053 初恋の骸、鮮血の餞Ⅲ:告解
目の前のジンたちを無視して、一人ぬいぐるみと会話を続けるティルミナ。
世話係の女性は申し訳無さそうに頭を下げる。
「ティルミナ様は、カイン様が国王になられたあとに倒れてしまわれたんです。そして目を覚ましたら……」
「こうなっていたわけか」
「サイオン様が亡くなられたあとではなく、カイン様が国王になったあと、ですか。悲願を叶えて満足したのかもしれませんね」
「私の耳にも届いていなかった。徹底して隠しているのはカイン陛下の命令だな」
「はい……」
つまり、フォーンの口添えがなければ彼女との面会は叶わなかっただろう。
しかし、会えたとしてもこの状態では、クロドの父について聞くのは難しそうだ。
「フォーン様から三人だけにするように、と申し付けられていますが……いかがなさいますか?」
さすがに世話係を巻き込むわけにはいかない。
ジンは不安ではあったが、世話係に退室してもらうことにした。
女性が深々と頭を下げて出ていくと、彼はティルミナと向き合い、呼びかける。
「王太后陛下、お久しぶりです。私の顔は覚えておられますか」
「今日も世界は平和だね、うさちゃん。そうだねティルミナちゃん! 全てはガイオス様のおかげなんだよ、ガイオス様が世界を守ってくれるから平和なの。素晴らしいねティルミナちゃん!」
「ティルミナ陛下……」
「反応なし、ですか。完全に自分の世界に籠もっておられるようだ」
「……」
この時点で語りかけるだけ無駄だとわかりそうなものだが――ジンは逆だった。
先ほどの成立しない会話を受け、再び語りかける。
「その世界の危機かもしれないのです、貴女様が私と向き合わなければ、みなが不幸になってしまいます」
「らんららららーん、今日は楽しいピクニック! ねえねえうさちゃん、どこに行く?」
「私が聞きたいのはクロド殿下の父親についてです」
「あのねあのね、ティルミナちゃんといっしょならどこでも楽しいよ! えぇー、うれしーい!」
「サイオン陛下に子供を作る能力がなかったことは、本人から聞かされています」
「わあぁ、綺麗なお花畑! うさちゃんうさちゃん、こんな場所を知ってるなんてすごいね! でしょでしょ、見つけたとき絶対にティルミナちゃんに見せてあげたかったの!」
「カイン陛下の実の父がフォーン様であることも、もちろん。ではクロド殿下の父親は誰なのでしょうか」
「二人で花の冠を作りましょう! るんららんららんっ、わあぁぁ、うさちゃん上手ー! でしょうでしょう、でもティルミナちゃんのも上手だよぉ」
繰り返し声をかけても、ティルミナから思うような反応は返ってこない。
ゾラニーグは肩をすくめた。
「無駄ですよ、ジンさん。それこそ心を読める魔術師でも探してくるしか」
「いや」
「諦めが悪い人だ」
「わずかだがティルミナ陛下の表情に変化がある」
「……気のせいじゃないですか?」
「彼女は気が狂れたフリをしているだけだ」
「何のためにそんなことを」
「これは推測に過ぎないが――」
当人の目の前で、ジンは堂々と自らの推理を語り始めた。
「王后は政治面で国王を支える立場でもあるが、彼女は長い間、心を患っていたため表舞台に立つことはなかった。それゆえに政に疎い」
「今はカイン様が国王なのだから問題ないのでは?」
「カイン陛下はまだ若い。彼は名ばかりの国王あり、実権は母であるティルミナ陛下が握っていると考える者も少なくないだろう」
「なるほど、読めてきましたよ。ティルミナ様の権力をあてにして近づこうとする者がいるわけですか」
「ああ、実際のところ彼女は権力など握っていないが、母からの進言となるとカイン陛下は無下にはできない。政に疎く、その正当性を判断する能力をもたないのに、だ」
「なので息子に迷惑をかけないよう、病の悪化を装った……」
ティルミナはジンが喋っている間も、ずっと“うさちゃん”とのままごとを続けていたが、
「おや、今は私にもわかるぐらいに表情が変わりましたね」
明らかに一人遊びの内容ではなく、ジンとゾラニーグの会話に合わせて表情が変化するタイミングがあった。
それをゾラニーグは見逃さなかった。
「どうしよううさちゃん、花冠が失敗しちゃった。え、うさちゃんが私の分も作ってくれるの? やったー!」
「ティルミナ陛下、私は政治の話をしにきたのではありません。現在、王国は侵略者との戦争状態にあるといっていい。その侵略者が王族に入り込み、敵に情報を流しています」
「そしてクロド殿下が、その容疑者なんですよ」
「侵略者は女性の胎内に侵入し、通常の妊娠を装って誕生し、人間社会に潜り込むという習性が確認されています」
「教会の改革派が殲滅した“奇跡の村”と呼ばれる地域でその現象は確認されてました」
「もしティルミナ陛下が、クロド殿下を産む前――奇跡の村に近づいていたとしたら」
「父親不明のクロド様は、侵略者の子ということになります。そしてそれが事実か否かを知るのはティルミナ様、あなただけなんです」
ジンとゾラニーグが交互に喋りながら、ティルミナを追い詰めていく。
彼女はぬいぐるみ遊びを続けながらも、その言葉に詰まる場面が増えてきた。
