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076 愛のために死んでdear friends

 



 ドロセアと手をつなぎ、屋敷に入るリージェ。


 懐かしさと寂しさが同居する複雑な感情を胸に抱き、時に顔を見合わせて微笑みあう。


 まだ足りない。


 だが、前より随分と状況は良くなった――それは間違いない。


 シセリーとは途中で別れ、マヴェリカに案内された部屋に入る。


 屋敷自体が木造の古めかしい作りなので、その部屋の壁や床、置かれた家具の類も時代を感じさせるものばかりだ。


 だが他の場所と決定的に異なる部分がある。


 それは床に、マヴェリカの血で描かれた魔法陣が刻まれていることだった。


 この一点だけで、急激に室内が魔女の怪しい研究室の雰囲気を帯びる。


 何も起きるはずがないのだが、何となく恐る恐る部屋に入るリージェ。


 すると室内にいた女性が、彼女に声をかけた。




「お久しぶりでございます」


「イナギさん!?」




 簒奪者が蘇ったことは知っている。


 だが敵対していた彼女までここにいるとは――リージェは歩み寄ってきた彼女の腕に触れ、ふにふにと揉んだ。




「本物なんですね……」


「ふふ、面白い触り方をするのでございますね」


「あっ、ごめんなさい!」


「構いませんよ、わたくし自身も蘇ったときは驚いたものでございますから」




 イナギは笑って流したが、リージェの隣にいるドロセアや、彼女の横にひっついているアンターテから嫉妬の視線を感じる。




「イナギは無防備すぎ、他人に勝手に触らせるなんて」


「なぜ膨れているのでございますか?」


「知らない」




 女心のわからないイナギに、頬を膨らまし、ふいっと顔をそらすアンターテ。


 不機嫌さをあらわにしつつも、彼女の腕からは離れようとしなかった。




「ふふ……あんな悲しいお別れで終わるのは嫌でしたから、生きててよかったです。アンターテさんともうまくいってるみたいですし」




 二人のやり取りに、思わず微笑んでしまうリージェ。


 するとアンターテの頬が恥ずかしさにぽっと赤くなる。




「別にそこまでは」


「ええ、非常にうまく行っております」


「むぅ……」




 イナギに照れ隠しすらも封じられるアンターテだったが、まんざらでもなさそうだ。




「リージェさんも、さっそく仲良くしているようでございますね」


「はい、ドロセアさんが大切な人ってことは、会った瞬間にわかりましたから」


「ドロセアさん……でございますか」


「呼び方に違和感ある」


「そうなんですよね、わたしも何となく違う呼び方をしてた気がするんですが」




 クロドを“お兄ちゃん”と呼んでいた記憶があることから逆算すると、答えは見つかる。


 だが、幼馴染として、本当の姉妹のように過ごしてきた記憶が戻らなければ、呼び方だけを戻したところで意味はないのだ。


 どちらにせよ、違和感は残ってしまうのだから。




「思い出そうとしたって無駄さ、忘れてるわけじゃない。“消えて”るんだからね」




 マヴェリカの言葉は冷たく感じられるが、だがそれは紛れもない事実だった。




「それでも無気力だったドロセアを動かすことはできたんだ、それを喜ぼうじゃないか」


「どういう理屈でそうなったんだか、私には理解できないわね」




 ぬるりと部屋に入り、会話に参加したのはエレインだった。


 だがその時点で、リージェにはまだ彼女が誰かはわかっていない。




「私は最初から会わせた方がいいって言ってたがね。愛情ってのは計算で測れないものなのさ」


「はいはい、私が悪かったわ」




 その会話を聞いて、声でようやくそれがエレインかもしれない――と気づく。




「まさか……あなたがエレインなんですか?」


「私は私よ、今も以前も」


「そういうこと言ってるんじゃないだろ。あの内臓丸見せの裸より恥ずかしい姿と一致しないんだろうさ」


「もう少し言い方ってものがあると思うけど」


「いやあの姿は無い」


「……」




 全否定されて、傷ついているように見えるのはリージェの気の所為ではないだろう。




「また痴話喧嘩してる」


「仲がいい証拠でございます」




 アンターテのお小言に続いて、イナギは皮肉たっぷりにそう言った。


 リージェはまったく状況を飲み込めなかったが、とにかく目の前の女性はエレインで間違いないらしい。




「他の簒奪者と同じように蘇ったんですね」


「ええ、人間同士の潰し合いで死ぬなんて馬鹿みたいだもの。人の体でははじめまして、だったわね。どうする、一発ぐらい殴っておく?」




