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042 ネガティブに前向き

 



 ドロセアが席につくと、ミダスは苦笑いを浮かべた。




「フゥ、アンターテと違って話が通じる相手で助かったよ」


「あいつらなら私にあんたの相手を押し付けてどっか行ったけど」


「以前に痛い目に合ったんだよ。狂信者になっちまうと話が通じねえ」


「あなたは違うっていうの」


「エレインに心酔してたら侵略者(プレデター)を利用しようなんて考えねえよ、あいつらは人類を滅ぼしてでもこの世界を守ろうとするイカれた連中だからな」




 ミダスはこめかみを人差し指で叩きながら、簒奪者(オーバーライター)を小馬鹿にするように言った。


 確かにエレインの狂信者といった雰囲気ではないが、イコール信用できるというわけでもない。


 焼けた肌、白い歯、首に下がる金色のアクセサリ、そして胡散臭い笑顔――不審者度合いで言えば、あの幽鬼のようで不気味なカルマーロを上回っているぐらいだ。




「とりあえず乾杯しようぜ。酒は飲めるか? ジュースがお好みか?」


「自分で注ぐからいい」




 ドロセアは空のグラスを手に取ると、魔術でそこに水を満たした。




「ワオ、噂には聞いてたが全属性を操る無等級魔術師ってのはマジだったんだな」


「どこから情報を集めてるの?」


「王都のクズどもとも知り合いなんだよ」


「道理で、あそこの連中と似たような匂いがすると思った」


「泥臭く成り上がったってことだよ。どいつもこいつもお高くとまった貴族じゃ息が苦しくなるだろ? 俺みたいなのもたまにはいていい」


「自分で言う?」


「俺が言わねえとガールフレンドぐらいしか言ってくれねえんだよ」




 ミダスが冗談っぽくそう言うと、両脇にいる女性がくすりと笑う。


 彼も彼で、絵に書いたような成金じゃないか――と思うドロセア。




「まあ、身の上話はこれぐらいにしといて本題に入るか」


「意外と話が早いんだね」


「その様子だと飯は食わねえだろ、そう警戒せずとも毒なんて入ってねえよ」


「薬を仕込んだやつの言葉が信用できると思う?」


「アウチ、痛いとこ突かれちまった。だがあれが通用したのも想定外なんだぜ? まさか俺の“敵”が本当に魔術的に落ちこぼれだとは思わねえだろ」




 確かに、王都でS級魔術師の騎士団長を撃破した――そう聞けば、さらに高い魔力を持つ人間と考えるのが自然だ。


 無論、ミダスはドロセアが無等級であるという話は聞いていたのだが、それは見た目だけの話で実際はとてつもない魔力を持っているに違いない、と考えていたのである。


 しかし実際に合ってみれば、本当に無等級相応の魔力しか持っていなかったのだ。


 驚いたのは演技でもなく、間違いなく本心であった。




「といっても、どこから話したもんかねぇ」


「じゃあこっちから聞く。私とリージェを狙った理由は?」


「“義理”が一番でかい理由だな。エレインとしては、簒奪者を越えうる力を持ったお前のことを放ってはおけない。薬の原材料となる“血”を持つ聖女様も奪い返さなきゃいけねえ」