あと一押し――そう感じたジンは、テーブルに額を擦り付け頼み込む。
「お願いしますティルミナ陛下、どうか本当のことを教えてください! もしクロド殿下が本当に侵略者なら――この国は滅びてしまいます!」
続いてゾラニーグが、到底王族に対する態度とは思えない高圧的な喋り方で追求する。
「現状、カイン様に侵略者が寄生した形跡はないようだ。ですが危険な存在が近くにいれば、いつ命を狙われてもおかしくありませんよ。カイン様が死んでしまうかもしれない」
まだティルミナは折れない。
最後は、ジンが情に訴えるしかなかった。
「それにしても本当に綺麗なお花畑だね、ずっとここで遊んでたいよ!」
「ティルミナ陛下!」
「そうだねティルミナちゃん。ずっとここにいよう、うさちゃんはいつだってティルミナちゃんの味方――」
「どうか、真実を語ってくださいッ!」
彼の荒らげた声が部屋に響き渡る。
瞬間、ティルミナの喋り声がぴたりと止まった。
「おっと、限界を迎えたみたいですねえ」
彼女の顔を青ざめ、額には冷や汗で濡れた髪が張り付く。
「うさちゃん……助けて、うさちゃん……」
「現実逃避したところで貴女の胸に真実が隠されている限り、救われることはありませんよ」
そしてゾラニーグのとどめの一撃。
瞬間、ティルミナは激昂した。
「知ったふうなことを言ってぇッ!」
ガラガラの声で怒鳴りつけると、うさぎのぬいぐるみでテーブルの上のお菓子やお茶を薙ぎ払う。
国宝級の皿が無惨にも割れていく。
「私は悪くない、悪くないわ。私のせいじゃない、私のせいじゃないのに、どうしてあの人はッ!」
「で、お相手は誰なんです」
「黙りなさい無礼者ッ! 誰か、誰か来てッ! この二人を不敬罪で殺してしまってッ!」
呼びつけても、誰も部屋にはこなかった。
おそらくは、そうフォーンに言いつけられているから。
「ティルミナ陛下、おっしゃってください。クロド殿下を宿された際、奇跡の村に近づいたのか、それとも――」
「私は悪くないって言ってるでしょう!?」
しかし――その声に反応する者が一人だけいた。
なぜか応接室から聞こえてくる母の叫び声。
そして館の中に漂う妙に張り詰めた空気。
偶然にもここを訪れていた国王カインは、異変を察知し、応接室に飛び込んだ。
「お母様ッ!」
「おやおや、厄介な人が現れました」
ゾラニーグがうんざりした様子で言うと、カインは彼をにらみつける。
「ゾラニーグ、貴様この期に及んでまだこのような悪事を……ッ! それにジンまでも加担するとはッ!」
「悪事を働いたつもりはありません」
「お母様をここまで追い詰めておいてよくも言えたものだな!」
そう声を張り上げながら、カインはティルミナに駆け寄り、その体を支えた。
「ああ、カイン……怖かったわ、本当に怖かったの……」
「僕が来たからにはもう平気です、お母様」
「カイン様もそろそろ知る必要があるんじゃないですか」
「ゾラニーグ、貴様から聞くことなど何も無いッ!」
「あなたが――」
「やめなさい、ゾラニーグッ!」
全力で拒絶する親子だったが、ゾラニーグは止まらない。
「サイオン様の子供ではないということをですよ」
残酷な真実を告げられ、カインは絶句した。
「何……を……」
ショックを受ける王を前に、ジンは苦言を呈する。
「ゾラニーグ、カイン陛下に言う必要は」
「私とあなたでも国王には逆らえない。このまま真実を暴けないぐらいなら、カイン様を取り込んだ方がいい」
「つくづく悪人だな……」
「もはや褒め言葉ですよ」
誇らしげに笑いながら、ゾラニーグは楽しそうに語った。
「サイオン様は子供を作れなかったんです。だからフォーン様がティルミナ様を抱いて子供を作った、そして産まれたのがあなたなんですよ」
「もう少し言い方というものが……!」
「綺麗事を言ったところで誤魔化せませんよ、汚らしい大人の都合なんですから」
「どういう、ことです……? 僕は、お父様の子供では、なく……フォーン、様、の……?」
カインの視線は、ゾラニーグから母へと移る。
息子に見つめられ、ティルミナは体と声を震わせた。
「あ、あぁ、カイン……私は、私は……」
否定をしない母を見て、それが事実だと確信してしまうカイン。
自分の父親は教皇だった――それを知った途端に、もうひとつの疑問が湧き上がる。
「ではお兄様はッ! クロド兄様は誰の子供なんです!?」
ジンはゆっくりと首を左右に振り、暗い声で「……わからないのです」と答えた。
「サイオン陛下ですら知らなかった、もちろんフォーン猊下も。それを知っているのは、ティルミナ陛下だけでしょう」
「それを……聞くために、わざわざフォーン様に助力を頼んでまで」
「つまりフォーン様も覚悟してくださったんですよ、この禁断の扉を開くことを」
ティルミナほどではないが、カインにとっても教皇の存在は大きい。
相手がゾラニーグだったとしても、その言葉に耳を傾けてしまうほどに。
「知りたくありませんか、兄上の実の父が誰なのか」
「ぼ、僕は……」
悪魔のようなささやきを前に、カインの心が揺れる。
しかし結局は“言ったのがゾラニーグ”という部分が邪魔をしたのか、彼は毅然とした表情で言い返した。
