050 いかなる道を進もうと終着点は変わらず
映像越しに勝負の結果を見届けたマヴェリカは、自慢気に胸を張った。
「ドロセアの勝ちだな」
「馬鹿な……簒奪者が力を解放しても勝てないなんて……」
彼女の後ろでは、ガアムが絶望している。
一方でエレインは、勝負の結果とは別の不満を抱いている様子である。
「つまんないわね」
「負け惜しみか」
「簒奪者とドロセアが全力でぶつかるところが見たかったのに、リージェの介入があったんじゃ比較にならないじゃない」
彼女にとってこの戦いは、世界を守るに値する存在はどちらかを見極めるもの。
純粋に守護者と簒奪者がぶつかり合う様が見たかった。
二対一、しかも守護者側に簒奪者が付いていたのでは話にならないのだ。
「血はどうでもいいんだけど……邪魔ね、あの子」
「エレイン、あんた……!」
エレインから不穏な空気を察知し、立ち上がるマヴェリカ。
だが次の瞬間には、エレインの姿は車いすごと消えていた。
「待て、エレインッ!」
その怒鳴り声は、虚空に虚しく消える。
映し出された映像に、車椅子が映り込む――
◆◆◆
シセリーとの戦いを終えると、守護者が解除される。
空中に放り出されたリージェは問題なく着地できたが、疲れ果てたドロセアは膝をついた。
「ぐ……うぅ……」
「お姉ちゃん、やっぱり無茶してたんですね!?」
リージェの魔力により、ドロセアの腕や脚が一部変形している。
しかし彼女は笑みを浮かべた。
「ああ、これは別に大した問題、じゃなくて……っ」
その言葉通り、彼女の魔物化はシールドにより一瞬で消し去られる。
「単純に魔力使いすぎて疲れちゃった」
「それも無茶のうちです! わたしの肩を使ってください」
「ありがと……ふふ、ほんとリージェがいてくれてよかった」
「なんですか、改めて」
「助け出すまで一人で戦ってたからさ。二人でいるだけで、こんなに気持ちが晴れやかになるなんて、想像以上だったから」
「お姉ちゃんも、一人きりで寂しかったんですね」
「そりゃもう。憎しみに身を任せて忘れようとはしてたけど、目を背けてただけだったんだよ」
王都にいたときのドロセアは、それはもう心が荒んでいた。
きっと彼女の知人は、表情を見ただけで別人かと見紛うほどに違うはずだ。
「ところで……戦い、終わりましたね」
「……ん、そうだね」
「えっと、予約していた件ですけど」
「お店の人みたいな言い方してる」
「だ、だって、緊張するじゃないですかこんなの!」
「そうだね。私も心臓バクバク言ってる」
「本当ですか? わたしよりは余裕があるように見えます」
「触ってみる?」
「……今は、そういうことすると変な気分になりそうなので、遠慮しておきます」
「意識されると照れるね」
「お姉ちゃんが意識させたんですからね!」
「うん、まあ、意識されたかったから」
「意図的なら、そのあたりの責任も、ちゃんと取ってください」
「それはもちろん。リージェに関する責任は全部取るつもりで生きてるよ」
“約束”をしたくせに、やけに遠回りな会話をする二人。
それだけお互いに緊張している、ということなのだろう。
しかし言葉が一瞬途切れると、気まずい――というよりはむず痒い空気が流れて、一気に緊張感が高まる。
ついにその時が来たのか。
ずっと待っていたような、けれど変わるのが怖いような、たぶん今しか味わえないそんな気持ち。
甘酸っぱい、というのはこういう気持ちのことを言うのだろう。
そこからさらに一歩前に進もうと、ドロセアとリージェはお互いの顔を見つめ――
「空気が読めなくてごめんなさいね」
そこに、知らない女の声が割り込んだ。
直後、ドロセアの目の前からリージェの姿が消える。
体に力が入らないドロセアは転びそうになったが、ギリギリのところで両足で踏ん張った。
そして女の声がした方へと目を向ける。
そこには車椅子に乗った“異形”と、見えない力に体を拘束されたリージェの姿があった。
「リージェッ!」
「あら怖い声ね、けど口づけを済ませる前で良かったわ。そういう契りを違えるのってね、とても心が痛むのよ」
「リージェを放せえぇぇぇえッ!」
最後の力を振り絞り、車椅子の異形に斬りかかるドロセア。
しかし彼女の目には見えていた。
目の前の化物が――簒奪者とは比べ物にならないほどの、密度の高い魔力の塊であることが。
「私は偏在する」
空中に浮かぶ口が、その言葉を発した途端、ドロセアの動きが止まる。
「体、が……何、これ……ッ」
「お姉ちゃんっ!」
「私はエレイン・コンディータ。魔術の生みの親であり、魔力そのもの」
さらにドロセアの体は空中に浮かび上がると、そのまま後ろに吹き飛ばされる。
(私の体内の魔力が操られてる!? どうなってるの、こんなの防げるわけがないッ!)
