第89話 事象の斬断/強欲の魔神
-事象の斬断-
〈ルシア、気をつけて〉
〈ああ〉
〈無理に戦わなくてもいいのよ? 時間稼ぎが目的なんだから〉
〈わかってる。相手があのフェイルである以上、警戒も怠らないし、まともに相手にするつもりもないよ〉
〈ほんとに無理しないでしょうね?〉
〈心配性だな、シリルは。俺が信用できないか?〉
〈できるわけないでしょ? これまでだって自分がどれだけ無茶をしてきたか、わかってるの? ……もう、あなたが死ぬんじゃないかって、心配するのは嫌なのよ〉
〈大丈夫だ。俺はお前を護るって決めたんだ。だから、何があろうとお前を残して死んだりなんて、絶対にしないよ〉
〈う……と、とにかく、死んだりしたら許さないからね? ……約束よ〉
〈ああ〉
俺はシリルの言葉に少しばかりのくすぐったさを感じながら、『絆の指輪』による念話を終了させた。そして、目の前に立つ男に意識を向ける。その男、フェイルはそれに気付いたらしい。おもむろに口を開いた。
「さて、ようやくお前と対峙できたな」
「俺は、お前がさっぱりわからねえよ。一体何のためにこんなことをするんだ?」
俺の問いかけに、漆黒の全身鎧をガチャリと鳴らしながら組んでいた腕を解くフェイル。どうやら今は『実体化』しているみたいだ。俺は油断なく相手の様子を観察する。
〈ファラ。周囲の警戒は任せたぜ〉
〈うむ、承知した〉
フェイルは不意打ちとはいえ、ヴァリスやヴァルナガンといった最強クラスの実力者すら無力化できるような奴だ。周囲を警戒しながら戦えるような相手じゃない。
「わからないからさ」
「?」
俺は、奴の言葉に首をかしげる。今の言葉が俺の問いかけに対する返答だと気付いたのは、一拍遅れてのことだった。
「お前の方こそ意味不明だ。神々の悪夢に踊らされるこの世界で、お前はあまりにも異質な存在だ。『わからない方が面白い』と言うのにも、そろそろ飽きた。だから、少し確かめてみたいのさ」
相変わらず、フェイルの言うことは要領を得ない。
〈神々の悪夢、か。わらわには最後まで、それだけがわからなかった。どうして彼らはあれほどまでに……〉
ファラが呟くのが聞こえる。彼女には奴の言葉の意味が分かったのだろうか?
いずれにしても時間稼ぎが目的なら、このまま奴の話に付き合ってやればいいはずだ。
「……神々の悪夢? なんだよ、それ」
だから俺は、大して考えもなく、思いついた疑問を口にする。だが、フェイルは相変わらず、こちらの話を聞いているのかいないのか、よくわからない言葉を続ける。
「お前は、『穢れ』を知らない。──あのセフィリアに、何も感じていないのが良い証拠だ。最初はお前に宿る『神』が特別なのかとも考えたが、そんな単純な話ではあるまい。……恐らくは、お前が特別だったからこそ、その『神』はお前に宿った、というべきだろう」
鋭いな。これでは迂闊に返事もできない。
まさかこいつ、俺が『異世界人』だということまで見抜いているわけじゃないよな?
「この場合、沈黙こそが最も雄弁な答えだな」
「……」
そんなことを言われれば、なおさら否定の言葉も返せない。
「お前は、この世界の理から外れた存在だ。──イレギュラー。まさか俺の他にも、そんなモノがこの世に存在しようとはな」
『イレギュラー』か。思い出したくもない、嫌な、言葉だ……。
だが、フェイルは何かに納得したように頷くと、いきなり笑い始めた。
「……俺とお前は、似た者同士でありながら、不倶戴天の敵同士。同じモノを抱えながら、決して交わることはない。言葉を交えることなど無意味。刃こそ、俺たちの間には相応しい。くくく、……さあ、存分に殺し合おうじゃないか」
顔に巻いた白い包帯から覗く、紅い瞳に愉悦の光が宿る。狂気に満ちた哄笑とともに、奴の全身から一気に殺気が膨れ上がる。
「く! いきなりかよ!?」
フェイルは真紅に輝く『剣』を腰から抜き放ち、片手で正眼に構えた。
よく見れば、反対側の手には掌サイズの【魔導の杖】らしきものが握られており、同時に奴の正面に茶色い【魔法陣】が浮かび上がる。
「小型の【魔導の杖】だと? ありかそんなの!?」
俺は慌ててフェイルに斬りかかろうとするが、間に合わない。
〈舞い散り踊れ、砂塵の針〉
《針弾の乱舞》!