「お母様が傷つくのなら、そのようなことを知る必要はありませんッ!」
だがそんな決意を、ジンの言葉が砕く。
「クロド殿下は侵略者の可能性があります」
「……は?」
「現在、私の周辺から侵略者たちに情報が漏れているのです。容疑者を絞ったところ、クロド殿下の可能性が高いことがわかりました。また、クロド殿下を調べていた騎士が一名殺されています」
「っ……」
「まあ、知りたいか知りたくないかではなく――国王として。そして簒奪者の協力する“世界の救い手”として、知るべきですよね、カイン様は」
国のためではなく、世界のためと称して、信仰心を動機に簒奪者と組んだカイン。
そんな彼の選択を揶揄するようなゾラニーグの言い方に、カインは苛立つ。
「ゾラニーグ、貴様……!」
「申し訳ない、少々嫌味ったらしい言い方になってしまった。でも許してくださいよ、私はあなたに殺されかけたんだ。この程度で済ませるだけ、優しい方です」
カインもゾラニーグを憎んでいるが、逆もまた然りである。
この場で手を出さずに会話が成立しているだけ奇跡のようなものだった。
「カイン、お願い……放っておいて。私はもう思い出したくないの、あの日のことを……」
黙っていたティルミナが、カインにそう頼み込む。
「お母様……」
「何も知らなければいいだけじゃない。誰にも言わなければいい。そうすれば、カインもクロドもサイオンの……彼の子供でいられる……そうでしょう?」
「もう、手遅れです……」
すでに知ってしまった。
忘れることなどできるはずがない。
ティルミナもそれをわかっているはずなのに――ー
「だったら忘れてよぉおおッ!」
泣きわめき、拳で何度もカインの胸を叩いた。
全力を出しているはずなのに、弱々しいその痛みに、彼は無性に寂しさを感じる。
「お母様、話してください。クロド兄様の……父親は、誰なんですか」
「う、うぅ、うううぅぅぅぅうう……ッ!」
ついには涙をぼろぼろと流すティルミナ。
「わ、私は悪くない。悪くないの。惹かれたわけじゃない、気づいたら、そう、気づいたらそうなってて」
「おやおや、どうやら明確なお相手がいるようだ」
「お母様……まさか、お父様を裏切って」
「裏切ってないぃぃぃッ!」
「だったら話してください、全て、正直に!」
堪えきれずにカインが大声を出すと、ティルミナの体がびくっと震えた。
彼ならば無条件で味方をしてくれると思っていたのだろう。
そして彼女は怯えた様子で、ぽつぽつとその日のことを語りだした。
「あ、あの日、私は……サイオンが主催するパーティに、参加していた、の。そしたら、たまたま、いた、男の人が……す、すご、く……魅力的に見えて、ね」
どうしようもないその告白に、カインは痛みに耐えるようにぐっと唇を噛んだ。
ジンも悲痛な表情を浮かべ、ゾラニーグも呆れている。
「待って、そんな顔しないでッ! 違うの、私はサイオンのことを愛していたし、他の人に目移りするはずなんてなかったの! おかしかったの、あの男が、イグノーがぁぁあっ!」
ティルミナもまた、わかっているのだ。
その日の過ちが、どれほど取り返しの付かないものだったかを。
まだサイオンが子供を作れたのならよかった。
だが、後で種が無いとわかってしまったから――取り返しの付かない悲劇ははじまってしまったのだ。
「そ、そして、気づいたら……朝に、なってて。い、意識、そう、意識なかったの。でも、気づいたら……お腹の中には、クロドが、いて……」
ティルミナには相手がいた。
それがわかったのは、果たして良いことなのか、悪いことなのか――
「お願いよ、カイン、信じてぇ。私はそんなことしたくなかったのぉっ、あの男が、あの男がさえ現れなければ、私はあぁ……!」
「お母、さま……」
息子にすがりつく母を前に、カインは呆然としている。
部屋には泣き叫ぶティルミナの声だけが響いていた。
「どうします、ジンさん。どうやら疑いは晴れたようですが」
「……ああ、クロド殿下は侵略者ではなかった。そういうことだろう」
「では結論も出たことですし、帰るとしますか!」
わざとらしく大きめの声でそう言うと、立ち上がるゾラニーグ。
彼はジンを先導するように部屋を出た。
バタンと扉が閉じると、中からはまだティルミナの泣き声が聞こえてくる。
そそくさとその場を離れようとするゾラニーグだったが、ジンはなかなか動こうとしない。
「残ったところで、無責任だと自分を責めたところで、できることなど何もないでしょう」
ジンはティルミナを傷つけたことを悔いているのだろうが――同時に、ゾラニーグの言うことが正論であることも理解している。
「そう……だな」
腹にヘドロが溜まったような気持ち悪さを抱えながらも、ジンはティルミナの館を後にするのだった。
◇◇◇
ゾラニーグと並び、王都の通りを歩くジン。
館から離れて少し経っても、まだ彼の表情は暗いままだった。
「しかし、これからどうするんです? 犯人は分からずじまいだったわけですが」
「まずはクロド殿下の父親の正体を確かめる」
「イグノーでしたか。確かどこぞの領主にそんな名前の男がいましたね」
「王国南東部を治める貴族だな」
