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047 貫く覚悟

 



「人の波が……迫ってくる!」




 雄叫びをあげながら、アーレムの人々がミダスの屋敷に殺到する。


 彼らの表情に、破壊されたカジノや守護者に対する恐怖は一切存在しなかった。


 地鳴りを響かせながら、正気を失った欲望の塊が押し寄せてくるその様は、ドロセアですら立ちすくむほどの迫力であった。




「まさかこのようのな手に出るとは思いもいたしませんでした」


守護者(ガーディアン)封じのつもりなの?」


「おそらくは」


「でもこんな場所で戦ったら、あの人たちも巻き込んじゃうよ!」


「その前にあの人混みに踏み潰されるかも。リージェ、イナギ、移動しよう」




 そう言って、ドロセアは壊れた壁から外に出ると、ミダスの屋敷方面へ向かって走りだした。


 リージェとイナギも彼女を追いかける。




「お姉ちゃん、こっちはミダスのいる方向だよ?」


「相手がアーレムの住民を盾に使うつもりなら、そうなる前に潰せばいい!」


「なるほど!」


「好戦的でございますね、嫌いではありませんよ」




 夜明けが近いのか、空は徐々に黒から紫へと色を変えている。


 起床した人もミダスコイン争奪戦に加われば、さらに混乱は大きくなるだろう。


 おそらくアーレムの街に安全な場所は無い。


 だったらいっそ、ミダスの屋敷に先に突っ込んでしまった方が、むしろ安全というわけだ。


 もちろん素直に入り口から突入するつもりなどない。


 ミダスの屋敷は高い塀に囲まれ、その周辺には警備を行う魔術師が立っている。


 ちらほらと薬で簒奪者(オーバーライター)へと変えられた者も配備されているようだ。


 しかしドロセアたちの敵ではない、ならば強行突破こそが最善策である。




「邪魔をするなぁぁぁああッ!」




 ドロセアは手にした剣で、立ちはだかろうとする魔術師たちを斬り捨てる。


 そのまま塀までも引き裂き、穴をあけるとそこから中に侵入した。


 目の前には、見上げるほど大きな屋敷がある。


 全体に黄金の装飾が散りばめられた、贅沢の極みのような建物であった。


 敷地内に入ると、さらに多くの魔術師に囲まれた。




「それでは次はわたくしが」




 刀を抜いたイナギは、ドロセアとリージェの隣からタンッという僅かな足音だけを残して姿を消した。


 そしてすぐさま元の位置に戻ってくる。


 チャキッ、と刀を鞘に収めると、彼女たちを取り囲んでいた魔術師の体から血が噴き出し、一斉に倒れた。




「二人ともすごい……」


「ミダスの位置はわかっておられるのですか」


「ここまで来れば魔力は見えてる。三階の奥の方で二人一緒に待ってるみたい」


「結構、上の方なんだね」


「無論、素直に階段を上っていくつもりなどございませんが」


「じゃあどうやって――」




 ドロセアは三階のバルコニーを指差し、リージェに尋ねる。




「飛べる?」




 リージェはぶんぶんと首を横に振った。


 常識的に考えて、飛べるはずのない高さである。




「じゃあ私が抱えてくね」


「あ、えっ? えっと、おねがい、します……」




 戸惑いながらも、お姫様抱っこされるリージェ。




「イナギは問題ないでしょ?」


「あの程度の高さでしたら」




 両足に風を纏うイナギ。


 ドロセアもジンの魔術を模倣し、同じように風を纏いながら――イナギの魔術を観察し、ひっそりとそれを改善する。


 二人は一気に三階まで飛び上がり、着地した。


 リージェも魔力の影響で身体能力が向上しているはずなので、こういうこともできるのだろう――と頭では理解しているのだが、やはり怖いものは怖いのか、胸に手を当ててバクバクとうるさく鳴る心臓を鎮めていた。




