産廃屋のおっさん、後輩に人生を教える
産廃屋のおっさんシリーズ短編2作目です。
さて、今回の内容は、前回の短編の、さらに一か月ほど前の出来事です。
本編よりも、ユージが格好いいので、少し違和感があるかもしれませんが、ご一読頂けると幸いです!
そよ風が、若葉の匂いを運んできた。
五月の朝は、まるでまっさらな空気が街を洗っているようで爽快だ。
すっかりくたびれたおっさんとなってしまったが、そんな俺でも自然とやる気が出て来る。
工場の前の通りの並木は陽光に透けて、緑がきらめいていた。
休憩用のベンチに腰掛けたユージは、自販機で買ったコーヒーの湯気越しに、道行く人を眺めていた。
一年で一番いい季節だな。
始業時間前のひと時を過ごしていたユージの方に向かって、走って来る若い男がいた。
「ユージさん、今月ピンチなんです!
給料出たらすぐに返すんで、少し金貸して貰えませんか?」
後輩のシゲルだ。
折角の気持ちのいい朝が台無しだ。
彼は、人のいい、まあぁかわいい奴なのだが、いろいろと残念なことが多い。
だいたい、決まって給料日前になると、揉み手をしながら俺に金の無心をして来る。
使い道はわかっている。
休み前にキャバクラに行って、いい恰好をしたいのだ。
「いいけどさ、お前毎月同じこと言ってないか?
金ってのはさ、もうちょっと計画的に使わないと、いつか痛い目を見るぞ、ほれ、持ってけ。」
そう言いながら、俺は財布を取りだして、2万円を貸してやった。
良く、知り合いに金を貸す時には、戻って来ないものと思えと言われるが、これは、金の貸し借りはトラブルの元となるので、あげるつもりで金を貸した方が無難だぞという意味だと思っている。
シゲルに貸した金が戻ってこなかったことは無いが、こう頻繁だと金よりもこいつのことが心配になる。
ちなみに、借金には、支出の平準化効果がある。
サラリーマンは、給料とボーナスという、ほぼ定額の収入で日々を暮らしている。
ただし、家を買うとか、車を買うとか、時折多額の出費が必要となることがある。
もちろん、そういう買い物は、お金を貯めてからすればいいと思うかもしれないが、そうなると金が貯まるまではマイホームに住むことも、車に乗ることもできない。
そういう時に借金をして、家に住んで車に乗りながら、給料の中から一定額の返済を続けるのだ。
これによって、一時的な多額な出費を、長期の少額の返済に置き換え、支出を平準化することができるという訳だ。
そして、金利はそのための手数料と考えればいい。
ただ、あくまで平準化であって、ゼロサムだ。
ゼロサムとは、足したら同じという意味で、借金をしても金が増える訳ではない。
借金した金で投資をして稼げば金は増えるが、失敗した時には悲惨な運命が待っている。
したがって、返済までの期間で所得を上回る支出をすると、借金が膨れ上がって生活が破綻する。
俺が心配しているのはそこだ。
そんな心配をしながらも、なんで俺が気前よくこの赤の他人に金を貸してやっているかと言うと、こいつはもし俺が貸さなかったら、間違いなく消費者金融やクレジットカードのキャッシングに手を出すとわかっているからだ。
俺は、前職の関係で、そのあたりの事情は良く知っている。
勘違いされがちだが、世の中に、産まれながらの多重債務者なんてのはいないのだ。
まあ、親が多重債務で苦しむ家庭の子供はいるのかもしれないが、ちょっとそれは別問題だ。
人が、多重債務に陥るきっかけは、カードを差し込む方向を間違ったとか、電車賃が足りなくなったとかで、少額の借り入れをしてしまったくらいの、ちょっとしたことだ。
そして、翌月の返済が思ったより厳しくないことを知って癖になることが多い。
1万円を金利18%で1か月借りて、翌月に返済したら利息はたったの150円。
なんだ大したこと無いなと思って頻繁に使いだすと、気が付いたら借金まみれになっているという寸法だ。
クレジットカードのリボ払いだって、同じことだ。
枠内であれば、大きな買い物をしても、返済額は少なくて済む。
例えば、100万円を使って、月々の返済を3万円程度にした場合、返済が終わるまでに5年以上かかって、50万円ほどの利息を負担しなければならない。
3万円のサブスクで100万円の買い物が出来ると嬉しくなるが、リボ払いと言っても、結局ただの高金利の借り入れに過ぎない。
返済が終わる前に新たな買い物をして、そのうち返済が膨らんできて、他の金融機関から借り入れたお金で返済を続ける。
立派な多重債務者の出来上がりだ。
ちなみに、一昔前、レオタードを着た若いお姉さんが、セクシーなダンスを踊っているだけの消費者金融のCMが頻繁に流れていたが、あれは視聴者に風俗を想起させて、金が足りないなら我が社で借りて楽しんでいらっしゃいというメッセージだったらしい。
その時代、我が世の春を謳歌していたその会社も、過払い金問題で潰れてしまった。
「シゲルさ、キャバクラ通いもいい加減にしろよ!
