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029 世界なんかより大切なあなたと

 



 王都を取り巻く混乱を収めるべく、様々な人間が多忙に動き回る中、ジンは一人誰にも言えない悩みを抱えていた。


 アンタムの屋敷に一時的に留まる彼は、見つけたわずかな暇を休息に当てる。


 チェアに深く腰掛けながら、目を閉じ静かに時が過ぎるのを待つ。




「……陛下はなぜ私にあのような話を」




 カインとクロドは、前王であるサイオンの実の息子ではない。


 カインは教皇フォーンの息子であり、一応は王族の血を引いてはいるものの、王位継承権の順位はかなり低い。


 クロドに至っては、誰の子供かもわからないのだという。


 王妃は夫であるサイオンにすらそれを語らなかったのだ、ジンが問いただしたところで何も答えは得られないだろう。




「それだけ私のことを信頼してくださった、ということなのだろうが……しかし背負わされたところで、何ができるというのか」




 ジンを信用したから、とサイオンは言っていたが――実際のところ、自分の重荷を誰かに押し付けたかっただけではないだろうか。


 不敬とは思いながらも、そう考えずにはいられない。


 するとそのとき、ドアをノックする音がした。


 ジンが体を起こすと、扉越しにアンタムの「入っていーい?」という声が聞こえる。


 彼女は部屋に入るなり、ジンの顔色を見て「うわ」と頬を引きつらせた。




「お疲れだねー」


「騎士団長ほどではないさ」


「そ? 立場に縛られないからってあっちこっちでいいように使われてるよーに見えるけど」


「ふ、かもしれんな」




 今もジンは公式では死んだことになっている。


 あくまで、彼は偽名のストームとして活動しているのだ。


 実際のところ、もはやジンが生きているという事実は周知であるし、偽名を使う必要性も無いのだが――しかし、ここで彼が生きていると大々的に発表すると、自然と彼を騎士団長に、という声があがってしまうだろう。


 この混乱の中、指揮系統の急激な変化は避けたい。


 そのため、やむなく死人扱いのまま動き続けているというわけだ。


 もっとも、アンタムの言う通り、その方が便利に使えるから、というのも理由の一つなのだろうが。




「そうで、ゾラニーグの行方はわかったのか?」




 アンタムはゆっくり首を横にふる。


 この屋敷で匿われていたゾラニーグは、いつの間にか姿を消していた。


 一応はクロド派に寝返ったらしいが、しかしジンとしては完全に味方として見るのは難しい。


 できれば動向を掴んでおきたいところだったが――どうやら彼は逃げたり隠れたりが得意なタイプのようだ。




「でもそれらしきウワサは掴んだよ。サージスと親交の深かった教会幹部の屋敷に入るところを目撃されたとか」


「サージスと?」


「死んだから後継者になろうと画策してるんじゃなーい? 改革派の方はすっかりカインのやつに取り込まれちゃったらしいじゃん」


「だが主流派から見ればゾラニーグは目の上のたんこぶのような存在だろう」


「そこはあーしにはよくわかんないケド」




 ずる賢いゾラニーグのことだ、何か良からぬことを考えているのだろう、とジンはため息をつく。


 だがアンタムでも居場所を掴めないのならば、あまり追跡に労力を割いても仕方がない。


 今必要なのは、王都の混乱を収め、一刻も早く治安を回復させることなのだから。




「んで、何を悩んでたワケ?」




 アンタムはベッドに腰掛けると、ニヤニヤしながらそう聞いた。




「私が何を考えているかはお見通しというわけか」


「疾風のジンは大陸の端から端まで休みなしに走り抜けられる体力バカだって聞いたことあるよ、ウワサだけどさ。そんなやつが疲れた顔をしてるってことは、メンタルからくる問題っしょ?」