そして、瓦礫に叩きつけられた。
ドロセアは意識を失い、ぐったりと横たわる。
「いやあぁぁあああっ!」
「安心して、殺さないわ。私は彼女と殺しあえる日を楽しみにしてるんだもの」
「エレインッ、あなたという人はあぁぁあッ!」
リージェは怒りを爆発させ、自らの体から最高出力で光を放つ。
見えない拘束を引きちぎり、エレインもろとも焼き尽くそうというのだ。
「さすがは最高傑作の簒奪者ね、力を解放できればさぞ素晴らしい戦力になるでしょう」
「お姉ちゃんを傷つける人は、許しませんッ!」
「他人の許可は必要ないわ」
エレインが手をかざすと、一瞬でリージェの光が消える。
「あれ? え? 魔術が、どうして……っ」
「言ったでしょう、私は魔力そのものだと」
「はぐぅっ!?」
リージェは腹部に強い衝撃を感じ、気絶した。
エレインが車椅子の車輪に手を置き、前に進もうとすると、彼女の姿はリージェと一緒にその場から消える。
戦場跡には、倒れたドロセアだけが残されていた。
◆◆◆
屋敷へ戻ってきたエレインを迎えたのは、激怒したマヴェリカだった。
「いい加減にしろ、エレイン」
「あらマヴェリカ、怒って――」
マヴェリカの腕に紫色の篭手が浮かび上がる。
魔女の拳が前に突き出されると、純粋な破壊力の塊が放たれ、真正面からエレインを襲う。
彼女はリージェと共に横に転移し事なきを得たが、放射されたエネルギーは館のおよそ半分を消し飛ばした。
パラパラと瓦礫が落ちる中、マヴェリカは拳を握り二撃目の準備をはじめる。
するとそんな彼女の首に、ガアムの手刀が突きつけられた。
「危害を加えた以上、もはやお前を来客扱いする必要はないな」
「黙りな腰巾着」
マヴェリカの姿が消える。
次の瞬間、ガアムは腹部に強い衝撃を感じた。
「ぐがぁっ!」
幸いにもそれは素手による一撃だったが、その素早い動きは――脚部に纏った紫色の鎧によって可能となったものだ。
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられるガアム。
「あんたに用は無いんだよ。今はエレインと話をしてるんだ!」
「なぜ、お前が……守護者、を……!」
「使い方を他人に教えようってんだ、私が使えるのは当然だろう? ま、まだ完成はしてないけどねェ」
「ドロセアを殺しても終わらないというのか、ならばこの場でッ!」
彼は飛びかかろうとしたが、その動きが突如として止まる。
「ぐ……なぜ、エレイン、様……!」
「下がりなさい、ガアム。あなたが出てきても彼女は納得しないわ」
「納得せずとも殺せばいい!」
「殺せないわ」
エレインは冷たく、ガアムを見下すように言った。
「あなたでは、届かない」
彼の瞳が動揺に揺れる。
するとエレインは強く言い過ぎたと反省したらしく、「ふぅ」と吐息を挟んでこう続ける。
「あなたには別の役割があるんだもの、ドロセアと戦うまで体力を温存しておきなさい」
「……っ」
納得はしないガアムだったが、ひとまずこの場での殺し合いは自重してくれるようだ。
その後、エレインはマヴェリカと向き合った。
「弟子だったドロセアのことで怒るならまだわかるけど、別にリージェに思い入れがあるわけじゃないんでしょう? そこまですることかしら」
「エレイン、あんたは何もわかってないんだな」
「どうして怒っているのかを?」
「怒っちゃいない。私はあんたを、幼馴染として叱ってるんだッ!」
拳を握りしめ強弁するマヴェリカ。
対するエレインは、予想外の答えにぽかんとしていた。
「何だい今のやり方は、『私は上位存在です』みたいな気取り方で年端も行かない女の子を誘拐して! そういう扱いが嫌だったから泣いてたんだろう、あの頃のエレインはッ!」