無駄金は使うし、結婚できなくなるぞ!」
「いや、だってさ。キャバクラの女の子は優しいんだよ!
俺、今まで女の子にモテたことなかったんだけどさ、キャバクラ行くと、俺だってちゃんとモテるんだよ。
俺がお店に行くのを待っててくれてるんだよ!
なんか、自信が湧いて来て、また明日も仕事頑張ろうって気になるんだよね。」
「そうか。でも、ほどほどにな。」
明日への活力になるのなら、キャバクラにも存在意義があるのかもしれない。
そもそも、キャバ嬢には苦労人も多い。
自分でお金を稼いで大学や専門学校に通っている子や、甲斐性の無い亭主の給料では不足する家計を助けている子なんかも普通にいる。
比較的自由にシフトが組め、短時間で稼げる。
時給は、ある程度慣れると、5000円などもザラであり、指名やドリンク、同伴などでプラスアルファの追加報酬ももらえる。
しかも、体を売る訳では無いので、罪悪感が少なく、取っつきやすい。
しかし、風俗は風俗。
真っ当な職業とは言い難い。
つまりは、そういうことだ。
職業に貴賤なしと言うが、俺は風俗や暴力団などは例外だと思っている。
ただ、いつの時代もどこの国でも、風俗の火が消えることはないので、少なくない需要はあるのだろう。
まあ、人類の必要悪といったところか。
「実は俺もさ、一時期結構、夜のお店に通ったことがあるんだけどな。」
「なんだユージさんも好きなんですか?じゃあ、俺の馴染みのお店、今度一緒に行きますか?」
俺は苦笑いしながら言った。
「ばーか、若いころの話さ。
俺はもう、そういう店は卒業したんだよ。
それに、お前と一緒に行ったら、払いは全部俺持ちにされるだろうが!」
たまには後輩にごちそうしてあげるのはいいが、せめて居酒屋にして欲しい。
俺だって、薄給で暮らしてるんだ。そんなに余裕は無い。
「それより今度、受付の女の子誘って、居酒屋に行こう。俺のおごりだ。
シゲルも、普通の女の子との付き合いを覚えた方が絶対いいぞ。
次の金曜日なんてどうだ?」
「マジっすか!あざっす!
じゃあ、声掛とくっス!
ユージさんが誘ったら、ヨーコちゃんたち、絶対来ますよ!」
「ははっ。俺は人畜無害のおじさんだからな。」
「ユージさん、ホントわかってないっすねぇ」
何故か訳知り顔で言ったシゲルに、俺は言った。
「さっきの金返すか?」
「いやいやいや、何にも無いっス!じゃ、また連絡します!」
そう言って、来た時と同じように、走り去って行った。
「忙しい奴だな。」
そう言いながら、俺は昔を思い出していた。
若い頃、馬車馬のように働いていた俺は、終電で帰れない時間まで残業することが多かった。
もちろん、タクシー代なんか請求出来ない。
そんなことしたら、仕事の効率を上げて電車で帰れと言われるのがオチだ。
朝から晩までクタクタになって働いて、ラーメン食べて自腹でタクシーで帰ってシャワーを浴びて寝るのは侘しい。
せめて、少しの華やぎや安らぎが欲しいが、堅気の女性を、こんな時間から誘う訳にもいかない。
仕方なく、厳に一時間だけと自分に言い聞かせながら、会社の近くのキャバクラに足を運んだものだ。
結局、2時3時になってしまって、ネットカフェで仮眠をしながら始発を待つのもお約束だった。
月に一度だったのが、二度になり、毎週になり、気が付けば、どっぷりハマっていた。
ある時、睡眠不足と過度な飲酒でボロボロになった自分の体と、見る間に減っていった銀行の口座残高を見て、俺は悪癖を絶った。
まあ、昔の話だ。
シゲルが声を掛けると、彼女たちは、二つ返事でオッケーしてくれた。
「ユージさんにご馳走してもらえるなんて、嬉しいです!」
受付のヨーコちゃんが、先輩女性と一緒に社交辞令を言ってくれる。
「アニキ!ありがとう!」
ホントこいつは現金な奴だ。
「誰がアニキだ!こんな時だけ調子いいんだな!まあ、いつものことだがな。」
「そりゃ無いぜ!」
イジられたシゲルを見て、皆が楽しそうに笑う。
笑っている仲間を見て、シゲルも少し遅れて笑い出す。
仕事帰りに最寄り駅の居酒屋に集合して、とりあえずビールで乾杯する。
女性陣は、ちょっと甘めの酎ハイだ。
「あの経理のおばさんさ、ホント面倒くさいんですよ!