「私はリージェと穏やかに暮らせればそれいいんだけど」


「悲しいかな、簒奪者の事情がそうはさせるわけにはいかねえってことだ。だからエレインは戦力を総動員してお前を潰しにかかった、当然俺にも命令は届いた」


「それに乗っかったんだ」


「だから言ったろ、義理だって。エレインには昔の恩もある、従って損は無い。ま、結果的に侵略者を使ってんのがバレちまったけどな」


「雑な使い方するから」


「想定外だったんだよ、何もかも。まずはあのイナギって女の存在だな、ありゃ何だ? 何で急に簒奪者みてえな女がお前の仲間になってんだよ」


「それはこっちが聞きたいぐらい」




 確かに簒奪者たちにとっても、イナギの存在はイレギュラーに違いない。


 アンターテとカルマーロは彼女のことを知っていたはずだが、イナギの狙いはあくまでアンターテ個人。


 王国を巡る陰謀だとか、侵略者を巡る戦いだとかに関心を示してこなかったため、エレインやミダスの“想定内”にいなかったのだろう。




「つかよお、アーレムを経由するって決めたのはあの疾風のジンだろ? 俺に決める権利はねえよ。俺は平和主義者だからな、戦わずに済むならラブアンドピースで行きたい」


「情報を盗んで待ち伏せしてたくせに」


「それも想定外ってやつだな」


「はぁ?」


「偶然なんだよ、お前らがどのルートを通ってどこを目的地にしてるのか、別に俺は自分の意思で知ったわけじゃねえ」




 そう言ってミダスはズボンのポケットからメモを取り出し、ドロセアの前に投げた。


 彼女は訝しみながらもくしゃくしゃの紙を広げる。




「何これ」


「侵略者に寄生された男が持ってたメモだ。イナギが殺したんだろ、あいつ」


「どういうこと? あいつはあんたが寄生させて――」


「違ぇよ。すでに寄生された人形みてえな状態でアーレムに現れたから、ついでに利用して王都に送り返しただけだ」


「ついでで商人を殺したの?」


「残しとくのも気持ち悪いからな、どこから情報が漏れるかわかったもんじゃねえ」


「最悪」


「善人名乗ってるわけじゃねえからな。ま、大目に見てくれや」




 大目に見るはずがない。


 ドロセアは憤怒を込めた眼差しでミダスを睨みながらも、数日前にイナギと話したときのことを思い出していた。


 確かにあのとき、商人を殺した犯人は“王国側”に逃げていたと彼女は話していた。


 ミダスの元に戻るのなら、アーレム方面に向かうはずなのに。




「少なくともスパイに関しては、俺が潜らせてるわけじゃねえ。とうに王城内にも侵略者が入り込んでるってわけだ」


「姿が化物なんだからすぐにわかるはずじゃ」


「侵略者が女に寄生したらどうなるか知ってるか?」


「妊娠する……んだよね」




 奇跡の村での惨劇を思い出し、胸が苦しくなるドロセア。




「その後、産まれた子供の外見は人間そのものだ。成長しても区別はつかねえ」




 追い打ちをかけるように、ミダスは聞きたくなかった現実を話す。


 そうかもしれない、とはドロセアも思っていたが――




「人間のフリをした侵略者が紛れ込んでるってこと」


「その顔を見るに、前からわかってたみてえだな。けど認めたくなかったってところか」


「……」


「怖いよなあ、誰も信用できなくなる」




 図星なのがさらにイラっとした。


 見知った誰かが侵略者かもしれない――そんな想像はしたくないからだ。


 ひょっとすると、偶然にも自分の親が奇跡の村に立ち寄っていて、自分自身すら実は人間ではなかった、なんて可能性すらあり得る。




「でも俺は嬉しいよ」


「嬉しい? こんなことの、どこが!」


「俺はあんたと“恐怖”を共有したいんだ」


「何、言ってんの」




 ミダスは変わらず胡散臭い笑みを浮かべているだけだったが、今はそれがやけに不気味に見えた。




「俺がどうして侵略者の駆除を諦めたと思う?」


「力を利用するため」


「いくら簒奪者と言えど、人間に利用できる範囲なんて限られてる。よほど小型の雑魚じゃねえとな」


「大型もいるってこと?」


「ああ、いるぜ。まだこの世に顕現はできねえようだが、じきに現れる。人間じゃあ絶対に太刀打ちできない、とんでもない化物らしい」


