第97話 彼女の変身/彼の感想
-彼女の変身-
シリルとシャルの二人を見ていると、思わず頬が緩んでくる。『幻獣』が調整されて行動を共にできるようになって以降、二人とも随分と機嫌がいいのだ。まるで仲の良い姉妹のように陳列された商品の間を歩き回り、時折足を止めて笑いあう二人。その姿をいつまでも見つめていられるのなら、こんなに幸せなことはない。そんな風に思ってしまうほどだった。
「ルーシーアくん?」
背後から声をかけられて、慌てて俺は頬を引き締める。
「可愛いよねえ、あの二人」
俺の隣に並ぶように立ちながら、うっとりとした声を出したのはアリシアだ。その頬はそれはもう、だらしなく緩みきっている。俺と違ってそれでも可愛く見えてしまうのは、女性の特権と言うものだろうか。
「買い物はもういいのか? 不用意に近づくとシャルに噛みつかれるぞ?」
「もう! そんなこと言って!」
シャルに警戒されて近づけないでいた彼女を皮肉るような言葉に、頬を膨らませるアリシア。俺はそんな彼女の横顔をちらりと見る。サラサラと揺れる水色の髪の隙間から、赤い光のようなものが覗いて見えた。イヤリングか何かだろうか?
「あ、これいいでしょ? さっきヴァリスに買ってもらったんだ」
恐らく【魔法具】だろう鮮やかな紅い宝石の付いた小さなイヤリングは、彼女の淡い髪の色によく映えている。ヴァリスが選んだのだとしたら、驚きだな。
「ふふ! 適当に選んでくれたように見えたけど、そうでもなかったのかな?」
こちらはこちらで随分と上機嫌みたいだが……
「で、何を企んでるんだ?」
「え? なんでわかったの?」
きょとんとした顔で見上げてくるアリシア。
「なんとなくな。でも、協力はできないぞ。さすがにこれ以上、シャルに嫌われるわけにはいかないからな」
「だから嫌われてなんかいないのに……。それより、いいのかなあ? そんなこと言って?」
「どういう意味だ?」
「ルシアくんにもメリットのある話なんだけどなあ」
にやにやと笑みを浮かべるアリシア。なんだか気味が悪いな。それから彼女は俺に耳を貸すように言うと、耳元で何事かを囁き始めた。──そして数分後。俺とアリシアはしっかりと握手を交わす。
「同盟、成立だね!」
「ああ、同志よ。健闘を期待する!」
もはや何を言っているのか訳がわからないが、俺は敬礼しながらアリシアを見送る。もちろん、彼女が向かう先にはシリルとシャルの二人がいる。
「シーリールちゃん!」
「どうしたの、アリシア?」
「!!」
何気なく振り向くシリルとは対照的に、敵を警戒する獣のような俊敏な動作で飛びさがるシャル。いや、なにもそこまでしなくても……。よく見れば、金色の子猫の姿となった『リュダイン』までもが、彼女の足元で同じように威嚇の体勢をとっている。思わず吹き出してしまいそうな光景だが、どうにかそれは我慢する。ここから先が重要なのだ。
「アリシア……。シャルに何したの?」
「うう、何もしてないよう……」
呆れるシリルに落ち込むアリシア。
「前から思ってたんだけど、シリルちゃんももっとオシャレした方がいいんじゃない? いっつも同じローブでしょ? 確かにその格好も可愛いし、あたしの『星光のドレス』と同じで汚れない性質のある【魔法具】なんだろうけど、そればっかりじゃ味気ないよ?」
アリシアは何とか気を取り直すと、一気にまくしたてた。
「え? いや、わたしはいいわよ。『流麗のローブ』はとにかく着心地がいいし、装備としても十分だもの」
「もう、女の子がそんなこと言って……、そんなんじゃルシアくんだって他の子に乗り換えちゃうかもしれないよ?」
「な、何言ってるのよ! ルシアは関係ないでしょ?」
真っ赤になって叫び返すシリル。
「ねえ? シャルちゃん」
「え? えっと……」
「たまにはもっと可愛い服を着たシリルちゃんを見てみたくない?」
「そ、それはその……」
シャルは突然の質問に戸惑いつつ、シリルの方をちらちらと見ている。シリルはそんなシャルの視線に対し、ぶんぶんと首を振って何かを訴えかけていた。シャルの目には、迷いの色が見える。よし、もうひと押しだ。
「あたしも『シャルちゃんのことばっかり』気にかけていたけど、シリルちゃんだって可愛い女の子なんだし、やっぱりおしゃれに気を遣うのは大事だよねえ?」
「……! え、えっと、シャ、シャルもシリルお姉ちゃんが違うお洋服を着ているところ、見てみたいな……」
よしきた! 流石はアリシア。
“真実の審判者”の使いどころが憎いぜ。相手の心理をついた見事な作戦だ。
「シャ、シャルまで……、うう、と、とにかく! わたしには必要ないから!」
シリルは追い詰められたような顔をしながらも、頑なに首を振る
で、次の手なんだが、これで本当に効果があるんだろうか?