俺がちょっと書類書き間違えたからって、目くじら立ててみんなの前で大声で指摘するんですよ!
俺だってわざとやってる訳じゃないから、まわりに聞こえないように優しく教えてくれたっていいじゃないですか!」
職場の連中との飲み会は、上司の悪口とか事務方への不満とかが定番だ。
何気ない会話だが、結構盛り上がる。
しかし、気持ちのいい時間だ。
駅前の大衆居酒屋で、冷奴に枝豆、焼き鳥なんかをつまみながら、皆で笑ってビールを飲む。
高級懐石や、フレンチのフルコースを、取引席のVIPの顔色を見ながら食べるよりも、こっちの方がよっぽどいい。
気の置けない仲間と笑いながら飲み食いすると、安酒と素朴な料理が、とんでもなく美味く感じるから不思議だ。
しかも、コスパがいい。
女性陣はあまり飲まないので、4人で行っても、一人4000円、合計1万6000円だ。
シゲルの馴染みの店の、一人分の値段だ。
夜9時を過ぎた頃、俺は、全員分の払いを済ませてから、店を出た。
「ご馳走様でした!」
「申し訳ないので、少しお支払いさせてください。」
女性陣二人だ。
少し負担したいと言うヨーコちゃんは、礼儀正しい良い子だ。
「いや、約束通り、ここは俺が払うよ。こう見えても、年取ってる分それなりに余裕はあるんだ。
シゲルに金を貸してやるくらいにはな。」
「じゃ、ユージさん、俺はこの後行くところがあるから、お先です!」
シゲルは、俺のイヤミを聞こえないフリをして、繁華街に向かって軽やかに走って行った。
俺が貸してやった金を握りしめて、いつものお店に行ったのだろう。
ホント、わかりやすい奴だ。
ヨーコちゃんの同僚の女性も、
「私、少し用事があるので、これで失礼します!」
と言って、ヨーコちゃんに目配せしてから去って行った。
残された俺とヨーコちゃんだったが、彼女から先に口を開いた。
「ユージさん、まだ少しお時間ありますか?」
「えっ、まあ特に用事は無いから暇だけど、どうした?」
「ちょっとユージさんにご相談したいことがあって、もし良かったらもう一軒行きませんか?
今度は私がご馳走します!」
少し驚いたが、まだ時間には余裕がある。
特に用事も無いし、ヨーコちゃんがすっかり乗り気になってるので断るのも何だし、まあ、いいか。
そう思った俺だったが、念のため聞いてみた。
「一応俺も男だから、二人で飲んだら彼氏に怒られないか?」
「いえいえ、彼氏なんていませんよ!寂しい独り身です!」
「あはは、なんだそれじゃ俺と一緒か!
そうは見えないけどな。
でもまあ、だったら1時間だけな。
ただ、さすがに20歳も年下の女性からご馳走してもらうわけにはいかないぞ!男の沽券にかかわる。」
ヨーコちゃんは、パッと嬉しそうに笑顔を浮かべて言った。
「はい!では早速行きましょう!
私、ちょっといいお店知ってるんです!この近くだから、ご案内しますね!
あっ、ちょっと待ってください。今、電話してみますね。」
そう言って、ヨーコちゃんは席が空いているのを確認してから歩き出した。
「今から行くお店は、カウンターだけのこじんまりとしたお店ですけど、マスターが作ってくれるカクテルが美味しいんですよ!」
何故か、妙に楽しそうだ。
店に着いた二人は、空いていた奥のカウンターに並んで腰掛けた。
少し酔ったヨーコちゃんは、いつもより饒舌に話していた。
「ユージさんって、どうしていつもそんなに一人でいるんですか?
