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異世界人と銀の魔女  作者: NewWorld
第9章 天使と悪魔の舞踏会
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第90話 脆くて弱いあたしの楯/論理矛盾

     -脆くて弱いあたしの楯-


〈【調整型人造魔神】に想定を上回る『歪み』を観測。……投薬量に問題はない。その他の可能性は? ……フェイルの“減衰”能力。……恐らくは崩落の時。──我が目を離したのは、あの時だけ……〉


 ぶつぶつと何事かをつぶやく声。


〈……これでは正しい観測は困難。……フェイルの『操作方法』は、今後、再考の余地があるか? ……否、アレはアレで良い。道化には変わりない〉


 あたしには、そんな『ラディス』の声を意識する余裕もない。


 目の前の黒い巨人が、あたしに向かって気持ちの悪い叫び声をあげている。そこに見える感情は、色欲であり、情欲であり、肉欲であり、そして何より獣欲そのもの。

 普通の男性が女性に対して下心を持って接するような、そんな感情なんて比較にもならないほど、どろどろとした粘着質の欲望の塊が、他でもないあたし自身に向けられている。


 ただそれだけで、気絶しそうなほどに怖い……。


「触る、さわる、サワル!」


 でも、そんな気持ちの悪い感情の渦の中から、あたしは相手の本質を掴みとらなければならない。こんなモノに“同調”するなんてすごく嫌だけれど──でも、あたしがやるしかない。


「アリシア! 何をしている! さがれ!」


 ヴァリスが焦ったように叫ぶ。彼は必死に攻撃を仕掛けているけれど、これまで何回かの攻撃で、彼の攻撃に耐性のできてしまった『魔神レイフ』には通じていない。それどころか、虫でも追い払うかのように振り回された腕にヴァリスは大きく弾き飛ばされてしまった。


「くそ……!」


 いつもの彼からは、信じられないくらいに取り乱しているみたい。でも、見ててね。ヴァリス。あたしも、頑張るんだから……。

 

「サワルウウウウ!」


 にわかに大きくなる叫び声に、あたしはびくりと身をすくませる。……ううん、そうじゃない。何かが、あたしに『触れた』のだ。


「え? う、うそ?」


 いつの間にか、あたしの手首をぬらぬらと輝く黒い手が掴んでいる。


「ア、アリシア! まさか、“虚絶障壁(ヴァーチャル・バリア)”にまで耐性を?」


 シリルちゃんの狼狽した声が聞こえるけれど、これは『耐性』なんかじゃない。今、触れてみてようやくわかった。彼は『獲得』しているんだ。その、飽くなき欲望の結果として、不死の身体や痛みから逃れる方法───『欲しいもの』に手を触れるための力を。


「さわる! サワル……、ぎぎひ!」


 『魔神レイフ』の肩口から新たに伸びた無数の腕は、二本、三本と『障壁』を潜り抜け、あたしの身体にまとわりつき始める。


「ひっ!!」


 思わず喉から悲鳴が漏れる。足首を掴まれた。正直、気絶してしまいたいくらいに怖い。けれど、あたしはこのとき、恐怖とはまったく別の心の痛みを覚えていた。

 “虚絶障壁(ヴァーチャル・バリア)”を通り抜けてくる無数の触手。それは『魔神レイフ』が獲得した能力であると同時に、あたし自身の矛盾が生み出した結果だ。

 

 「触られたくない」という“拒絶”の念と「相手を知りたい」という“同調”の念。あのとき、フェイルが言っていた『節操なき弱さ』。


 これは、まさにその結果なのかもしれない。

 だとすれば、なんて弱くて、なんて脆くて、なんて虚しい楯だろう? 

 

「く! させない!」


 シリルちゃんが構築した白と黒の【魔法陣】が輝きを放つ。


〈その目を覆うは虚ろなる眠り。迫り来るは無情なる終焉〉


虚夢の鎮魂歌(ラスト・ナイトメア)》!


