043 逆恨みは蜜の味
「六千万の魔物で勝てないなら、私たちで倒せばいい」
情けない表情を見せるミダスに対し、ドロセアは毅然とそう反論した。
ミダスは目を見開き驚いたあと、「はっ」と鼻で笑う。
「夢見がちなお年頃だな、お嬢さん」
「言っておくけど私は諦めるつもりなんてないから」
「あのリージェって子との未来をか?」
「そう、私はリージェと添い遂げる。何があろうと、誰に何を言われようと、それ以外の未来は見えてない」
「仮に侵略者に勝てたとしても、寿命は変えられねえだろ」
見透かすようにミダスは語る。
「こう見えて俺もそれなりに長生きでな、普通の人間とは絶対に相容れないってことは理解してんだよ」
「そう、意思が弱いんだね」
「何か方法があるってのか?」
「簒奪者でもないのに寿命を伸ばした人なら知ってる。その人に謝罪させるついでにひっぱたいて、魔術を教えてもらえばいいだけだから」
ドロセアはマヴェリカの姿を思い浮かべる。
テニュスをアレだけ傷つけたのだ、それぐらいの“詫び”はあってもいいはずだ。
「わかってねえな」
「それはあなたの方でしょ」
「あんたが良くても、リージェの方はどうだろうな。あの子だってわかってるはずだぜ、自分と人間との違いを」
「じゃあ愛してるって言うよ」
その返答に、ミダスは苛立ちを隠せない様子だった。
だからドロセアは言葉を付け加える。
「伝わるまで何度でも、何度でも。寿命のことなんてどうでもよくなるぐらい」
「青臭い感情で何が解決できると?」
ミダスは呆れ顔でため息をついた。
俺にもそんな時期はあった、けど無駄だったんだ――そう言わんばかりに。
「解決法を探す前に諦めた人に言われたくないな」
「ちっ、ガキが。話が通じねえ」
「よかった、失望されて。さっきから妙に期待されてて気持ち悪かったから。相容れないのは人と簒奪者じゃない、私とあなただよ」
「ああ、そうらしいな。イカれた一途さは嫌いじゃねえが――」
そのとき、ミダスの目つきが変わった。
ドロセアを“敵”と認めた瞬間である。
彼から放たれた殺意が部屋全体に広がり、一瞬にして空気が張り詰める。
「俺らの平和な終末を邪魔するってんなら、消すしかねえな」
しかし――攻撃を仕掛けたのはミダス自身ではない。
突如としてドロセアの脇腹が何者かに強打され、彼女は「がっ!?」と肺の空気をすべて吐き出しながら吹き飛ばされる。
転がりながら体勢を立て直すも、その姿をミダスは嘲笑った。
「それにも気づけないくせに、どうやって侵略者に勝つってんだろうな。ははは!」
そして部屋の奥に開いた隠し扉の向こうへ消える。
「待てッ!」
追いかけようとするドロセアだが、またしても強烈な殺意を真横から浴びせられた。
だが避けようにも、防ごうにも、なぜかミダスの後ろ姿から視線が外せない。
(おかしい、意識が向けられない。まるで何かに引き寄せられるみたいに!)
だが攻撃を仕掛けられていることはわかっている。
誘導されているのは視線と意識だけ。
彼女は歯を食いしばりながら、“誘惑”に抗いその場で跳躍した。
足元を異形の腕が通り過ぎていく。
そしてミダスの姿が見えなくなると、呪縛が解け、ようやくドロセアは自由になった。
着地と同時に、彼女は“敵”の姿を確認する。
「解けた――って、その顔は!」
両足には義足、右腕は魔物化、左腕は消失した、見覚えのある男。
彼は人ならざる瞳を赤く光らせながら猛る。
「やっと、こっちを見たな。ドロセアぁぁぁぁぁあッ!」
「エルク!」
それはクロド王子に囚われているはずのエルクだった。
王都の騒乱のドサクサに紛れて姿を消していた彼だったが、ここでミダスの手に渡っていたのである。
(王都から私たちよりも早くアーレムに……まさか、イナギと戦ったあの寄生された騎士と一緒に?)
