074 何のために食らうのか
リージェを抱えたまま、蹴りだけでクロドを追い詰めるドロセア。
時に避け、時に“口”で弾いて応戦するクロド。
今のドロセアはマヴェリカの肉体に宿っているため、存在質を食われることを恐れずに攻められるということか。
「マヴェリカさんの肉体に入った影響か、すでに崩れつつある。時間を稼げば奪えるか? いや――」
使い捨ての肉体。
ゆえに、彼女は容赦なく守護者の力を使っている。
その速さ、パワーは、今のクロドで対応できるものではない。
リージェを抱えるというハンデがありながらも、立体的に繰り出される蹴撃に、徐々に追い詰められていく。
「使い捨ての肉体ならば反動も無視できるということか、厄介な」
だがドロセアが優位に立っているのには、もうひとつの理由があった。
(私の間合いも理解している。やはり、あのときの奇襲が失敗したのは痛かった!)
一度、ドロセアはクロドに食われている。
“未知”という武器を失ったクロドが優勢を保てないのは道理であった。
そして後退し続けたクロドの腹部に、ついにドロセアの足裏が突き刺さった。
先ほどのリージェのお返しと言わんばかりに吹き飛ばされたクロドは、背中から木に激突。
一本目をへし折り貫通し、二本目にぶつかったところでようやく止まった。
地面にうつ伏せに倒れる。
「まともに当たったか……く、人の肉体がしがらみになっている……!」
震える腕で体を起こすクロド。
そのとき、すでにドロセアは逃走を開始していた。
最初から一撃お見舞いしてから逃げるつもりだったのだろう。
「逃がすな、リージェを捕らえろ!」
クロドがそう声をあげると、どこからともなく兵士たちが現れる。
彼らの肉体は左右に裂け、中から侵略者の腕が現れた。
二本の腕を使って猛スピードでドロセアを追うクロドの手下たち。
すると、その間に割り込むように、複数人のマヴェリカが飛び出した。
「オマエ、リージェ、サワレナイ」
そして侵略者にしがみつくと――爆発する。
その炸裂音で目を覚ますリージェ。
「う、うぅん……マヴェリカ、さん……?」
リージェを運ぶその肉体は、すでに崩れはじめていた。
すると引き継ぐように、前方に別のマヴェリカが待ち受けている。
ドロセアはそのマヴェリカの前でリージェを下ろすと、振り返り、追跡者たちに突っ込んでいく。
そして他のスペア同様に、生きた爆弾となり散った。
「マヴェリカさんが自爆した!?」
間近で見ると大爆発に見えるが、しかし巻き込まれた侵略者たちは少し傷を負った程度。
いくらマヴェリカと言えど、少量の魂を込めたスペアだけで、中型侵略者を倒すことはできないようだ。
「リージェ、コッチ。ツイテコイ」
感情の無い声でそう言い、リージェを先導するマヴェリカ。
リージェは状況を把握できないまま、彼女の背中を追った。
そんな彼女たちの後方では、繰り返し爆発音が響いている。
「な、なんなんですこれ……マヴェリカさんが何人も……マヴェリカさんの大群が、どこからともなくっ!」
数百、あるいは数千のマヴェリカが現れては爆散していく。
その光景は悪い夢だとしか思えなかったが、鼓膜を震わす音が、肌に吹き付ける爆風が、そして焼け焦げた血肉の匂いが、否が応でも現実だと思い知らせる。
一方、クロドはその大量のマヴェリカに邪魔をされ、思うようにリージェを追えないでいた。
「スペアの肉体、これほど大量に隠していたのか!」
ここ数年で増やしたのではなく、四百年にも及ぶ積み重ねの結果がこれだ。
そのため相当に古いスペアも混ざっているようで、そういった個体は微妙に顔が違ったり、体のパーツが足りなかったりしていた。
だが、それも爆弾として使うのなら問題はない。
「これは逃げられたな……」
ついにクロドは諦める。
そもそも、ここでリージェを逃したからと言って、戦況に大きく影響を与えるわけではない――少なくとも彼はそう思っているようだ。
「どこへ連れて行くつもりか知らないが、仮に抜け殻となったドロセアと再開したとしても、意味はないだろう」
なにせドロセアの“本体”はクロドの中にある。
この肉体を破壊しない限り、彼女は己の存在を取り戻せないのだ。
「とはいえ、守護者とやり合うとなるとこの端末では力不足だな。力が必要か……この国を自由にできるほどの」
