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070 名誉の奴隷か、私欲の旅人か

 



 今から数日前――エレインがドロセアに破れた数時間後。


 王都北東部の森にある、古びたお屋敷にて、ミダスは目を覚ました。


 ベッドから起き上がり、すぐに辺りを見回す。


 隣のベッドには、見知った女性が横たわっていた。




「シセリーッ!」




 彼は眠るシセリーの肩を揺らす。


 すると彼女は薄っすらと目を開き、ミダスの姿を見て微笑んだ。




「おはよう……あら? ここは……」




 だがすぐに異変に気づく。


 彼女は力を解放し魔物化したあと、ドロセアに敗北し死んだはずなのだ。


 ミダスも同様に、アーレムの街で殺されたはずである。




「夢? それとも地獄?」


「にしては生々しいと思わねえか」


「まさか……生きてるっていうの?」




 生きてまた会えたことを喜びたいところだが、こうも状況が理解できないのでは素直にそうもできない。




「とりあえずここがどこか確かめるぞ、立てるか?」


「ええ、体に問題はないわ」




 ミダスにエスコートされ、しっかりと両足で立つシセリー。


 やはり肉体に異常はない。


 いや――どことなく違和感があるような気はするが、具体的にそれが何なのかはわからなかった。


 二人が部屋を出ると、長い廊下がある。


 左右を見回すと、ちょうど右手の部屋のドアが開いた。




「あなたは……」


「あんた、ドロセアと一緒に行動してた」


「イナギよね」


「そういうお二人は、ミダスとシセリーでございますか」


「あの二人も生きてるの!?」




 顔は見えないが、部屋の中から少女の声が聞こえてくる。


 年相応というか、少し甘えたような声だったのでミダスは一瞬気づけなかったが、どうやらそれはアンターテの声らしい。


 部屋から出てきた白髪の少女は、不思議そうにミダスとシセリーの顔を交互に見た。




「やっぱりみんな生き返ってるんだ」


「生き返ってるって……お前たちも死んだのか?」


「ええ、色々ございまして」


「でもどうやって死人を集めたのかしら……ここにいるのが簒奪者(オーバーライター)だらけの時点で想像は付くけれど」




 各々がエレインの名を頭に思い浮かべる。


 イナギはそれだけで苛立ちを隠せない様子だった。


 彼女からしてみれば、あんなこと(・・・・・)があった直後だ。


 おそらくエレインの顔を見た途端に襲いかかり、殺そうとするだろう。


 そんなイナギの心中を察してか、アンターテは心配そうにしているが、しかしその憎悪を止められないこともわかっている。


 自分のせいでもあるから。




「ひとまず他の部屋を回ってみるか。エレインのことだ、食堂あたりで茶でも飲んで余裕かましてるんじゃねえか」




 ミダスは皮肉っぽく言った。


 シセリーもくすりと笑い、彼に続く。




「全員分用意してくれてるかしら」


「当然だろう」




 ガチャリとすぐ近くの扉が開くと、そこからガアムが顔を出す。


 そしてなぜか偉そうに胸を張った。




「エレイン様は完璧だからな」


「相変わらずだな、ガアム。お前も死んだのか」




 そう言われた途端にガアムの表情が曇った。




「……あの魔女に殺された」




 マヴェリカの恐ろしい形相を思い出すだけで体が震える。




「エレイン様がこうして二度目の命をくれなければ、あの悪辣な魔女に殺される屈辱的な結末を迎えてるとこだったよ」




 食堂に入ると、そこにはエレイン――と思われる明るい茶色の髪をしたロングヘアの女性と、複数人の簒奪者の姿があった。


 当然、カルマーロや、カタレブシス軍の将軍だったヴェルゼンもいる。


 エレインはミダスたちを見て微笑むと、




「好きなところに座って」




 とお茶会に案内するかのように優雅に手で誘導した。


 ミダスは想像通りの振る舞いをする彼女を見て思わず「ふっ」と鼻で笑う。


 そして奥の椅子にシセリーと並んで腰掛けた。


 ガアムはエレインのすぐ傍に座り、




「な、なんて美しいんだ……これがエレイン様の本当の姿なのかよ」




 と、人間の肉体に戻ったエレインに感激している。


 そしてイナギは――




「どうしたの、イナギ」


「あなたを殺します」




 そう一言告げると、エレインの首を絞めた。




「何をしてる、アンターテそいつを止めろ!」




 反射的に叫ぶガアム。


 だがアンターテは気まずそうに目をそらしたまま、動こうとはしない。


 その間にもイナギはエレインを床に押し倒し、馬乗りになって首を絞める両手に力を込めていた。




「ふーっ、ふうぅぅっ、よくも、よくもアンターテをあんな姿に……ッ!」




 なおもイナギは興奮した様子で、全力で首を絞める。


 一方、エレインの首はそのあまりに強い力にうっ血していたが――




「あの子が望んだことよ」




 呼吸はできているし、喋ることもできる。


 風の精霊の力を使っているのだろう。


 それを見て、イナギを拘束しようと近づいていたガアムは足を止めた。


 エレインは抵抗していない。


 そこに何らかの意図があると感じたからだ。




「あなたにアンターテを託したとき、なんと言ったか覚えていますか!?」


「任せて、とか。優しい子に育てる、とか。自分の子供と思って接する、とか。そんな感じだったわね」


「そう、あなたは言った。そしてその果てにわたくしは――わたくしはッ!」


「人の肉体にこだわる意味はないじゃない。私は、私が正しいと思うようにアンターテをしつけただけよ」


「我が子を化物に変えて死に至らしめる親などいるわけがないでしょうッ!」


「あら、私は自分で人間の体を捨てたのよ? それぐらい当たり前に――」


「ならば死になさい!」




 窒息しないのなら――と、首が千切れそうなほど強く、強く手に力を込めるイナギ。




「第一に見抜けなかったわたくしが悪い。第二に、どこまでも薄っぺらいあなたが悪い! 世界を救おうとする神としても、簒奪者(オーバーライター)たちの長としても、アンターテの保護者としても、どこまでも、どこまでも――あなたの行為には、魂が宿っていない!」




 イナギのその指摘に、エレインはくすりと笑った。




「否定もしないのでございますね」




 彼女は呆れ顔でそう言うと、その手から力を抜いた。




「あら、もういいの?」




 エレインはそう言って、くっきりと痕の付いた首に触れる。


 指先で凹凸を感じられるほど肉は変形していた。


 しかし彼女の反応は、蚊に刺された程度のもの。


 イナギもわかっていた。


 素手で攻撃したところで、エレインにダメージなど与えられないことぐらい。




「どうせ殺せないのでございましょう。相手をするだけ無駄――いや、責めるほどにあなたを喜ばせるだけでございます。わたくしは、あなたの贖罪の道具になるつもりはございません」




