072 乾いた魂
全人類の守護者化――だがそれには、いくつかの課題があった。
「実現するにはまず、魔力を介した情報共有の仕組みを構築する必要があるわね」
エレインは指先で唇に触れながら考え込む。
彼女のそんな人間っぽい仕草にマヴェリカは心の中で微笑みながら、表面上は平静を保った状態で言葉を返した。
「やってなかったのかい? てっきり、最終的にはそういう方法を使って人類を強制的に魔物化させるつもりかと思ってたが」
「可能ではあるわ。けど百年後ならまだしも、現段階の人類をそんな方法で魔物化させたところで侵略者には勝てないもの」
「だったらリージェの血を使えば勝機があると思ってたのかい」
「……ゼロが砂漠の一粒ぐらいにはなると思ってたわ」
「無理だってわかってたんじゃないか」
「だからって抗わないわけにはいかないでしょう。結果的に、強引に計画を進めたことでドロセアという対抗勢力が現れたんだから、私のやり方は正しかったわ」
「神の頼みだねェ」
「マヴェリカこそ、守護者が生まれたのは偶然の産物なんでしょう。人のことは言えないわよ」
「一緒にするなよ、立場が違う」
エレインは言い返せないのか、軽く頬を膨らました。
一度死んで開き直ったのか、はたまたもはや着飾っても無理だと割り切ったのか、二人はリラックスした様子で言葉を交わしている。
ガアムが妬ましそうに遠くからその様子を眺めていたが、特に何も言ってこないのでマヴェリカは無視していた。
「まあ、強制的な魔物化を促す魔術が、これからやろうとしていることにも役立つのは事実ね」
「そっちは頼んだぞ」
「マヴェリカはどうするの。さっき聞いた話だと、魔術的な素養や知識があるA級魔術師に使っても、嘔吐するぐらいの反動があったんでしょう? つまりそれよりも素質のない魔術師に使えば……」
「ああ、もっと情報の圧縮率を高める必要がある。戦力を考えると、赤子でも許容できる範囲に納めたい」
「なら今の三分の一……いや、ひょっとすると五分の一ぐらいまで小さくする必要があるかもしれないわね」
「そっちの方がエレインの負担も少ないだろうねえ」
「当然ね。魔力網を用いて情報伝達するっていうけど、魔力同士が直に線で繋がってるわけじゃないもの。引力に似た力で互いに作用しあってはいるけど、おいもさんの繊維より脆弱だわ」
「お芋さん……ふふっ」
「何よ」
「変なところで威厳がないと思っただけだ。やっぱエレインには神様は向いてないよ」
「今さらどうでもいいわ、神様なんて。この体は世界を救う道具でしかないんだから」
冷めた口調でエレインは言った。
マヴェリカは心のなかでつぶやく。
(一度も本気でそう思ったことなんて無いくせに)
吐き捨てるように。
悪意を込めて――ただしその悪意はエレインに向けたものではないが。
そんなマヴェリカの視線に気づいたエレインは、挑発的に問いかけた。
「何か言いたいの?」
「いいや、何でもない」
「大事なことを言わないのは昔からの悪い癖ね」
「昔の私は、お前の気持ちを尊重して余計なことを言わないようにしてたからな。行動も、抑えてたんだよ。悪口を言ってくる奴らを鈍器で殴らないように、とか」
「あれで抑えてたつもりだったの? 狂犬って言われてたのに」
「ああ、連中には命があるだけ感謝してほしいね」
「ちなみに今は?」
「遠慮はやめた、やりたいようにやってる」
「怖いわ。そうは見えないのが、余計に」
「それは嬉しいね」
満面の笑みを浮かべるマヴェリカを前に、複雑な表情で目を伏せるエレイン。
いくら魔力を通じて世界中を見ることができても、人の心までは読めない。
そもそも、意図的にマヴェリカのことを見ようとしていなかったのだから、その意図が読めないのは仕方のないことなのだが。
「……情報の圧縮について、何かの参考になるかもしれないものがあるの」