俺は半信半疑のまま、アリシアに教えられたとおりの言葉を口にする。決められた台詞とはいえ、恥ずかしいぞ、これ。
「俺も見てみたいな」
「え?」
シリルが呆けたような顔で俺を見る。
「シリルの違った面を見てみたい。普通に着飾って、女の子らしくしているところを見てみたいんだ。……お前だって『女の子』なんだから、それぐらい当たり前だろ?」
最後の一言はアドリブだった。と言うより、思わず口をついて出た言葉だ。
「……うう。わ、わかったわよ……。で、でも、女の子らしくって言ったって、そんなことしたことないし……」
いやいや、何も涙目にならなくたっていいんじゃないか? なんだか苛めているような気分になってきた。しかし、その瞬間、獲物をしとめた獣のように目を光らせ、シリルの手首を掴むアリシア。
「だったらあたしに任せて! めいっぱい、シリルちゃんを可愛くしちゃうんだから!」
「え? ちょっ、待っ……」
ずるずると引きずられるようにして、女性用試着スペースのカーテンの内側へと消えていくシリル。
「ご、ごめんね、シリルお姉ちゃーん!」
シャルの悲痛な声が聞こえてくる。シリルを人身御供にしてしまった罪悪感があるんだろう。俺はそんな彼女を慰めてやるつもりで頭を撫でた。が、振り払われた挙句、ジロリと睨みつけられた。
……おお、この視線は久しぶりだ。何故か少しだけ嬉しくなってしまう。
「ル、ルシアも同罪なんだからね……」
視線の厳しさに反して、声の調子は何とも弱かった。
ほどなくして、カーテンの向こう側からは、二人の騒ぐ声が聞こえてくる。
「ちょ、ちょっと、服くらい自分で脱げるから!」
「んふふふ! 大丈夫、大丈夫! お姫様は黙って立っててね?」
アリシアの声は、これ以上ないくらいに弾んでいた。
「な、なんだかすごいことが始まっているぞ……」
「うう、ほんとにごめんなさい、シリルお姉ちゃん……」
自分にも身に覚えがあるのか、おろおろと試着スペースの前を往復するシャル。
「これなんか、いいんじゃない? ……うわあ、可愛い!」
「え? で、でも、これはちょっと、露出が気になると言うか……」
「大丈夫! ほら、説明書きにも書いてあるでしょ? 防御力は折り紙つきだよ?」
中から聞こえてくる衣擦れの音に、思わず唾を飲み込んでしまう。こ、これはさすがに少し離れていた方がいいんじゃないだろうか? そんな風に思いながら後ずさると、ドスンと誰かにぶつかる。
「おっと」
「エ、エイミアさん?」
俺はあわててエイミアから離れる。周囲を見渡すと、エリオットはちょうど会計を済ませているところで、こちらには気づいていないようだ。危ないところだった。
「ふっふっふ。わたしにはわかるぞ、ルシア」
いきなり含み笑いをもらすエイミア。
「な、なんです?」
「君の頭の中は今、いやらしいことでいっぱいだろう?」
「ぐふ!」
エイミアの一言で俺は吐血した。いや、嘘だ。吐血はしてないがダメージは大きかった。『リュダイン』が俺の鳩尾に頭突きを喰らわせてきたからだ。
視線を向ければ、子猫サイズの『リュダイン』が得意げに立つその横で、シャルが半眼のまま俺を見ている。
くそう、あいつめ。こんな形で物理的な攻撃手段まで手に入れるとは。
「今のは絶対、俺は悪くないのに……」
「ははは! 悪い悪い」
そんなやりとりを続けていると、不意に試着スペースのカーテンからアリシアが姿を現した。後ろ手にカーテンを閉めながら、嬉しそうに笑っている。
「んっふっふ。お待たせいたしました! それでは、シリルちゃん──とっても可愛い女の子バージョン──のお披露目です!!」
ノリがいいのは結構だが、何なんだその口上は……と俺が呆れていられたのは、シリルが姿を現すまでのことだった。
「へ、変なこと言わないでよ、もう……」
彼女は恥ずかしそうにしながらも、おずおずとカーテンの隙間から顔をのぞかせる。
