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064 過ちの末にあるもの

 



 簒奪者として集まった者たちは、誰もが少なからず世界に絶望していた。


 ガアムもその一人だ。


 幼少期に売られ、使われ、潰され、また売られ――そうやって流れていくうちに、やがて自分を買った貴族たちを魔術で皆殺しにした。


 エレインと出会ったのはその頃である。


 当時の彼女はまだ肉体すらなく、空気中の魔力を通して語りかけてくる、まさに神のごとき存在だった。


 それが囁くのだ。




『あなたたちには世界を救う力がある。さあ選ばれし者たちよ、その命を世界のために使いなさい』




 自分たちは特別。


 自分たちは選ばれた。


 その言葉が、どれだけガアムの救いになったことか――




『邪魔だあぁぁああッ!』




 白の騎士が、力を解放した仲間を引き裂く。


 力を開放し、実体のないガス生命体へと変わったはずの簒奪者は、実体があるときと同じように両断された。


 実際のところ、彼は実体を失ったのではなく、この世に存在できる限界まで密度を薄めただけだった。


 ドロセアの放つ斬撃は、その速さゆえに周囲の大気や空間を引き寄せる。


 肉体を気体に変えようとも、瞬時に凝固させられ斬り伏せられてしまうというわけだ。




(何だ、これは)




 ガアムは戦慄する。


 なぜエレインの興味が、簒奪者からドロセアへ移っていたのか――その理由を、身をもって知る。




『気持ち悪い、ミンチになってしまえッ!』




 巨大な肉の塊が、瞬時に細切れにされる。


 小難しい理屈など必要ない。


 疾風のジン直伝の剣術を、戦場にてさらに研ぎ澄ました無情なる連撃。


 その圧倒的なスピードを前には、肉の盾など無意味だったのだ。




(何なんだ、これはッ!)