 エレインは挑発するように、不敵な笑みを浮かべながらそう言った。


 リージェは少し考え込んだあと、こう答える。




「ふふっ、必要ありません。勝ったのはわたしたちですから」




 いつかマヴェリカが言っていた、『エレインが悪者ぶっていたら笑ってやれ』と。


 その教えどおりに笑うと、エレインの口元が一瞬ひくつく。




「面食らってるな」




 ニヤニヤしたマヴェリカがそう指摘すると、エレインは表情を作り直し、余裕を装った。




「何のことだか。それよりこの前あなたが話してたこと、試すんでしょう」


「逃げたな」


「あんまりしつこいと本気で怒るわよ」


「わかったよ、準備する」




 マヴェリカが動き出すと、イナギが言った。




「さっそくリージェを実験に使うのでございますか」


「実験!?」


「安心しなリージェ、大した話じゃない。現状、ドロセアは見ただけで様々な魔術を模倣し、取り込む状態だ。だが守護者だけはどうしても模倣できなかった」


「わたしでも使えるようになったのに」




 そう語るアンターテの腕に、青い鎧が薄っすらと浮かび上がった。


 どうやら彼女も、守護者を身につけた簒奪者のうちの一人らしい。


 ここにいるということは、裂け目を塞ぐ能力は持っていないのだろう。




「そもそも守護者ってのは、人間の持つ防衛本能を具現化したものだ。存在質を食われたドロセアは“自己”の大半を失ってる、当然それを守ろうとする本能も欠けちまってるんだ」


「どうやったら補えるんですか?」




 リージェの疑問にエレインが答える。




「単純な話よ、リージェが近くにいればいい。私たちの記憶にあるクロドをドロセアに置き換えれば答えは見えるはずだわ」


「確かに……ドロセアさんは、わたしのために平然と命を賭けるから……」


「存在質を失う前の時点で、防衛本能は自分ではなく、リージェの方に向いてたんだろうな」




 ゆえに守護者エデンの完成には、リージェが必要だった。


 もっとも、リージェの方もドロセアがいて初めて“自分が完成する”と思っていた節はあるが。


 息ぴったりに解説するマヴェリカとエレインを見て、イナギとアンターテが口を開く。




「二人きりで部屋にこもっていると思ったら、そのようなことを話していたのでございますね」


「もっといかがわしいことしてるのかと思ってた」




 アンターテの遠慮ない物言いに、気まずそうな顔を見せるエレイン。




「するわけないじゃない」


「でもガアムがショック受けてたよ。部屋の隅で膝抱えてた」


「ははは、しょうもないやつだな本当に。可能性が無いことぐらいもうわかっただろうに」


「マヴェリカ」




 エレインも、ガアムになびく可能性が無いことをはっきり伝えることが優しさだ、とは思っている。


 一方で尽くしてくれた彼をあまり冷たくあしらうのはよくない、という思いもあった。




「半端に期待させる方が残酷だろう、その気もないってんなら」




 そう、それがマヴェリカが言っていた、エレインの中途半端な優しさなのだ。


 時にそれは救いとなるが、時に他者を傷つけることもある。


 エレインは目を伏せ、考え込む。


 そんな二人を前に、リージェは戸惑っていた。




「えっとぉ……結局、わたしはどうしたらいいんですか?」


「適当にドロセアとスキンシップを取ってくれたらいいよ」


「ス、スキンシップですか!?」




 大げさにのけぞるリージェ。


 そんな彼女をマヴェリカはニヤニヤとした表情でからかう。




「何を想像したんだか、普通に触れあえばいいんだよ」


「あ……そ、そうですよねー……あはは」




 リージェは誤魔化すように笑った。


 アンターテは無表情につぶやく。




「みんな脳みそピンク色」


「まともなのはわたくしたちぐらいでございますね」




 彼女はそう断言するイナギを、ジト目でじっと見つめた。




「何でございますか、アンターテ」




 すっとぼけるイナギ。




「いや、なんでもない」




 鈍いのか、はたまたわかった上でモラトリアムを満喫しているのか。


 アンターテはそれを判断できず、悶々とするのだった。




 ◇◇◇




 その頃、屋敷の別室では簒奪者たちが集まって訓練を続けていた。


 と言っても全員がここにいるわけではなく、外での精神修行や、別室で一人になりたがっている者もいる。


 カルマーロもそのうちの一人だ。


 現在、この部屋にいるのはヴェルゼンとガアム。


 シセリーもミダスと共にここを使うことが多いが、ミダスは現在裂け目を封じるために出払っており、またシセリーも守護者を習得済みのため、ドロセアの面倒を見ることが多かった。


