表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

二話 籠の鳥の新婚生活

 それは二年前のこと。


 後に結婚式を執り行うことになる教会で、二人は初めて顔を合わせた。母親と手を繋ぎぽてぽてと歩いてくる自分の妻となる少女エリーゼの姿を見ながら、ラザロはこの婚約に潜……んですらいない彼女の両親の欲深さに雨の止まない日の朝のような嫌悪感を催した。エリーゼはというと、母親に促されるままラザロの元に歩み寄り、淡い青色の子ども用ドレスのスカートの裾を指でつまみ上げ、お辞儀をした。

「エリーゼです。はじめまして!」

 ちゃんとできました! とでも言いたげに少女は母親とラザロを交互に見上げた。母親は得意げに彼女ではなくラザロに微笑み、ラザロはこの子はなんて無邪気なのだろうと罪悪感が募る。胸の奥がチクチクする感覚がした。

 ラザロよりも高い地位と権力を持つルミエール家からのこの強引な申し出を断りでもしたら、国王から賜ったラザロの貴族としての立場は危うくなるだろう。彼はそれは避けたかった。尊敬する主でもあり、幼い頃からの立場を越えた友人でもある国王の顔は立てたかったのだ。だから、この婚約を飲んだ。

 それに、純真無垢な少女が利用される両親に人生を歩むなら、自分は彼女を一人の人間として尊重するのが、ラザロ・ロゼ・ヴァレフォールという貴族の大人のノブレス・オブリージュだと、彼はこの時思ったのだ。


 ラザロは教会の床に片膝をつけ、小さなエリーゼに目線を合わせる。二つの大きくて丸い薄紫色の宝石が、ラザロの顔を見た。

「ラザロです。はじめまして、エリーゼ」

「ラザロさま……」

 エリーゼはまじまじとラザロの瞳を見る。そして、花咲くような笑顔を浮かべた。

「ラザロさまのおめめ、とってもきれいないろです!」



 そして、二年後。二人は約束の通り結婚し、現在に至る。


「んぅ……」

 広い部屋に置かれた大きな天蓋付きのベッドの上で、エリーゼは薄目を開けた。窓の外からは小鳥の声がする。カーテンは開かれ、春の優しい光が部屋に差し込んでいる。夫婦は寝所を共にするのがこの国の慣わしである。だが、生成色のシーツの上には、エリーゼ以外誰もいない。

「ラザロ様……今日もいない」

 昨夜眠る時は一緒だったのに。眠くなるまで物語を話してくれたのに。

 ラザロはけしてエリーゼより先に眠らない。エリーゼのまぶたが完全に落ちる時まで、エリーゼの髪を優しく撫でるのが二人の『いつも』だった。そして、エリーゼよりも先に起きて、部屋から出て寝間着を着替えてしまうのだ。……今日だってそうなのだろう。慣れてきたことであったが、その体には大きすぎるベッドの上で一人目が覚めるのは、エリーゼは少し寂しかった。


 今朝はいつもよりあたたかい気がする。令嬢としてだらしがないことはわかっているが、エリーゼは再び羽毛布団とシーツの間に体を埋めた。とろとろと心地よい眠気が押し寄せてくる。