声とともに奴の周囲に舞い上がる砂埃が無数の針を形成していく。それはさらに広範囲に展開すると、一斉に俺目掛けて降り注いできた。
微細にして無数・無差別にして広範囲にわたる攻撃。防御魔法がなければ回避も防御も不可能なそれは、中級魔法にしても性質が悪すぎる。
〈ルシア! 惑わされるな! これも一つの【魔法】だ!〉
ファラの的確な助言に、俺はどうにか反応する。針の多さと範囲の広さに驚きはしたが、これも『ひとまとまり』には違いない。俺は手にした『切り拓く絆の魔剣』を振るい、殺到する針の雨を『微塵切り』に斬り散らした。
瞬間、背筋にゾクリと寒気が走る。慌てて前方に身を投げ出すと、俺の背後で風切音が空気を震わす。すぐに一転して起き上がるが、奴の姿はすでにない。
“虚無の放浪者”で気配を消した? だが、攻撃の瞬間だけは実体化してくるはずだ。俺は神経を研ぎ澄まし、周囲の気配を探り続ける。索敵スキルの持ち合わせはないが、こういうものは経験が物を言う。俺はいつだって、こんな戦いを繰り返してきたんだ。
「そっちか!」
気配は思ったより離れた場所に出現した。再び小型の【魔導の杖】を構え、地属性魔法を発動させてくるフェイル。
〈霞みゆく瞳を閉ざす風塵の胡蝶〉
《砂塵の鱗粉》
途端に吹きつけてくる砂嵐。この攻撃の意図するものは、言うまでもなく目潰しだろう。俺は砂嵐を【魔鍵】の一閃で斬り払うと、奴の奇襲を警戒する。
が、どこからも来ない。このチャンスに攻撃をしてこないだと? 何を考えている?
と、そのとき、俺の視界に一筋の紅い『線』が飛び込んでくる。──宙に浮かんだ奇妙な紅。他に形容のしようがないが、それは今にも血の滴りそうな『傷口』に見えた。そして、俺がそれに目を奪われた瞬間、背後で殺気が膨れ上がる。
「また、背後かよ!」
だが、不意打ちにしては余裕があった。だから俺は、今度は前に身を投げ出すのではなく、振り向いて応戦する。
身を捻って視界にとらえた奴と目が合うと、その赤い瞳にニヤリと笑みが浮かぶ。
振り下ろされる紅い斬撃を、とっさに剣で受け止める。けたたましい金属音が耳に響き、想像以上の剣圧が腕に響く。
「ぎ、ぐうう!」
「どうした? そんなものか?」
こいつ、単純な腕力だけでも相当なものがある。力比べでは分が悪い。そう思った俺は、後ろへ身を引くことでフェイルの剣を受け流し、体勢を立て直そうとした。
〈ルシア! 下がるな!〉
ファラの声。だが、手遅れだった。身体全体が、自分が考えていた以上に強く後ろへ流される。……何かに引き寄せられている? どうにか体勢を立て直そうとしたが、背中に走る鋭い痛みに息が詰まる。
「ぐあ!」
俺は身をよじりながら身体を横に倒し、地面を転がるようにしてフェイルとの間合いをあけた。背中からは、決して少なくはない出血があるのを感じる。
「くくく、【爪痕】に身をさらして、その程度の傷で済むとは大したものだ」
フェイルは手にした紅い剣をだらりと下げた姿勢のまま、感心したように言った。
「くそっ! その【魔鍵】、そんな使い方までできるのかよ……」
まずいな。背中の傷は浅くない。出血もさることながら、身体を少し動かすたびに走る痛みが俺から集中力を奪っていく。
「つい思いつきでお前を【爪痕】にぶつけてみたが、その程度で死なれては、つまらん限りだからな」
