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039 エンゼルヘイロー

 



 深夜に目を覚ましたドロセアは、自分の体に温かい感触が絡みついていることに気づいた。


 リージェが同じベッドに入って、抱きついているのだ。


 足まで絡めて、寝ているのに必死にしがみついている。


 その可愛らしさにほっこりする。


 一方、隣のベッドではイナギが布団を被って眠って――いない。


 彼女が寝ているはずのベッドはもぬけの殻となっていた。




「リージェ起きて」


「んぅ……おねえちゃん、わたしもすき……」


「リ、リージェっ、気持ちは嬉しいけど起きて!」


「……はぇ?」




 薄っすらと目を開き、ドロセアを寝ぼけ眼で見つめるリージェ。


 彼女はにへらと笑うと、力の抜けた声で言った。




「あ、おあようごじゃいましゅ」




 あまりのかわいらしさに震える。抱きしめて愛でまくりたい。


 そんな欲望をぐっと抑え、ベッドを出るドロセア。




「イナギがいないの。探しに行かないと!」


「あ……イナギさん、が? はれ、朝じゃない……はっ、お姉ちゃんもしかして緊急事態ですか!?」




 ようやくリージェは目を覚ましたらしい。


 顔つきが変わり、目もはっきりと開かれる。




「でもお姉ちゃんの体調は大丈夫なんですか? あのあと、気絶するみたいに眠っちゃったみたいですけど」


「頭は晴れてる、眠ってよくなったみたい」


「それはよかったです! ごめんなさい、魔術で治療できたらよかったんですが」


「薬の正体がわからないんじゃ対処できないのは仕方ないよ。リージェこそ寝起きで平気? ちゃんと立てる?」


「当たり前で……うひゃあぁっ!?」




 勢いよくベッドから飛び出るリージェだったが、すぐに転びそうになりドロセアに抱きとめられた。


 恥ずかしそうに顔を赤らめるその姿に、我慢できずに一回だけぎゅっと抱きしめる。


 だがすぐに離し、二人はイナギを探すべく部屋を出た。




 ◇◇◇




「夜なのに明るいですね」


「異様な雰囲気だね。私たちみたいな子供が立ち入っていい街じゃなさそう」




 色とりどりの蛍光色に照らされた夜の街は、昼間とはまた別の顔を見せていた。


 誰もが目をギラギラとたぎらせ、よりどす黒い金と欲望が渦巻いている。


 本当はリージェに見せたくもない光景、けどホテルに一人で置いておくわけにもいかない。


 ドロセアは、変なやつに絡まれたらすぐさま殴り飛ばす心の準備を済ませていた。


 そのおかげか、殺気立つ彼女に近づこうとする者はおらず、手を繋いだ二人は人混みの中を進む。




「イナギさん、どこに行ったんでしょうか」


「彼女の魔力量なら、ある程度まで近づけば見えると思うけど――このあたりにはいなさそうかな」


「わたしたちに内緒で出ていくなんて……」


「元から個人的な都合でアンターテを追い回してたみたいだし、今回もそれなのかもね。あいつらがこの街にいるのはほぼ確実だろうし」


「そういえば簒奪者(オーバーライター)らしき魔力の反応がいくつもあるって言ってましたね」


「うん、今もちらほら見えてるよ。ただ不思議なことにこっちを襲ってくる感じもしないんだよね」


「見張られているんですか?」


「いや――そいつら自身はただ街にいるだけ。私たちの存在に気づいていないのか、それとも彼らに監視させる必要がないのか」




 そう言ってドロセアは空を見上げた。


 意識を失う直前、彼女は確かにこの空に浮かぶ天使の輪のような物体を見た。




(薬が見せた幻覚だったの? それにしてはやけにはっきり見えてたけど)




 ドロセアの直感が正しければ、あれは侵略者(プレデター)に類するものだ。


 ならば魔力を持たず、右目で見れば“魔力の空白”が見えて判別できるはずなのだが――この街はあまりに視界が悪い。




「空……星が少ないですね」




 同じように天を見上げたリージェが、寂しそうに言った。




「街が明るすぎるんだよ」


「故郷に戻れたら、また二人でいっしょに空を見たいです」


「楽しかったよね。森で寝っ転がって、ただ星を見てるだけで」


「戻れるんでしょうか」


「戻るよ。やなこと全部片付けて、絶対に二人であの街に戻る」


「でも――」




 二人の願いは同じだとドロセアは思っていた。


 しかし、どうやらリージェは故郷に戻るのを恐れる理由があるようだ。




「きっとわたしは、前と同じ気持ちでお父様と接することはできません」


「リージェ……それは」




 自分を教会に売った父。


 大好きだった両親。


 きっとよかれと思ってやったのだと、リージェは今でも思っている。


 しかしその結果として、彼女やドロセアはこうして日常とは程遠い戦いに巻き込まれてしまった。




「もちろんわたしもあそこに帰りたいって思ってます。けど、あまりに色んなことが変わってしまっているから。当たり前の日常を、“前と同じ”ように過ごすことなんて、もうできないのかもしれません」




