうが。お主に触れていないと、わらわは実体化できんのだぞ? 一緒に歩き回る身にもなれ」
そう、こやつがぐるぐると歩き回るせいで、わらわはその後を追うようにして一緒に歩き回る羽目になっているのだ。
「いや、別に触れてなくったって構わないと思うんだが?」
「何を言っておる。ようやっとあちこち物に触れるようになったのだぞ? わらわからその楽しみを奪うつもりか?」
千年近く眠り続け、目覚めた後も実体のない意識だけの存在として世界を眺めつづけてきたのだ。そろそろ飽きてこようというものだった。
「……ああ、ごめん。無神経なことを言ったかな?」
「いや、構わん。それより、とにかく椅子にでも腰かけろ。歩き回ったところでシャルの帰りが早まるわけではあるまい」
「そうだよルシアくん。シャルちゃんならヴァリスが捜しに行ってくれてるし、すぐに見つかるから」
「うう、わかったよ。二人して……べ、別に俺だってそこまで心配なわけじゃないぞ。まだあいつは子供だからな。少しぐらい気にかけてやらないとな」
その言いぐさに、わらわとアリシアは思わず顔を見合わせ、苦笑した。
そのまま憮然とした顔で椅子に腰かけるルシアの隣に、わらわも椅子を引いて腰かける。ふむ。やはり自分で物を動かすというのは気分がいいものだ。
「すっかりファラちゃんも、馴染んじゃったよねえ。最初はシリルちゃんが二人いるみたいで慣れなかったけど、もうすっかりその姿がファラちゃんって感じだもん」
……相変わらず『神』をちゃん付けで呼んでからに。
とはいえ、わらわは他の『神』とは違い、むやみに崇めてほしい訳でもない。だがそれでも、威厳というものがあるだろうとは思うのだ。
「まあ、わらわとしては銀髪の方が好みなのだが、これだけ色艶の良い黒髪なら、これはこれで悪くはないかな」
わらわは左手をルシアの肩に置きながら、右手で自分の髪に指を通す。するするという手触りが何とも心地よい。
「そういえば、ファラちゃんって元々はどんな姿をしていたの?」
「む?」
「だって竜王様とラブラブだった頃は、今とは違う姿だったんでしょ?」
……ふん。からかおうとしても無駄だ。その手に乗るものか。むきになって否定すると、こやつはますます付け上がるからな。
「確か、その日の気分で変えていたな。あやつはわらわの姿には、こだわりを待っていないようだったしな」
どうだ? 何気なくさらりと返事をしてやったぞ。
「……すっご~い! ファラちゃん全然否定しないんだ! ほんとにラブラブなんだね! 羨ましいなあ! もう!」
「──うっがあああ! 否定しなくても同じなのかあああ!」
わらわは片手で頭を抱えて喚き散らす。
「ファラ。アリシアにその手の話題で勝てるわけがないだろ。諦めろ」
うう……なんたる屈辱。
だがアリシアは、そんなわらわに更なる追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「うーん。シリルちゃんも料理中だし、出かけてる皆も帰ってこないしで、ちょっと暇だよね。待ってる間にでも、ファラちゃんのラブラブ時代の話とか聞きたいな」
「……まったく、お主はどこまでもわらわの威厳を台無しにしてくれるな。まあ、よい。ラブラブかどうかはともかく、昔話ぐらいならしてやろう。心して聞くがよい」
「はーい」
「ファラの昔話か。そりゃ楽しみだな」
アリシアとルシアの二人が期待に満ちた目でわらわを見つめてくる。
……そんなに大した話ではないのだがな。
おそらくは、聞いていて楽しい話でもない。
なぜならこれは、かつて世界を支配した『神』と『竜族』が繁栄から崩壊へと向かうこととなった『運命の日』の出来事を含む、衰退と滅亡の物語なのだから。
──およそ一千年と少し前。
わらわは、一匹の風変わりな竜と出会った。その名を『グラン』と言う。
グランは『竜族』でありながら、孤独を嫌い、己の殻に閉じこもることをよしとせず、世界を見て、世界を知ろうと躍起になっていた。
孤高の存在として確固とした世界を己の内に持つ『竜族』にあって、その存在は明らかに異端であり、同族の中でも嘲笑と侮蔑の対象だっただろう。
一方のわらわも、栄華を極めた同胞たちが世界を創り変えるのを横目に見ながら、ぶらぶらとあてもなく世界を旅していた。
『神』が想えば世界は容易に姿を変える。なんでも思うがままになる。そんなつまらないことが他にあるだろうか? わらわがそう言うと、決まって同胞たちはわらわを異端児扱いして敬遠した。
──わらわを敬愛してくれた、ただ一人の同胞を除いて
そんな異端の二人が出会い、語り合い、そして何をなしえたかと言えば……何もない。──世界の滅びを、同胞たちの凋落を、くい止めることなど叶わなかった。
それでも共に旅した日々の想い出は、確実に二人の間に絆を生んだ。それこそが、グランとわらわがどんな形であれ、この世界に今も存在することができている理由だった。