「しばらくこのままでいようか」




 ドロセアがそういたずらっぽく言うと、リージェは照れながら返す。




「それも悪くありませんが、別の意味で心臓が破裂しちゃうかもしれません」


「だったら仕方ない、お姫様を下ろしてあげないと」




 二人のそんなやり取りを、興味深そうにイナギは観察している。




「隙あらば、でございますね」


「いや、そういうつもりではなく……」


「二人でいられる時間は貴重なものでございますから、大事に味わうのはよいことでございます」




 こうも肯定されると、逆にむず痒いドロセアとリージェであった。


 ドロセアは空気を変えようと「おほんっ」と咳払いすると、アーレムの街の方へ視線を向けた。


 屋敷自体が高い場所にあるのか、ここからは街の全景を見下ろすことができる。




「上から見ると余計に恐ろしく感じるね」


「ここまで人を変えてしまうだなんて、ミダスの魔術は恐ろしいです」


「おそらくシセリーの花から採取できる薬も混ざっているのでございましょう。正気を保つ方が難しい――ん、あれは」


「どうしたイナギ」


「かなり遠くでございますが、何やら騒ぎが起きている様子でございます」




 ドロセアがイナギが指差す方へと目を凝らすと、確かに誰かが暴れているのが見える。




「剣で斬りつけてる……?」


「た、大変ですっ! どうしてそんなことに!」


「いいえ――剣ではございません、あれは爪ではございませんか?」


「爪って、もしかして侵略者(プレデター)ですか!?」




 ドロセアの表情が凍りつく。


 大勢の怪我人が出ているのはそうだが、それ以上に――




「……まずい、みんな寄生される!」


「放っておけば連鎖的に侵略者が増える可能性すら考えられます」


「止めにいかないと! でもあんな遠くに行ってしまったら……」




 人々がミダスの屋敷になだれ込み、戦いどころではなくなる。


 仮にそんな状況でドロセアとミダスがやりあえば、大勢の死者が出るだろう。




「外道めッ! まさかここまでプライドのない男だとは思わなかった!」




 ドロセアは激高し、近くの椅子を蹴り飛ばした。




「お姉ちゃん……」


「もし複数の侵略者が潜んでるなら、今から私たちが戻って止めたところで何も変わらない。三人でできることなんてたかが知れてる」


「ではどうするのでございますか」




 荒ぶる心を深呼吸で落ち着けると、ドロセアはイナギに告げる。




「イナギ、申し訳ないけど隣の村まで行って王都にメッセージを伝えてほしい」


「確かに足の速さには自信がございますが、それはどのような内容でございましょうか」


「侵略者に襲われた怪我人が大勢いる。寄生もされてる。アーレムの街を軍が封鎖して、外に逃げ出さないようにしてほしい、と。私の名前を出せばジンさんやアンタムさんは動いてくれると思う」


「なるほど、封鎖するのならばできるだけ早く動かねばなりませんね。承知いたしました――」




 そう言ってさっそく背を向け出発しようとするイナギだが、一歩前に出たところで足を止める。




「と、言いたいところでございますが」




 そしてくるりとドロセアの方を振り返ると、ドロセアとリージェの身を案じ、姉のような優しい口調でこう言った。




「相手はミダスとシセリーという簒奪者二人、しかも街はこの状況でございます。お二人だけで大丈夫でございますか? わたくしとしては、見知らぬ誰かの命よりはお二人を優先すべきだと考えておりますが」




