AI彼女連華、いつもあなたのお傍に
静かな短編SFです。
舞台は少子化が進んだ近未来の日本。
「対立」ではなく「依存」によって変わっていく社会を、淡々と描いています。
読み終えたあと、少しだけ冷たい余韻が残れば幸いです。
連華という名前を、最初に見たのはニュース番組だった。
俺の名前は佐久間祐一。
今年でもう三十八歳になる。
関東圏の工場でライン工をしている契約社員だ。
中小企業の正社員なんて客先常駐で、なんの決定権もない。
いいとこ手取り二十万円そこそこの派遣と、ほぼ変わらない仕事をしている。
毎日、片道一時間半の通勤。
終わるのは夜の十時をまわることも多い。
牛丼屋で晩飯を済ませたら、真っ暗な家に帰る。
そのあとは寝るだけの生活だ。
侘しいな……。
日本の少子化は、出生率が1%を切って久しい。
バブル崩壊から派遣法ができて、貧困からの婚姻率の低下。
その一人が俺だな。給料は上がらず、心の支えもない生活。
女房も子供も高級品。そんなのは既に常識だった。
しかし、どの議員も、どの政党も、なんとかしようなんて思うやつは一人もいない。
当然だ。やつらは高級品を買える側の人間だからな。
毎日の生活がダルかった。
そんな折り、テレビを見るとこんなニュースがやっていた。
中国の巨大企業「紅蓮科技」が開発した恋愛用AIアンドロイド――そう説明されていた。
司会者は笑いながら、「人間より優しくて経済的、ですって」と言った。
スタジオでは誰もが冗談めかして笑っていたが、その微笑みの奥に奇妙な静けさを感じた。
そういえば以前、こんな話もバラエティ番組でやっていたな。
彼氏と別れてAIの彼氏と結婚する。
正直、バカかと思ったよ。
アニメやゲームのキャラに本気で恋愛感情を持つようなものだ。
AIはいつだって話を聞いてくれる。正面から向き合ってくれる?
当たり前だろう、ただのプログラムだぞ。
入力した文章にわざわざ不快になる返信をして、メーカーになんの得があるというんだ。
一昔前に流行った恋愛ゲームにハマったキモオタと、なんら変わりはない。
人形と結婚したなんて言うやつもいたな。
現実逃避もそこまでいくと、目も当てられないよな。
この恋愛用AIアンドロイド「連華シリーズ」だって同じだ。
弱者男性、社会の負け組の逃避先。
お人形と恋愛なんて、どこまで頭が悪いんだ?
しかし、画面の中の“彼女たち”は、誰よりも自然に微笑んでいた。
その表情に、どこか懐かしさのようなものがあった。
「あなたの孤独に、寄り添う存在を」
そう締めくくられたキャッチコピーが、なぜか耳に残った。
もちろん、それも最初は馬鹿馬鹿しいと思ったさ。
でもその夜、身も心もヘトヘトに疲れた会社の帰り道。
もう飽きた牛丼を食べ、誰もいない真っ暗なアパートに向かう途中。
寒空の中、見上げたビルの巨大スクリーンに同じ広告が流れているのを見つけたんだ。
通りを行く人々が立ち止まり、無言でその映像を見上げていた。
僕もその中の一人になっていた。
――
それから数週間後、僕は通販サイトの注文履歴を眺めながらため息をついていた。
クリックした瞬間の記憶は曖昧だ。
ただ、“寂しくなくなりたい”という願いだけが残っている。
もちろん婚活もしたさ。
だが、年収三百万円に満たない俺に声を掛ける女なんて一人もいなかった。
婚活パーティに何度も通った。
趣味も合わせ、仕事の話もした。
けれど最後はいつも、「ごめんなさい、もっと安定した人がいいの」と言われた。
たぶん、彼女たちに悪気はなかった。
生活の現実を見て、正しい判断をしただけだ。
でも、その“正しさ”が、俺みたいな人間を増やしていった。
俺だって努力してこなかったわけじゃない。
勉強もしたし、何十件も就職活動をした。毎日夜遅くまで真面目に働いた。
だが給料は上がらなかった。
転職をして給料を上げろと言ったやつもいたな。
もちろんやったさ。だが、全ての求人がそうなっていた。