 自壊作用を持った強力な闇属性上級魔法が『魔神レイフ』本体に命中する。


「ぎあああ! いやだ! きえるのはいやだあ!」


 一瞬だけ拘束が緩み、あたしはそれをどうにか振り切って逃げようとした。けれど、今の【魔法】はほとんど『レイフ』に効果を及ぼさなかったみたいで、再びするりと伸びてきた長い腕に足首を掴まれ、引きずり倒されてしまう。


「きゃあ! いや、離して!」


 そのまま逆さ吊りに持ち上げられてしまったあたしは、そんな場合ではないのだけれど、とっさにまくれそうになるスカートを押さえ、何とか足の間に挟み込む。

 バランスの悪い巨人の胴体に、ちょこんと乗った真っ黒な『レイフ』の顔。吊り下げられたまま、あたしはソレと目を合わせてしまった。こ、怖い……。歪な形をした腕が、怯えるあたしの服の中に潜り込んでこようとする。


「い、いや!」


「さわるううう!」


 『さわる』──ただ、それだけに特化した奇妙な腕。

 思わず涙が出そうになった、その時だった。


 ──空気を揺るがす凄まじい咆哮が、あたりに轟く。

 これはヴァリスの“竜の咆哮”?

 でも、今までのような威嚇のためのものじゃない。

 自らを鼓舞するかのように、猛り狂う激烈な咆哮だった。


 あたしと『魔神レイフ』の間に残像を霞ませながら割って入る一人の人影。その人は両手を大きく広げると、鉤爪の形に構えた左右の腕を交差するように『魔神』へと叩きつける。


「ぶばあああ!」


 腕を斬断された『魔神レイフ』は、胴体をも十字型に斬り裂かれながら向こう側の壁まで吹き飛んでいく。拘束が解かれ、床に落ちる寸前で、あたしの身体はふわりと何かに受け止められる。


「ふ、え? ヴァ、ヴァリス?」


 あたしは涙目のままで、あたしを抱きかかえて立つヴァリスの顔を下から見上げる。

 彼の顔は、怒っていた。それはもう、これでもかというくらい怒りに満ちた目であたしを見下ろしてくる。


「無茶をするな!」


「ご、ごめんなさい……」


 ヴァリスがすごい声であたしに怒鳴った。こんなふうにヴァリスに怒られたのは、初めてかもしれない。でも、ヴァリスはすぐに表情を和らげると、溜め息を吐きながらも、あたしをその場にそっと降ろしてくれた。


「まったく、心配するこちらの身にもなれ。こんなことは、二度と御免だぞ」


「う、うん。でも、ありがとね」


 そっか。心配して怒ってくれたんだ。不謹慎かもしれないけれど、なんだか嬉しい。


〈──人に堕ちた『竜族』〉


 割り込んでくるラディスの声。


「あれの動きを止めます。アリシアさんは、その間に下がってください!」


 シャルちゃんの肩で、ガラスの小鳥型の【魔鍵】『融和する無色の双翼マーセル・アリオス・クライン』が青と緑に輝き出す。


〈渦巻き集いて形を成し、世界を結ぶ〉


凝固ソリッド》!


 向こうの壁がシャルちゃんの固めた空気で覆い尽くされ、再生を続ける『魔神レイフ』は動きを止める。


〈──人と交わりし『精霊』〉


 何なのだろう、さっきから?


「アリシア、大丈夫?」


 シリルちゃんが心配そうに声をかけてくれた。そうだ。早く伝えなきゃ。


「シリルちゃん、聞いて。あの『レイフ』は不完全な『魔神』……ううん、あえてそういう存在として生み出されたもの。あれの本来の【ヴィシャスブランド】“暴飲侵食(グリード)”は「欲望を具現化する力』なの。でも、『魔神』自体に欠点が多すぎるから、欲しいものならどんなものでも手に入れて、一度手に入れたものは何があろうと絶対に手放さない存在になっているの」


