068 存在の証明
王国内外で起きる戦争により、多くの子供が名前も与えられぬまま親を失った。
生まれた記録すら残らない彼らは、やがて裏社会の商人に拾われ、とある組織に高く買い取られる。
正しき選択。
その組織に属する人間たちは、自分が何者なのかすら知らず、ただ人を殺すための道具として育てられた。
彼らは理由もなく、金のためだけに人を殺すが、金に執着しているわけではない。
活動に必要な最低限の金額のみを手元に残し、他は組織に献上するのだ。
献上された金が何に使われているのか、知らなかったし、興味もなかった。
自分たちは道具だから。
そう己に言い聞かせて生きてきた彼らは、しかし組織の正体を知ったとき、言い知れぬ虚しさを覚えた。
正しき選択とは、王国に敵対する国家が、王国の治安を悪化させるために作った工作機関だったのだ。
全ての金は敵国へと渡り、そして国境付近で頻発する戦いのために使われる。
そしてそこで発生した名もなき子が、正しき選択の道具にされる。
その繰り返し。
元より意味のない人生だ。
首領のジェシーですら、自分の名前、誕生日、元の顔すら知らないのだから、悲劇がどう巡ろうと関係ないはずだ。
しかし彼らは人間だった。
欲がある。
正しき選択ならば――正しく生きたいと、そう願ってしまった。
そんな彼らにとって、エレインの言葉はあまりに甘美で、抗えるはずもない。
『世界の危機が迫っているわ、一緒に救いましょう』
たとえそれが、自分たちを使う相手が敵国から賢者に変わっただけだとしても。
世界を救うために――文字通りの“正しき選択”ができるのなら――と、すがるように差し出されたエレインの手を握った。
人間を魔物化させる研究に、テニュスの両親を含む、簒奪者の邪魔をする人間の暗殺。
果たしてそれらが本当に正しかったのか、元より“正しさ”など知らない彼らが知るよしもない。
ただ――だからこそ。
今、この瞬間、胸に湧き出てくる絶対的な正しさは、ジェシーにとってあまりに尊く、価値のあるものだった。
「気配が張り付いて離れない、追跡者のスピードは私と同等のようね。仕方ないわ、人一人抱えてるんだから」
ジェシーは森の中を、肩に少女を抱えて駆け抜けていた。
髪はどちらかと言うと短めの茶髪。
体は小柄で、体型は太くもなく細くもなく。
特別秀でて美しいわけでもなければ、格好も地味で、どこにでもいそうな田舎の女の子。
ふと気を抜けば、抱えているジェシーですら存在を忘れてしまいそうな、ありふれ過ぎた、名もなき少女。
「誰だか知らない。知らないけれど、エレイン様を倒したかの英雄、クロドに狙われたってことは、あなたを救うことは正義なんでしょう?」
ジェシーは、クロドが侵略者であるとの情報を掴むと、王都へ急いだ。
そして城壁の外に並ぶテントの中で、少女と向き合う彼を見つけたのだ。
不意打ちで、何も知らぬ彼女を喰らおうとする彼を。
ジェシーは果たして間に合ったのか、はたまた手遅れだったのかはわからない。
ただ一つ言えることは、現在、彼女はクロドを“エレインを倒した人間”として認識しているということだ。
クロドは以前、レプリアンを倒して王都を救ったし、大型簒奪者を倒し裂け目を塞いで世界をも救った。
そんな人間が――侵略者。
強烈な矛盾がある。
エレインから軽く話は聞いていたが、それが上位の侵略者が持つ能力だと考えるしかなかった。
「王都を救ったのも、エレイン様を倒したのもあなただって言うのなら。世界で唯一あなたを救えた私の行動は、今までの私の全てより――正しいッ!」
興奮のあまり息を荒らげ、声を上ずらせながら走るジェシー。
そんな彼女の真横を、黒い影が通り抜けていく。
とっさに避けようとしたが、途端に彼女は自らの肉体に違和感を覚える。
「あら、私――腕、一本しかなかったかしら」
左腕が無い。
そのことに違和感は覚えるものの、痛みや戸惑いはなかった。
あたかも、生まれつきそうであったかのような――そんな自然さがあって、それが逆に違和感を生んでいるのだ。
そして横を夜降り抜けた影は、前方でジェシーを待ち受ける。
「困るな、勝手に連れて行かれては」
「クロド・ガイオルース……いえ、上位侵略者!」
クロドは「ふぅ」と息を吐きながら、衣服に付いた葉を払い除ける。
