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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第10章 魔導の都市と繋がる世界
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第94話 女の子の部屋/研究施設

     -女の子の部屋-


 それからあたしたちは、『幻獣』の調整施設の使用許可手続きやマギスレギアでの出来事に関する事情聴取などを受けるため、元老院の建物とホテルを往復する日々を過ごした。

 リオネル神官長の指示があったためか、比較的手続きは順調だったんだけど、『魔族』の人たちは思った以上に規則や決まりにうるさいみたいで、随分と時間を取られてしまった。


 そのため、あたしたちがようやく本来の目的に向けて動き出したのは、ここ『魔導都市アストラル』に到着してから、実に一週間が経過した後のことだった。


 あたしたちがこの『魔導都市アストラル』にやって来たのは、ノエルさんに勧められた装備の充実と『幻獣』の調整強化のためというのもある。けれど、今思えばノエルさんがここに来ることを勧めた本当の理由は、シリルちゃんに自分の過去と改めて向き合ってもらいたかったから──なのかもしれない。


「何もかも、昔のままね……」


 シリルちゃんが見つめているものは、一軒の家屋。一般的なものと比べると、小さめかもしれない。とはいえ、赤い三角屋根も飾り彫りのされた白い石壁も、呼び鈴のついたおしゃれな木の扉も、この家がもう何年も無人になっているとは思えないほど綺麗だった。


「ここが、シリルちゃんのお家、なの?」


「ええ、そうよ……」


 家を囲む塀に設けられた金属製の門扉をさすりながら、遠い昔を思い出すように、目を細めるシリルちゃん。


「なんだか、小っちゃくて可愛らしいお家だね」


「ふふ、そうね。あの時は、小さいなんて思ったこともなかったけれど、わたしが大きくなっちゃったってことなのかな?」


 門扉は軽く押しただけで、少しだけ軋むような音を立てながら開く。


「さすがに庭は荒れちゃってるかと思ったけれど、ノエルが手入れをしてくれていたのかしら……」


 塀の内側に広がる、これまた小さな庭には、色とりどりの花が咲いている。

 小さくて可憐で、でも、強い生命力に満ちた──シリルちゃんのような花。

 手入れをしている人の注ぐ愛情が、目に見えて分かるような庭園だった。


「今は無人ってことだけど、一緒に住んでた人はいなかったのか?」


「ええ、わたしはここで、ノエルと二人きりで生活していたから」


「え?」


 ルシアくんが驚いたような顔をしている。もちろん、あたしだって驚いた。

 聞いた話だとシリルちゃんがここで暮らしていたのは5歳から12歳までの7年間のはずだし、ノエルさんだってシリルちゃんの5歳年上でしかなかったはずでしょう?


「つまり、子どもだけで生活していた、ということかな?」


 絶句するルシアくんの代わりに確認の言葉を発したのは、エイミアさんだった。


「ええ、そうね。でも、ノエルはその年の子供とは思えないくらいに頭も良くて、何でもできたから、生活には不自由しなかったわ」


「ノエルと、ど、同棲してたのか……?」


 一方のルシアくんは呆然としたまま、そんなことをつぶやいてる。


「同棲って……へ、変な言い方しないでよ!」


 シリルちゃんの拳がルシアくんの頭に炸裂する。この光景も、ちょっと久しぶりかも。


「いてて……。いや、その……」


 口ごもるルシアくんも、ちょっと複雑な気持ちみたいだ。ノエルさんは女性だけれど、シリルちゃんのことを『性別なんて関係ないくらいに、愛している』って言っていたからねー。