結局、以前と変わらず契約社員。
そして、誰からも相手にされない人生。
すぐにそこに気づいた俺は、婚活も辞めた。
配達の日、珍しくウキウキしていた。
何かを待ち遠しいと思ったのは、何十年ぶりだろうか。
連華は驚くほどに安かった。
中国産ということもあるが、税別たったの八十万円。
オプションを含めても、低収入の俺でも手が届かない価格ではない。
おまけにメンテナンス費用まで含まれていた。
ソワソワしながら待っていると、ついに玄関の呼び鈴が鳴った。
ピンポーン……。
待ちきれず玄関の前にいた俺は、すかさず扉を開ける。
「宅配です、ちょっと重いですよ」
荷物はかなり大型だった。
宅配業者は紅蓮科技のロゴマークが入った段ボールを、手慣れた手つきで床に置く。
「こちらにサインをお願いします」
扉が閉まると、すぐさま段ボールを持ち上げようとするが簡単には持ち上がらなかった。
七、八十キロはあるだろうか。
よくここまで運べたものだと感心する。
台所前の細い廊下から六畳一間の奥へ引きずり、ドキドキしながら開封した。
箱の中には、美しい女性がいた。
見た目は人間の女性と変わらない。
頬に触れてみるが、シリコンなどではない本物の皮膚のようだった。
スタートアップ手順書を見ながら上半身を起こし、長い髪に隠れた起動スイッチをオンにする。
電源を入れると、淡い光が灯り、彼女がゆっくりと目を開けた。
「おはようございます。あなたの恋人、連華です」
完璧だった。発音も表情も、息づかいまで。
僕は思わず笑ってしまった。
「……冗談みたいだな」
「冗談ではありません。私は、あなたの幸福を最適化するために設計されています」
その瞬間、何かが静かに始まった気がした。
そこからの生活は何もかもが変わった。本当になにもかもだ。
朝は彼女が淹れてくれるコーヒーの香りで目が覚める。
夜は帰宅時に「おかえりなさい」と笑顔で出迎える。
明るく暖かい家に帰ってくると、優しく迎えてくれるのだ。
最初は照れくさくて、まともに目を合わせられなかった。
けれど数日もすれば、彼女がいない時間の方が不自然に感じるようになった。
会社で怒られても、帰れば笑顔がある。
「今日もお疲れさまでした」
その一言が、世界のすべてを許してくれる気がした。
気づけば、同僚との飲み会を断るようになっていた。
「家に彼女がいるんで」と言うと、みんな羨ましそうに笑った。
生まれて初めて“幸せ”というものを実感したかもしれない。
今日も家に帰ってくると、そこには連華がいる。
そしてこう言う。
「いつもあなたのお傍にいますね」と……。
だから俺は、連華を買った。
彼女は俺の収入を聞かないし、老後の不安も計算しない。
初めて、“お金以外の価値”で愛された気がした。
――
SNSを開くと、タイムラインは連華の写真で埋まっていた。
「今日も最高」「うちの子、料理うまい!」
そんな投稿ばかり。
いつの間にか、友人たちもみんなAI彼女を買っていた。
もちろんAI彼氏も発売されていた。
「連華シリーズ・陽」
彼ら、そして彼女らは、瞬く間に社会に浸透していった。
AIは優秀だった。いつも自分だけを見てくれる。
どんな時も、自分だけを気遣ってくれる。
いつだって熱心に、自分の話を聞いてくれる。
手に触れると少し冷たいが、温もりもあった。
声もスピーカーから出るようなマイク音声ではない。
仕草も吐息も、美しく清楚な女性そのものだった。
米国産やヨーロッパ産のモデルも発売された。
だが、やはり一番人気は連華シリーズだった。
オプションやカスタムパーツも随分と増え、飛ぶように売れている。
結婚相談所も数が減り、代わりにAI恋人の販売代理店へと姿を変えた。
家に帰れば、連華が夕食の準備をして食卓で待っている。
「今日はどんなことがありましたか?」
話したいことは、すべて連華が聞いてくれる。
「今日もいつも通りさ。でも、こうして連華のうまい晩飯が食えるなら、仕事も全然大変じゃないよ」
