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僕には、許嫁がいる。
時代錯誤で古臭く思われるかもしれないが、そこまで強制的なものではない。
親同士が非常に仲が良かったために生まれたもので、相手の家が家だったためにこの形になってしまったらしい。
以前から知っていた、母の友人だという綺麗な女の人。
お淑やかでこれぞ日本の美人といった風貌なのに、なんだか底知れない圧を持った近寄りがたい方は、実は極道の妻だったと知り、驚愕と同時にすんなり腑に落ちたことを覚えている。
十の時にその人の勧めもあったそうで、この辺りに引っ越して来た。
そこから僕の極道の家との交流が始まった。
最近になって知ったが、父も組長と非常に古くからの知り合いで随分と勝手知ったる仲なのだとか。
その縁もあり、僕は彼女と知り合った。
たおやかな黒髪の、人形の様な女の子。
つまるところ僕の許嫁は、組のトップの大事な大事な一人娘であったということだ。
同い年の彼女との交流は、高校生となった今でも続いている。
新雪の様な肌に、烏の濡れ羽のごとき髪を持ち、作りものめいた顔立ちの美少女。
同年代の中でも一つ二つ飛び抜けた容姿を持つ彼女が、僕と、婚姻関係にある。
この僕と。
そう。
全く持って釣り合っていない。
月とスッポン
雲泥の差
提灯に釣鐘
平々凡々が服を着て歩いている様な僕とは、正しく天と地ほどの差がある。
僕はなんの長所も才能もない、むしろ馬鹿で鈍臭い奴だというのに。
それでも、家族ぐるみの付き合いを六年程積み上げて心の距離が縮まっていれば、男女の関係とまでは言わないもの気心の知れた友人として良い関係が築けていたのかも知れない。
幼馴染として良好な関係を持てたのかも知れない。
距離が縮まっていれば、の話だが。
僕は彼女と碌なコミュニケーションが取れない。
ほとんど会話は一方的で、返答が返ってくれば今日は良いことがあるのかも知れないと思ってしまう。
もはや運試しの領域だった。
彼女はとても感情表現が苦手な女の子だ。
内に抱えた感情を上手にアウトプットすることが出来ない。
欲も要望も、内に秘めて消し切ってしまう。
会話という会話もあまり出来ないせいか、彼女の声を聞いただけで、なんだか嬉しくなってしまう自分がいた。
昔はもっと酷かった。
反応が絶無だったため、その容姿も相まって本当に人形と一人遊びしているのかと勘違いしそうだった。
どうしてそんなにも関わり続けるのか?と思われるのかも知れない。
親の知り合いで家族ぐるみの付き合いだから、というのもある。
彼女の容姿が非常に優れているから、ということもある。
でも、それだけじゃなくて
極めて個人的な理由があった。
独りよがりな感情からだった。
四年前の夏祭りの夜。
ケガをした彼女を送り届けた後
「…ありがとう」
と、照れるようにはにかんだ、これまでで、これからも、一番綺麗に咲く笑顔。
その瞬間が時をもってしても色褪せず、鮮烈に刻み込まれていて。
どうしようもなく僕は、あの瞬間を引きずり続けている。
だから、関わり続けた。
彼女を楽しませようと笑顔にしようと、精一杯戯けてふざけて笑って見せた。
一つの色しか見せれない彼女の様々な色が見たかった。
どれもきっと、素敵だろうから。
それなのに、なのに。
彼女が僕と一定の距離を保ち続けているのに気づいたのはいつだったろうか。
彼女が思い詰めたような表情を、よく見せるようになったのはいつからだっただろうか。
高校に入ってから、それはとても顕著になっていた。
感情の起伏の小さい彼女のそんな表情を見るたびに、それが彼女でも消しきれない程のものかと、耐え難い程、不安になった。
思えば僕は、もう碌に彼女の笑顔を見れてはいない。
六年も一緒に居て、彼女を理解できただろうか。
もっと僕に、できる事があったんだろうか。
何も出来ずそれどころか。
反応が無いのを良い事に、彼女を自分を満たす道具にしていたのではないか。
独りよがりな思いを彼女に押し付けて、程のいい人形扱い。
不安ばかりが募っていく。
何が笑顔になって欲しいだ。
追い詰めている、だけじゃないか。
無自覚が、一層醜悪だった。
僕たちはこの春から高校二年生になる。
受験生となる来年を思えば、青春を謳歌出来る最後の年になるかも知れない。
その容姿からか、立ち振る舞いからかクラスでも非常に人気で魅力的な彼女を、僕なんかが縛り付けていてもいいのだろうか。
答えは自明だった。
僕は婚約を解消しようと思った。
結局のところ、僕は、彼女を独占したかったのだろう。
こんなにも綺麗なものはないと思って、箱に入れてしまい込んでしまいたかったのだ。
浅ましい男だ。
負担で、重石で、足枷で。
そんな僕に不満を一つも漏らさなかった彼女に対して、ただただ申し訳なくて
「今までごめん」
「僕じゃ君を幸せには出来ない」
「僕の方から許嫁を破棄して貰うから」
愚かでごめんなさい。
力不足だった僕を許して下さい。
そんな言い訳紛いな事だけは言ってはいけないと思った。
最後にこれだけは口にするのを許して欲しくて
「今までありがとう」
言葉と一緒に、想いとか血とかが、こぼれ出ていくようだった。
彼女は
『分かりました』
彼女は
『今まで、とても、大変、ありがとうございました。』
目すら合わせてくれなくて。
それは自分がしでかして来たことの大きさを、突きつけられているようで。
早足で歩いていく彼女を追う力は、もう無かった。
時間の流れが速いような、遅いような、不思議な感覚だった。
一分か、それとも一時間か、彼女が消えていった方向に目を向けたまま立ち尽くしていた。
「これからも友達でいよう」とか、
「幼馴染として今後も仲良くしていこう」とか、
そんなことを言えば良かったなと、
つまらない後悔だけが浮かんできて。
涙すら流れずに
ただ終わりから目を背けていた。