第98話 キレたら怖いメイドさん/無限湧出
-キレたら怖いメイドさん-
「ああ、そうだ。その後ろの連中、随分と仲が良いようだな? お前さえここで大人しくしておれば、彼らにはこれまで以上の最高の待遇を約束するのだがなあ?」
ガイエル議員という人が口にしたその言葉は、シリルちゃんを豹変させた。
「わたしの仲間に手出しをしたら、容赦しない……。ただ、殺すだけじゃ、許してあげない。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜くように死なせてあげる……」
シリルちゃんの口からは、信じられないような言葉が漏れる。
それも、単なる脅しなんかじゃない。
紛れもない本気。そして──隠しようもない殺気。
──でも、わからない。あたしの“真実の審判者”は、どんなに相手が上手に変装していたとしても関係なく、『その人自身』を感じることができるはず。……なのに、今のシリルちゃんは、そんなあたしの『目』から見ても、まるで別人みたいに見えた。
ざわざわと音を立てるかのように、周囲の空気が揺れている。よく見れば、シリルちゃんの座るソファの色が銀色に変色してきていた。足元の絨毯も無機質な色合いに変わりつつあるし、一体これは何が起きているんだろう?
「な、なんだ……? 【偽装魔法】の無効化だと? い、いや、それどころではない。この現象、まさか七年前と同じ……そ、そんな馬鹿な……よ、よせ! やめろ!」
さすがのガイエル議員もこの奇妙な現象に驚きを隠しきれないのか、怯えたような声を出した。そして、次の瞬間──
「ひ、ひい!」
ガイエル議員が悲鳴を上げる。でも、シリルちゃんの仕業じゃない。
悲鳴の理由は【魔法】なんかじゃなく、もっと直接的な物──彼の両膝の間、ちょうど股間に当たる部分のソファに刺さる、一本の『包丁』だった。
「うふふふ……。これまで以上に最高の待遇を、ですかあ? それじゃあ、このホテルの、この特別室の待遇が、不十分だって言ってるように聞こえるんですけどお?」
レイミさんはどこから取り出したのか、あり得ない数の包丁を両手に持ち、恐ろしい笑顔を全開にしてガイエル議員の真後ろに立っていた。あまつさえ、包丁の何本かは彼の首筋に押し当てられている。
「な、なんだ、このメイドは! う、ひ! 誰か! 誰かなんとかしろ!」
「メイドではなく、メイドさんですよお?」
「い! いたっ! 痛い!」
首筋から赤い血の筋がたらりと垂れる。ここまで呆気にとられて見てしまったけれど、これはまずい。レイミさんって、怒ると怖い。キレるポイントがよくわからないけれど、このままでは家政婦による殺人事件が起こってしまう。
「ちょ、ちょっと待った、レイミさん! そこでストップ! 殺しちゃ駄目だって!」
あたしと同じことを思ったらしいルシアくんが、慌てて制止の声をあげた。
「……え、嘘? 駄目なんですか?」
「……」
レイミさんの心底意外そうな返事と顔に、思わず絶句する一同。ますますこのメイドさんのことが分からなくなってきたけれど、気づけばシリルちゃんの周囲は元の色を取り戻していた。
気になってシリルちゃんの顔をのぞき込めば、目を見開いて驚いたような顔をしているだけで、さっきまでの怖くて冷たい感じはなくなっている。
「じゃ、さっさとお行きなさいな、白ブタさん。そんでもって二度と、このホテルの敷居をまたぐんじゃありませんよ? いいですね?」
「ひ、ひい! お、覚えておれ!」
レイミさんの包丁に脅され、ガイエル議員は情けなく捨て台詞を吐きながら部屋を飛び出していく。
「……えーっと、その、大丈夫なのかこれ?」
「何がですか?」
何がじゃねえよ。あんた頭おかしいんじゃないのか?──とは言えないルシアくん。でも、その気持ちはすっごくわかる。
「いや、その、さっきの人『元老院』の議員だったんだけど、このホテルの立場が悪くなるんじゃ……」
「どうしてですか?」
わかってないのか、あんたは!──ルシアくんはきっと、そう叫びたくなるのをこらえたんだと思う。ぷるぷるとその身体が震えていた。
彼女はまだ、包丁を構えたままで──今の状況はまさに、キチガイに刃物……。
「いや、だってそんな偉い人に従業員が包丁で怪我させたとなれば……」
「大丈夫です。ここはグレイルフォール家の迎賓館ですからね」
「……議長が用意した宿泊先である以上、それも当然かしらね」
レイミさんの言葉に、シリルちゃんは納得したように頷く。
「で、でも、だったらどうしてあの人を応接室なんかに?」
そんな立場があるのなら、門前払いにしたって問題ないはずなのに。レイミさんはそんなあたしの問いかけに、にっこりと笑って見せる。
「うふふ、時間稼ぎです」
「時間稼ぎ?」
「はい。少なくとも彼がここにいる間は、巻き添えを恐れて襲撃も控えるでしょうからね。その間にホテルの従業員には避難してもらいました」
意味深なことを言って窓の外を見つめるレイミさん。
襲撃? 避難? どういう意味?