「ほら! 早く出てきて!」
そんな彼女の手をアリシアがつかんで引っ張る。
「あ、ちょっと待って!」
カーテンがめくれ、彼女の身体がこちらに姿を現した。
「う、うわあ……可愛い……」
俺の耳にはシャルの呟くような声が、かろうじて聞こえている。
けれど俺の感覚は、目の前の女性を見つめることだけに特化してしまったかのようだった。
「……」
──言葉も出ない。絶句、というやつだ。
全体的には、紫がかった薄い色合いの生地で作られた服だ。裾や袖口など、ところどころに赤や黒の飾り布が縫い付けられているが、それも控えめで過度に派手な印象はなく、むしろ彼女の銀の髪が彩りを添えている。上半身のブラウスは比較的身体に密着したタイプのもので、下半身は腰の部分を細い帯で結ぶタイプのスカートになっている。
着替えの間、露出が気になるとの声は聞こえてきていたが、それほど露出は多くない。
……ただし、それは一見しての場合だ。
ブラウスの首回りは大きく開いており、布地の代わりに首から肩の近くまでを黒っぽい網目のレースが覆っているが、よく見れば白い肌が透けて見えた。
服の形状からか、シリルの形の良い肩が剥き出しになっているし、袖口の部分も先に行くほど広がっているが、手首までは届いていない。
スカートも膝下あたりまでの長さがあるように見えて、その実、膝から下は編み込まれたレースのために白い脚が透けて見える。足には服そのものと同系色の靴を履いているようだ。そして、彼女の細い首には、複雑な装飾の施された銀のチョーカーが着けられていた。
「もしもし、ルシアくーん? 見惚れるのはわかるけど、何か言ってあげないとね?」
は! いかん。すっかり、我を忘れて見入ってしまった。俺はシリルの顔を見る。どうやら先ほどから皆に褒めちぎられていたらしく、恥ずかしそうにしながらもまんざらでもないみたいだ。ただ、俺と目が合うと、少し不安そうな顔になった。
「ル、ルシア? へ、変じゃないかな?」
「か……」
「か?」
俺が喉に詰まらせた言葉を首をかしげて繰り返すシリル。
だが俺にはもう、ひとつのことしか頭にない。
「か、か……」
「ル、ルシア?」
「か、買うぞ! 決定だ! もう、だれが何と言おうと、その服を買おう!」
-彼の感想-
ルシアは目を輝かせてわたしに近づいてくると、胸元のレースを隠すように押さえていたわたしの両手をがっしりと掴んできた。……気に入ってくれた、のかな? とはいえ、流石にこんな勢いで迫られるのは、かなり恥ずかしい。
「ほ、ほら、ルシアくん。シリルちゃんが困ってるよ?」
「え? あ、ああ、悪い! いや、その、つい思わず……」
ルシアが我に返ったようにわたしの手を離す。そして、照れ臭そうに頭を掻いて、あさっての方を向いてしまった。
「ルシアくん。まだ、肝心なことを言ってないんじゃないの?」
「うん。今のは感想とは言えないぞ。せっかく彼女が着飾ってくれたのだ。気の利いた言葉の一つもかけてやらないとな」
アリシアとエイミアが口々にルシアをからかう。彼は「わかってるよ」と言いながら、改めてわたしを見た。うう、やっぱり変じゃないかな?
不安で仕方がない。肩はスースーするし、スカートなんて腰回りがひらひらと落ち着かない。わたしみたいな色気のない女には、こんな露出の多い恰好は似合わないんじゃないだろうか? そんなことを考えていると、ルシアがおもむろに口を開いた。
「う、上手く言えないんだが、その、す、すごく似合ってる。その、見惚れるぐらい……綺麗で、か、可愛いと思う……」
「おお、思いのほかストレートにきたな!」
「ぐっじょぶだよ、ルシアくん!」
……顔が熱い。エイミアとアリシアが何やら騒いでいるみたいだけれど、全然耳に入ってこない。恥ずかしくて、でも嬉しくて……なんだろう、この気持ち?
