031 おはよう
この夢は永遠に終わりません。
わたしは迷路の中にいました。
空は真っ暗で、周りは何も見えなくて、けど前に進むとそこには壁があるんです。
手を当てて、壁伝いに進むしかありません。
けれどゴールなんてどこにも見えませんし、わたし以外には誰もいません。
誰も。
『たすけて……お姉ちゃん、たすけて……』
ひたすらに助けを求めたところで、声は届きませんでした。
そもそも、お姉ちゃんはもう死んでいるんですから、届くはずがありません。
お父様にも見捨てられてしまいました。
この世にわたしの味方は誰もいません。
だから、ここは地獄じゃない。
この世。
たぶん夢が終わっても、終わらなくても、わたしが暗闇の中をさまよい続けるという運命は変わらないのでしょう。
『お姉ちゃん……わたしを一人にしないで……』
無意味なことだとわかっているのに。
祈りは天に届かず。
仮に届いたとしても神様は困り顔。
そんなはた迷惑な行為を何度も、何百回も、何千回も、何万回も繰り返して――ああ、どれぐらい長い月日が経ったんでしょうか。
飽きるを通り越して虚ろになるぐらい見飽きた暗闇の中、わたしははじめて光を見つけました。
出口? それともただの幻覚?
すると光の方からわたしに近づいてきて、一緒に懐かしい声も聞こえて――
◆◆◆
ドロセアは街道を数時間歩いたあと、たどり着いた村のとある小屋を訪れていた。
そこはジンがあらかじめ用意しておいてくれた隠れ家。
もう夜が近いため、今夜はここに泊まることになる。
用意されたベッドにリージェを寝かせると、その数十分後、彼女はうめき声を発した。
「リージェ!?」
その手を握っていたドロセアは思わず立ち上がる。
すでに昏睡魔術の範囲は出ている、いつ目を覚ましたっておかしくない状況だ。
ついにこのときがやってきたんだ――ドロセアの胸がざわつく。
何を言おう、どんな顔をしよう、いやというかどんなこと言われるのかな、時間経ってるし私だって気づかれなかったらどうしよう。
色んな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
そんなことをしているうちに、リージェの瞳はゆっくりと開いた。
「あぅ……ん、ゅ……?」
「リージェ……」
早くもドロセアの目に涙が浮かぶ。
しかしリージェの方はまだ視界がぼやけているのか、目の前にいるのがドロセアだとは気づいていないようだった。
彼女は何度か手で目をこすり、ぱちぱちとまばたきをする。
「……んー?」
そして、首をかしげた。
仕草が――というより“生きた”リージェがそこにいて、動いていることが、ドロセアは無性に嬉しくてたまらなくて、瞳に溜まっていた涙がほろりと雫になって落ちる。
「おねえちゃんがいます」
リージェは寝ぼけた声でそう言った。
ドロセアは涙声で返事をする。
「いるよ。ここに、リージェのすぐそばに」
「まだ夢を見ているんですね。お姉ちゃんは、死んでしまったのに」
「死んでないよぉっ! エルクが適当なこと言ってただけで、私はずっと生きて――リージェのことを探してた」
握りしめたリージェの手を自分の頬に当てるドロセア。
自分の存在を感じてほしい。
夢なんかじゃない、ここは現実なのだと知ってほしい。
けれどまだリージェは寝ぼけ眼で――
「でも、都合がよすぎます。たとえお姉ちゃんが生きていたとしても、わたしはあの部屋から出ることは……」
「出られたからここにいるんだよ」
「誰が、連れ出してくれたんですか?」
「私が頑張った」
正確にはテニュスが連れ出して、それをドロセアが奪ったという形だが――もうドロセアが連れ出したってことでいいはずだ。
それだけのことはやってきた。
「私、リージェのためだったら何だってできるからさ」
「お姉ちゃんなら、言ってくれそうです」
「でしょ? だから現実なんだよ、これは」
「……」
意識は次第にはっきりしてきた。
視界にはドロセアの姿が写り、手にはその体温を感じる。
けど、まだ信用できない。
こんな都合のいい現実が、あるものだろうか。あっていいのだろうか。
「まだ、信じられない?」
ドロセアの優しい声が胸にしみる。
噛み締めて浸りたかったけど、ぐっとその欲求を抑えて、リージェはこくりとうなずいた。
するとドロセアは両腕を広げ、リージェを抱き寄せる。
全身をぴたりと密着させて、手のひらだけでなく、体で――心で――全てで“私という現実”を感じてほしい、と。
「あ……」
「リージェ、私はここにいるよ」
ドロセアはリージェの耳元で囁いた。
吐息が触れるほど近く、くすぐったさを通り越してぞくぞくする。
心臓もどくどく言っていて――けれどそれはリージェに限った話じゃない。
ドロセアの鼓動も早い。
高めの体温と、その脈動で生を主張している。
