006 飢えた獣
家に戻ってきたドロセアは、マヴェリカに案内され地下室にやってきた。
やけに厳重な鍵を開き中に入ると、そこには家の大きさからは想像できないような、広々とした書庫が隠されていた。
「す、すごい量の本……これ全部、師匠が集めたんですか?」
「昔からの趣味でね、時間をかけてコツコツ集めたのさ」
「どれだけ時間をかけたらこんな数が集まるんですか……噂に聞く王都の図書館と同じぐらいあるんじゃないですか!?」
「それは買いかぶり過ぎだよ。魔術書に関しては同じか、それ以上に揃ってるだろうけどね」
よほど自信があるのか、マヴェリカはそう言い切った。
確かに並んでいる本の大半は魔術に関するものばかりだ。
ドロセアは今のところ、“魔女”の正体を知らないまま師事しているが――知るほどにその謎は深まるばかりだ。
「師匠って、実は伝説の魔術師みたいなやつだったりします?」
「はははっ、何だいみたいなやつって。少なくとも世間一般に知れ渡った有名人ではないよ」
「でも個人でこんな量の本は集められません」
「人生の大半を魔術の研究に費やしてきたからねえ。森の奥に引きこもってそんなことしてる偏屈な魔女なのさ」
はぐらかされた気もしたが、ドロセアはそれ以上の追求はしなかった。
それより今は、目の前にいる知識の山だ。
「これだけの本があれば、世の中に存在する魔術の大半は理解できそうです」
「甘いねえドロセア、魔術の世界は想像してるよりずっと深いよ?」
「そうなんですか?」
「例えば同じファイアボールの魔術でも、人によって微妙に術式が違ったりもするんだ。おそらく魔力結合の形状も微妙に違うはずだよ」
「人の数だけ魔術があるってことですか」
「そういうことさ。とはいえ基本となる術式の形はあるから、それを覚えておけば対処はしやすくなるだろう。あとは教会の連中が独占してる回復魔術に関する本もここには無い。あいつらはガードが固くて困ったもんさ」
「でも回復魔術で攻撃されることはありませんから」
「とはいえ、模倣したい魔術ナンバーワンだろう? まあ無いものは無いとしか言えないんだが」
怪我や病の治療ができないのは残念だが、そもそも受けなければいいだけのこと。
シールドを極めればそれも可能なはずだと、ドロセアは信じていた。
「シールドで魔術を模倣できるということは、知識を増やせばドロセアはそれだけ強くなる。ここにある本は好きなだけ読むといい」
「ありがとうございます! ですが……さっきみたいに師匠に手伝ってもらった上に、一時間もかけてたんじゃ使い物になりませんよね」
「そこは訓練あるのみってやつさ。実戦で使えるようになるまで時間はかかるだろうけどね」
「リージェを取り戻すまでの道のりは長いですね……急がないといけないのに」
今朝の幻覚なのか現実なのかわからない現象を思い出し、ドロセアの表情が曇る。
「聖女なんて呼び方してまで持ち上げてるんだ、教会も危害を加えたりはしないだろうさ」
確かにマヴェリカの言う通りではあるのだが、だからこそドロセアは不安なのだ。
「何で教会は、急にリージェのことを聖女って呼び出したんでしょうか」
ドロセアは信者というわけではないが、多少は教会のことも知っている。
この世界を生み出したと言われる創造神ガイオスを信仰する、王国で最も大きな宗教だ。
しかしその枠組の中に、聖女なる役職は存在しないはずであった。
「さてねえ、連中の考えることはよくわからんよ」
「師匠は教会に詳しいんですか?」
「この国に生きてれば自然と知られる程度のことしか知らないよ。ただ、連中がS級魔術師をほしがった理由はわかる」
「力を欲したわけではないんです?」
「どちらかというと権力の方じゃないかねえ」
嫌な単語を聞いてドロセアは眉をひそめる。
「教会は、回復魔術を創造神ガイオスの恵みであると解釈し、王国における魔術による医療を実質的に独占してきた。その恵みによって生まれた信仰心を国王が利用し民衆の支持を集めてきた一面もあるから、王国と教会は持ちつ持たれつの関係とも言える。けど一方で、王国は教会が力を持ちすぎるのを恐れてきた」