 苦戦するぐらいなら、ここに残る。


 イナギはそう言っているのだ。


 するとリージェがぎゅっと両手を握りしめ、力強い言葉を発する。




「わたし……今度は負けません! だって、その、唇を予約したんですから!」




 動機が不純ではあるが、それがやる気に繋がっているのは事実なのだから仕方ない。




「そういうことみたいだよ」


「ふふ、それは頼もしい言葉でございますね。ではその言葉を信じて、わたくしは使者を務めるといたしましょう」




 イナギは跳躍すると、バルコニーの柵の上に乗った。




「ご武運を」




 最後に二人にそう告げると、大きく飛び上がって今度は屋敷を囲む塀に着地する。


 そうやってジャンプを繰り返し、瞬く間に遠ざかっていった。


 残されたドロセアとリージェ。


 威勢よく勝利宣言はしてみたものの、いざ二人きりになると少し心細くなるリージェ。




「大丈夫、私がついてる」




 それを察したドロセアが、彼女の手を握った。


 それだけで不安は霧散する。




「……お姉ちゃんにも、わたしがついてますからっ」


「そうだね、頼りにしてる」


「はいっ、どんと頼ってください!」


「調子出てきたね」


「今のわたしには怖いものなしですっ」




 こうしてドロセアとリージェは、ミダスの屋敷に突入した。




 ◆◆◆




「どうなってやがるッ!」




 ミダスの自室に、彼の怒声が響き渡る。


 彼が見ているのは、空中に投影された街の様子――天使の輪が映し出したものだった。


 アーレムの人間が一斉にミダスの屋敷に向かう中で、そのどさくさに紛れて侵略者に寄生された人間が暴れまわり、多くの怪我人を出している。




「街の混乱に乗じて侵略者を放てば、出処が知られる危険性も無いってことかよ。胸糞悪ぃ便乗の仕方しやがって!」


「私たちの動きを監視していたのかしら」


「監視が付いてたのはドロセアたちの方かもしれねえ。どちらにせよ、これで後退の道はなくなったってことだ」




 侵略者の存在に気づけば、誰もがミダスがやったことだと思うだろう。


 なにせ、この混乱を生み出したのは彼自身なのだから。




「もう二度と、アーレムの街が黄金で輝くことは無いのね」


「元々長生きさせるつもりなんかなかったさ。限られた命だからこそ、アーレムは美しく咲いた」




 そう言いながらも愛着があるのか、ミダスは少し寂しげだ。


 それを埋めるように、同じソファに座るシセリーは彼の胸にもたれかかった。




「未練はねえよ、永遠に美しく咲ける花はいつだって俺の近くにあるんだからよ」


「でもその永遠も終わろうとしてるわ」


「……」




 黙り込むミダス。


 諦めを受け入れ、終わりを待つことを選んだ。


 そう、すでに永遠は途切れているのである。


 死神はすぐそこまで迫っていて――仮に今回を退けたとしても、また次の死神がやってくるだろう。


 もしそれを生き延びたとしても、どうせ最後は侵略者に押しつぶされてみんな死ぬ。




「私ね、あなたが迎えに来てくれたあのとき、本当は少し怖かったの。差し伸べられた手を掴んだ先にあるのが、この檻よりも息苦しい地獄だったらどうしようって」


「そんなに俺が悪人に見えたか?」


「見えたわよ、籠の中の鳥には刺激が強すぎるわ」




 今でこそシセリーは派手で露出の多い格好をしているが、それはミダスの好みに合わせてのことだ。


 元の彼女はギャンブルなどとは程遠い、花を愛でることしか知らぬ清純なお嬢様であった。




「産まれてから何十年も、私は一度も外の世界を知ることなく生きてきたわ。きっと両親からしてみれば、それは自分の身を守るための行為だったんでしょうね。自分たちの間に産まれた子供が、時の止まった怪物だとわからないように」




 それは自然発生した簒奪者が受ける境遇としては、さほど珍しくはない。


 大抵の場合、最初に家族との間に軋轢が生じる。


 もちろんその対応には差があるが、普通の家族と同じように接するパターンはほぼ無かった。




「それでも寂しさを紛らわすため、婚約者を探してくれて、彼も私を愛してくれたけれど――」


「それが愛だったのかわからない、だろ?」


「キスもなければ抱かれることもない。いわゆる精神的な愛情……だからこそ老いても愛せる、なんて話をしたことはあったわ。けど時のすれ違いを受け入れられた本当の理由は、恋も愛もそこになかったから。私が無知だったから、そう思い込んでいただけ……ミダス、あなたに出会ったからこそ、今はそう思えるのよ」




 羽を休めるための枝。


 体を温めるための焚き火。


 かつての婚約者との関係はそういうもので、最後に残るのは胸の内の寂しさだけだった。




「ミダスは私と逆で、すぐに家を追い出されたのよね」


「ああ、最初から俺なんていなかった、産まれてこなかったって言われて――けどまあ、幸い生きていく力はあったからな。不自由はしなかったぜ? 世界が広すぎて孤独ではあったがな」




