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071 上機嫌な魔女

 



 イナギとアンターテは、マヴェリカに案内され彼女の現在の隠れ家へと到着した。


 ルーンたちの村からさほど離れていない――というわけではなく、どうやら歩いているうちに時空が歪み、この場所へと移動してきたようだ。


 森の奥に建てられた質素な家を見上げ、アンターテはイナギの袖をきゅっと握った。




「ねえイナギ……」


「彼女は敵ではございませんが、わたくしから離れないように」




 素振りも見せずに、属性も原理もわからぬ魔術を使うマヴェリカに、アンターテは怯えているようだ。


 そもそも、簒奪者(オーバーライター)であった彼女にとってマヴェリカは敵対する相手。


 信用できないのも仕方ないことだ。


 だがそんなアンターテの心の揺らぎを感じ取ってか、マヴェリカはケラケラと笑う。




「そう警戒しなくともあんたたちに手出しするつもりはないさ。今は人類全員が手を取り合って侵略者(プレデター)の脅威と向き合うべき時なんだからね」


「どういう心変わり……?」




 イナギとマヴェリカは直接の面識は無いが、テニュスやジンを通して味方だということは認識している。


 だが同時に、彼女が対侵略者を意識して動いていたわけではない――という認識もあった。


 何百年も昔から王族に魔術を教え、一般的な魔術とは異なる体系の属性すらも分からぬ術式を用い、そしてエレインの居場所を知ると彼女を倒すでも絆すでもなく、同じ屋敷で暮らすことを選んだ。


 一見して支離滅裂に見えるこれらの行動は、おそらくエレインと接近し、彼女に何らかの細工をすることを最優先にした結果だとも思える。


 ドロセアに魔術を教えたのは、そもそも彼女との出会いが偶然であるためこの中には含まれないのだが。


 なので、アンターテの疑問はもっともなのだ。


 エレインのことしか考えていないマヴェリカが、なぜか侵略者を意識しだした。




「わたくしも疑問ではございますね、一体、何をきっかけにそう思うようになったのか」


「多少は話しても構わないけど、とりあえず家に入ってからにしないかい?」




 二人は警戒を解かずに、魔女の家へと足を踏み入れる。


 イナギたちが椅子に腰掛けると、マヴェリカはハーブティを淹れて二人に振る舞った。


 イナギはティーカップに顔を近づけ、香りを嗅ぐ。




「いい香りではございますが、飲んだことのないお茶でございますね」


「あまりお茶としては使わない薬草だからね。魔術研究に使おうと思ったんだけど、私の目的には適さなくてさ。在庫だけが残っちまったからこうしてお茶にして飲んでるってわけさ。悪かないだろう?」


「おいしい……」




 アンターテがぼそりとそうつぶやくと、マヴェリカは頬を緩めた。


 今のところ敵意は見えない。


 しかしそもそも真意を読むのが難しい相手だ、イナギはなおも警戒したままだ。




「さて本題に入ろうか、肉体の崩壊についてだけど」


「エレインが言うには、半年も生きられないとのことでございました」


「そこで長生きするために私を頼ったわけだ。実は私も、いずれあんたたちが探しにくるだろうと思ってたんだ。想定よりも早かったけどね。あそこで私を見つけたの、たぶん偶然だろう?」


「たまたま近くの村に滞在していたところ、森の方で爆発が起きたという噂を耳に挟んだのでございます」


「あなたが関係してるとは思ってなかったけど」


「早すぎたら事件に巻き込まれてただろうし、ある意味でタイミングは良かったわけだ」


「事件でございますか?」


「ああ、知らなかったんだね。あのあたりの村が侵略者に襲撃されてね、私は助けに向かってたんだよ。どうやら、とある人物を消そうとしていたらしいんだが、今はエレインの手に渡ってるんじゃないかな」


