第95話 マザーオブライフ/立つ鳥後を濁さず
-マザーオブライフ-
『きゃあああ』『えええええ』『どうしよう』
わたしの頭の中に順番に駆け巡る三つの言葉。……いえ、うち二つは言葉じゃなくて悲鳴でした。──さて、それではここで、一体何が起こったのかを説明しましょう。
『エイミア様がカシム博士を殴り飛ばしました』
はい。説明は以上です。実に簡単でしたね。
──でも、状況は全然簡単じゃありません!
シリルお姉ちゃんに酷いことをしていたらしいカシム博士の心無い言葉には、わたしだって腹が立ちました。許せないと思ったし、憎しみさえ抱いたほどです。
でも、ここは『魔族』の本拠地で、問題を起こせばいろいろと面倒になるかもしれない。だからこそ、わたしも我慢したんです。
でも、エイミア様の行動は、そんなためらいなんて微塵も感じさせないものでした。
まさか、殴るだなんて。
それも思いっきり、血が出るくらいに殴り飛ばすなんて……。
沸点が低いにもほどがあります!
いったいどうするんですか、これ?
わたしたちの周囲には、あっという間に人だかりができていました。
「ぎ、いいい! くそ、くそ! よくも、わたしの顔を! 下賤な人間風情が!」
カシム博士は、頬を押さえて怒りの形相で立ち上がり、エイミア様に殺意のこもった視線を向けています。
「何事だ!」
遅れてやってきたのは、武装した衛士らしき男の人たち。ほんとに、どうなっちゃうんだろう?
「こ、こいつら人間どもが! わたしを殴ったのだ! 捕えろ!」
叫ぶカシム博士。じりじりと間合いを近づけてくる衛士たち。けれど、エイミア様はまるで涼しい顔をしています。
「上の命令を無視して勝手な真似をする下衆に、諸君らに代わって制裁をしてやっただけだ。捕まるいわれはない」
エイミア様の言葉に、衛士たちはぴたりと立ち止まり、顔を見合わせる。
「命令だと?」
「わたしたちに『幻獣』の調整をさせること。そんな命令が来ているのではないか? あるいは、『自由にさせること』かな?」
エイミア様が言うと、衛士たちの中でも隊長格らしい人が進み出てきます。
「あなたがたは、シリル・マギウス・ティアルーンとその護衛の皆様ですか?」
「ああ、そうだよ。シリルを見ればわかるだろう?」
エイミア様は、そう言ってシリルお姉ちゃんを指し示しました。銀髪銀眼なんて特徴を見間違えるはずもなく、隊長さんも納得したように頷きました。
「確かに、皆様方には極力便宜を図るよう、通達が出されております」
「だがこの男は、それを無視してわたしたちを別の場所に強引に連れて行こうとしたのだ」
エイミア様の言葉を聞いた途端、隊長さんは呆れたように息をつくと、カシム博士に向き直りました。
「まったく困りますな、博士にも。研究熱心なのは結構ですが、上からの命令をないがしろにするのはいけないと、前から申し上げているでしょう?」
「う、うるさい! 元老院の議員どもはわたしの研究の偉大さが分かっていないのだ!」
カシム博士が喚き散らしても、もう誰も取り合おうとはしません。周囲に集まる人たちも徐々に離れていき、最後には怒りに打ち震えたままの彼だけが残りました。
「さて、それでは『幻獣』の調整でしたな。わたしどもがご案内いたしましょう」
わたしたちはそんな彼を尻目に、隊長さんの後について歩き出しました。
「さすがは、エイミアさんだな。まさかあれが計算尽くだったなんて……」
エリオットさんが、うっとりした視線をエイミア様に向けています。
……なるほど、そういうことでしたか。そういえばシリルお姉ちゃんは、『魔族』の人たちは上の命令には従順だって言っていました。だからエイミア様は、あんな思い切った真似ができたんですね。
そんな風に思っていると、アリシアお姉ちゃんから軽く肩を叩かれました。
「シャ、シャルちゃん。あのね……殴った瞬間はエイミアさん、何も考えてなかったみたいだよ……」
え? でもそれじゃあ……
「うん。あれはとっさに思いついただけみたい」
……驚きました。だってエイミア様、最初から最後まですっごく冷静だったじゃないですか。あれが行き当たりばったりの即席だったなんて……。