 そう言って立ち上がると、アンターテの手を取り、早足で食堂の出口へと向かう。


 アンターテは引っ張られながら、困り顔でイナギに尋ねた。




「イナギ、どこ行くの?」


「ここではない場所に。まずはドロセアたちと合流いたしましょう」


「待ちなさい」




 エレインが声をかけても、イナギは振り向かない。




「聞く耳を持ちません」


「あなたたちの肉体について大事な話があるのよ」




 だがそう言われると――悔しげに唇を噛みながらも、止まるしかなかった。


 エレインはイナギの背中に向けて語りかける。




「今、こうして私たちが生きてるのは、マヴェリカの転生の魔術を模倣した結果よ」




 マヴェリカは肉体が破壊されても、別の場所に用意されたスペアに魂を移動させることができる。


 実際、スペルニカの屋敷でも何度かその魔術を使っていた。


 エレインはそれらを解析し、己のものとしていたのだ。




「あのとき、マヴェリカを利用してるって言ったのはこのことだったのか……」




 ガアムが一人、そう納得する。


 さらにエレインは説明を付け加えた。




「ただし、簒奪者の魂は普通の人と少し違っててね、完全な形で転生させるには時間が足りなかったの」




 そこまで話したところで、イナギがため息をつきながら振り返る。




「前置きが長すぎます、結論を聞かせていただけますか」


「その肉体、半年も生きられないわ」




 イナギはショックを受けたあと――腕が震えるほど右手を強く握りしめ、エレインを睨みつけた。




「私を睨んだって現実は変わらない」


「あなたは……どこまでも……ッ!」




 わかっている、もう元の体に戻らないことは。


 アンターテと生きて再会できて、ようやく二人で過ごせると思った矢先にこれだ。




「つくづく人をがっかりさせるのが好きなのでございますね」


「好んでやってるわけじゃないわ」




 捨てゼリフを吐いたイナギは、今度こそ食堂を出る。


 そのままアンターテの手を引いて、屋敷の外を目指した。


 すると玄関の直前で、誰かが後ろから追いかけてくる。




「あ……カルマーロ」




 イナギとアンターテは足を止める。


 おそらくカルマーロは別れを言いに来たのだろう。


 イナギは邪魔をしないよう、一歩後ろに下がる。




「我、謝罪」




 カルマーロは、開口一番にそう言った。


 首を傾げるアンターテ。




「わたしに?」




 世話にはなったが、謝られることなど無い。


 だがカルマーロは、そうは思っていないらしい。




「我、妹、死んだ」


「知ってる」


「アンターテ、その、代わり」


「っ……」




 包み隠さず、失った辛さをアンターテで埋めていたと認めるカルマーロ。


 そして彼は、深々と頭を下げた。




「ごめんなさい」




 たどたどしい発音で、けれど気持ちはこもっていた。




「いいよ……代わりでも、カルマーロがいてくれたから寂しくなかった」




 きっとカルマーロがほしかったであろう、許しの言葉。


 彼が顔を上げると、アンターテは微笑み、彼もぎこちなく笑い返す。


 そして彼女は言った。




「ばいばい」




 カルマーロは、やはり怪しげな発音で答える。




「さようなら」




 そしてアンターテはイナギの手を握り、屋敷を出た。


 少し歩いたところで、アンターテが口を開く。




「体のこと、どうするの?」


「生きる方法を探すに決まっております。わたくしは生涯、二度とアンターテの手を離すつもりはございません」


「う、うん……」




 あまりに勢いよく恥ずかしいことを言うので、その熱に困惑するアンターテ。




「マヴェリカを探しましょう、転生魔術の使い手ならば何か方法を知っているかもしれません」


「わかった」