「エレイン様も関わってるの」


「関わってる、というより自ら関わった感じだね。世界を救う駒としてその人物をほしがったんだろう」


「それは、あなたにとって好ましいことなのでございますか」


「どうしてそう思ったんだい」


「楽しそうに話すものでございますから」




 そう指摘され、マヴェリカはわずかに停止した。


 自覚がなかったのだろう。


 だがすぐに表情を崩し、誰かとの記憶を思い浮かべながら語る。




「好ましい……そうだねえ、ほっとはしてるかな。無事でよかった、と」


「知り合いでございますか」


「たぶんね」


「そういう曖昧な言い方、嫌い」


「仕方ないじゃないか。その人間はあんたたちの知り合いでもある、でも覚えてないだろう?」


「どういう意味でございますか」


「そのまんまの意味さ。まあ、このあたりを話してたらややこしくなる、後でエレインからでも聞いておくれ」


「わたくしたちが彼女と会うことは二度とございません」


「いいや、会ってもらうよ」




 マヴェリカの言葉に、イナギは眉をひそめた。


 また魔女が何かを企んでいる――そんな顔だ。


 そんな反応にもお構いなしで、マヴェリカは言った。




「問題が解決したら、私をエレインの元に案内すること。それがあんたたちを救う条件だ」




 イナギは顔をしかめる。


 できるだけ会いたくないのだが、条件と言われると断りきれない。




「あなたをエレイン様の元に連れて行けっていうの?」




 アンターテが少し不満そうにいった。


 エレインと袂を分かったと言っても、数年間を共に過ごした情が全て消えるわけではない。




「その通りだよ、エレインだって私の頭脳がほしいだろう」


「いずれわたくしたちが来ることを知っていたから、自らエレインの居場所を探そうとしなかった……」


「よくわかったねえ」


「手のひらの上、ということでございますか」


「そんな性の悪いことはしないさ、むしろ来てくれないと困るって話だよ。弟子が喜ぶと思ってやった小細工だからね」




 弟子――そう言われてイナギの脳裏に浮かんだのはクロドの姿だったが、同時に強烈な違和感もあった。




「で、条件は飲んでくれるのかい?」


「承知いたしました。エレインの顔は二度と見たくありませんが、命の方が優先でございます。構いませんか、アンターテ」


「……ん。イナギが決めたならいい」




 エレインには会わせたくない、というのがアンターテの本音だったが、しかしそれはイナギと過ごす日々より優先すべきものではない。


 そう決めたのだ。


 だから彼女はイナギと一緒にいる。




「決断に感謝するよ。それじゃ次は今のあんたたちの状態の話になるけど、簡単に言うと魂が損傷してるんだ。私は雑に使ってるけど、魂の転移魔術なんて本来はもっとデリケートなものなんだからね。あの屋敷で私の脳内から掠め取ったところで、そう簡単に再現できやしないよ」


「エレイン様が真似するの、わかってあそこにいたの?」


「ああ、わかってたよ。悪ぶりたいエレインが私との同居を許容するには、相応の理由が必要になる。だってあいつは世界を救うために大勢の人間を犠牲にしようとした罪人だ。許されてはならない。そのためにちょうどいいんだよ、“魔術を盗むために利用した”っていう免罪符は」