職場の人たちとも、打ち解けて話してるのはシゲルさんだけだし、まあシゲルさんは打ち解けてるって言うか、一方的にユージさんに懐いてるって言うか、難しいところですけどね。」
俺は苦笑いしながら言った。
「別にまわりの連中を避けてる訳じゃないぞ。
でも、なんとなく、まわりからは話し掛けにくいって思われてるかもしれないな。
そうだな。仕事の確認以外で俺から話し掛ける話題も無いし、向こうもあんまり話し掛けて来ないから、結果的に一人が多いって言う感じかな。
俺は別に一人が好きな訳でも嫌いな訳でもないんだけどな。」
「でも、ユージさんって、年のわりに若いじゃないですか?
どことなく哀愁が漂ってて色気があるって、女の子の間では噂になってますよ!
みんな、ユージさんに彼女がいるかどうか、興味津々です。
私も興味あるので、聞いちゃってもいいですか?」
きっと、酔った勢いの与太話なんだろう。
俺は、まあ適当に答えた。
「彼女なんて、いる訳無いじゃないか。
と言うか、前の嫁さんに愛想つかされて離婚届置いて出ていかれてから、女の子と二人っきりで飲むすら初めてだよ。
普段は、スーパーの総菜買って、寂しい一人酒さ、情けないけどな、ははっ。」
「そんな、情けなくなんかありません!
少なくとも、女の子のいる店に鼻の下伸ばして通ってるシゲルさんなんかより、よっぽど好感が持てます!」
なんとなくむきになってる感じで、ヨーコちゃんが言った。
なんか少し、距離が近い。
枯れてるとはいえ、俺だって男だ。
こんな距離感で話をされると、誤解しそうになる。
俺は、少し距離を取ってから言った。
「俺なんかより、ヨーコちゃんの方がよっぽど好感度高いし、きっと男性陣は多かれ少なかれ、君に興味を持ってると思うぞ。
君こそ、誰かいい人いるんじゃないのか?」
俺は、軽い気持ちでそう言った。
本当にそう思ったんだ。
「なんでそんなこと言うんですか?」
ヨーコちゃんは、急に顔を曇らせて、冷たい口調でそう言った。
「えっ?いや、君ほどの美人で、しかも性格までいい子を、まわりは放っておかないだろ?」
少し焦りながら、俺は言った。
もしかして、見た目によらず、絡み酒なのか?
そう言った俺を、じっと見つめながら、頬を染めながら言った。
「だったら、ユージさんが私を口説いてください。それとも、私じゃダメ…ですか?」
「おいおい、何を言ってるんだ。
俺みたいなバツイチの中年に口説かれて嬉しい若い子なんて、いる訳ないだろ?
少し酔ったのかな?」
「バツイチだろうと、年が離れていようと、私はそんなこと構いません。
もし、ユージさんさえ…」
そう言った彼女の話を遮って、俺は言った。
「マスター!お勘定を頼みます!
それと、冷たい水をもらえますか?
どうも、連れの彼女が酔っぱらっちゃったみたいなので。」
タキシードを着こなした、初老のマスターは、にっこりと微笑みながら言った。
「かしこまりました。お客様、タクシーをお呼びしましょうか?」
「ああ、頼む。」
見ると、彼女は軽く寝息をたてていた。
俺は、勘定を済ませてから、すぐに到着したタクシーに、彼女を乗せて見送った。
翌朝、いつものように工場のベンチでコーヒーを飲んでいた俺のそばに、ヨーコちゃんがやって来た。
「おはよう。」
昨夜のことには、触れないでいた方がいいだろうと思って軽く挨拶だけしたところ、彼女は、少し考えてから、
「おはようございます。昨日はご馳走様でした。楽しかったです。
でも、ユージさんって意気地無しなんですね。」
そう言って、足早に事務所に向かって行ってしまった。
俺は、呆然として去り行く彼女の背中を眺めていた。
そんな俺の髪を、春の爽やかな風が揺らした。
俺が異世界に召喚されたのは、それから一か月もたたない、初夏の暑い日のことだった。
鈍感なユージに対して、距離をつめるヨーコちゃんと、マイペースなシゲルくんのお話でした。
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