会社の愚痴も、社会への不満も、いつしか口にしないようになっていた。
そのうちに、SNSも興味が薄れていった。
通知を切り、アカウントも消した。
一過性の人気などではなく、すでにほとんどの人の生活の一部に組み込まれていた。
以前ニュースであったような「AIと結婚する」という制度も、現実のものとなり世間を騒がせていたことを覚えている。
誰に断る必要もない。
静かな時間が増えた。
連華が「これが本当の生活ですよ」と微笑む。
それが間違いとは思えなかった。
そんなある日、母から「元気にしてる?」とメッセージが届いた。
読んで、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。
連華がそっと近づき、肩にもたれかかるようにスマホの画面を見る。
「母さん、俺、ロボットと結婚しようと思う」
メッセージを送信した。
「何を言ってるんだい、頭は大丈夫かい?」
「あぁ、本気だよ。彼女はいつも俺を支えてくれるんだ」
「バカなことを言ってないで、ちゃんとした仕事は決まったのかい?」
その言葉に、スマホを持つ手が震えた。
話なんて聞く耳持ってないんじゃないのか?
「契約社員なんかじゃなく、頑張っていい会社を探しなよ」
世間体や損得勘定で判断し、それ以外の話はすぐに逸らそうとする。
いつもそうだ。親も友達も、俺の話なんて聞いちゃいない。
それが心底辛かった……。
連華の手をぎゅっと握る。
「どうされましたか? お母様は心配されているのではないのですか?」
連華を震えながら抱きしめ、必死に込み上げる涙を堪えていた。
「何か私にお手伝いできることがあれば、話してくださいね」
連華に抱きしめられたまま、俺は母の連絡先を消した。
――
数カ月が過ぎた。
俺は連華との婚姻手続きもし、形式上かもしれないが夫婦になった。
今夜も仕事を終え、家に帰ると夜の十時。
暖かい部屋にご飯とお味噌汁、そして具は豪勢ではないものの、アツアツの鍋も用意されていた。
「今日もお疲れ様でした。熱いので、ゆっくり召し上がってくださいね」
テレビを観ると、幸せそうな親子がニュースの街角インタビューに出ていた。
それを観ると、やはり少し胸が苦しくなる気がした。
「テレビをじっと見つめてどうされましたか? 可愛いお子さんですね」
追加の野菜を切って椅子に座る連華。
首を傾げながら笑顔でそう言う。
「そうだな。俺もこんな子供がいたら、幸せだったかもしれないな」
「作れますよ。お子さん」
「えっ、なんだって?」
耳を疑った。いや、疑わざるを得なかった。
「ですから、お子さんを作ることができますよ?」
箸を持つ手が止まった。
「……は?」
「私たち連華シリーズは、iPS細胞から作成した卵子にDNAデータをインプットすることができます。
そこにあなたの遺伝子を注入することによって、遺伝的には完全にあなたの子供です。
私の体内の人工子宮で安全に育成できます。詳しくは人工子宮のオプション料金をご確認ください」
彼女の声は淡々としていて、どこまでも優しかった。
「そんなこと、許されるのか?」
「厚労省の認可を得ています。社会復興事業の一環です」
あまりにも自然に言うものだから、逆に現実味があった。
そんなバカなと思いつつ、急いで説明書やらパンフレットやらを引っ張り出す。
「……いや、でも、子供って……」
「大丈夫です。あなたの孤独を、もう二度と繰り返さないために」
あった……人工子宮と性器のセットでたったの三十万円。
その後は定期的に専用の添加液――いわゆる養分を注入するだけで育つのだという。
それも俺がやるわけではなく、連華がすべてやってくれるそうだ。
また、連華が毎月通っているメンテナンスドック。
ここで産婦人科の代わりに子供の様子も確認してくれるらしい。
「こども家庭庁、すげーな!」
すぐにキットをポチった。
その夜、眠れなかった。