 こんなときだというのに思い出話に興じてしまうのは、もう終わりが近いと感じているからだろうか。


 一種の走馬灯のようなもので――恋人と寄り添っているというのに、わずかだが虚しさを感じる。


 だがその虚しさは、ここ数年のミダスの中にずっとあったものだ。


 確かに世界は広かった。


 そして広い世界を知る彼は、檻の中からシセリーを救い出した。


 しかし、侵略者の存在を知ってしまった途端に、この世界もまた一つの檻に過ぎないのだと知ってしまった。


 ミダスは、彼の人生の根幹をなす自由な旅をしてきた経験――そのアイデンティティをへし折られてしまったのである。




「出会って救われたのはシセリーだけじゃねえ、俺もだ」




 見つめ合い、ほほえみ合う恋人たち。


 しかし同じ仕草でも、ドロセアやリージェたちとは何かが致命的に違う。


 そのことを、ミダス自身も自覚していた。


 未来へ進もうという意思の欠如が、虚しさという影を彼の心に落としているのだ。




「だから……あの子も救いたいと思うのよ」




 一方でシセリーの意識はリージェに向いていた。


 あの世の中を知らなそうな純粋な乙女の顔――ひょっとすると、かつての自分と重ね合わせているのかもしれない。




「報われない恋なんて、するだけ無駄じゃない。のめり込むほどに、失ったとき苦しむだけだわ」




 今の彼女にとって、かつての婚約者の記憶は忌むべきものとなっていた。


 それだけ喪失の悲しみが、深く彼女の心を傷つけたということだろう。


 加えて、失ってすぐにミダスと出会ったわけではない――傷を負ったまま孤独に過ごした時間が、過去を憎しみで彩ってしまった。


 だからこそ否定したい、否定しなければならない。


 リージェとドロセアの恋の成就を。


 そんな使命感に心は燃えていた。




「すげえ勢いで近づいてきてんな」




 ミダスは再び天使の輪が映し出す映像に目を向ける。


 そこには、屋敷内を一切止まらずに突き進むドロセアとリージェの姿があった。


 襲撃に備え、多くの罠や伏兵が準備されていたが、それをドロセアの技とリージェの力でねじ伏せている。




「聞き分けのいい子だと思っていたのだけれど、見た目よりは悪い子みたいね」


「花の香りも使ったんだろ? それでも立ち止まらねえってのか」


「……それだけ想いが強いってことかしら」




 黒い感情が渦巻く瞳で、シセリーは映像を見つめる。




「でも、気持ちだけで都合よく乗り越えられるものなんて――」




 ◆◆◆




「お姉ちゃん、前にまた来ますっ!」




 長い一直線の廊下――その左右にある部屋から姿を表す複数人の魔術師たち。




「数だけ揃えたところでぇぇぇぇッ!」




 彼らが顔を出した瞬間、ドロセアは斬撃を飛翔させる。


 危険を察知しすぐさま扉の裏に身を隠す魔術師たちだったが、守護者の両腕から放たれる斬撃の前に、金属の板など紙切れ同然であった。


 扉ごと引き裂かれ、廊下を血しぶきが汚す。


 その間もドロセアとリージェは走り続けていた。




「あの人たち、死んだんでしょうか」


「わかんない、当たりどころがよければ生きてるかもね。でも戦いの場に出てきた以上、手加減する必要はないよ」




 敵を前にしたときのドロセアは、いつもリージェの前で見せる優しい声とは違う声で喋る。


 リージェへの思いやりは残しつつも、冷たく乾いた、戦士の声だ。




「あいつらも私たちを殺しにきてるんだから」




 その言葉がリージェの胸に深く響く。


 人の死はできるだけ避けるべきだ。


 しかし、ためらえば自分が死ぬかもしれない。


 お姉ちゃんが死ぬかもしれない。


 そう考えたとき――名前も知らない、自分たちを殺そうとする魔術師の命に、価値などあるだろうか。