〈──人に宿りし『神』の力。……『始原の力オリジナルスキル』“同調”。〉


 ラディスの、ねっとりと絡みつくような言葉。意味のある言葉には思えないのに、聞いているだけで思わず背筋に悪寒が走る。


「……でも、それじゃ攻撃すれば攻撃するほど、そこから逃れる術を獲得されるってこと?」


「それはそうなんだけど……でも、言い方を変えると『手に入れたものを失うことができない』ってことでもあるの。……ごめんね。これじゃ参考にはならないかな?」


「なるほど、そう考えれば……。うん、十分よ。時間もなさそうだし、やってみるわ」


 シリルちゃんの視線の方向へ目を向ければ、ヴァリスに吹き飛ばされて壁に張り付いていた『魔神レイフ』は、シャルちゃんの《凝固(ソリッド)》による空気の壁を攻略する力を『獲得』したみたいで、徐々に動き始めていた。


「最初に使った《栄華ついばむ黒の鳥(アヴァリシャス・ルーイン)》は、対象を欠片も残さず喰らい尽くす闇魔法。これを受けて生き残る方法は、その攻撃対象から外れることのみ。……だとすれば、あの黒い肉体は、自分の身体を闇と同質のものに変化させた結果、と考えるべきでしょうね」


 そう言いながら、シリルちゃんは銀の髪をはためかせ、手の先に小さくて黒い【魔法陣】をいくつも同時に展開する。


「タリナイ、タリナイタリナイタリナイ……よこせえええ!」


「そんなに欲しければ、しっかり喰らいなさい。そして、ちゃあんと『獲得』するのよ?」


 シリルちゃんの口から、綺麗な旋律が紡がれる。


〈ゼルグ・メンダス・キルリス・アサード。アウラシェリエル・ジオ・ラド・ソリアス〉

〈絶望の門より来る死神の鎌。惨劇の天使が抱くは暗黒の剣〉


 シリルちゃんの掲げた手の先に連なる幾重もの黒い【魔法陣】。その中心を貫くように、漆黒の刃が生み出されていく。それは文字どおり、触れたものに絶対的な死をもたらす致命の刃。ラクラッドの宮殿地下で『アルマゲイル』を滅ぼした【古代語魔法(エンシエント・ルーン)】。


命貫く死天使の刃(アウラシェリエル)》!


 暗黒の剣は解放の言葉とともに、瞬間的に伸長し、『魔神レイフ』へと突き刺さる。


「ぎぎゃ? ひ、ひいい! 死? 死? いやだ、イヤダアアア!」


 ライルズさんの時より不完全なせいか、中途半端に残る人間性が余計に目の前の怪物を醜くしている。憐みさえ感じてしまう叫び声に、あたしは思わず耳を塞ぎたくなった。


 無限とも思える再生能力を誇る単体認定Aランクモンスター『アルマゲイル』を一撃で死に至らしめた闇の刃を受けて、『魔神レイフ』は身体をびくびくと痙攣させる。けれど、それでもまだ、倒せない。少しするとすぐに元の調子を取り戻し、ゆらゆらと身体をぐらつかせ、大きく口を開く。


「よ、よくもオオオオ、コワシテヤル! ガバアアア!」


 信じられない量の液体がその口から吐き出される。あたしたちは各々の方法でその液体を避けたり防いだりしたけれど、床にまき散らされたそれはジュウジュウと煙をあげながら床面の鏡を溶かしていく。


「あ!『鏡』が!」


 あたしは思わず叫ぶ。あれが壊れたら、謁見の間で王様が言っていたみたいに『魔導都市アストラル』への道が封印されちゃうかもしれない。


「そんなことないわよ」


「え?」


「仮にここの【魔導装置】が壊れても、それはこちらから行けなくなるだけの話で、向こうからこちらに道をつなぐ手段がなくなるわけじゃないわ」


「あちゃ、それじゃあ国王様も他の人も、みんな『パラダイム』に騙されていたんだ」


「ええ、だから『馬鹿じゃないの?』って聞いたんだけどね」


 ええー? それならそうと言ってあげようよ……。あたしは身も蓋もないシリルちゃんの言葉にがっくりと肩を落とす。言い方を考えれば、こんな展開にはならなかったんじゃ?