ドロセア、そしてリージェ――続けざまの失敗は、クロドに選択を迫る。
胸に手を当てる。
まるで人間のような痛みを覚えるその心を潰すように拳を握ると、彼はどこかへ向かって歩きだした。
◇◇◇
クロドの魔の手から逃げ切り、ようやく森を出たリージェ。
「リージェ、コッチ。リージェ、コッチ」
前を歩くマヴェリカは、どことなく喋る鳥のような口調でリージェを導いていた。
「どこに行くんです……?」
「リージェ、タイセツナヒト、イル」
「わたしの、大切な人……」
リージェは自らの胸に手を当てると、目を閉じて、その存在を思い出そうとした。
だがまるでぽっかり穴が空いたかのように、不自然な虚無がそこにある。
しかし――“暖かさ”だけは、そこに残っていた。
「名前も忘れてしまったけれど、確かに胸にある、誰よりも……何よりも大切で……大好きな人……」
自分の心の大半を占めるその人物を取り戻さない限り、リージェの心は凍えたままだ。
永遠に幸せになることはない。
そう思う。
「その人は、生きてるんですか? クロドに食べられたんじゃ」
「イキテル。ケド、ワスレテル」
「その人も……クロドに奪われたから」
リージェは思う。
きっと苦しんでいるんだろう、と。
(私と同じぐらい……ううん、ひょっとするともっと苦しいのかもしれない。だってその人は、わたしのことをとても愛してくれていたから)
抱きしめられたいと強く願うのは、その人がいつも抱きしめてくれていたから。
しかし、同時に不安も生じていた。
「顔を見たら、何か思い出すんでしょうか」
果たして失った者同士が出会って、何も感じなかったら――
それは悲しいというより、もはや恐怖だ。
そうならないことを祈りながら、リージェはマヴェリカのスペアと共にドロセアの元へと向かう。
◇◇◇
クロドが王都付近の仮拠点に戻ってきたのは、空が暗くなった後のことだった。
「兄様っ!」
自らリージェを追跡した。
付近で守護者同士の戦闘が起きた。
複数の爆発も確認された。
そんな報告を受けていたカインは、クロドの顔を見るなり、安心して駆け寄った。
「どうでしたか、リージェは見つかりましたか?」
王というよりは、弟としてクロドに問いかけるカイン。
「ああ、見つかったけど……テニュスの妨害を受けてね、取り戻せなかった」
「そんな、どうして彼女がっ! まさか、テニュスも……」
「侵略者かはわからない。だが、侵略者に協力するような状態であることは間違いないようだ」
平然と嘘をつくクロドだが、カインは疑いもしない。
「先ほど連絡が入って、アンタムを発見したそうです」
「どこにいたんだい」
「北西部の街で裂け目を塞いでいると。それが終われば、自ら出頭すると話しているみたいで……本当に彼女は侵略者なんでしょうか」
「それについて大事な話があるんだ、あっちのテントで、二人きりで話さないか」
「は、はい……」
いつになく真剣な兄に誘われ、近くのテントの中で、護衛もなしで完全に二人きりになる。
置かれた椅子に腰掛け、テーブルの上に置かれたランプが照らす、少し殺風景な空間で二人は向き合った。
「大事な話って何なんですか」
「カインは、私のことをどう思っている」
てっきりアンタムや侵略者にまつわる話だと思っていたカインは、兄からの急な質問に戸惑う。
だが、それが必要なことなら――と誠実に、正直に答えた。
「自慢の兄様です。優しくて、真面目で、勉強もできて、運動も魔術も僕よりずっと優秀。しかも守護者を生み出し、侵略者の脅威に立ち向かった。本来なら兄様が国王になるべきだったと……本当は、そう思っています」
「そうか」
「兄様はどうですか、僕のこと……」
「かわいい弟だと思ってるよ」
クロドはそう一言、嬉しくはあるが、味気ない返事を返す。
少し落ち込むカイン。
するとクロドはさらに言葉を続けた。
「だが、私たちは本当の兄弟ではない」
「えっ……兄様、それは……」
「私は母様とイグノーの間に生まれた子であり、カインは母様とフォーン猊下の間に生まれた子。そうだろう」
「ご存知、だったんですか」
「自分のことだからね」
「そ、それでも、血は半分繋がっていますし、兄様が僕の自慢であることに変わりはありません!」
「だが王位継承権を奪い合った」