 肉体のみならず、簒奪者の自尊心が破壊されていく。


 特別とは何だったのか。


 選ばれたとは何だったのか。


 これでは――ドロセアの言った通り、ただの噛ませ犬ではないか。




『最後の一人ィッ!』




 白い狂気がガアムに迫る。


 解放された力も、人を捨てた肉体も、薬で薄まったはずの本能も、全てが『無意味だ』と叫んでいる。


 全身全霊で恐怖する。


 侮っていたからこそ、その落差に絶望する。




「クルナ……クルナァァァアアアアッ!」




 みっともない声を上げながら、自らの前に岩の壁を生み出すガアム。


 だが、無駄なのだ。


 迫るドロセアは、きっと触れるだけでその壁を壊すだろうし、一振りで彼の肉体も破壊される。


 それはもはや、決まった未来であった。




『死ねえぇぇッ!』




 ドロセアの剣が横一文字を描く。


 ガアムは直前でぎゅっと目をつぶる。


 ……不思議と、いつまでも痛みはこない。


 恐る恐る目を開けると、浮かぶ眼球と脳がこちらを見ていた。




「エレイン、様……? う、ぐうぅぅっ……!」


「見るに堪えない戦いだったから中断させたわ」




 車椅子に乗る彼女は、冷めた口調でそう言った。




「何、を……ッ」


「強制的に人の姿に戻したのよ。ただしあの薬を飲んだ反動は残るから、しばらく苦痛は続くでしょうね」


「あ……ああぁ……」




 まだ言いたいことはあったが、うまく言葉にできず、情けない声しか出ない。


 そんな二人を、ドロセアは高い位置から見下ろしていた。




『前座は終わり?』




 ドロセアは剣の切っ先をエレインに向ける。


 賢者は薄ら笑いを浮かべたような表情で、守護者の顔を見つめた。




「つまらない余興だったでしょう」


『うん、本当に』


「ここからは本気で戦わせてあげるわ、できるだけ耐えてね」


『あなたは化物の姿にならなくていいの?』


「これで十分だもの、ほら」




 エレインが視線を動かすだけで、ドロセアは守護者ごとふわりと浮かんだ。




「飛びなさい」




 そのまま吹き飛んで、山の斜面に叩きつけられた。




『ぐ、ぐうぅ……今の、アーレムでやられたのと同じ……ッ!』




 へし折れた木々を押しのけ、砂埃の中を立ち上がる守護者。


 すると、エレインはその目の前に突如として現れる。




「今度は私が蹂躙する番よ」


『やらせるかッ!』




 すかさず斬りかかるドロセアだが、剣はエレインに当たる前に粒子となって消えた。




『な……』


「私は偏在する。魔力とは私。魔術とは私。つまり守護者とは私」




 再び守護者が浮かび上がる。




「私の体の一部を使っておいて、勝てるわけがないじゃない」




 そしてまたしても吹き飛ばされ、地面に叩き続けられるドロセア。


 簒奪者を蹂躙した巨大な鎧。


 そしてその巨大な鎧が、いとも簡単に浮かびあがり一方的に攻撃をされる姿。


 それは、生き残ってしまったガアムが自らの身の程を知るのに十分すぎる光景だった。




「俺たちは、選ばれてなんか……いなかった、のか?」




 体がちぎれそうな痛みに顔をしかめながら、呆然とエレインとドロセアの戦いを眺める。




「特別、などでは……いや、違う。俺たちは簒奪者だ。そうだよな、なあ! なあ!?」




 問いかけても、そこにあるのは仲間の亡骸だけだ。


 誰も答えてはくれない。


 こみ上げる虚しさに耐えきれなくなり、彼は屋敷の中へと駆け込んだ。




 ◇◇◇




「ようやく会えたな」




 森を進んだ先で、カルマーロはテニュスを待ち受けるように立ち尽くしていた。




「嬉しいよ、待っててくれて。面識はほぼねーけど、あたしから恨まれてるって自覚はあったんだな」


「我、勝利。エレイン様、捧ぐ」


「素直に謝るつもりはねえってことか。ま、反省してまーすとか言われても関係なくぶっ殺すつもりだったけどなァ!」




