041 二人で暮らす家ぐらい軽く買える額だった
カジノでは、大勢の人々が大人気なくギャンブルに夢中になっていた。
カードやダイスを使ったテーブルゲームはもちろん、ルーレットやビンゴ、なかなかお目にかかれない魔術仕掛けのスロットなんかもある。
酒を運ぶウェイターは美男美女揃いで、やけに露出の多い格好をしていた。
しかしアルコールと金に酔っ払った客たちは、そんなものよりギャンブルに夢中。
大声をあげながら一喜一憂し、血走った目でコインを賭けている。
「ここにいるだけで、悪い子になったような気分です……」
リージェは外にいたときよりもさらに怯えて、ドロセアの後ろに隠れてしまった。
かくいうドロセアも、王都でアウトローの雰囲気には慣れたはずだったが、ここの空気には慣れられそうにない。
唯一平然としているのはイナギぐらいだ。
「いやはや、他国のこういった遊技場には何度か足を運んだことがありますが、ここはひときわ賑わっておりますね」
「意外だな、こういう遊びやるんだ」
「付き合いというものがあるのでございますよ。それよりどれから遊びますか? 立っているだけでは逆に目立ってしまいます」
ただでさえ大人同伴で来ている少女二人、というのはここでは目立つ存在だ。
ミダスと会うのが目的なのだから目立ってもいいのかもしれないが、不要なトラブルは招きたくない。
「とりあえずおすすめを教えて。簡単で賭け金も少ないやつ」
「ではあちらのルーレットでもやってみるとしましょうか」
「だ、大丈夫なんでしょうか……いきなりぼったくられて、身ぐるみを剥がされたり……」
「調子に乗ってのめり込まなければ大丈夫だよ」
まあ、この街にはそうさせる仕組みがあるのが厄介なのだが。
イナギに先導され、ドロセアとリージェはテーブルへ向かった。
◇◇◇
「こ、こんなにコインを貰ってしまいました……」
リージェの持つ麻袋の中では、ミダスコインがジャラジャラと音を立てていた。
最初の五倍ぐらいには増えただろうか。
「ビギナーズラックでございますね」
「リージェは日頃の行いがいいから」
「つまり当たらなかったドロセアは日頃の行いが悪いと……」
「いい子ではない、かな。それを言ったらイナギもだけど」
「そんなことありません、お姉ちゃんも、イナギさんもすっごくいい人ですよ! この金貨はみんなの行いで当てたものです!」
「これが行いがいい子の受け答えというやつでございますね」
「リージェはかわいいねえ」
可愛さあまって、リージェを抱き寄せるドロセア。
わしゃわしゃと撫でられながら、ドロセアの腕の中で「ふにゃぁ」とリージェはとろけていた。
「しかし――」
ふいに、イナギは真剣な表情で呟いた。
「ウェイターたちの視線を感じますね」
「うん、順調に怪しまれてるみたい」
「どういうことですか?」
「普通、ミダスコインに魅了された客は賭けに勝っても、それを全ベットしてさらにギャンブルを続けるのでございます」
「理性的に途中で止めた。その時点で普通じゃないんだよ」
「ですがお客さんにも止める権利はあるはずです。どうするつもりなんでしょう」
ドロセアは「ふむ……」と顎に手を当て考え込む。
(ミダスコインにかけられた魔術や薬は、高い魔力を持つリージェたちには通用しなかった。つまり、これは選別である可能性もある)
相手に気づかれることなく、自然に高い魔力を持つ人間を探すことができる。
そしてミダスはおそらく、大勢の簒奪者をリージェの血を使って生み出している。
実際、このカジノのウェイターの中にも数人、それらしき人物が混ざっていた。
どうやらミダスはドロセアたちの人相を伝えていないのか、その簒奪者たちが動く様子は無いが。
そうして三人で歩いていると、誰かが真正面からドロセアにぶつかった。
胸元にタックルされるような形となり、彼女はよろめきながらも、ぶつかってきた相手の体を支えた。
「大丈夫ですか?」
心配するような声をかけたのは、相手が突進してきたのではなく、倒れそうになっていたとわかったからだ。
「大丈夫、れす……大丈夫、大丈夫、まだ遊べる……でもそんなことをしてる場合じゃ……ああ、遊ばないと、お金を使わないと」
彼女は立ち去ろうとしたが、その目つきに異様なものを感じたドロセアが肩を掴む。
「やめてください。私はまだ、遊びたいんです。お金を、お金を賭けないと……」
「リージェ、イナギ。この人を連れて一旦外に出よう」
二人とも女性の様子がおかしいとわかったのか、ドロセアの提案にうなずいた。
◇◇◇
外の涼しい空気にあたり、女性は少し落ち着いた様子だった。
先ほどよりも理性的な瞳でドロセアを見る。