 一方でヴェルゼンは習得間近まで練度を上げており、ガアムは一歩遅れているという状況だ。


 しかし差があるとはいえ、簒奪者全員が守護者を身につけるのには三日もあれば十分だろう。


 それに最も近い場所にいるであろうヴェルゼンは部屋の中央で胡座をかき、目を閉じ瞑想を行っていた。


 そんな彼はシセリーの気配を感じ取ると、そちらに視線を向ける。




「ドロセアがおらんようだが、戻ってきてよかったのか」


「ヴェルゼン、私はそんなヘマしないわ。連れ帰ってきたけどマヴェリカの方に持っていかれたのよ、エレインもあっちにいるわ」


「ふむ、シセリーが献身的に面倒を見ていたというの、あちらに付いてしまうのか」


「仕方ねえだろ、元々俺らとは殺し合ってたんだからな」


「それに私たちの魔術はほぼ全部コピーされちゃったもの、飽きられたのかもね」




 シセリーは冗談っぽくそう言うと、壁際に置かれた椅子に腰掛け窓の外に視線を向ける。


 ヴェルゼンは、彼女に目もくれず、指一本で腕立て伏せを行うガアムに声をかけた。




「ドロセアはどうでもよいが、エレイン様を奪われたのは不服……ガアムの顔はそう言っておるな」


「勝手に妄想すんなジジイ」


「エレインごとあっちに行ってたほうがガアムも集中できるんじゃない」


「そういうお前はどうなんだ、ミダスがいなくて寂しいんだろうが」


「たまに距離を置いて、再会したときの熱を楽しむのも悪くないわよ」


「わっかんねぇ……」


「恋が成就したらあなたもわかるわ」


「殺すぞ」


「ふふ、そんなに悲観しなくてもいいのに」




 シセリーが見つめる景色の遥か彼方には、現在ミダスが滞在している村がある。


 突如として空間に裂け目が発生し、そこから現れた腕が数名を引き裂いた。


 これは王都で起きた事件と同じ現象ではないか――そんな噂話が近隣の村に届いたのを受け、エレインが向かわせたのだ。


 彼女はシセリーも同行することを勧めたが、ミダスの方から断った。


 シセリーは守護者こそ使えるものの、裂け目を塞ぐ手段を持っていないし、できるだけ戦力を分散させたくないとの考えからだった。




「ねえねえ、ところでガアム」


「んだよ、隣に座んな」


「最近のエレイン、なんだか様子がおかしいと思わなぁい?」


「俺は知らん」


「それとも前の拠点でマヴェリカと同居してた頃からおかしかったのかしら、私たちには区別がつかないのよ」


「そうか」


「でも私が思うに、ここにマヴェリカが現れたばかりのときより、今の方が……」


「どうでもいいだろ」




 聞きたくない話でもあったのか、乱暴な口調でシセリーの言葉をガアムは遮る。




「今の反応、やっぱり気づいてたのね」


「俺に嫌がらせでもしたいのか」


「そんなつもりはないわ、あなた以上にエレインを見ている人間が他にいないってだけよ」


「チッ……確かに、前よりもエレインがマヴェリカに対して心を開いている様子はある」


「ほら、やっぱり」


「前の拠点に居た頃は、まだ二人の間に壁があったように思えた。だが最近は……」


「神秘性みたいなものが薄れて、人間臭くなってきた」




 目を背けたかったことをダイレクトに言われ、ガアムは思わず顔をしかめる。




「エレインから感じたことのない柔らかな雰囲気……素の表情っていうのかしら、そういうのを見る機会が増えてきた気がするわ。特にマヴェリカと話しているときに限ってね」


「割り切ってんだろ」


「どういうこと?」


「俺らの肉体は半年で崩壊する。侵略者が攻めてくるなら、それよりも早く朽ち果てるだろう。だったら残りの時間だけでも、自分を追ってきたマヴェリカに報いようとしてるんじゃねえか。そういうとこあるだろ、エレイン様には」