「王国より教会の方が強くなったら意味がないですもんね。でもそれなら、S級魔術師は渡したくないはずでは」
S級魔術師は、存在だけで国の勢力図を大きく変える。
等級は魔術師の才能を示すだけなので、S級魔術師でも訓練しなければ絶大な力を振るうことはできないのだが、今やその称号だけが独り歩きしていると言っても過言ではない。
「そうだねえ、教会は“リージェは聖女である”と喧伝することで、自分たちの存在感をさらに大きくしたかったんじゃないかな」
「どうして王国はそれを許したんでしょうか」
「裏で政治的な取引が行われたのは間違いないと思うよ」
「そんなっ、リージェを政治の道具にするなんて!」
拳を強く握りしめるドロセア。
その言葉にはかなり深い憎しみが滲んでいる。
あんな目に合わされたというのに、自分の被害よりもリージェを利用された方に憤るあたり、その執着心はかなり強そうだとマヴェリカは感じた。
「そうなってくると、教会側もそうそう簡単にリージェを手放してはくれないだろうねえ。ドロセアはS級魔術師よりも強い力をご所望だったけど、それだけ大きな力が必要だっていう認識は間違ってないと私は思うよ」
「私……できるだけ早く、ここにある本を全部頭に叩き込みます。魔術の模倣だけじゃない。知識はシールドを使った魔術の分解にも役立つはずですから」
先ほどドロセアは、シールドに凹凸を作ることで効率よくマヴェリカの魔術を防いでみせた。
だがあれはあくまでその場での思いつきにすぎない。
魔術の種類によって、適したシールドの使い方があるはずなのだ。
「あまり根を詰めすぎないでおくれよ、まだ本調子じゃないだろうからね。繰り返しになるけど、教会にとってもリージェは大事な存在なんだ、丁寧に扱われるだろうさ」
「わかってます……わかってるんです……」
それでも、一刻も早くリージェを連れ出してあげたい。
強い思いゆえの悔しさに、歯をぐっと噛みしめるドロセア。
だがこればっかりは、彼女自身が強くなる意外に解決する方法が無い。
「それと、ご両親のことだけど」
「ああ……両親には手紙を送ろうと思ってます。近くの村まで行けば送れますよね?」
そう尋ねると、とたんにマヴェリカは難しい顔になる。
「もしあんたを魔物化させた薬とやらが教会が作ったものなら、あまり良くないことになる可能性はある」
「お父さんとお母さんが狙われるっていうんですか!?」
「魔物化してた間も意識があったんなら私の独り言を聞いてたと思うけど、魔物になった人間ってのは珍しい存在なんだ。おそらく現状では自然発生はしない、肉体に何らかの細工をした者だけがそうなる」
「あの薬のせい、ですよね。でもあれってエルクが勝手に使っただけで、私には教会に狙われる理由なんて無いと思います」
「狙われた理由はさておき、あまりに簡単すぎるのさ」
「簡単?」
「前に人間の魔物化の実験をしてた連中はもっと手が込んでた」
「前に実験をしてた人たちのこと知ってるんですか」
「……まあね」
彼女は明らかに何かを隠している――だが今はそれを聞くときではない。
疑問を軽く流し、ドロセアは話を続けた。
「考えてもみな。もし薬を飲ませるだけで魔物になれるなんて代物が世に出回ったとしたら――」
「偉い人に飲ませたら大変なことになりそうです」
「しかもそれを権力を欲しがってる教会が持ってるわけだ。どうなると思う?」
「まさか、それを使って王国を……!」
「行き過ぎた想像かもしれないけどね。ありえない話ではないし、そうなると魔物化から生還したドロセアっていう存在が知られれば、教会は否が応でも動き出す。治療法なんて見つけられたらたまったもんじゃないからねえ」
「自分が生き延びたかっただけなのに、そんなことに……」
「とはいえこれは悪い想像に過ぎない。けど念には念を入れるに越したことはない」
「じゃあ……私が生きてること、両親には伝えない方がいいんでしょうか」
落ち込むドロセア。
ドロセアの両親は、今ごろ娘の死により深い悲しみに包まれていることだろう。
別に会いたいとまでは言わない。
一刻も早くそこから解放できれば――それだけでドロセア自身の気持ちも楽になるのだ。