「シリルお姉ちゃん。中に入ってもいい?」


「ええ、そうね。皆にも、わたしが暮らした家のこと、見てもらいたいわ」


 シリルちゃんはシャルちゃんに向かって優しく微笑むと、呼び鈴の付いた扉の前に立つ。


「中には誰もいないと思うけど、鳴らしてみましょうか?」


 遊び心からか、シリルちゃんはそう言うと、吊り下げられた紐を引っ張って呼び鈴を鳴らす。チリンチリンと、高く澄んだ音が鳴り響く。


「……ふふ、この家には滅多に客なんて来なかったから、ノエルとわたしで『お互いが帰ってきた時には必ずこれを鳴らそうね』って、約束していたっけ……」


 ──目の前の扉が勢いよく開き、「お帰りなさい!」の声とともに、中から小さい頃のシリルちゃんが満面の笑顔で飛び出してくる。……なぜか、そんな光景が目に浮かんだ。

 もちろん、今は無人の家から誰も出てくるはずはなく、その扉はシリルちゃんの手でゆっくりと開かれていく。


「うわあ、かわいい!」


 中に一歩足を踏み入れた途端、シャルちゃんが嬉しそうな声を出した。


 無理もないかな。あたしだって思わず、目を見張っちゃうほど素敵な部屋なんだもの。

 家庭的な雰囲気が漂う室内には、埃ひとつ落ちていない。そのうえ、敷かれている柄物の絨毯も食事用のキッチンテーブルも、出窓の傍に置かれた人形やぬいぐるみの数々も綺麗なままで、すべてが『女の子の部屋』そのものだった。


「ま、まあ、少女二人で暮らしていたんだし、内装がこうなっちゃうのは仕方ないでしょう?」


 シリルちゃんは少しだけ頬を赤くして、照れくさそうにしている。


「随分と綺麗だけれど、ここにある家具もやっぱり、別の素材を【古代語魔法(エンシエント・ルーン)】で見栄えの調整をしたものなのか?」


 エイミアさんも、感心したように部屋の中を見回している。


「いえ、そういうのもあるけれど、大体はノエルが本物を手に入れてきて、耐久度を上げる【魔法】をかけたものよ。……わたしには偽物じゃなく、本物に触れていてほしいからってね」


「……ノエルは、本当にシリルのことを愛していたんだな」


 ルシアくんがしみじみとした口調でつぶやく。


「……そうね。もし、ここでの生活がなくて、5歳までの頃のように研究所内だけで生活させられていたら、きっと今のわたしはないわ」


 シリルちゃんが素直で優しくて可愛らしい女性に成長できたのは、この時代があったからなんだろう。この家を見ていると、そのことがよくわかる。

 ……『料理好きで潔癖症』な女の子になった理由も、少女二人の生活が長かったからかもしれないけれど。


「だが、合理性を求めるのが『魔族』なのだとしたら、ここでシリルにそうした生活を送らせた意味もまた、あったのではないか?」


 ヴァリスが疑問の言葉を口にする。彼はここに入ってから、少し居心地が悪そうにしていたけれど、こういう雰囲気に慣れていないのかな? 可愛いのに……。


「世界を救う大魔法を使う者が、人格的に欠陥があるというのでは問題でしょう? だからこそ、歳が近くて親しくなりやすいノエルが、わたしの世話役に選ばれたんだと思うわ」


「……わからんな。【魔法】を行使すること自体に人格は関係あるまい。アイシャの例を見る限り、本人の意思を無視して強引に従わせる方法なら、いくらでもあったはずだ」


 ヴァリスは、納得がいかない顔でそう言った。


「そんなこと、考えたこともなかったけれど……じゃあ、何か別の意味があるのかしら?」


 シリルちゃんは、顎に手を当てながら思案顔を続けている。


「いや、悪かった。思いついたことを言っただけだ。気にする必要はあるまい」


「……そうね。考えても答えの出る話じゃなさそうだし……って、あれ? ルシアは?」


 シリルちゃんは、ようやく気づいたみたいに周囲をきょろきょろと見回している。


「え? ああ、ルシアならさっき、あっちの部屋に入っていったけど……」


 エリオットくんが指差す先には、可愛い名札がかかったピンク色の扉がある。


「え!? うそ!! ちょ、ちょっと、待って!」


 シリルちゃんは顔を真っ赤にしながら、その扉目掛けて駆け寄っていく。


「よし、面白そうだ。わたしたちも行くぞ」


 エイミアさんが嬉々とした顔で言う。ほんと、いい性格してるよね。


「ちょっと、ルシア! どこ入っているのよ!」


「おお、シリル。もしかしてと思ったがやっぱりここがシリルの……って、ぐぎゅ! く、かか……」


 ああ、締められてる締められてる。背の低いシリルちゃんがルシアくんの襟首を絞り上げるように両手で頭上に持ち上げている様は、ある意味可愛らしくもあった。

 もっとも、ルシアくんは本気で苦しそうだけど……。


「ぐ、が、ぐ、ぐるじい!」


「か、勝手に家の中を歩き回らないでよね……」


 肩で息をしながら手を降ろしたシリルちゃんは、いまだに顔が赤いままだ。


「すごい……、さっきの部屋よりもっとかわいい……」


 シャルちゃんの目が、きらきら輝いてる……。

 むしろそんなシャルちゃんの可愛さに、思わず抱きしめてしまいたくなる衝動に駆られ──ふと、エイミアと目が合う。あ……、やっぱり考えることは同じだったみたいで、お互いに目で牽制し合ううちに抱きつくタイミングを逃してしまった。