「あ、ありがとう……」
他に言葉が出なかった。
そして、皆がひとしきり褒めてくれた後、わたしたちは会計のためにランディ店長に声をかける。
「ああ、こんなところで天使に会えるとは……!」
「だから……それはもういいから、会計をお願いできる?」
もう何度目になるかわからない店長の賞賛の言葉を受け流し、わたしたちは改めて会計を済ませる。彼の提示した額は、一般的な【魔法具】の相場からすればかなり割高だったけれど、ここにあった【魔法具】はどれも恐ろしく高度なものだ。最大限努力した結果だろうと思い、わたしはそれに少しだけ色を付けて払ってあげた。
両手を掲げてそれを受け取った店長の半泣き気味の顔を見るに、その判断は間違っていなかったみたいだ。……ホテルに戻ったら、レイミを問いただす必要があるかもしれない。
それにしても、『女の子らしい』恰好、か。
店を出ながら、わたしは思わず自分の身体を見下ろし、それからくるりとその場で回ってみた。ふわりとスカートが持ち上がり、再び元に戻る感触は、なんだか少し新鮮だ。
「あはは! シリルちゃんも気に入ったみたいで良かったね」
しまった。人目があることを忘れてた。わたしは自分がやったことに我に返る。我ながら、なんて恥ずかしい真似を……。
「いいんだよ、シリルちゃん。女の子なら綺麗な服を着れば、楽しくなって当然なんだからね」
わたしの心を見透かして、そんなふうに笑うアリシア。相変わらず、わたしはこの子には敵わないな。わたしをこんな気持ちにさせるために、いろいろと仕組んでくれちゃったのだから。
ホテル『中央迎賓館』に戻ると、出迎えに来てくれたレイミがわたしにものすごい勢いで抱きついてきた。
「きゃー! これはもう、お持ち帰り決定ですう~!」
「な! なんのことよ、いったい!」
わたしは彼女をどうにか引きはがそうとするが、手首を掴まれ動きを阻止され、なかなか思うようにいかない。
「うふふ、お人形さんみたい……。さすがにシャルちゃんは若すぎるから我慢してましたけど、シリルさんならいいですよね?」
「が、我慢って、いったい何を我慢していたの!? いいってどういう意味!?」
ぞくっと身体に震えが走る。耳元に息を吹きかけられていた。
「今夜は寝かせま……、あん! 残念……」
気付けばエイミアが無言で彼女の襟首を掴んでいる。そのまま彼女を引き離してくれたおかげで、わたしは大切な何かを失わずに済んだような気がした。
「じゃ、じゃあ、部屋に戻りましょう?」
わたしは何となく乱れた服装を正すと、気を取り直してレイミに案内を頼もうとした。
けれど彼女は、意外な言葉を口にする。
「ああ、そういえば……。お客様がお見えでしたのでお通ししておきました!」
それは真っ先に言うことじゃないかしら……。本当にこのメイド、何を考えているのかいまいちわからない。そもそも、本当にメイドなんだろうか?
「お客様? だれなの?」
「わかりません! お名前は確認しませんでしたから!」
……それは駄目でしょう。素性もわからない客なんて普通、通す?
普通のメイドではあり得ない露出の大胆な服を着た彼女は、やはり来客対応のやり方も普通ではないということだろうか? いや、そういう問題じゃないわね。わたしたちは仕方なく、急いで応接間へと向かう。
この『魔導都市アストラル』でわたしたちを尋ねてくるなんて、まともな相手ではないだろうけれど。
「遅かったな、シリル・マギウス・ティアルーン。待ちかねたぞ?」
「ガイエル議員……」
応接間に入るなり声をかけてきた『魔族』には、見覚えがあった。
『元老院』の議員の一人。それもかつてはわたし、いや『最高傑作』の管理監督者としてわたしの周囲の大人たちの中でも、それなりに接する機会の多かった相手だ。
ソファから立ち上がる彼は、恰幅の良い初老の男性だ。少し太っただろうか?