なんだかわからないが、こいつは俺で遊んでやがる。だが、その余裕はつけ入る隙にはなりそうだ。俺はゆっくりと言葉を選ぶ。
「……【爪痕】だと? なんだそりゃ?」
「俺の『斬り開く刹那の聖剣』の神性“斬界幻爪” が生み出す『世界の傷』。世界を引っ掻き、時空を歪める力だ。俺にはうってつけだろう?」
フェイルは俺の言葉にペラペラと自分の【魔鍵】の力を話し始める。とはいえ、今の話じゃ肝心な部分は不明のままだ。どうせわざとやっているんだろうが、どこまでも嫌な野郎だ。
「うってつけ? お前のことなんか知らねえよ」
俺の言葉を無視し、フェイルは無言のまま間合いを詰めてくる。くそ、結局、つけ入る隙なんてまったくなかった。……一か八かだが、やるしかないか。
〈ファラ! とっておきを出すぞ!〉
〈【事象の斬断】か? だが、まだお主には……!〉
俺はひきつるような背中の痛みを強引に無視すると、『切り拓く絆の魔剣』を真上に振り上げた。
胴体をがら空きにした防御無視の大上段の構え。フェイルは迷いもなく、まっすぐ俺の心臓を狙って突きを繰り出してくる。
「斬る!」
言葉にすることでイメージを確かなものにする。それは人間が【融合魔法】を使う時の基本技法だ。【魔鍵】の力がイメージに左右されるのなら、同じ手法が使えるはず。
フェイルの『剣』が俺の胸に到達する方が、俺が『剣』を振り下ろすより早いだろう。 だが、そんなことは関係ない。俺が斬ろうとしているものは、奴自身じゃないからだ。
胸に感じる微かな痛み。同時に俺は、手にした剣を振り下ろす。
──果たしてそれは、この世界に、俺の理想を刻み込む。
「ぐっ!!」
フェイルは苦痛と驚愕に顔を歪め、よろよろと後退した。見れば奴の胸部装甲は袈裟懸けに断ち割られ、その下の肉体までもが『斬撃』によって斬り裂かれている。出血の量からすれば、浅くもないが深くもない──そんな傷だった。
「何を、した? 俺の攻撃の方が早かったはずだ」
「お前が俺を殺す、その事象を『斬って捨てた』んだよ。その程度の怪我で済んだところを見ると、流石にお前も『ゴブリン』なんかよりは、『生きる意志』って言うか、強固な自我って奴を持ってるみたいだな」
生きようとする強い意志。正直、こいつにそんなものがあること自体意外だが、【事象魔法】をもってしても、他者の存在を根本から否定することはできないのだ。
そもそも、対象が【魔法】ならばともかく、『神』ならぬ身で通常の事象そのものを認識するのは困難を極める。ただ、俺には彼女との約束が──『理由』があった。自分がここで死ぬ、その『事象』を何としてでも否定しなければならない理由が。だからこそ、俺は『俺を殺す』という事象を『斬れた』のだろう。
もちろん、フェイルごと真っ二つにできればよかったんだが、そうもいかなかったようだ。奴からは、つぶやくような声が聞こえてくる。
「……生きる意志だと? この俺に? ……そうなのか? くくく! ……ふははははははは!」
──気付けば、フェイルの奴が狂ったように笑い声をあげていた。
-強欲の魔神-
これ以上、心配しても始まらないわ。だいたい、エイミアとエリオットの二人がバックアップしてくれる以上、何の問題もないはずなのだし。わたしは、指にはめた『絆の指輪』に意識を向けながらも、そう自分に言い聞かせる。
でも、フェイルは何故、そこまでルシアに執着するのだろうか?
