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033 二枚岩

 



 戦いから数分後、意識を取り戻したリージェは必死でドロセアに治療を施した。




「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」




 涙の雫が火傷した肌に落ちるたび、じくりとしみて少し痛い。


 ドロセアは無事な方の手でリージェの体に触れながら、繰り返し「大丈夫だよ、治してくれてありがとう」と声をかけた。


 効果はなかったわけではないだろうが、それでも彼女の苦しみは消えない。




(一人で動いてたときは多少の怪我は気にせずにいられたけど、これからはリージェのメンタルのことも考えないと)




 彼女の時間は、エルクからドロセアの死を告げられたあのときから止まったままなのだ。


 ただでさえドロセアの変化に戸惑っているところに、あんなグロテスクで生々しい戦いを見せられたら錯乱するのも当然のこと。


 かといって“慣れないと”なんて言えるはずもない。


 まあ、そのための隠密行動だったのだけれど、想定よりも早く見つかってしまった。


 ジンの見通しが甘かったというよりは、正しき選択(ジェンティアナ)の諜報能力が高かった、ということか。


 あるいは、ドロセアを逃がすのに使えそうなジンの知人ほぼ全員に何かを仕掛けていたのかもしれないが。




「わたしのせいでっ、お姉ちゃんが……お姉ちゃんがあぁ……っ」


「これぐらいの怪我は平気だから」


「平気な訳ありませんっ!」


「平気ではないでしょうね」




 リージェのみならず、知らない女からも言われて気まずそうに黙り込むドロセア。


 テニュスとの戦いで感覚が麻痺しているのは否めないが、しかし実際のところ――




(リージェを守れたんだから、これぐらい別にどうってことないんだけどな)




 本気でそう思っている、というのもまた事実である。




「ど、どうして、うまく治せないの? わたしなら回復魔術が、使えるはずなのに……っ、すぐに治せるはずなのにぃ……!」




 リージェの治療はなかなかうまくいっていなかった。


 ドロセアの腕はまだ骨がところどころ露出しているし、肌もまだら模様に赤い。


 彼女はまともに魔術を学んでいない。


 いくら才能に溢れているとはいえ、回復魔術は特殊な技術であるため、ぶっつけ本番で使うのは難しいだろう。


 それでも少しずつは治っているあたり、さすがはS級魔術師といったところか。


 するとドロセアが魔術を行使するリージェの腕に手を当てた。




「落ち着いて、まずはリージェの火傷から治した方がいいかもね……痛みがあると、集中が途切れるから」


「でもお姉ちゃんがっ!」


「私は慣れてるから本当に平気なの。ほら、私がシールドで魔力を誘導するから。落ち着いて、魔術の発動に意識を集中させて」


「ううぅ……わかった……やって、みます……!」




 ドロセアの助言で少しは気持ちが落ち着いたのか、体内の魔力の流れが安定してくる。


 浮かび上がった術式から光が放たれ、リージェの体を包み込み、瞬く間に彼女の肉体を癒やしていった。




「できました……これをお姉ちゃんに使えば!」


「自分を対象にした魔術は扱いやすいからね。他人に使うときは制御が少し難しくなるから、さっきの感覚を思い出して、ゆっくりやってみようね」


「はい、今度こそ絶対に治しますからっ!」




 まるで先生のようにリージェを導くドロセア。


 黒髪の女は腕を組みながら、興味深そうにそのやり取りを見つめている。


 ドロセアはちらちらとそんな彼女の方を気にしていた。




(結局は何なんだろう、この女の人……)




 手の甲には刻印が無い。


 つまり選別の儀を受けていない、表舞台で活躍していないS級魔術師ということになる。


 あるいは、他国から入ってきた可能性もあるが――どちらにせよまともではない。


 敵意は感じないが、それが逆に不気味だった。




「はぁ……はぁ……はぁ……」




 コツを掴んだのか、リージェの魔術は目に見えて上達していた。


 瞬く間に癒えていくドロセアの傷。


 しかし死体を見てあそこまで錯乱したのだ、至近距離でドロセアの傷口を見るのも、あまり精神的には良くないはずで――呼吸が荒くなっているのも、おそらく火傷だけが原因では無いだろう。