「だったらもうあの頃のエレインは死んだってことなんでしょうね」
「そういうのはいいからとりあえず謝れッ! 悪いことをしたってことを自覚しろ!」
「あなただって上位存在を気取ってるじゃない」
「だから私も謝るんだよ! ドロセアと再会したとき、土下座して地面に額を擦り付けるつもりでいるッ!」
悪を悪と認識するか、はたまた超然とした存在として『そんなものはもはや悪とすら認識しないわ』と気取るか。
マヴェリカはそこに大きな違いがあると感じているのだろう。
そんな人間臭い感情論をぶつけてくる彼女に対してエレインは、
「マヴェリカ、あなた気持ち悪いわ」
そう冷たく告げた。
「四百年も生きてて変わらない生命なんてあるはずないじゃない」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すよ」
「私は変わった」
「変わったんなら私も愛想を尽かしてるッ!」
どれだけ冷たく突き放されようと、マヴェリカは自分の考えを曲げなかった。
伊達に四百年も追い続けていないということか。
「私は今もエレインに執着してる、それが何よりの答えなんだよ!」
「何の根拠にもなってないわ」
「私にはそれで十分なんだよ」
「面倒くさいわね……」
「誰より面倒くさかったエレインが言えることかよ。とりあえずリージェは私が預かる、いいね?」
「勝手にしなさい」
いつの間にか床に横たえられていたリージェを、マヴェリカはひょいっとすくい上げ肩に担いだ。
そして部屋を出ていく。
彼女の姿が見えなくなると、エレインは大きくため息をついた後、視線も向けずにガアムに告げた。
「ガアム、屋敷の修理は頼んだわよ」
「は? いや、この壊れ方で……」
「頼んだわよ」
彼女が苛立っているのは明らかであった。
いつもならば従順な執事として命令に従うところだが、今日はさすがにそうはいかなかった。
「待てよッ!」
車椅子で部屋から出ようとする彼女の背中に、強めの“待った”をかける。
「なあに」
気だるげに振り返るエレイン。
「なんでリージェを渡したんだ。聖女の血は計画においても重要な役割を果たしていたはずだろう!」
「すでに培養の手はずは整っているわ。本人がいなくとも、聖女の血なんていくらでも生み出せるのよ」
「いつの間に……」
「私がここに引きこもって試験管を覗いているだけだと思っていたの? もういいかしら」
「待ってくれ、疑問はまだある。ドロセアだ。あいつがここにたどり着いて、もしエレイン様が負けたら……」
「同じ質問を繰り返すのね。私の答えは変わらないわよ、負ければ譲るし、勝てばこの世界の人類を全て魔物へと変える」
「あんたは、どう思ってるんだ?」
「個人的な感情で、ということ?」
「ああ、それでいいと思ってるのか?」
「もちろん」
迷いなく、軽い口調でエレインはそう答えた。
その軽さが、逆にガアムには重くのしかかる。
「私たちよりも適任が現れるのなら、こんなに嬉しいことは他にないもの」
さらに笑みすら浮かべて、エレインはガアムの前から去った。
残された純朴な執事は、うつむき拳を握る。
「……終焉までは楽園で暮らせると思っていた」
そう口にして、ふと気づいた。
「俺も、ミダスと同類か」
戦いを見ている最中は、ガアムはミダスのことを愚者であると馬鹿にしていた。
だが彼もまた同類なのだ。
そこにエレインが自分のことを特別扱いしない理由を見つけた気がして、彼はさらに落ち込む。
追い打ちをかけるように、壊れた屋敷が視界に入り――その修理の手間を考え、ガアムは絶望のどん底に落ちていった。
◇◇◇
それから数時間後、屋敷内にあるマヴェリカが勝手に使っている部屋にて。