「まあ、アンタムには聞いておかねばならないと思っていたからな……サイオン陛下のことなのだが」


「おじさんの?」




 アンタムは王家の血を引く人間――偉大なる前王も、彼女にとっては身内のおじさんという感覚らしい。


 以前の騎士団長も王族から選ばれていたそうなので、そういった信頼があってこそ、サイオンは自身の体を王魔騎士団に調べさせたのだろう。




「その……陛下の子供の件、なのだが」




 とはいえ、果たしてアンタムが、サイオンが子供を作れないという事実を知っているかは微妙なところだ。


 だがジンが回りくどい聞き方をすると、彼女はすぐに「ああ!」と手を叩いた。




「え、ウソ、あんたあのこと知ってんの?」


「病床の陛下から聞かされたよ」


「そっか、体が弱ると心も弱るってやつかな」


「その様子だと以前から知っていたようだな……」


「まーね。確かにしんどいとこはあるかなぁ、親戚二人が実は血が繋がってませんでした、なんて」


「私が気になっているのは、クロド王子の父親のことだ。陛下ですらわからないと言っていたのだが、王魔騎士団では何か掴んでいないか?」


「んーん、ぜんぜん」




 あっさりとそう言われてしまい、ジンは肩を落とす。




「そうか……」


「調べてないワケじゃないんだけどね。あーしじゃなくて、前任の騎士団長がさ、片っ端から王妃と関わりのありそうな男性の髪とか爪とか集めて、クロド王子と血が繋がってないか調べたんだって」