疑念は、熱を持った存在の主張に溶かされていく。
雪解け水は涙になって、リージェの瞳から溢れ出した。
「お姉ちゃん、だ」
「そう、わかってくれた?」
リージェはドロセアにもたれかかると、その背中に腕を回してぎゅっと抱きつく。
頬を伝った涙が、ドロセアの上着に染み込んだ。
「わたし、覚えてます。お姉ちゃんの、あったかさ。おねえちゃんの、感触。お姉ちゃんの、におい……ああ、お姉ちゃんだ……お姉ちゃんが、いる……ここに、いる……っ」
次第に声も震えだす。
釣られてドロセアもまたボロボロと涙を流しはじめた。
「そうだよ、いるの。やっと……やっと私っ、リージェを取り返せた……っ!」
「う、うぅ……お姉ちゃんが、助けに来てくれた……わたし、もうダメだって思ってたんです……諦めてたんですッ! でも、お姉ちゃん、は……っ」
次第に言葉より嗚咽の割合が増えてきた。
満足に単語を発することすら難しくなり、ただ感情に任せるまま、子供のように――いや、子供らしく泣きじゃくる。
「あいた、がった……っく、リージェ……ずっと、ずっとぉっ、ううぅぅ……っ!」
「わた、しも……さびし、がっだ……さびしぐでぇ、う、ひっく、うあぁぁああ……っ!」
「わらしも、さびしか……った、ひとり、は、やだから……っ!」
「やです。わたしも、や、いっしょがいい……おねえちゃ、ん……おねえちゃぁぁあんっ!」
終いには、わんわんと声をあげて泣き出した。
抱き合ったまま、痛いぐらいにお互いの体を引き寄せて、その存在を感じあって。
生きている。
生きて、目の前にいる。
触れられる。
声が聞ける。
そんな当たり前の、ありふれた望みがかなったことに歓喜して。
二人は泣き声が外に響き渡るぐらい、感情の奔流を垂れ流した。
◇◇◇
それからドロセアとリージェは外が真っ暗になるまで泣きじゃくって――ようやく落ち着いて向き合うことができた。
ベッドの上にぺたんと座り、真っ赤に腫らした目と目で見つめ合う。
何も言うでもなくただ見つめ合っていたが、先にリージェが耐えられなくなり「えへへ」と笑う。
すぐにドロセアもへにゃりと表情を崩して、油断しきった表情で笑った。
二人はどちらから言い出すでもなく右手と左手を重ねると、指先を絡め合いじゃれ合わせる。
「おねーちゃんっ」
「んー? なぁに、リージェ」
「んふー、お姉ちゃんがいるなあと思ったんです」
「それを言ったら、私だってリージェがいるなって思ってるよ」
「でもわたしの方が思ってるはずです。だって、しばらく会わない間にお姉ちゃん、すっごくかっこよくなってるんですもん」
ドロセアは首を傾げた。
「私が……かっこよく?」
「はい、前より手足も太くなりましたよね」
「それは、修行したから……かな」
「顔つきも凛々しくなりました」
「可愛さが減ってない?」
「大丈夫です、そちらは据え置きですから!」
「ならよかった」
気の抜ける会話だった。
とはいえ、こちらの方が本来のドロセアの平常運転なのだが。
リージェと二人で過ごしていた頃は、いつもこんな調子だった。
「お姉ちゃんがこうなるまで、色々あったんですよね……」
「そうだねえ。村では経験してこなかったこと、色々あったかも」
「戦ったん、ですか?」
「それはもちろん。じゃないとリージェを取り返せないから」
「大変でしたよね。その、魔術師相手に戦うのは……」
「確かに大変だったけど、こう見えても私、結構強いんだよ?」
少し自慢気に話すドロセアだったが、対するリージェは不安げだ。
等級無しのドロセアが戦えるはずがない――常識的にはそう考えるのが当然である。
「そうだね……ここに来るまで起きたこと、リージェには話しておかないと」
「ぜひ聞きたいです! お姉ちゃんのことですから、なんでもっ!」
「ただその前に、一つ確認があるんだけど」
「リージェは“聖女の血”のこと、知ってる?」
「……?」
こてん、と首を傾げるリージェ。
この反応を見る限り、どうやら彼女は自分の体質について理解していないらしい。
王都に連れ去られてからの大半の時間を眠って過ごしていたのだから、それも仕方のないことだろう。
「聖女ということは、わたしに関わることですか?」
「うん、リージェの血には不思議な力があるみたい」
「何、でしょう」
おそらく正直に話せばリージェはショックを受ける。
だがいずれ知ることだ、だったらドロセアの口から語るべきだ。
彼女はそう考え、全てを話すことにした。
エルクから飲まされた薬がリージェの血であったことや、それを発端に起きた数々の戦いのことを――
話を聞き終えると、リージェは顔を伏せてぼそりと呟く。
「わたしの血のせいでたくさんの人が傷ついて……それに、わたしの血は国王や簒奪者という危険な人たちに狙われている……」