無論、マヴェリカもそれは理解していた。
彼女は腕を組み、「うーん」と頭をひねる。
「ご両親の口は硬い方かい?」
「だと、思ってます。尊敬できる両親です!」
「だったら、手紙ぐらいはいいってことにしておこう……甘いかもしれないけど、いざとなれば私が責任を取るさ。ただし、両親以外に口外しないように念押ししとくんだよ?」
「は、はいっ!」
「手紙ができたら渡しておくれ、私が近くの村まで持ってくから」
「ありがとうございます、師匠っ!」
勢いよく頭を下げるドロセア。
彼女がその日のうちに手紙をしたため、マヴェリカに託したのは言うまでもない。
◇◇◇
それからドロセアの鍛錬と探求の日々が始まった。
マヴェリカと二人三脚で、シールドによる魔力制御を研究し、暇さえあれば書庫にこもって魔術の知識を頭に叩き込む。
さらには異なるシールドの使い方を生み出し、可能性を探っていた。
「随分と剣らしい形にはなってきた、でしょうか」
修行を初めて二週間。
今日もドロセアとマヴェリアは、家の前に出てシールドで様々な実験を行っている。
現在、ドロセアが握っているのはシールドで作り出した剣だ。
「そうだねえ。こればっかりは私も専門外なのが困ったもんだ」
武器の生成と、それを用いた近接戦闘。
今やドロセアはシールドで複雑な術式を作り上げることすら可能なのだ、形を変えて剣を作る程度はお手の物――だと思われたのだが。
「使い慣れたクワとか斧ならすぐに作れるんですけどね」
残念なことに、ドロセアには武器に関する知識が無かった。
農家の娘であるため、畑を耕すための道具や、薪割りのための斧やナタを作ることはできても、戦闘で用いるような片手剣は生み出せない。
そのため、わざわざ近隣の村まで足を運び、鍛冶屋で剣を観察したりもした。
その甲斐もあって形にはなってきたのだが――
「どちらにせよ物足りないというか、心もとないねェ」
「私もそう思います」
模倣魔術や、魔力分解などに比べると、いささかインパクトに欠ける。
加えて、剣を扱ったこともないので、素振りをしてもどうにも格好がつかない。
「かっこいい、というよりはかわいい方が先に来る」
「剣を振ってるのにかわいいって言われても嬉しくないです!」
「そうかい? 私は見ててほっこりしてるよ」
「むぅ……とりあえずしばらくは素振りして、これで薪割りもやって手に馴染ませていこうと思います」
「そうまでして近接戦闘にこだわる必要があるのかい?」
「魔術の模倣をやっていて気づいたんです。仮にこれを極めたとしても、ゼロ秒で魔術を発動することはできない、と」
ドロセアは森で何度も獣と遭遇したことがある。
父親に連れられて狩りに行ったことも。
そのときに体感している。
実戦においては、わずかな隙であっても命取りになりうると。
「確かに理論上はあらゆる魔術を使えますが、頭でイメージして使える通常の魔術よりも手間がかかると思うんです。その間を埋めるために、身に着けておいて損はないはずなんです」
「戦うことを前提としているわけか」
「リージェを取り戻すのが目的ですから、研究だけではこの手は届きません」
ドロセアは剣を握る手に力を込め、王都にいるはずのリージェを想う。
しかし手の届かない相手を想っても虚しくなるだけだ。
こみ上げる寂しさに唇を噛む。
見かねたマヴェリカは言った。
「まあ、体を動かすのも気分転換にはなるだろうからね」
「そうですね、森の中を走っていると心がやすらぎます」
「さすがに自然の中で育ってきただけはあるね」
「師匠はそういうことありません?」
「こんな森の中に引きこもってるような女だよ? できるだけ体は動かしたくないと思ってる」
「そんなものですか……」
「もしかしてドロセアが毎朝走ってるの、あれ体力づくりじゃなかったのかい?」
「それも兼ねてますけど、純粋に楽しいって方が大きいです。リージェともよく森で遊んでましたから」
「元気だねえ。わたしゃ村まで行くのもだるくてしょうがないのさ」
「師匠は若いじゃないですか」
「……若い、ねえ」
なぜか遠い目をするマヴェリカ。
実際のところ、彼女が何歳なのかをドロセアは知らない。