 あっさり承諾するアンターテだったが、イナギにはどうしても気になることがあった。




「しかし肉体を取り戻せば、普通の人間とは違う長い人生が待っております」


「何百年も、生きるんだよね」


「アンターテは、悠久の時をわたくしと生きたいと思っておりますか?」




 イナギがそう問いかけると、アンターテは握った手にきゅっと力を込めた。




「あのとき、握られなかった手に……こうして触れているだけで、わたしの中の空っぽだった部分が、温かいものに満たされていく」




 もう一方の手を胸に当て、伝わる心音から何かを感じとるように、目を細める。




「エレイン様の役に立つこととか、世界のために命を使うとか、そういうもので埋めようとしても……結局、イナギの代わりなんて何もなかったんだよ」




 こうして隣り合って歩くだけで得られる幸せは、簒奪者として行動していたときには一度も得られなかったもの。


 どうして離れ離れになっていたのか、その時間がバカバカしく思えるぐらい、満ち足りていた。




「ごめん」




 だからこそ、申し訳ない気持ちになる。




「何を謝っているのでございますか」


「あれだけ代わりにするの許さないって言ってたのに。自分にも、カルマーロにも甘かったなと思って」


「ああ……そこでございますか」


「結局、わたしのあれも、口実だったんだと思う」


「わたくしが手を離したことの、でございますね」




 アンターテはこくりと頷く。




「エレイン様には申し訳ないけど、わたしはずっと、イナギに近くにいてほしかった」


「全てはわたくしの過ちでございます」


「わたしのせいでもある」




 繰り返し交わした言葉により、二人がそれぞれ犯した過ちは浮かび上がり、そして二人は許し合った。




「そう認められたから、また一緒にいられる」


「そうでございますね」


「ここまで来れたのは、イナギが身勝手なわたしを我慢してくれたおかげ」




 イナギは最初から最後までずっと、アンターテのためだけに動いてきた。


 一方でアンターテは、追いかけてくるイナギを突き放して、時には殺そうともしていた。


 それでも、彼女の深い愛情は尽きることがなかった。




「見捨てないでくれて、ありがとう」


「見捨てるわけなどございません」




 イナギはぐいっとアンターテを引き寄せると、小柄な彼女を片手で抱き上げ、視線の高さを合わせた。


 至近距離で見つめられ、アンターテの頬が染まる。




「アンターテはわたくしにとって、我が子であり、妹であり、仕えるべき主でもあるのでございますから」




 爽やかにほほえみながら、イナギは言い切る。




「たとえ拒まれても、一生つきまとうと決めたのでございます」




 こんなに愛されて、幸せでないことがあるだろうか。


 ああ、本当にバカバカしい。


 こんなに光り輝くものを自ら突き放していたなんて――アンターテはそう思わずにはいられなかった。


 そしてもう離さないという誓いを込めて、ぎゅっとイナギに抱きつく。




「もっと……増やせるといいな」


「何をでございますか?」


「ん、こっちの話」




 迫る侵略者。


 半年後の崩壊。


 そんな絶望を感じさせないほど、イナギとアンターテは優しいぬくもりに包まれていた。




 ◇◇◇




 イナギたちを見送ったカルマーロが戻ってきたあと、話を再開しようとするエレイン。


 そんな彼女に、ミダスは問いかけた。




「行かせてよかったのか」


「嫌われてるもの、仕方ないわ」


「それがわかってたんなら何で蘇らせたんだよ」


「個人的な感情なんてどうだっていいじゃない、私の目的は最初から侵略者(プレデター)の手からこの世界を守ることよ? S級魔術師を越える才能を持つ簒奪者は、そのための貴重な戦力だもの。人類同士の潰し合いで命を落とすのはあまりにもったいないじゃない」