「おや、奇跡の村の近く――と言うほどでもありませんか」
「遠くはないが関連性を見出すには無理のある距離だ」
おそらく侵略者との関わりはないだろう。
なので確認するのは、本当にティルミナと関係を持ったかどうかだけだ。
「その人物から証言を取れたら、次はどうするつもりです?」
「容疑者は全員が白だった。となると……侵略者には思考を読む能力があると仮定して、今後の対策を練るしかないだろうな」
「厄介ですねえ。クロド様の疑いが晴れたとはいえ、人間のフリをした侵略者が潜んでる可能性は消えてないのですから」
「お前が侵略者だったらどうしたものか」
「私が侵略者ならもうちょっと善人を演じますよ」
「ふ、それもそうだな」
皮肉なことに、ゾラニーグの性根の悪さがプラスに働いている。
そんな会話をしながら歩いていると、ジンは前方に黒い頭を見つけた。
「ん、あれは……」
「どうかしましたか?」
イナギが人混みの中を歩いている。
しかも、誰かを尾行しているような動きだ。
さらに前方にはローブを纏った怪しげな男――
イナギが王都に滞在している理由を考えると、簒奪者である可能性が高い。
だが、ゾラニーグはその簒奪者から恨みを買っている。
彼と行動している今は関わるべきではないだろう。
「……いや、何でもないさ」
「明らかに私の顔色を伺いましたね。まあ隠し事のない間柄でもないので構いませんが」
と言いつつも、ゾラニーグは少し不満そうな顔をするのだった。
◆◆◆
イナギは路地に入ったところで、ローブの男に声をかける。
「見つけましたよ」
周囲に人がいないのを確かめた上で刀を抜くと、刃を相手の首に当てた。
「変装しても背丈が高いのですぐにバレてしまいますね、カルマーロ」
「イナギ」
カルマーロは観念してフードを脱ぐ。
そして両手を上げながら言った。
「敵対、しない」
「わかっております、あなたがたは王都で派手に動ける立場ではありません」
王牙騎士団を操ったこと、そしてサージスを殺したことで、彼らを恨む人間は少なくない。
ローブで姿を隠していたあたり、彼らもその自覚はあるのだろう。
「しかしリスクを負ってでもここに戻ってきた、一体なぜでございますか」
「侵略者、いる」
「素直に話すのでございますね」
「目的、一致。協力、可能」
「正直、わたくしとしてはカルマーロを好ましくは思っていないのでございますが」
「なぜ?」
「嫉妬でございます」
イナギは包み隠さず、ストレートに己の黒い感情を吐露した。
「わたくしがアンターテを預けたのはあくまでエレインに対して、あなたのような不審人物に任せたつもりはないのでございますよ」
「我、見守る。それだけ」
「あなたの言動が彼女に悪影響を与えた、そんなわたくしの懸念は無駄であると?」
「アンターテ、エレイン、崇拝。我、影響、無し」
「結局そうなるのでございますね」
あっさりと刀を下げるイナギ。
一応脅しつつ尋ねてはみたが、エレインのせいであることはわかっていた。
だが、アンターテをエレインに預けたのは他でもないイナギ自身。
その選択が間違いではなかったのだと、認めたくない感情がまだ残っているのだろう。
「そういうあなたはどうなんです、エレインのことを崇拝していますか?」
ひとまず刃と敵意を納めると、彼女はカルマーロに尋ねた。
「わたくしの見立てでは、あなたはこの大陸の人間ではない。その言葉も、外から渡ってきてから身につけたものなのでしょう」
「エレイン、言葉、居場所、我、与えた」
「だから崇拝している、と」
「否。感謝」
意外にも彼は否定する。
ミダスやシセリーがそうであったように、必ずしもエレインの周辺の簒奪者が彼女を崇拝しているわけではないらしい。
「どうやら交戦の意思はなさそうでございますし、たまには話でも聞かせていただきましょうか」
「我?」
「そう、あなたの。知っておきたいのでございますよ、どういう人間がエレインを慕っているのか」
それはアンターテを取り巻く環境を知るためでもあった。
カルマーロも、別に話す必要はないのだろうが、その意図を汲み取ってか自ら語りだす。
「我、神」
「いきなりぶっこんできましたね……」
「島のみんな、そう呼ぶ」
「年を取らない簒奪者。あなたの暮らしていた島では、それを神として扱っていたわけですね」
「みな、崇める。みな、慕う。毎日、幸せ」
「うまくやれていたわけですか。ですが、あなたはその島を出た」
カルマーロは前髪で少し隠れた目を細め、わずかにうつむく。
「島、火山、噴火。大勢、死んだ。神、恨まれる。好きなみんな、我、嫌う」
神であるがゆえに無条件で好かれ、神であるがゆえに無条件に憎まれる。
プラスにもマイナスにも理不尽で、つまりそれは、最初から“同じ生き物”として見られていなかったということだろう。
「家族、友達、みな、居場所、なくなる。信仰、なくなる。我、価値無い。我、島、出た」
「そして大陸に流れ着いて、エレインと出会ってわけでございますか」
カルマーロは頷くと、別の話をはじめる。
「アンターテ、似てる。島、大切な人」
「恋人でございますか……?」
イナギがにらみつけると、カルマーロはいつもより少し早口で言った。