(リージェの方もどうしよっかな。簒奪者(オーバーライター)との戦いとなると、死人無しってわけにはいかないだろうし)




 悩みは尽きない。


 が、深く考えても解決できることはない。


 今はとにかく、不安定なリージェに寄り添うことを最優先し、ドロセアは治療を終えた体ですぐさま彼女を抱きしめる。




「ありがとう、すっかりよくなったよ」


「お姉ちゃん……わたしのせいで……」


「御者さんが暗殺者だって見抜けなかった私の責任だから」


「そうじゃないんです。お姉ちゃんが……いや、違うん、でしょうか。あの、でも、わたしも、人を殺して……ああ、その、どうしたら、わたしは……っ!」


「落ち着いて。ゆっくり一つずつ話していいよ」




 背中を撫で、耳元で優しく囁く。


 それでもリージェの心音は激しく脈打つ。


 彼女は緊張した面持ちで、ドロセアを真正面から見つめて言った。




「お姉ちゃん、も……人を殺すん、です、よね……?」




 何がリージェを乱しているのか、そこが掴めなかったが――ドロセアはなるほどと、納得した。




「場合によっては殺すよ」


「っ……それは、わたしを、助けるために……?」




 ドロセアが自分のために人殺しになったのではないか。


 それが不安で仕方なかったのだろう。


 だから彼女はこう答えた。




「私が幸せになるために」


「お姉ちゃん、が?」


「そう、私の幸せにはリージェが不可欠だから、私が幸せになるためには人だって殺すよ。そうしないと、奪い返せないって知ったから」




 ドロセアが相手をした冒険者たちは、今も地面に倒れでうめき苦しんでいる。


 中にはもう動かなくなった者もいた。


 放置すれば、このまま絶命するのは間違いない。


 それでも構わないと、そう思う。


 そもそも、正しき選択の口車に乗って馬車を襲った時点で、やっていることは山賊と同じだ。


 罪が裁かれれば処刑は免れない。




「でも、わたしは……わたしは……っ」




 さっきの一言で、“わたしのせい”というリージェの気持ちは、少しぐらい和らいだだろうか。


 ドロセアも、そんなに簡単に解決する問題ではないと思っている。


 なにせ、問題はそれだけでなく、たくさんの人が目の前で死んだことや、はじめて人を殺したというショックも含まれているのだから。


 しかし、真っ先にドロセアの身を心配するあたり、リージェもドロセアと幸せになるためなら、人を殺す覚悟ぐらいはあるように感じられた。


 そう思うと、ドロセアはゾクゾクとした昏い歓びを感じる。




(……ああ、良くない感情だ)