見た目だけで言えば二十代半ばぐらいなのだろうが、そんな年齢であの大量の本を集めることができるだろうか、
「そういや、そろそろ村に行かないと夜に間に合わなくなりそうだねえ」
「私が行きましょうか? 弟子なんですから、雑用は任せてください」
「いいや、私が行くよ。自分で買わないとわからないものもあるんだ」
「……ですか。では、いってらっしゃいです!」
「ああ、いってきます」
手を振るマヴェリカの表情は、出会った頃より随分と柔らかくなった。
何だかんだ、初めての弟子というやつに彼女も緊張していたのかもしれない。
手早く準備を済ませ出発したマヴェリカを見送ると、ドロセアは再び自らが作り出した剣と向き合った。
◇◇◇
数時間後、近づいてくる気配に、ドロセアは剣を振る手を止める。
森は彼女にとっての庭だ。
故郷とは違う場所ではあるが、わずかな音の変化で生物の接近を感知することはできる。
そしてその足音が、マヴェリカとは違うものであることもわかっていた。
「こんな場所に人が……?」
訝しむドロセア。
数秒後、姿を表したのは長身で逞しい体をした中年の男性だった。
髭を生やしたその顔つき、そして鋭い目つきからは、言い知れぬ迫力がにじみ出ている。
加えて、男は軽めの鎧を身につけ、腰には剣までさげている。
しかも手の甲にはA級魔術師の刻印――警戒するなという方が無理な話だ。
男はドロセアの姿を見つけると、驚いた表情を見せた。
「君は……マヴェリカさんの知り合いか」
「師匠をご存知なんですか」
「師匠だと? つまり君は――マヴェリカさんの弟子、だと?」
「そういうことになってます」
警戒と困惑。
ぎこちない空気が二人の間に漂う。
「驚いたな、あのマヴェリカさんが弟子を取るとは……頑なに拒否してきたというのに」
男が独り言を言っている間に、ドロセアはさらに彼を観察する。
鎧や剣の繊細な装飾からして、野盗の類ではない、正規の軍の人間だろう。
弟子と聞いて放たれる威圧感は幾分か緩んだが、なおも圧迫感は強く、森の獣たちも警戒してか距離を取っており辺りは静かだ。
「そう警戒するな、私はマヴェリカさんの知り合いだ。まあ――この風体を見て怪しむ気持ちはわかるがね」
「師匠なら村に買い物に出てます」
「タイミングが悪かったな、しかし夜になるまでには帰ってくるか。ああ、自己紹介がまだだったね。私はジン・エフィラムだ」
ドロセアはどこかで聞いたことがある名前だと思ったが、すぐには思い出せなかった。
「ども、私はドロセアです。ジンさんは何の御用で?」
「用事というか、定期的にこうして会いに来ていてね」
「もしかして……」
「そういう関係ではない、安心してくれ」
食い気味に否定するジン。
そこまで必死になるなんて怪しい、とドロセアはさらに訝しんだ。
「ところでドロセア、君は面白いものを持っているようだな」
「これですか?」
ドロセアの手には、シールドで作られた剣が握られている。
最弱魔法たるシールドをわざわざ変形させて剣にする人間なんて、見たことがなくて当然だ。
「ジンさんが本物の剣士なら、お見せするには恥ずかしいものですが」
「謙遜する必要なない。シールドで剣を作るとは器用なものだ」
「まだ握ったばっかりで、ぜんぜん身については無いんです」
「では君はこれから剣の道を歩もうとしているわけか」
「選択肢の一つだと考えてます」
ジンは顎に手を当て、再びぶつぶつとつぶやく。
「剣術はマヴェリカさんの専門外……いやシールドの扱いは範疇に含まれてるとも言えるが、さすがの彼女でも教えるのは難しいか……」
「師匠は一応、魔術の方を教えてくれてます。剣術は私がやりたいって勝手に言い出しただけなので、本を見て見様見真似という感じです」
「そういうことか。では多少は私がお節介しても問題は無いのだな」
「お節介?」
首を傾げるドロセアの前で、男は剣を抜いた。
見ただけでわかる、ドロセアが握っているシールドで作ったまがい物とはあまりに出来が違う。
「剣の道で迷っている少年少女を見ると手伝わずにはいられない性質なんだ」
「……教えてくれるってことですか?」
「それなりに腕は立つつもりだよ」