「っ……」
突き放すような兄の言葉に、カインは言葉をつまらせる。
なおも追い打ちをかけるクロド。
「今さら私の方が王に向いていると言っても、教会と繋がり、権力を得たのはカインの方だ」
「それは……」
「別に責めているわけじゃないよ。ただ、悲しかったんだ」
ふと、カインは以前もクロドが似たような話をしていたことを思い出した。
国よりも家族を優先してほしい。
王族ではなく平民の家庭であれば、もっと幸せだったかもしれない、と。
カインはここでようやく気づく。
あれは、王位継承権争いで弟と対立したことに対する嘆きだったのだ、と。
「王族だとしても、父親が違ったとしても、私たちは互いに理解しあい、慈しみ合う、理想的な兄弟になれたんじゃないか」
「兄様……それは、今からでも」
「場合によっては、民よりもお互いの存在を大切にし合うような、そんな関係にもなれたのかもしれない」
「今からでも遅くないはずです。いえ、今はまさにそうなりつつ――」
「もしあの王位継承争いが激化していたら、いずれ対抗勢力を殺そうとする者も現れただろう。私は死んでいたかもしれない」
「そんなことは僕がさせませんっ!」
「止められたかい?」
それを否定する言葉を、カインは持たない。
黙るしかない。
理解していたはずだ、あのとき――改革派や簒奪者と組んで、世界を救うという使命に燃えていた頃。
その熱量に流されて、身近な誰かが命を落とす可能性について。
「エレインへの信仰に酔っていたカインは、果たして“使命”よりも兄の命を優先することができたかな」
「でき……」
「できなかったはずだ。カインは権力のために兄を殺せる。ある意味でそれは、王にふさわしい素質である――ああ、だからこの場合、王族らしくないのは私の方なんだよ、カイン。王国の未来よりも兄弟仲や家族仲を優先したいだなんてわがまま、許されるはずがない」
自らを責めるようにクロドは言った。
確かに、“王”として考えた場合、国のために私情を捨てられる者の方が優秀だ。
しかし“人”として見るとどうだろう。
それはただ残酷で冷徹なだけの、人でなしではないだろうか。
「どうしたらよかったんだろう」
「兄様……僕は……」
「どうすれば、仲睦まじい兄弟のまま、世界より家族を優先する自分になれたんだろう」
「無理なんですか、今からじゃ……もう、手遅れなんですか……?」
「百億の民を見捨て、家族のために生きるような――」
そしてクロドの背後の空間が歪む。
瞳に涙を浮かべるカインは、ぼやける視界でそれを見た。
「そんな理想の私に」
目の前で大きく開かれた、侵略者の口を。
「兄、様……?」
瞬間、カインは理解した。
兄が自分をここに連れてきた理由を。
彼が欲するものを。
「あ……ああ……そんな、それは……侵略者、の……」
「そうだ」
「じゃあ、ジンさんは……あの人が疑ったのは……」
「事実だった。ジンは侵略者だったが、同時に優秀な人間でもあったんだな」
「兄様は……僕を、僕を殺して……」
「ああ」
クロドの顔から表情が――否、人間味が消える。
この世のものならざる、捕食者としての眼で、目の前の獲物を見る。
「お前を食らい、私が国王になる」
侵略者の本格侵攻までの時間稼ぎを、より効率的に行うために。
ただそれだけのために、弟を食らうのだ。
そして異形の口がカインに迫り――
「待ってくださいっ!」
彼の大きな声で、その動きが止まる。
「ひとつ、ひとつだけ……お願いを、してもいいですか」
「何だ」
命乞いでもするつもりか――そう思っていたクロドだったが、実際は違った。
「母様を……せめて、世界が滅びるその日までは、大切に……してほしいんです」
家族を。
今やたった一人となった、まともに血の繋がった家族を守ってくれ、と。
自分の命よりもそちらを優先したのだ。
クロドはその優しさに感心すると同時に、無性に悲しくなった。
「だって、母様は、兄様にとっても、大事な母親……だか、ら」
カインとクロドは仲の良い兄弟だった。
しかし幼少期から、母であるティルミナはカインを贔屓しがちだったのだ。
クロドが生まれた経緯を考えれば当然ではあるが、それゆえにクロドはカインほど母のことを敬愛していない。
そしてカインもまた……母と兄、どちらを優先するかと言われれば、母を選ぶだろう。