「どうした、二人とも。置いて行くぞ?」
エイミア様に笑いかけられ、わたしたち二人はあわてて話を中断しました。
研究所の中は広いフロアを衝立のような間仕切りで区分けしたいくつものスペースに分かれていて、たくさんの研究者たちが各々の研究に従事しているようです。
しかし、わたしたちが連れて行かれたのはそれらのさらに奥、突き当りの壁にある一つの扉の前でした。
「ここが『ラフォウル・テナス』が安置された特別区画です。それでは、我々はここで」
衛士たちはそう言い残すと、それぞれ自分の持ち場に戻っていきました。
「『ラフォウル・テナス』ってなんだ?」
ルシアがシリルお姉ちゃんに尋ねました。
「古代語で『万物の母』を意味する言葉よ。現物は見たことがないけれど、『天空神殿』にあったような戦闘用の『幻獣』たちもみな、この施設で創られていると聞いたことがあるわね」
言いながらシリルお姉ちゃんは、ゆっくりとその扉を開きました。
「ようこそ。『ラフォウル・テナス』の特別研究区画へ」
入るなり声をかけてきたのは、長い黒髪を首の後ろで一つに縛った白衣の女性でした。理知的な顔立ちにわずかな笑みを浮かべるその人は、さっきのカシム博士とは比べ物にならないくらい、感じのいい人に見えました。
「騒ぎは聞こえていたよ。あんなのに絡まれちゃ、大変だっただろう。さ、そんなところに突っ立ってないで中に入りたまえ。お茶の一杯ぐらいは出してあげよう」
彼女はきびきびとした動作でわたしたちを迎え入れ、狭い室内にあるテーブルの席にわたしたちを座らせると、自分は巨大な【魔導装置】らしきものをいじり始めました。
「これはまた、すごい装置だな」
エリオットさんが感心したように見上げるそれは、確かにすごい装置でした。この部屋は、実際にはかなりの広さがあるはずですが、この装置だけで八割方を占領しています。形状からすれば、まるで巨大な卵のようです。そして、複雑に入り組んだ金属の柱が、その卵が倒れないように支えています。卵の本体には覗き窓のようなものがついていて、中には何かが入れるような空洞があるようです。
「ま、大きいのは仕方ないさ。特大サイズの『幻獣』だって、ここで創らなきゃならないんだからな」
言いながら彼女は装置の脇についた操作盤に指を走らせます。すると、空気が抜けるような音とともに、卵本体の前面についた扉が開き、中から何かが現れました。
「うん。まあまあの出来か」
〈グルルルル〉
それは、口からはみ出るほどの大きな牙を持つ、狼のような生き物でした。でも、背中に羽を生やした狼なんて初めて見ます。
「『ゾルローガ』のできあがりってね。この瞬間を見せてやろうと思って、時間を合わせて準備していたんだ。感謝してもらいたいものだな」
白衣の女性は羽根つき狼の頭を撫でながら、得意げに胸を張っています。
「……それはいいけれど、まだ、貴女の名前もきいてないわ」
シリルお姉ちゃんは、声に少しだけ警戒の色をにじませているようです。
「ん? ああ、そうか。忘れてた。わたしはローナ・ジェレイド。『ラフォウル・テナス』を活用した『幻獣』の生成および調整技術に係る研究班の代表だ」
そう言って、にかっと笑うローナさん。でも、研究班と言いながらも、この部屋にはローナさん以外の人はいないみたいです。
「そう。じゃあ、よろしくね、ローナ」
「ああ、よろしく──ってか、わたしはかなり楽しみだったんだぜ? 何せ人間の召喚した『幻獣』の調整なんて、めったに許可が下りないからね」
「許可が下りない?」
「ああ、だって危ないもん」
「危ないもんって……」
「大丈夫、大丈夫。少なくとも召喚されてから一年以上経っているような『幻獣』なら、滅多なことで召喚者とのリンクも切れないだろうし、制御に失敗してモンスター化することも多分ないんじゃないかな?」
ものすごく心配になることを、さらりと言いましたね、この人……。
「いや、全然大丈夫そうに聞こえないんだが……」
ルシアが呆れたように言うと、ローナさんは軽く目を見張って彼の方を見ます。そして、つかつかと歩み寄り、その顔をのぞき込みました。