「あら、あなたにしては珍しく真っ当な認識ね」


「余計なこと言ってんじゃねえよ、そろそろぶっ飛ばすぞ」


「でも私から言わせると、“もう死ぬから最期だけでも”みたいなこと、エレインはやらない気がするのよ。いえ、むしろマヴェリカと再会する前までがそうだった。“どうせ最後には死ぬんだから”って冷たい振る舞いをして、後悔を残さないようにしてた」


「まだ話を続けるのかよ……」


「心変わりの理由、気にならない? 人間の体を捨て、四百年も漂うほどの決意をした人間が、どうしてこの土壇場で心境の変化を迎えたのか」


「死を間際にした感傷以外に理由があんのか? マヴェリカがそれに関わってるって言いたいのかよ」


「エレインにとってマヴェリカは特別な存在よ、あなただってそれは否定できないでしょう?」




 シセリーの方を見たままガアムが固まる。


 彼女がニコリと微笑むと、彼は大きくため息をついて腕立てをやめ、床に座った。




「わかってるよ、あの二人が恋仲ってことぐらい」


「ついに認めたのね」


「マヴェリカが一方的に追ってるだけだと思ってた。けど最近の様子を見てたら、エレイン様の方も嫌がってる様子はない」


「そう、そこなのよ。以前のエレインは、おそらく好きだからこそマヴェリカを避けてた――だって向き合えば、すぐに心を開いてしまうから」




 それは四百年もの間、世界中のどこでも監視できたエレインが、マヴェリカを見ようとしなかった最大の理由だ。


 見てしまえば、求めてしまう。


 平常心ではいられない。


 あるいは、以前のエレインの肉体が不完全な化物のような姿だったのも、マヴェリカを遠ざけるためだったのかもしれない。




「それを受け入れたってことは、エレインはマヴェリカを遠ざけるのを諦めたってことよね」


「エレイン様が負けたって言いたいのか」


「守護者の時点でそうじゃない。世界を救うエレインの計画――もしそれ以上に何かを、マヴェリカが持ってるとしたら」


「馬鹿言えよ……エレイン様よりも優れた人間がいるわけねえ」


「そうかしらねぇ」


「仮にシセリーの話が事実だったとしても! 俺らがやることは変わらねえよ」




 半分キレながら、ガアムは部屋に声を響かせる。




「世界を救うために、命を捧げるんだ」




 それが失恋した彼の出した答えだった。


 たとえエレインに相手にされなくとも、彼女の心に何かを刻めるよう、気高く死のう。


 それでもなお彼女の心に何も残らない可能性もあるが――それは考えないことにした。




 ◇◇◇




 ドロセアをリージェに任せたあと、部屋を出たエレイン。


 彼女は三階のバルコニーにある手すりにもたれかかり、果てなく続く夜空を見つめていた。


 そんなエレインの背後から足音が近づいてくる。




「ここは綺麗に星が見えるな。魔術の発展で夜もすっかり明るくなっちまったから、貴重な景色だ」


「そうね……ここはあまり、四百年前と変わらないわ。空気も、空も」


「だから選んだんだろ」




 マヴェリカは彼女の隣に並び、同じ景色を見上げた。




「前の屋敷もそうだ。昔、私と一緒に暮らしたいって言ってた場所ばっかり選んでやがる」


「意識した覚えはなかったんだけど」


「私の方は嫌でも意識させられたよ。つれない態度を取るくせに、思わせぶりなことばっかしやがって、ってな」


「……女々しかったわね、ごめんなさい」


「ずいぶんと弱気だねえ」


「……」




 黙り込むエレイン。


 マヴェリカはその様子から、自分がここに来ることを彼女は望んでいなかった――と察する。


 しかし立ち去るつもりはなかった。


 なぜ望まなかったのか。


 その理由を知っているから。




「昔もこうして、二人で夜空を見上げたことがあったねえ」


「いつの話をしているのかしら」


「忘れちまったのかい」


「数え切れないぐらいそうしたから、どれかわからないのよ」


「おっと、それもそうか。じゃあ……あれだ、珍しく私がエレインのお屋敷に泊まって」


「珍しくっていうか、勝手に忍び込んだんじゃない」


「そうそう、それで二人で窓から空を見上げて、一晩中二人で話してたんだよな」


「話の内容より、両親に見つかりそうになって慌ててマヴェリカを隠した記憶の方がはっきり残ってるわ」


