065 経験の差
『ぐうぅぅ、守護者の、制御がっ! うわぁぁああっ!』
ドロセアの守護者は一方的に浮かばされ、そして振り回される。
エレインの魔術――否、“魔力制御”は、一切の抵抗を相手に許さなかった。
「これで終わり? そんなつまらないことは無いわよね、ドロセア。私は嬉しいのよ、あなたみたいに私に対抗しうる人間が出てきたことが!」
(シールドは魔力の塊そのもの、粒子自体を操れるエレインへの対抗策は……どうしたら……っ!)
「お願いよドロセア、抵抗してみて。このまま私のおもちゃになって終わりは嫌なの!」
(また振り回される――ッ!)
ズドォンッ、と勢いよく山の斜面に叩きつけられるドロセア。
リージェはそんな彼女に少しでも近づこうと、走り続けていた。
「あぁ、またあっちに飛ばされて……近づけないよ、どうしたら……」
人の身では、どうあっても追いつけないスピード。
彼女は自分の手のひらを見て、そこに魔力を集中させた。
「守護者……わたしにも同じ力が使えたら」
腕に薄っすらと鎧のようなものが浮かぶが、まだ完成には程遠い。
マヴェリカと一緒に過ごす中で、彼女も守護者習得のための訓練を行っていた。
しかし敵地にいることもあって、なかなか集中できなかったためか、身につけるには至っていなかったのだ。
するとそんな彼女の元に、遅れて屋敷を出たマヴェリカが合流する。
「ここにいたのかい」
「マヴェリカさ……うあ、その血、は……」
「ああ、負け犬の返り血で汚れちまったよ、気にしないでおくれ」
冷たい笑みを浮かべマヴェリカはそう言った。
彼女は上機嫌だ、おそらくガアムを殺してきたのだろう。
リージェはほとんど彼と会話していないが、見知った人が見知った人を殺すという現実は、それなりにショックだった。
だが今はドロセアとの合流を最優先に考え、余計な考えは飲み込む。
「それでリージェは、ドロセアに近づけないで困ってたんだろう」
「はい……お姉ちゃん、一方的にやられてしまってるみたいで」
マヴェリカが視線を向けると、ドロセアは再び浮かび上がり、地面に叩きつけられていた。
守護者の表面には割れた部分もあり、生身も無傷では済まないであろうことが見て取れる。
「やっぱりこうなったか」
「あれって何なんですか? 魔術には見えません」
「説明したと思うけど、魔力ってのはエレインそのものなんだ。あいつはそれを自分の体のように扱えるし、精霊との対話にも魔力を必要としない」
「じゃあ……シールドを使ったり、魔力を見て戦うお姉ちゃんとの相性は悪いんじゃ……」
「そうかもしれない。ただ――」
そのとき、戦況に変化が生じる。
またしても浮遊させられそうになったドロセアが、地面に片手を付いて、しがみつくように耐えているのだ。
「抵抗してる……!?」
「まあ、やられっぱなしで終わる子ではないさね」
車椅子で浮かぶエレインは、その様を見て驚いている。
「私の力に抗う方法があったのね」
ドロセアは体を震わせ耐えながら、苦しげに答えた。
『このやり方がどうして通用するのかは不思議だけど、シールドっていう魔術自体が想定外だったからってことかな』
エレインは魔力を作った際、それを精霊との対話の手段とした。
精霊が力を使う際のエネルギー源として自らの肉体の一部を提供することで、全ての人類が魔術を使えるようにしたのだ。
まさか、その魔力そのものを操る方法が出てくるとは、当初は想定すらしていなかった。
要するにシールドとは、制限はあるもののエレインの“魔力制御”と同質の存在。
普通に考えれば自らの肉体を動かすように魔力を操るエレインのほうが優勢にも思えたが――シールドは魔力を結合させ、固定している。
エレインは個々の粒子の操作はできても、結合力に対しては干渉できないらしかった。
それでも、こうしてドロセアが対抗できたのは、彼女が魔力を視認することができ、かつエレインの魔力操作によりどういった力が加わっているのか――それを分析した結果であるが。
「ええ、そういう意味では気に食わない力ではあるわね。けれど――」
だが、エレインの攻撃手段はそれだけではない。
精霊との対話は、彼女が持つ天賦の才。
凡百な人類とは異なり、彼女は精霊と言葉を交わすのに魔力を必要としない。