あれから四年以上が経つのだから違いがあるのは当然だけれど、野心に満ちた精悍な顔つきまでは変わっていないようだ。
「どうして貴方がここに?」
「むろん、お前を説得に来たのさ。わしは長いこと、お前の管理監督者として面倒を見てやっただろう? だから元老院を代表してわしが、直にお前と話そうと思ってな」
彼は議員の制服でもある長衣の裾を払いながら、再びソファに腰を掛ける。そしてわたしにも、反対側へ腰かけるように促してきた。ただ、ルシアたちを無視するあたり、人間への差別意識が強いところは健在のようだ。
「説得、ですか?」
「そうとも。お前は『最高傑作』だ。万が一にもお前が損なわれるようなことがあれば、我らの悲願は潰えることになる。だからもう、旅に出るなどという真似はやめるんだ」
「それはおかしいですね」
わたしはソファへと腰かける。すると、いつのまに運んできていたのか、すかさずレイミがわたしの分の飲み物を差し出す。……でも、ガイエル議員の分はないみたいだ。
まったくもって、有能なんだか無能なんだかわからないメイドだった。
「おかしい? 何がだ?」
「わたしに実戦経験を積ませるための旅を決めたのは、『議長派』の議員たちのはずです。そして、あなたは『議長派』の中心人物だったはずでしょう?」
わたしの言葉にガイエル議員は軽く肩をすくめる。
「今は違う。もはや『議長派』などというものは存在せんよ。──あの、忌々しいグレイルフォール家を除いてはな」
「なんですって?」
「お前が『パラダイム』に狙われている以上、このうえさらに実戦経験など積ませるより、ここでかつてのように、《収束する世界律》と《顕現する世界律》の修練を積んだ方がましだろう。これはもはや、元老院の議員の大多数を占める見解だ」
つまり、最高権力者のはずのリオネルが造反されつつある、ということだろうか? でも、ガイエル議員はグレイルフォール家を除いて、と言った。つまりノエルの実家は今もなお、『議長派』なのだろうか? 状況がよくつかめない。彼が嘘をついている可能性だってある。
「とはいえ議長──いや『神官長』は偉大なお方だ。あの方のお考えを無視することはできん。だが、当のお前が旅に出ようとしないのなら、話は別だ。それはやむを得ないことなのだからな」
「それでも旅に出る、とわたしが言ったら?」
「聞き分けのないことを言うな。お前は我らの希望なのだ。『世界の理』を我らが手にするために、必要不可欠な存在だ。お前の安全のためだ。わしはお前が心配なのだ」
「……」
馬鹿馬鹿しい。何が「心配なのだ」よ。心配しているのはわたしじゃなくて、自分たちの目的のことばかりでしょうに。
「四年前は『神官長』のご沙汰に従ったが、このままでは手遅れになる。近いうちにアレも見つかるはずなのだ。そうなれば【儀式】の日は近い。お前が世界を救うのだぞ? お前だけが、世界を救えるのだ。わがままを言える立場ではあるまい」
「そ、それは……」
わたしは言葉につまる。そう言われれば、わたしには何も言うことができない。ずっと昔から、わたしはそうやって言い聞かせられ続けてきたのだ。わがままを言わず、自己を殺して正しいことをせよ、と。
〈シリル。お前はお前が正しいと思うことをすればいい。……でもな。何が正しいか、少しでも自信がないんだったら、一人で抱え込むなよ。振り返って、後ろを見るんだ〉
頭の中に声が響く。ルシアからの『絆の指輪』による念話だった。わたしは驚いたように後ろを振り向く。そこにはもちろん、ルシアたち全員が立っている。わたしとともに、ソファの背もたれの後ろから、ガイエル議員と対峙している。わたしはひとつ頷くと、視線をガイエル議員に戻す。ガイエル議員は何故か、不快そうに顔を歪めていた。
わたしはルシアに念話を返す。
〈ありがとう、ルシア。……もう、わかってるから。一人で、抱え込んだりなんてしないから。心配いらないわ。無茶な貴方を心配するのがわたしの役目。そうでしょ?〉
〈はは、違いない〉
「──お話は承りました。でも、『神官長』の意向があって、それが『元老院』の多数派と対立している、というのでは、わたしに結論は出せません。……次は全員が一致した見解を持ってからお越しください」
丁寧でありながら、それは痛烈な断りの言葉だった。そんなことができるはずはないことを承知の上で、『話をまとめてからもってこい』と喧嘩を吹っ掛けたに等しい。
わたしがこの手の問題について、ここまで反抗的に、ある意味『無責任』に対応したのは始めてだ。ガイエル議員の顔が赤くなったり青くなったりと、目まぐるしく変化している。
「……そうか、それがお前の答えか。やはり、旅に出したのは間違いだったようだな。後悔することになるぞ?」
声を震わせながら凄んでみせるガイエル議員。
「後悔ですか?」
「ああ、そうだ。その後ろの連中、随分と仲が良いようだな? お前さえここで大人しくしておれば、彼らにはこれまで以上の最高の待遇を約束するのだがなあ?」
──わたしの仲間を人質に使うつもり?
……汚いわね。
汚い汚い汚い汚い汚い。
醜い醜い醜い醜い醜い醜い。
どいつもこいつも──クズとカスとゴミばかり。
反吐が出るくらいに気持ち悪い。
目の前の男の顔が、酷く歪んで見える。
周囲の空気が、ゆっくりと凍りついていくのを感じる。
──違う。これは、わたしの心が、冷たくなっていく感触だ……。
「わたしの仲間に手出しをしたら、容赦しない……。ただ、殺すだけじゃ、許してあげない。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜くように死なせてあげる……」