第10話 グラン・ファラ・ソリアス/切り拓く絆の魔剣
-グラン・ファラ・ソリアス-
まず最初に、顔面に向けてひざ蹴りを放った。のけぞりかけた相手に渾身のボディブローを叩き込み、脳天めがけてエルボーを叩きつける。我ながら、見事なコンビネーション攻撃だ。
いくら心の中の出来事とはいえ、ここまでボコボコにされているというのに目を覚まさないとは、どこまで鈍い男なのか。いや、ある意味では大した根性と言えるのかもしれないが……。
「なわけねーだろ! 改めて気絶しかけてたんだよ!」
どうやら、ようやく目を覚ましたようだ。
「あれ? シリル? なんでこんなところにいるんだ?」
ふむ、この小娘の名前は『シリル』というらしい。気品あるわらわの姿としては、それなりに相応しいものだと満足しておこう。……しかし、問題は別にあるようだ。
〈ふう、千年待ってようやく現れた適合者が、幼女趣味とは、わらわもついていないな〉
そう言うと、その男は狼狽したように首を振った。
「な、なんで俺が幼女趣味なんだよ! 変な言いがかりは止してくれ!」
〈なら、とっとと、その手を離すがよい〉
「へ? 手って、わああ!」
わざとらしい。だいたい、あれだけの攻撃を喰らっている間中、ずっとわらわの胸を掴んだままだったくせに、いまさら気付いた風を装っても無駄だ。
「いや、違うんだって! その【魔鍵】を掴まなきゃって思ってたからだな。なんていうか、その、シリル、ごめん! って、あれ? お前、本当にシリルか?」
〈なわけがなかろう。だいたい、さっきまでの状況を忘れたのか?〉
「え? ああ! そう言えば、俺『ワイバーン』の炎にやられて……」
〈正確には丸焦げになる寸前だ。ここは時間を圧縮しているだけで時が止まっているわけではない。早くしないと本当に丸焦げになるぞ?〉
「え?どういうことだ?」
わらわとしては、十分に分かりやすく話してやったつもりだが、いかにも頭の悪そうなこの男は、まだわかっていないようだった。
〈ふう、愚か者の相手は疲れるな。ここは【魔鍵】に触れたお主の精神世界に作られた仮想空間だ。つまり現実世界では今もお主の後ろには、炎が迫りつつあるという状況に変わりはない。そしてそんなことができるわらわは、わかるであろう?『神』だ〉
「な! それじゃ、なんだってシリルの恰好をしているんだ?」
〈それがお主が幼女趣味たる証明だ。『理想』の女神たるわらわが取る姿は、見る者の心に一番強く残っている女性の姿だ。それが、このような年端もいかぬ少女となれば、言い訳は通じないぞ。我が相棒よ〉
そう言ってやると、男はぶんぶんと首を振り、「それは最初に見たこの世界の人間だからで」と訳のわからないことをブツブツと言っている。
〈まあ、案ずるな。相棒よ。他の誰がお主を変態と思っても、わらわだけは少しはましな変態だと思ってやるからな〉
「結局、変態なのかよ!」
〈決まっていよう。それとも、気絶しても女の胸を離さない男の中の男、とでも言い換えてほしいのか?〉
「うぐ!」
小気味の良い突っ込みの入れ方とリアクションの大きさには、合格点をやってもよかろう。まあ確かに、わらわのこの姿も、幼女というほど幼いというわけではない。
「……ところで、その相棒ってのは?」
男は、いまさら気付いたとでも言うように疑問を口にする。
〈決まっていよう。わらわと適合したお主はわらわの相棒、『魂の片割れ』だ〉
「まさか、あんた、【魔鍵】なのか?」
まったく、この男の理解力のなさにはあきれるばかりだ。しかし、わらわには千年の時を待った辛抱強さがある。
それにそろそろ肝心な話をしないと時間がない。
〈よいか。お主の名をわらわに教えろ。そうしたらわらわの名も教えてやる。後は名前を呼び合えば、儀式は完了だ。よいな〉
「名前? ああ、ええっと確か『ルシア・トライハイト』だったかな?」
〈自分の名前もはっきりと覚えていないとは、お主は壊滅的な馬鹿か?〉
「うるせえ」
〈まあ、よい。では、『ルシア・トライハイト』。偉大なるわが名を呼ぶがよい。わらわは万物を切り裂く『剣』の象徴【グラン・ファラ・ソリアス】。我が『神性』は“斬心幻想”〉
「グラン・ファラ・ソリアス? それって……」
ルシアの奴がわらわの名前を呼ぶや否や、世界に輝きが満ち溢れる。これまで闇の中で眠っていたわらわには、少々眩しいほどの光。力の解放。これまでにない、心地の良さだ。