「違う、妹。娘」
「ああ……家族ということでございますね」
「罪滅ぼし。彼女、守る」
「妹さんは……」
「噴火、死んだ」
お前のせいだ、と――カルマーロがそう言って責められたことは想像に難くない。
彼自身も傷ついていたが、しかし彼は神なのだから、島の人々の悲しみを代わりに背負わなければならなかったのだ。
できるはずもないのに。
「……そういう理由でございますか。しかし、妹さんの死を嘆く割には、人類を全て魔物に変えるエレインには共感するのでございますね」
「魔物、人、両方野蛮、両方尊い。変わり、ない」
少し同情的だったイナギの表情が、すっと冷める。
「そうでございますか、相容れないことを理解いたしました」
神として扱われているうちに、彼の価値観もまた人とは違うものへと変質していたに違いない。
イナギも通常の人間とは違うという自覚があったが、それでも、人と魔物が同じだとは思えなかった。
「さて、雑談はこのあたりにして。侵略者を追っていると言っていましたが――エレインは何かを掴んだので?」
「ミダス、侵略者、手を組む」
「もちろんそれは知っておりますよ」
「侵略者、王都、潜む。敵、探す。犠牲者、増えない」
「どうやら……エレインが知っている情報とやらも、我々と同レベルのようでございますね。ふむ、これは困りました。彼女も人間社会に紛れた侵略者を見抜くことはできない、と」
エレインを小馬鹿にするようなイナギの物言いに、むっとするカルマーロ。
だが彼女は謝らない。
「そのような顔をされても、ただの事実でございますので」
少しムキになったのか、カルマーロはさらに詳しく話してくれる。
お前たちの知らない情報も持っているぞ、と。
「侵略者、女性、寄生。人と見た目同じ、侵略者、産まれる。侵略者、魔力、保有」
「侵略者は通常、魔力を持たない。しかし人から産まれた場合は魔力を保有している、だからエレインも判別できない。その理屈だと、ドロセアも判別できないわけでございますね」
「侵略者、世界改変、進行」
「世界、改変? 何のためにそのようなことを」
「大型侵略者、顕現。環境、整える」
「大型侵略者……フルクスにいるドロセアが、そのようなことを言っていたとテニュスから聞きました。その出現条件を整えるために小型の侵略者を送り込んでいたわけでございますか」
「環境、じきに整う。不可避、不可逆」
「では、あなたがたが王都に送り込まれたのは」
「王都、全滅、困る。人、死ぬ。魔物、減る」
「細々と人を殺しておいて都合のいい理屈でございますね。戦力を惜しむ割には、今もドロセアに大量の魔物をぶつけているではありませんか」
カルマーロは何も言わなかった。
それはそれで必要なこと、と言いたいのだろう。
ここで彼と口論したところで無駄なことをイナギも理解しているので、それ以上は何も言わない。
「はぁ……承知いたしました、ひとまず今回は敵対が意思はないということでございますね」
「そうなる」
「わかりました、情報を教えてくれたお礼です、わたくしの方から王国側には伝えておきましょう」
「伝言、感謝」
「ただし、顔を合わせる相手によってはその場で殺される危険性があることもお忘れなく。あと、アンターテには必ず会いに行くからとお伝えくださいませ」
こくりと頷くと、闇に溶けて姿を消すカルマーロ。
残されたイナギは、再びため息をついた。
「ひょっとしてわたくし、誘われたのでございましょうか。気に食わないでございますね」
思えばカルマーロが単独行動しているのも変だ。
イナギがここにいることは、アンターテにも気づかれていると見て間違いないだろう。
「しかし困りました。思ったよりもこの世界には時間が残されていないようでございます」
大型侵略者の顕現――世界改変が不可避、かつ不可逆というのならば、いずれ必ずそのときはやってくる。
エレインがわざわざ簒奪者を王都によこすぐらいだ、王都の戦力では勝つのが難しい相手ということだろう。
「一刻も早く、アンターテに理解してもらわなければ……わたくしの気持ちを」
世界の存続も大事だが、その前に。
彼女が生き続ける意味を、果たさねばならない。
◆◆◆
一方その頃、王魔騎士団の研究施設では、テニュスがレプリアンを使った訓練を行っていた。
彼女は黒の鎧に搭乗し、レプリアンと肉体を接続して意識を集中させ、守護者のイメージを固めていく。
だが、最近起きた出来事がノイズになり、完全に集中できないでいた。
(立場上仕方ないとはいえ、情けねえな。仲間が死んでも、ここで訓練しかできねえ)
テニュスとしても、騎士が死んだ事件を追いたい気持ちはやまやまだ。
だが彼女の立場がそれを許さない。
ラパーパの監視のもと、外出できたのだって、アンタムがかなりの無茶をしてくれたからだ。
無断外出などしようものなら、そんな彼女たちを裏切ることにもなる。
今はただ、守護者の完成を目指して魔術を磨くしかなかった。
「わ、わわっ、鎧がはっきり見えますっ!」
ラパーパは鎧を出て、生身で守護者を纏う訓練を行っていた。
マヴェリカから送られてきた新たなトレーニングメニューのおかげか、元から順調だった彼女の訓練はさらに加速する。