 多くの言葉は必要ない。


 二人の関係性は敵同士、ただそれだけなのだから。




「オグダード、あたしに力をッ!」




 炎を纏う守護者を呼び出すテニュス。


 陽焔の騎士は胸部の宝石を太陽のように輝かせながら、戦場に降り立った。




「う、ぐうぅぅ……ぐあぁぁぁぁぁああアアアアッ!」




 一方でカルマーロの体はぶくぶくと膨らんだかと思うと、突如として破裂する。


 その内側からは闇が噴き出し、霧のように辺りに漂った。


 やがてそれは三メートルほどの人型になる。


 顔はなく、体の凹凸もほぼない、のっぺりとした、薄汚れた不気味な物体。




『人形か……?』




 テニュスがそう呟くと、口にあたる部分がグパッと裂ける。


 赤い中身をのぞかせながら、小刻みに顎を震わせた。




「ケケッ、クケケケッ!」




 そして妙に高い笑い声を響かせながら、オグダードに突っ込んでくる。


 それなりにスピードは出ていたが、テニュスはその突進を軽く回避した。




『おっとぉ、笑い声が気持ち悪ィんだよ!』




 一見してただ避けたように見えるが――オグダードの背後で、人形は上下真っ二つに両断され倒れていた。


 すれ違いざま、一瞬で斬りつけていたのだ。




『雑魚が、あたしに近づいて無事に済むと思うなよ』




 人形は体の中から闇を吐き出しながら、地面に解けていく。


 かと思うと、前方にはまったく同じ姿をした新たな人形が現れていた。




「クケッ、ケケッ」


『……また生えてきやがった』


「クケケケッ!」




 同じようにドスドスと地面を揺らしながら、人形は突っ込んでくる。


 オグダードの剣を腹に突き刺すと、その肉体を内側から焼いた。


 あっさり焼け焦げるカルマーロの人形。


 そしてやはり、内側から闇が噴き出しテニュスの視界を塞いだ。


 オグダードは軽く後ろに飛び、闇から距離を取る。




『少し浴びちまったが、どうやら中から飛び出した黒いモヤは、あたしの心を乱してくるらしいな』




 微量ながら、確かに胸のざわめきを感じる。


 王牙騎士団の精神を操ったのと同種の魔術のようだ。


 さらに前方には人形が現れ、やはり突進をしかけてくる。




「クケェェェエッ!」


『無駄なんだよォッ!』




 テニュスは闇を浴びるのを躊躇せずに、真正面から斬り伏せた。


 左右に真っ二つに割れる人形。


 闇の濃度が増していく中、テニュスはカルマーロに語りかける。




『今のあたしに迷いはねえ。闇で増幅できる感情も、てめえに対する怒りぐらいのもんだ。んなことしたって、オグダードの炎がより激しく燃え上がるだけなんだよッ!』




 その言葉通り、彼女の握る剣は激しい炎を纏った。




『焼き尽くせ、陽炎剣ッ!』




 刃を振るうと、炎が周囲の闇を焼き尽くして消し去る。


 どうも人形は本体ではないらしい――テニュスはそんな気がしていた。


 ゆえに炎を撒き散らし広範囲を攻撃したわけだが、どうやら命中しなかったようだ。


 そしてオグダードの背後に、ずしりと新たな人形が出現する。




『そういう戦い方かよ。いいぜ、だったらてめえのカラクリを暴けるまで斬り続けるだけだ、カルマーロッ!』




 ◇◇◇




 その頃、屋敷の中にいるマヴェリカとリージェは、屋敷の一階にいた。


 外からは戦いの音が聞こえ、屋敷全体が大きく揺れている。




「始まったみたいだね、エレインも外に出たか」


「ほ、本当に逃げられるんですか?」




 そう言いながらリージェが玄関に手を当てると、まるで見えない壁があるように扉はびくともしなかった。




「現状、この屋敷にはリージェが外に出られないような結界が張ってある。どうやらそれは、特定の人物だけを出られなくする代物らしい。現に簒奪者のやつらは自由に出入りしてたからね」