 さすがに理性が静止をかけたが、どちらにせよ――“田舎で平和に暮らすただの女の子二人”に戻るのは、もう難しいんだろう。


 ねじれて、こじれて、絡み合って。


 けれどそれが二人で一緒にいるために必要なら、それでも構わないと思う。


 大切なのは、いつだって手を伸ばせば、こうして抱きしめられる距離にリージェがいるということなのだから。


 今だって、抱きしめているうちに、少しずつ彼女の気持ちは落ち着き始めている。


 大切な人の体温を感じられる。


 それに勝る喜びは無い。




「ねえリージェ、私は今の自分が前と変わったとは思ってないんだ。たぶんリージェに危害を加えるやつがいたら、遅かれ早かれこうなってたと思うから」


「ん……」


「ぜーんぶ、私が選んだこと。私の幸せのために。リージェは責任なんて感じなくていいから」


「うん……ぐすっ、うん……っ!」




 よしよし、とあやすようにドロセアはリージェの背中を撫でた。


 そしてここでようやく、女の方に視線を向ける。




「ん? わたくしのことは気にしないでよいのですよ」


「そうはいかないでしょ」


「それもそうですね。まずは自己紹介から」


「名乗ってくれるんだ」


「初対面でございますので。わたくしの名はイナギ・バーンハートと申します、大陸を旅しながら生計を立てる冒険者というものでございます」




 簡潔な自己紹介である。


 無論、ドロセアがそれを信用するわけもない。




「普通の冒険者じゃないでしょ」


「どこを見てそう思われたのですか」


「私は他人の魔力量を計れるの。その量、S級なんてもんじゃない」


「なるほど……体質を見抜かれてしまったということでございますね」




 堅苦しく、回りくどい口調で話す女だ。


 だが口調なりの威厳のようなものも感じる。


 確かに敵意は無いのだが、妙な迫力があるというか。


 それがドロセアに過剰な警戒心を抱かせていた。




「おっしゃるとおり、わたくしは人間ではございません」


「じゃあやっぱり簒奪者……!」


「それとも違うと申しますか。確かにエレイン殿やアンターテと顔見知りではありますが」




 アンターテの名前に反応し、殺気を強めるドロセア。


 それを浴びたイナギは、少し慌てた様子で弁明した。




「剣を抜くのは早とちりでございます。わたくしはエレイン殿の思想に賛同するつもりはございません」


「でも会ったことあるんでしょ」


「数年前に一度だけでございます。この体質ゆえに、勧誘を受けまして」


「断ったの?」


「わたくし自身は。アンターテを預けることにはいたしましたが」


「あなたは、あの娘の……なんなの?」


「保護者、と申すのは少々自意識が過剰かもしれませんね。話せば長くなります、その前に尋問を済ませましょう。そのために冒険者を生かしたのでしょう?」




 イナギが視線を向けたのは、馬車の前方で傷に苦しむ冒険者たち。


 彼らはリージェの治療を受ければ助かるだろう。


 もっとも、大した情報が引き出せるとも、生かす価値があるとも、ドロセアには思えなかったが。




 ◇◇◇




 少し脅しただけで、冒険者たちはあっさりと口を割った。


 内容はドロセアの想像通りで、付近の街で正規のルートではない依頼を受け、ここで待ち伏せていたらしい。


 やはりジンの情報が漏れている。


 彼が騎士団長を退いてから時間が経っている、その権威が弱まった、というのも原因の一つかもしれない。


 商人が金で正しき選択に情報を売ったとすれば、目的地までの旅路は自力で進んだほうが良さそうだ。


 つまり、金が必要になる。


 情報を引き出したあと、次の街で売れそうな武器を自主的に贈呈させ、ドロセアは冒険者たちを解放した。


 街道に死体を放置しても迷惑なので、その処理も彼らに任せた。




「ああいった手合いは過ちを繰り返す。生かして返したところで、犠牲者が増えるだけだと思いますが」


「ごめんなさい……」




 リージェはドロセアにしがみつきながら目を伏せた。


 冒険者を生かして返したいと言ったのは、彼女だ。


 甘い考え――なんてドロセアは思いもしない。


 これ以上、死を目の前で見せるのはリージェの心の負担になる、だから生かすのが正しいやり方なのだ。




「責めているわけではございません。ですが、命のやり取りをする際に相手に少しでも温情を抱けば、自らの命を危険に晒す可能性が――」


「はいそこまで。責めてるわけじゃないって言っても責めてるようにしか聞こえないから」


「……それは、申し訳ありません」


「情報が漏れてて、暗殺者に狙われてるってわかっただけでも収穫だよ。ここからは歩いて次の街に向かおう」


「お詫びと言ってはなんですが、わたくしなら馬車を操ることもできますよ」


「でも、お馬さん……怯えてるみたいですけど」




 怪我はなかったが、目の前で戦闘が行われたことで、馬はすっかり萎縮してしまっている。


 この状態だと、素人が乗ったところでまともに動こうとはしないだろう。




「少々時間をいただければ、それも解決してみせましょう」