「お、そんなもんがあるのかい」
「まあ、ドロセアなんだけど」
「彼女が……?」
「ついてきて」
マヴェリカはエレインに案内され、別室へと向かう。
部屋の入り口付近でじゃれ合いながら待機していたイナギとアンターテも、その後ろに続いた。
◇◇◇
他の部屋よりも広いその空間は、おそらくパーティなどに使用されていたのだろう。
今はテーブルの類は隅に寄せられており、ただのだだっ広い部屋になっている。
そこで簒奪者たちは各々異なる方法で訓練を行っていた。
瞑想や舞踏、剣の素振りに、基礎魔術の反復訓練まで――適した訓練方法というのは、個人差があるらしい。
そんな中、部屋の中央付近でドロセアと向かい合う老人に、エレインは声をかけた。
「ヴェルゼン、調子はどう」
「見ての通りじゃよ」
ヴェルゼンが手のひらの上に石を作り出すと、ドロセアも全く同じ魔術を使う。
もちろんシールドを使って模倣したものだ。
ただし、生成する術式は異なっており、結果だけが一致している。
ヴェルゼンがエレインと言葉を交わし手持ち無沙汰になると、ドロセアは「ぅあ、ぁ、ぁ」と意味のない言葉を発しながら、金貨や植物、水や炎など、様々な魔術を使い出す。
ミダスはそんな彼女に近づくと、苦笑いしながら言う。
「見ただけであらゆる魔術をコピーしやがる。それを見てて恐ろしくなったのか、ガアムのやつ逃げていきやがった」
それで玄関のところにいたのか――と納得するマヴェリカたち。
するとシセリーがそんな彼女たちに気づく。
「ところでエレイン、どうしてあの三人はここにいるの」
その問いに答えたのはマヴェリカだった。
「私が連れてきてもらったんだよ、どうしてもエレインに会いたくてね」
「何の対価なんだか」
「さあねえ」
「エレイン様はそれでよかったのかのう」
「ここに連れてきたってことはそういうことだろうよ」
その一連の会話に対し、エレインは特に反応を見せなかった。
実質的な肯定である。
するとマヴェリカがドロセアに近づき、目の前にしゃがみこんだ。
「……すごく懐かしいというか、馴染む感じがするねえ。やっぱこの子だよ、私に弟子入りしたのは」
「マヴェリカは模倣のことよりもそっちも気にするのね」
「そりゃそうだろ。弟子なんだから」
もう二度と殴られたくないから、というのも理由の一つではある。
「まあ、弟子って言えばクロドにも魔術を教えたことはあるんだけどね。この子を見てると、正しい記憶と、上書きされた記憶が混ざりあって頭がぐちゃぐちゃになる」
「わたくしも同感でございます。同じ旅路にクロドがいる違和感、それを“正しさ”だと押し付けてくる未知の感覚……」
「そして自分の目が、それを否定するんだよね」
アンターテの言葉に、静かに頷くイナギ。
困惑する三人に、エレインがその原因を説明する。
「仕方ないわ、存在質を九割近く奪われてるんだもの。記憶の方は全滅でしょうね。こうして肉体が残っているだけでも奇跡的なぐらいよ」
「クロド、食事、失敗」
「いや……食いそこねたのではなく、シールドで防いだのではないかのう」
「そんなシールドが実在するのかしら?」
シセリーの疑問はもっともだが、それに答えられるドロセアがこの有様だ、誰も答えられない。
「実在したってことでしょうね、そう考えるしかないわ」
エレインの言葉で話が一旦途切れる。
それを区切りに、簒奪者たちは各々の訓練に戻った。
一方でイナギとアンターテもドロセアに近づき、エレインとマヴェリカを含む四人で彼女を囲むように観察しはじめた。
「確かにエレインの言う通り、どういう仕組みで頭ん中に魔術を詰め込んでるのかは気になるな。いくら魔力が見えると言っても、普通、それだけで真似できるもんじゃない」
「私のメモには――飢えれば飢えるほど、ドロセアは強くなるって書いてあるけど」
「自らの存在を補強するため、必死なのでございましょう」