 エレインはわざと悪ぶる。


 そんな彼女の姿を見たときは思いきり笑ってやれ――マヴェリカはリージェにそんな話をしていたが、どうやら彼女は“悪”であろうとするエレインのことが大層嫌いらしい。




「一つ、確認してもよろしいでございますか」




 マヴェリカの言葉に疑問を抱いたイナギが口を挟んだ。




「話せることなら」


「わたくしの認識では、エレインは魔力を介して遠くにあるものを見たり、聞いたり、場合によっては肉体に干渉することすらできるはずでございます」


「わたしも遠くからエレイン様に話しかけられたことあるよ」




 エレインが簒奪者たちの脳内に話しかけられたのは、大気中に彼女の肉体の一部である魔力が浮かんでいたからだ。




「だとしたら、もっと早くから魂を移す魔術を盗むことは可能だったのではないでしょうか。なぜ利用できると知っていながら、あの屋敷の中で盗んだのでございましょう」


「マヴェリカが記憶をガードしてたから、とかじゃないの?」




 アンターテが挙げた可能性を、マヴェリカは首を振って否定する。




「私はそんなことしてないよ、見るなら見ても構わないってスタンスだ。でもエレインは見なかった」


「一度も、でございますか」


「ああ、私があの手この手で生きながらえてることは知ってたようだけど、一度も私を見ようとはしなかった」




 呆れた様子でそう語るマヴェリカ。


 イナギも軽くため息をついた。




「どうしてエレイン様は見なかったの?」


「罪悪感……」


「だろうね」




 本人はバレないように動いているつもりなのだろうが、知れば知るほどにエレインの、悪い意味での“人の良さ”が浮かび上がってしまう。




「エレインの人となりが徐々に見えてきた気がいたします」


「かわいいだろう?」


「そう思えるのはあなただけかと」


「そりゃ素晴らしいことだ、エレインは私以外の誰のものにもならない」




 マヴェリカ的には、呆れてしまうようなエレインの一面もチャームポイントになってしまうらしい。


 良く言えば“人間臭さ”。


 迷いとか、悩みとか、そういうものを、表に出さないだけでエレインも抱いている。


 しかしそうなってくると――イナギの頭に新たな疑問が浮かぶ。


 本題とは関係ないのであえて尋ねたりはしないが、そんな“普通の人間”が、なぜ自分の肉体を捨ててまで世界を救おうなどと思ったのか、だ。


 おそらくマヴェリカはそれを知っている。


 そして知っているからこそ、イナギたちから見ると不可解な行動をとっている。


 そんな気がした。




「話が脱線しすぎちまったね」


「申し訳ございません。魂が傷ついているせいで、肉体も崩れていくという話でございましたね」


「だったら魂を治さないと」


「いや、そうじゃない。まず前提として、エレインは魔術が半端であることを承知の上で使ったんだ」


「何のためにエレイン様はそんなことを」


「死ねるだろ? 気兼ねなく、言い訳も必要もなく、そして救いようもなく。それが自分への断罪なんだよ」




 脱線した、とは言ったものの、それは先ほどの話から地続きの内容だ。


 手段を選ばず世界を救い、その末に自らを断罪する。


 それこそがエレインの目的であるとマヴェリカは語る。


 だがそれを掘り下げると、さらに話が脱線してしまうので、彼女は軌道修正を行った。




「要するに、最初から魂が長持ちしないことがわかってたわけだから、用意した肉体も適当に作ってるのさ。半年ぐらいで崩れるように」




 つまり、魂の寿命も半年程度だから、肉体の寿命もそれぐらいでいいだろう、という判断。


 そんな雑な作りでいいのならば、肉体を構成するのに要する時間は短くて済む。


 マヴェリカがエレインの屋敷を訪れたのと、ミダスが死んだタイミングを考えるとほとんど時間が無いため、急いで肉体を用意する必要があった――そう考えると、仕方のないことなのかもしれない。




「実を言うと、あんたたち二人の魂は他の簒奪者よりも損傷が小さい。二人一緒に死んだからね」


「確かに同時ではございましたが……なぜそれで損傷が少なくなるのです?」


「“距離が近かった”おかげでお互いにかばい合って、魂の損傷が最低限に抑えられるのさ」


「じゃあ、何もしなくても長生きできるの?」


「スペアの肉体さえ用意すればね」


「用意してもらえるのでございますか?」


「エレインとこに連れてってもらえるなら、肉体は私がどうにかするよ。ただし、魂の損傷はゼロではない。肉体を乗り換えたところで、普通の簒奪者みたいに何百年もは生きられないと思うべきだ」