 リージェが来てから、マヴェリカは屋敷に仕掛けられた結界について密かに調べていた。


 簒奪者が自由に出入りしてるのはもちろん、マヴェリカを捕らえるのも諦めている様子だ。


 一方でリージェはどうやっても外に出ることができず、時には結界が狭まり、部屋の中に閉じ込められることもあった。




「あたしが思うに、魔力の形状を感知して弾いてるんだ。そのカラクリさえ分かれば――」




 マヴェリカはそんな結界に手を当てると、目を閉じて軽く念じる。


 すると見えなかった壁がわずかに光を放ち、そして波打つ。


 彼女は視線で『やってみな』と促すと、リージェは再び扉に手を当てる。


 ギィ……と音を立て、両開きのドアの片方がわずかだが動いた。




「あ、動いた」


「機能不全に陥らせるのは簡単ってわけよ」


「すごいですね、マヴェリカさん。さすがお姉ちゃんの師匠さんです!」


「この手の魔力の形を利用した魔術を掌握できるようになったのは、弟子のおかげだけどね」


「つまり……お姉ちゃんがすごい?」


「ああ、あの子はすごいよ」




 ドロセアが褒められると、リージェは自分が褒められたように照れてはにかんだ。


 だがその直後、何者かがその玄関を勢いよく蹴り開く。


 マヴェリカはリージェを抱え、後ろに飛んで距離を取った。




「ここにいたのか、逃げるつもりなんだな」




 ガアムは、目の前に現れたマヴェリカを睨みつけた。




「邪魔するつもりかい負け犬くん」




 彼女が半笑いでそう言うと、ガアムは拳を強く握りしめ悔しがる。




「反論できない。正真正銘、完全無欠の負け犬じゃないか。無様だねえ」


「黙れ!」


「リージェ、先に玄関から外に出てな」


「やらせるものかッ!」




 ガアムがそう簡単にリージェを逃がすはずがない。


 彼女に飛びかかろうとするガアム。


 脚に力を入れようとしたが、突如として体が動かなくなる。




「どう、なっている……!」


「動いていいって私が許可出したかい?」




 何か見えない力で、ガアムの動きが封じられている。


 その感覚は、まるでエレインが魔力そのものに干渉したときのようだった。




「さあ、今のうちに」


「本当に大丈夫ですか? わたしも戦えますけど」


「一方的な戦いになるから見せたくないんだよ、グロテスクなのは嫌いだろう?」


「っ……で、では先に行ってます」




 誰にも邪魔されることなく、あっさりと屋敷から脱出するリージェ。


 彼女の姿が見えなくなると――次の瞬間、ガアムの右足が破裂(・・)した。




「がああぁっ!」




 血を撒き散らしながら、彼は崩れ落ちる。


 マヴェリカは倒れた彼に歩み寄ると、冷たい瞳で見下ろした。




「エレインの手前、あんたを乱暴に扱うわけにはいかなかったけど、もうそんな遠慮をする必要もない」


「舐めるな……!」




 するとガアムの腕が変形する。


 銀色の狼の姿へと――


 一度はエレインによって強制的に人の姿に戻されたが、薬はまだ効果を発揮しているし、いつだって力の解放は行えるのだ。




「俺は簒奪者で!」




 なおも衰えぬ戦意を示そうと、歯を食いしばりながら立ち上がろうとする。


 すると、今度は体を支える腕が震えだし、内側から筋肉が触手のように蠢きながら飛び出した。


 まるで蟲のように蠢くそれは、前腕や骨を食い尽くす。




「ぐあぁぁあああっ!」


「簒奪者が何だって? 人間社会に受け入れられなかった化物どもが傷の舐め合いしてるだけのしょーもない集団だろう?」




 マヴェリカは――ガアムへの憎悪を隠そうとはしなかった。


 ここしばらく、エレインや彼と同居していたわけだが、その間ずっと、マヴェリカはガアムへの苛立ちを募らせていたのだ。




「エレインの優しさに甘えて、エレインの中途半端さに翻弄されて、そしてエレインのせいで朽ち果てていく。そういう哀れな命の集合体なんだよ、お前らは」


「魔女、め……」


「そうさ、私は魔女なんだ。残虐で、冷血な」




 蠢く筋肉は互いに絡まりあい、一匹の蛇へと姿を変えた。


 そして赤く鋭い牙が並ぶ口を開くと、ガアムの頬に食らいつき、噛みちぎる。




「ひ、あ、ぎゃぁぁぁあああっ!」


「本音を言うとね、私はあんたのことが大嫌いだ。ずっと殺したいと思っていた」




 マヴェリカはしゃがみ込み、彼の飛び散る血を浴びるほど近く顔を寄せて呪詛を吐き出す。




「エレインの隣にいていいのは私だけのはずなのに、執事面をした雑魚がエレインに選ばれましたみたいな顔して立ってんだからさ。私だけだよ。私だけなんだ。汚さないでくれないか、私だけを。お前のような勘違い野郎が。私だけなんだよ」




 呪いの言葉は徐々にボルテージを上げていき、やがて彼女は声を張り上げ怒鳴りつけた。




「エレインが愛しているのは永遠に私だけッ! エレインは人の身を捨て“賢者”になった瞬間、“個”を捨て、誰かを愛することをやめた。それってつまり、そうなる前に愛されてた私だけが残ったってことなんだよぉぉッ!」