 その問いには、優しいリージェでも残酷な答えが出せる。


 ドロセアの命と比べたとき、彼らの命に価値などないのだ、と。




「次はわたしがやります」




 無論、ドロセアにもリージェが手を汚すことを肯定すべきではないという想いもあった。


 だが共に歩んでいくと決めたのだ。




「……うん、お願い」




 一人で背負わない。


 一方的に守られるだけでなく、支え合うこと。


 それが二人で生きていくことだと思うから、一緒に手を汚す方を選ぶ。


 そして儀式の贄が、再びドロセアたちの前に現れた。


 今度は曲がり角の向こうから、飛び出すと同時に魔術を放つ。




「邪魔、しないでぇぇええッ!」




 こちらに飛来する炎や水の球。


 その速度は相当なものだったが、光よりは遅い。


 リージェは両手を前にかざすと、そこから廊下を埋め尽くすほどの巨大な光線を放つ。


 巻き込まれた魔術師たちは――蒸発し、跡形もなく消え去った。


 残ったのは、わずかに命中を免れた一部の人間の腕と、足ぐらいのもの。


 肉体の99%をえぐりとられたその残骸を前に、リージェは前にかざした腕を震わせ、ごくりと喉を鳴らした。


 人を殺した――覚悟はしていたとはいえ、そんな想いが胸の中で渦巻いているはずだ。


 ドロセアは悩んでいる。


 こういうとき、どう慰めるのが一番なのだろう、と。


 彼女をそういう道に歩ませた人間として、何が正しいのだろう、と。


 こんなシチュエーションに遭遇したことのある人間、そうそういるはずがないのだから、きっと正解なんてこの世にないのだけれど。


 実際に彼女が悩んだのはわずかな時間。


 だって間が空くほどに、リージェの不安は指数関数的に増大してしまうから。


 まずはぽんと頭に手をおいて、




「魔力の扱い、かなり上達してるね。かっこよかったよ」




 ドロセアは全力で肯定する。


 それが彼女の答えであった。


 その言葉でリージェもまた、己の方向性を決める。


 彼女は少し自分より身長の高いドロセアの瞳を見つめると、歯を見せてニカっと笑った。




「ありがとうございますっ」




 決して人を殺したときに出てくる言葉ではないけれど、それで二人の“結び”は固くなる。


 なおも前に進もうとするリージェだったが、ドロセアは突如、かばうようにその前に飛び出した。




「リージェ、危ないッ!」




 そして何もない空を剣で引き裂く。


 リージェはぽかんとしていたのだが、床の上で何かがビチビチと跳ねていることに気づいた。




「この音、天使の輪ですか?」


「屋敷のいたるところでふよふよ浮かんでたんだけど、急に突っ込んできたの」


「監視だけじゃなくて攻撃もできるなんて。わたしは見えませんし、どうしたら……」


「これが侵略者の成体なら、大元を潰せれば消えると思うんだけど」




 床に落ちた天使の輪をじっと見つめるドロセア。


 すると彼女は、何かに気づきシールドをまとった手をそれに近づけた。




「……糸?」




 それは侵略者と同じく、一切の魔力を持たない物体。


 ドーナツ型の天使の輪からどこかに向かって伸びる、見えない糸であった。




「糸が天使の輪から出てるんですか?」


「うん、ずっと向こうまで繋がってるみたい」




 ドロセアは目を細め、これまで遭遇してきた侵略者のことを思い出す。




「侵略者の成体はいつだって魔物や人の肉体とセットだった。ミダスが言うには、大型の侵略者はまだこの世界に入ってこれないっていうし、侵略者が存在するには何らかの条件がある。単体で存在できないから、わざわざ寄生してるんだとしたら――こいつも本体と繋がってる?」