「へ?」
美人に至近距離から顔を見つめられて、ルシアはなんだかドギマギしているみたいです。
「ふーん。黒髪黒目の人間ね。珍しい奴もいたもんだ。で、キミ、名前は?」
「え? あ、えっと、ルシア・トライハイト……」
ルシアが身体を後ろにのけぞらせるようにしながら返事をすると、ローナさんの顔がさらに輝きました。
「へえ! いいねえ。キミ、ルシア様と同じ名前なんだ?」
満面の笑みを浮かべながらルシアの顔をペタペタと触るローナさん。
あ、シリルお姉ちゃんの身体がぷるぷる震えてる……。
「そ、それより! 『幻獣』の調整の話なんだけど、どういう仕組みなのか、教えてくれないかしら?」
「ん? いいけど、興味あるのかい?」
質問を受けて、ローナさんはようやくルシアから手を離しました。
「原理もわからないのに、大事な『幻獣』を任せるわけにはいかないわ」
「大事な『幻獣』? 面白いこと言うね。こいつらは生き物だなんて言えるものじゃないんだぜ? 自我なんて大してないし、一度創れば何度だって魔力供給で蘇るような代物なんだ」
そう言いながらもローナさんは、足元に寄り添う『ゾルローガ』の頭を愛おしげに撫でていました。
「それは創ったものでしょう? わたしは召喚した『幻獣』の話をしているの」
「まあ、マーセル神族が創った『幻獣』と、わたしらが創ったそれとを同格にしちゃいけないんだろうけど……うーん、原理、原理ねえ?」
ローナさんはしきりに首をひねっています。
「まさか、わからないの? 研究者なのに?」
「簡単に話すと、わたしたちの研究は、生成される個体をいかに望みどおりに調整するかに係るものなんだ。肝心の生成自体に係る部分は『ラフォウル・テナス』に頼りきりなんだよ」
「だから、その『ラフォウル・テナス』の原理を聞いているのよ」
「そんなもの、あるわけないよ」
「え?」
シリルお姉ちゃんの驚く顔に、してやったりといった表情を浮かべて言葉を続けるローナさん。
「『四柱神』が一柱──ルシア・マーセル様が遺した【神機】。それが『ラフォウル・テナス』──文字どおりの『万物の母』なのだから」
-立つ鳥後を濁さず-
「神機? いったい何のこと?」
シリルが聞き返すと、ローナは少しだけ驚いたような顔をする。
「まさかとは思ったけど、ほんとに【神機】を知らないのか。うーん、確かに一般人には機密の事項には違いないんだけど……。まあ、君に必要以上の知識を与えないというのがカシム博士の、いや、『元老院』の方針だったのかな?」
「……そんなこと、どうでもいいわ」
カシムの話になると、シリルの声は暗く沈んだものになる。もっとも、奴の言葉の端々から感じ取れたシリルへの仕打ちを思えば、無理もないことだが。
「機嫌を悪くしたかい? まあ、正直、わたしにとっては管轄外の研究なんてどうでもいい話だし、あえて君に関わろうとは思わない。……でも、聞かれたことには答えてあげよう」
ローナは壁際の棚からティーセットを取り出すと、ルシアたちがいるテーブルへとそれを持ち運び、慣れた手つきでお茶を淹れはじめた。
「さ、どうぞ。わたしも座らせてもらうとしよう。……ああ、さすがに8人もいると椅子が足らないな。よし、そこの君。男だろう? ほら、さっさと退きなさい」
椅子は六脚しかない。わらわが実体化せず、ヴァリスが例のごとく立ったままだとしても、それでもローナが腰かけるには席が一つ足りなかった。そこでローナはエリオットを強引に立たせると、その椅子に滑り込むように腰かけ、さりげなくルシアのそばに椅子をずらす。
「うん。やっぱり、いい男の傍は落ち着くなあ」
ローナは猫でも扱うように、ルシアの顎の下を撫でている。一方のルシアはといえば、戸惑ったような情けない顔をして、ガチガチに固まっている。……まったく、不甲斐ない奴め。それにしてもこの女、第一印象は悪くなかったと思うが、段々態度が悪くなってきたな。
「いい加減、もったいぶらないでくれるかしら?」
「ん? ああ、ごめんごめん。つい悪い癖が出てしまったな。わたしはこういう時、もったいぶるのが大好きなんだ」