「これに抗えたからって、精霊を味方につける私に勝てると思う?」
彼女の周囲に、元素の塊とでも呼ぶべき巨大な火球が、氷塊が、風域が、岩が浮かび上がる。
ドロセアの瞳には見えていた。
それは単なる物理現象にすぎず、そこに魔力は介在していないことが。
エレインが軽く腕を前にかざすと、それらは一斉にドロセアに襲いかかった。
「動けないんでしょう? 魔力操作に抗えたところで、それが限界なのよ」
自然の暴力に飲み込まれる白の騎士。
ドロセアは守護者の両腕を交差させそれに耐えようとするが、煙、蒸気、砂埃に包まれ一瞬でその姿は見えなくなる。
「そして私のこの力は魔術ではない――あなたのシールドは通用しないわ」
魔術ではないということは、シールドの防御性能は十全に機能しないということ。
強度が半減した物理障壁だけでは、先ほどの攻撃を防ぎきれないだろう。
そして視界が晴れきる前に、エレインは異変に気づく。
「いない……いや、守護者を解除した?」
着弾点にドロセアの姿が無いのだ。
それどころか、大きな魔力の塊さえ消えており、彼女は生身に戻ったと考えられた。
一回り小さくなったため、エレインは一瞬だけ彼女の存在を見失うが、すぐに人間サイズの魔力の存在を検知する。
ドロセアはエレインの側方より飛び上がり、奇襲を仕掛けようとしていた。
「まさか肉弾戦を挑んでくるとはね」
それに気づいたエレインが腕を振り払うと、暴風と共に無数の風の刃がドロセアを襲った。
攻撃のために構えた剣でそれを弾くドロセア。
だがその威力は凄まじく、彼女自身も弾き飛ばされてしまう。
「なるほど、多量の魔力を展開する守護者よりも、生身の方が魔力制御の影響を受けにくいと考えたのね」
対応策を知ったドロセアは、生身ならば多少の制限はあれど動けるようになっていた。
しかし、当然ながら格段に戦闘力は落ちる。
もし生身でまともにエレインの攻撃を受ければ、その瞬間にドロセアの肉体は塵と化すだろう。
そんなリスクを負ってまで守護者を解除したのには大きな理由があった。
(エレインが魔力そのものだというのなら、わざわざ肉体を得る必要なんてなかったはず)
エレインの持つ出来損ないの肉体。
徐々に人の姿には近づいているものの、今もまだ内臓は丸見えだし、顔すら完成していない。
(粒子になった状態ではまともに動けないから、不完全でもあの肉体を作る必要があった。だったら――)
そんな肉体、普通の人間よりも軟弱で当然なのだ。
魔物化した簒奪者や、巨大な侵略者を相手にするのには、守護者の火力が必要だ。
しかし今の相手は生身のエレイン。
守護者の持つパワーはあまりに過剰で、それを纏う利点を十分に活かせていないとドロセアは考えたのである。
「また不意打ち? 無駄よ、見えているんだから」
今度は光線で迎え撃つエレイン。
守護者であっても全身を飲み込んでしまいそうなほど強烈なその閃光は、シールドで受け流すことすらできず、攻撃を諦め回避に専念するしかない。
ドロセアの横を通り過ぎた光の塊は山に直撃すると、貫通し、一瞬でトンネルを作り上げる。
その直後、エレインは浮かぶのを止めて地上に着地した。
「何か策があるのなら見せてよ、少し付き合ってあげるから」
そもそも彼女が空中で戦っていたのは、木々よりも背が高い守護者と戦うため。
生身同士の戦いならば、遮蔽物のある地上の方がドロセアは動きにくい。
車椅子のエレインの方が身動きが取れないようにも思えるが、少し浮かべばいいだけな上に、彼女の場合は障害物の木々や岩も精霊に頼めばあちらから退いてくれる。
また、大気中の魔力に意識を委ねることで、身を隠すドロセアの位置を把握することもできる。
ドロセアも魔力を見る瞳でエレインの位置を確認することはできる。
しかしエレインと違って、障害物は障害のままだ。
木々の、草木の影から飛び出して攻撃を仕掛けるドロセアだが、何度繰り返しても効果はない。
「そろそろ飽きてきたわ、またこっちから攻撃を仕掛けてもいいかしら?」
余裕を見せるエレイン。
すると性懲りもなくドロセアは奇襲を仕掛け――うんざりしたエレインが再び迎撃すると、そこにドロセアの姿はなかった。
そしてわずかに遅れて、別の方向から接近した彼女が斬りかかる。