「それでも見つからなかったというのか?」


「わけわかんないよね。王妃も喋りたがらない……ていうか何も知らないって言うらしいし」




 それがきっかけで精神を病んでしまうほどの出来事だ。


 おそらく、王妃にとってもショックだったに違いない。




「でもさ、カインが国王になっちゃった以上はもうどうしようもなくない? 下手に突いたらやぶ蛇どころかやぶドラゴンだよ?」


「わかっている。私も胸に秘めておくしかないのだろうな」


「苦しくなったらあーしが飲みついでに愚痴を聞いてあげてもいいよ。もちジンの奢りでね」


「心も財布も軽くなるな」


「あはは、調子出てきたじゃーん」




 確かにアンタムの脳天気な口調を聞いていると、ジンも少しずつ気持ちが軽くなってきた。




「結局は、悩むだけ無駄というわけだな」


「そゆこと。それ以外にもやるべきこといっぱいあるんだしさ、頭より体を動かそーよ。ま、あーしの専門は頭動かす方だけど」


「ではアドバイス通り、外にでも――」




 頬を緩め立ち上がるジン。


 すると、アンタムが開きっぱなしだったドアの向こうで、給仕の一人が申し訳なさそうに覗き込んでいる。


 ジンの視線が止まったことに気づいたアンタムは、そちらを振り向きメイドに声をかけた。




「あれ、どしたの?」


「あの、ドロセア様が……お目覚めのようです」




 アンタムとジンは視線を合わせると、早足気味に部屋を出てドロセアの元へ向かった。




 ◇◇◇




 部屋に入ると、ドロセアはリージェの手を握ってその顔をじっと見つめていた。


 ドアが開いた音に反応した彼女と、二人の目が合う。


 ドロセアはジンたちの顔を見るなり、弁明する。




「あ、ごめんなさい。起きたらすぐに声をかけるべきだと思ったんですけど、どうしてもリージェの様子が気になって」


「愛が深いねー」


「気にするな、無事に目覚めたのなら何よりだ。体の調子はどうだ?」


「寝すぎて少し重たいだけで、傷の具合も良好です。ところで私、どれぐらい寝てたんですか?」


「三日だよ」


「そんなに寝てたのに……リージェは目を覚まさないんですね」




 ドロセアは悲しげにリージェの顔を見つけると、その頬を撫でた。




「安心しろ、そちらも目覚める目処は立っている」


「本当ですか!?」


「ゾラニーグのやつから話を聞き出せたかんね」


「あいつからどうやって……だって、リージェを眠らせた張本人ですよね」


「カイン陛下から命を狙われていたところをサージスが救ったそうだ。それをきっかけに、カイン派を離れてクロド派に協力していた」


「じゃあ……会えるってことですか」




 怒りに拳を握りしめるドロセア。


 隠しもしないむき出しの殺気に、アンタムは思わず「うわお」と声をあげた。




「気持ちはわかるが、すでにゾラニーグは行方をくらましている」


簒奪者(オーバーライター)にも狙われてたらしーからね。マ、そのうち表舞台に戻ってきそうではあるケド」


「そうですか……会えるなら叩き潰しておきたかったんですが、会えないなら仕方ありません」


「ありゃ、思ったよりあっさりだね」


「あいつを殴るより、リージェの手を握っていた方がずっと有意義ですから。無駄な時間は使いませんよ」




 彼女の優先順位はどこまでもはっきりしている。


 アンタムはドロセアと面識がなく、ジンを通してどういう人間が聞いていただけだったわけだが、今回だけでもどういう人間なのか理解できてしまうほどわかりやすい。




「それで目を覚ます方法って何なんです?」


「ゾラニーグいわく、リージェを昏睡させるのに三つの方法を使っていたらしい」




 ジンはアンタムから聞いた内容を、そのままドロセアに語った。


 三つの方法と聞くと複雑そうに思えるが、解決方法は至極単純だ。




「じゃあ、リージェを連れて王都から離れるだけで目を覚ますんですか?」


「肉体にかけられてた昏睡魔術の方はあーしら王魔騎士団が解除しといたからね、ふふん」


「薬の方もすでに切れているはずだ、あとは大規模魔術の外に出ればそれで終わりだな」


「次に戻ってきたときにまた眠らないように、二人が脱出したらあーしらが外の術式もぶっ壊しとくから安心して」


「それはよかった……ありがとうございます」




 ドロセアは眠ったままのリージェの体を抱きしめ、耳元で言い聞かせるように囁く。




「あと少しだよ……あと少しで、また会えるからね……」




 心から慈しむように、その頭を撫でて愛おしさを全身で表現する。


 たとえリージェが見ていなかったとしても、ドロセアはいつだって全力で彼女に愛情を向けていた。


 そして抱きしめたまま、ジンたちに宣言する。




「私、今すぐにでも王都を出ます」


「そう言うと思って脱出ルートを用意しておいた」




 ジンは懐から一枚の紙を取り出す。




「現在、王都は一連騒動を受けて厳重な警備が敷かれている。カイン陛下の一派はリージェを探しているだろうし、事件の当事者であるドロセアも発見されれば放っておくわけにはいくまい」


「例の鎧を使ったら一気に抜けられそうだけどねー」


「アンタムさん、あれは目立ちすぎるってことぐらい私にもわかりますよ」


「あーしは派手なのも悪くないと思うよ?」


「悪ふざけが過ぎるぞ。私の方でシルドに頼んで、わざと警備の穴を作ってもらった」


「そんなことできるんですか?」


「カイン陛下にバレなければ問題はない」




 シルドはレプリアンを巡る事件で、カインから一定の信頼を得ることに成功した。


 実際はクロド派に近い立場なのだが、王都の警備指揮を一任されている。


 “穴”を作るぐらい造作もないことだ。




「合図を出したらこの地図に記されたルートからは誰もいなくなる手はずだ」




 ドロセアはジンから地図を受け取る。




「何から何までありがとうございます、ジンさん」


「世話になったのはこちらの方だ。本来なら馬車で送り迎えぐらいするべきだったのだがな」


「どーしても衛兵をスルーして馬車が外に抜けるルートは作れなかったんだっけ?」


「生身で行けるルートを作ってもらえただけで十分です」


「そーだ、その子を背負ってくなら目立つだろーから、ローブぐらい羽織っていきな。あと体は紐とかでくくっとくといいよ」


「アンタムさんもありがとうございます……あ、そうだ」


「なーに?」


「アンタムさんはレプリアンを作ったんですよね」


「まーね、めちゃくちゃ大変だったけど。主に依頼者から指定された納期とか」


「ってことは、師匠――マヴェリカさんのこと知ってるんですよね」


「もち。依頼者がそのマヴェリカだし」


「師匠がどこにいるのか知ってるんです?」


「んーにゃ。魔術を介した通信とか、あとは手紙と資料のやり取りだけ」


「じゃあ、師匠が私とテニュスを戦わせようとした理由は――」


「それっぽい話は聞かされてたよ。ただ一応言っとくと、テニュスが操られる事態は予測してなかったと思う。たぶん、本来は模擬戦とかそういう形でやるつもりだったんじゃないかな」