「シリルちゃん。今はルシアくんを信じようよ。ルシアくんだって、すごく強いんだから。ね?」
「ええ、そうね。ありがとう」
城の最上階にある不可侵領域、通称『鏡の間』へと続く階段を駆け上がりながら、わたしはアリシアの気遣いに感謝する。この先には、かつての『魔神ライルズ』のような強敵がいるかもしれないのだ。余計なことを考えている余裕はない。
「シリル! ここか?」
わたしたちより先を駆け上がっていたヴァリスから、確認の声が聞こえる。
「ええ、そうよ。……ただし、突入するのは少しだけ待ってもらえるかしら?」
城の最上階は、階段から短い通路をまっすぐ進んだ先に、荘厳な造りをした扉があるだけの単純な構造をしていた。つまり、それだけこの先にある『鏡の間』が広大であるということだ。ヴァリスはちょうど、その扉の前でわたしたちを待っていた。
「……よし、じゃあ、突入よ!」
準備を終えたわたしの言葉を合図に、扉を一気に開け放ち、ヴァリス、シャル、アリシア、わたしの順で室内に飛び込んでいく。
「くははは! 早かったじゃないか。フェイルの奴め、足止めの役にも立たんとはな」
壁面どころか床も天井も鏡張りでできた部屋は、わたしたちの姿を合わせ鏡のように無限に写す。そんな光景に気持ち悪さを感じたものの、男の声はそれ以上に不気味なものだった。
──部屋の中央にいたのは、宮廷魔術師長のレイフ・マダン。
禿げ上がった頭髪とは対照的に豊かな顎鬚を撫でさするようにしながら、けらけらと笑っている。
「貴様一人か? それとも、貴様が『魔族』なのか?」
ヴァリスが確認したように、この部屋には彼一人しかいなかった。まさか、フェイルに騙された? 【人造魔神】なんて、どこにも見当たらない。
「何のことだ? ここには、わししかおらんよ」
そもそもなぜ、彼がこんなところに?
「貴様らはわしが相手をしてやる。わしの【研究】の成果を見せてやろう! これさえあれば、『不可侵領域』の破壊はおろか、権力も金も女も若さも、永遠の命でさえ、手に入るのだ!!」
レイフは手に黒い球のようなものを握っていた。
「くははは! 見るがいい!」
ここまで来て、ようやく気付く。この男、謁見の間で会った時とはまるで別人のようだ。何かが、『おかしい』。わたしはアリシアに問いかけの視線を向ける。
「こ、この人、おかしいよ! なんで? どうやったら、こんな……!」
声を震わせるアリシアに向けて、レイフは気色が悪い笑みを浮かべる。
「ううん? 女、お前、なかなかいい身体をしているようだし、わしが力を得た暁には妾として可愛がってやろうか?」
そんなおぞましい呼びかけも、アリシアの耳には届いていないらしい。ぶつぶつと言葉を続けている。
「こ、心の中に、もう一つの気配があるみたいな感じ……。すごく、気持ち悪い……。ヴェルフィンさんにも同じような感じがあったけど、この人のは……それが凄くはっきりしてる……」
──と、そのとき。突然、わたしたちの目の前で、レイフの身体が膨張しはじめる。
「……は、はひ? ぎ、がががあ?」
髪の毛がごわごわと生えはじめ、筋肉がもりもりと盛り上がっていく。
もともと大きかった目玉は飛び出さんばかりにギョロリと剥き出しになり、身体全体がそれまでの数倍にまで巨大化している。……これが、【人造魔神】?