 そしてそれは父に限った話ではない。


 ドロセアも変わった。


 けどそれはリージェからすると“良い変化”で、前よりかっこよくなって、かわいさはそのままで、優しくて、心強くて。


 時間が空いても愛情は前と変わらず、何なら前より好きになったぐらいだ。


 けれどリージェの変化はどうだろう。


 変化というより、肉体の違いを自覚した、ということになるが――それは一つ、ドロセアと彼女との間に隔たりを生み出してしまった。


 そしてきっと変化はこれで終わりじゃない。


 簒奪者や侵略者との戦いの中で、もっと大きく、変わっていってしまうはずだ。


 故郷にいたあの頃とは、別物になるぐらい。


 けれどドロセアは変わらず優しく微笑んでいる。




「私は心配してないよ」


「どうしてですか?」


「一番大事な部分は変わってないから」




 おそらく、最も理不尽に変化に巻き込まれたのはドロセア本人だ。


 一番怖いはずで、一番逃げ出したいはずなのに、恐れずリージェの前を歩いてくれる。


 何が彼女をそうさせているのか――その答えは、




「私はリージェが大好きで、リージェは私が大好き。その気持ちがある限り、たとえ世界が変わったとしても関係ない」




 好きという気持ち。


 ただそれだけだった。




「私はここにいる、リージェが望む限りいつだって隣にいる。それでよくない?」


「はい……わかってます、わかってるんです……」




 ――だからこそ、情けなくなるのだ。


 あなたはそんなに真っ直ぐで、才能や道理すら蹴散らして自分を救ってくれたのに。


 どうして自分の気持ちは、こんなにもぐらぐらと揺れてばかりなのだろう、と。


 己の弱さを嘆き潤む瞳。


 するとそんな彼女の視界に、奇妙なものが映り込む。


 前方に黒い(もや)がどこからともなく流れてきたかと思うと、そこに長身で細身の男が現れたのだ。


 手の甲で涙を拭い、視界をクリアにすると、その男はリージェを見ていることに気づいた。




「お姉ちゃん、あれっ!」




 彼女が指差す方をドロセアも見る。




「カルマーロ!?」


「それって簒奪者の!」




 リージェが直に彼を見るのは初めてだ、ゆえにすぐに気づくことはできなかった。


 ドロセアが自分に気づいたことを察知すると、カルマーロは二人に背を向け人混みの中へと消えていく。




「お姉ちゃん、追いかけましょう!」


「いや……待って。あの動き、たぶん誘われてる」


「え? じゃあ、罠なんですか?」


「かもね。だとしても、負ける気はしないから踏み込むけど」




 すでにアンターテを圧倒できるほどの力を持っている。


 躊躇する必要はなく、ドロセアはリージェの手を握ったままカルマ―ロを追った。




 ◆◆◆




 街の片隅にある公園は、夜中になると静まり返るアーレムでは珍しい場所だ。


 ちらほらと怪しげな雰囲気のカップルなどもいたりはするが、人の目はほぼ無いと言える。


 街中でアンターテを発見したイナギは、数十分の及ぶ追いかけっこの末、彼女をここに追い詰めていた。




「しつこい」




 街灯だけが照らす薄暗い公園で、二人は対峙する。


 アンターテは心から嫌そうな顔でイナギを睨み、対するイナギは慈愛を感じる笑みを返す。




「お嬢様の傍にいるのがメイドの務めでございますので」




 いくらスカートを履いているとはいえ、腰に刀を提げたメイドがいてたまるか、と悪態をつくアンターテ。




「わたしはもうお嬢様じゃない」


「では継母(ままはは)の務めということで」


「もうカンプシアの家はどこにも無い、お前がみなを殺したから」


「アンターテが残っていれば十分でございます」


「わたしに必要とされていないのに?」


「心の叫びが聞こえておりますので。またイナギと一緒に暮らしたい、と」


「気持ち悪い、いつまでつきまとうつもり?」




 その問いに、イナギは自慢気に答えた。




「無論、揺りかごから墓場まで」




 迷いなく、淀みなく、洒落たジョークでもなく、文字通りそうするつもりだと言わんばかりに。


 そしてアンターテもまた、過去のしつこさから、それが本気であることを理解していた。




「だったらここがお前の墓場だ!」




