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四話 悪意の棘、無垢の蕾

『良いですかエリーゼ、妻とは夫に付き従うもの。ですが時には自ら行動を起こす必要があります』

 母から届いた手紙を、エリーゼは自室でひっそりと読んでいた。そこには、エリーゼが今やるべきこととして、説明のような、命令のような文章がつらつらと書かれていた。

 

 子作りについて、書いてあったのだ。エリーゼにとっては、理解と想像の範疇を超えていた。

 

「こんなこと、本当にしなくてはいけないのかしら……」

 自室の机の上の、手紙の封筒のそばには小包が置いてあった。これも、母から送られてきたものである。中身は、エリーゼは確認済みだ。小包には茶葉が入っていた。母はこれを夜、ラザロに飲ませろと書いていた。

 茶葉を嗅ぐと、エリーゼにとって嗅ぎ慣れない香りがした。ツンとしたそれは、まるで薬のようだと彼女は思った。

「……あんまり美味しくなさそう……」

 これを飲めば身体は温まり、あなたを愛さずにはいられない。と書かれている。エリーゼは考える。ラザロが自分の頭を撫でる手はいつも温かい。それに、愛さずにはいられないという一文が、エリーゼは引っかかった。まるで、今のラザロが自分を愛していないみたいではないか。……それだけは、考えたくなかった。


 ノックの音がする。エリーゼが入る許可を出すと、若い女中が現れた。まだエリーゼがヴァレフォール家に嫁いだばかりのあの時、ラザロの居場所を教えてくれた女性で、エリーゼとはすっかり仲良しになっていたのだ。

「奥さま、お茶をお持ちいたしました。旦那さまはまだお仕事が残っているので、今日は一人で楽しんでほしいとのことです」

「そうなのね。ありがとう。ちょっと寂しいけれど……でも、明日はきっと一緒にお茶の時間を過ごせるわよね」

「ええ、きっと。今日のお茶は北で採れたハーブをブレンドしたものになります」

「いい香り……あっ、お菓子はクッキーなのね」

「はい。砕いたナッツを入れたものと、ベリーのジャムを挟んだものになります」

「すてき!」

 とぽとぽと柔らかな音を立ててお茶が注がれる。ふわりと漂う爽やかな香りは、先程嗅いだ茶葉の香りとは全くの別物であった。ラザロにはあれよりも、このハーブティーのような優しい香りのものを口にしてほしいと、エリーゼは考えた。

「……美味しい。……ねえ、あのね」

「お口に合ったようで何よりです。……? どうかされました?」

「ラザロ様は……わたしを妻にして、幸せだと思う?」

「……。……それは、旦那さまに直接聞いてみるのが、よろしいかと」

 女中はふわりとスカートを翻し、エリーゼに跪く。彼女はふわりと笑って、安心させるようにエリーゼの手を両手で包み込みさすった。

「……そう、ね」

「ええ。大丈夫ですよ、奥さま」

 微笑み返すエリーゼを見て、女中はゆっくりと立ち上がり、「片付けの時はお呼びくださいね」と部屋を出て行った。一人にさせてくれたのだ。そのことに感謝しつつも、エリーゼの心の中は曇天のようであった。

 

(直接聞くのが、一番怖いわ)


 クッキーをつまむ。挟まれたベリーのジャムは、先日自身の体から出てきた血液のような色をしていた。



 その夜、エリーゼは眠ったふりをして、ラザロが眠るのをじっと待った。母から送られたあの薬臭い茶葉は、結局使わなかった。片付けに来た女中に、捨てるよう頼んだのだ。初めて母に逆らった気がして、エリーゼは恐ろしい気持ちでいっぱいだったが、それをラザロには言い出せなかった。