 と、まあそれはともかく……。この部屋は紛れもなく、シリルちゃんの寝室だ。まるでお姫様が眠りにつくような天蓋付のベッドには、可愛い花柄のカバーがかけられている。壁紙も絨毯の色も全体的に暖色系でまとめられていて、ほんわかした雰囲気の部屋になっていた。


「……いや、なんか俺、この部屋が見れただけでもここに来てよかった気がするな」


「ばか!」


 あまりの恥ずかしさに、ルシアくんを叩くシリルちゃんの手には、あんまり力が入っていないみたい。

 それにしても、本当に可愛い部屋。シリルちゃんにもちゃんとした少女時代(今でも少女だけど)があったんだって、ほっとできるような部屋だった。

 なによりも微笑ましいのは、部屋のあちこちにたくさんの人形やぬいぐるみが置いてあること。うーん、意外とシリルちゃんって、かわいいもの好きなのかな?


「ち、違うのよ! こ、これはどっちかって言うと、ノエルの趣味で……」


 シリルちゃんはしどろもどろに弁解を始めるけれど、そこにすごい勢いで食いついて来たのはルシアくんだった。


「ちょっと待て! この部屋はシリルの寝室じゃなかったのか? もしかして……ノエルと一緒に寝てたとか?」


「う!」


 図星だったみたい。ようやく赤みが取れかけていたシリルちゃんの顔が、再び真っ赤に染まっていく。


「わ、わたしは一人でも大丈夫って、言ったのよ? で、でも、ノエルが心配だからって言って……」


「一緒のベッドに寝たのか?」


「ああ、もう! 別に、おかしいことじゃないでしょ? 女の子同士なんだし、そもそも、一番若い時で五歳と十歳だったのよ?」


 ただ事実を確認しているだけのルシアくんの言葉に、笑ってしまいそうなくらい真剣に弁明を繰り返すシリルちゃん。すると、その言葉を聞いたルシアくんが、改めてシリルちゃん(とノエルさん)のベッドをじーっと凝視し始める。


「な、何? なんなの?」


「……いや、ここに五歳の時のシリルと十歳の時のノエルが二人並んで寝ていたんだなって思うと……」


「へ、変態!!」


 思いっきり平手打ちだった。でも、頬を張り飛ばされたはずのルシアくんは、大して効いた様子もなく、へらへらと笑いながら言い訳を始める。


「い、いや、シリル。何を誤解しているのか知らないが、俺は単に、微笑ましい寝姿だったんだろうなって、想像しただけだぞ?」


 うん。でも、明らかに鼻の下は伸びてたよね……。


「そ、想像しないで!」


 ぶんぶんと銀の髪を振り乱し、喚き散らすシリルちゃん。

 うん。よかった。『魔導都市』に来てからずっと、固い表情だったシリルちゃんだけど、ここに来てようやくリラックスできているみたいだ。



     -研究施設-


 次に我らが訪れたのは、かつてシリルが幼少期を過ごしたとされる『研究所』と呼ばれる場所だった。先ほどの家とは異なり、シリルにとってはあまり良い思い出のない場所らしい。だがそれでも、あえてこの施設にやってきたのには訳がある。


 『魔導都市アストラル』において、『幻獣の調整』ができる唯一の施設。

 『研究所』の名称で呼ばれるその施設は、『元老院』の管轄──どころか、『元老院』の敷地のすぐ隣に建てられていた。


 シリルが五歳までの幼い時を過ごし、また、その後も【古代語魔法エンシエント・ルーン】の訓練のために訪れていた場所。ここに今回の目的となる調製装置とやらがあるらしい。


「『元老院』には何度か来ましたけど、【魔法】による見た目の偽装がされてないせいか、街から比べると随分と浮いた印象がありますよね」


「そうだな。それだけこれ見よがしに高度な技術力を見せつけたい場所、ということなんだろう。レイミに聞いた話では、外から来た人間たちは最初にここへ連れてこられるらしいからな」


 エリオットとエイミアの会話を聞きながら、我は改めてその建物を見上げる。

 一見すると石造りの白亜の城塞にも見えるが、試しに外壁に触れてみれば、それが冷たい金属でできていることがわかる。全体に刻み込まれている紋様は、恐らく【古代文字(エンシエント・ルーン)】だろう。外壁の内側に水の張られた巨大な堀があり、巨大な跳ね橋が壁門と内門とを結んでいる。