──運命の日。
世界全土に出現した異形の存在『邪神』。
猛威を振るうその存在を知り、わらわとグランはそれぞれの故郷へ駆けつけるべく、旅路の途中で別れを告げた。故郷に戻ったわらわの前には、『邪神』と戦う同胞たちの姿があった。彼らは一様に、異様なまでに『邪神』を恐れ、半狂乱になりながら自分の力の通じぬ相手と戦い続けていた。
わらわにはまず、それが理解できない。確かに『邪神』は凶悪だったが、その性質から言って、『神』ならば容易に討ち滅ぼせる存在でしかないはずだった。なのに彼らはそれを滅ぼすことをせず、他種族の『神』を裏切って『邪神』を押し付け合い、自己の領域だけを護っていたのだ。
もっと不可解だったのは、帰ったわらわが数体の『邪神』を撃退し、滅ぼした時の反応だった。彼らはわらわに感謝するどころか、恐ろしいものを見るような目をしながら、取り返しのつかない真似をしてくれたとばかりに、わらわを糾弾し始めたのだ。
──わらわのことを慕ってくれた、ただ一人の同胞を除いて。
やがて『神』たちは、《異世界からの侵略者》とも呼ばれていた『邪神』への対抗策として、考えうる限りで最悪の方法を考案し、種族を超えて結託して実行に移そうとした。
それこそが、『竜の谷』の隔離封印計画だ。
『邪神』を集めた決戦場に、自らの【オリジン】を分け与えた子飼いの『魔族』を使って『竜族』を言葉巧みに誘い込み、彼らが『邪神』を抑えている間に諸共に隔離空間へと封印する。
考えてみれば馬鹿げた話だ。『力が通じない』存在を、彼らはどうやって一か所に集めるというのだろうか? だが、そんな矛盾を指摘することは許されなかった。
それどころか、わらわは【神の種族】としての名を剥奪されたのだ。
──わらわを愛してくれていた、ただ一人の同胞──否、たった一人の『妹』の手によって。
わらわはその時点で『神』を同胞として思うことを諦め、本当の親友を救うために『竜の谷』へ向かったのだった。
谷へ駆けつけた際のグランの言葉は、今でもなお、心に残っている。
「汝は馬鹿か! 同族たる『神』を捨てて、こんなところに来るなどと! 他の『竜族』は『神』を憎んでいるのだぞ? ましてやいかに汝でもこの閉鎖された空間から脱出する方法などあるまい。……まったく、馬鹿が。汝だけでも無事でいてくれるなら、それでよいと、そう思っていたのに……」
愚かな奴だ。自分がそう思うということは、相手もそう思うのだということを理解していない。絆とは、一人で結ぶものではないのだから。
その後の隔離空間での戦いは、熾烈を極めた。『邪神』の持つ強力な再生具現化能力は、アレの性質から言って当然のものなのだが、力押しでしか戦えない『竜族』にとっては戦いにくい相手だった。わらわなら比較的容易に倒せる相手ではあったが、いかんせん相手が多すぎた。
結局、『邪神』の親玉を滅ぼす頃には、わらわは自身の力の大半を使い尽くしていた。
眠りにつく直前、わらわはグランと『真名』を交わし、【グラン・ファラ・ソリアス】となった。いつか来る、再会の日のために。
「──まあ、千年も待たせることになるとは思わなかったがな。あやつもよくそんなに長いこと、待ち続けていたものだ」
語り終えたわらわは、最後をそんな言葉で締めくくる。
「ふふ! それだけグランさんがファラちゃんのことを好きだったんでしょ?」
「む……」
アリシアは、とうとう竜王であるグランのことまで『さん』付けで呼び始めていた。『ちゃん』付けでないだけ、まだましと言うべきだろうか。
「なるほどな。なんで『神』の連中がそんなわけのわからん行動をとったのかはともかく、他の『神』とお前の【オリジン】が共存できないって前に言ってたのは、種族としての名を剥奪されたってのが理由なのか」
「ああ、そうだ」
わらわはルシアの言葉に頷きを返す。名を失ったことに、後悔などない。わらわと『彼ら』は所詮、相容れない存在だったということだ。
「で、でもそれをやったのが『妹』さん、なんでしょ? どうしてなのかな?」
アリシアが気を遣う様に恐る恐る、ある意味での核心部分を聞いてくる。彼女はわらわが肝心な部分を省いたまま語っていることに、気付いているのかもしれない。
「……わらわには、『あれ』の考えなど最後までわからなかったよ。刹那の衝動に生きるあやつは、わらわとはまるで真逆の性格をしていたからな」
結局わらわは、肩をすくめてそれだけ言った。
アリシアに水を向けられてもなお、誤魔化すように語ってしまった。しかし、彼女はそんなわらわを責めるどころか、余計なことを聞いたとばかりに申し訳なさそうな視線を向けてくる。
ルシアはわらわの相棒だ。それこそ、『斬っても』切り離せない関係だ。だからこそ、彼にとって因縁深く、皮肉とも言えるこの事実を、わらわは伝えることができなかったのだった。