「く、狂って……あ、が、いいぃぃ……ッ!」




 蛇はなおもガアムの顔を食い尽くしていく。


 彼はまだ生きている。


 生きたままできるだけ苦痛を感じてほしいと願った。


 なぜならマヴェリカとエレインの二人きりの空間を汚したからだ。


 マヴェリカは優しい。


 殺すだけで済ませるなんて、魔女の名が泣く。




「最ッ高に独占欲が満たされた。気持ちよかった。だってのにあんたみたいなゴミが隣にいるからいちいちいちいち顔を見るたびにイライラしてさあぁぁあああッ!」




 頭蓋骨や筋肉がむき出しになった顔を、マヴェリカは蹴りつけた。


 ぶちゅっという音と共に吹き飛ぶガアム。


 彼の首はへし折れ、もはや虫の息である。


 マヴェリカはそんな彼に再び近づくと、頭を踏みつけた。




「安心しな、これで終わりだ」


「あい、お……ぐぎゃっ!」




 そして力を込めると、脳ごと頭蓋を踏み潰す。


 体がビクビクっと痙攣すると、それきりガアムは動かなくなった。


 その死を足裏に感じ、マヴェリカは笑みを浮かべ達成感に体を震わせる。




「やっと……やっとだよ。ドロセアは優しい弟子だ、殺さずに私に回してくれるんだから。一度ぐらいは殺しておかないと、次にガアムに会ったときに我慢できそうにない」




 彼女が指を鳴らすと、ガアムの亡骸は炎に包まれた。


 さらに彼の血でわずかに汚れた靴を水の魔術で軽く洗うと、マヴェリカはリージェを追って屋敷を出るのだった。




 ◇◇◇




 屋敷からほど近い森の中、イナギとアンターテは対峙する。


 近づいてくる足音を聞いて、アンターテは振り向きもせずに言った。




「つきまとうぐらいなら、最初から捨てなければよかった」




 結局はそこに、回帰する。


 エレインの元に預けられ、彼女に懐くまでの間、何度考えたことだろう。


 どうして捨てたの。


 どうして一緒にいてくれなかったの。


 イナギは答える。




「今になって後悔しております」




 一緒にいればよかった、と。


 そう思ったからアンターテを追いかけてきたのだ。


 彼女はゆっくり振り向くと、銀色の髪を揺らしながら、悲しそうに言った。




「もう遅い」


「そうでございましょうか」


「それに……わたしは許してないから」


「フォアレの代用品にしたこと、でございますか?」




 イナギは自らそう口にする。


 アンターテは頷きも否定もしなかったが、無言なのは『そのとおりだ』と思っているからだろう。




「確かに成長してからのアンターテは、彼女にそっくりでございます」


「罪滅ぼしに私を利用して――」


「しかし」




 イナギは強めの語気で、アンターテの言葉を遮った。


 そしてにこりと笑って告げる。




「赤ちゃんの頃が似てたかどうかなんてさっぱりわからないでございますよ」


「はぁ?」


「わたくしとフォアレは幼馴染ではございましたが、同世代でございますので、当然赤子の頃は顔を知らないのでございます」


「だから、何?」


「わたくしはアンターテを育てました。母親の代わりに。その頃は似てるかどうかなんて判別できないでございますよ」


「それだけじゃ、代用品ではない証明にはっ」


「そもそも、代用品にするなら幼馴染を娘同様に育てたい、なんて考えるわけがないでございます」




 いくら幼馴染のことが好きだからって、その子を赤ちゃんとして育てたいとは思わない――という至極真っ当な言葉。


 アンターテは何も言い返せなかった。


 イナギはなおも言葉を続ける。




「産まれたばかりのアンターテがわたくしの手を握ったとき、なんて儚い命だろう、絶対に守り抜いてみせると胸に固く誓ったものでございます。ですが旦那様や奥様はアンターテの面倒も見ずに、家にはお金もないというのに遊んでばかり……失望いたしました。絶望いたしました。それと同時に、決意いたしました。わたくしが必ずあなたを健やかに育ててみせる、と」


「でも……でもそれは! フォアレに対する、後ろめたさがあったからでっ」


「確かにカンプシアの家を守り続けたのはそうでございましょう。しかし、アンターテを守りたいと思ったのは単純な好意でございますよ。育児経験などございませんし、誰かの代わりになるような存在でもございません」