 どちらにせよ、残された寿命は短い――そう聞かされ、アンターテはテーブルの下で不安そうにイナギの手を握った。




「十年ぐらい、でございますか」




 そう聞き返しながら、イナギも手を握り返す。


 するとマヴェリカは笑いながら言う。




「いや、百年程度かねえ」




 想像よりも長い年数に、拍子抜けするイナギとアンターテ。


 二人は顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。




「それだけ生きられれば十分でございます」


「イナギとなら永遠でもよかったけど」




 甘えるようにアンターテは言った。




「ずいぶんと牙が抜けたもんだねえ」




 マヴェリカがニヤニヤしながらそう言うと、アンターテは彼女をにらみつける。




「おっと、余計なことを言ったかな」


「アンターテをいじめたらわたくしが許しません」


「そりゃ恐ろしい、下手なことは言えないねえ」




 肩をすくめ、おどけるマヴェリカ。


 そのあと、イナギは再び表情を引き締め、元の話題に戻る。




「しかし……あなたであっても、傷ついた魂を治療することはできないのでございますね」


「四百年ぽっちじゃ時間が足りなかったよ」




 自虐的にマヴェリカは言った。




「……」




 対して、イナギは無言でそんな彼女を見つめる。




「まだ何か?」


「いえ、何でもございません」




 微妙な含みを持たせたまま、その場での会話は終わった。




 ◇◇◇




 イナギとアンターテは、ベッドが一つだけ置かれた客室に案内された。


 シングルベッドなので、夜は抱き合って眠ることになるだろう。


 ここにたどり着くまでの道中も、宿屋や野宿で身を寄せ合って眠ったので、それと同じことだ。


 マヴェリカ曰く、術式と新たな肉体の作成には一晩かかるそうで、今日はここに泊まる予定である。


 彼女は一晩()かかってしまうと言っていたが、イナギたちからすれば一晩で済む方が驚きだ。


 まあ、彼女たちがここに来ることを予想していたようなので、前もって準備をしていたのかもしれないが。


 外は暗くなりはじめていたが、まだ眠るには早い時間。


 ベッドの上に座るイナギと、その足の間にすっぽりと入るアンターテ。


 何気ない会話を交わす二人だったが、ふとアンターテは不機嫌そうに指摘した。




「イナギ、さっきからずっとわたし以外のこと考えてる」


「そんなことはございません。目の前にアンターテがいるというのに、それ以外を考えるなどと……」


「嘘はよくないと思う」


「う……」


「正直に言って」


「その、釈然としないのでございます」


「マヴェリカが、快くわたしたちを助けてくれたこと?」


「ええ、そうしてもマヴェリカには何もメリットが無いというのに、彼女はやけに機嫌がいいのでございます」


「単純に何か良いことがあったとかじゃないの。例えば、わたしたちが来たことで、エレイン様とまた会えるからとか」


「それだけで、ああも高揚するものでしょうか。彼女の魔術があれば、肉体を持つ今のエレインを探すことなど容易だと思えるのですが」


「イナギがそこまで言うってことは、マヴェリカは何か隠してるってこと? わたしたちを助けようとしてるのも、嘘なの?」


「いえ――そこに関しては、嘘はついていけないと思うのです。わたしたちの寿命は伸びる、しかし……」




 マヴェリカに謎が多いのは今に始まった話ではない。


 考えても考えても、真実にたどり着くには、持っている情報が少なすぎた。


 吐息を吐き出したイナギは、あっさり思考を放棄する。




「……まあ、考えても無駄なことでございますね」


「諦めた」


「アンターテの言う通り、あなたのことだけを考えていた方がずっと有益でございますから」


「そうだよ、せっかくこういうことできるようになったんだから」




 アンターテはイナギの手を取ると、頬に当て、その温もりを味わう。


 イナギもまた、当たり前のようにアンターテに触れられる幸せに浸るのだった。




 ◇◇◇




 一方その頃、マヴェリカは地下室にてイナギとアンターテの肉体の最終確認を行っていた。


 完璧だという確信はあるが、しかし二人の魂の転移を行うのは初めての経験だ。


 感覚に頼らず、いつも通りのチェックを行い不安要素を潰す。


 それが魂を扱う魔術には重要な心構えだ。




「口からでまかせが過ぎたかねぇ、魂が近ければ損傷が小さいって我ながら雑すぎる口実だ」




 イナギの脇腹あたりに手を当て、感触を確かめるように指先を沈ませる。




「とはいえ、完全な形で蘇生できると正直に話せば都合が良すぎる。あれでよかったってことにしておこうじゃないか」




 独り言が増えたのは、一人暮らしが長かったからだろう。


 あるいは、エレインが聞いてくれるかもしれない――そんな期待が心のどこかにあったのだろうか。