 かつての冷静沈着なシリルちゃんは、どこへ行っちゃったんだろう……。


「う、し、仕方ないでしょ? わたしだって、頭に血が上ることぐらいあるわ。 と、とにかく! あとはわたしに任せて。少しだけ時間稼ぎをお願い」


「心得た」


「うん、任せてシリルお姉ちゃん」


 ヴァリスとシャルちゃんの声。そして──


「ようし、じゃあ、あたしも!」


「アリシアは下がってて!」


 うう、すごい剣幕で三人に睨まれちゃった……。



     -論理矛盾-


 まったくアリシアの無鉄砲ぶりには呆れるばかりだ。我が助けに入るのが少しでも遅れていたらと思うと、ぞっとする。今のところ、『魔神』が得ている能力は生存本能に基づく再生・防御能力とアリシアに『さわる』ための能力が中心で、積極的な攻撃能力は少ないようだ。恐らくは、奴の望みの最たるものが『死なないこと』であるがゆえだろう。


「でも、破壊したいって欲求も生まれ始めてる! 気を付けて!」


 アリシアに言われるまでもない。恐らくは王国の魔導師たちがこれまで何をしても破壊できなかっただろう【魔導装置】を溶かして見せたことといい、攻撃に転じた奴の力は非常に危険だ。

 我は跳ね回る腕を掴み、奴の動きを防ぎとめる。我の“竜気功”による『鱗』を貫通する棘爪の生えた腕は我の手を容赦なく傷つけるが、こんなものはすぐに治る。


「ヴァリスさん! さっきと同じ攻撃は効きません!」


「わかっている。ならば、先ほどより強ければいい」


 とはいうものの、先ほど我が使った新技法の斬撃型“竜気功”『竜の爪』にも耐性をつけたであろう奴に通じる攻撃は限られる。考えあぐねていると、シャルから再び声がかかった。


「強化します!」


〈みなぎる力、戦士は揺るぎなき信念とともに〉


戦士の剛腕(パワーアーム)》!


 淡い光と共に、我の身体には新たな力がみなぎってくる。


「よし、これなら!」


 我は掴んだ黒の腕を強引に引っ張ると、奴の至近距離まで間合いを詰め、息もつかせぬ連続攻撃を叩き込む。奴がこちらの攻撃を認識し、耐性を得るまでにできる限りその肉体を破壊し、再生までの時間を稼ぐ。とどめはシリルに考えがあるというのだから、彼女に任せればよい。我の放つ数十発の拳が奴の身体をえぐり、ちぎり飛ばし、粉々に打ち砕いていく。


「ぐっ!」


 だが、奴の体液は『破壊衝動』のせいか、強酸性のものへと変わっていたらしい。それを浴びた我の腕が焼けるような痛みを覚え、慌てて飛びさがる。傷自体は“竜気功”で治癒可能なレベルだが、奴の回復速度も格段に向上しているらしく、見る間に元の形状へと戻っていく。


「まだか……!」


 我の腕の回復を上回る速度で治癒されては、後が続かない。もはやシャルの【魔法】もほとんどが効かなくなっているのだ。


「いいわ。任せて!」


 ようやく待ち望んだシリルの声に、我とシャルは奴から大きく距離を取った。


「さて、今度こそ終わりよ。『強欲の魔神』」


〈ラフォウル・アルゴス・アシュバ〉

〈万物すべての秩序を乱す〉


撹乱の牢獄(アシュバラドン)》!


 シリルの手の先に構築された白い【魔法陣】。そこから放たれた光は、謁見の間で我らを閉じ込めた【干渉結界】によく似たものだった。見た目で判断するわけではないが、あの程度のもので『魔神』に効果があるものなのか?