「く! いつの間に……」
そこに響くヴァリスの声。
その声に含まれる緊張の響きに、あたしも思わず窓の外へと目を向ける。今までヴァリスが気づかなかったのは、アレに潜伏系のスキルに近い能力があるからだろうか?
「いえ、ついさっき『湧出』したばかりなんでしょうね」
レイミさんの言葉の意味はよく分からないけれど、特別室の窓の外に設けられたテラスには、緑色の趣味の悪い『生き物』が数体、姿を現していた。
「なんだ、あいつら?」
ルシアくんが怪訝そうに言った次の瞬間、けたたましい音とともに窓ガラスが打ち破られ、その『生き物』たちが部屋へと侵入してくる。あたしはその姿を視界にとらえ、その情報をしっかりと読み取ることに意識を集中する。
緑色の鱗、鋭い牙、手には毒々しい色の爪が生えている。 一見するとトカゲを擬人化したみたいな感じだけど……。
「『ゾルリザード』……『幻獣』だよ! 体内に麻痺毒を持ってるみたい」
「麻痺毒、ね。わたしたちを捕まえるつもり、ということかしら」
シリルちゃんは素早く立ち上がり、服のポケットから小さな道具を取り出した。さっきのお店で買った超小型の【魔導の杖】だった。
〈守りの西風、災いを退けよ〉
《暴風の障壁》
風の障壁があたしたち一人一人を覆う。
攻撃よりも皆の身を守ることを優先した【魔法】。
シリルちゃんは『麻痺毒』と聞いて、瞬時にそんな【魔法】を選択していた。
どうやら完全に冷静さを取り戻したみたいで、あたしは少しほっとする。さっきのシリルちゃんは、まるでシリルちゃんじゃないみたいで、すごく怖かった。
「あの程度の連中、さっさと蹴散らしてしまおう」
「了解」
ヴァリスとエリオットくんが『ゾルリザード』に向けて駆け出していく。
〈ギシャア!〉
吐きかけられる麻痺毒を《暴風の障壁》で受け流し、『ゾルリザード』の胴体に指先を軽く曲げた手を振りかざすヴァリス。その指が緑色の鱗にかすめるや否や、相手の身体が真っ二つに斬り裂かれ、そしてそのまま消滅していく。
ヴァリスの斬撃型“竜気功”『竜の爪』。
「ふむ、『幻獣』である以上、一撃で致命傷を与えれば体液も飛び散らずに消滅するようだな」
「なるほど、それなら僕も!」
体液を警戒して『ゾルリザード』との間合いを取りながら戦っていたエリオットくんは、軽くその場で身を沈めた。そして次の瞬間には、その姿が霞んでしまうほどの速度で突進。捻りを加えながら突き出された魔槍は、『ゾルリザード』の胴体を貫き、その肉体を消滅させる。
「さっそく【魔法具】の効果が使えてよかったじゃないか」
エイミアが緊迫感のない声で笑う。
重い『乾坤霊石の鎧』を着たままとは思えないほどのエリオット君の速さは、あのお店で買った【魔法具】のおかげらしかった。
「窓からだけってわけはないよな」
ルシアくんは、部屋の出口をにらみながらそう呟く。
この状況なら扉の向こう側には、もっとたくさんの敵がいるかもしれない。迂闊に動くのは危険な状況だった、
「それじゃあ、窓の外も片付いたみたいですし、脱出経路を教えて差し上げます」
レイミさんの声に、何度目かの驚きの視線を向けるあたしたち。
「脱出経路ですって?」
「はい。ここは特別室ですよ? 大切なお客様のためだけの秘密の避難経路ぐらい、あるに決まってるじゃないですか」
あたしたちは彼女の言葉に従って、奥の寝室へと向かう。
「さ、ここです」
彼女が絨毯の敷かれた床に手を当てると、瞬く間にその部分の絨毯が無機質な色に変わっていく。そして、取っ手の付いた扉のようなものが姿を現わす。
「ここから地下まで直通で行けます。ちょうど滑り台みたいになっていますから気を付けて。さあ、順番にどうぞ」
「さあ、どうぞって、貴女は? まさかここに残るなんて言わないわよね?」
なんだかんだと言ってシリルちゃんも、この風変わりなメイドさんのことが嫌いじゃないらしい。心配げに確認する。
「もちろん、ご一緒しますよ。ただ、順番が……」
「順番?」
「はい。できればシリルさんの直前がいいかなと」