 ───ああ、また寝てしまおうかな。彼女がそう思っていた矢先、コン、コン、コン、規則正しいノック音が部屋の扉から響いた。

「エリーゼ、起きているかい?」

 そして、落ち着いた低い声がした。ラザロだ。エリーゼはがばりと慌てて起き上がり、「はい!」と大きな声で返事をした。ゆっくりと扉が開く。

「おはよう、エリーゼ」

 緩い癖毛の黒髪、地味な色合いだが上等な生地でできた衣服のエリーゼの夫は、灰色がかった青色の瞳で彼女を見つめ部屋に入ってきた。

「……! おはようございます、ラザロ様!」

 寝癖のついた金髪に、白いネグリジェ姿のラザロの妻は、先程まで寝ぼけ眼であった薄紫色の瞳を輝かせた。


「朝のお茶を持ってきたよ。良い夢は見られたかな?」

「ありがとうございます。ゆめ……は、覚えてないです。ぐっすりでしたから。ラザロ様は?」

「私もぐっすり眠れたよ。おかげで今日も元気いっぱいさ。さあ、お飲み。飲み終えたら朝の準備をして、朝食にしよう」

「はい。いただきます!」

 モーニングティーは隣国からの輸入品だ。エリーゼがそれをゆっくりと飲んでいくと、口の中で果実のような香りが広がった。

「私のお気に入りの茶葉なんだ、昔陛下……いや、友人から教えられたものでね。貴女の好みに合ったかい?」

「とってもおいしいです」

「それは良かった」

「あの……ラザロ様」

「どうした?」

 エリーゼは空になったカップの縁を指でなぞる。

「わたしも、ラザロ様のように早起きをしたほうがいいですか?」

「うん?」

「だって、ラザロ様……わたしが起きる頃にはいつもじゅんびができてるから、またせてしまっているのではないかって、思って」

「ああ、それは良いんだよ。貴女はちゃんと朝食前には目覚めている。それに、早起きは単に私の癖なんだ。気にしなくて良い」

「そうですか……」

「ああ。……そろそろ人を呼ぼう。準備ができたらおいで」

 ラザロがベッド脇に垂らされた紐を引っ張ると、程なくして女中が二人ほどやってきた。一人はドレス、もう一人は水の入った銀の盆と櫛を持っている。ラザロはまたね、とエリーゼに一言声をかけ、女中たちと入れ替わるように部屋から出ていった。


(わたし、もっとラザロ様とおはなしがしたいのに)


 そうエリーゼは思い落ち込んだが、口にはせずすぐに立ち直る。一日はまだ始まったばかりなのだ。

 今日のドレスは、淡いピンク色だった。



 エリーゼがラザロに嫁ぎ、ヴァレフォール邸で暮らすようになって、一ヶ月が経った。

 エリーゼとラザロは、寝所こそ共にしているが、それぞれ自分の自由に使うための部屋を持っている。実家のような華美さは少ない落ち着いた色調の自身に当てがわれた部屋に、エリーゼは最初は戸惑いはしたものの、今では本棚には実家から持ってきたお気に入りの本とラザロが送ってくれた異国の物語の本たちが住み着き、テーブルの上の花瓶にはヴァレフォール邸の庭園から持ってきた薔薇の花が一輪だけ活けられている。

 薄紫色の花びらのその品種名は、ラザロ曰く『エル』と呼ぶらしい。「貴女の瞳によく似ている』と彼が言ったその花を、エリーゼはとても気に入っていた。


 エリーゼの一日の午前は勉強で終わる。ラザロがエリーゼのために雇った家庭教師と共に、今日の曜日の科目である外国語をなんとかこなせば、午後はもう夕食の時間までエリーゼだけの時間だ。実家にいた頃はここまで熱心に勉強をさせられることはなかった。代わりに見目を整えることばかり言われていた。フリルをたっぷり使った毎日違うドレスを着ることも、髪を強く巻くことも、彼女は好きであったが、この今までとは少し変わった生活も、彼女は好いていた。ヴァレフォール邸のベッドで目覚めることにすっかり慣れている自分が確かにいたのだ。

 さて、今日は何をしようか? とエリーゼは思案を巡らせる。自室で物語の続きを読むのも良いし、庭まで出て日向ぼっこをするのも良いだろう。と、彼女が考える。そして、朝たしかに感じた気持ちを思い出した。

「ラザロ様にあいたいわ」

 そう口に出すと、その気持ちは大きくふくれあがる。足取りは軽やかに、エリーゼはラザロが仕事をしているであろう執務室へ向かった。


「ラザロ様?」

 ノックをして、声をかける。

 返事はない。

 ゆっくりと扉を開けると、執務室には誰もいなかった。

「おしごと、もう終わったのかしら」

 エリーゼは沈んだ声でひとりごとを言い、扉を閉める。ラザロ様はどこにいるのかしら、お屋敷の中かしら、おそとかしら。再び思案を始めていると、後ろから気配が近づいてきた。はっとして彼女が振り返ると、若い女中が一人、エリーゼにお辞儀をした。