「さすがエレイン様だな、そこまで考えてやりあってたのか」




 ガアムは腕を組み、理解者面して頷いている。




「では今後は守護者(ガーディアン)の使用者たちとは敵対せず、共闘するということかのう」




 ヴェルゼンが貫禄のある声で尋ねると、エレインは「もちろん」と答えた。




「さっきも話した通り、この肉体の寿命は半年も無いわ。ほら見て、私なんてもう崩れてるところがあるんだから」




 小指の先から、わずかに中の肉が見えている。


 完全に崩壊すると、それが全身に及ぶらしい。


 シセリーは“醜さ”を誇るようなエレインに呆れながら、ため息混じりに言った。




「要するに今の私たちの命は、世界を救うためだけにあるということね」


「最初から失われることが確定しているんだもの、これならミダスとシセリーも侵略者を恐れる必要はないでしょう?」




 ちくりと裏切った二人を言葉で刺すエレイン。


 ミダスは肩をすくめる。




「耳が痛えな……」


「自業自得」


「おいおい、カルマーロお前そんな辛辣なこと言うやつだったか?」


「だがどうするのだ。わしはドロセアと殺りあったが、ありゃ力の解放ぐらいでどうにかなる相手ではないぞ」


「現にエレインだって負けたからここにいるのよね」




 ヴェルゼンとシセリーが続けてそう言うと、ガアムが不服そうに声を上げる。




「あのときはまだエレイン様の肉体は不完全だった。だが見てみろよ、今の完全な肉体があれば――」




 負け惜しみを言う彼を諫めるように、エレインは言った。




「負けるわ」


「っ……い、いや、そんなわけっ!」


「簒奪者は守護者に完全に敗北した、それが全てよ。この世界を守る主導権はドロセアたちにあるし、私たちは彼らの足を引っ張らないように立ち回らないといけない」




 こうも主に言い切られると、ガアムはもう何も言えない。




「もう簒奪者って名前も必要ないわね。だってあれ、人類からこの世界を守る権利を奪うという意味で付けたものなんだから。私たちは、ただの人間よ。守護者よりも弱い、ね」


「俺は早々に負けちまったからその理屈にも納得行くけどよ。で、これからどうするんだよ」


「そんなの決まってるじゃない」




 エレインは明るい笑顔で告げる。




「守護者を使って侵略者と戦うわ」




 かつて殺し合った敵の軍門に下る、と。




「ふむ、わしらもあの魔術を身につけるというわけか」




 納得し、頷くヴェルゼン。


 だがガアムは不満げだ。




「待てよっ、俺らもあの魔女たちと同じ力に頼るってことか!?」


「道理。それが最善」


「ふざけるなよカルマーロッ! ヴェルゼンもそうだ、納得してんのか!?」


「わしらはこの世界を守るために戦っておる。世界の前にプライドなど無意味ではないか」


「ミダス、シセリー。お前たちは――」


「守護者には興味があるわ。どうせ半年で枯れる命ですもの、最後に派手に花を咲かせてみたいと思わない?」


「同意だな。ま、正直侵略者にビビってる俺はカッコ悪かったしな、力があるなら抵抗してえよ」


「あら、私のためにプライドを捨ててくれるミダスは、また別の覚悟を感じられてかっこよかったわよ」


「そこまで惚れさせちまうとは俺も罪な男だ。償うためにも、“本物のかっこよさ”ってのを見せてやらねえと男がすたる」


「ふふ、やっぱりミダスは最高の男ね」


「まだその評価を下すには早すぎる」




 ガアムそっちのけで惚気けるミダスとシセリー。