 シリルは跳ね橋を渡って中に入ると、内門右手の受付を無視し、そのまま隣の敷地へと中へ足を踏み入れていく。


「シリル、このまま行って大丈夫なのか?」


 ルシアが不安そうに呼びかける。


「ええ。魔力波動登録は済ませてあるからね。『研究所』も『元老院』も同じよ。施設内にいる限り、どこにいてもわたしたちの居場所は把握されているのよ」


「それはそれで、なんか嫌だな……」


「そうでもないわ。ここでわたしたちに何かあれば、すぐにわかるってことなんだから」


 つまり、秘密裏に行動を起こすつもりなら、この施設内で我らを襲うことだけはしないだろうということか。


 緑の芝生に覆われた一角を抜けると、三階建てほどの白い建造物があった。『元老院』よりは小さく、形も無機質な真四角のものだ。


 自動でスライドした銀の扉から中に入る。施設内の床は『天空神殿』と同じく、沈みこまない程度の適度な弾力を感じる材質でできていた。どんな原理かは知らないが、壁や床、天井などの一部がそのまま発光するタイプの照明によって、施設全体が目の覚めるような明るさに満ちている。


 天井そのものはかなり高く、窓も大きく、思ったよりも開放的な空間といった印象を受ける。そんななか、シリルは施設内を迷わず進んでいく。そして時折、【魔装兵器】らしきもので武装した衛士や白衣を身に着けた若い男女とすれ違う。中には人間もいるようだが、その多くは黒髪黒目の『魔族』たちだ。


「関心はあるのに、なるべくあたしたちの方を見ないようにしようって感じだね……」


 彼らに視線を向けながら、誰にともなく呟くアリシア。


「そうね。彼らは『関わるな』と命令されれば、関わっては来ないのよ。『魔族』の多くは、上からの命令には従順と言うか、盲目的なところがあるからね」


 なるどほな。一応はリオネルの命令が行き届いているようだ。だが、シリルのそんな言葉に、エイミアが納得いかなげに首をひねっている。


「従順? ……うーん、ホテルで会ったレイミを見ていると、とてもそんな気がしてこないのだが……」


「何度も言うけれど……あれを標準に考えない方がいいわよ。──さて、もうすぐよ」


 気がつけば、我らは透明な壁に囲まれた渡り廊下のような場所にさしかかっていた。周囲には水の張られた堀があり、まるで水の上に渡された橋を歩いているような感覚だ。

 渡りきった先の突き当りには、かつて『天空神殿』で見たような昇降機らしきものの扉が見えた。


「この下が、『研究所』の特別区画よ。さあ、行きましょう?」


 シリルの言葉に従い、我らは昇降機に足を踏み入れる。

 『魔族』の昇降機はアルマグリッドにあったものとは異なり、稼働するときも音ひとつ立てないようだ。そして、本当に降下しているかも疑わしいほどの静寂が続いた後、目の前の扉が再び開く。

 想像以上の広い空間。せわしなく動く無数の人影。目の前に広がるそれは、『研究所』というよりは工場のような印象さえ受けるものだった。


「おお、待っていたぞ。シリル・マギウス・ティアルーン」


 予想外の景色に驚く我らへと、一人の男が声をかけてきた。

 施設内の我らの居場所を把握できるというのは、本当らしい。彼は扉が開いてすぐに、まるで待ち構えていたように現れた。

 ぼさぼさの黒い髪。針金細工のように細い体躯。身にまとうは、よれよれの白衣。同じく針金のように細い目には黒縁の眼鏡をかけている。恐らく中年以降といったところだが、無精ひげを生やしたその顔は年齢を判別しにくい。


「カ、カシム博士……」


「まったく、『元老院』のカスどもがお前を旅に出すだなんて言い出した時は、爆弾でも仕掛けてやろうと思ったものだがね。まあ、四肢が欠けた様子もないし、目も耳も口もあるみたいで何よりだ。うんうん」


 シリルにカシム博士と呼ばれた男は、じろじろと彼女のことを眺めまわしているが、その目は人間を見るようなものではない。自分の造った作品を改めて確認するような不躾な視線だった。


「……話は、聞いていますよね?」


 シリルの声は、何らかの感情を押し殺そうとするかのように低く抑えられたものだ。


「ああ、『幻獣』の調整だったか? ふん、そんなものはどうでもいい。わたしはお前の状態を確かめたくて待っていただけだからな。さあ、来い。まず、わたしの区画で現在のお前の状態を検査することにしよう」