彼に遅れて、背後から護衛の兵士――もとい中型侵略者が追いつき、ジェシーを取り囲んだ。
「一度で食べきれなかったのには驚いたよ。シールドの影響かな、やはりゾラニーグとは格が違うようだ」
「もう正体を隠すつもりもないわけね」
「侵略は最終フェーズに入った。世界改変は不可逆な状態まで進行し、じきに大崩壊が起きる」
「大崩壊?」
「君たちが言うところの“裂け目”の大量発生さ。現在の発生は予兆に過ぎない」
「では慌ててこの少女を消す必要もないんじゃないかしら」
「用心は必要だろう」
クロドは、ぐったりとしたまま目を覚まさない――いや、目は開いているのだが動かない少女を見つめる。
「ドロセアの欲望には、私を殺す可能性すら感じる」
精霊をも殺すその力は、すなわち存在質を食らう侵略者と同質、かつ同等の存在。
順当に成長していけば、やがて侵略者すら食いかねない。
本来なら、テントに呼び出し、不意打ちをしかけた時点で完全に食い尽くすつもりだった。
「未完成の守護者――肉体の酷使で、君は限界を迎えているはずだ」
ジェシーは移動中、常に守護者を発動させていた。
諜報活動を行うこともあったので、守護者に関する訓練内容を調べ、実践したのである。
だが断片的な情報だけでは完成まで至ることはできず、脚力を強化するのが精一杯。
無論、力の平衡が取れていない守護者を扱えば、肉体に負荷がかかる。
以前のドロセアがそうであったように、今のジェシーの脚部は守護者で補強していなければ、物理的に立つことができないほど破壊しつくされていた。
そしてそれだけ肉体を使い潰しても、クロドの方が速い。
絶望的な事実を前に、ジェシーはそれでもクロドとその手下の隙間を縫って逃げようとした。
「無駄だというのに」
すかさず食らいつくクロド。
ジェシーの右足が消える。
彼女はその事実にすら気づかず、バランスを崩し倒れる。
その勢いに乗せて、ジェシーはドロセアの体を放り投げた。
「あの先は――崖から落としたのか」
転がり落ちていくドロセア。
それを追おうとする侵略者たちを前にジェシーは、
「最初から使い捨てるつもりの命に限界なんてないわ」
不完全なままの守護者の力を、全身に展開させる。
本来、完成していればそこに剣や砲門などの、“精霊を隷属させる”魔術が発現するはずだ。
しかし未完成であるがゆえに、それはただ周囲の精霊をかき集め、魔術を暴発させるだけの行為となる。
無論、バランスの取れない力が全身に広がれば、脚部同様に肉体全てが破壊されるし、そもそも暴発する魔力に肉体は耐えられないだろう。
だが同時に、ジェシーの周囲にもその影響は広がる。
「自爆するつもりか」
ジェシーは笑った。
(なんて正しい命の使い方なの……!)
世界を救うために命を使える。
無価値で無意味な自分の人生が、花で彩られる。
そのことに、至上の喜びを感じながら――ジェシーは爆ぜた。
◇◇◇
王魔騎士団の面々が集うキャンプにて、騎士たちは守護者を習得するための訓練を行っていた。
その指導を行うアンタムだったが、彼女の元に顔を青くした兵士が駆け寄る。
「ア、アンタム様!」
「どーしたのよ、そんなに慌てて」
「リージェ様が来られています、急いだ方がいいかと」
「リージェちゃんが? なんでクロドじゃなくてあーしのところに……」
首をかしげながらリージェの元へ向かう。
すると、彼女はテントの入り口でしゃがみ込み、大粒の涙をぼろぼろとこぼしていた。
「ちょっ、何で泣いてるワケ!? 何、クロドに何かされた!?」
「ちっ、違うんです。違うんです、違うんですっ」
「何が違うってーのよ、そんな泣いててさ」
すぐさま駆け寄り、アンタムは彼女の背中をさすった。
するとリージェは嗚咽を漏らしながらも、途切れ途切れに語りだす。
「わたし、わたしの中から、大切なもの、なくなって……あ、ああ、名前も……わからない、わからない……っ」
それは“半身の喪失”と言っても過言ではない苦痛だった。
暖かさで満たされていた部分が急に空っぽになって、そしてそこに、何がどろりとした――暖かさを模倣した違う何かが注がれている。
「大切なもの? だからクロドじゃ――」
「違うんですっ!」
全力で否定するリージェ。
その代用品を“大切なもの”として認めるつもりなど毛頭なかった。
「あんなものはわたしの大切な人じゃない!」