「え? どうして?」
……それは聞かない方がいいみたいだよ、シリルちゃん。
「もちろん! わたしが後ろ向きに降りれば、シリルさんの眼福な姿をめいっぱい堪能できるからで……ってきゃあああ!」
あ……突き落とした。
「待ってますからねー!」と懲りない叫びを残響させながら滑り落ちていくレイミさんだった。
「……次、ルシア。降りたらどうするか、わかってるわよね?」
「は、はい……」
シリルちゃん、お怒りモードだ。それからあたしたちは、シリルちゃんの指定する順番に誰ひとり逆らわなかった。
「これで、全員ね」
服についた埃を軽く払いながら、シリルちゃんが確認する。
降り立った場所は、鈍い銀の壁に囲まれた地下室のような場所だった。
淡く発光する壁のおかげで、周囲はほんのりとした明るさに包まれている。
「で、ここからどうするんだ?」
「……知りませんよーだ」
レイミさんはルシアくんの質問にそっぽを向いて返事を拒否した。どうやらシリルちゃんが下りてくる際に、ルシアくんから羽交い絞めにされ続けていたことを根に持っているみたい。
「レイミ?」
「わかってますよお、そんなに怖い顔するなんて、せっかく可愛いのにもったいないですよ?」
どこまでもふざけた態度のレイミさんに、シリルちゃんもあきれ顔だ。
でも、彼女の機転のおかげで助かったのは確かだし、いい加減、この人が何者なのか気になるところだ。
実のところ、あたしの“真実の審判者”で見ても、名前も年齢も持っている能力も、取り立てて変わったところのないメイドさんに見える。──でも、何かが違う。あたしの能力自体が、何かによって騙されている? そんな気がする。
「彼らの目的がシリルさんをこの都市に拘束することにある以上、さっさと都市から脱出することですね。もう、一通りの目的は果たしたわけですしね?」
「……なんでそんなことまでわかるの? って言いたいところだけど、聞いても教えてくれないんでしょうね」
「うふふ。途中で追い返されちゃったみたいですけど、元老院から出て、『ララ・ファウナ』に向かったところまでわかれば十分です。」
そう言って、レイミさんは悪戯っぽく笑った。
-無限湧出-
「えっと、つまり、あの尾行はレイミさんの手の者だったということですか?」
「いいえ、正確には『グレイルフォール家の』でしょうね」
エリオットの推測を、首を振りながら訂正するシリル。だが、それを聞いたレイミはと言えば、にこやかな笑みを浮かべたまま否定も肯定もしてこない。
「グレイルフォール家っていうのは、ノエルの実家なんだよな? ってことはやっぱり、レイミさんはノエルの知り合いか何かなのか?」
「知り合いか何か……うーん、その表現。言い得て妙ですねえ」
直接的なルシアの言葉にさえ、はぐらかすような答えを返すレイミ。
「今は彼女の正体を詮索している場合ではないのではないか? ここもいつまで安全かわからんぞ?」
我としてはレイミの正体など、どうでもいいことだ。少なくとも敵ではない。それだけわかれば十分だろう。
「ヴァリスさんは紳士ですね! 女の秘密を詮索しない態度には好感が持てます。──ただ、ここはいつまでだって安全ですよ。連中は表立って行動できない以上、『幻獣』しかよこさないでしょうし、『幻獣』にこの隠し通路を見つけられるわけがないですからね」
「『幻獣』しか来ないだと? なぜ、そう言える?」
「うふふ。それはヴァリスさんが答えを示してくれたじゃないですか。……証拠が残らないからですよ。死体どころか体液すら残さず消滅する『幻獣』なら、暗殺や誘拐にはうってつけです。元老院の議員たちの常套手段ですよ」
レイミは彼女には珍しく、皮肉げに肩をすくめてそう言った。彼女の言うことが本当なら、一応は神官長の抑止力は働いているということか。
「ガイエル議員はあんなことを言ってましたけど、実際は議長派と反議長派は半々がいいところです。彼が鞍替えした理由は、グレイルフォール家と敵対したからでしょうね」