 胸に手を当て、イナギは自信満々に言いきった。




 ◇◇◇




 イナギの言葉通り、およそ三十分後には三人は馬車に乗り出発していた。


 御者の経験があるのか、その手綱さばきは堂に入っている。




「あの人、なんだかすごいですね」


「只者ではないよね」


「怖いです……」


「信用はできないから、私から離れないようにね」




 ドロセアとリージェの会話は小声ではないため、しっかりとイナギまで聞こえていた。




「どうやらすっかり嫌われてしまったようでございますね」


「いきなりあんな殺し方するから」


「山賊の類には一切の容赦をしないと心に決めているのです。先ほども言いましたが、ああいった下賤な輩は生かしておくと犠牲者を増やすのです」




 実感の籠もった言葉である。


 そこに関してはドロセアも同意はするが、それはそれとしてリージェを傷つけたことは許していない。




「もっとも、どうやらあれらはわたくしが思っていたような山賊ではないようでございますが。どういった経緯で狙われることになったのですか?」


「……知ってるでしょうに、だから尾行してたんじゃないの」


「本当に知らないのですよ。わたくしがあなたがたを尾けておりましたのは、アンターテと戦っているのを見たからでございますから」


「あれを見てたの? いや……それより先に正体を聞かせてもらおうかな、そっちの方が話が早そうだから」


「わたくしは魔術の才能を活かし、カンプシア家という貴族を秘密裏に守っておりました。そのお嬢様がアンターテなのでございます」


「なんで貴族のお嬢さんが簒奪者なんかに?」


「不幸な事件により、アンターテ以外のカンプシアの人間が命を奪われてしまったのでございます」


「それは……簒奪者に殺されたとか」


「いいえ違います、それはそれは不幸な事件です」




 どこか遠い目をしてそう語るイナギ。


 間違いなく何かを隠しているようだが、話すつもりはないという雰囲気だ。




「アンターテは高い魔術の才能を持っているとはいえ、まだ幼く、一人では生きられぬ身。一方でわたくしも表舞台には出られない闇の存在。アンターテは誰かに預けなければなりません」


「そこで出てくるのがエレイン……って、アンターテも言ってたけどエレインって誰なの? 簒奪者のリーダーみたいなやつ?」


「簒奪者を組織と定義するのならば、そうなるのでしょう。エレインはわたくしとアンターテの前に現れ、世界を救う力になってほしいと勧誘してきました」


「その人たちの目的は、世界を救うこと……なの?」


「さて、それが本気なのかはわたくしには判断しかねますが」


「少なくとも平気で人殺しをやる連中ではある」


「それじゃあ嘘つき、ってことなの?」




 彼らは嘘とは思っていないだろう。


 だがドロセアにとっては欺瞞に違いない。




「救いたいのはあくまで“世界”であって、“人類”じゃないってことなのかもね」


「御名答でございます」




 まるでイナギは正解を知っているかのようにそう答えた。




「そういう連中だと知っててアンターテを預けたの?」


「わたくしが知ったのはつい最近のことでございますよ。エレインにアンターテを預けたあとも、定期的に彼女の様子を見るべく接触していたのですが……ここ二年ほどで、彼女の思想は急激に過激化しました。挙げ句の果てには、王都の中心部で大規模な魔術の行使まで行った。看過してはおけぬと行方を探っていたところ、アンターテと遭遇するあなた方を発見したというわけでございます」


「だったら私たちじゃなくて、アンターテの後を尾ければよかったのに」


「アンターテはあのあと、カルマーロに回収されてすぐに姿を消してしまったのでございますよ」




 カルマーロ――テニュスを操った、あの不気味な簒奪者のことだ。


 どうやらアンターテとはペアで行動しているらしい。




「そういう経緯でございますので、実はわたくし、まだあなたの名前すらわかっていないのです」


「……私はドロセア」


「ど、どうも、リージェです……」


「ドロセアとリージェでございますね、これからよろしくお願いいたします」




 丁寧に頭を下げるイナギに対して、ドロセアは不満を隠さない。




「いやよろしくって、もしかしてついてくるつもり?」


「わたくしはアンターテが暴走しないか心配なのでございます」


「えっと、そのアンターテって人は、お姉ちゃんを狙ってるの?」


「恨みを買った覚えはないけど、恨まれてるのはわかってる」


「あなたがたに付いていけば、アンターテと会うことができるはずでございます。彼女もわたくしのことを目障りに思っているようですので、お役には立てるかと」


「保護者じゃなかったの」


「反抗期なのですよ、あの子は。エレイン殿と距離を置いたほうがいいと言っても、聞く耳を持ちません」




 ため息混じりにイナギはそう言った。


 確かに、あのドロセアに対する激情を見るに、他人の話を聞きそうなタイプには思えなかった。


 だが――




(さっき騙されたばっかなのに、この話を信じていいのかな)