「お、おい、もっと真面目に……っ」


「あなたは嫌なの?」




 エレインの瞳が真っ直ぐにガアムを見ると、彼は蛇に睨まれた蛙のように「う……」と言葉に詰まる。


 そして唇を噛みしばし悩んだ末、何かを決心したようにまくしたてた。




「俺は……あの魔女の手のひらの上で踊らされてるみたいで嫌なんだ。あいつは、魔女どころか悪魔だ! まともじゃない。エレイン様を地獄に引きずり込むような――そんな不気味さを感じる! 守護者が生まれたのはあのマヴェリカの影響もあるんだろう? ドロセアはあの魔女の弟子なんだろう? じゃあそんな魔術、使うべきじゃない。何か罠が仕掛けられると考えるべきだ!」


「ところでエレイン」


「話に割り込むな、ミダス!」


「関係ある話なんだよ。この屋敷もまた随分と森の深いところにあるみたいだが――こういう場所、好きなのか? 前の拠点も、その前もそうだったよな」


「深い意味は無いわ、人の目がないから動きやすいだけ」


「侵略者との戦いを本格化させるなら、もっと人里に近い方がいざって時に移動の手間が省けるだろ」


「何が言いたいの」


「いや、俺にはどうもあんたが、“誰かの影”を求めてこういう場所を選んでるような気がしてね」




 何かを見透かしたように白い歯を見せ笑うミダス。




「ミダスったら、その“目”でエレインを見るなんて嫉妬しちゃうわ」


「許してくれよシセリー、見えちまったもんは仕方ねえだろ」




 不敵に笑うミダスの表情が、ガアムの不安をかきたてる。




「エレイン様……?」




 彼が弱々しくエレインの名を呼ぶと、彼女は「ふっ」と軽く表情を崩した。




「私は別に、森の奥の静かな家なんて好きじゃないわ。だって街中も森の中も、私にとって静かな場所なんかじゃないもの」




 精霊の声が聞こえる彼女にとって、むしろ自然豊かな森の中は騒がしいぐらいだ。


 一般人がこの場所に抱くイメージとは全く異なる。


 まあ、そういうギャップが、エレインを孤独にしたのだが――




「だから――そういう場所を選ぶのは、私自身の選択ではないのかもしれないわね。約束したのよ、大昔、いつか二人でこういう場所で暮らそうって」




 そんな彼女の気持ちを変えられるのは、ただ一人。


 どんな苦しいときでも、世界中が見捨てても、常に近くにいてくれた、マヴェリカだけだ。


 もはや魔女へ向ける感情を隠しもしないエレインに、ガアムはショックを受ける。




「そ、そんな……どうしてだよ、エレイン様。どうしてあんな女のことをっ! あいつは危険で、気持ち悪くて、狂ってて!」


「ガアム」




 取り乱し、大声を出すガアムを諫めるエレイン。


 しかし彼は止まらない。




「なあおかしいだろ、あんなストーカー女をまだ想い続けるなんてッ!」


「ガアム」




 二度、名前を呼んだ。


 なおもガアムは口を閉じない。




「なあなんとか――」




 これで三度目。




「猶予は与えたわよ」




 エレインはガアムに手のひらを向けた。


 すると彼の体は椅子ごと吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。




「がっ、ぐ……ぐ、ふっ……」




 椅子は粉々に砕け、後頭部を強打したガアムは意識を朦朧とさせた。




「もし私にそういう意味での期待を抱いているのなら諦めなさい。とうの昔の人間としての私は死んだのよ。時計は動かない。死の瞬間に抱いていた感情が、凍りついて心の中に残り続けるだけ」