両腕だけではあるが、かなりはっきりとした姿が見えるようになっていた。
「ラパーパちゃん動かさないで、絶対に、絶対だよ!?」
彼女の様子を見ていたアンタムは、興奮のあまり早口になっている。
「でもすごい力が溢れてますし、少しぐらいは……」
「まだ全身を覆ってないワケ、そのまま動かしたらラパーパちゃんの腕が吹っ飛ぶから!」
「そんな恐ろしいことになるんデス!? た、確かにドロセアさんも大怪我してた記憶が……」
楽しそうな二人とは裏腹に、テニュスは薄暗いレプリアン内部で一人きり。
「……なんであたしは、まだこんな場所にいるんだよ」
彼女の頭の中は、不甲斐なさでいっぱいだった。
ラパーパはライバルだと言ったが、そう思うと余計に自分が情けなくなる。
今日だってマヴェリカの提案した新しい訓練を行い、効果が出たのは彼女だけだった。
自分だけが、少しずつも進まず、停滞している。
(本当にレプリアンに対するトラウマだけなのか? もっと、別の何かがあたしの進化を阻んでるんじゃねえのか)
何かを掴めば一気に前に進める気がする――そう思い、必死に探り続けるが、やはり答えは見つからず。
ラパーパとの差が開いたまま、休憩時間を迎えた。
テニュスは近づきにくい空気を放ちながら、部屋の隅で開いた窓から顔を出し、風を浴びて涼んでいる。
ラパーパはよほど順調なのか、休憩時間にもかかわらず、アンタムと二人で守護者の具現化を何度も試していた。
すると、研究施設に顔を出したジンがテニュスに真っ直ぐに歩み寄る。
「今日はこっちにいたのか」
彼の声が聞こえると、テニュスはすぐに振り返る。
「ジン! 何か手がかりは掴めたのか?」
「逆に見えなくなったよ。心を読まれているとするのなら、犯人を絞るのは難しいだろう」
「そうか……恐ろしいもんだ、あたしの頭ん中も覗かれてるかもしんねーしな」
力なく笑うテニュス。
彼女との付き合いが長いジンは、すぐにそれを見抜いた。
「悩んでいるのか」
「んあ? まあな。あれ見てくれよ」
「ラパーパか……私の目にも見えるほど、鎧が具現化しているな」
「あたしよりずっと優秀だ」
「末恐ろしいな」
「ああ、ラパーパはすげえよ」
「それだけではない。S級のテニュスより、B級のラパーパの方が先に守護者の完成に近づいている――それはつまり、“等級”という既存の基準が意味をなさなくなるということだ」
「S級の肩書きに何の意味もなくなるってことか。考えてみりゃ、発端が無等級のドロセアなんだから当たり前の話だな」
「世界は変わる。侵略者との戦いに勝っても負けても……」
世界全体の変化に思いを馳せるジンだったが、それを聞いたテニュスの受け取り方は違った。
「その変化に、あたしはついていけてねえんだろうな」
「らしくないな」
「気づいちまったんだよ、あたしが弱いってことに」
らしくない、ということはテニュス自身もわかっていた。
だがその“らしさ”さえも、強さに支えられていたものだと彼女は感じる。
「神童だの剣聖だのってもてはやされたくせに、両親を殺されて、ジンも化物にされて、んで自分も操られてさ。強い強いって言っときながら、何もできねえんだよ」
喪失ばかりの人生だった。
これまでもそう。
だからこれからもきっとそうだ――そんな不安が胸につきまとう。
「今だって、ラパーパに圧倒的な差を付けられてる」
彼女ならテニュスのことを守ってくれるだろう。
しかし、こびりついたプライドはそれを許容できるだろうか。
守られてばかりで、誰も守れない自分に価値など見出すことができるのか。
「あたしは何者なんだ。あたしには何ができる。あたしはどうしたらいい……?」
何もかもを見失いつつあるテニュス。
ジンは表情を引き締めると、彼女に言った。
「一つ、気づいたことがある」
「何だ?」
「ラパーパはいつだって未来を見据えている、お前と一緒に歩く未来をな」
テニュスはラパーパのほうを見た。
心が読めるわけではないが、何を考えているのかはすぐにわかる。
テニュスのことだ。
必死で守護者を身につけようとしているのも、彼女なりにテニュスの隣に並ぼうとしているからだろう。
ドロセアがリージェを想うように、彼女の“軸”であるそれが揺らぐことはないだろう、とテニュスには思えた。
「だがテニュスは、過去に引っ張られているな。もっと前を見ていいんじゃないか、明るい未来を信じて」
確かに――ここまでの悩みも、全ては過去に起因するものだ。
一方で、未来に向けて何か欲するものが彼女にはない。
「難しいこと言いやがる……」
「確かにお前の過去は重い。悲劇の残骸が足を引っ張って、他の人よりも前を向きにくくなっているのかもしれない。だがテニュスはまだ十代じゃないか、そんなもの未来でいくらでも上書きできるさ」
「その言い方おっさんくせえぞ」
「おっさんだからな」
ジンがそう言って笑うと、テニュスも一緒に微笑む。
少しだけ場の空気がほぐれたような気がした。
「あたしもわかってるよ。ドロセアやラパーパぐらい……あとスィーゼもそうか。そんぐらい愚直に、好きな人と歩く未来を信じられたら、きっと強くなれるんだろうな」