「でも、魔術を詰め込んでも何も埋まらないよね」
アンターテは、自分がイナギを失ったら――そんな想像をしながら言った。
代わりなど何もない。
リージェと、その記憶が取り戻せない限り、彼女は飢えたままだ。
「さぞ寂しいのでございましょうね」
「“大切な何かが失われている”という感覚はあるでしょうけど、彼女はリージェって名前すら忘れてるはずよ」
「それが寂しさってことすら認識できない、か」
「それが極端な“飢え”を生んでいるとも言えるわ」
「おかげで強くなれると?」
「彼女は対侵略者における貴重な戦力よ、本格的な戦闘になる前に、詰め込めるだけ魔術を詰め込んでおくわ」
「リージェと会わせないつもりかい」
「……その方が都合がいいでしょう」
出たよ、悪人面――そう言わんばかりに大げさに肩をすくめるマヴェリカ。
彼女は呆れた様子で言った。
「リージェ探しは私が自分の作業と並行してやっとく。近いうちに連れてくるから、それまでにやれることはやっとくんだね」
「できるの? もう時間はあまり残されてないのよ」
「やるしかないだろう、時間が無いからこそね。イナギ、アンターテ、こっちに来な」
立ち上がったマヴェリカは、二人を連れて部屋を出ようとする。
「どこに行くの?」
「さすがにこの二人が一緒に訓練するのは気まずいだろう。この二人には私が守護者を叩き込む、空いてる部屋借りるよ」
そして一方的にそう言い残すと、広間から立ち去った。
「魔女、忙しい」
「活力に満ちているとも言えますなあ」
しみじみとカルマーロとヴェルゼンが言った。
エレインはドロセアの近くで立ち尽くしたまま、マヴェリカが出ていったドアの方をじっと見つめている。
「エレインのやつ、どうしたんだろうな」
さすがに気になってしまったのか、訓練を続けつつもミダスとシセリーは言葉を交わす。
「何が彼女をそこまで動かしているのか、気になるんじゃないの……まあ、それだけでもなさそうだけど」
「女心は難しいってやつか」
「ミダスならわかるんじゃない」
「お前以外見ようとも思わねえよ」
軽く茶化すようにそう言うと、二人は訓練に集中した。
◆◆◆
王国北部の村にて、テニュスの乗るオグダードは戦闘を終え、剣を大地に突き立てる。
「ったく、まさかこんな場所でも侵略者が邪魔してくるとはな」
裂け目を閉じようとするラパーパ。
それを邪魔するように、突如として現れた中型侵略者。
その相手をするためにオグダードを呼び出し、戦っていたのである。
「テニュス様ーっ!」
裂け目を閉じ終えたラパーパが、オグダードの元へ走ってくる。
テニュスは守護者を解除すると、抱きついてくる彼女を生身で受け止めた。
飛びつく勢いのまま、二人はくるりと一回転すると、抱き合ったまま至近距離で見つめ合う。
「こっちは片付いたぞ」
「ワタシの方もお仕事完了デス!」
「じゃあ宿に戻るか――んあ?」
いい雰囲気で二人が歩きだそうとしたところで、テニュスの背中にコツンと石が当たった。
振り返ると、木の陰から手招きする金と桃色の派手な髪色の女性の姿が。
「お、お前、アンタ……」
名前を呼ぼうとすると、アンタムは「しーっ!」と必死の形相で人差し指を唇に当てる。
状況が飲み込めないテニュスとラパーパは、ひとまず彼女と話すために人の目が無い茂みへ移動した。
「どうしたんだよアンタム、こんな場所で。騎士団に稽古付けるんじゃなかったのかよ」
「事情が変わったの」
するとラパーパは、アンタムの後ろにいる小柄な少女に気づく。
「リージェさん!?」
「その反応、テニュスちゃんとラパーパちゃんにはまだ伝わってないんだ」
「どうしてリージェが……クロドのとこ離れていいのかよ」
当たり前のようにクロドの名を口にするテニュス。
リージェはそんな彼女の肩に手を置くと、真剣な表情で口を開いた。
