自分の感性を信じる。自分の感性を拡げる。それをやるだけで日が暮れる。だからポジティブに明日を待つだけ。
皆様今晩は! シサマという者です。
ご存知の方はご存知だと思いますが、私シサマはここ、『小説家になろう』サイトで小説を書いています。
100万文字超の長編から1000文字未満の短編まで、現時点で合計27作品。
エッセイや詩の作品の方が多いとはいえ、まあ飽きもせずにそれなりの数を残しているといって良いでしょう。
そんな私の小説のジャンルは多岐にわたりますが、自分の作品をひと言で表すなら『ライトノベル』となります。
作品によっては、やや文章が堅苦しく感じる方もいるかも知れません。
それでも私の作品は、『ライトノベル』という枠組みからは一歩も出ていません。
それもそのはず。
私は一応、大学の国文学科を卒業してはいるものの、文学作品の大半は学生時代に読んだもので、社会人になってから読んだ純文学の作家は数名のみ。
しかも、その殆どは私が学生時代にファンになった作家を深掘りするだけでした。
一方、ライトノベルを沢山読んでいたかと言われると、こちらもそれ程ではありません。
私はとある作家の作品は読み漁りましたが、それ以外の作家のライトノベル作品の大半は、途中で読む気を失くしてしまったのです。
以来、私の読書はノンフィクションものや実用書が多く、私が書いた小説に直接的な影響を与えた作家は、両手で数えられる程度しかいません。
では、私の作品が『ライトノベル』であると断言する程に影響を受けた作家とは、一体誰なのでしょうか?
それは、当時はSF作家として知られていた『高千穂遙』さんです。
高千穂遙さんは、現在のライトノベルの原点ともいえる『クラッシャージョウ』、『ダーティペア』シリーズでお馴染みの作家。
特に『ダーティペア』シリーズは、19歳のヒロインである『ケイ』の一人称で物語が綴られており、その言葉遣いとテンポの良さから考察しても、ライトノベルの基本形を1970年代末に提示していたと言わざるを得ません。
私が『クラッシャージョウ』や『ダーティペア』を読み始めたのは小学校5年生の時で、2年ほど前に公開されたアニメ映画『クラッシャージョウ』の面白さや、中学生だった兄の影響を受けた事がきっかけでした。
ただ、当時小学生の私は、読めない漢字や意味の分からないシーンは勝手な想像力で補っていましたし、それがより深い興奮を呼んでいたのです。
ですから、「ライトノベルは子どもにも理解出来る様に書け」という現在の風潮には、正直反対したいですね(笑)。
小説を書く立場でありながら、私にとっての文学は「教養」や「人生の道標」ではなく、「自分の感性を信じるための道具」になってしまいました。
そして、文学よりもノンフィクションや実用書に関心が移ってしまったのは、「自分の感性を拡げようとした結果」の行動といえます。
私の小説が余り評価を得られていない現実は、サイトの主流であるテーマや題材を避けているからではなく、文学やライトノベルそのものへの「愛情の希薄さ」の様なものを見抜かれているからなのでしょうね。
では、そこまで考察している私は何故、『小説家になろう』サイトで小説を書き続けているのでしょうか?
これは何より、「書きたい物語がある」という理由が一番なのですが、私が信じる「自分の感性」というものを根付かせ、静かに拡げていきたいと願っているからでもあるのです。
高千穂遙さんの『クラッシャージョウ』シリーズと『ダーティペア』シリーズの文庫本は、初めて世に出てから既に45年の歳月が経過していますが、一度も絶版になる事なく、全巻が2024年現在、新品で購入出来ます。
これは勿論、往年のファンが表紙のイラストが変わる度に買い足している可能性もありますが、新しい世代の読者を開拓していなければ不可能な快挙でしょう。
つまり、この作品に魅せられている私の感性は、少々マニアックではあるかも知れませんが、ライトノベル読者として、決して異常なものではないという確信があるのです。
……さて、驚異的なロングセラーである高千穂遙さんの著作の話をしましたが、『小説家になろう』サイトから世に出た作品群も、かなりの歳月を生き延びているものが沢山ありますよね。
『なろう系』という、どちらかと言うとネガティブな印象を与える言葉が独り歩きしてしまいましたが、数十巻に及ぶ単行本の第1巻が新品で購入出来る作品は、個人の好き嫌いを超越して歴史に名を残しました。
また、長寿作品の最近の更新に目を通すと、確かに文章力に向上が窺えており、時折キャラクターへの恩返しの様な、大らかな愛情を感じさせる描写を見つける事が出来るのです。
私の様な人間に言われたくないかも知れませんが、長期に渡って連載される人気作品を手掛ける作家さんも自分の感性を信じ、自分の感性を拡げているのではないかと思います。
そして、例えどんな立場にあったとしても、人はそれをやっているだけで日が暮れてしまうため、ポジティブに明日を待つしかない。
その境地は、作家以外の仕事や家庭生活に於いても幸せなゴールへの迷いをなくす一本道であると、私は考えたいですね。