なるほど、状況は整理できた。だとすれば、そもそも急いで脱出する必要などあるまい。あの程度の『幻獣』の脅威などたかが知れている。すべて蹴散らしてしまえばいい。
だが、レイミは再び肩をすくめて首を振る。
「残念ながら、そうもいきません。この『魔導都市アストラル』では、この方法で命を狙われて生き残るすべはないんですよ」
「なんだと?」
「調整された『幻獣』は、【魔力】の供給さえあれば何度でも蘇りますし、仕掛けさえ打っておけば街中いたる所に出現させられます。元老院はみなさんが倒した『幻獣』を片っ端から復活させてくるでしょうね。そして、表立って動く必要のない『魔力の供給』に必要な人手なら、無尽蔵です」
「……」
無限に湧いて出る『幻獣』か。八百人の『元老院衛士団』を相手取るより厄介かもしれない。
「じゃあ、それこそリオネルのところに押しかけたらどうだ? なんだかんだ言っても奴がちゃんと抑えきれてないのが悪いんだろ?」
「……ううん。それはやめておきましょう。どんな形であれ、リオネルには借りを作りたくないわ」
「うーん、それもそうか」
そんなルシアとシリルのやりとりに、レイミが口を挟んでくる。
「結論はひとつです! 尻尾を巻いて逃げ出すのみです!」
「よりにもよって、一番酷い表現をかぶせてきたな……」
そんなルシアのぼやきを最後に、我らはその部屋から通路へと移動を開始した。
通路はホテルの敷地外に続いているのだろうか。それなりの長さがあるようだった。本来なら暗闇となる地下通路を照らすのは壁そのものから発する淡い光だ。一定の光源が存在しないため、我らの影は無数に広がって見えた。
「『幻獣』たちもすべてがすべて、潜伏系能力を持っているわけでもないようだな。地上に奴らの気配を感じる。結構な数だが、人目には触れないのか?」
「常套手段は日常茶飯事ですからね。つまり、『元老院』の議員同士の争いか何かだと思っているんです。なら、自分に危害が及ばない限り、街にいる一般庶民の『魔族』たちは見て見ぬふりですよ。終わってみて、勝った方に従っていればいいんですから」
支配者にとっては、何とも都合のいい民衆というわけか。我は『竜族』の先達が、ある意味では『神』以上に『魔族』の連中を忌み嫌っている理由が分かったような気がした。
一言でいえば、気持ち悪い。自分以外の存在に絶対服従し、何もかもを依存しきってしまえる精神構造が、まったくもって理解できない。
「それで、この先はどこに通じているんだ?」
エイミアが今さらのように質問する。思わず勢いでレイミに従ってきたが、考えてみれば真っ先に確認すべきことだったな。
「はい。残念ながら【ゲートポイント】のすぐそばに、というわけにはいきません。でも外に出ればすぐにでも、時計塔が見えるはずですから、そこに向かって全力ダッシュでお願いします」
「全力ダッシュ、ね。だが、【ゲートポイント】が脱出口なら連中も警戒しているだろう? 配置されているものも多いんじゃないか?」
「それはエイミアさんが蹴散らしちゃってください。まとめてたくさん消してしまえば、そんなに一度には復活できないはずですから」
「……わたしたちの戦力まで、君にはお見通しと言うわけか」
「メイドさんですから、ご主人様のことなら何でも、存じ上げてますよー」
両腕を前で合わせ、胸を強調するようなポーズで答えるレイミ。
そのまま通路を進むことしばらく、足元がだんだんと上り坂になってくるのを感じる。つまり、出口が近いのだろう。
「レイミはどうするの? わたしたちと一緒に来る?」
「シリルさんって、本当に優しい方ですね。惚れちゃいそうです。っていうか惚れちゃってます!──でも、心配いりませんよ。わたしはこの地下でほとぼりが冷めるのを待ちます。みなさんがいなくなれば『幻獣』も目的を失うでしょうし、ホテルに戻っても何の問題もありませんから」
「でも、ガイエルに顔を覚えられているでしょう?」