 一緒に馬車に乗ったのは、手がかりを引き出すためだ。


 “黒”だと判断できれば、奇襲で先手を打つこともできる。


 アンターテとカルマーロのような癖の強い人間が前に出て活動するぐらいだ、おそらく簒奪者はそこまで数が多くない。


 ならば平穏な暮らしを手に入れるため、全てを潰してしまうのも手だ、とドロセアは考える。




「殺気、弱めていただけないのですね」


「そりゃね」


「質問していただければ、信用していただけるまでなんでも答えますよ」


「じゃあエレインってどんな人なの?」


「わたくしも詳しくは存じ上げません。簒奪者なる者たちを率い、世界の救済を目指していることしか。ただし――人ではございません」


「簒奪者なんでしょ」


「いえ、なんと言いますか……人間が出来上がる途中で止まってしまったような肉体、とでも表現すべきでしょうか。肉や皮が無く、血管や臓器、顔の一部が空中に浮かんでいるのですよ」


「……何それ」




 想像していた化物よりもさらに化物だ。


 ドロセアは思わず顔をしかめ、リージェもドロセアを掴む力をきゅっと強める。




「そんな相手をよく信用したね」


「悪意のある目ではありませんでしたから。それに……わたくしも切羽詰まっておりました」




 少し後悔するようにイナギは言った。


 するとリージェがドロセアの服をくいっと引っ張り、「お姉ちゃん」と呼んだ。




「あの人がアンターテって人を心配してるのは、本当だと思う」


「そうかな……」


「うん、だってお姉ちゃんの表情と似てるから」




 ドロセアは思わず「私と?」と眉をひそめてしまったが、リージェがそう言っているということはつまり――リージェを見ているときのドロセアの表情と、アンターテについて話すときのイナギの表情が似ている、ということなのだろう。