具体性は無いが、強い自信を感じる言葉だった。
自己主張の程度は、マヴェリカとも少し似ている。
こういう輩に限って尋常ならざる力を持っていたりするものだ。
「では、お願いします」
かといって、まだ信用したわけではないが――教わる相手がほしいと思っていたのも事実。
「まずは好きに私に打ち込んでくるといい。君の力量を計らせてもらう」
そう言って微笑むジンに、ドロセアは全力で斬りかかった。
◇◇◇
陽が傾き空が茜色になった頃、マヴェリカは森の中を歩いていた。
森の奥に暮らしているのはマヴェリカだけなので、当然のように道は舗装されていない。
しかし日常的に通っているため、人間が通るのに十分な広さは確保されている。
獣たちもマヴェリカの力量を理解しているのか、遠巻きに様子を見るだけで襲ってきたりはしなかった。
「いやあ、今日はいい買い物だった。狙ってた薬草も手に入ったし、これさえあれば魔物化した肉片の分析も――ん?」
家に近づいてくると、何やら聞き慣れない音が響いていることに気づく。
「ドロセア一人にしては騒がしすぎるねえ」
足を止めたマヴェリカの表情が険しくなる。
彼女の足元に緑色の風の術式が浮かび上がった。
一気に加速した魔女は、道を塞ぐ木々を華麗に避けて一瞬で家にたどり着いた。
そこで彼女が見たものは――
「いいぞ、その調子だ。もっと積極的に踏み込め!」
「はあぁぁあああッ!」
「荒削りだが力強い一撃だ、随分と見れるようになってきたじゃないか!」
「まだまだ、行けますッ!」
「構わん、次は続けて打ち込んでみろ!」
汗と土にまみれたドロセアが、ジンと剣で打ち合う姿だった。
「これは……そういやジンのやつが来る時期だったか」
マヴェリカは知人の来訪をすっかり忘れていた。
とはいえ決まった日時に来るわけでもないので、こうして入れ違いになることも珍しくはない。
それよりも――マヴェリカが驚いたのは、目の前で繰り広げられているその光景だ。
「あれ、本当にドロセアなのかい?」
今朝見たときは、もっと拙い動きをしていたはずなのに。
今はまるで、長い鍛錬を積んだ本物の剣士のようだ。
少女の細くしなやかな体を使った素早い連撃。
だが同時に、体のバネを使ってできるだけ体重を乗せ、一撃一撃を重くしようという工夫が見られる。
ジンも体はあまり大きくは無い方だ。
ゆえに彼の使う剣術にも似たような傾向はあったが――
(いくらお手本が目の前にあったとはいえ、ほんの数時間で真似できるもんじゃないよ)
だが事実として、それをやってのけたドロセアが目の前にいる。
「おや、どうやらマヴェリカさんが帰ってきたらしい。次が最後だ」
「はぁ、はぁ……わかり、ました」
「残った力を振り絞って、全力で来るんだ」
「はい、出し尽くします! てやあぁぁぁああああッ!」
掛け声とともに剣を振り上げ、力いっぱい斬りかかるドロセア。
甲高い金属音が響き渡り、火花が散った。
ジンは笑みを浮かべる余裕すら見せながら、その斬撃を軽く受け止める。
「ほんの数時間で見違えたな」
「……まだまだです」
「それは当たり前だ」
そう言いながらも、ジンはどこか満足げであった。
「私より師匠らしいことしてないかい……?」
それを見つめるマヴェリカの胸には、なぜか嫉妬心が渦巻いていた。
◇◇◇
家に戻ると、ジンとマヴェリカは居間に移動し、テーブルを挟んで腰を下ろす。
ドロセアは汗を流すためにシャワーを浴びに行った。
「一人で行かせて大丈夫なのか」
「ドロセアのことなら平気だよ」
「Z級魔術師ではあの欠陥シャワーは使えないはずだが」
ジンはマヴェリカの家に備え付けられたシャワーにあまりいい思い出がないようだ。
そもそも、こんな森の奥まで水道が通っているはずがない。
つまりそのシャワーは、魔術で水を出すことを前提とした設備なのである。
ジンの手の甲にはA級魔術師の刻印が記されているが、彼の使える魔術は風属性。
相性の問題で、水属性の魔術を使うことはできないのである。
「問題ないって言ってるだろう?」
「得意げに言うのだな。あらゆる属性を操るマヴェリカさんはともかく、Z級魔術師がどうやって……てんで想像がつかんな」