 いくらマヴェリカでも、自分の弟子二人が本気で殺し合うような事態は望まないはずだ。


 たとえ結果として、計画よりも早くドロセアの守護者(ガーディアン)が完成したとしても――




「まあ、止める連絡もなかったから、あの戦いもしゃーなしに受け入れてたってことなんだろうケド」


「やっぱり、会ったときに一発ぐらいビンタしないと気が済みませんね」


「それぐらいしてもいーんじゃない? あーしの方も一方的に設計図とか送られて割と迷惑してるしぃ。んま、あの人らしくないやり方って言えば、それはそうなんだケド」


「何かを焦ってるのはわかります……」


「あの人秘密主義だしぃ、色々隠すよね」


「きっとそれが必要になるぐらい、大事な何かのために色々やってるんでしょうけど」


「それはそれ、これはこれだよね」


「その通りです」




 互いに共感し、うなずき合うドロセアとアンタム。


 三人が一同に会することがあれば、マヴェリカは二人から説教責めに合うに違いない。




「もし連絡取れたらあーしからも言っとくよ、ドロセアちゃんめちゃおこだったよって」


「心の準備をしておいてください、とお伝えてください」


「りょーかい」




 マヴェリカの話が一段落つくと、今度はドロセアはジンに尋ねる。




「それとジンさん、テニュスのことなんですけど……」


「現在は治療も済み、王牙騎士団の宿舎で静養中だ」


「宿舎……罪には問われなかったんですね」


「下手に罪人扱いするとカイン陛下まで追及が及ぶからな」


「あーしら騎士団長も黙ってないし」


「よかった……」


「とはいえ軟禁中だ、本人は退屈しているに違いない」


「無罪放免、とはいかないですか」


「しばらく行動に制限はつくだろう」


「けど安心してよ、あーしらができるだけ早く自由に動けるよう働きかけるからさ」


「それはありがたいです。あ、でも本人は元気なんでしょうか。たぶん体の方は大丈夫だと思うんですが」


「スィーゼ曰く、元気というにはほど遠い状態だそうだ」


「やっぱり……」




 ドロセアの胸が痛む。


 いくら彼女が悪いわけではないと理解していたとしても、友達の悲しむ顔は見たくない。




「しかし時間の問題だろう、とも言っていたな」


「テニュスは、強いですから。きっと立ち直ってくれると思います……そんなこと言える立場ではないですけど」


「ラパーパが一緒についているそうだぞ」


「彼女が?」




 驚くドロセア。


 確かにテニュスのことは頼んだし、本人も強気にアプローチしていくつもりだったようだが――まさか軟禁状態のテニュスと一緒にいるとは。


 かなり大胆なことをしたことが想像できる。




「踏み込めたんですね、そこまで」




 少し安心する。


 ラパーパの明るさは、人の心を癒せるものだ。


 恋の顛末はドロセアには予測できないが、少なくともテニュスの救いにはなるはずだ、と思う。




「彼女がついてるなら安心、かもしれません」


「孤独に蝕まれることはないだろうさ」




 それを聞いて、王都での心残りはひとまず無くなった。


 いや、ムル爺たちのことや、トーマのこと、エルクがどうなったのかなど――気になることはあるにはある。


 しかし、リージェにとってここは安全な地ではない。


 一刻も早く脱出したかった。


 その後、ドロセアとジンは王都を出たあとの連絡手段、目的地などのやり取りをいくつか交わした。


 リージェ奪還というドロセアの目的は達せられた。


 二人は平穏な日常を取り戻すために、最終的には故郷に戻るのだろう。


 しかし、今はまだカイン派や簒奪者の動きはわからない。


 果たして、ドロセアを追跡してまでリージェを奪還しようとするのか。


 そもそも簒奪者たちの最終的な目的は何なのか。


 不明瞭なことが多すぎるため、すぐさま故郷に戻るのは難しい。


 まずは身を隠しながら生活できそうな、カイン派や簒奪者たちの手が及ばない場所まで逃げることを優先する。


 ドロセアはローブを着込んで軽く変装し、リージェを紐で背中に固定する。


 そして数日は旅ができるだけの食料と、遠慮したくなる程度の路銭を渡され、ジンが風の魔術を使い“合図”となるメモを衛兵まで飛ばすと――いよいよ準備は完了した。




「では、出発しますね! ジンさん、アンタムさん、お世話になりました!」




 深々と頭を下げて、ドロセアは裏口からアンタムの屋敷を出た。


 その姿が見えなくなるまで、ジンとアンタムは彼女を見送る。




「言わなくてよかったワケ?」




 アンタムはドロセアの背中を見ながら、ジンに問いかけた。


 彼の表情がわずかに曇る。




「エルクのことか……」


「死体も見つかってないらしいじゃん」


「戦いのどさくさに紛れて消し飛んだだけの可能性もある、調べがつくまで具体的なことは言えないさ」




 クロド派が捕らえていたエルクは、戦いの最中に行方不明となった。


 と言っても、建物自体が潰れたため、脱走したとは言い切れない。


 しかし不安材料の一つではある。