「どうして……外に連れ出したりしたんですか。私はまだ遊ばないと、遊ぶ、遊ぶ、ああ、でも、他にやらないといけないことが……」
「他の人とは様子が違いますね」
「体質の問題で薬が効きすぎてるのかもしれない」
「コインの魔力もあるのでしょうが……そちらを解除すると、薬の効力が高まってさらに危険な状態になるのでございますよね」
「この感じだと意識は失いそう。最終的にはそれでもいいと思うけど――妙にこの人が焦ってるように見えてさ」
ただコインや薬に惑わされているだけではない。
その幻惑とは別に、彼女の心を焦らせる“何か”が起きているとドロセアは感じた。
「行かせて……私が行かないと……私、どこに? スロット? ポーカー? 違う、でもお金は賭けないと」
「ギャンブル以外にも何かやることがあったんじゃないの?」
「ギャンブル、以外……」
ドロセアの言葉に、女性の瞳にさらなる知性が宿る。
彼女は何か重要なことを思い出したようで、大きな声をあげながらドロセアにしがみついた。
「そうだ……私、私っ!」
「落ち着いて話して」
「私っ、友達とここに遊びに来てたんです。でもその子、お店の人にどこかに連れて行かれて、助けを求められたのに私、お金のことしか頭に……お金、ああ、お金、お金っ!」
「どうして連れて行かれたの?」
「それはお金が……あ、いや、違う。あの子は、私と違って、そうだ……なんともなくて!」
「なんともない、ですか」
リージェがそう反芻すると、イナギは「ふむ」とうなずきながら言った。
「魔術も薬も効かなかったということでございますね」
「二人と同じ――高い魔力を保有してるってことか」
「助けないと、でもお金も使わないと! どうしたらいいの、私はっ、私――」
相反する二つの感情を同時に抱くことで、錯乱状態に陥る女性。
もはやドロセアの声も届かず、彼女はやむなく女性の頭に手を当て、シールドで黄金の魔術だけを消し飛ばした。
すると薬の効能だけが残り、女性はガクガクと痙攣しながら意識を失った。
「し、死んでない……ですよね?」
「気絶しただけ。よっぽど薬との相性が悪かったんだね」
「どうするのでございますか、さすがに連れてはいけませんよ」
「かといってこの街で外に寝かすわけにもいかないか……」
ドロセアは気絶した女性を背負うと、カジノの警備員に近づいた。
「すいません、この人が意識を失ってしまって。どこか安全な場所で眠らせてあげてもらえませんか」
そう頼むと、男は嫌そうな顔をする。
警備員なんだからこれぐらいやってくれても――と心の中でドロセアが愚痴っていると、イナギが横からすっとミダスコインを一枚差し出した。
「これでどうにかしていただきたいのですが」
「わかりました、必ず安全な場所まで送り届けましょう」
途端に警備員は態度をころっと変え、女性をどこかへ連れて行った。
「大人の闇を見た」
「やっぱり田舎のほうが性に合います……」
「この街では金がすべてなのでございますよ」
それを賄賂と呼ぶかチップと呼ぶかは、その人による。
なにはともあれ、ひとまずあの女性の安全は確保できたので、ドロセアたちは集めた情報から次にどのような行動を取るか考える。
「それにしても、魔力の高い人を連れて行って何をしているんでしょうか」
「簒奪者を作ってるか、それとももっとエゲつないことをしてるのか……」
「わたくしとリージェはすでに目をつけられております。潜入は可能でございますよ」
「ですがお姉ちゃんもいっしょ、というわけにはいかないんですよね」
「魔力量は少ないからね。それに、それとは別件で気になる話があってさ」
「さきほど隣の客と話していた件でございますか」
ルーレットで遊んでいたとき、ドロセアは隣にいたマダムと言葉を交わした。
それは会話というよりは、おしゃべり好きのマダムが一方的に話していた、という方が近いのだが、その中でも何度かはドロセア側から質問をすることができたのだ。
「ミダスはいつカジノに顔を出すかわからない。けど大勝ちした客が出たら一緒に飲みたがるんだって」
「お客さんといっしょに、ですか。呼び出されて、お金を回収されてしまうんでしょうか……」
「運のおすそ分けをもらいたがるんだってさ」
「俗っぽい男でございますね」
「こんな街を作るぐらいだもん、俗っぽさの塊だと思うよ」
「言われてみればそうでございます。ですが大勝ちする方法などあるのでございますか? ここのディーラーは手練揃い、イカサマはすぐに見抜かれてしまいますが」
「ウェイターさんたちの視線も鋭いですよね……わたし、ちょっと怖かったです」
「わかってる、付け焼き刃のイカサマが通用するような場所じゃないってね。だから私は魔術の方で細工をしようと思う」
