幕 間 その1 とある竜の記憶
-とある竜の記憶-
それは世界がまだ、その均衡を乱す前の時代。
『精霊』の力が余すところなく世界を満たし、生きとし生けるものが輝ける黄金時代。
そんな世界でもっとも隆盛を誇っていたのは『神』と『竜族』の二大種族である。
自己を世界から切り離し、世界における絶対者として、世界そのものを支配する。
想い一つで世界を変える高次元の精神を備えた彼らは、まさしく『神』だった。
何物にも支配されず、何物をも支配せず。世界そのものを体現する、完全に独立した完全なる王者。世界における最強不変の孤独なる覇者。『竜族』とはそういう存在であった。
そんな両種族が同じ世界に存在していれば、そこに争いが起きても不思議ではない。
だが、そんな争いの無益さを、無意味さを、強く賢き彼らは最初から理解していた。
『神』の支配に『竜族』は必要ない。世界の【マナ】は潤沢に存在するからだ。
『竜族』の君臨に『神』は関係ない。世界の【マナ】は豊富に存在するからだ。
争う理由など、何もないのだ。
けれど、美しく繁栄を続けるこの世界の中で、自分たちと同じように絶対最強の存在として生きるモノが他にあるというのなら、ただそれだけで、興味を持たないはずがない。
争う理由はなくとも、惹かれあう理由なら、それで十分だった。
存在そのもので世界を支配しうる『神』の存在は、最強の『竜族』ですら無視し得ない。
存在そのものが一個の世界である『竜族』の存在は、絶対の『神』ですら軽視し得ない。
理想を貫く一本の剣。
孤独を嫌う一匹の竜。
ともに属する集団からも奇異の目で見られていた二つの存在が出会ったのも、そんな必然に導かれてのことだろう。
「わらわはこの世界が大好きだ。この世界に生まれて幸せだ。でも連中は、なんであんなに支配したがるのだろう?この世界がこの世界であるからこそ、わらわたちは今を生きているのに。それをまた、どうして造り変えたがるのか。わらわにはさっぱりわからん」
彼女は言った。『神』らしくもない発言だ。けれど、彼女らしくはある。
「世界をよりよくしたいと思う気持ちなら、わかるかもしれないな」
そう言うと、彼女は拗ねたような口調になった。
「じゃあ、お前は今の世界が嫌いなのか? 連中にどう改造されてもいいのか?」
「嫌いじゃない。どう改造されてもいい、わけがない。我は他の『竜族』とは違う考えだ。自分が暮らす世界のことなのに、『我関せず』でいいはずがない。絶対者を気取り、孤高を気取って世界の変わりゆく様をただ傍観しつづけるなど、考えられない。我も、我の仲間のことがよくわからない」
彼女のあまりにも素直な感情表現に、我も釣られて本音を漏らしてしまった。
仲間たちにすら、決して言わないことだというのに。
「なんだ、お前もそうなのか。じゃあ、わらわたちは似た者同士なのだな!」
彼女はそう言って笑った。
……この記憶は、初めて彼女に会った時のものだ。
世界に異変が起こったのは、それからどれくらい経ってからのことか。
驕り高ぶる『神』と『竜族』に、世界からの報復が始まった。
止めようもない異変。どうしようもない異形。
それらの前では絶対の存在も、最強の存在も意味を成さない。
ただ、滅びを免れるためだけに、『神』は『竜族』を裏切り、同族をも裏切った。
裏切って、裏切って、それでもなお、最後には滅びを免れることはできなかった。
我はその最後を見ることはなかったが、今の世界の在りようを見れば想像はつく。
『竜族』もまた、自らが関わりを持とうとしなかった世界に取り残され、追放された。
比較するモノすら無いその場所で、最強不変の『竜族』は、虚しき偽りの玉座に座る。
我が見たものは、同族との繋がりにのみ安寧を求め、耐えがたい孤独に震える弱き姿だ。
そんななかで、唯一彼女だけが、最後まで理想を貫いた。何一つ変らぬ世界でも、何もかもが変わっていく世界でも、揺らぐことなく、それでいて変化を恐れず生き抜いた。
「……すまない。我には、力がない。汝がそんなにまでしてくれるというのに、ただ、見守ることしかできない……」
「なんでお前が謝る? それに、これは終わりではない。いつか会える。だから、わらわの【鍵】をお前に預ける。こんな状況ではいつになるかわからないが、いつかまた、あの日のように話をしよう」
この竜の谷で、最後の力を使い果たした彼女は、それでもなお、最後まで笑っていた。