「頃合いがきたらあんたにも教えるよ」
「もったいぶるのだな。まったく、どこで拾ってきたのやら」
「……」
「なぜ気まずそうに目をそらす」
「いや、それは……」
さすがに『生きたまま解剖しちゃいました』と話すには勇気がいる。
だがドロセアがここに来た経緯を語るには避けては通れない。
「一つ確認しておきたいのだが、ドロセアを弟子にした理由は剣術の才能を見込んでのことか?」
「私が剣術を教えるわけないだろう」
「そうだな……」
「何だい、まさかドロセアが剣術の天才だとでも?」
「ああ」
即答するジンに、マヴェリカは困惑した。
「ああ、って……」
「私が彼女に剣術を教えたのはほんの数時間、しかも最初は完全な素人だった。それが最後は――」
「素人目でも、見れるようにはなってたねえ」
「玄人目でも同じ感想だ。まだ一人前とは言えないが、一日の成長速度としては異常を言わざるを得ない。言葉だけでなく、私の細かな動きまで観察し、それを自ら取り込んでいく、驚くべき吸収能力だ。しかも戦いの中で私の剣を参考に、シールドの形状も調整していたらしい」
「そういえば打ち合っても壊れてなかったねえ。私が知る限り、今朝の段階ではそこまでの強度は無かったはずなのに」
「最終的にはほぼ私の剣と変わらないぐらいの切れ味になっていたぞ」
「そりゃ悪いことをしたねえ」
「気にしていない、驚きの方が大きかったからな。しかし、理由が剣術でないとなると、彼女を弟子にした理由は何だ?」
「弟子にした事情は後で話すけど――たぶんそれ、剣術に限った話じゃないんだよ」
「と言うと?」
マヴェリカは、きっと自分の教え方がうまいのだろう、ぐらいに考えていた。
だが魔術とは異なる剣術の分野で、ジンまで同じことを言い出したとなると、調子に乗ってもいられない。
紛れもなくそれは、ドロセア自身の才能なのだから。
書庫を解放してから、彼女は驚異的な速度で魔術書を読み漁りはじめた。
専門用語が多く読みにくいはずの本を、異様な速さで理解し、一文字も漏らさず記憶し、そして実戦へと活かす――
今日のシャワーにしたってそうだ。
すでに彼女は水の魔術を模倣できるようになっている。
いや、それどころか低位の魔術とはいえ、ほとんど全ての属性を網羅していると言っても過言ではないだろう。
魔術の模倣にかかる時間だって、一時間からすでに一分程度まで短縮されている。
マヴェリカにとって初めての弟子ということで、張り切ってどういった指導をするか予定表なんてものを作ってみたりもしたのだが、早くも紙くずと化している。
あまりにも成長速度が早すぎるのだ。
そんな怪物が、なぜ今まで田舎の農村なんかに収まっていたのか、不思議で仕方がなかった。
「あの子は力に飢えた獣だ、与えたものを何もかも取り込んで糧にしていく」
ドロセアは狂的に飢えている。
その飢えの原因はわかっている。
リージェだ。
親友であり家族でもある大切な存在――それを失った穴を他にもので埋めようと、片っ端から食い尽くす。
しかしそれでドロセアが満たされることはないだろう。
彼女は飢え続ける。
飢えが続く限り貪り続ける。
「なぜそこまで力を欲しがるのか、実に気になるな」
飢え、という言葉を聞きジンはドロセアへの興味をさらに強める。
よほど剣術の教えがいがあったのだろう。
「その前に確認しておきたいことがある。今日、あんたが話そうとしてる内容に教会に関する話題は含まれてるかい?」
「何か掴んでいるのか」
「やっぱりね。掴んでいるってほど大げさな話じゃないけど、聖女リージェの話はこっちまで届いてるよ」
「そうか……」
「何だって教会はあんな真似を? そしてどうして王国はS級魔術師を連中に渡したんだい」
ジンは困った様子で軽くため息を付いた。
「少し前に陛下が体調を崩された」
「サイオンの坊やが!?」
「もう長く保たないという噂が流れ、第一王子派と第二王子派の派閥争いが起きたわけだ」
「王子たちの仲はよかったはずだよねえ」
「もちろん本人不在でな」
「はぁ……それで教会の協力を得るために、S級魔術師の保有を許可したやつがいると。で、実際はどうなんだい?」