王位継承争いにおいて、兄を蹴落とそうとしたのは、母を喜ばせるためでもあるのだから。
クロドの胸中では愛憎が渦巻いていたが、今際の際の願いぐらいは聞いてやろう、という思いが上回る。
どうせ、カインを食えばクロドがその立場になるのだ。
母は彼を愛するだろう。
幼少期、彼がそう望んだように。
「……わかった」
一言、そう答えると――今度こそ“口”はカインを食らった。
「ごめんなさい、兄様」
弟が最期に遺した言葉が、呪いのようにクロドの脳に染み込んでいく。
◇◇◇
こうしてクロドは国王となった。
王であり、英雄であり、救世主――そんな彼に向けられる兵士たちの視線は、そのほとんどが憧れと尊敬で彩られている。
だが有象無象の感情などもはやどうでもいい。
カインが使っていたテントに入ると、そこには仮とはいえ国王が寝泊まりするにふさわしい空間が広がっていた。
最初はもっとみすぼらしかったはずだが、クロドが見ないうちに兵士たちが王城から装飾品などを持ち込んだらしい。
そのうちの一つである黄金で飾られた椅子に腰掛けると、クロドは天を仰ぎ、ため息をついた。
「半端な悪が、半端な善が、最も醜い」
つぶやく言葉の意味を知るものは、彼以外誰もいない。
孤独である。
「創造者はなぜ、私に感情などを……」
どれだけ巨大でもそれが“個”である以上、共有はできない。
だが共有できたとして、誰がそれに共感するというのか。
他者を食らうことでしか生きていけない存在。
そのくせ他者を慈しむような言動を繰り返す。
「いや……私も創造者と同じだ」
半端に弟の願いを聞いてみたり。
半端に自らの捕食行為を繰り返さずに済む未来を考えてみたり。
変わらず犠牲者は増え続ける。
ならばそれらは、ただの自己弁護にすぎない。
いっそ悪を貫ける人間の方が美しい。
悪以上の悪。
「あまりに醜い。見るに堪えない」
虚ろな瞳で、天井にぶら下がったランプを見つめるクロド。
すると、そんな彼の部屋に兵士が飛び込んでくる。
「国王陛下、大変です!」
「どうした」
「王太后陛下がっ……あちらのテントで……!」
先ほど、カインに母親を大切にしてくれと言われたばかりだ。
クロドは無気力な体を引きずるように、重たい足取りで兵士についていく。
案内された先は、ティルミナが過ごしているテントだった。
本来なら、彼女は近隣の街にでも送り届けて、王族の血を引く人間の屋敷あたりで安全に過ごすべきである。
だがそうできなかったのは、ジンとゾラニーグの追及以降、ティルミナの精神状態が不安定だったからだ。
カインから離れたら、すぐにでも壊れてしまいそうな危うさだった。
そんな彼女のいる空間に足を踏み入れると、むわっとした血の匂いが溢れ出した。
「ああ……なぜこのようなことに……」
先に入った兵士がそう声を震わせる。
部屋の中央では――首を刃物で切断し、大量の血を流しながら床に倒れるティルミナの姿があった。
手にはナイフが握られている、自ら命を断ったのだろう。
「カインの喪失に耐えられる余力も残っていなかったか」
クロドは口元に空虚な笑みを浮かべ、そう呟いた。
「カイン……?」
隣で首をかしげる兵士を、侵略者の口で食らい消す。
ついでに、テントの前に立っていた護衛の兵士も食った。
誰もいなくなった室内で、ゆっくりとティルミナの死体に近づく。
彼は立ったまま、その亡骸を見下ろした。
「創造者よ……そして愛しき百億の民よ……いくら人間ぶろうとも、私は世界を食らう化物でしかないんだよ……」
そして己が“完全なる悪”だと再確認する。
ああ、何千回、何万回、こんな愚かな葛藤を繰り返してきただろう。
どうせリセットされる。
しかし終わりが近くなると思い出す。
自分の存在意義を。
何のために生まれて、何のために食い続けるのかを。
「ふふふふ……あははははっ……!」
高らかに響く笑い声。
きっとそれも幾億と。
さながら終末を告げる鐘のように、幾兆の夜空に響き渡ってきた。
そして今回もまた。
黒の空が割れて、その向こうからもっと深い黒が世界を覗く。
“決定的な破滅”は、刻一刻と迫っていた。
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