「もったいない、あんなにいい雰囲気で話してたっていうのに」


「……まあ、覚えてないわけじゃないけど」




 当時のことを思い出してか、軽く笑いながら、懐かしむように目を細めるエレイン。


 マヴェリカはそんな彼女の横顔を、じっと見つめていた。


 しばらくすると、エレインはその視線に気づき、マヴェリカに問いかける。




「やけに上機嫌じゃない」


「私が隣に立つことを受け入れてる」


「……それは」


心が折れた(・・・・・)ってことだろう?」


「違うわ……私は、まだ……」




 言い訳をしようとして、途中で止めた。


 そしてエレインは前を見て――しかし景色を眺めるのではなく、どこか遠い瞳をしながら言う。




「……マヴェリカは、変わらないわね」


「エレインこそ」


「私は変わったわ」


「変わってないよ」


「変わった」


「そう思い込みたいだけだろう。変わったのはエレインじゃなくて、取り巻く環境だ。お前はそれに合わせて変わろうとしてただけだろ」


「む……嫌ね、マヴェリカに言われるとそうだった気がしてくるわ」


「誰よりも私はエレインのことを見てきたからな」


「しつこいぐらいにね。そうだ、しつこいで思い出したけど、マヴェリカって最初からそうだったわよね」


「最初って……公園で助けたときだろ。しつこかったかぁ?」


「私には友達(・・)は大勢いるから構わなくていいって言ったのに。無理して助けて、結果的に怪我して、それでも笑って私に手を差し伸べた」


「最初は純粋な正義心だったんだよ。最初だけは、な」


「まあ、本当のことを言うと嬉しかったんだけどね」


「知ってる」


「また人の心を見透かすようなこと言って」


「あのときのエレイン、私の前では『助ける必要ない』って冷たくしてたけど、後ろ振り向く瞬間に笑っててさ」


「ウソよ」


「本当だ。そのときの笑顔に惚れたんだから間違いない」


「……それ言われると否定できないわ」


「昔から素直じゃないとこがあった」


「それはっ……マヴェリカがオープンすぎるのよ」




 エレインには好意ゆえに他者を遠ざけようとする一面がある一方で、マヴェリカはその逆だ。


 強引に踏み込んで、絆して、隠すことも許さない。


 確かに彼女の言う通り、おかげでエレインとの距離は縮まった、とも言えるのだが。




「でも友達になる前、付き纏われてるあたりは割とウザいと思ってたわよ」


「一割ぐらいか?」


「いや、二割はあったわ!」


「じゃあ八割は付き纏われて嬉しかったわけだ」


「う……だ、だって、友達なんて……初めてだったから」




 頬を赤らめるその表情は、肉体年齢よりも少し幼く見える。


 マヴェリカは、それこそが本当のエレインだと言わんばかりに満足げな笑みを浮かべていた。




「見えない“誰か”とばかり会話をする不気味な子供、それが私だった」


「懐かしいねえ、最初の頃は精霊と会話するときも声に出してた」


「実際に喋る必要はないって気づくまで、ずいぶんかかったわ。そのあとも、マヴェリカ以外の友達はできなかったけど」


「私がいれば十分ってことだ」




 エレインは反射的に否定の言葉を探したが、見つかりそうにない。


 言い負かされた気分になったので、話題を変えることにした。




「十五歳ぐらいのとき、私が公爵令息に見初められたじゃない」


「覚えてるよ、エレインへの攻撃が一番激しかった頃だ」


「他の同世代の貴族から嫉妬されてね。でもその攻撃も、ある日突然に収まった」




 少し声のトーンを落とす。


 今となっては数名の生き死で心を動かすことは無いが、当時のエレインはその理由を知った時、驚くと同時に恐怖した。




「みんな死んだわ、原因不明の病に倒れて。当時は流行り病かと疑われたけど、結局、死んだのは公爵令息とその周辺にいた女性だけだった」


「性病にでもかかったんじゃないか。あの男、相当遊んでたみたいだからねえ。天罰ってやつさ」




 へらへらと語るマヴェリカ。


 エレインは険しい表情でそんな彼女を見つめると、不安そうに尋ねる。




「あの人たちを殺したの……マヴェリカよね」




 ふいに、マヴェリカの顔から笑みが消えた。