 命に代えても守りたい大切な人を思う気持ち。


 それは確実に、イナギの中にあるということだ。


 まあ、ドロセアは釈然としていないようだが。




 ◇◇◇




 そのまま何事もなく馬車は進み、次の街へと到着する。


 そこそこ大きな街なので、人の往来があると予想していたのだが――いざ足を踏み入れてみると、辺りは静まり返っていた。


 イナギも異変を察知してか、入り口付近で馬を止める。




「おかしいですね、いつもはもっとにぎやかな街なのでございますが」




 ドロセアは右目だけで、周囲の建物を観察した。




「人がいないわけじゃないね、みんな家の中に引きこもってる。カーテンの隙間からこっちの様子を伺ってる人もいるよ」


「そんなことまでわかるんですね」


「先ほどおっしゃっていた魔力量検知の応用でございますか?」


「どうだろうね」


「わたくしの尾行にも気づいておられたようですし、頼りになる能力でございますね」




 素直に感心されると、今もイナギを疑っているドロセアの肩身が狭い。


 それでもリージェを守るため、警戒を解くつもりはなかったが。


 すると、ドロセアは常に注意を払っていたおかげか、真っ先に前方から近づく気配に気づく。




「何かこっちに転がってくる?」


「お姉ちゃん、あれ、大きな岩だよ!」


「街道を砕きながらこちらに迫ってきておりますね」


「というか……デカくない……?」




 転がってくる巨大な岩は、見上げるほど大きく、馬車ぐらいなら軽々と潰してしまうほどだ。


 通りの左右にある家の壁も削りながら、傍若無人に押し迫る岩を前に、ドロセアは馬車を飛び出す。


 どれだけ大きかろうと魔術は魔術。




「お姉ちゃん、止められるの!?」


「あれぐらいならね!」




 見たところ、リージェの暴走に比べれば大した魔力量じゃない。


 両手を広げ、大きめにシールドを展開。




「バカですねえ、そんなもので止められるわけないがないでしょうがッ!」




 真正面から猛スピードで接近する岩から、何やら男の声が聞こえてくる。


 口調は丁寧だが、語気の荒さから言ってカタギの人間では無いだろう。


 またドロセアたちを狙って現れた冒険者か。


 それにしては魔術の規模が大きいようだが――それでも、ドロセアのシールドは抜けられない。


 衝突と同時に、ドロセアにずしりと重たい感触がのしかかる。


 踏ん張る両脚に負荷がかかり、ゴリゴリと石畳を砕き沈み込んだ。


 だがそこで止まる。


 岩はシールドに触れたまま高速回転し、ガリガリと何かを削る音を響かせた。


 無論、削れているのはシールドではない、岩の方だ。




「岩が小さくなっていきます! お姉ちゃん、がんばれーっ!」




 リージェの声援を受け、シールドはさらに強度を増した。


 やがて岩は突破を諦めたのか、回転を止める。


 そして中から現れた術者らしき男は、後ろに飛んでドロセアと距離を取った。




「まさかあれを止めるとは思いませんでしたよ」


「残念だったね、さようならっ!」




 吸収した魔力を束ね、凝縮させた岩――否、宝石の槍を生み出すドロセア。


 射出されたそれは、男に向かって一直線に飛んでいった。


 すると彼は「はあぁぁぁッ!」という勇ましい声と共に、体に岩の鎧を纏う。


 宝石の槍は鎧に弾かれ、砕けてしまった。




「僕の真骨頂は“硬さ”なんですよ、岩による攻撃は副産物に過ぎません」


「ほんと、思ったより硬いね……それに魔力量もやけに高い」


「当然でしょう、僕は簒奪者なのですから」




 ドロセアは渋い顔をした。


 簒奪者――先回りしていもおかしくはないが、アンターテやカルマーロと比べると迫力のない相手ではある。


 確かに硬くはあるけれど、剣術ならば突破可能だし、守護者を使えば叩き潰すのは容易だろう。




「世界に選ばれし魔術師、大地に愛されし魔術の申し子、それが僕です」




 加えて、このナルシズムに陶酔した言動。


 これまで遭遇した簒奪者とは、毛色が違うというか、あまりに威厳が無い。




「あの人……自分に酔っています」




 リージェにまでそう言われる始末だ。


 するとイナギが馬車を降り、ドロセアの隣に立った。




「簒奪者ということはつまり、彼を倒せばわたくしの信頼が得られるということでございますね」


「それはそうだけど……」


「ではここはわたくしにお任せください」




 静かに剣を抜くイナギ。




「誰だか知りませんが、僕のこの鎧を突破できるとでも?」


「ええ、出来ます」




 彼女の表情はあまり変わらないが、言葉には自信が満ちていた。




「生憎、堅いものの相手は得意なものでございまして」




 そう言うと、ドロセアの隣からイナギの姿が消える。


 残ったのは弾けるような風だけ。


 風の魔術で脚部を強化し、高速移動したのだ。




「レゾナンスダイヴ」




 あの細く長い剣にも、緑の術式が浮かび上がる。


 そして切っ先が、いともたやすく岩の鎧を貫通した。




「がふっ……こ、こんな、簡単に……」


「超振動の刃の前には、いかなる鎧も意味を持ちません」


「だが、これだけ、では……!」


「ええ、これだけでは終わりません。硬いものを貫けるということは、柔らかいものはより徹底的に破壊できるいうことでございますから」




 続けて、刃に別の術式が浮かび上がる。




「レゾナンス――パニッシュメント」




 風の魔術が、体内から敵の肉体を超振動させる。




「あ、が、がががががっ! がひゅっ!」




 生じた衝撃と高温により、血肉は容赦なく分解され、理不尽で不可逆な破壊が行われた。


 ぶしゅっ、と目や鼻、口から血が噴き出したかと思えば、胴体や手足の肌も裂け内側から中身が溢れ出す。


 この時点でとっくに死んでいる。


 やがて骨さえも粉砕されると、男の体はぐにゃりと崩れ落ち、地面で震え這いずる肉塊へと変わった。


 イナギは剣を振り払い、付着した血を飛ばすと鞘に収める。


 そしてドロセアとリージェの方を振り向き笑った。




「いかがでございましょう、これで信用していただけましたか?」




 返り血を浴びながら、イナギは微笑む。


 怯えたリージェは、ドロセアの胸に顔を埋めた。




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