ベッドに寝かされていたリージェが目を開く。
「目、覚めたかい」
見知らぬ赤髪の女性が自分を見ていると気づき、慌てて起き上がるリージェ。
彼女は自らを守るようにシーツを抱き寄せながら、壁を背に怯えた表情を浮かべた。
「誰ですかっ!?」
「私はマヴェリカ。ドロセアから話は聞いてるだろう」
「お姉ちゃんの、お師匠さん……? どうして、だって私、エレインにさらわれてっ! え、何? ここはどこなんですかっ!?」
「落ち着きな」
「無理です!」
「そりゃそうだろうけど。ここはスペルニカにあるエレインの隠れ家さ。私はここからドロセアと簒奪者の戦いを見てた」
「どうしてエレインの隠れ家にお姉ちゃんのお師匠さんが? あなたはまさか、エレインの仲間――」
「いーや、敵だよ」
「だったらどうして!」
「私はドロセアが勝つ方に、エレインは簒奪者が勝つ方に賭けた。そういう話なのさ」
まったく意味が分からず、リージェは首を傾げた。
「あなたは……何者、なんですか? 何が目的なんですか?」
「簡単に言うと、エレインの幼馴染だよ。四百年前に人間をやめたあいつを追っかけて、私も人間をやめて今の時代まで生きてきた。そういう馬鹿なやつなんだ」
その説明を聞いたリージェは、わかったような、けれど肝心な部分はわかっていないような、モヤッとした気持ちを抱く。
簒奪者の存在を知り、寿命を超越した存在がいることも理解している。
そしてエレインこそがその親玉である――ここまではわかった。
しかし、そこにそのエレインを追って寿命を克服したマヴェリカが現れ、しかも彼女がドロセアの師匠をやっていたとなると、途端に話がややこしくなってくる。
「ドロセアにはちょっとしたシンパシーを感じててね。もしリージェが永遠の命を得たら、あいつもそれに付いていこうとするだろう?」
「……そう、言ってました」
「そういう気持ち、よくわかるよ」
「エレインさんを追っていたのは、そういう理由で?」
「そうだよ」
「好き……なんですか?」
「そうなるね。というか人間だった頃は普通に付き合ってたから。そのくせあいつ、一人で勝手に世界を救うとか言い出して肉体を捨てちまうから」
「大変、だったんですね……」
「あ、もし必要だったら私が寿命を伸ばす方法、ドロセアに教えるから。そんときは言っておくれよ」
「は、はあ」
とんでもないことを言っている気がしたが、リージェの頭の処理が追いついていないため、反応は薄い。
「それよりあの、ここから逃がしてもらえませんか。お姉ちゃんのところに戻りたいんです。あなたはエレインを止めようとしているんですよね?」
「それは難しいねえ」
「敵の隠れ家で、安全に過ごせるあなたがいれば可能じゃないでしょうか」
「ここにいる限りはリージェにも手は出さないんじゃないかな。というか私がさせないからね。けど、外に出るとなったら話は違う」
「無理……なんですか」
「ばっちり監視されてるのさ。しかもリージェは簒奪者だろう? どうしてもエレインの影響を大きく受けちまう」
「それってどういうことでしょう」
「今から四百年前――“精霊と対話できる”という才能を持ったエレインは、自分の肉体を分解し、粒子として世界にばら撒くことで、魔力と魔術という概念を広めたのさ」
ただでさえ多い情報量が、さらに積み増しされていく。
リージェの脳の許容量はとっくにオーバーしていた。
「え……? ど、どういうことです、それ。エレインが、分解して、魔力に?」
「そう、つまり魔力ってのはエレインそのものなんだよ。だから魔力の多い簒奪者なんかは絶対に逆らえない。その点、魔力量が少ないドロセアなんかは対抗しうるチャンスがあるとは思うがね」