 彼女は右手を地面にあてた。


 するとイナギの足元に術式が浮かび上がり、そこから巨大な氷の槍がせり出してくる。


 だが彼女は避けようとはしなかった。


 迫る尖った先端に向け、緑の術式が浮かび上がる腕を突き出す。


 目には見えないほどの速さで震える超振動。


 それを右腕に付与し、氷を受け止め――否、粉々に砕き消し飛ばした。




「アンターテ、かき氷は好きですか?」


「剣を抜くまでもないと」


「いかにも」


「だったら!」




 アンターテは氷の剣を生み出すと、それを手にイナギに襲いかかる。


 加えて彼女の周囲には氷の刃が浮かんでいる。


 サイズこそ先ほどの氷の槍よりも遥かに小さいものの、大量の魔力が凝縮されているため、殺傷力や硬度は通常の氷とは比べ物にならない。


 金属の剣すらもたやすく砕いてしまうほどの凶器である。


 さすがのイナギもそれら全てを一瞬で破壊することはできないのか、まずは剣を避け、少し遅れて襲ってくる刃を舞うように回避しながら、そのうち数本を手のひらで砕く。


 その後、彼女は刃を避けては砕き、という動きを何度か繰り返した。


 振るっても振るっても剣がイナギに届くことはなく、アンターテの表情には明らかな苛立ちが浮かぶ。




「あなたの動きは全て見抜いております、わたくしが教えたものでございますので」


「違う、わたしの師はエレイン様ただ一人!」




 苛立ちに任せ、氷の刃の数を増やしてさらにイナギを攻め立てる。


 すると彼女は脚部と腕部に風の魔術を付与し、己の肉体を限界まで加速させた。


 残像しか見えないほどの高速移動で、生成された刃全てに触れ、それらを超振動で破壊する。


 生み出された自慢の氷は一瞬にして砕け、キラキラと光を反射しながら舞い散った。


 着地したイナギは、挑発するように微笑む。




「甘いでございますね。わたくしとアンターテの未来ぐらい甘い」


「ほんっとうに気持ちが悪い」


「愛情が足りぬと責めたのはアンターテではないですか、こういうわたくしがお望みだったのでしょう?」


「違う! お前が何を言おうと――」




 二人の間には明らかな力量差があった。


 だが、アンターテは諦めない。




「“代用品”を求める限り、お前の言葉はわたしに響かないッ!」




 再び剣を手に、イナギに斬りかかる。


 アンターテが繰り出した斬撃は、その切っ先の向こうにある空気を凍りつかせ、巨大な氷の壁が公園を分断した。


 もっとも、イナギは軽くそれをかわしていたが。




「とうの昔に割り切っていると言っておりますのに……おや、お客様のようでございますね」




 イナギとアンターテの視線が公園の入り口に向く。


 見えたのは、必死の形相で外に逃げるカップルたちと、逆に中に入ってくるカルマーロ――そしてドロセア、リージェの三人だった。


 奇妙な組み合わせに、アンターテは思わず声を荒らげる。




「カルマーロ、どうしてドロセアを連れてきた」


「イナギ。引き取り。頼んだ」


「必要ない! ここでわたしがイナギを殺せば済むこと」


「アンターテ、イナギ、勝てない」


「そんなことない、わたしは勝てる!」




 そう言って、右腕に力を込めるアンターテ。


 すると前腕が内側からぼこぼこと泡立つように蠢きだした。


 かなりの痛みが生じたのか、彼女は苦しげに顔をしかめ、歯を食いしばっている。




「わたしを殺すために命を捨てるつもりございますか?」




 イナギはアンターテを諫めるように言った。


 だがその言葉はアンターテには響いていない。




「ついでにドロセアも殺せばエレイン様は、この世界は救済にさらに近づく。そこにわたしの命を使えることは喜びでしかない」


「あの女は、命の価値というものをアンターテに教えなかったのでございますね。任せたわたくしの見立て違いだったようございます」




 心から軽蔑し、イナギは吐き捨てる。


 対するアンターテはその言葉に憤った。




「エレイン様を侮辱するな」


「アンターテがもっと真っ直ぐに育っておりましたら、褒め称えていたのでございますが」


「わたしのせいだと?」


「世界の救世主様とやらには、子育ての才能はなかったようでございます」