シリルがいらついた声でローナに話の先を促すと、彼女はルシアの顎から手を離し、軽く肩をすくめた。
「【神機】とは、『四柱神』の力を宿す結晶のようなものだ。恐らく全部で四つあるはずだから、【四神機】なんて言い方もするな」
「四つある『はず』?」
「ああ、この『魔導都市アストラル』には二つしかないし、残りの二つは所在不明だ。で、この都市に現存するものの一つが『ラフォウル・テナス』。造物主ルシア・マーセル様の力の一部が結晶化した【神機】だよ」
「『四柱神』は『魔族』を見捨てたのでしょう? なぜ、そんなものがあるの?」
「『見捨てた』は言いすぎだよ。神々にもやむにやまれぬ事情がおありだったに違いない。その良い証拠がこの【神機】だろう? 忠実な信徒たる『魔族』に何も残さず消えるほど、薄情な方々ではないということだ」
なるほど、それでいまだに『魔族』たちは『四柱神』を最高神として崇めているのか。自分たちを見捨てながら、自分たちに力の断片を残してくれた『神』。──奴らも随分と罪なことをする。『薄情ではない』だと? そんなもの、単なる自己満足に過ぎまい。
立つ鳥後を濁さずとでもいうつもりか? 結局、何をしたところで、連中は自分たちの都合で世界をかき混ぜて台無しにした挙句、すべてを捨てて逃げだしたのだ。
「それは、【魔鍵】とは違うの?」
「もちろん違う。これは固定化された【事象魔法】とも言うべきものだ。だから、【オリジン】をほとんど持たない『魔族』にも扱える。もっとも、逆に言えばその事象──まあ、この『ラフォウル・テナス』を例に挙げれば、『命を生み出し続ける』という事象──を微調整するぐらいのことしかできないんだけどね」
「命を生み出し続ける……。それで『幻獣』を創っているというわけ?」
なるほど、『魔族』が『神』ならぬ身でありながら、擬似生物を生み出せる秘密がここにあるというわけか。
「……でも、【幻獣界】から召喚した『幻獣』の調整なんて、どうするの?」
「擬似的な『幻獣』をつくるよりは簡単だよ。この中に放り込んで、しばらく待てばいい。召喚術師は【魔力】で『幻獣』を具現化するが、これはその具現化対象となる『幻獣』の肉体そのものに生命力を与える。【幻獣界】は【異空間】ではなく【亜空間】だからね。そこにいた『幻獣』の肉体は酷く弱体化している。それを補強することを指して『調整』と言っているわけだ」
「なら、何が危険だと言うの?」
「召喚された『幻獣』が力を取り戻し過ぎれば、【幻想法則】に最も近い存在である彼らのことだ──あっという間にモンスターと化すだろうね」
【自然法則】を司る『精霊』と、【幻想法則】から生まれた『幻獣』。
【世界律】に近ければ近いほど、その存在は狂わされていく。
わらわには、今の世界が、どこからか生まれた『狂気』によって支配されているようにさえ見える。
「でも、心配しなくていい。要は加減というわけだ。それにさっきも言ったけど、最低でも一年以上、召喚主による【魔力】の供給期間があれば、なおさら安全さ」
「貴方が故意に失敗しないとも、限らないわ……」
シリルは、疑いの言葉をあまりにも真っ正直に口にした
「シリルちゃん? この人、嘘は言ってないよ?」
アリシアが驚いたようにシリルの肩を掴む。けれど彼女はそちらを振り向きもせず、ローナを見つめ続けている。
「そうね。嘘は言っていない。……でも、隠していることなら、あるでしょう?」
シリルの言葉に、アリシアははっとしてローナを見る。
「……そんなの、ないよ。『ラフォウル・テナス』の正体なんて、言うまでもなく最高機密だよ? そんな情報ですら自慢げに話すお喋りなわたしが、いったい何を隠すって言うんだろうね?」
「それこそ自慢げに言うことじゃないような気がするぞ……」
ルシアが呆れたように口を挟む。
「ははは。まあ、いい男が傍にいるとつい、女は口が軽くなっちゃうものなんだよ」
「え、あ、いや……」
ルシアは少し照れたように口ごもる。……鼻の下を伸ばしおってからに。