とっさに反応するエレインだったが、両腕に守護者を纏ったドロセアの刃の方が速い。
頭上から宙に浮かぶ血管、眼球、そして肺のあたりまで斬り沈んだところで、剣は何か硬いものに当たり止まる。
なんとエレインは体内に金剛石を作り出し、攻撃を防いで見せたのだ。
そしてゼロ距離にいるドロセアに向けて炎を放つ。
彼女は後ろに大きく飛んで、軽く火傷を負いながらも距離を取った。
「驚いたわ、一人で囮まで用意するなんて」
血を流し、わずかに顔をしかめるような表情を見せながら、エレインは言った。
「生身の方の反応は大したことないんだね、魔力頼みで戦ってる」
ドロセアはわずかに焼けた毛先に触りながら言う。
「まさかシールドでダミーを作るなんて驚いたわ。でも対応できないのは仕方ないことなのよ。この肉体を得たあとも得る前も、戦いの中で生きてきたわけじゃないんだもの」
エレインは自らの目ではなく、大気中の魔力を介してドロセアの存在を感知していた。
つまりそれは、魔力の形状しか見ていないということだ。
ならばシールドでドロセアのような形を作り、糸のように伸ばした魔力で遠くから操れば、エレインはそれをドロセア本体だと思い込む。
その隙に本物が奇襲をしかける――それに反応できるかどうかは、エレイン本人の反射神経にかかっている。
それが常人とさほど変わらないことに、何度か攻撃を仕掛けたドロセアは気づいたのだ。
「それにしても、リージェを救いたい……その一点だけでここまでやるなんて末恐ろしいわ。直にやり合うと、マヴェリカが信頼してた理由を嫌でも理解させられるわね」
「リージェを取り返すためなら何でもやるし、リージェを奪うやつは許さない」
会話もほどほどに、再び攻撃を再開するドロセア。
ダミーによる囮はすでに看過されているが、しかし知っているからといって必ずしも対応できるわけではない。
エレインはダミーを意識した上で迎え撃つわけだが、当然だが集中力は分散する。
彼女の放った氷の槍を、ギリギリでドロセアは回避し――そして斬りつける。
傷は浅い、しかし確実にダメージは与えている。
「づぅっ……今のも、斬られてしまうのね」
「攻撃がブレてるよ」
「二方向への対応がうまくいかないわね」
「それだけじゃない。痛みも苦しみも、慣れてないんだ」
そう指摘され、苦笑いするエレイン。
「ふふ……この肉体になって痛みには慣れたつもりだったけど、斬られるとはまた話が別なのね。戦いって難しいわ」
「でも遊んでる余裕はある」
「遊ぶ……そうね、楽しんではいるわ。魔力制御への適応はさらに進み、あなたはもはや何の苦もなく動いている。こうして私に傷も与えて、確実に進歩しているじゃない。楽しいのよね、人類の進歩を眺めるのって」
上位存在ぶる彼女に対し、ドロセアは眉をひそめた。
「私、あなたのことが嫌いかもしれない」
「最初からわかっていたことでしょう」
「それはリージェをさらったり、人類を魔物化させたことに対してだけど、単純に個人として嫌だなと思ったの」
ドロセアは呆れ顔でこう指摘する。
「ただの人間が神様ぶってるの、見てて痛々しいよ」
するとエレインは肩あたりを震わせ、さらに苦笑した。
「辛辣ね。でも仕方ないじゃない、望もうと望むまいと、私には力と責任があるのだから」
すると、彼女の開いた傷口から出ていた血が止まる。
代わりに、中から白い指先がずるりと這い出てきた。
指先と言っても、人間サイズではなく――爪が見えた時点で彼女の腹は完全に裂けてしまうほど大きいのだが。
「人の枠に収まることなんてできなかった。その理由をこれから見せるわ」
そして、孵化というよりは、まるでエレインを“門”扱いするように――ずるり、ぐちゅりと白の巨人は現れる。
「圧倒的な暴力で」
色こそドロセアの守護者と同じものの、そこに輝きはない。
生命を感じさせぬ、虚無の白。
まずは片腕だけがこの世に生まれ落ちる。
「腕、でか……」
そのサイズからして、おそらく全身は三十メートルをゆうに越えるだろう。
守護者の十倍以上の大きさであった。
出現に巻き込まれてはたまったものではない、ドロセアは後退しひとまず様子を見る。
するとその途中、森の向こうから金髪の少女が走ってきた。
「お姉ちゃぁぁぁぁあああんっ!」