 そんなやり取りを聞いていたドロセアは思わず口を挟む。




「イナギ、その調子で皮肉ってるからアンターテに嫌われるんじゃないの」


「アンターテの要望に応えて愛情をむき出しにしているのですが、一緒に感情も出てきてこうなってしまうのでございます」




 イナギは「いやあ、反省反省」とまったく反省していない様子で頭をかいた。


 その頃、アンターテの元にはカルマーロが近づき、彼女を羽交い締めにしている。




「離して、わたしはあいつを殺す!」


「無理。ここは退く」


「殺せる! あの力を使えば必ず!」


「違う。間違い。命、捨てる場所、ここ違う」


「いいから離せっ!」




 強引に振り払われると、カルマーロはよろめき倒れそうになった。


 確かに彼はひょろ長い体をしているが、決して貧弱ではないはずだ。


 異変を感じ取ったアンターテが彼を見ると、その肩は血で汚れていた。




「カルマーロ、あなたその腕……!」


「私が斬ったの」




 カルマーロはドロセアをここに連れてくるために誘い出したわけだが、彼女が大人しく誘導に従うわけがない。


 一定の距離を取ろうとするカルマーロの不意を突き、一撃お見舞いしたのである。


 無論、あの程度の傷でテニュスの一件を許すつもりなどないが。




「撤退って言ってるけど、逃げられるつもりでいるの? イナギの目的を尊重して今は大人しく話を聞いてるけど、私からするとあなたたちを殺す理由しかないよ」




 “守護者”の圧倒的な力――その恐怖はアンターテの体に染み付いている。


 彼女はドロセアを睨みつけながらも、攻撃を仕掛けることはできないでいた。




「その前に一つ確認したいんだけどさ、あんたたちって侵略者(プレデター)ってやつと手を組んでるの?」


「あれとわたしたちが同類だと? 冗談だとしても許せない」


「ふーん……でもお仲間には繋がってるやつがいるみたいだけど」


「仲間割れを狙っているつもり?」


「違うって、仲間がいるかどうか知らないし。ただ、簒奪者の痕跡を追っかけてたイナギが、その証拠を隠滅してた侵略者と遭遇したの。寄生されて大変だったんだから」


「イナギに寄生を!?」




 侵略者による寄生の危険性はアンターテもよく知っている。


 そのため反射的に、イナギの身を案じるような声をあげてしまった。




「心配してくださるのですね」


「っ……」




 嬉しそうなイナギとは裏腹に、気まずそうに顔を背けるアンターテ。




「イナギさんの傷は小さかったんです。まさかあれだけで体内に入り込まれるなんて……」




 リージェはあの小さな異形を思い出し、唇を噛んだ。




「それに関してはわたしたちは知らない。少なくともわたしとカルマーロは侵略者を潰すために戦ってるし、エレイン様の目的もそう」


「そっか、じゃあ簒奪者の中に裏切り者がいるわけだ」


「まだそうと決まったわけではない」


「ちなみに、ここの空にも侵略者が浮かんでるよ」




 ドロセアが空を指さしながら言うと、アンターテとカルマーロも天を仰ぐ。


 そこにあるのは、真っ暗な夜空だけだった。




「どういうこと? わたしには何も見えない」


「このあたりは人が少ないから、はたまた別の何かが減ったからか、大気中の魔力量が比較的少ないんだよね。おかげで見えるようになったよ――」




 一方でドロセアの右目には、ぼんやりとではあるがその形が浮かび上がっていた。


 大気や生物を満たす魔力。


 それが一切存在しない空間――つまりそこには、魔力を持たない何者かが存在している。


 直径はおよそ一メートルほど、ドーナツ状で、翼も無いのに空に浮かぶ謎の物体。




「天使の輪」




 ドロセアは薬に冒されていたとき浮かんだ単語を、そのまま口にした。





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[気になる点] 034話でも“大切なもの”って口走ってたし…もしかしなくてもツンデレなんでしょうかね…? カルマーロはアンターテのツンデレを元から知ってたのか地味に気になる…(苦笑)
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