 優しく言い聞かせるようなイナギの言葉に、アンターテは徐々に勢いを失っていく。




「……今さらそんなこと言っても」


「これまでも言っておりましたよ。耳を貸そうとしなかっただけで」


「それは……だけど……」


「まだ気になることはございますか? でしたら全てをお話いたしますよ」




 すると、アンターテはどうしても許せないことがあったらしく、再び強めの口調でイナギを問いただした。




「じゃあ結局……結局どうして、わたしを捨てたの!? エレイン様に預けたりしたのッ!」


「詳しく話すと少々長くなりますが、いい機会でございますしお話いたしましょう」




 イナギはまず、幼馴染であるカンプシア家の初代当主、フォアレが死んだときのことを思い出した。




「簒奪者であるわたくしは年を取りません。ですのでわたくしはフォアレの元を離れ、裏からカンプシア家を守ることにしたのでございます」


「それは知ってる」


「数十年ぶりにフォアレと会ったとき、彼女はすっかり老いて、病に伏せりベッドから出られなくなっておりました」


「……死ぬときに会ったんだね。フォアレが呼んだの?」


「いえ、わたくしが。年を取らない肉体は不気味と言われ、そんな人間が使用人をやれば家全体が気味悪がられる……旦那様にそう言われて身を引いたというのに、結局、最後に会いたいという気持ちを押さえられなかったのでございます」




 目の前にイナギが現れると、まず最初にフォアレは驚いた。


 次に一瞬だけ喜んで、そしてすぐに睨みつけてきた。




「ひょっとすると――それは、フォアレにとってとても残酷なことだったのかもしれません」


「どうして? 会いに来てくれたのに?」


「フォアレは、わたくしのことが好きだったのでございますよ。一緒になるためなら、家を捨てて駆け落ちだってする覚悟だったのでございます」


「なのに目の前から姿を消したの?」


「フォアレがいなくなれば、カンプシアは跡継ぎを失います。一時の感情で家を潰してしまっては後悔してしまいますから」


「でも……結局、後悔してる」


「そうでございますね。突如として現れたわたくしに、フォアレは何十年も溜め込んだ本音を吐き出したのでございます」




 一語一句、忘れることはない。


 その言葉の刃は、今もイナギの胸に突き刺さったままだ。




『どうして傍にいてくれなかったの』


『ずっと一緒にいるって約束したのに、あなたは私の見えないところで人を殺し続ける存在になった』


『怖かった』


『家がどれだけ繁栄しても、ただ恐怖しかなかった』


『勝手に人が死んでいくこと。それを喜ぶ人がいること。あなたが血に汚れていくこと。そんなあなたを誇らしげに語る人がいること』


『私以外の親族が喜んでも、私はただただ怖かった。苦しかった。ただでさえイナギのいない世界は息苦しくて、窮屈だったのに』


『そのくせ、最後の最後、もうどうしようもなくなったときだけ会いに来て』


『私をどれだけ傷つけたら気が済むの?』


『化物め』


『恨んでやる』




 フォアレが命を落としたのは、その直後のことだ。




「わたくしが正しいと思ってやったことは、何もかもが間違っていたのでございます。愛情はいつの間にか憎悪に変わり、わたくしは、ただフォアレを不幸にするだけの化物になっていた」