「くははは! これが力だ! 強靭で、強大で、わしの求めたわしの肉体なのだ!」
「みんな! どいて!」
わたしは、みんなの後ろで構築しておいた【魔法陣】で闇属性『禁術級』魔法を発動させる。もちろん、普通の発動方法ではない。古代語詠唱を併用しながら【魔法陣】の大きさを小さく、かつ複数に分割して発動させる裏技ともいうべきものだ。
〈欲望に満ちた偽りの栄華〉〈ディルグ・レン・ラフェイド・ファウナ〉
〈愚かで傲慢で強欲なる者どもよ〉〈イーサ・ウラド・ガロウル・スーラ〉
〈聴け、終わりを告げる黒の羽音を〉〈レム・ラグナ・セリアル・ヴァハム・リーンド〉
扉の前から準備を開始し、ここまでわずか数分で構築を完了した禁術級魔法。
相手が【人造魔神】だとするなら、先手必勝で片をつける。それがわたしの考えた作戦だった。わたしの構築した術式に従い、世界から取り込まれた膨大な量の【マナ】が【魔力】に変換され、放たれる。
《栄華ついばむ黒の鳥》!
現れたのは、漆黒の鳥の群れ。数十数百という黒い鳥の形をした貪欲なる力の塊が、今まさに変貌しようとするレイフに向けて襲い掛かる。
「へひ? ひぎぎゃああああ!」
響き渡るレイフの断末魔。一度発動した黒の鳥は、対象を貪りつくし、欠片も残さず消滅させるまで、決して止まることはない。レイフを構成する肉体が跡形もなく消え去るまで、わずか数秒。あっという間のことだった。
「ふう、どうにか間に合ったようね」
わたしはほっと胸をなでおろす。だが、そのとき。
「へひ! ぎはははははは! わしは不死だ! 永遠の命、いのち、イノチ!」
「なんですって?」
響き渡る声は目の前の空間から聞こえてくる。そして、肉片一つ残さず消えたはずのレイフはグズグズとした『黒い』小さな肉片となって現れ、ボコボコと不気味な音を立てて元の大きさへと膨れ上がっていく。
「そんな馬鹿な……!!」
あの状態からの再生なんて、あり得ない。でも、それを可能とするのが『魔神』なのだろうか?
「ぎひ!」
『レイフ』の姿は、黒い巨人と化していた。ただし、手足や胴体の大きさがちぐはぐで、まるで出来の悪い人形を見ているかのようだ。そして彼は、いびつに巨大化した右腕をギザギザの形状に変化させ、先頭にいたヴァリスめがけて振り下ろす。
「しぶとい奴め!」
ヴァリスは『防刃の鱗』でその一撃を受け流しながら、その腕に手刀を叩き込んで折り砕く。
「ぎぎゃあああ! 痛い、痛いのは嫌だ! もっと力、ちから、チカラを!」
たちまち再生し、繰り返し振るわれる黒の腕。
「無駄だ! ……なに!?」
先ほどと同じように防ごうとしたヴァリスの身体を、黒い鉤先が鋭く斬り裂いていく。……どころか、先ほどと同様に繰り出されたヴァリスの手刀が、今度はその腕を傷つけることさえできなかった。
「なんだと!?」
「ヴァリスさん! 下がってください!」
今度はシャルが『差し招く未来の霊剣』を振るい、渦巻く炎で『レイフ』の肉体を焼き払う。
「ぎあああ! 熱い! 熱いよお! 熱いのは嫌だあああ!」
身の毛もよだつ叫び声をあげる『レイフ』。しかし、それも一時のこと。すぐに続く炎による攻撃は効かなくなった。
「まさか、受けた攻撃の耐性を得ているの?」
しかも、欠片も残らず消滅させる【魔法】でも復活してしまうのでは、一体どうやって倒せばいいと言うのか? 今でこそ、シャルが属性を変え、攻撃手段を変えて対応しているけれど、それも『レイフ』がすべての攻撃に耐性を得てしまえばそれまでだ。
「ア、アリシア! あいつの力、わかる!?」
わたしは、自分の身を抱きしめるようにして震えているアリシアの肩を揺さぶりながら、声をかけた。酷なようだけど、対策を練るには彼女の【スキル】が必要だった。