「失礼いたします。奥さま、旦那さまをお探しですか?」

「え、ええ。でも、ここにいなくて」

「旦那さまでしたら、ご自分のお部屋に戻られましたよ。先ほど、お茶を運んできたところです」

「ラザロ様のお部屋……! ありがとう、いってみるわ!」

「はい。奥さま」

 ぱたぱたとラザロの部屋に向かうエリーゼを見送り、女中は優しく微笑んだ。そして彼女もひとりごとを言う。

「可愛らしいお方」



 部屋に響く小さなノック音に、椅子に座っていたラザロは顔を上げた。読んでいた本にしおりを挟み閉じる。この国に伝わる英雄譚。文字の読み書きを習った頃から何度も読み返しているお気に入りの物語だ。ラザロは考え事に行き詰まると、頭をすっきりさせるためにそれを読む。行き詰まっていたことは、やはり妻のことであった。彼女は今、幸せだろうか。そう、考えていた。

「ラザロ様。エリーゼです、はいってもいいですか?」

「エリーゼ? どうぞ」

 ノックの後に聞こえた幼い声を、彼は快く受け入れた。

「ご本をよんでいらしたの?」

「ああ。『黒の悪魔と白の騎士』、知っているかい?」

「いいえ……どんなおはなしなのですか?」

「一人の騎士が、その命をもって悪魔を倒す物語だ」

「いのち……その騎士さまは、……、……しんでしまうの?」

「そうだね。だがそのおかげで、王国は守られる。そんな話さ。……私はこの物語が好きでね、この騎士のようになりたいと、この国のために命を使いたいと、思い戦い続けてきた」

「……。……せんそうは、わたしが生まれるまえに終わったとお父さまからききました」

「そうとも。貴女にとっては昔話になる」

「……なら、ラザロ様のそのおもいは、もう叶わないわ」

「エリーゼ?」

 エリーゼは唇を噛みしめて、ラザロに近づく。そして、とんと軽い音を立てて、彼の膝の上に座った。そして彼女はぎゅうとラザロの首にしがみつく。


「……ラザロ様は、おはなしの騎士さまじゃなくて、わたしの夫です」

「……ああ、そうだね、私は物語の存在にはなれない」

「そうです。だから、だから、しにません、しんではいや……」

「エリーゼ……泣いているのかい?」

「ぐす……泣いていません……」

 強がりながら鼻をすする妻の髪を、ラザロは恐る恐る撫でた。

 ラザロは思う。そうだ、自分はもう、戦場を駆ける騎士ではない。今は───

「私は、貴女の言う通り、貴女の夫で、貴女を守る剣だ。あの日誓っただろう?」

「……はい」

「神の前で行った契約を違える気はないよ。……だから、そんな悲しい顔をしないでくれ、エリーゼ」

「ラザロ様……わたしね、ラザロ様がだいすきです。だから、ずっとおそばにいます」

 その言葉を、ラザロは苦々しく飲み込んだ。なんて嘘のない、一途で、そして幼い『すき』なのだろう。いつか大人になれば、きっとその心は失われてしまう。物語を物語だと割り切ってしまった自分のように。

 だが、彼はそれで良いとも思った。妻が健やかに育ち、本当の『好き』を見つけるまで、ずっとそばにいようと、そう、ラザロは決意した。

「……あ……ラザロ様……」

「私も、貴女のそばにいよう。エリーゼ」

 ラザロはエリーゼを優しく抱きしめる。しばし、無音の時が流れた。エリーゼは、彼が自分を抱きしめてくれたことと、あの日薬指の付け根に口付けを落とされたこと、そして初めて彼の瞳の色を知った時のことを、思い出していた。


(わたし、こんな幸せなことしてる。このひとと)


 エリーゼはラザロの腕の中で、涙で赤くなった目を閉じた。


 二人の行先は、まだ誰も知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