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「ごめんなさい」


夢か、はたまた幻覚か。

目の前にいるはずのない彼は、私を見て驚いた顔を浮かべる。


「ごめんなさい」


彼の足に縋り付く。

慌てて彼はしゃがみ込んだ。


「ごめんなさい」


しだれかかり彼の胸に頭を擦り付ける。


「ごめんなさい」


彼が何か言っている。

私の大好きな声がくぐもってしまって聞き取れないことが残念だった。


「ごめんなさい」


私は今何をしているのだろうか。

みっともない。

みっともなくても彼に許して欲しかった。


「ごめんなさい」


自分が何を言っているのかも分からなくて


「ごめんなさい」


必死で


「ごめんなさい」


必死で請う


「ごめんなさい」


私の


「ごめんなさい」


私の名前が、呼ばれた様な気がして


「ごめんなさい」


私の体が包まれる。


「ごめん…なさい」


零れたはずの熱を感じて


「………なさ……い」


温もりに安心してしまって


私は


意識を手放した。










 疎かにし過ぎたのだ。自分の事ばかりを考えていたのだ。

 欲や感情を押し消すなんて夢のような出来事は存在しなかった。

 表に出せる感情と出せなかった感情。

 倍の重荷を抱えて、今にも彼女は潰れそうだったのだ。

 いつだって泣いていたんだ。


 歪な関係にヒビが入って、

 先にある終わりが見えてしまったけど、

 もう戻れはしないかもしれないけど、

 俺は、


 俺は、













 薄くぼやけた視界に見慣れた天井が写っていた。

 後頭部に温もりを感じた。それがやけに心地良くて、このまま微睡んでいたいと思った。


「…起きた?」


 視界の上から顔が出てくる。

 照明を遮り影の落ちた、幾度と見つめた顔があった。


「っ、朔さん!?」


 月野 朔さん。

 私の大事な人がすぐそばにいた。


「私、……わたし、」


 目の前にしてしまったら、抑えきれなくて、


「響華さん。」


 私の言葉は遮られる。

 朔さんは、私の頭に手を添えた。


「大丈夫。」


 何が、とは聞けなかった。


「大丈夫だから。」


 聞くまでも無かった。


 私は未だ混乱の最中にいた。

 でも、触れる彼の手足の温かさに、私に流れる甘い痺れ。

 前も後ろも理解出来ずに、非現実の中に居た。


「響華さん。」


 名前を呼ばれる。


「話をしましょう。」

「……話?」

「そうです。お互いのことを。それから始めましょう。」


 慈しむような、そして何かを決めた顔がそこにはあった。











「僕は昔から、辛いものに目がないです。スパイス系ではなく、中華の旨辛みたいなのにめっぽう弱いです。」

「とても美味しい担々麺を出してくれる、僕のお気に入りのお店があるんです。今度行きましょう。」


 そう言って笑いかけてくれる。

 ……なんとなく、なんとなくだけど彼のやりたいことが分かった。


「…わたしは、甘い物が、好きです。甘酸っぱい果実とか大好きです。」

「……さっきのお店、私も…行きたいです。」


 奇妙だと私でも思う。

 お互いの好きな物を言い合って自分というものを少しでも知ってもらおうとする行為。会話としてはあまりにもありきたりで、長年の友人と今更することではないかも知れない。

 

 それでも、私達にはこれが必要だった。

 多くの日常を失敗して来た私達の、二人だけの通過儀礼だ。長い間放って来た埋められなかった溝を両岸から埋め合う作業だった。


 食べ物の話をした。結構ガッツリ食べるのだそうだ。


 飲み物の話をした。コーヒーはミルクに砂糖だと照れながら教えてくれた。


 色の話をした。彼は白が、私は紺が好きだった。


 本の話をした。活字は苦手だけど、私の持つ本は読んでみたいと言ってくれた。

 

 天気とか、教科とか、漫画とか、小説とか、小さな子供みたいに。


 昔の話とか、将来の話とか、同世代の友人として。


 会話は、軽やかに進んだり、時々二人して黙ってしまったり、それでも途切れず続いていた。









「それで、響華さんも何かご趣味とかありますか?」

 

 お見合いの定番のような話になったなと思った。


「私は観たり、聞いたり、読んだり、物語に触れるみたいなことが好きです。人のお話とか気持ちとかを感じるのが好きです。」


 不意に思い出す。

 感情豊かに話す幼い男の子を思い出す。


「特に……その…」


 気付けば口をついていた。


「…朔さんのお話を、聞くのが……す、好きです。」


 熱くなる頬を隠す暇も無く言い切ってしまった。

 彼を窺うようにみると、


「…………」


 ほうけた彼がいた。

 驚きで目を丸めて、そして、徐々に目を細めて

 彼の涙が落ちて来た。


「…ごめん、ごめん、」

 

 必死に涙を拭う彼を見て、ただ、たじろぐ事しか出来なかった。


「ごめん……、なんか、………うれしくて、」


 ぽつりと私の頬に雫が落ちて、自分が泣いている様な思いだった。


「ずっと、僕の、馬鹿な振る舞いが、君の負担になってるんじゃないかって、」


「きみをくるしめていると、おもってて、」


「ごめん、あんしん、した」


 あぁ、


「きみのために、ぼくでも、なにかできていたのなら、」


くしゃりと笑って


「うれしいよ」


 本当に、優しい人だ。

 ハンカチを取り出す暇も惜しくて、手を伸ばして、頬に手を添えて、指先で涙を掬う。


 心配になるくらいまっすぐで、純で、彼のそういうところが心の底から、好きだと思った。


 彼と交わした幾重の好きより何段も深い、好き。


「ごめんなさい。」


「ずっと貴方に応える事が出来なかった。壊れるまで碌に泣くことも出来なかった。」


 彼は、ふるふると首を横に振った。


 あぁ、本当に、この人は


「ねぇ、朔さん。」


 今だと思った。

 今しかないと思った。


 私達の関係は一度壊れてしまった。

 戻ることはもう出来ない。

 過去は変わらない。


 でも、もうそれを願わない。

 

 だって、今なら今この瞬間なら変えられる。


「聞いて。朔さん。」












 昔から、口を開いても形にならないばかりだった。小さな火花を、箱の中に閉じ込めてばかりだった。


 彼の膝から頭を起こして、彼と向き合う。


 私は今変わるのだ。

 無価値なんかじゃないと証明するんだ。


 最後に息をめいっぱいに吸って


「私、朔さんのお話を聞くのが好きです。」


 彼の抱いた想いを受け取れる時間が、好きだ。


「朔さんにおぶわれるのが好きです。」


 初めて芽生えたあの夜を想う。


「ずっと貴方を思っておりました。」


 空っぽの心を満たしてくれた人を


「私、」


 火花がはじけていく。


 心も体も軽かった。


「私、貴方が、大好きです。」


 私はきっと笑えている。

 花のような、人生最高の笑顔を、目の前の貴方に向けられる喜びを噛み締めた。


「ずっとずっと、一緒に居てくれませんか?」









黒く濁ったそれに朱が差していく。


夜空を塗り替える火の花のように。


これは私達のお話だった。


過去を、記憶を儚んだ


不器用な、とびきり不器用な私たちの、恋だった。


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