 つまりこの天使の輪は、本体と完全に切り離すとこの世に存在できない。


 だから糸で繋げている。




「リージェ、遠回りになるけど先にこいつの本体を」


「わたしもミダスたちと戦う前に使えなくした方がいいと思います」




 一旦進行方向を変え、糸を辿っていくドロセアたち。


 その道中、何度か魔術師たちの襲撃に遭遇した。


 天使の輪で監視されているため、的確に増援を送り込むことができるのだろう。


 しかし凡百の魔術師など、守護者を纏えるドロセアや、異常に高い魔力を持つリージェの前では敵ではない。


 障害にすらならずに排除され、二人はあっさりと二階にある部屋にたどり着いていた。


 中にはじめっとした空気が流れている。


 湿気の元となっているのは、粘液塗れで壁にへばりついている、その魔物だろう。




「っ……これは……」




 リージェはその姿を前に、思わず口元に手を当てた。




「魔物にも簒奪者にもなれなかった成れの果て、かな」




 それは完全に魔物にもなれず、中途半端に人の姿と意識を残したまま異形となってしまった男だった。


 加えて、そこに侵略者の成体を埋め込まれてしまったため、下半身にはぎょろりとした大きな瞳がいくつもくっついている。




「こ……しぇ……こお……ひぇ……」




 ドロセアたちを見た途端に、男はそううめき始めた。


 殺して――そう懇願しているようだ。




「おやすみ、どうかいい夢を」




 ドロセアは男の首を斬り落とす。


 なおも侵略者は活動を続けようとしていたため、さらに滅多刺しにしてとどめを刺した。




 ◆◆◆




 ミダスの前に浮かんでいた映像が消える。


 ただでさえ広い部屋が、余計に広くなったように感じられた。




「天使様もやられちまったか」


「利息分ぐらいは働いてくれたわよね」


「元本は返せてねえけどな」




 元々、あれはミダスから金をだまし取ろうとした詐欺師だった。


 彼は相手が詐欺師だと知った上で金を渡し、後にその額を借金として請求したのである。


 法外な値段だったため男は支払えず、そのままミダスの実験台となってしまった。




「さあ、そろそろ来るぜ」




 ソファからミダスが立ち上がる。


 映像はもう見えないが、ドロセアの殺気が近づいてくるのを肌で感じていた。




「わからせてあげないと、理想と現実の違いを」




 シセリーも立ち、扉をにらみつける。


 ミダスはそんな彼女を、少し心配そうにちらりと見た。




(意気地になってんな。簒奪者と人の恋が成就すんのがそんなに――いや、あいつの境遇を考えれば当然か)




 かつてのミダスならシセリーを諌めただろうが、今は放っておく。


 もう終わりは近いのだから、何もかも自由でいい、と。


 そしてドロセアたちの到着を待ちわびる二人だったが、本人の到着を前に、白い光線が部屋の扉を蒸発させた。


 ミダスたちは同時に左右に飛んでそれを回避する。




「ヒュウ、派手にやってくれんじゃねえの!」




 光線が通った跡には、ぽっかりと丸い穴があいていた。


 そこを通って、ドロセアとリージェが部屋に駆け込む。




「ミダスッ!」


「シセリーっ!」




 どうやら担当はもう決まっているらしく、それぞれがそれぞれの敵に向き合った。


 リージェに睨まれたシセリーは、どこか嬉しそうに、だが苛立たしげに、口元に妖しげな笑みを浮かべる。




「せっかく私が正しい方向へ導いてあげたのに、また逆戻りして」


「寿命がどうとか言ってましたね。でもわたし、わかったんです」




 もう花の香りに惑わされていたリージェはいない。


 彼女は断言する。




「そんな些細な問題、愛さえあれば問題ありません!」


「じゃあ私には愛が足りなかったと?」




 イライラを隠しもせずに問いかけるシセリーに対し、リージェは少しの間をあけながらもはっきりと答えた。




「……そうかもしれませんね」




 相手は敵だ。


 罪悪感など必要ない。


 むしろ言葉で乱して冷静さを奪えるのなら、そうするべきだ。


 リージェはそう自分に言い聞かせ、さらに具体的な言葉で答える。




「誰の話か知りませんが、きっと愛が足りなかったんです。あなたにも、相手の方にも」




 シセリーはプツン、と自分の中で何かが切れるのを感じた。


 使命感は途端に裏切られた怒りへと反転し、それに呼応するように彼女の周囲に真っ赤な花が咲く。




「そう、わかったわ――もう言葉なんて必要ないみたいねッ!」




 殺意をむき出しにして、針だらけのツタで攻撃するシセリー。


 対するリージェも、ツタを光で焼き切りつつ、頭や心臓と言った急所を執拗に光線で狙った。




「おーおー、煽るねえ。あんなにおっかねえシセリー、見るのは初めてだよ」




 茶化すように肩をすくめるミダス。


 ドロセアはそれに乗らずに、静かに怒りを彼に向けていた。




「はっ、そしてこっちもおっかねえ。あのイナギって女はどうしたんだ? どっかに隠れて奇襲でも狙ってんのか?」


「他人事みたいに」




 地面を蹴った彼女は、ミダスの首に剣を振り下ろす。


 ミダスは懐から取り出した金色のナイフでそれを受け止めた。




「時間がないの、手短に終わらせるから」


「濡れ衣――なんて言い訳は通じそうにないな」


「死ねッ!」




 ドロセアは相手の腹を蹴り少し距離を取ると、今度は斬撃を飛ばす。


 対するミダスはさらに懐から取り出した銃を発砲し、その斬撃を相殺した。


 弾かれた弾が宙を舞う。


 地面に落ちたそれは、よく見ると銃弾ではなく衝撃でひしゃげた黄金のコインだった。




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