 そんな過去を吐露するイナギ。


 悲しい出来事なのは確かだが、それ以上に――




「……結局、フォアレなんだ」




 やっぱり代用品じゃないか。


 そんなことを思うアンターテ。


 するとイナギは首を振り、それを否定した。




「違うのでございますよ」


「何が違うっていうの!?」


「金に困った旦那様や奥様は、アンターテ様を売ろうとしておりました。そして――」


「それを聞いて殺したんでしょう、お父様やお母様を」




 カンプシアの人間をイナギが皆殺しにしたことは、アンターテだって知っている。


 それが自分を守るための行いだったということも。


 アンターテはイナギのその行動を恨んだりはしていない。


 むしろ感謝したいぐらいだ。


 問題はそのあと――自分を一族から引き離しておいて、勝手にいなくなったことだ。


 自分を守るために人を殺したくせに、守る責任を放棄したことだ。




「ええ、仕方のないことでございました。あのような家よりも、アンターテの方が遥かに大事でございましたから」


「言葉通り大事にしてくれたら」


「屋敷の人間を皆殺しにしたあと……アンターテはその現場に来てしまったのでございます」


「え……? 待って、私、イナギに連れ出されて外で目を覚ましたはずじゃっ!」




 事件は深夜に起きた。


 アンターテが目を覚ましたとき、もう全ては終わっていた、はずだというのに。




「アンターテは血を浴びたわたくしを見て、こう言いました」




 それとも、脳が切り捨てたのだろうか。




「化物、と」




 ――あまりに自分に都合の悪い記憶だから。




「情けないことに、その瞬間にフォアレのことがフラッシュバックしたのでございます。わたくしは猛烈な罪悪感に襲われ、自分の存在意義すら見えなくなりました」




 無論、アンターテが悪いわけではないのだろう。


 なにせ彼女はフォアレとの過去をその時点で知らないのだから。


 思わず口をついた、“化物”という一言。


 それは――ただの本音だ。


 血に汚れ、殺意にまみれたイナギが、正しく(・・・)化物に見えたというだけで。




「そのあと……エレイン様と出会った」


「ええ。わたくしにはアンターテと共に歩む資格などない。そう思い、手を放してしまったのでございます」




 懺悔するように、イナギは言う。




「それが、新たな罪を産むとも知らずに」




 ひたすらに後悔を。


 幾重もの後悔を。


 あの日、あの瞬間に積み重ねて。


 なんて馬鹿げたことをしたんだろう――彼女はそう自分を責め続けた。


 そしてアンターテを追い続けた。


 それが間違いだったと心から認めた上で。




「わたしの……せいなの」


「いいえ、わたくしでございますよ。それで近くにいることを選べばよかっただけなのでございますから」


「でも、きっかけは!」


「そう思ってくださるのでしたら」




 イナギはアンターテに手を差し伸べる。




「わたくしの手を取っていただけませんか」




 後悔を、これ以上重ねないために。




「まだ何かが終わったわけではございません。わたくしもアンターテもここにいる。でしたら、今からでも遅くは――」


「遅いよ」




 アンターテはうつむき、震える声で言った。




「もう、ぜんぶ、終わっちゃった」


「何を……」




 首をかしげるイナギ。


 するとアンターテの体が、不自然にビクンと震える。




「どうして……もっと早くに、話せなかったん、だ、ろ……」




 腹が裂け、そこから腸が顔を出す。


 否、それは触手だ。


 先端が丸みを帯びた、何本ものぬるりとした軟体だ。




「どう、して……どう……」




 胸から血が噴き出す。


 そこにぎょろりとした目のようなものが浮かんだ。


 綺麗な黒い宝石のような宝石にも見えたけれど、左右に動いているのでおそらく目だろう。




「アンターテ」




 続けて腕が千切れて、その内側からコウモリの羽のようなものが生えた。




「アンター、テ」




 頭が裂けて、内側からヒトデのような星型に似た形をした青い器官が現れた。


 どれも人よりも数倍大きいので、もう元あったアンターテの体は、さながらジンの亡骸のように、ただの肉片として異形に付着しているだけだった。


 やがてそれも肉の中に飲み込まれ、目の前には複数本の触手で自立する、青い異形が立っているだけだ。