 そんな我の疑問をよそに、『魔神』を取り囲む光がその効果を発動した。


「ぐぎ? げが? 狂いいいいい?」


 『魔神』は意味不明な呻き声を上げはじめ、ぼろぼろとその身体が崩れはじめる。


「な、なんだあれは?」


「見たとおり、【干渉結界】とやらを即席でつくってみたものよ」


 シリルはこともなげに言うが、あれは元々、魔導師数人がかりで複数の【魔法】を組み合わせた挙句、実際には『ラディス』の仕掛けがあって初めて生み出されたものだったはずだ。


「だが、そんなものがなぜ奴に効く?」


「アレが【アンデッド】だからよ。死んだ肉体を【生命魔法】ライフ・リィンフォースで無理矢理で動かしつづける存在なら、その【魔法】を撹乱されれば耐えられるはずはないでしょう?」


「奴は【アンデッド】だったのか? なら、なぜもっと早くこうしなかった?」


「アレが【アンデッド】になったのは、《命貫く死天使の刃(アウラシェリエル)》を受けた時よ。あの【魔法】を受けて『死なない』存在はもともと精神だけの『邪霊』の類か、【アンデッド】のいずれかよ。アレはアリシアに『さわる』力を得たのだから、『邪霊』にはなれない。だから当然、生き残るには【アンデッド】になるしかなかったというわけ」


「なるほど。だが、奴なら『撹乱』とやらにも耐性を得られそうなものだが……」


 我の疑問にシリルは『魔神』を指差しながら首を振る。見れば、奴の身体は再生の兆しもないまま、ぐずぐずに崩れてしまっていた。


「アレは『獲得』したものを『失う』ことができない。アリシアが言っていたでしょ? 【アンデッド】は『死なない』けれど、『滅びる』の。存在自体を【魔法】に頼る彼らは、それを失えば即座に消滅するしかない。アレはね。『死なない』ことを願うあまり、簡単に『滅びる』存在に自らを変えてしまったのよ」