確かにそこには強さがある。
だが、誰かに真似できるかと言われたら、そういう類のものではない。
「やっぱ難しいだろ、それ。考え方っつうよりもう性格の問題じゃねえか」
テニュスはテニュスだ。
こうして悩むことも含めて。
「必ずしも誰かへの想いだけを芯にする必要はないとは思うがな。おや、噂をすればラパーパが心配そうに見ているぞ」
テニュスが手を振ると、ラパーパも嬉しそうに手を振り返した。
「ずっとそうだわ。あいつ、あたしのことばっか考えてやがる」
「いい子だな」
「ああ、ラパーパがいなかったら、もっと立ち直るの遅れてただろうな」
それは事実だし、一緒に過ごすたびにラパーパの魅力が増えていくのも感じていた。
「時間かけて、あいつのこともっと知れたら悩みも解決するのかもしれねえけど……問題は、時間もなさそうなことなんだよなぁ……!」
実を言うと、それが最大の問題点かもしれない。
時間さえあれば、今はまだ――とテニュスも大きく構えられただろう。
だが、侵略者の脅威は着実に迫っているし、簒奪者だって味方だとは思っていない。
戦う力が、今すぐにでも必要だ。
「もしジンが隠れてる侵略者を見つけたとしても、そいつはたぶん、前に王都に現れたやつよりずっと強いし、今のあたしじゃ敵わねえ」
「完全体になれば、生身で対処できる魔術師など存在しないだろう」
「レプリアンだって数がねえとなると、やっぱ守護者が必要だろ」
「今回はみなで力を合わせて倒すしかないだろう」
「それだと犠牲者は避けられねえ。もどかしいんだ。あたしがもっとうまくやれば、力が手に入るかもしれねえのに」
「お前はもっと周囲を頼っていいんだぞ」
天才扱いを受けてきた故に、周囲の期待を必要以上に感じてしまう――テニュスにはそういった一面もあるのだろう。
かつての自信があった頃の彼女ならば、それも背中を押してくれていた。
だが今は、プレッシャーとして彼女を押しつぶそうとしているのだ。
「スィーゼが思うに、テニュスは自分の力で団長を助けたいんだろうねえ」
そのとき、ジンとの会話にスィーゼが乱入してくる。
王牙騎士団の団長である彼女がここを訪れる必要は無いはずなのだが――おそらくジンを尾けてきたのだろう。
「スィーゼ、また余計なこと言いに来たのかよ」
「団長あるところにスィーゼあり、君のことなど眼中にはないよ」
「お前もぶれねえなあ」
「そういうテニュスはぶれすぎなんだよ。ドロセアやラパーパに目移りしておきながら、テニュスの中にはまだ最初の恋への執着が残っている……それはいわば、初恋の骸とでも呼ぶべき感情だ」
「別に恋とかそういうんじゃねえよ! ジンはあたしにとって父親みたいなもんだ、助けたいと思うのは当然だろ!」
「だ、そうだよ団長」
「反応を求められても困る話題だな……」
「あたしの手の届かねえとこで、ジンに何かあったら……胸糞悪ぃし、もう二度とああいう気分は味わいたくねえんだよ」
すでに一度、ジンはテニュスのいないところで死にかけ、そして魔物となって姿を現したことがある。
それもまた、彼女の過去に巣食うトラウマの一つである。
「侵略者について調べている今の私の行動も、不安の種の一つか。わかった、ではこうしよう」
ジンはテニュスを真っ直ぐに見つめる。
「私は死なない。危険が迫ったら必ず誰かに助けを求めるし、侵略者との戦いにおいても自分の命を捨てるような真似はしない。そうここに宣言する――どうだ、これで少しは気持ちが軽くなったか?」
「ふっ、んだよそれ、そんなんで変わるわけねーだろ」
「その割には表情が明るく……」
「茶々いれんなよスィーゼ」
「手の甲をつねるんじゃない、痛いじゃないか。ところで、先ほどからガールフレンドがこちらを凝視しているよ?」
先ほどは楽しそうに手を振っていたラパーパだが、今は「ワタシ抜きで楽しそうデス……」とジト目で睨んでいる。
「嫉妬されてるねえ。愛だよ、愛」
「出遅れてんのにサボってんじゃねえって怒ってんだろ」
「彼女はそんなこと言わないと思うよ」
「何にせよサボってる場合じゃねえってこった。じゃ、あたしそろそろ戻るわ」
「頑張れよ、テニュス」
「おう!」
ジンとハイタッチをすると、テニュスはラパーパの元に駆け寄る。
その背中を見守り、穏やかに頬を緩める二人。
「スィーゼが思うに、テニュスはまだ十六歳の子供なんだよ」
「年相応以上の強さは身につけている。背負ったものが不相応なだけでな」
大人からみれば、テニュスは十分すぎるほど頑張っている。
本人がそれに納得していないだけで。
無論、大人たちも自分のことをその子供より優れているとは思っていないわけで――
「実際のとこどうなんだい、ジン。テニュスの心配した通り、侵略者の相手はヤバいって思ってる?」
「簒奪者よりは危険な相手だという認識はある。だが、約束したんだ。むざむざやられたりはしないさ」
「団長が死ねばスィーゼが誰よりも悲しむってことは覚えておいてほしいな」
「承知している。さて、そろそろ私も役目に戻らねばな」
「時間が出来たら一緒に飲まないかい」
「それはいいな、余裕ができたら連絡する」