 さらに現実を突きつけ、追い打ちをかける。


 エレインの言葉を聞いて、ヴェルゼンは顎髭をつまみながら感心している。




「まるで永遠の愛ではないか」


「いい思い出よ。思い出すたび、懐かしさと罪悪感で私を苦しめてくれる」


「クソ……何でだよ、何で……クソぉっ……!」




 うわ言のようにそう言いながら、瞳を潤ませるガアム。


 エレインはそんな彼にもう興味を示さなかった。




「さて、話が脱線してしまったわね。私たちには時間が無いのよ、下らない与太話で浪費している場合ではないわ」


「容赦ねえなあ」


「人の心なんて無意味なものにしがみつく意味はないでしょう」




 そう言って余裕を見せるエレイン。


 それを見たシセリーが、ミダスにぼそりと呟く。




「好きな人を馬鹿にされて怒ってるだけにしか見えないわね」


「言ってやるな、殺されかねん」




 実際、エレインには聞こえていたわけだが――聞かぬふりをして、彼女は話を続けた。




「守護者を習得するための訓練内容については、マヴェリカから手に入れてる。まずは各自でこれを実践してもらうわ」




 彼女の後ろにある棚から数冊の本が浮かび上がり、テーブルの上に着地する。


 中身は、魔術によって自動的に記された、守護者に関する研究資料だ。


 簒奪者たちはそれに手を伸ばすと、さっそく守護者を身につけるために動き出した。




 ◇◇◇




 それから数時間後、一通り本を読み終えると、簒奪者たちは外や自室で実践的な訓練に移ろうとしていた。


 だがガアムはまだ立ち直れないようで、壁に背を預けてぐったりと床に座り込んでいる。


 そんな彼の前に、ミダスがやってきた。




「ほれ、厨房にあったブランデーだ。嫌なことは酒を飲んで忘れろ」




 年代物のブランデーをガアムが受け取ると、ミダスは後ろで待っていたシセリーと共に食堂の出口へ向かう。


 一方でガアムは、いきなり瓶に直で口をつけて、中身を一気に胃袋に流し込んだ。




「う、ううぅ……っ、んぐっ、んぐっ……んぶっ!?」




 早速むせて、逆流させている。


 ちょうど食堂を出ようとしていたシセリーは、そんな彼を呆れ顔で見ていた。




「あれ、もしかして飲んだことないんじゃない?」


「だったら余計に効くだろ」




 その後、ガアムが潰れて眠るまで、十分もかからなかったという。




 ◇◇◇




 その後、数日かけて徐々に守護者を身につけていった簒奪者たち。


 だがあるとき、エレインが珍しく眉間にしわを寄せ、廊下をうろうろしていた。


 彼女の手元には、自身で書いたと思われる一冊の本がある。


 ちょうど通りがかったミダスに、エレインが声をかける。




「ねえミダス。ドロセアって名前を知ってるかしら?」


「聞いたことある気がするが……」


「じゃあクロドは?」


「俺たちを殺した守護者使いだろ、知ってるに決まってる」




 王国の王子にして、守護者を作り出した英雄クロド。


 なぜ彼が国王にならなかったのか、疑問を抱く者は多い。


 まあ、彼が“英雄”になったのはつい最近のことなのだから、当然なのだが。




「ここには、ドロセアこそが守護者を生み出した当人だと書いてあるのよ」


「どういうことだ?」


「ドロセアが侵略者に存在質を捕食された」


「つまりクロドが侵略者だってことか? とてもじゃねえが信じられねえ」


「存在質の捕食ってそういうことよ」




 聞いているだけで気分が悪くなる能力だ。


 ミダスは思わず舌打ちした。




「チッ、だったら片っ端から食えばいいだろうに」


「おそらく食べすぎると矛盾するのよ。今、ここで私がドロセアの存在に疑問を抱いたように」




 ゾラニーグのときも同様に、気づこうとした人間がいた。


 それを繰り返せば、クロドこそが侵略者にとって重要な立場の個体であることがバレてしまう。


 ちょうど、今のように。


 するとエレインは片目を閉じた。




「魔力の瞳を通じてクロドの周辺を探ったのだけれど、ジェシーがそのドロセアと思しき少女を連れて逃げているわ」


「ジェシーっていうと……」


正しき選択(ジェンティアナ)の首領よ。あなたは会ったことないかもしれないけど」