「テニュスさん、落ち着いて、私の言うことを考えてみてください」
「お、おう……」
「クロドは、好みのタイプですか?」
「……は?」
「テニュスさんは、クロドのために命を賭けて戦ったり、暴れたりしますか?」
「おい何を言ってんだ。てかクロドじゃなくて、お兄ちゃんって呼んで――」
「いいから考えてください!」
「わ、わかったよ」
やたら圧の強いリージェに戸惑いながらも、言われるがままにクロドのことを頭に思い浮かべるテニュス。
好みのタイプの話のため、隣にいるラパーパをちらちらと気にしていたが、当のラパーパの方は何も感じていないようだった。
「そりゃ……あたしにもそういうときは、あったけどよお……ほら、マヴェリカのとこで一緒に修行して、命を助けてもらったり……も……」
ぶつぶつと呟きながら思い出していくと、テニュスの眉間に皺が寄る。
心配そうに「テニュス様?」と顔を覗き込むラパーパ。
「ん、んん? なんかおかしくねえか……あたしが、あの優男に惚れる……?」
一方でテニュスは、強烈な違和感を覚えていた。
確かにクロドに執着し、レプリアンを使って王都で暴れた記憶もある。
だが、果たしてあの男のために、いくらカルマーロに操られていたとはいえ、テニュスがそこまでやるだろうか――
そんな疑念が大きくなったところで、リージェは言った。
「テニュスさん、クロドは侵略者です」
目を見開くテニュスとラパーパ。
「はあぁ!? 何言ってんだ、一緒にエレイン倒したりしただろ!」
「そうデス、一緒に旅だってしてました!」
「それ、嘘の記憶っつーかさ、本来は別の人間が居たはずのとこにクロドが居座ってるらしーんだよね」
「わけわかんないデス!」
ラパーパの言葉に同調し、頷くテニュス。
しかしやはりリージェの表情は真剣そのものだ。
「いいですかテニュスさん、わたしは田舎の貴族の娘です。あの村で生れ育ちました……幼馴染と一緒に」
「だからそれがクロド……んお?」
「おかしいデスよ、どうして王子様がそんな田舎で一緒に育ってるんデス?」
「矛盾が多すぎるんだよねー……逆に言うと、そーゆー感覚的な証拠しかないんだけどさ」
「待ってくれ、急にそんな話をされてもわかんねえよ。クロドが侵略者で、別の人間と成り代わってる? いや、確かに矛盾点はあるが、それであたしん中の認識では――」
「今すぐに全てを理解してもらわなくても構いません。わたしだって、まだわからない部分はあるんですから。でも、はっきり言えることがあるんです」
リージェは真っ直ぐな眼差しで断言する。
「わたしはあの人を好きにならない」
それはあくまで感覚の話ではあるが、リージェにとっては絶対的な証拠だった。
「あの人を見ても、わたしはときめかない」
覚えていない誰かを見つめたときは、見ているだけであんなにも胸が高鳴ったのに。
クロドにはそれがない。
何もない。
何一つとして、あの人を好きになる要素が。
自分が愛したあの人と比べると、全てが欠けている。
「侵略者に“自分”を奪われた“誰か”は……今も、どこかで、自分を失って苦しんでるんです。本当にわたしが愛したはずの、誰かが」
「それで、アンタムと一緒に飛び出してきたのか」
「そーそー、誘拐犯扱いされて追われてるけどねー」
「だからコソコソしてたんですね」
「あーしから補足しとくと、マヴェリカさんにも確認は取ってる。侵略者がそういった能力を持つ可能性は十分に考えられるから、認識した人間だけでもさっさと逃げなって言われた」
「マヴェリカがそう言ってんなら、信憑性はあるな……」
それでもまだ信じきれないテニュス。
それが、存在質を食らわれることの怖さだった。
だがすでに信用する方には天秤は傾いている。
「お前らがあたしに会いに来たってことは、一緒に逃げてくれってことだろ。わかった、付き合うよ」
そして傾いたのなら、思い切って動ける。