 次の瞬間にはすぐに上機嫌な表情に戻ってはいたが――




「エレインにひっついてるただの平民が、貴族様を殺せるわけないだろう」


「そういう茶化し方を望んでないってわかってるでしょう。正直に話して」




 今、この場に限っては、エレインは誤魔化しを認めるつもりはなかった。


 四百年以上も後回しにしてきたのだ。


 いい加減、現実を見つめるときがきたということだろう。


 マヴェリカも彼女の覚悟を感じ取ってか、観念して自白する。




「そうだよ、私が殺った」


「死者の体内から毒は検出されなかった」


「我ながらいい毒を作れたと思うよ」


「殺したのはあの時だけ?」




 マヴェリカが毒を作れることに関しては、今さら驚かない。


 エレインが肉体を捨てたあと、寿命を伸ばす術を探して研究を行ったマヴェリカだが、その素質自体は以前からあった。


 貴族出身のエレインは幼少期から当時にしては高度な教育を受けていたが、平民のはずのマヴェリカはそれを凌ぐ知能を有していた。


 書斎に並ぶ大人でも目が滑りそうな本を、平然と読んでみせた。


 精霊と語れるエレインを天才とか神童だと称する人は多かったが、彼女から言わせれば“天才”とはマヴェリカの方だと思っていた。




「私の力を目当てに周囲をうろつく怪しい連中が居た。けどいつの間にかいなくなっていた。国は精霊と対話する力の特異性を認め、私を連れて行こうとした。けどその話も無くなった。当時は私の自由を奪おうとした天罰だとか言われてた。でも、どうしても私の力を世間に認めさせたかった両親の態度が急に変わって、マヴェリカと一緒にいるのを許してくれたこともあったわ。それは天罰と関係のないことじゃない。ねえ、もしかしてあのときも――」




 エレインの追求は止まらない。




「マヴェリカは、私のために一体何人を殺したの?」


「どうして今さらそんなことを聞くんだか」


「考えすぎだと思ってたの。でも、今は」




 マヴェリカは口角を上げ、心から歓喜し、こう言った。




「私ならやると思った」




 ありがとう、()に気づいてくれて。


 嬉しいよ、大好きなあなたが()を見つけてくれたことが。


 そう言わんばかりに。


 エレインはその笑顔を前に、心臓が鷲掴みにされたかのような痛みを感じる。


 狂気だ。


 自分が肉体を捨てたのと比べ物にならないぐらい――いや、今になって思えばあの決断も、この狂気から逃げるためだったのではないか――




「正直に言うと、何人殺したかは覚えてないんだ」




 記憶が失われているのではなく、数えきれないほど殺した、と。


 マヴェリカは平然とそう言った。




「軽蔑したかい?」




 その問いにエレインは、




「ええ、軽蔑したわ」




 心底悲しそうにそう答えた。


 しかし――その直後、彼女は魔力を通してマヴェリカの脳に、心に、直に語りかける。




『それを聞いて喜ぶ自分自身を』




 次の瞬間、マヴェリカはエレインを乱暴に抱き寄せていた。


 強く強く、自分より少し小柄な愛しい女を抱きしめる。


 ――なぜ怖がったのか。


 なぜ逃げたかったのか。


 そんなのは決まっている。


 溺れるから。


 自分のために誰かを殺してくれるなんて、そんな甘美な愛――中毒(くる)うに決まってる。




(あなたはまだ本当の深淵を見せていないけれど、暴けば暴くほど、好きになるんでしょうね)




 精霊(ともだち)たちが警告する。


 その女から離れろ。


 その魔女から離れろ。


 いけない。


 そいつは――君を食い尽くす化物だ。




(ごめんね、精霊たち。私はもう……)




 だけどそんな声よりも、マヴェリカが耳元で囁く愛の言葉の方が。


 何千倍も、何万倍も。


 わかりきっていた。


 天秤にかけるまでもなく、四百年前から、そんなことは――




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― 新着の感想 ―
[良い点]  メンヘラは重ければ重いほどいい!
[一言] ガアムを殺す時垣間見えてはいたけどさすがの狂いっぷり…
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