軽く手を上げて別れを告げると、スィーゼだけがその場に残された。
「スィーゼもテニュスの気持ち、少しは理解できるんだよね」
彼女は離れゆくジンの背中を見て、一人つぶやく。
「今回の戦いは何かが違う。背中に冷たさが張り付くような、嫌な予感がする――」
相手が侵略者だからだろうか。
はたまた別の理由か。
“未知”に対する形のない曖昧な恐怖を、スィーゼですら感じていた。
◆◆◆
翌日、フルクス砦では目を覚ましたドロセアが、さっそく出撃していた。
それと合わせるように、カタレブシス側も動き出す。
明らかにドロセアを“待って”の進軍。
これは国同士での戦いではない――戦場で王導騎士団の指揮を取りながら、シルドはそれを肌で感じ取っていた。
カタレブシス軍は、最初の戦闘で魔物の大半を失った。
次に出てきたのは、魔術師の軍勢、およそ二千名。
「いくら数を増やそうとも」
ドロセアの目に写る魔力の色はかなり濃い。
簒奪者ではないが、リージェの血を使って強化された魔術師たちなのは間違いない。
前方で人の数だけ魔法陣が浮かび上がる。
放たれる魔術。
「私は必ず、リージェを取り戻す……ッ!」
光の点が集まり、壁となってドロセアに迫る――
◆◆◆
同日、同時刻。
久しぶりに王都にある自宅に戻ったゾラニーグは、そこで来客をもてなしていた。
頭頂部付近で髪を結い、眼鏡をかけた、スーツ姿の知的な女性は、出されたお茶を飲むと一言。
「なんてまずい」
小馬鹿にするようにそう言った。
ゾラニーグは顔をしかめる。
「あなたがたが私を嫌うのは当然ですが、お茶に罪はないと思いますよ」
「失礼、最近は王城で飲むお茶に慣れてしまっていたものでして」
「冒険者ギルドのお茶がそんなに高いとは思えませんが」
嫌味の応酬をする二人。
が、不毛なやり取りであるという認識はあったのか、女のほうが言い返すのをやめた。
ゾラニーグはそんな彼女を観察しながら言った。
「しかし呼びつけたのは私ですが、頭領が現れるのも驚きですし、貴女のような女性が頭領であったことにも驚きです」
「驚かれるような馴染み方ができるからこそ、意味があるのです」
「確かに一理ある。ところでお名前は――ジェシーでよろしかったですか?」
「ええ、もちろん偽名ですが」
「まさか正しき選択から取ってジェシーと?」
「さあ? 答える必要のない問いです」
「これは失敬。正しき選択の頭領が目の前にいると思うと、好奇心が抑えられないのです」
昨晩、ゾラニーグの元にジンから連絡があった。
曰く、ティルミナと関係をもった――つまりクロドの実の父である貴族、イグノーが過去の過ちを認めたらしいのだ。
これでクロドと侵略者は無関係だと判明した。
その結果を受けて、ゾラニーグは改革派時代のつてを利用し、個人的に正しき選択と連絡を取った。
そして彼の前に姿を現したのが、このジェシー――正しき選択の頭領を自称する女性だった。
ゾラニーグはジェシーに見覚えがあった。
そう、彼女は普段、王都の冒険者ギルドで受付嬢をしている女性だったのである。
「正しき選択は、以前まで金のために暗殺を繰り返すどうしようもない組織でした。魔物化の研究に金を出していたのも、証拠を残さず暗殺できる手段を探していたからに過ぎない。しかしいつからか、あなたがたは“使命”に目覚めた。エレインに共鳴し、世界を救うために全人類を魔物化させる計画に乗っかったわけです」
ジェシーが現れたのがよほど嬉しかったのか、やけに饒舌に語るゾラニーグ。
彼女は表情一つ変えずに聞いている。
「見たところ、あなたは若い。仮に変装していたとしても、ね。ひょっとすると、正しき選択が変わったのは、あなたのような意識の高い人物に頭領がすげ変わったから――」
「創作が趣味なのですね、高尚で素敵だと思います」
「おっと、度々失礼。楽しくなって口が勝手に走り出してしまいました」
ジェシーにちくりと釘を差されるゾラニーグだったが、凝りている様子はなかった。
だが、創作話を披露するために呼んだわけではないのは事実。
仮に彼女が本当に頭領だというのならば、それだけ正しき選択は、ゾラニーグが接触してきたことを重く見ているということだ。
ならばその期待には応えねばならない――と、意気揚々と依頼内容を話しだす。
「ではさっそく依頼の件に入りましょう」
「カイン様を裏切り、主流派に鞍替えしたあなたがわざわざ正しき選択に依頼するのです。さぞ大きな案件なのでしょうね」
「ええ、相応の報酬は用意していますよ。依頼内容は――」
もったいぶって、間を空けるゾラニーグ。
ジェシーの表情はほぼ変わらないが、わずかにうんざりしているようにも見えた。
「とある人物の両親が、侵略者と関わっていないかを調べること」
「情報収集ですか、我々は暗殺組織なのですが」
「相手を聞けば満足してもらえますよ」
「では教えていただけます?」
ゾラニーグはテーブルに乗り上げ相手に近づき、小声で囁いた。
「ジン・エフィラム」
その名を聞いたジェシーは驚きに目を見開いたあと、満足気に微笑んだ。
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