それが今のテニュスのいいところだった。
「ラパーパもいいか?」
「テニュス様あるところにラパーパあり、デス!」
「ありがとな」
「くふふー」
頭を撫でられ、甘えた声を出すラパーパ。
甘ったるい空気が流れる――かと思いきや、表の方から兵士の慌ただしげな声が聞こえてきた。
「テニュス様! おられますか、テニュス様ーッ!」
「んだよ、こんなときに」
「軍の人間みたいだね、行ってやりなー」
アンタムに促され、テニュスだけが茂みから出る。
「あたしはここにいる。どうした!」
「それが、付近の村に新たな裂け目が出現したそうで! ラパーパ様と向かってもらえないかと、カイン陛下が!」
「国王からの命令か……」
裂け目を塞ぐのはテニュスではないが、ラパーパが向かうのなら一緒に行くことになるだろう。
しかしリージェはどうするか――そう考えていると、さらに別の兵士が彼女の元へやってきた。
「テニュス様!」
「今度は何だ!」
「南部の街からの救援要請です。新たな裂け目が発生し……」
「二箇所同時かよ! 待て、裂け目を塞ぐ魔術を持った人間は一人しか――」
そこまで言って、テニュスはアンタムがいることを思い出した。
しかし彼女はお尋ね者だという。
もし裂け目を塞ぐために街に留まったりしたら、間違いなく軍に捕まるだろう。
「……ひとまず宿で待っててくれ、どうにかならないか考えてみる」
そう言って兵を一旦戻らせると、再びテニュスはアンタムたちの元へ戻る。
するとアンタムは自ら提案した。
「片方はあーしが行くよ」
「でもそれじゃ捕まっちまうだろ」
「心配してくれるのは嬉しいけどさ、騎士団長としての責務も果たさなきゃなんだよ」
騎士団長の責務――そう言われると、テニュスにはもう何も言えなかった。
そしてテニュスが納得してしまった以上、リージェとラパーパも言葉は出せない。
「なあラパーパ、一人で向かえるか? ひょっとすると、今回みたいに中型侵略者が邪魔してくるかもしれないが」
「大型侵略者がまだ出てないなら、頑張れば行けると思います!」
「魔力は残ってるのか?」
「裂け目の程度にも寄りますが、まだ初期の段階なら塞ぐ分ぐらいは残ってます」
「そうか……なら頼んでいいか。あたしはリージェを連れて逃げる」
「わかりました! まあ、離れ離れになるのは……嫌デス、けど」
寂しがるラパーパを、テニュスは抱きしめた。
そして流れるような動きで唇を重ねる。
「ひゃ、ひゃわー」
「あらー」
赤面するリージェと、微笑ましく見守るアンタム。
テニュスは唇を離すと、
「これで我慢してくれ」
そう優しく囁いた。
「じゅ、じゅうぶんれす……」
一方で、ふにゃふにゃになったラパーパは、もはや呂律が回っていなかった。
「よし、行くぞリージェ!」
「は、はいっ」
間髪をいれずに、テニュスは出発する。
リージェも彼女の背中を追って走りだした。
テニュスはリージェに合わせてスピードを落としてはいたが、リージェも常人の肉体ではないので、その移動スピードは人間離れしている。
森の中を駆け抜けながら、リージェはテニュスに尋ねる。
「テニュスさん、ああいうの……慣れてるんですか?」
「慣れてねえよ。でもやるとラパーパが喜ぶんだ、そしたらあたしも嬉しい」
「いいなぁ……」
「お前んとこは再会したらすぐ追い抜くだろ」
「それはそうですけど」
「否定しねえのかよ……」
◇◇◇
それから数十分後、ひとまず人の気配を避けつつ、軍に見つからない場所を探していた二人だが――
「危ないっ!」
テニュスがリージェを突き飛ばす。
二人の目の前を、水の刃が通り過ぎていった。
テニュスは、その刃を放った犯人をにらみつける。
「いきなり殺意全開じゃねえか、物騒なやつだ」
「あれぐらいを避けられないなら死んだほうがいい」
森の奥から姿をあらわしたのは、スィーゼだ。