「それに今さら気づかれたところで、私の勝ちは揺るがない」




 もし聞いていたら。


 もし知ってしまったら。


 彼女はどんな顔をするだろう。


 それを知りたいと思う一方で、しかしどうせなら自分の目の前で気づいてほしい。


 その瞬間の表情を、自らの目に焼き付けたい。


 それがマヴェリカの願いだ。




「エレインは私のプレゼントを喜んでくれるかねえ」




 そう遠くない未来の出来事を想像しながら、彼女は準備を着々と進めていった。




 ◇◇◇




 翌朝、地上一階のマヴェリカの研究室にて、イナギとアンターテは己の肉体と対面することとなった。


 台の上に横たわる、白い布を着せられた自分そっくりの、けれど空っぽな魂の器。




「うわ、気持ち悪い」




 アンターテは真っ先にそう言った。


 イナギも本当はまったく同じことを思ったが、大人らしく当たり障りのない感想を口にする。




「精巧に作られておりますね」


「精巧も何も同一だからね。魂の器になるんだ、完璧に作らないとまた寿命が短くなる」


「今からこれに魂を移すの?」


「それでも構わないけど――私としては、侵略者の戦いで思う存分に命を使い果たしてほしいかな」




 スペアさえあれば、力の解放を行い、魔物化しても人の肉体で復活することができる。


 どうせ半年しかもたないのなら、確かに使い捨てで利用した方が有益ではあった。




「それでもこの肉体に入れるのでございますか」


「世界が滅びなければね」


「では、全力で侵略者と戦うしかありませんね」


「結局、そこに戻るんだ」




 侵略者は人類全ての敵だ。


 長く生きたいのなら、その壁は避けて通れない。




「今回は私も協力するんだ、大船に乗ったつもりでいるんだね」




 胸を叩きながら、マヴェリカは自信満々にそう言った。


 無論、イナギとアンターテはそんな彼女を訝しむ。




「その船――」


「イナギ、泥舟だなんて言い出すんじゃないだろうね」


「人間の骨や肉で作ってそうだと思いまして」


「余計にイメージが悪いじゃないか!」


「人間の体を複製できる人だから」


「アンターテ。言っておくが、私はできるだけ多くの人間に生き残ってほしいと思ってるんだ」


「エレイン様と向いてる方角が違うだけで、似たようなこと考えてるのかと思った」


「エレインと生きてた頃は、あいつのこといじめる人間なんてクソだと思ってたけどね。四百年も見てりゃ情ぐらい湧くさ」




 最初に王族を保護して面倒を見ることになった出来事は、まったくの偶然だった。


 それから、代々の王族に魔術を教えることになったのも、実を言うと成り行きである。


 そんな中で、この世界に暮らす人々に、多少なりとも愛おしさを感じたのは事実だ。


 もっとも、それがエレインへの想いを上回ることはないが。




「エレイン様っていじめられてたんだ」




 アンターテが引っかかったのはその部分だった。


 簒奪者たちは、エレインの過去をほとんど知らない。


 というより、彼女は人間だった頃について何も語ろうとしないので、それを知っているのはマヴェリカだけだ。




「人類を魔物に変えようと思ったのはそれがきっかけなのでございましょうか」


「いいや、違う」




 きっぱり否定するマヴェリカ。


 彼女には、はっきりとその原因が見えていた。




「悪魔にそそのかされたせいだ」




 アンターテは首を傾げ、「悪魔……?」と聞き返したが、マヴェリカは何も答えない。


 以降、質問を投げかけても彼女が悪魔について語ることはなかった。




 ◇◇◇




 イナギとアンターテがエレインの現在の拠点に戻ってきたのは、その翌日のことだ。


 あれだけエレインを罵倒して出ていったイナギがそこにいるのを見て、ガアムが許すはずがなかった。




「どの面下げて戻ってきたんだ」




 彼はむき出しの殺意を向ける。


 対するイナギは呆れながらも、連れてきた“三人目”を彼に見せた。




「こちらの面でございますよ」




 マヴェリカが「よう」と笑みを浮かべると、ガアムは明らかに動揺する。




「お、お前は……」


「そう身構えなくていいよ、もう殺さないからさ」




 マヴェリカはぽん、とガアムの肩に手を置く。


 そして彼の横を通り過ぎると、玄関を抜けてまっすぐに食堂へ向かった。


 中に入ると、待ち受けるようにエレインが一人で座っている。




「マヴェリカ、来たのね」


「来ると思ってただろ、私の魔術を使った時点で」


「あなたのことだもの、検知ぐらいしてるだろうとは思ったわ」


「まあ安心しな。私がここに来た理由は、侵略者との戦いを手伝うためだ」




 マヴェリカはエレインの隣に座る。




「やけに人の気配が少ないな、どこかに向かわせてるのかい?」


「別の場所で鍛錬中よ。守護者を使いこなすためのね」