「らしいって、まだ現れてないのに誰が言ってたの」


「精霊……いや、正確には精霊の声を聞いたエレイン、だな」


「精霊の声……そんなものが聞こえるっていうの?」


「だから賢者なんて名乗ってんだよ。あるいは、そう呼ばれたから自称するようになったのか。とにかく、あいつはそういう女だ。その特別な力が、エレインの人生を歪ませた」




 精霊は目に見えず、魔力を通してでしかコミュニケーションを取れない存在。


 人類が魔力を得る以前の世界では、その存在すら一部の人間しか信じていなかったのだという。


 もし、そんな精霊たちと直に会話が出来たら――この世界の真理を、あらゆる現象の根源を知ることができるだろう。




「まあそれはさておき、だ。この世に小型の侵略者が増え、大型が顕現できるだけの環境が整えば、戦況は一気に変わっちまうだろう。連中も今みたいにコソコソ動く必要はなくなる」


「エレインってやつは、そのために……」


「ああ、そのために全人類を魔物に変えようとした」


「だからリージェの血が必要だったんだよね」


「いや、正確には聖女の血を欲した理由は違う。考えてもみろよ、人間の持つ魔力量は年々増加してる。代を経るごとに、親は子よりもさらに強い魔力を持つからだ。それが続いていけばどうなると思う?」


「……自然と魔物になる人間が増えるってこと?」


「ビンゴ、わかってんじゃねえの。エレイン曰く、今から百年後の世界では魔物が溢れてる計算だった」


「つまり侵略者は想定よりも早く攻め込んできたんだ、だからリージェの血なんて劇薬が必要になったの?」


「お嬢さんがクレバーで助かるよ。しかし考えてみてくれ、今の王国の人口ってどれぐらいか知ってるか?」


「詳しい数字までは……」


「およそ二千万人。大陸全部をまとめれば六千万人はいるだろうな」


「それだけの人間が魔物になればかなりの戦力になるよね」


「ああ、簒奪者となり理性を保つ者が指揮を取ることで、組織的な行動も可能だ。だが、その程度(・・・・)だろ」




 ミダスは妙に引っかかる言い方をした。


 その程度と言うが――ドロセアからしてみれば、六千万匹もの魔物がいれば十分な戦力になる。




「それでも侵略者を相手にするには足りないっていうの?」




 ふっとミダスの顔から表情が消え、彼は重苦しい声で言った。




「観測できているだけで十億匹」




 想像よりも数個多い桁数に、ドロセアの思考は停止する。




「……は?」




 そう返すのが精一杯だった。


 ミダスは力なく笑いながら、さらに説明を付け足した。




「すでにそれだけの数の大型侵略者が、この世界を取り囲んでる。観測できてない分を含めればもっと増えるだろう」




 このアーレムの街を、カジノを、そして彼自身を見てドロセアは『ミダスという男は活力に溢れた人間だ』と感じた。


 実際、魔術という“ズル”があったとはいえ、アーレムをここまで栄えさせたのは、彼にそれだけの力があったということになる。


 しかし、今のミダスからはそれを感じられない。


 まったく逆の――負の側面を見せられている。




「それらすべてがS級魔術師はもちろん、それを上回る簒奪者よりも強い。もちろん俺よりもな」




 おそらく、過去に“打ち砕かれた”。


 自信が、希望が、未来が。




「なあ、教えてくれよ。そんな相手に、六千万ぽっちの魔物でどうやって勝つつもりなんだ?」




 それが――その諦め(・・)こそが、自分が侵略者と組んだ理由だと、そう言いたいらしい。


 要は、全人類の魔物化なんて物騒な方法を使って無駄な抵抗を試みるより、もっといい“余生の使い方”があるんじゃないか。


 そう言いたいのだろう。


 ドロセアにとってミダスは得体の知れない、住む世界も違う怪物だったが、急に人間臭く見えてきた。


 彼女は理解し、納得した。


 しかし、一切共感することはなかった。


 なぜなら、リージェと過ごす未来を邪魔する存在は、総じてゴミクズだから。




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