「リージェを追っていたら、まさかテニュスと会うとはね。彼女をスィーゼに引き渡してくれるのかな?」
「そのつもりが無いことは気配でわかってるはずだろ」
「誘拐犯に手を貸すとは、洗脳でもされたのかい」
「洗脳されてんのはそっちだ」
彼女なら話が通じるだろうと考え、テニュスはすぐさま真実を語る。
「クロドは侵略者だ。あいつが本来いるはずの“誰か”を食って――」
だが話を遮るように、再びスィーゼは剣を振るった。
体をひねり、水の刃を避けるテニュス。
「っておい、最後まで聞けよ!」
「なぜ誘拐犯が騎士団長と同等に話ができると?」
「だからクロドは危険だと――」
三度、スィーゼの刃がテニュスを襲う。
今度は大剣で弾き落とす。
そんな彼女に向け、スィーゼは冷めた口調で語った。
「ジンは死んだ。ならば彼亡き今、スィーゼが尽くすべきは彼が遺したレガシーだよ」
「王牙騎士団か?」
「そう、王の牙――王国の牙、王族の牙。たとえテニュスであろうとも、クロド様に歯向かうのであれば、この牙で応えよう」
スィーゼの戦意が急激に強まり、テニュスと、立ち上がったリージェの肌をピリピリと震わす。
「守護者スティクス!」
木々をなぎ倒しながら青の騎士が現れた。
見上げるほど大きなその姿を前に、リージェはごくりと生唾を飲み込む。
「ちっ、結局こうなるのかよ。リージェ、すまんが一人でできるだけ遠くに逃げてくれ。兵士に捕まらないようにな!」
「わかりましたっ!」
リージェが走り去った直後、テニュスもまた守護者を呼んだ。
「守護者オグダートッ!」
赤の騎士が、森を突き抜け青の騎士の前に立ちはだかる。
そして二人は言葉も無く剣を抜くと、互いに前進し距離を詰めた。
『ハアァァァァアアッ!』
『おぉぉおおおおおッ!』
全力で振りかざした大剣と細剣がぶつかりあい、ぶつかりあった炎と水がジュウゥと音を立て蒸気を撒き散らす。
『このわからず屋が、あたしの話を聞かなかったこと後悔しても知らねえぞ!』
『悔やむ未来があると思っているのかい?』
スティクスはオグダードを蹴って距離を取ると、素早い連撃で無数の刃を放つ。
対するオグダードは、まず初撃を避けると、続けて放たれた刃を薙ぎ払い、打ち消した。
再び距離を詰めるスティクス。
剣でせり合う二機の守護者。
『――ここからは周囲に聞こえない音量で話す』
『あぁ?』
宣言通り、目の前のテニュスにしか聞こえないような小声でスィーゼは話しはじめた。
『もしテニュスの話が事実なら、団長が死ぬ直前にやっていた行動が報われる可能性がある』
『そうだな、ジンはクロドを疑ってた』
『正直言って、それなら死ぬほど嬉しい』
『死ぬなよ』
『生きるさ。だから、クロドを泳がす』
テニュスは周囲の気配を探る。
『近くにいるのか?』
『ああ、愛するリージェがさらわれたと騒いで自ら出撃した』
『はっ、白々しい』
『曲がりなりにもリージェは簒奪者だ。騎士でも捕獲は難しいだろう。だとすれば――』
『侵略者と本人が出てくる』
『だからそれまでは』
にやりと笑うスィーゼ。
スティクスにその表情が反映されることはないが、なぜかテニュスはその顔が見えるような気がした。
『このスィーゼと全力でやりあおうじゃないか』
『はっ、守護者同士で力比べしてえってのが本命じゃねえのか』
『戦士の性というやつだね』
互いに剣で押し合い、距離を取る。
するとスティクスの胸元で水流が渦巻くと、そこからまるで炎のように揺らめく水の塊が放たれた。
『飲み込め、揺激流プレゲドン!』
オグダードは胸の宝石から炎の奔流を放ち、それを迎え撃つ。
『アマネトで全部蒸発させてやるよッ!』
ぶつかり合う水と炎。
大量の蒸気が周囲を包み込み、まるで霧のように視界を閉ざすのだった。
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