「なっ、落ち着きなって!」
アンタムを含む周囲の人間の認識では、リージェの大切な人はクロドなのだ。
リージェと“お兄ちゃん”の仲は良好なはずだったのだ。
「クロドはあんたの幼馴染で、ずっと一緒になりたいって言ってたじゃん。あーしも子供の頃から――ん? 子供の頃から、知って……」
しかし深掘りしてみると、そこには違和感しかない。
なぜ王子であるクロドと、田舎の貴族令嬢が幼馴染なのか。
リージェを救うために王都に潜んで、エルクや簒奪者と戦った人間がいたはずだが、クロドにそんなことができるはずがない。
「わたしはずっと故郷で暮らしていたのに、王都にいるクロドさんと接点なんてあるわけないじゃないですか!」
第三者ですらおかしいと思うのだ、当事者であるリージェが頑なに否定するのも当然のことだった。
「でも入ってくる……あの人が“お兄ちゃん”を名乗って、わたしの中に……大切なものと、置き換わろうとして……」
強制的に付与される好意。
それは一周回って、強烈な嫌悪感となる。
「気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪いいぃぃっ!」
「落ち着きなって! とりあえずあーしの部屋に移動しよ? ね?」
「それよりもッ!」
目を見開き、リージェはアンタムの腕を掴んだ。
「早く逃げましょう。ここにいてはいけない。あの人が、クロドさんが来る前にっ」
「いや、あいつと話したほうが――」
「アンタムさんだっておかしいってわかってるんでしょう!」
リージェの怒声がテントに響き渡る。
訓練を行っていた騎士たちも、彼女らしからぬ声に驚き、一斉に視線を向けた。
アンタムは顔をしかめ、少し考え込むと、一つの結論を出す。
「……わかった、ちょい待って。一つだけ確認したいことがあるから、あーしの部屋に寄らせて。それぐらいはいいっしょ?」
「何を、ですか」
「マヴェリカさんに何か知ってることないか聞いてみる」
不服ではあるが、こういうときは魔女に頼るに限る。
リージェもそれに納得し、二人はアンタムが執務室として使っているテントへ向かった。
◇◇◇
数十分後――テント付近にはクロドの姿があった。
ジェシーの自爆。
それにより足止めを強いられてしまった侵略者たち。
崖の下を確認してもそこにはドロセアの姿はなかった。
これ以上、クロドがいなくなればカインたちに不審に思われる。
なのでドロセアの捜索は部下にまかせ、彼はテントまで戻ってきたのである。
「兄上、大変です!」
帰還の直後、カインが血相を変えてテントに入ってくる。
クロドは急いで戻ったことを悟られぬよう、落ち着いた口調で聞き返した。
「どうしたんだいカイン」
「リージェがいなくなりました、どうやらアンタムが連れ出したようです」
目を見開き、驚くクロド。
それ自体は、素の反応である。
リージェが違和感を抱くのではないか――そう危惧はしていたが、まさかここまで早く動かれるとは、完全に想定外だった。
「やはり……アンタムもジンと同じだったか……」
彼はわざとらしく顎に手を当て、表情を曇らせる。
「そんな! アンタムは守護者だって使えます、彼女が侵略者であるわけが!」
カインはその言葉をあっさりと信用した。
なぜなら今のクロドは、ドロセアの功績すらも“食って”いる。
カインはエレインの死に関しては多少のショックは受けていたが、それ以上に兄への信頼を強めている状態だ。
「しかし実際に使ったところを見たのはカタレブシスの人間だけだろう?」
「っ……」
「私たちも見ていない。つまり、どうとでも誤魔化せるということだよ」
「そんな……兄様はいいんですか。アンタムは、僕たちの……」
「姉のようなものだ。だが、だからこそこれ以上の過ちは許せない。違うかい?」
立ち上がり、カインの肩に手を置く。
過剰なまでに、“良い兄”を演じる。
カインはうなだれながらも、国王としての役目を果たすことを決めた。
「……わかりました、追跡させます」
「いや、王国軍には余裕がないんじゃないか。少し離れた場所ではあるが、謎の爆発が起きたという話も聞いたぞ」
「ええ……そちらにも兵を向かわせてはいますが、しかし追跡部隊を組まないわけには」
「僕の側近を向かわせる」
「護衛が薄くなってしまいます!」