「嘘だよ。そんなわけがないだろう? 自惚れるのも大概にしなさい。だいたい、本当にいい男なら、恋人の前で他の女に言い寄られて、鼻の下を伸ばしたりはしないものだ」
「な……!」
一転して奈落の底に突き落とされたルシアは、酷く落ち込んだ顔をした。馬鹿め、本気にしていたのかこの男は。
「って、ちょっと待って! 恋人ってどういう意味よ!」
叫んだのはシリル。だが、その一瞬後には、自分が叫んだことの意味に気づく。
「おや? 別にわたしは君のことだなんて言っていないのだけどな?」
ローナがにやにやと笑って見せる。
「ち、ちがっ……!」
「さて、お遊びはこの辺にしておいて、種明かしをしよう。と言っても難しい話じゃない。要するに、わたしはノエルの知り合いだと言うことさ」
「お、お遊びって……! え? ノエルの知り合い?」
「ああ、別に友達ってわけじゃないが、彼女はわたしの研究に多大な貢献をしてくれているからね。頼まれれば断れないことも多い」
そうか。そういえば『幻獣』の調整などという話は、ノエルが言い出したことだったな。
「そう、ノエルが……」
「ふふふ。君は自分が思っているよりもずっと、護られているんだよ。──彼女は彼女で、わたしの理解の及ぶ存在じゃあないけどな」
そう口にしたローナの顔は、一瞬だけ、何か恐ろしいものでも思い出したかのような陰りを見せた。
「じゃあ、どうする? 早速調整してみるかい? それとも、やめておく?」
「いえ、そういうことならお願いするわ。まず、わたしの『幻獣』からお願い」
シリルは意を決したように進み出ると、懐から筒型の封印具を取り出す。
「おや、随分旧式の封印具だ。人間の造るものは粗悪でいけないね。あとでわたしがもっといいものをあげよう」
「……おいで、『ファルーク』」
〈キュアア!〉
呼びかけの言葉に、煙とともに白い巨鳥が姿を現す。だがそれは、かつて見た時より幾分小さくなっているようだ。室内であるがゆえに、【魔力】の供給を控えめにしているのだろう。
「さてそれじゃあ、この後どうすれば……って、え? どうしたの?」
ローナが尻餅をついている。あんぐりと口を開け、呆けたような顔のまま、『ファルーク』を見上げていた。
「おいおい、冗談じゃないぞ? わたしはこれから神獣クラスの調整をさせられるのか?」
「何か問題?」
「いやいや、いいんだ。問題ない。さあやろう。すぐやろう。ただちにやろう。今日は『たまたま』研究班メンバー全員に休暇を与えたんだが、本当にラッキーだ。……ふふふ、わたしの邪魔をする奴は誰もいないぞ。……ギリギリまでピーキーに仕上げてやるぜ!」
目を爛々と輝かせ、不気味に笑うローナ。
「ちょ、あの、やっぱり、やめ……」
「却下だ! さあ、その子を装置に誘導したまえ! おっと、本体は封印具の中だったな。それじゃあ、その封印具も中に入れるんだ」
不安げなシリルの言葉は、あっさりと無視されてしまう。
「さて、始めよう。いいか? 調整は召喚者とのリンク切れギリギリの線を見極めるのが重要だ。だから君は、いつも以上にこの子との【絆】を感じることに集中しなさい。異常があったらすぐ言うこと。いいね?」
「は、はい……」
シリルは完全にローナの迫力に気圧されている。カシムといいローナといい、『魔族』の中でも研究者の連中は変人揃いなのかもしれない。
心配そうに見守るシリルの前で、巨大な卵型の装置『ラフォウル・テナス』の前面扉がゆっくりと閉じられていく。
「手元に封印具がないのは不安だわ。ねえ、ローナ。わたしもこの中に入るわけにはいかないの?」
「心配しなくとも、これで『幻獣』が消滅するようなことない。……装置を起動すれば、この中には生命の嵐ともいうべき乱流が巻き起こる。生きたまま入るなんて、考えたくもないね。──そんな狂人は、一人いれば十分だよ」
ローナは目を細めて身震いすると、操作盤に手を置いて【魔力】を流し込む。
やがて、低い音を立てて起動する『ラフォウル・テナス』。
──そして、数分後。
開かれた扉の中から現れたものは、輝かんばかりの白銀の鱗、鋭い牙と爪、そして強靭な翼を持った飛竜の姿だった。