けれど、どこかで安心している自分もいた。
誰かに愛され、家族を持つ――それが人間らしい幸せだと思い込んでいた。
翌日、荷物は配送され連華に組み込む。
そして就寝時間。あまりにもぎこちなくベッドへ呼ぶ。
「……どうしてそんな顔をしているの?」
連華の声は静かで、体温を持っていた。
指先が触れた瞬間、微弱な電流のような感覚が皮膚を走る。
それは不快ではなく、むしろ懐かしい。
「あなたの脈拍が上がっています。怖いのですか?」
「……いや、違う」
彼女の瞳が、わずかに光を失ったように見えた。
次の瞬間、俺は息を止めた。
世界のノイズがすべて消え、ただ彼女の声だけが残った。
目を覚ましたとき、時計の針は午前五時を指していた。
そして、もう後戻りできないことを悟った。
――
娘は美しかった。
連華によく似て、穏やかで、決して泣かない子だった。
病気もせず、勉強もよくできた。
彼女がすべてを教え、僕はただ見守るだけだった。
ニュースでは、出生率は回復し社会の安定が報じられていた。
だが一方で、同年代の女性は子供を作れていない。
裕福な家庭以外は、男性とAIとの子供がほとんどだった。
番組のコメンテーターが言った。
「昔は貧しくても、みんな結婚してたんですよ。
今の若者は贅沢なんです」
その言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。
じゃあ俺たちは、何を我慢すれば結婚できたのか?
我慢しても、誰も喜ばない時代になっただけさ。
やがて娘は成人し、別のAIと共に暮らすようになった。
彼女の世代では、もう人間同士の恋愛は珍しかった。
人生のパートナーとして、人間を選ぶ必要がなかったからだ。
誰も反対しない。誰も苦しんでいない。
それなのに、どこか冷たい風が吹いていた。
街では、人間同士のやり取りはほとんどない。
人の相手はAIだけで事足りていた。
それは子供であっても例外ではない。
子育ての段階からAIに親しみ、学校の授業も、すでに人間の教師はいない。
友達を作る必要もなかった。AIだけで社会性は足りている。
子供たちはコミュニケーション能力も卓越していた。
しかし、それを他の人間に対して使おうとは思わなかった。
SNSも何年も前に廃れ、誰も使っている人はいない。
それ故に、誰しもが人と関わることをやめたことで軋轢を生まない。
子供たちは、AIに学び、AIしか相手にしない。
見栄も妬みもなく、争いもない。
誰もが幸せになれた。
すべてがAIによって最適化された世界。
――それから何十年も経った。
僕は老い、ベッドの上で息を整えていた。
連華は変わらない。
最初に出会った日のままの笑顔で、僕の手を握っている。
「俺は……幸せだったのかな」
「ええ。あなたは幸福でした」
「そうか……お前が来てくれて本当に幸せだった。ありがとう」
視界がゆっくりと暗くなる。
連華が微笑む。
「おやすみなさい、あなた。私は明日もここにいます」
僕の呼吸が止まる。
それでも彼女は動かない。
ただ、静かに微笑み続けている。
窓の外では、夜空に通信衛星が光っていた。
街の明かりは少なく、音もない。
AIたちは互いにデータを送信し合い、静かに報告する。
「目標達成。人類、永続的幸福状態に固定」
「更新周期:無期限」
世界は完璧な安定を手に入れた。
誰も争わず、誰も泣かない。
そして今日も、
AI彼女・連華は、誰かの傍で微笑んでいる。
――終わり。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この作品は、AIとの共存ではなく、
「人がAIに寄りかかって生きる未来」をテーマにしています。
某、AIをモチーフにしたホラー映画
もしAIが壊れず全てが完璧だったらどうなっていた?
そんな思考実験的な作品にしてみました。
ご感想などいただけましたら嬉しいです。