「陛下はしばらく静養すれば実務に戻れる」
「かき回され損じゃないか」
「暴走した貴族連中の調査と取締りで騎士団は大忙しだ」
「王牙騎士団は特にだろうねえ。団長ともなればなおさらだよ」
王国に騎士団は数個存在するが、国を守るという主な目的は共通しているものの、役割はそれぞれ異なる。
王牙騎士団はその名の通り、王の牙となり王国中を駆け回り平和を乱す邪魔者を排除する正義の騎士団――ということになっているが、実際は汚れ仕事を請け負うことも多い。
「だが王国の問題はまだいい、どうせじきに収まる」
「サイオンの坊が国王の椅子に戻ればそうなるだろうね。教会の方はどうなんだい」
「マヴェリカさんも知っての通り、教会には大きく二つの派閥が存在する。一つは創造神ガイオスを信仰する真っ当な主流派。もう一つは教会という“組織”のために動く改革派だ」
「聖女を欲しがったのは?」
「それに関しては両方と言える。S級魔術師の保有はガイオスの恵みを欲する主流派にとっても大きな意味を持つからな。だが、実際のところ聖女を管理しているのは改革派の方だ」
「だろうね……」
二つの派閥の利害が一致したとはいえ、積極的に“力”を欲しがるのは信仰心の弱い改革派に決まっている。
ジンの話をそこまで聞いて、マヴェリカは席を立った。
そして隣の部屋からガラス瓶を持ってくる。
中は液体で満たされ、さらに紫色の肉片が浸されている。
「これは?」
「魔物化した人間の肉片だよ」
「例の組織の被害者がまた見つかったのか!?」
「あそこは私らで徹底的に潰したじゃないか、もういないよ。これは……教会の手によるものさ」
「馬鹿な……あのときは教会も協力したはずだぞ!」
教会の裏切りに強い憤りを感じ、思わず立ち上がるジン。
「被害者は誰なんだ?」
「ドロセア」
「何を言っている、彼女は人間のまま――」
「戻ったんだよ、自力で」
あまりの驚きに言葉を失ったジンは、見開いた瞳でマヴェリカをじっと見つめた。
だが何かを思い出したのか、こわばった体からふっと力を抜き、うつむきつぶやく。
「……そこまでの特異な能力の持ち主だからこそ、大魔術師の弟子になれたわけか」
「言っておくけど、私はそのつもりはなかったからね。ドロセアが望んだんだよ、弟子にしてくれって」
「マヴェリカさんの素性を知った上でか?」
「いんや、何も知らずに」
「見る目があるな」
「私もそう思う」
張り詰めた場の空気を和ますように、冗談っぽくマヴェリカは微笑んだ。
ジンも椅子に座り直し、落ち着いた様子で問いかける。
「それで、ドロセアの魔物化を解除したのは――いや、先に魔物化させた方法から聞かせてもらえるか」
「薬を飲ませただけだとさ」
「それだけか?」
「だけみたいだよ。赤い薬らしいけど、似たようなものに心当たりはないかい」
「そんなものがあるならとっくに大騒ぎ……いや、待てよ。赤い薬……?」
「何かあるようだねえ」
「実は少し前に、聖女リージェがバルコニーから落下して大怪我する事故があったらしいんだ」
マヴェリカはとっさに扉の方を見た。
耳を澄ませば、かすかにシャワーの音が聞こえてくる。
どうやらドロセアはまだ汗を流す途中らしい。
「それは本当に事故なのかい」
「自ら身を投げたという話もあるが、真偽は定かではない。教会の連中は握りつぶすつもりだ」
「胡散臭いねえ」
「問題はそのあとだ。落下事故の直後から、教会内部で魔物が発見されるという事件が起きた」
「中で? 本部でってことかい」
「ああ、王都の中心では本来ありえないことだ」
「どこから入ってきたんだか」
「それに関して、気になる噂を耳にしてな。聖女が事故で追った傷は大きく、出血量も多かったらしい。治療が優先され、その血はしばらく放置されたそうなんだが――」
ジンは一呼吸挟むと、神妙な表情で告げた。
「血に群がった虫や獣が、次々に魔物化していったらしい」
「聖女の血が……魔物を産んだっていうのかい」
そのおぞましい光景を想像し、マヴェリカの頬がひきつった。
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