 薄いカーテン越しに、月明かりが二人の寝所を撫でている。

 ラザロは仰向けで寝息を立てている。エリーゼは身を起こし、ぷつ、ぷつと自身のネグリジェのボタンを外した。その手は震えていた。

 そしてその指でラザロの黒髪に触れ、額に触れた。

「ごめんなさい、ラザロ様」

 そう呟き、彼の閉じられた薄い唇に触れる。顔を近づける。唇と唇が触れるまで、あと少し───

「エリーゼ」

「!」

 ばっとエリーゼがラザロから離れれば、眠っていたはずのラザロはその灰色がかった青色の瞳でエリーゼを見つけていた。

「何をしようとしていた? ……てっきり、もう眠ったと思っていたよ」

「あ、あの……その……」

「ん」

 起き上がるラザロに、エリーゼは怯えたように身を震わせる。それを見逃さなかったラザロは、優しくエリーゼの月明かりに濡れた金の髪を撫でた。

「いたずらかい?」

「……違います。お母さまが言っていた、妻としての務めです」

「……」

「子どもを、作ろうと」

「……お母上に、命じられたのか」

「はい。まずは口付け、その次にラザロ様の服を脱がし、その次は……」

「いや、もう良い。少し静かに」

 ラザロはエリーゼの髪から手を離し、そのはだけたネグリジェのボタンを一つ一つ閉じていった。その間、二人は無言であった。閉じ終わると、ラザロは口を開ける。

「今から貴女にお説教をしよう、エリーゼ」

 その言葉を聞いて、エリーゼはおずおずとラザロを見た。

「ラザロ様、怒ってる……?」

「いいや。怒っていないよ。ただ、わかっていてほしいことがあるんだ。……聞いてくれるかい?」

「……はい」

 エリーゼの行き場のなくそわそわと動いていた手を、ラザロはふわりと握った。そして、静かな声で『お説教』を始めた。


「エリーゼ、貴女はまだ十歳だ。私は貴女の夫ではあるが、それと同時に、貴女の人生を預かる者でもある。だからこそ、今ここで貴女の心と体を踏みにじるような真似はできない」

「でも、わたしはラザロ様の妻ですよ? お母さまとお父さまは、ラザロ様に尽くせと……妻としての自覚を持てと」

「……いいかい? 貴女が『妻』であるからといって、それだけで私に尽くす必要はない。貴女が人を愛し、共に生きたいと望むならば、それは貴女自身の意志であるべきだ。義務などではなく、貴女の心が選ぶべきものだ。だが、それを知るには時間が要る」

「わたしの意志……時間……」

「そう。十歳の貴女には、まだ『選ぶ』ための年月が必要だ。だから、焦らなくていい。今はただ、貴女自身のことを大切にしてほしい。私は貴女がそうできるように、待つよ。何年でも───貴女が本当に自分の心を知る日まで」

「ラザロ様……」

 いつのまにか、エリーゼの震えはおさまっていた。ラザロはそのことにふっと微笑むと、エリーゼをそばに導いた。彼はエリーゼを抱きしめるように、改めてシーツの上に横たわる。

「あ……」

「さあ、もう寝なさい。エリーゼ。私がそばにいるから、怯える必要なんて無いよ」

「はい……あ、あの、ラザロ様」

「何だい?」

 エリーゼは、ラザロの腕の中で、ラザロの胸に頬を寄せた。とくんとくんと、シャツ越しに彼のゆっくりとした心臓の音が聞こえて、エリーゼは、神様の楽園があるのならば、きっとここのようなあたたかな場所だと思うのであった。

「ラザロ様は、わたしとの結婚を後悔していますか?」

「……後悔?」

「……だってラザロ様、わたしにはそう聞いたのに、ご自身は答えてくださらなかったから。わたしは、ラザロ様と一緒にいられて嬉しいです……ラザロ様は? わたしと一緒にいて、嬉しいですか?」

 拗ねたような声音の妻に、ラザロは面食らい、そしてくすくすと笑みが溢れた。

「確かに、答えていなかったね。……ああ、後悔なんてしていない。私は、貴女を妻として迎えたことを嬉しく思っているよ」

「! ……ふふ、えへへ」

「だからこそ、貴女にはちゃんと、幸せになってもらいたい。私が、貴女を幸せにしよう」

「はい……ラザロ様……」


 今でもじゅうぶん幸せなのに、これからもっと幸せになってしまうのだろうか。エリーゼは微睡の中、幸福感に包まれるのであった。

 二人は、その日は抱き合って眠った。朝まで互いの体温を分け合い、ラザロは……いつもより少しだけ、遅くに起きた。

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