第9話 偉い人(?)にも悩みはあるんだね/VS 『ワイバーン』
-偉い人(?)にも悩みはあるんだね-
「あんなこと」や「そんなこと」はされなかったけど、されたことはある。
透明な球に閉じ込められた、っていうのがそうなんだけど、実際にはいろいろ調べられたみたい。
【竜族魔法】の一種みたいでよくわからないけど、竜王様って人から「よくわからないものを調べてやる」みたいな意志を感じたから、間違いない。
どうせ抵抗もできないし、何もしないで寝ることにしたんだけど、気がついたら、「あの人」の顔があたしの目の前に。
わわ、どうしよう?
「寝ていたのか?」
「うん」
「どんな神経をしているのだ、貴様は」
彼は、いつのまにか地面に横たえられていた、あたしを見下ろし、呆れたように言った。あたしは彼から目が離せない。その顔をじっと見つめてしまう。
彼は嫌そうに身じろぎしたが、それでも自分から引きさがるのを良しとしないのか、そのままこちらを見下ろしている。
金髪碧眼で凄くハンサム。一目で恋に落ちてしまいそうな貴公子然とした佇まい。
でも、そんなこと関係ない。えっと、まったく関係ないわけじゃないけど、あたしには、そんなことより、大事なことがあった。
……彼の考えが、全く読めない。
あたしには、初めての経験だった。思考はともかく、意志や感情まで、まったく読めないのに、こうして普通に会話ができる人は初めてだった。
ドラゴンだから、じゃない。だって、竜王様ですら、あたしにはその意志や感情が読み取れるんだもの。
あたしが人の意志や感情を読み取れることを知りながら、あたしに近づいてきてくれる人がいる。シリルちゃんやルシアくんのことだけど、それでもやっぱり、『読めてしまう』というのは大きい事。それは対等な人間関係を築くにあたって、どうしてもあたしの側のアドバンテージになってしまう。
相手がなんとも思っていなくても、あたしの方が遠慮してしまう部分は、どうしてもある。
でも、この人になら、そんな必要はまったくない。だってわからないんだもの。
わからない、わからない、わからない、わからない。
こんなに「わからない」ことが、わくわくすることだなんて、思わなかった。
だから、気がつけば、あたしはこんなことを言っていた。
「ねえ、あたしはヴァリスのこと、もっとよく知りたいな」
「……」
彼、ヴァリスはなんだか複雑そうな顔をして、目をそむけてしまった。
機嫌を損ねちゃったかな? なんとなくそんなことを推測してしまう。
そこでふと気付けば、虹色の大きな竜があたしを見ていた。
うわあ、綺麗! 吸い込まれそうな金色の瞳。
〈人間の娘よ。約束通り、彼らが帰ってくれば、汝の身は解放しよう。だが、汝の仲間が戻らぬ時は、汝には、ここで一生をすごしてもらう〉
え? ちょっとびっくり。竜王様にはあたしを殺す気がないみたい。確かにシリルちゃんとの約束の時、なんだか迷いみたいなものが見えたけど。でも一生過ごすってどうなのかしら? 竜族の谷でどうやって生きていくの?ううん、そんなこと考えてても仕方ない。
「あの、もしかして、さっきあたしを調べたときに、なにかあったんですか?」
思い切って話をしよう。あたしにだって、敬語ぐらい使えるのだ。
〈もともと殺す気などない。我は戦いに明け暮れる野蛮な者どもとは違う。弱き者よ。汝には特殊な力があるようだが、それでも汝は弱き者。神の庇護を受けし、その身は穢れていよう。だがそれでも、汝には何かがある。ゆえにそれを見定める。ただそれだけだ〉
よく、わからないけれど、どうやら竜王様は二人がここへ戻ってこない、または何も出来ずに戻ってくるって決めつけているみたい。
……でも、心の底から狂おしいぐらいに、成功させて戻ってきてほしいと願ってもいるような?