なぜ彼がここにいるのか、噛み合わない理屈に疑念は尽きない。
だが細かい事情はさておき――
「償えよ、俺からすべてを奪ったその罪を!」
因縁を果たせる、とエルクは戦意に満ち溢れている。
彼はまるで左腕を振るうように体をひねった。
ドロセアはその“見えない腕”をバックステップで回避する。
魔力の無い空白領域――つまり彼の左腕は侵略者へと変わっているのだ。
人と魔物と侵略者のハイブリッド、それが今のエルクであった。
そしてそんな彼を前に、ドロセアもまた――
「ああ、やだな。ミダスに一瞬でも感謝しそうになるなんて」
今度こそ決着を付けられる、と歓喜していた。
「俺も同じ気持ちだよ。今回は、半端に終わらせるつもりはねえ」
「わかってる、ちゃんと殺してあげるから。お望み通りに」
「ほざけぇぇぇッ!」
怒りに身を任せ飛びかかるエルク。
ドロセアは手にした剣で、振り下ろされる魔物の腕を斬り刻んだ。
◆◆◆
無事にスタッフに捕まったリージェとイナギ。
イナギは大人しく連れて行かれるフリをして、途中でスタッフ二名を気絶させた。
「ご無礼をご容赦くださいませ」
「は、速い……全然見えませんでした」
「それが取り柄でございますので」
イナギは風の魔術の使い手ではあるが、どうやらその魔術を攻撃に使用することは無いらしい。
というより、できないのだろうか。
近接戦闘に特化している節がある。
「さて、首尾よく潜入できたわけでございますが」
長い廊下には、他のスタッフの姿はない。
だが逆に言えば隠す場所もないため、じきに見つかってしまう。
悠長にしている時間は無かった。
「お姉ちゃんの方は大丈夫でしょうか」
「彼女が負けるような事態が起きていれば、ここまで音が響いているはずでございます。静かならばまだ問題は起きていないのでしょう」
「なるほど……」
「今はこちらの任務に集中すべきでございます」
「わかりました。それにしても、随分とカジノとは雰囲気の違う場所ですね。微妙に甘い香りもしますし」
廊下を先に進むにつれて、カジノの派手さは鳴りを潜めていく。
一方で壁には絵画や花瓶が飾られるようになっていた。
「花の魔術師、もうひとりの簒奪者が管轄する場所なのかもしれません」
「ミダスとは趣味が真逆の人なんですね。それにしても……何だか、匂いを嗅いでると頭がぼーっとする感覚があります」
「わたくしも同じような感覚でございます、ドロセアさんの意識を奪った薬と同様のものでございましょう」
「もしかして、この花も魔術で作られたものなんでしょうか。あ、でもそれならお姉ちゃんが気づくはずですよね」
「種子を魔術で成長させただけの場合、花粉にまで魔力の影響は及ばない――という可能性も考えられます」
ドロセア対策の魔術――というのは考え過ぎだろうが、相性が悪いことに変わりはない。
イナギは、自分たちの相手がそちら側であることに、内心安堵していた。
さらに廊下を進むと、前方には丁字路。
右手にはドアがあり、その前に二人の警備員が立っていた。
「この距離で二人ならいけますね」
「え? 行けるって……」
イナギは一瞬で警備に近づくと、鞘で腹部と延髄を殴打し彼らを気絶させる。
「行きましょう、リージェ」
「すごいですね、本当に……役立たずで申し訳ないです」
「適材適所ですよ。光の魔術は、ただ戦うことしか知らないわたくしより多くの人の役に立てますから」
「だと、いいんですが」
そう言っても、イナギやドロセアの動きを見ていると自信を失くすというもの。
ドアの向こうには、牢屋らしき鉄格子の部屋が並んでいた。
「みんな中でぐったりしてます」
「先ほど出会った方と同世代の女性もおられますね」
二人が喋っていても反応は無い。
中には目を閉じてない者もいたが、意識は朦朧としているようだ。
ここに連れてこられるのは、コインに仕込まれた魔術や薬が効かなかった者――つまり、より強烈な薬を投与されて意識を奪われた、ということだろう。
「服装の汚れ方からして連れてこられたばかりみたいです。あの人が探してた友達かもしれませんね」
「そしてこの先の部屋で薬物を投与され、簒奪者になる。とりあえずここの鉄格子は破壊しておきましょう」
イナギは刀を引き抜くと、頑丈そうな牢屋をいともたやすく切断した。