「え? あ、ご、ごめんなさい、シリルちゃん」
「ううん、いいわ、それより……」
「う、うん。あの人、ぐちゃぐちゃなの……」
「え?」
「人間で、モンスターで、……でも、やっぱり人間で。ライルズさんの時みたいにはっきりした【ヴィシャスブランド】も見えないの。たぶん……」
とそこへ、アリシアの震える声に、重なるように別の声が響く。
〈【調整型人造魔神】。同調系の能力でも、簡単には見破れない〉
奇妙な抑揚のある話し方。男なのか女なのか、若いのか老いているのか、それすらもわからない微妙な声音。どこから聞こえてくるのか、まるで見当もつかない。
「だれ?」
〈ラディス・ゼメイオン〉
「なんですって?」
まさかこの声が? でも、広間にいた『ヴェルフィン』の時の声とは、似ても似つかない。
〈……黒髪の男がいない。あれだけ頭に血を昇らせながら、なぜ来ない?〉
「嫌味のつもり? あなたが足止めに寄越した、フェイルの相手をしているに決まっているでしょう?」
わたしがうんざりしながらそう言うと、ラディスはわずかに驚いたようだった。
〈足止め? フェイルが? ……ふむ、おかげで一人、確認できない〉
聞く者の心をかき乱すような話し方。それがわたしの胸中に、不安の種をまき散らす。座りが悪く落ち着かない。そうとしか言いようのない気持ちの悪い感覚だ。
「あの男の独断なの? ……偉そうなことを言っておいて、結局は御しきれていないじゃない」
わたしは、『ラディス』の反応を確かめるように挑発の言葉を放つ。
〈……愚か。どんなに足掻こうとも、所詮は『盤上の駒』。我が手の中に変わりはないのに〉
けれど、わたしの予想に反して、ラディスは大した反応を見せず、意味の分からない言葉を口にする。
ただ、今はそんなものを気にしていられる状況でもない。次々と耐性を得ていく『レイフ』には、早急に対処方法を考える必要があった。
「もう少し、近づけば、……できれば触れられればわかるかもしれないけど……」
ふと、アリシアからそんな言葉が聞こえてくる。
「無茶よ! 駄目に決まっているでしょ!?」
「うん。わかってる」
本当にわかっているのかしら? 無茶ばかりする仲間が多いと、わたしの気苦労も絶えないわね。
「シリルちゃん、自分のことを棚に上げないでよね……」
そんなアリシアのつぶやきが聞こえてきた気がしたけれど、気のせいだろう。
「単に再生力が強いだけなら、《命貫く死天使の刃》でもいけるかもしれないけど……」
次の一手の選択に迷うわたしの前で、シャルの炎や氷、風の魔法が耐性を付けたらしい『レイフ』に防がれているのが見える。時間がない。どうする?
「やっぱり、あたしが行く!」
「だめ!」
「大丈夫! 『拒絶する渇望の霊楯』で防ぎながら近づくだけだから!」
わたしが止める暇もなく、アリシアは『レイフ』に近づいていく。
「げひ! お、おんなだああ! カラダ、欲しい、ほしい、ホシイ!!」
それまでヴァリスとシャルに意識を向けていた『レイフ』は、アリシアが近づくのが見えるや否や、両腕でアリシアの身体を掴みとろうする。
「きゃああ!」
アリシアは恐怖の悲鳴をあげながらも、退くことなく立ち止まった。すると案の定、彼女の左右から挟み込むように接近した黒い両腕は、何かに遮られたかのようにその周囲でピタリと止まる。
「とどけええ! とどけえ! おんなああ! ホシイイイ!」
それは、この世の邪悪を凝縮したような叫び声だった。
『強欲』という人間の暗黒面をあまりにも生々しく見せつけるその光景は、見ていて吐き気をもよおすほどの醜悪さだ。けれど、低俗極まりない欲にまみれたその声は、底知れない深淵から響いてくるようで、わたしは背筋に冷たいものを感じていた。