「あの【魔鍵】に何があるんですか?」
〈……我の思いを読んだか、小さき者よ。それを知ってどうする?〉
「えっと、だって戻ってくるまで待ってるなんて暇じゃないですか。だからお話でもしようかと」
「貴様、竜王様に対し、何と無礼な!」
脇でヴァリスが大声を出したけど、竜王様はそれをいさめ、あたしに再び目を向けた。
〈あの【魔鍵】は我が親友のものだ。ゆえに適合者があれば、我は親友に再会できる〉
「な! 『神』は裏切り者ではなかったのですか?」
ヴァリスはよっぽど驚いたのか、諌められたばかりなのに再び大きな声を出した。
〈ヴァリス。若いお前が知らぬのも無理はない。たしかに我らは味方だったはずの『神』に裏切られた。だが、裏切らなかった『神』もいたのだ。そう、『あれ』は最後まで、我を裏切りはしなかった。それどころか、その身を賭して、我らを救ってくれた……〉
そうなんだ。それで、あんなに苦しそうなんだ。千年間、会えない友達……か。
あたしがもし、シリルちゃんに会えなくなったら、凄くさびしいだろうな。
そう思ったら、あたしはなぜか、自分なんかよりもずっと強いはずの竜王様のことが可哀そうに思えてきた。だからつい、口をついてこんな言葉が出てしまった。
「あたしの親友のシリルちゃんたちが、できるって言ってるのよ?できるに決まってるじゃない。よかったね。もうすぐ親友に会えるよ」
あたしが自信を持って言った言葉に、竜王様とヴァリスは驚いた顔であたしを見た。
-VS 『ワイバーン』-
ようやくゴールだ。
ダンジョンに入ってからここまで、狼だのスライムだの蝙蝠だのの多種多彩なモンスターと戦闘すること4回、そのことごとくを退け(シリルに退けてもらい)、ようやく辿りついたのは、なんと、洞窟そのものの出口だった。
「あの分厚い渓谷の岩壁を突き抜けたってわけじゃないよな」
「ええ、ここは要するに窪地ね」
つまり、切り立った崖の岸を形成する大地に大きな陥没したような穴があき、それが、ちょうどこの洞窟とつながっていたというわけだ。
西日が眩しく差し込むこの窪地は、一種異様な雰囲気であった。
なにしろ、窪地とはいえ森の中なのに、岩ばかりで草木がほとんど生えていない。ところどころ、砕けた石がころがり、頑丈そうな岩壁にもはっきりと裂け目が走っている。
いや、目をそらすのはよそう。現実を見るんだ。俺は、いつだってそうしてきたはずだ。
ちょうど洞窟の中から窪地の中央を見やると、そこには、大地に刺さる一本の剣がある。
ここからはそれなりに距離があるが、はっきりと見える。しかもその剣は、巨人と思しき巨大な頭蓋骨(角付き)を刺し貫いて地面に突き刺さっているのだ。
その様子がまざまざと、この距離からもはっきり見える。見えてはいけないはずなのに、見えてしまっている。
「おい! あんなの無理だろ。どんだけでかいんだよ。使えるか!」
「確かに。あれじゃ、街中で持ち歩くわけにもいかないわね」
「そういう問題か?」
俺は珍しくボケをかますシリルを見た。どうすんだよ。ここで「やっぱり無理です」なんてなれば、アリシアがどうなることか。シリルは殺されることはないなんて言うが、殺されなけりゃいいってもんじゃない。
「心配しなくても、適合さえすれば、使える状態にはなるはずよ?」
「そうなのか? あれが? 信じられないけど、じゃあ、さっそく行くか」
そう言って足を踏み出そうとした時、上空から甲高い鳴き声が聞こえた。
「下がって!」
あわてて下がると、それまで俺が立っていた場所を、巨大な鳥のようなものが通り過ぎて行った。洞窟の中まで戻されてしまった格好だ。
「……『ワイバーン』とは、厄介ね」
『ワイバーン』? あのモンスターの名前だろうか。空を悠然と舞う姿は、どことなく『竜族』に似ていなくもない。流石に谷にいた『竜族』ほどの威圧感は感じないが、それでもあのままさっきの場所に立っていたら、上半身をごっそり持って行かれただろうな。
「な、なあ、あれのランクは?」
「Bランク。それも単体認定のね。この洞窟で出た魔物より数倍強いわ」
「弱点は?」
「ないわ。あのとおり空を飛んでいるからこちらの攻撃はあたりにくいし、並みの弓矢じゃ傷も付けられない鱗もある。生命力や魔法耐性もそれなりにあるから、今までみたいな中級魔法じゃ、ダメージを与えるのが精いっぱいね」
「てことはあれか? じゃあ、上級魔法っていうのか? より強い【魔法】で攻撃するぐらいしかないんじゃないのか?」
「ええ。それしかないでしょうけど、問題があるわ。奴は【魔法陣】の構築魔力を察知することができるから、構築を開始した途端に降りてくるでしょうね」
「じゃあ、それを俺が食い止めて時間稼ぎすればいいんだな」