「そうだね……だから、今すぐに故郷に戻ることはできないと思う。まずは身の安全を確保しないと」
「わたしと一緒にいる限り、お姉ちゃんも狙われてしまうんですよね」
「そこは安心していいよ、簒奪者の中に私を個人的に恨んでるやつがいるみたいだから。どうせ狙われる。むしろ私と一緒にいるせいでリージェが危険に晒されないかが不安かな」
「でもそうなったのは、私の血のせいじゃないんですか!? 私は……お姉ちゃんのことまで、魔物に変えてしまったなんて……」
「そのおかげでこうしてリージェを助け出せた」
ドロセアはリージェの頬に手を当て、目をそらそうとする彼女と向き合う。
「確かに道のりは険しかったけど、その道がリージェに続いてるなら、私にとってはそれが最善なの」
「お、お姉ちゃん……」
ぽんっ、とリージェの頬が赤く染まる。
そのぬくもりを手のひらに感じながら、ドロセアは言葉を続けた。
「リージェの血を狙う悪いやつらを避けるためにも、リージェは私と一緒にいるべきだよ」
「お姉ちゃんって……前と、雰囲気変わりました、ね」
「そう? どんな風に?」
「大胆、というか。距離が、近づいた気がします」
以前も二人は親しい付き合いをしていたが、ここまで湿っぽく迫ることはなかったはずだ。
こそばゆい甘さはあれど、友達としての一定の距離はあった。
しかし今のドロセアは明らかに違う。
見つめるその瞳にも、熱を宿している。
「会えない間、ずっとリージェのことを求めてた。当たり前に一緒にいられた頃よりも、強く」
“飢え”が強くしたのは、戦う力だけではない。
それが重なるたびに、リージェへの想いも重く、大きなものへと肥大化していく。
「私だって恥ずかしいことやってるなって自覚はあるよ。けどそれがどうでもよくなるぐらい、リージェに触れてたいんだ。体にも、心にも」
耳元でそうささやきながら、抱きしめる力を強めるドロセア。
リージェの顔はさらに真っ赤になる。
「わ、わたしも……いつだってお姉ちゃんに触ってほしいと思ってます! ですので、触りたいと思ったら、いつでも好きなようにして構いませんから!」
「リージェの方は恥ずかしくない?」
「恥ずかしくっ……いや、恥ずかしい、です、けど。でも……その恥ずかしさは、幸せとセットなので。えへ」
大好きな人に触れられて、嬉しくないわけがない。
ただ今は戸惑っているだけで、慣れれば恥ずかしさも減って、幸せだけを感じるようになるに違いない。
リージェのそんな言葉に甘えて、ドロセアは提案する。
「今日は、このまま眠ってもいい?」
「はい……わたしも、お姉ちゃんに包まれてると、安心します」
まだ実際に眠るわけではないが、二人はころんとベッドに倒れ込んだ。
そして抱き合ったまま見つめ合い、鼻と鼻の先を触れ合わせ、微笑む。
「久しぶりに幸せな夢が見られそうです」
「私も」
悪夢はもう終わりだ。
これからの旅路で何が起きても、二人一緒にいられるだけで今までの戦いのどの瞬間よりも不幸になることはないと、改めてドロセアは確信した。
◇◇◇
さらに数時間後――ドロセアが寝静まったあと。
深夜、ふとリージェは目を覚ます。
どうやら外で野生動物が動いたらしく、その音に反応して覚醒してしまったようだ。
彼女は寝ぼけ眼で、目の前にいるドロセアをじっと見つめる。
宣言通り、二人は抱き合って寝ている。
今もリージェの体は優しい暖かさと甘い香りに包まれて、すぅっと息を吸うだけで幸せで酔いそうになる。
寝ぼけ、酔っ払った彼女は、ふにゃりと力のない笑みを浮かべ口を開いた。
「お姉ちゃん……好き、です……」
そしてゆっくりとドロセアの唇に顔を近づけ――触れる直前で、ぴたりと止まる。
パチパチと数回まばたきをすると、急に正気に戻ったかのように目つきが変わった。
そして自分がやろうとしたことに気づき、顔を真っ赤にしてドロセアと少し距離を取る。
「わ、わたしったらなんてことを……! いけません、いくらお姉ちゃんが近づいてくれたからって、寝てる間にこんなこと……いえ、起きてる間だって……!」
意識がぼんやりしていたせいで、理性による制御が弱まっていたらしい。
「ね、寝ないと。明日は早めに出発するって言ってましたし……」
悶々とした気持ちを抱いたまま、目をつぶるリージェ。
顔は熱く、心音はうるさく――もちろんすぐに眠れるはずがない。
だが、眠れないのは目の前のドロセアも同じようで。
(聞こえてるんだけどな……)
リージェ以上に気配の察知が得意な彼女が、起きていないはずがなかった。
(……めちゃくちゃ嬉しい)
思わずニヤける顔をなんとか抑え込むドロセア。
しかし心音まではごまかせず。
二人は高鳴る鼓動のうるささに、なかなか眠れない夜を過ごすのだった。
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