「あ、ああぁ、ああぁぁぁああ」




 イナギは口を開いたまま、呻く。


 その“変形過程”は、彼女から希望を全て奪い尽くすのに十分すぎるものだった。


 もはや意味のある言葉を発することもできない。




「アンターテえぇぇぇえええっ!」




 ただ、一人の名前を除いて。




 ◇◇◇




 屋敷を出て、森を走るリージェ。


 なんとかドロセアと合流したいが、彼女の乗る守護者はエレインのせいで飛ばされて、叩きつけられるのを繰り返しているので近づくこともできない。


 ひとまず屋敷から離れるべく走っていると、前方で森をなぎ倒しながら新たな異形が現れるのを目撃した。




「気持ち悪い形……もしかしてあれも、力を解放した簒奪者なの――」




 そう呟くと、異形の胸部に付いた瞳がリージェを捉える。


 人とは全く異なる姿だが、その化物に理性が存在せず、言葉も通じないことだけは感覚で理解できた。


 それはつまり、敵と味方の区別すらしないことを意味する――


 そのとき、リージェの体を誰かが抱きかかえて、地面に転がった。


 直後、先ほどまで立っていた場所に氷の刃が突き刺さる。




「イナギさん!?」


「まずは、移動いたします」




 涙を流したのか、目を赤くしながらも、リージェを抱えて異形の視界外へと移動するイナギ。


 相手は力を解放した簒奪者ではあるが、イナギが最大限まで加速すれば、その目を欺くこともできた。


 山のくぼみに隠れ、二人は言葉を躱す。




「助けてくれたんですね、ありがとうございます」


「いえ……」


「あの……その様子だと、もしかして、あの魔物って」


「……アンターテでございます」




 そう言ったあと、イナギは目を閉じて大きく息を吐き出した。


 その事実を直視するだけで、心が壊れそうだから。




「そんな……」


「ああなれば、もう二度と戻ることはできません」


「あ、待ってください、でもエレインなら戻せるって!」


「頼んで戻すと思いますか?」


「そ、それは……」


「リージェ、わたくしからの警告でございます」


「なん、でしょうか」




 イナギはリージェの手を両手で握ると、目をまっすぐに見て、心から、祈るように言った。




「愛する人がいるのなら、その人の傍にいること以上に大事なことはございません。何があっても、どうなっても、それだけは見失わぬよう」




 自分はダメでも、せめて周囲の人ぐらいは――そんな願いを込めて。




「え、えっと、はいっ! わたしは何があってもお姉ちゃんと一緒にいます。そう心に決めましたから!」




 リージェがそう言い切ると、イナギは微笑んだ。




「ふふ、お互いにそう思っているのであれば、きっと大丈夫でございましょう」




 そして満足した彼女は、その場を離れていく。




「危険でございますので、アンターテがわたくしを発見したあとは、急いで移動するべきかと」


「イナギさんはどうするんです?」


「人に言ってばかりでは無責任でございます。わたくしも今から、できることをするつもりでございます」


「それって……」




 全てを理解したリージェだが、しかし止める気にはなれなかった。


 イナギの覚悟は、部外者が何かを言ったところで変わらないことを知っていたからだ。


 同時に、自分が同じ立場なら、きっと迷いなくそうするだろう――そう思えたから。




「短い間でしたが、楽しい旅でございました。ドロセアさんと二人で幸せになれるよう、祈っております」




 そう告げると、イナギは隠れるのをやめてアンターテの前に飛び出す。




「ォ……ォォ、ォ、ァ……」




 アンターテには発声のための器官が無いようで、はっきりと聞き取れる声は出さない。


 だがどこからかノイズめいた、聞いていると悲しくなるうめき声を鳴らすのだ。


 おそらくは、イナギの名前を呼んでいるのだろう。


 少なくとも彼女はそう感じた。




「ええ、わたくしはここにおりますよ。あなたの近くに。これからはずっと――」




 イナギは自らの魔力を活性化させる。


 途端に両腕が、内側で何かが生まれるように脈打ち変形する。




「死してもなお、愛するあなたの傍に」




 やがて彼女の“魔”は体を突き破り、外へと這い出していく。


 化物と化物――同じ次元で、二人が共にあるために。




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