ドロセアはカジノの内部に視線を向ける。
彼女が見ていたのは、筐体の至る所に光る魔飾が施された、ど派手なマシンだった。
「あのスロットでございますか」
それは人の手ではなく魔力のみで動く、数少ない遊具だった。
◇◇◇
ドロセアはイナギやリージェと別れ、単独行動をはじめる。
スロット台の前に座ると、麻袋に入ったミダスコインをシールドをまとった手で慎重に触れ、投入した。
(直に触らなければとりあえず大丈夫なはず。まずは少ないベットでスロットを回して、内部構造を把握する)
コイン一枚の価値がそれなりに高いため、一枚を入れるだけで数回はプレイできる。
ベットする値段を上下させることで、当選確率を変動させられるのだが、どうせ細工できれば大当たりを引けるのだから確率などどうでもよかった。
(魔力で動いている以上、私の目を使えばすべてを暴くことができる。真新しい台なだけあってさすがに複雑な作りだけど、だいたいの機構は師匠の書庫で見たものの組み合わせだ)
スロットを回しながら、ドロセアは己の知識を総動員させて頭の中で筐体を解体していく。
(私のボタンを押すタイミングとリールが止まるタイミングはズレてる。人間が見てない分、仕掛けの方でカジノ側が損しないように調整されてるんだ。けどその“ズレ”を私が制御できれば――)
幸いなことに、何度か小さな当たりを引いたことで、コインは今のところほとんど減っていなかった。
儲けというよりは、コインに触れる頻度が落ちていることのほうが嬉しい。
ドロセアはさらに意識を集中させ、リールの停止タイミングを制御する場所を探していると、
「お嬢さんその手付き、さては素人ですね」
隣の男性が話しかけてくる。
ハットを被り、黒いタキシードを身につけた、初老ぐらいの白髪の男性だ。
正直、邪魔をしないでほしいという気持ちもあったが、せっかくなので情報を聞き出すことにする。
「ええ、初めてカジノに来たんです。ところでこのスロット、大当たりを引くとどうなるんですか?」
「ジャックポットですか。正面のケースを見てごらんなさい」
スロット台の前方には透明のケースがあり、そこには大量のミダスコインが詰まっていた。
また、ランダムなタイミングでケースの上部からコインが落ちてきている。
「あそこに溜まっているのは、他の客がスロットに投入したコインの一部です」
「すごい量ですね。あれは飾りなんですか?」
「いいえ、ジャックポットが出たらあのコインが支払われるのですよ」
「その仕組みだと――もしかして、かなりの長期間出てないんですか?」
「量を見る限りはそうでしょうね、それがさらに射幸心を煽るのです。まさに一攫千金、一晩で大金持ちになれるのですからね」
他のゲームを見ても、これだけの額を一気に稼げるものはない。
噂が事実なら、当てれば間違いなくミダスと会うことができるだろう。
(見つけた、この線だ)
ついにリールを自在に制御する方法を見つけ出したドロセア。
彼女はボタンを押すと同時に、シールドによってスロット台に干渉する。
思い通りの柄が三つ並び、大当たりを知らせる演出がはじまった。
台のいたる部分がまばゆく明滅し、音楽が鳴り響く。
「うわあ、なんだかすごい光ってるなあ。どうしたんだろう」
下手な演技でドロセアがそう言うと、隣の客は椅子から転げ落ち腰を抜かす。
「お、お嬢さん、それは……ジャックポットだ! なぜだ、なぜ私ではなく隣のお嬢さんがあぁあああ!」
そしてよほど悔しかったのか、床に寝そべり泣き出してしまった。
紳士をここまで変えてしまうのだからコインの魔力は恐ろしい。
冷めた目で男を見ていると、スロット台から大量のコインが溢れ出した。
ドロセアは思わず飛び退くように立ち上がる。
(危ない危ない、直に触れないように気をつけないと)
ここにきてまたコインにやられました、なんてことになったら笑えない。
リージェやイナギの助けも受けられないのだからなおさらだ。
すると、ドロセアは自分が人に囲まれていることに気づいた。
いつの間にかギャラリーが集まり、当てた本人を差し置いて大盛りあがりだ。
その熱狂っぷりは、溢れたコイン欲しさに襲われそうなほどだったが、いくら魔術に理性を奪われているとはいえ最低限の理性はあるらしい。
野次馬たちは一定の距離を保った場所から、スロット台を見つめている。
あるいは、それもまたコインで制御されている、ということなのだろうか。
人々を観察していたところ、ウェイターとは少し違う、黒いスーツ姿の男性が近づいてきた。
簒奪者ではないが、魔力もなかなか高い。
ただのカジノのスタッフというわけではなさそうだ。
彼はドロセアの前に立つと、にこやかな笑みで口を開いた。