何がなんだかわからないが、ともかくエレインとわたしは相性が悪いらしい――それだけはリージェにもわかった。
それよりも、だ。
彼女の頭の中にあるのは、ドロセアのことである。
「お姉ちゃんなら、戦える……でもお姉ちゃん、今は……」
「あのあと、街に来た騎士団の人間が救助したそうだよ」
「そうなんですか!? そっか、イナギさんが呼んでくれたから……よかったぁ……」
「気絶はしてたけど、エレインはあいつと戦いたいんだ、間違いなく生きてるだろうね」
「でも、目を覚ましてもお姉ちゃんの隣にわたしはいない……せっかく再会できて、あと少しで大切なことも伝えられそうだったのに……」
「そこに関してはエレインのこと叱っといたから。まあ、だから何だって話ではあるけどさ」
そう、マヴェリカがエレインを叱ったのは、あくまで幼馴染としての怒りに過ぎない。
それでドロセアやリージェの悲しみが癒えるわけではないのだ。
「お姉ちゃん、おねえちゃん……っ」
ドロセアのことを思い出すと、途端に瞳から涙がこぼれ落ちた。
ベッドの上で膝を抱えるリージェ。
マヴェリカはその隣に腰掛け、背中をさすって慰めた。
「あいつは必ずスペルニカにたどり着く、そう遠くない未来にね。それまでの辛抱さ」
「けどお姉ちゃんは、それまでに絶対に無茶をします」
「無茶、か……」
「エレインも、ただ手をこまねいて待っているだけではないんですよね」
「まあ、障害は準備するだろうね。それに負けるかもしれないって思ってるのかい?」
リージェは首を振って否定すると、悲しげにこう答えた。
「お姉ちゃんはそれを必ず乗り越えるでしょう」
たとえどんな過酷な試練が待ち受けたとしても。
リージェと会いたい――ただその一点だけで。
マヴェリカも、ドロセアのそういう恐ろしさはよく知っていた。
「わたし、教会に連れて行かれて聖女なんて呼ばれた時点で、もう二度とお姉ちゃんには会えないと思ってたんです。でも……お姉ちゃんは力を手に入れて、迎えに来てくれた」
長い悪夢から覚めて目の前にドロセアの姿を見たとき、その姿こそが何よりも夢だと思った。
現実だと知ると、嬉しさと同時に怖さもこみあげてきた。
無等級魔術師であるドロセアがここまで上り詰めるのに、どれだけ苦労したか想像もつかなかったから。
「きっとわたしがどんなに遠くに行っても、お姉ちゃんは来てくれます。自分の痛みなんて無視して、どれだけでも無茶して、必ず来るんです」
目の前で戦う姿を見て、その不安はさらに大きくなった。
最初は自分はドロセアの隣にいるべきじゃないと思った。
でもそれは違ったのだ。
ドロセアが無茶をするのは、リージェが隣にいないから。
「そうだね……飢えたあいつは、どこまでも強くなる」
マヴェリカの元で修行したときもそうだった。
リージェという半身を求めるときのドロセアは、生まれつきの才能をもったテニュスのような天才すらも凌駕し、恐れさせるほどだ。
「もしわたしと一緒にいるためにエレインを殺す必要があるなら、世界を救う必要があるのなら、それも必ずやり遂げるでしょう。再会して過ごせた時間は短かったですけど、十分、そのことは理解できました」
誰よりもドロセアを理解するリージェがそう言うのだ。
おそらくその言葉に誇張は無いだろうし、マヴェリカも似たようなことを感じている。
いや、ひょっとすると――
「エレインもそう思っているのかもしれないね」
「え?」
「だからこそリージェとあいつを引き離した。ドロセアの潜在能力を最大限に引き出すために」
「なんて……なんて残酷なことを……」
再びリージェの瞳に涙が浮かぶ。
マヴェリカの胸も痛んだ。
ドロセアに戦う術を与えてしまったのは自分だ。