 強欲のあまり、自己の存在に矛盾をきたし、自らを滅ぼすとはな。奴を哀れと思うべきかどうか、我には判断が付きかねるところだ。


「……うん。どうやら完全に滅びたようね」


〈……これにて終劇。観測結果は『ラグナ・メギドス』へ。……わが……パ……ラダ……ムの……を……〉


 『ラディス』の声も、レイフが滅びていくのに合わせ、時折雑音が混じる途切れ途切れの声へと変化していき、やがてぴたりと止んでしまう。


「よかった! もう、終わったんだよね?」


 それまで後方に控えていたアリシアが、シリルの言葉を受けて一気に駆け寄ってくる。そして、そのままの勢いでシリルに飛びつくように抱きついた。


「きゃあ! ちょ、ちょっとアリシア! 苦しい!」


「怖かったよう! ほんとに怖かった!」


「もう……。よしよし、怖かったわね。もう大丈夫よ」


 シリルは自分にしっかりと抱きつくアリシアの後頭部を軽く撫でるようにしながら苦笑している。


「ほんと、まさかこんなところで貞操の危機に遭うだなんて思わなかった……」


「て、貞操って……もう、自業自得でしょ? そのおかげで助かったとはいえ、無茶しすぎよ」


「うん。反省してます……」


 やれやれ、どうやら今回の件は、アリシアもよほど身に堪えたようだな。


「ルシアは無事かしら……」


 ふと、シリルが漏らした言葉に一同が我に返る。【人造魔神】の脅威はなくなったとはいえ、まだ問題は残っているのだ。


「……よし、いったん中庭に戻ろう。エイミアとエリオットがいるとはいえ、フェイルは油断ならない相手だろうからな」


「──いや、その必要は無いぜ」


 突然の声に振り向いてみれば、『鏡の間』の入口に立つルシアたち三人の姿がある。


「ルシア!」


 アリシアの脇を走り抜けながら、シリルがルシアの名を叫ぶ。


「無事だったのね!」


 シリルはそのままの勢いでルシアの胸に飛び込む──かと思いきや、急制動をかけて彼の目の前で立ち止まる。


「もう、照れ屋さんなんだから……一気に抱きついちゃえばいいのに」


 アリシアが何やらぶつぶつ言いながら、我の隣に歩み寄ってきた。


「心配かけたな。こっちも無事に片付いたみたいでよかったよ。怪我はないか?」


「それはこっちの台詞よ。大丈夫なの? 何もされてない? まさかまた、怪我を隠してるんじゃないでしょうね?」


「だ、大丈夫だって! てか、シリル、身体をまさぐるのはやめてくれって」


「え?……あ、きゃっ!」


 一気に言葉をまくし立てるや否や、ルシアの身体をぺたぺたと触っていたシリルは、我に返ったように両手を上げて跳びさがる。


「心配しなくても、彼の傷ならわたしが【生命魔法】(ライフ・リィンフォース)で癒したよ」


「あ、そっか。そうよね……」


 エイミアに言われて、落ち着かなげに下を向くシリル。


「まあ、スキンシップは大切だと思うが、できればそういうことは二人きりの時にしてもらえると助かるな。少しばかり目に毒だぞ?」


「エ、エイミア!」


「ははは! 悪い、悪い」


 どうやら三人とも特に怪我などもないようだ。いや、少なくともルシアは怪我を負っていたようではあるが。


「で、フェイルはどうなったのだ?」


「ん? ……ああ、なんつーか、逃げられた?」


「歯切れが悪いな?」


 我がさらに尋ねると、ルシアは首をひねりながら言葉を続ける。


「途中でいきなり笑い出したかと思ったら、何にも言わずに例の【魔鍵】で空間を渡っていなくなっちまったんだ。こっちに来たんじゃないかと心配したんだが、そういうわけでもないみたいだな」


「ええ、彼はここには来ていないわ」


「そっか。じゃあ、ほんとに逃げたってことでいいみたいだな。相変わらず、あいつってわけがわからん」


 以前と比べ、ルシアの言葉には、フェイルに対する強い敵愾心(てきがいしん)のようなものが薄れてきているように感じる。直接刃を交えたことで、何か感じるものでもあったのだろうか。


「ただ、ひとつだけ問題が……」


 言いにくそうに口を挟んできたのはエリオットだった。


「何かあったのか?」


「うん、その……実はあの中庭に『セフィリア』がいたんだ。それもベンチで眠っていて……」


「眠っていただと?」


「少なくとも、見た目には熟睡しているように見えた。危険な相手には変わりはないし、どうしたものかと思ったんだけど……」


 エリオットの言葉は、先ほどのルシアにもまして歯切れが悪くなっている。


「ああ、わたしが話そう。……要するにだ。彼女はいまだに中庭で寝ているんだよ」


「なんですって?」


 シリルが驚きの声をあげる。


「そのまま放置してきたと言うのか?」


「ああ、下手に刺激しては何が起こるかわからないし、無防備に眠っている相手に攻撃する気には、さすがになれなかったからな」


 他に手段はなかったのかと思わなくもないが、しかし、アレが相手ではやむを得ないかもしれない。我がそう言うと、ルシアがうんうんと頷く。


「まあ、かなり可愛い娘だったし、あの幸せそうな寝顔は見てるだけでも癒されるぐらいだったからなあ。ちょっと攻撃はできなかったぜ」


 ……違う。断じてそんな意味ではない。どうすればアレを見て、そんな感想が出てくるのだ? 周りを見渡せば、ルシアのこの手の発言には不機嫌になることの多いシリルまでもが、呆れたような顔をしている。


「ま、まあ、いいわ。幸い【魔導装置】の損傷も大したことないし、このまま『向こう側』に向かいましょう」


 シリルの言葉に一同が頷く。次に向かうは、『魔導都市アストラル』だ。


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