「コインはスタッフがケースにまとめさせていただきます」
「ども、助かります」
「それが済むまでの間、お客様はこちらへ」
そう言って、ドロセアはどこかへ案内される。
マダムから聞いた話が本当なら、行く先はミダスの元なのだろうが――
「どこに向かうんですか?」
「あの額のジャックポットを当てられたのです、お祝いが必要でしょう」
「わあ、素敵ですね。お祝いまでしてくれるなんて」
またしても下手な演技をするドロセア。
彼女はカジノの奥にある、スタッフしか入れない扉をくぐると、さらに廊下を進んだ先にあった部屋に案内された。
スタッフ用の休憩室のような場所だろうか、机と椅子が置かれている。
「こちらで少々お待ちを」
バタンと扉が閉じると、すぐさまドロセアは周囲を観察した。
魔力濃度は街中より薄い。
また、異物が浮かんでいる様子もなかった。
「天使の輪はいない……か。ふぅ、まさか本当に中に入れるなんて」
今度は純粋な興味で室内を観察する。
しかしこの部屋自体は何の変哲もない、ただ休憩するためだけのスペースという雰囲気だ。
「本当にミダスと会えるのかな、それともすでに罠にかけられてるとか?」
それから待たされること二十分。
目を閉じ、不測の事態に備えて体を休めていると、例の執事が戻ってきた。
「ドロセア様、こちらへどうぞ」
再び別の部屋へと案内される。
通路をさらに進むと奥には両開きの扉があり、それを通り過ぎると内装の雰囲気ががらっと変わった。
まるで別の建物に入ったかのようだ。
「聞いてもいい?」
「答えられる範囲でしたら」
この際なので、ドロセアはストレートに尋ねることにした。
「ミダスは私を殺そうとしてるの?」
なにせ、すでに自分の名前が知られているのだから。
今さら良い子面しても無意味だ。
「いいえ、あのお方はドロセア様との対話をご所望です」
執事は表情一つ変えずに答えた。
まあ、彼も名前を呼んだ時点でそのつもりだったのだろう。
「ふーん……」
「あなたのことを気に入られたようですよ」
「嬉しくないな。殺そうとしてきたくせに」
会話はそこで終わった。
目的地にたどり着いたからだ。
促され、目の前のど派手なドアを開くと――そこにはカジノと同じぐらい装飾過多なパーティルームがあった。
部屋全体は様々な色のライトで照らされ、壁際にはなんと小さな滝が流れている。
中央には様々な料理が並ぶテーブル。
そしてソファには、両腕で女を抱き寄せる、色黒で筋肉質な短髪の男の姿があった。
無駄に胸元が開いた服を着た彼は、ドロセアを見つけると無駄に白い歯を見せて笑い、拍手をした。
「素晴らしい、俺の想像以上だよドロセア・キャネシス!」
皮肉ではなく――純粋な賞賛。
ドロセアにはそう感じられた。
だからこそ、むしろ不愉快だった。
「どういうつもり、ミダス・ルービン」
「王都での活躍は聞いていたが、実際に自分で確かめないと納得が出来ないタチでね。どうやって俺の元までたどり着くか観察させてもらったんだ」
どうやらこれまでの襲撃は、彼なりのテストだったらしい。
ふざけんな、と心のなかでドロセアは毒づく。
「まさかジャックポットを引いて堂々とここに入ってくるとは、いや驚いたよ、大した肝の据わり方だ。てっきり屋敷に侵入して襲われると思っていたんだがね」
「どうせ警備は万全だったんでしょ」
「ここより厳重だったよ。いやあ、台無しになっちまったなぁ」
台無しと言いながらも、ミダスは嬉しそうだ。
よほどドロセアの取った行動が気に入ったらしい。
「立ってねえでそこに座れよ、せっかくの料理が冷めちまう」
「もう一度聞くけど、どういうつもり?」
二度目の問いに、ミダスは少しだけ真剣な表情で答えた。
「俺が簒奪者どもと違う考え方で動いてるってのはもう知ってんだろ。アンターテたちとも話してたしな」
「やっぱりあの天使の輪を使って監視してたんだ」
「勝手に覗いちまったことに関しては謝る。けどあれはいつも浮かべてるんだ、あんたたちを狙ったってわけじゃないんだぜ?」
「それで、何が望みなの」
「対話だよ」
彼は両手を広げ、真っ直ぐにドロセアを見ながら言い切った。
「俺と語り会おうじゃねえか、侵略者と、この世界の未来について」
ドロセアとしては世界の未来なんてどうでもいいし、間違いなくミダスとは話が合わないだろうという確信があった。
だが現状、ミダスに殺意や戦意は感じられない。
対話を望んでいるというのも事実であるようだ。
侵略者に関する未知の情報が得られる可能性に賭け、ドロセアは彼の正面に座った。
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