彼女にエレインに対抗しうる可能性を見出したのは事実だが、本来ならドロセアはこのような戦いに巻き込まれる人間ではない。
リージェと共に、あの村で穏やかに暮らせていたら――戦争とは程遠い、平和な人生を送れていただろうし、魔術的に落ちこぼれでも何も困らなかったはずだ。
「どうしてわたしはこんな場所に。お姉ちゃんの近くにいなきゃ、いけないのに……!」
それからリージェは来る日も来る日も涙を流し続け、ドロセアと離れ離れになったことを嘆き続けた。
◆◆◆
アーレムの戦いから三日後。
ドロセアが目を覚ましたのは、石造りの無骨な部屋の中だった。
ベッドの上で体を起こす。
周囲を見回しても人の気配はない。
もちろんリージェもいない。
彼女はうなだれると、両手で顔を覆った。
「リージェ……リージェ……ッ!」
爪を立て、こめかみや頬のあたりに血がにじむ。
「ああ、どいつもこいつも、自分の都合ばっかり……ッ! こっちは、ただ一緒にいられればいいだけだって、そう言ってるのに……ッ!」
リージェを連れ去ったエレインへの怒りは、数日間の眠りが挟まろうとも冷めることはなかった。
「世界とか簒奪者とかどうでもいい! 放っておいてよ、もう……私から、リージェを奪わないでよぉおおおおおおッ!」
半ば狂乱するように叫ぶドロセア。
すると、さすがにその声に誰かが気づいたらしく、慌ただしく扉が開いた。
「大丈夫ですかッ!」
「……シルド、さん?」
そこにいたのは、王導騎士団団長、シルド・プレシティだ。
程度の違いはあれど、いつも何かしらの鎧を着ている彼は、今日も完全武装だった。
ガシャン、ガシャン、と金属音を出しながらベッドに近づいてくる。
「ああ、大丈夫、です。あなたが、助けてくださったんですね」
イナギに軍を呼ぶよう頼んでいたことを思い出し、ドロセアはすぐに事情を理解した。
落ち着いて受け答えしているようにも見えるが、シルドから見た彼女の様子は明らかにおかしく、平常心でないことがわかった。
「ええ、そうですが……大丈夫な声ではありませんでしたよ」
「リージェを連れ去られたときのことを思い出して。ごめんなさい、叫ばずにはいられなくなってしまって」
「救助に到着した際、あなた一人だけだったのでなぜかと思っていたのですが……そうですか、連れ去られてしまったのですね」
「エレイン、あの化物、絶対に許さない……ッ!」
シーツを強く強く握りしめ、憎しみをあらわにするドロセア。
「細かな傷の治療はこちらで終わらせておきましたが、体に不調はありませんか?」
「ありがとうございます、おかげさまで万全です」
そう言って、彼女はベッドから立ち上がる。
そしてシルドの横を通り抜けようとしたが、彼が前を塞いだ。
「……どこへ?」
「エレインを殺しにいきます」
「待ってください、そのエレインというのは――」
「簒奪者の親玉ですよ。カタレブシス共和国のスペルニカという村にいるという情報を掴みました、今すぐそこに向かいます」
「カタレブシスに!? ではそのことを上に報告します、ここでお待ち下さい」
「待てません、私は一人でも行きますから」
なおも部屋を出ようとするドロセア。
シルドはその腕を掴み、「そうもいかないのです!」と声をあげた。
「まずここがどこだかわかっているんですか?」
「フルクス砦でしょう、カタレブシスとの国境にある」
アーレムから意識を失ったドロセアを運ぶとなれば、そう遠くない場所を選ぶはずだ。
そしてジンの予定では、元々彼女はフルクス砦を目指し、そこに匿ってもらうことになっていた。
つまりドロセアを運び込むのに都合のいい場所でもあるのだ。
「それを理解しているのなら話は早い」