「それよりリージェを取り返すことを優先したいんだよ。本当なら私自身が追いかけたいぐらいなんだ」
「兄様……そうですね、ではお願いします」
話を終え、テントを出るカイン。
クロドは彼がいなくなった途端、兄の仮面を捨てた。
「どちらにせよ、ドロセアの存在質は私の中にある。連れて行ったところで何もできはしないさ」
◇◇◇
ドロセアが崖から落下する直前――その近くを、三人の少年少女が歩いていた。
一人の少女は、もう一人の少女と腕を組みぴったりとくっついている。
そして少年は、そんな二人と若干の距離を取って歩いていた。
「あの……ティルル?」
腕を絡められた方の少女――ルーンは、頬を引きつらせながらティルルに声をかける。
だがティルルは無言だった。
「そ、そろそろ、機嫌を直してもいいんじゃ……ないかな、って」
誰がどう見ても不機嫌なティルル。
しかし、その不機嫌さは別にルーンに向けられているわけではない。
愛おしそうに腕を抱き寄せているのがその証拠だ。
「……別に不機嫌ではないけど。ただ、二人きりでデートできると思ってただけ」
そう言って、ティルルは少年――トーマを睨みつけた。
彼は肩をすくめる。
「両親の頼みなんだから仕方ないじゃないか」
「そ、そうだよ。その……今は、王都でも色々あって、物騒……だから」
トーマを擁護するルーン。
王都で別れる直前からわかっていたことではあるが、本来嫌われるはずのルーンの方がトーマを評価していて、ティルルはトーマのことを嫌ってすらいた。
まあ、ティルルは以前からルーンのことが好きだったわけで。
そんなルーンがいかに劣っているか、ティルルにふさわしくないか、しつこく諭し続けたトーマが嫌われるのは、本人すら仕方ないことだと思っている。
むしろ、トーマを嫌っていないルーンがお人好しすぎるのだ。
「ごめんね、トーマ。ひ、久々に帰って……きたのに」
「歓迎されないのはわかっていたから構わないよ、僕だって大した結果も残せず帰ってくるつもりはなかったからね」
王都が壊滅し、命からがら逃げ出したトーマは、一時的に故郷に戻っていた。
さすがに守護者と侵略者の戦いのような規模になると、彼も何もできることはないと悟ってしまったのだ。
「王都……大変、だったね」
「私たちは早めて出ておいてよかった」
「まったくだよ。一人だったから逃げ切れたけど、二人も残っていたら誰か一人ぐらいは死んでただろうね」
「で、でも……裂け目、だっけ。あれ、どこに出てくるかわからないん、だよね……」
「私はルーンの手を取って逃げるだけよ。絶対に生き延びようね、二人で」
「う、うんっ」
潤んだ熱い視線をルーンに向けるティルル。
ルーンはそんな彼女の愛情に押されながらも、どうにか受け止めようと顔を近づけたところで――前方で、大爆発が起きた。
「きゃああぁぁああっ!」
思わず悲鳴をあげるルーン。
ティルルを抱き寄せ、かばうようにしゃがみ込む。
「ルーン、大丈夫なの!?」
「顔をあげても平気だよ、土が飛んできただけだ」
と言っても、そう遠くない位置に岩の塊が落ちていたが――ひとまず三人は無傷だった。
「が、崖崩れとか……起こって、ない?」
立ち上がりながら、恐る恐る前方を確認するルーン。
「小石が落ちてきてるわね、いつ崩れるかわからないんじゃない」
「そうだな、すぐに離れて――」
「ま、待って、あれは……」
するとルーンは、崖下で何かを見つけ、指をさす。
「ひ、人っ! 人が倒れてるっ!」
三人は横たわる少女に近づく。
仰向けで倒れるドロセアを前に、ティルルが首を傾げた。
「この人……どこかで会ったことがあるような」
「外傷は無いようだ、意識を失ってるだけか」
「と、とにかく連れて帰って、休ませないと!」
「さっきの爆発の関係者だとすると危険かもしれないわ」
「でもっ! 何ていうか……この人、信用できる気がする、からっ」
ルーンがそう言うと、トーマとティルルはじっとドロセアの顔を見つめる。
そして頷いた。
「奇遇だな、僕も同意見だ」
「そうね……会ったこともないはずなのに、妙な安心感があるわ」
「でしょ? でしょっ? 連れて帰ろ?」
こうしてトーマに抱えられ、ドロセアは三人の故郷へと運ばれていった。
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