〈感謝しよう。我が相棒よ。ようやくわらわは世界に出られる。だが、真の意味での解放は、お主が『扉』をあけるまで、おあずけだがな〉
「え? どういうことだよ」
〈しばしの別れだ。しばらくはこの【魔鍵】で眠りにつく。これまでとは違う眠りに。……そうそう、グランの奴に会ったのだろう? ならば、わらわは息災であると伝えてやってくれ。また会える日を楽しみにしていると〉
「グラン? 誰だよ?」
その言葉に、わらわは懐かしい面影を思い浮かべる。最後の時、泣きそうな顔をしたまま、別れた親友。わらわがあやつに負い目を感じることがあっても、その逆は必要あるまいに、どこまでもお人好しな『あれ』は、千年たってもわらわのことを案じているらしい。
ルシアの記憶の一部からそれを読み取ったわらわは、多少の驚きとともにこう言った。
〈なんと、今では、竜王などと呼ばれているらしいな。あの鼻たれ小僧が〉
「竜王って、……まじかよ」
〈もう時間がない。気がついたら手にした剣を思い切り、後方の炎を切り裂くつもりで振れ。相棒が会った途端に死んだのでは、わらわも笑えぬ〉
そう、今は時間を圧縮しているが、これが解かれれば、『ワイバーン』とやらの炎の吐息が後ろから迫っている場面に戻るのだ。回避できる状況でない以上、さっそくわらわを使ってもらうほかはない。
ルシア、といったか。馬鹿ではあるようだが、なかなか見所があるようにも思える。明らかに異常な事態が自分の身に起きていても、まったく自然体のままでいられるのだから、肝が太い。
それに、どことなくグランの奴にも似ているように思う。特に、馬鹿がつくほどのお人好しに見えるところなどが。
なによりもこの男の存在自体が、一種の奇跡のようなものだ。あのとき、隔離空間にいたがゆえに『出遅れた』形となったはずのわらわが適合できる相手など、どんな偶然が重なれば生まれるのだろうか?
なんとなく、わらわはこの男に、期待してもいいような気がしてくる。この男が『扉』をあける日を、わらわも微睡みながら待つとしよう。
-切り拓く絆の魔剣-
「ルシア! 逃げて!」
自分の声が、遠くに聞こえる。もう駄目。間に合わない。わたしの目の前に展開されている【魔法陣】は構築を完了し、発動を待つばかりだが、距離がありすぎる。
ここから《殺意の黒刃》を放っても、『ワイバーン』が炎を吐くのを止められない。
いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、もう、わたしのせいで誰かが死ぬのはいや!
炎の中に飲み込まれる影。わたしが召喚した人。
すべてはわたしの我が儘から、弱さから始まったこと。
強い力に縋りたくて、わたしは罪を犯した。
わたしが死なせた人。これからわたしが死なせる人。
わたしの中の、何かが弾け、……、とその時、わたしは見た。
切り裂かれる炎。上下に二つに分かれ、そのまま霧散する灼熱の紅。
その向こう側で、一振りの剣を振るう、彼の姿を。
〈暗躍する黒き影、其は致命の刃〉
《殺意の黒刃》!
わたしは夢中で、【魔法】を発動させた。
目の前の【魔法陣】が黒く明滅し、わたしの周囲から黒い刃が十本ほど出現する。
そしてわたしは、それを『ワイバーン』の左の翼に向けて解き放った。
『ワイバーン』は、必殺の炎の吐息をかき消されても動じることなく、今度は無傷のままの鉤爪付きの左翼を振るおうとしていたが、その一撃に翼の膜を貫かれ、大きく体勢を崩した。
〈ギャアアアアアアア!〉
次に響いたのは、断末魔の叫び声だった。わたしの視界には、斜めにずれ落ちる『ワイバーン』の上半身とその側に立つルシアの姿が映っている。
「うそ……」
そもそもファイアブレスがどうなったのかも不明だけれど、なによりかなりの硬度を持つ『ワイバーン』の鱗をああまで鮮やかに切り裂くには、単に剣の切れ味だけでなく、本人の技量も相当のものが必要なはず。
到底、洞窟で見たルシアの腕前でできることとは思えなかった。
それとも【魔鍵】の力によるものなのだろうか?
わたしは、『ルシアの胸に飛び込みながら』、そんなことを頭の片隅で考えていた。
あれ?
「お、おい、シリル。大げさだな。まったく。約束した通りちゃんと無事だっただろ?」
彼の狼狽したような声が上から降ってくるが、わたしは返事ができない。
……しまった。ほっとした勢いで、思わず抱きついてしまっていた。
そもそも、どのタイミングで走りだしていたのだろう?