その間、見ていることしかできないリージェは、どこからともなく妙な音がすることに気づく。
「何だか、獣みたいな声も聞こえませんか?」
「確かに動物の鳴き声に似ておりますね」
声のする方へ向かってみると、また別の牢屋が並ぶ空間があった。
中にいるのは人ではなく、魔物だ。
「カジノの中に魔物が!?」
「……ひょっとすると、必ずしも簒奪者になれるわけでは無いのかもしれません」
「失敗したら、こうなるんですか」
リージェは苦しげに胸元をきゅっと握った。
その実験に使われているのが、自分の血だと知っているからだ。
「ミダスはカジノを利用して、簒奪者の素質を持つ人間を選別しておりますが、その選別も確実ではない……」
「何の罪もない人を魔物に変えるなんて、許されません!」
「ええ、わたくしも同感でございます。ひとまずこの施設を破壊するといたしましょう」
ひとまず牢屋から出て、さらに廊下を奥へ。
わずかにドアを開くと、中には他の部屋より遥かに広い空間が広がっていた。
薬瓶の並ぶ棚や施術台などが見える。
また、人間の数も他の部屋よりも多く、彼らはゴツいマスクを着用していた。
何かの吸引を防止するためのものだろうか。
「……数が多いでございますね」
「突入して一気に倒しますか? わたしも手伝えますよ!」
「いや――わたくしが潜入して、静かに、速やかに全員を眠らせましょう」
速度だけでは不可能だ。
まず気づかれないように背後に近づき、数人の意識を奪う必要がある。
しかしイナギならそれも可能なのだろう。
だからこそ、リージェはうつむいてしまう。
「心配せずとも、リージェの出番もございますよ」
「本当でしょうか。今のところ、イナギさんに頼りっきりですが」
イナギは慰めるように肩にぽんと手を置くと、音もなく部屋に侵入した。
室内からは人が倒れる音がする。
その後、少し遅れてうめき声のようなものも聞こえたが、大きな騒ぎになることはなかった。
「……何だか甘い香りが強くなった気がします」
廊下に残されたリージェは、周囲の異変を感じる。
「ふふふ……」
そしてどこからともなく聞こえてくる女性の笑い声。
それと同時に、ガチャンと前方のドアが閉まり、イナギとリージェが分断される。
「誰なんですっ!? う、香りがさらに強く……体が、熱い……!」
意識を奪ったり、幻覚を見せるものとは違う。
リージェは、まるでドロセアを恋しく思ったときのような体の熱を感じていた。
すると彼女の前方に、艶めかしく豊満な体をした、やけに色っぽい女性が現れる。
「あら貴女、その反応――」
女はリージェをからかうように言った。
「女の子の体に興味があるのぉ?」
「なっ、何を!」
彼女は襟を下げ、胸をアピールするような体勢を取り、リージェを誘惑する。
「そう、興味があるなら好きにしていいのよ。ただし、私に服従してくれるなら、だけど」
リージェはその甘い香りだけでなく、怪しげな声に頭がくらくらしていた。
なおも女は堕落へと誘う。
「ほら、おいでぇ。お年頃の女の子が欲を我慢するなんてよくないわぁ」
そのあまりの品の無さに、ついにリージェの我慢は限界に達した。
「馬鹿にしないでください! わたしが興味あるのはお姉ちゃんの体だけですッ!」
思わず感情のままにそう口走ってしまう。
「はっ、わたしなんてことを……」
「あら情熱的、嫌いじゃないわよそういうのも」
恥じらうリージェだったが、しかし女は誘惑を諦めたらしい。
目つきが変わり、纏う色気に殺意が交じる。
「けどごめんなさいねぇ、服従せず逆らうのなら――排除するしかないわ、可愛らしい侵入者さん」
浮かび上がる魔法陣。
すると壁に飾られていた花が急成長し、リージェに絡みつく。
彼女はとっさに目の前に光の玉を生み出した。
そこから細いレーザーが放たれ、熱で植物を焼き切る。
そして女を睨みつけた。
「もう一人の簒奪者、花の魔術師!」
「知ってるのね、私のこと。でも今からもっと知ってもらうことになるわ。この麗しき――」
彼女は両腕を広げ、足元に魔法陣を展開させる。
「百花繚乱の園で!」
一瞬にして廊下は色とりどりの花に覆われた。
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