「ああ、そういうことか。別の顔と名前のときに会ってるかもな」




 ミダスは、今のように世界を救う使命に目覚めた正しき選択とはあまり接点が無いが、以前の、ただ金のために暗殺を繰り返す組織だった頃には何度か遭遇したことがある。


 頼む側としても、狙われる側としても。




「それで、俺がそいつを回収しにいけばいいってことか?」


「頼めるかしら」


「シセリーも連れてくぞ、寂しがるからな」


「構わないわ」


「……」


「何よ」


「いや、裏切りの心配はしてねえんだな、と思ってな」


「裏切りそのものの是非はさておき、侵略者の十億という数に対して恐怖を覚えるのは、人間臭くて嫌いじゃないわよ。けど使い捨ての命を得た今、恐れる必要なんてないでしょう?」


「存在を食われたって話でチビりそうだよ」


「その程度で済むなら平気でしょう」


「はっ、懐の広いリーダーでなによりだ」




 無論、今のミダスに裏切るつもりはない。


 彼女の言う通り、捨てて困る命ではない上に、クソみたいな終わり方をやり直すチャンスなのだから。


 もう少しカッコつけて死にたい。


 それが今のミダスの目的だ。




 ◆◆◆




 ミダスとシセリーは屋敷を出て、急いでジェシーとの合流を目指した。


 そして、ルーンたちの前に現れたのである。


 マヴェリカの助言もあったので、ルーンとティルルはあっさりドロセアを引き渡した。


 あまりに簡単に事が進んだため、ミダスの方が戸惑ってしまった。


 そして渡したあと、ルーンは緊張した様子で彼に尋ねる。




「あ、あの、その人の名前は……?」


「ドロセアって言うらしいぞ」


「ドロセア……」




 名前は知っている気がする。


 けれど、やはりどうしても思い出せない。


 そこにあるのに、ぼんやりしていて、曖昧で。


 だけど、ルーンもティルルもトーマも、確かに会ったことはあるはずなのだ。




「えっと、ドロセアさんって、たぶん私たちのことを助けてくれたことがあると思うんです。ですから、その、よろしくお願いしますっ!」




 勢いよく頭を下げるルーン。


 ティルルもぺこりと会釈した。




「ああ、任せときな。必ず安全な場所まで送り届ける。お嬢ちゃんたちこそ、侵略者にやられないよう気をつけるんだな」


「はいっ!」




 こうしてドロセアの身柄を引き取ったミダスは帰路につく。


 少女を肩に抱えて街道を歩く中、ミダスとシセリーは何気ない会話を交わしていた。




「しかし、こんな抜け殻を連れ帰ってエレインはどうするつもりなんだろうな」


「守護者を作った張本人なら、何か力を持ってるんじゃないかしら」


「俺には何の変哲もない無等級魔術師にしか見えねえけどなぁ……っと」




 ミダスは魔術で作った金貨を器用に蹴り上げ、一度も落とすことなく歩いていた。


 だが、そんな彼の背後で金属が石畳に落ちる音が聞こえた。




「ミダス、こっちに金貨を落としてるわよ」


「んあ? んなわけ――」




 チャリン、チャリン――繰り返し、金貨が地面に降り注ぐ。


 それはミダスではなく、虚ろな瞳のドロセアが、手のひらから落としているものだった。




「あら、これよく見たらミダスじゃなくてドロセアの柄よ」


「こいつ……今の一瞬でコピーしやがったのか」




 過去にドロセアはミダスの金貨を複製したことがある。


 が、今の彼女からはその記憶も失われている。


 過去を再現したのではない。


 現在進行系で――目に写った魔術を、模倣したのだ。




「エレインが気にする理由、少しだけわかった気がするわね」




 微笑むシセリーだが、ミダスは自分が死んだときのことを思い出し、笑うに笑えなかった。





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― 新着の感想 ―
[一言]  ガアム君まだ受け入れられてなかったんだ。
[良い点] 前話で急に死者が蘇ったかと思えば、まさかの伏線回収。 鬱屈するだけで話が進んでるかも解らない展開をバッサリ切って悪い意味で先が見えなくならないのが良い。 [気になる点] 何気にカルマーロっ…
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