覚えていない。顔が熱くなってくる。
「お、おい、シリル?」
間違いなく、顔が赤くなっている。そして何故か、彼にはそんな顔、見られたくない。
「うるさいわね。黙ってなさい。こ、これには意味があるの!」
「え? そうなのか?」
「そ、そうよ。えっと、その、【魔鍵】と適合したあなたに不具合が出ていないか、確かめているのよ」
「ああ、なんだそうか。悪いな。でも、大丈夫だと思うぞ。特に異常は感じないしな」
お人好しにもあっさり信じてくる彼に、ようやく顔の熱さが引いたわたしは、彼からゆっくりと身体を離す。顔を上げると、不思議そうに瞬かせている彼の黒い瞳と視線がぶつかる。わたしは慌てて視線を逸らし、彼が手にしている剣に目を向けた。
心の動揺を悟られることが、何故か怖かった。
「と、ところで、それが【魔鍵】なの?」
わたしは、誤魔化すように言いながら、ルシアの持つ剣を指さした。
でもその剣は、あの角付き頭蓋骨に突き刺さっていた巨大な剣とは似ても似つかない。
だって、それは、わたしが町で買った安物の長剣のはずだ。
でもわたしは、ルシアがこの剣で炎を切り散らし、『ワイバーン』を切り裂くところを確かに見た。
「ああ、なんでもこの【魔鍵】は『剣』の象徴だって言っていたからな。逆にいえば『剣』でさえあれば何でもいいらしい。俺にとっては『剣』と言ったらこれだったし、何よりシリルに初めて買ってもらった剣だからな」
「そ、そうなの? でも、その、安物だし……」
恥ずかしい事を平気で言ってくる彼に、二の句が継げないでいると、続けて彼はこんなことを言ってきた。
「いや、よく考えてみろよ。いかにも【魔鍵】でござい、なんてもの振りまわしているよか、相手も油断してくれるだろ?」
いかにも彼らしい答えだ。
「ふふっ。それはそうだけど、姿が決められる【魔鍵】なんて初めてみたわ」
なるほど、確かにその剣の姿はわたしがあげたものと同じだけど、違いはある。
安物とはいえ、まともなものを買ったつもりなので、見た目自体は、歪みのない真っ直ぐな刀身に銀色の刃の輝き、丈夫な作りの柄拵えなど、『剣』として必要な要素だけはしっかりと備えたものとなっている。
けれど、彼はここへ来るまで、その長剣を『ロックウルブス』の硬い外皮に叩きつけたり、毒液を持った『ヴェノムスライム』に切りつけたりと、散々な扱いをしてきたのだ。
本来なら多少なりとも汚れや刃毀れがあるはずなのに、その剣には傷一つない。
「で、なんて名前なの?」
「ん? ああ。ええっと、そうだ。『切り拓く絆の魔剣』だったな」
『切り拓く絆の魔剣』
わたしたちの運命を切り拓く、絆の魔剣。
「……グラン?」
「ん? ああ、そう言ってたぞ」
「ちょっと待って」
カルラ系でもゼスト系でもない? そんな馬鹿な。確かに【神の種族】は、4種類に限定されると決まったわけではない。ごく稀にだけれど、そうした実例が確かにある。
異世界人だから例外的な【魔鍵】と適合するというのでは、あまりにも出来すぎじゃないだろうか。
いや、むしろこの場合、ルシアと適合した【魔鍵】の方が特殊だったという言い方の方が正しいのだろうか?
「ねえ、さっきから『言っていた』って、もしかして直接、【魔鍵】の意識と対話したの?」
【魔鍵】の名前や能力は適合者が『感じ取る』ものであって、『聞きとる』ものではない。
そこまではっきりとした『神』の意識が宿る【魔鍵】なんて聞いたこともない。
「ああ。えっと、その……」
なぜかルシアはわたしから目をそらすと、もごもごと口ごもってしまう。
ん? ちらっとわたしの胸のあたりを見たような? 気のせいかしら?
「?」
「と、ところで、シリル!なんだか騒がしくなってきていないか?」
唐突な話題転換に不自然さを感じる。何故だかわからないけれど、ここは追及しなくちゃいけない場面のような気がしてきた。
けれど、実際のところ、そんな余裕はなさそうだった。周囲の森の中からは、何かがざわめくような気配が近づいてきているのだ。
「いけない! 早くここから離れましょう。今の『ワイバーン』の悲鳴を聞きつけて、周囲からモンスターが集まってくるわ」
この窪地の周りは『魔竜の森』と呼ばれる【フロンティア】のひとつ。
『ワイバーン』はその森にすむモンスターの中でも強力な存在であり、だからこそ、この窪地を縄張りにしていたのだろうけど、それがいなくなればどうなるか。
わたしたちは、あわてて洞窟の中へ逃げ込むように走り去った。
そういえば、剣が刺さっていたあの巨大な角付き頭蓋骨はなんだったのかしら?
一瞬、あれを見たとき、わたしの中の何かがざわついた。禍々しい、何か。
この世界に存在してはいけないような、そんな間違ったもの。
明らかに死骸であり、わたしの特別な【スキル】をもってしても、力の欠片も感じ取れなかったけれど、だからこそあの感覚は異常だった。
ルシアが【魔鍵】を手に入れた時点でなくなってしまっていたようだったけれど……
なにはともあれ、目的のものは手に入れることができたし、ルシアも無事だったのだから、なんの問題もない。
これが少しでも、彼がこの世界で生き抜くための力となってくれればいい。
彼とここにある【魔鍵】を引き合わせた意味を、このときのわたしは、その程度にしか考えていなかったのだった。