「まさかカタレブシスに何か?」
あまりにシルドが必死なので、ドロセアは訝しむ。
彼は神妙な顔でうなずいた。
「つい数時間前のことです、カタレブシス方面に魔物の軍勢が現れました。少なく見積もっても千匹はいる」
「自然発生ではなさそうですね」
「その背後には魔術師と思われる軍勢が数千……明らかにカタレブシス軍が関与しており、この砦を落とすつもりでいます。現状、まだ国境までは迫っていませんが、いつ進軍してくるか……」
「行かせてください」
「ドロセアさん!? 何を馬鹿なことを、戦争が始まろうとしているんですよ!」
シルドの静止はあまりにまっとうだった。
あの数の魔物を相手に、ドロセア一人だけで出撃するのは正気ではない。
まだ迂回してカタレブシスへの侵入を企てるなら理解できるが、おそらく彼女は真正面から戦うつもりだ。
するとドロセアは逆に、シルドを説得するように語る。
「それは国から国への宣戦布告なんかじゃありません。エレインから私への挑戦状です」
「個人的なものである、と? それだけであの数の戦力を動かしたというのですか?」
「それぐらいの困難は跳ね除けてみろ、という意味なんでしょう。でもエレインの考えなんてどうでもいいんです。私はリージェを助けます、それを邪魔するやつらは一人残らず殺します。そう決めました、それ以外の結論を認めません」
「あなたがアーレムでの戦いで活躍したことは、目撃情報から把握しています。しかし、だとしても!」
二人が口論を繰り広げる中、開いたままの扉から兵士が飛び込んでくる。
それは砦に常駐する王国軍の兵士ではなく、王導騎士団の装備を身につけた男だった。
「シルド様、大変です!」
「動きがありましたか」
「はっ、敵軍が進行を開始しましたッ!」
「援軍は――」
「間に合いません。アーレム封鎖のために集まった兵を使えば、しばらくは持ちこたえられるかもしれませんが」
歯ぎしりをするシルド。
アーレム封鎖には数百名の兵士を動員し、加えて王導騎士団も連れてきている。
しかし、そこに砦に元からいた兵士を加えたとしても、敵戦力を考えると力の差で押しつぶされるのが目に見えている。
どこかに戦力はないか――そう考えると、一つの結論が導き出せてしまった。
だが、シルドの騎士としての信念がそれを許さない。
決してドロセアの方を見ようとしない彼に、彼女は言った。
「いいんですよ、シルドさん。どのみち、止められても行くつもりだったんですから」
「ドロセアさん……」
シルドの手から力が抜け、ドロセアを解放する。
自由の身となった彼女は部屋を出ると、外を目指した。
「殺す、殺す、殺す」
一人になった途端に、エレインへの憎悪を隠しもせずに。
その強烈な殺意は、横をすれ違った兵士が恐怖で動けなくなるほどだった。
そして砦の門までたどり着く。
門を開いてくれと兵士に頼んでも、当然のように拒否される。
だがシルドから許可を貰っているというと、兵士たちは迷いはじめる。
加えて、遅れて来たシルドが「事実です」と言うと、もはや逆らうことはできなかった。
開いた門から、少女が一人だけ戦場に出る。
前方には、砂埃をあげながら迫る魔物の軍勢が見える。
触れただけで踏み潰されてしまいそうな迫力だったが、ドロセアに恐怖はなかった。
「私とリージェの邪魔をするやつは、皆殺しにしてやる……ッ!」
砦を守るように、守護者が現れる。
その白い鎧は、魔物たちを遥かに凌駕するスピードで敵に突っ込んでいった。
シルドを含む砦の兵士たちは、困惑と罪悪感を胸に、固唾をのんで両者の衝突を見守る――
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