シリルは、レイミが後から個人的な復讐をされることを心配しているようだ。しかし、そんなシリルの言葉に、レイミは我ですら背筋が寒くなるような不気味な笑みで答えた。
「……うふふふふ。わたしの方こそあの豚には、忘れたくて忘れたくて仕方がないと思うような目にあわせてあげなくちゃと思ってるところですよ? わたしのご奉仕を馬鹿にするなんて、万死を以っても償いきれない大罪です!」
「……ああ、そうね」
心配するだけ無駄だ。シリルもようやく、そんな結論に達したようだ。
そしてとうとう、我らの前には白い扉が姿を現す。
「ここを開けると、大通りの一角に出ます。位置関係はさっき渡した地図で確認してくださいね」
「ええ、本当にありがとう。……あなたがノエルの知り合いなら、彼女にもわたしが感謝していたって、伝えてくれる?」
「うふふふ。はい」
レイミはシリルの謝礼の言葉に、今までにない穏やかな笑みを返す。
「じゃあ、世話になったな。また、ここに来る機会があったら話でもしよう」
「エイミアさん……わたし、いつまでも待ってます。あの、めくるめく夜をもう一度……」
「ええ!? ど、どういう意味ですか!?」
レイミとエイミアのやり取りに、うろたえた声を出すエリオット。
結局、この『魔導都市アストラル』に来て以降、我らは全員、彼女の世話になり続けていた。そのことに改めて全員で礼を言うと、レイミは少しだけ照れたように笑って顔の横に手をかざすと、サヨナラをするようにわきわきと握ったり開いたりを繰り返す。
「ああ、そうだ。ルシアさん」
「え? なんですか?」
最後の最後で、レイミがルシアの背中から声をかける。
「シリルさんのこと、しっかり支えてあげてくださいね?」
ルシアは、ぴたりと足を止める。だが、そのまま振り向くことなくこう続けた。
「任せてください。……アンタが7年間、ここで彼女を愛し守り続け、今もまた見守ってくれているように──いや、それに負けないくらいに、俺も彼女を護り続けます」
「……」
「ノエルに、そう伝えてください」
そのやりとりは、聴覚の優れた我にしか聞こえなかっただろう。
ルシアの言葉を最後に、我らは扉から外に飛び出した。
おそらくは時計塔の時と同じく、普段は巧妙に隠されている扉なのだろう。我らが開けたその扉は、大通りに面した一見して単なる塀にしか見えない場所に設置されていた。
「時計塔は……あっちだ!」
ルシアが素早く目的の方向に指し示す。一方で、周囲に群がる獣の気配。
「随分な数がいるわね……」
シリルの言葉どおり、大通りには普段道行く人影の代わりに、様々な姿をした『幻獣』たちが闊歩している。奴らは我らの姿を視認するや否や、一斉に襲い掛かってきた。
《凝固》!
シャルの【精霊魔法】による空気の壁が、背後から迫る集団の動きを防ぎとめる。
「正面は任せろ!」
ルシアが『切り拓く絆の魔剣』を抜き放ち、正面から迫る大型の猿のような『幻獣』に斬りつける。その『幻獣』はルシアの一撃を腕で防ごうと試みたようだったが、理想の剣たる【魔鍵】の前にあっさりと斬り裂かれ、塵となって消滅する。
「『幻獣』が相手なら、ルシアの【魔鍵】が一番有効みたいだね」
エリオットも槍を振るい、巨大な蛇の姿をした『幻獣』を薙ぎ払う。
「走るぞ!」
ルシアの声を受け、我らはなおも襲撃してくる『幻獣』たちを蹴散らしながら、時計塔へ向けて走り出す。行く先々で襲いくる『幻獣』たちは、一度にせいぜい数匹程度ではあるものの、次々と空間からにじみ出るかのように出現するのが厄介だ。
「この『幻獣』たち、さっきやっつけたのと同じだよ!
アリシアが叫ぶ。やはりレイミの言うとおり、元老院の連中は『幻獣』を再生させながら無限にけしかけてくるつもりのようだ。
そして、我が巨大な甲羅を背負った『幻獣』を拳の一撃で打ち砕いたその時だった。
なにやら上空から迫る多数の気配を察知する。
「嫌な奴が群れをなして来やがった……。街の連中も、見て見ぬふりをするんだって限界があるんじゃないか?」
呆れたようなルシアの言葉。
その視線の先には、群れをなして飛来する炎の鳥。