「やっぱあれ使うことになったんだな」


「使わない理由が無いでしょう」


「私も同感だ」




 すっかり人の肉体を取り戻したエレインと、平然と語り合うマヴェリカ。




「しかし、やっぱりエレインはそっちの体の方がいいね。かわいいよ」


「ありがとう。久々に言われたわ、かわいいって」


「前は会うたびに言ってたような気がするよ」


「会うたびに何回も、の間違いでしょう」


「言われなかったらそれはそれで寂しかったろ」


「さあ、考えもしなかったわ」




 そんな二人の背後から、ガアムが近づく。




「待て、マヴェリカ。俺はお前のことを信用してないからな!」


「ああ、そうかい。ところでエレイン、話したいことがあって――」




 マヴェリカはガアムの方を見ることすらなく、軽く受け流す。




「おい、こっちを見ろ」




 なおも納得いかない彼は、声を荒らげる。




「マヴェリカッ!」




 そして彼女に近づき、肩に手を伸ばそうとしたとき――冷めた視線が彼に向けられた。




「一回殺してやったろ? それで終わりだ、もうお前に何の興味も無い」




 憎しみや怒りではなく、ただの無関心。


 それを悟った彼は、簡単に腕を下ろすと、肩を落として食堂を出ていった。


 もう少し食い下がると思っていたマヴェリカは、一応エレインに確かめる。




「エレイン、あんた何か言ったのかい」


「期待するなって教えただけよ」


「あーあ」


「何よ」


「そりゃ、一方的にアイデンティティを与えておいて、それを木っ端微塵に砕いたんじゃ傷つきもするだろう」




 どうやら、もうマヴェリカに殴りかかる元気が無いほどに、ガアムのプライドは砕け散っているらしい。




「まあ、どうでもいいんだけどな……でだ、私が持ってきた魔術はこれなんだが」




 気を取り直して、マヴェリカは手のひらの上に青い球体を浮かび上がらせる。


 その表面や内側には、複雑な幾何学模様が絡み合いながらうごめいていた。




「これは……魔力を用いた情報の保存と圧縮……」


「さすがエレイン、すぐに理解したようだね」


「しかもシールドの応用じゃない、精霊を介さない想定外の用途だわ。加えて、中身も守護者にまつわる情報……」




 それはトーマに使ったものと同一の魔術であった。




「これを人間の脳にぶち込むだけで、守護者が使えるようになる」


「脳は大丈夫なの? 常人が耐えられる情報量には見えないわ」


「A級魔術師の男の子に試したけど、まだ圧縮率が足りないかなって感じだったよ。ひどい頭痛があるらしくて、嘔吐しちまった」


「脳が破裂しなかっただけ良かったわね。それで、圧縮率を高めるために私に手伝ってほしいの?」


「いいや。エレイン、あんたは“魔力”を通じて他人に干渉することができるはずだ。クロドとの戦いでそうしたようにね」


「そうね……でもマヴェリカ、たぶんそれクロドじゃないわよ」


「認識はしてるよ。ただ元の名前が思い出せないもんでね」


「ドロセア」




 エレインの口から発されたその言葉を聞いて、目を見開くマヴェリカ。


 失われた記憶が戻るわけではないが、驚くほど“しっくり来る”名前だった。




「記録してたのかい」


「世界を救うために頑張ってくれてるんだから、名前ぐらいはね」




 いち早く、侵略者が“存在”を食う可能性に気づいたからこそ、できた対策だろう。




「じゃあ改めて――エレインは魔力を通じて他人に干渉できるはずだ、ドロセアにそうしたように」


「ええ、そしてやり方さえ考えれば、マヴェリカが考えてることもできるはずよ」




 エレインは簒奪者たちに守護者を習得させようとしている。


 だが一方で、いくら簒奪者が強力な魔術師だったとしても、十億匹全ての侵略者を相手にするのは無理だとも理解していた。


 できるだけ多くの守護者を、できるだけ短い期間で。


 そのための最善と思える方法を、マヴェリカはもたらしたのである。




「魔力網を介して、守護者の使い方を老若男女問わず全人類の脳に焼き付ける」


「ああ。全人類の魔物化ならぬ、全人類の守護者化だ」




 それは人が人でありながらも、侵略者という怪物と互角にやり合うための、たった一つの方法。




「十億の侵略者に、六千万の守護者をぶつける……文字通り、世界規模の大戦争になるわ」




 一方的な蹂躙となるはずだった侵略が、戦争に――“戦い”になる。


 だが全人類の守護者化に、世界を救う以外の意味が含まれていることに、エレインはまだ気づいていなかった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公等にチート能力付与する作品は数有れど、全人類に付与するのは殆ど無かったような。 精霊喰らってる?らしいので、リソース切れが問題になりそうですが、果たして。
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