「死にたければどうぞ。あれはドラゴンの亜種とも言われていて、威力は段違いに落ちるけど、人間をあっさり丸焦げにできるファイアブレスを吐くから。防御魔法の使い手か防御系の【魔鍵】使いが必要なところね」
『竜族』の亜種か。そりゃ、厄介だな。
「まじかよ。で、どれくらい時間が必要なんだ? その上級魔法って」
「あなた、話を聞いてなかったの? 上級魔法なんか使っている暇はないって話なのよ?まあ、いいわ。それに答えるなら、最短で2分よ。わたしなら、闇属性でさえあれば、それで何とかいける」
「2分か、結構長いな」
シリルの話によると、魔力変換と属性付加の2つの魔法陣を別々に展開しなければならない上級魔法では、魔法補助具による発動時間の短縮は不可能であり、それでもなお、たった2分で使えるのは“黄昏の闇姫”という最上級の闇属性適性スキルがあるからとのことだが、それでもこの場面では、長いと言わざるを得ない。
『ワイバーン』の飛行速度なら、こちらの魔法を感知して降りてくるのに十秒とかからない。ファイアブレスを防ぐ手段は同じく魔法であり、シリルもそれは使えるけれど、二つは同時に使えないとのことなのだ。
「なあ、シリル。俺がダッシュであの【魔鍵】のところまで行くよ。シリルはそれを援護してくれ。闇属性の中級魔法でも足止めのダメージぐらいは与えられるんだろ?」
「そんなの危険すぎるわよ。中級だって連射できるわけじゃない。どうしたって数秒はかかるのよ?自分に向かってくる相手の足止めならともかく、遠くにいる相手を狙い打ちするのでは、致命的な隙になりかねないわ」
だいたい、たどり着いたところで、その後はどうするのか。帰りの方が危険ではないか。シリルはそう主張するが、俺にはなぜか、あの剣のところに着きさえすれば勝てる、そんな気がするのだ。
「信じられないかもしれないけど、頼む。信じてくれ」
俺がいつになく真剣なまなざしで頼むと、シリルはしぶしぶといった感じで肩をすくめた。
「わかったわよ。あなたがこの世界で、わたしを信じてくれたみたいに、わたしもここはあなたを信じる。……死んだら《黒の虫》の刑だからね」
「怖いなあ、まったく。んじゃ、いち、にの、さんで行くぜ」
シリルは俺の我が儘を聞いてくれた。少し困ったようなその笑みに、気恥ずかしさを感じた俺は、ことさら大きな声で掛け声を放つ。
いち、にの、さん!
俺は【魔鍵】のある窪地中央めがけて走りだした。
間髪いれず、背後の上空から恐ろしい威圧感を感じる。風切り音が迫っている。
『ワイバーン』が急降下してきているのだ。
奴の攻撃方法はファイアブレスともう一つ、鋭い爪による急降下攻撃である。あれを食らったら、俺の身体なんて一撃で粉々だ。これで、Bランク?
冒険者ってのはつくづく凄い連中なんだろうな。
俺がどんなにダッシュしたところで、あの飛行速度にはかなわない。間違いなく追いつかれるだろう。が、しかし、俺の後ろには頼もしい仲間がいるのだ。
〈暗躍する黒き影、其は致命の刃〉
《殺意の黒刃》!
〈ギャアア!〉
すさまじい声をあげて『ワイバーン』が墜落する。ちょうど俺の脇を錐揉み回転で通り過ぎながら落ちたのだ。
見れば黒い剣のようなものが、『ワイバーン』の右の翼にだけ何本も突き刺さっている。
シリルは『ワイバーン』が俺に墜落しないよう、片方の翼だけを狙って落ちる方向を変えたのに違いない。
そこまで計算して【魔法】を放つとか、まったくなんてやつだよ。と感心しているうちに、俺は、【魔鍵】の下にたどり着けそうなところまで来ていた。
「危ない! ルシア!」
シリルから鋭い声が飛ぶ。振り返ると、半身を引き起こした『ワイバーン』が口を開け、こちらに顔を向けている。その喉には何やら熱気による蜃気楼のようなものが……。
やばい!
あわてて、進行方向を変えようとするも、ブレスの発射には間に合わない。
やられる!
その瞬間、再びシリルの声が響く。
《殺意の黒刃》!
再びの黒刃。シリルの周囲から沸き起こった無数の刃が『ワイバーン』の側頭部に突き刺さる。しかし、翼と違って硬いうろこに覆われたそこを貫くには至らず、代わりに大きく顔が横に振れた。
すさまじい熱気が至近距離を通過する。人が死ぬには十分な炎だ。かろうじて、狙いがそれてくれたが、『ワイバーン』はすぐに顔を戻すと再び炎を吐くべく、口を開いた。
速すぎる! シリルとはずいぶん距離が開いている。
これでは、シリルの【魔法】が間に合わない!
「ルシア! 逃げて!」
必死に叫ぶシリルの声。俺は夢中で走った。死んでたまるか。ここで死ねば、俺の生は本当に何だったのか、ということになる。それになにより、あの彼女に、一生消えない十字架を負わせてたまるものか!
俺は伝えるべきことすら、彼女に何も伝えていないのだ。
炎が迫りくる中、俺は掌にある感触を覚え、そのまま、意識を消失した。