「リージェ!?」
ドロセアを発見したリージェは全力で駆け寄ると、その胸に飛び込んだ。
しっかりと抱きとめるドロセアは、全身に広がる温もりに瞳を潤ませる。
「リージェ、無事だったんだね。リージェっ!」
「うん、無事ですよお姉ちゃん。リージェは無事なんですっ」
「本当に無事? 何もされなかった? 変な魔術とかかけられてない!?」
「されてません。でも、寂しかったです。ずっと、ずっと会いたくて……」
「私も会いたかったよぉ」
「お姉ちゃん、お姉ちゃぁんっ!」
固く抱き合い、ひたすらにお互いの存在を噛みしめる二人。
そんなリージェの後ろから、マヴェリカが歩いてくる。
「あんたの色んな姿を見るたびに思うよ。かわいいもの好きなあんたが、自ら望んでこんなものになるわけないってね」
力を解放したエレインの両腕と頭部を見ながら、マヴェリカはうんざりした様子で呟く。
白い肌に、白く長い髪、そして黒い空洞になった顔――
「名もなき神、か」
自己を放棄し、世界に身を捧げる。
そんなエレインの生き様を表しているようで――マヴェリカはそれを、心底軽蔑しているようだった。
「リージェぇ……よかったぁ、本当に会えて良かったあぁ……」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん……っ」
一方、そんなエレインの姿すら目に入っていない勢いで涙をボロボロと流し、抱き合うドロセアとリージェ。
「ちなみに私もいるんだけどねえ」
マヴェリカがそう声をかけると、ドロセアの視線が彼女の方に向いた。
「師匠……」
「久しぶりだね。会わない間にずいぶんと――」
「戦いが終わったら殴りますね」
ドロセアは真顔で言った。
さっきまで感情をぐしゃぐしゃにして泣いていたのに。
もちろん、マヴェリカもなぜ彼女がそんなことを言うのかは理解している。
殴られるつもりでもあったし――しかし、まさか再会の直後に言われるほど顰蹙を買っていたとは思っていなかったらしく、思わず黙り込んだ。
「……」
「殴ります」
「はい、ごめんなさい……」
黙っただけでドロセアが許すわけもなく、マヴェリカは平謝りするしかなかった。
ドロセアはとりあえず現時点での反省はそれで十分だと感じたらしく、ようやく笑みを浮かべる。
「改めて、お久しぶりです師匠」
「お、おう……切り替えが早いねえ」
「時間が無いことはわかってますから」
それでも殴ることは伝えておきたかったらしい。
エレインの変化が終わったら、それが戦いの始まりの合図だ。
他の簒奪者に比べてやたら時間がかかっているが、それだけ体が大きいということだろう。
変化途中に攻撃したらいいんじゃないかとも思ったが、下手に刺激するとリージェとの再会を噛みしめる暇も無くなりそうなのでやめておいた。
すると、抱きついていたリージェが体を離すと、手の甲で涙を拭ったあと、強さを感じる声で主張した。
「お姉ちゃん、お願いがあるんです。わたしも一緒に戦わせてくれませんか!」
絶対に離れない。
そんな決意を感じる。
ドロセアの胸が熱くなる――拒む理由は無い。
「実は私もお願いしようと思ってた。危ない戦いになると思うけど、平気?」
「お姉ちゃんと離れ離れになることより辛いことなんてありません!」
あまりに心強い言葉だ。
もはやリージェに迷いはなく、今までのどの瞬間よりも互いの心が寄り添っていると感じる。
二人なら、もはや怖いものなど何もない。
ドロセアとリージェは手を重ね、指を絡めてしっかり握る。
そして守護者を呼び出した。
白の騎士は、白の神を見上げ向き合う。
「どちらが世界の守護者になるべきか――ドロセア、結論を出しましょう」
人の身よりもさらに抑揚のない、感情の無い声でエレインは言った。
他の簒奪者よりも理性は残っているようだが、それ以上に大切な何かが失われたように思える。
『私とリージェが平和に暮らすために――エレイン、あなたをぶった斬るッ!』
しかし相手がなんだろうとドロセアには関係ない。
運命も、役目も、選択も。
ただリージェと共にあるためだけに、ドロセアは剣を手に、大地を蹴った。
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