 そう言って強引にシリルの手首を掴み、歩き出そうとするカシム。


「ちょ、ちょっと待って……」


 シリルは弱々しい抵抗の言葉を口にする。だが、カシムは彼女に一瞥すらくれようとしない。


「待てよ。おっさん。シリルの手を離しやがれ」


 鋭く響くその声に、カシムはぴたりと立ち止まる。そして振り向くと、眼鏡の縁に手を当てながら、汚いものでも見るような目でルシアを見やる。


「なんだ、お前は?」


「俺はルシア・トライハイト。シリルの仲間だ」


 ルシアはそう言いながら、シリルとカシムの間に自らの身体を滑り込ませた。さらにその際、さりげなくカシムの手首を掴み、シリルから手を離させている。

 一方のカシムは、手を触れられたことに不快感を露わにしてルシアをにらんだ。


「仲間? ああ、そういえば、『元老院』が人間を護衛につけたとか言っていたか。だから、わたしは外になんぞ出すべきではないと言ったのだ。そんなことをしたところで、くだらん手間ばかりで、研究には何の役にも立たん」


 ルシアも負けじと怒りのこもった視線をカシムに向ける。


「研究だと? そんなもののためにシリルを閉じ込めようってのか? 何が検査だよ。俺たちはあんたに会いに来たんじゃない。さっさと『幻獣』の調整場所とやらに案内しやがれ」


「……生意気な人間め。わたしの研究が世界を変えるのだ。それは他の何よりも優先するに決まっているだろうが。さあ、シリル! 検査だ!」


 カシムは懐から先に輪がついた縄のような道具を取り出すと、語気を強めてシリルに命令する。


「う……あ、あ、いや……!」


 途端に青ざめた顔でシリルが後じさりを始める。……あの縄に、怯えている?


「ははは。まだ、覚えているようだな? お前がまだ小さいうちには、こいつを首につけて躾けてやったものだ。ほら、こんなふうにな」


 あれもちょっとした【魔導装置】の類なのだろうか。カシムの言葉に合わせるように、縄の先端についた輪の大きさが拡大と縮小を繰り返している。

 ……あれを、首に着けていただと? 年端もいかない少女の首に? 

 だが、奴の言葉はさらに続く。


「そういえばあまりに反抗的なときは、こいつを発熱させてやったものだなあ? くく、まあ、火傷はしないように調整したが、それでも何度か失敗した時があったかな?」


「う、あ、あ……」


 ……反吐が出るような下衆がいたものだ。我は自分の手が、自然と握り拳の形に固まるのを自覚していた。それはルシアも同じようで、今にもカシムに殴りかかりそうなほど、わなわなと怒りに震えている。

 ルシアが動く気配がする。恐らくは怒りを抑えきれないのだろう。だとしても、我はそれを止める気にはならない。


──刹那、蒼い疾風が走る。

──直後、カシムの身体が吹き飛んだ。


「ぐぎゃあ!」


 右頬を殴られ、勢いよく床に転がされて、のたうちまわる──そんなカシムの様子を、ルシアは呆気にとられたように見つめていた。


「うーん。下衆を殴ると気分がいいな!」


 拳についた血を拭いながら、笑顔全開でこちらを振り向いたのは、エイミアだった。


「……………………」


「痛い! 痛い! いてえよおおお!」


 誰もが絶句する中、頬を押さえて転げまわるカシムの声だけが響く。当然、その声はフロア全体に響き渡り、ざわざわと周囲が騒がしくなってくる。

 エイミアの清々しい笑顔を前に、ルシアは途中まで降り上げていた拳を力なく降ろしている。言うべき言葉も見つけられずにいるようだ。

 先ほどまで怯えた顔をしていたシリルまで、あんぐりと口を開けて固まっていた。


「エ、エイミアさん! なにやってんですか!」


 何とも言い難い沈黙を、唐突に破るエリオットの叫び。

 それは、その場にいる全員の気持ちを代弁するものだった。

 見かけによらずというべきか──以前からそうかもしれないとは感じてはいたが、まさかここまで気の短い人間だとは思わなかった。


「なにやってるとはご挨拶だな、エリオット。決まっている──下衆を殴ったのだ」


 思い切りが良すぎるうえに、一度やってしまったことについては、後悔など絶対にしない。そんなエイミアの性格を、改めて認識させられる台詞だった。


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