「それに……どちらにせよ油断できるような旅路ではない。リージェのみならず、あれだけの力を持つドロセアを各勢力が放っておくとは思えんからな」




 そんなジンの予感は、本人の想像よりもずっと早く的中することとなる。




 ◇◇◇




 王都からの脱出に成功したドロセア。


 彼女は都を囲む城壁を一瞥すると、目的の村へと続く古びた街道を歩きはじめる。


 他に大きな街道が出来たため、商人の往来すらない寂れた道――その向こうに、白髪の少女が立っている。


 ドロセアは立ち止まると、少女の名前を呼んだ。




「……アンターテ」


「名前、覚えられたくなかった」


「とっくに王都から出たと思ってたけど」


「そのつもりだった。ゾラニーグが余計なことをしなければ」


「ふうん、よくわかんないけど、横通るね」




 ドロセアが前に進もうとした瞬間、素早く放たれた氷の刃が頬をかすめた。




「わたしは……わたしたちはお前の存在を許さない」


「目的はリージェじゃないの?」


「世界を救う役目は、私たちのもの」




 今度は、サージスを殺害したときと同じ、巨大な氷塊が空中に浮かぶ。


 直径は10メートルを超える、人間程度なら軽く押しつぶせる代物だ。




「世界なんてどうでもいい。あとリージェを巻き込まないで」


「どうでもよくても、世界がお前を放っておかない」


「私はリージェと二人で穏やかに生きていたいだけなのに」


「お前は強くなりすぎた」




 アンターテの目に涙が浮かぶ。




「エレイン様も、お前を見ている。わたしたちより、お前のことを――!」


「見ないでほしいな、気味が悪い」


「存在意義を奪われるぐらいなら、わたしはお前を殺すッ!」




 声を荒らげ、氷塊を放つアンターテ。


 するとドロセアは“守護者”を起動させる。


 その場に一瞬だけ白い騎士が現れ――そして次の瞬間、彼女はアンターテの背後に静かに立っていた。


 タンッ、とわずかな足音だけを残して、何事もなかったかのようにドロセアは街道を歩いていく。


 その直後、巨大な氷塊は粉々に斬り刻まれる。


 光を反射し輝く氷の粒が、キラキラと景色を彩った。




「どうして……こんな……」




 アンターテは崩れ落ち、瞳からぼろぼろと涙を流す。




「否定するな……わたしたちが簒奪者になった意味を……人を捨てた意味を、そんな、簡単にいぃぃぃ……ッ!」




 ◇◇◇




 王都のとある村に、ひときわ大きなお屋敷があった。


 かつて領主が使っていたその屋敷には今は誰も住んでおらず、村の子供たちは幽霊屋敷と呼んで恐れているらしい。


 しかし実際のところ、そこは廃墟などではなく――キャンドルで照らされた薄暗い大広間には、魔術研究のための多くの道具が並んでいた。


 部屋には車輪が回るキィキィという音が響く。




「今日は騒がしい日ね」




 車椅子に乗る“誰か”が、寂しげにそう呟く。


 それを押す執事服を着た二十代半ばほどの長身の男性は、何も言わずに試験管の並ぶデスクの前に主を移動させた。


 すると、大広間の扉が勢いよく開かれる。


 そこから現れたのは――




「やっと見つけたよ、エレイン」




 森の魔女、マヴェリカ・ジャラーパ。


 エレインと呼ばれた“誰か”は、ゆっくりとそちらに眼球を向けた。




「騒がしさはあなたのせいなのね、マヴェリカ」


「久しぶりの一言も無いのかい」


「以前から私を追っていたのは知っていたから」


「けど今回はあたし一人の力ってわけじゃないねえ。あんたの子分……アンターテとか言ったかい、あれが派手に暴れたおかげで手がかりに事欠かなかったのさ」


「可愛い子でしょう?」


「ああ、手のかかる子ほどってやつだな」


「それにしても飽きないわね、あなた。400年も一人の人間に執着して」


「エレインこそ、そんな体してるくせに、ずいぶんと余裕を装うんだね。余裕のなさの表れかい?」




 マヴェリカの前で車椅子に乗るエレインは、一人で立つことすらできない。


 当然だ、人の形をしていないのだから。


 いや、シルエットだけは人の形と言えるかもしれないが、皮も無く、むき出しの筋肉が一部にだけある姿を人と呼ぶだろうか。


 不可視の力で空中に浮かぶ血管と臓器。


 顔は眼球と口ぐらいしかなくて、あとは空白。


 こうして会話を交わせているのが不思議なぐらい。


 完成度10%ぐらいの人体、とでも言おうか――それが今の、エレイン・コンディータだった。




「あんただって焦ってるんだろう。精霊たちの予言によれば、侵略者(プレデター)が完全にこの世界に攻め込んでくるのは500年後のはずだった、それが100年も前倒しになったっていうんだからね」


「それでも私がやることは変わらないわ」


「未完成な簒奪者とやらで止められると?」




 マヴェリカの言葉に、執事の男は深い層に目元をぴくりと震わせた。


 おそらく彼も簒奪者なのだろう。


 一方でエレインは余裕の態度を崩さず言葉を紡ぐ。




「全人類が守護者となればこの世界は守られるわ」


「100年足りないんじゃないかい」


「計画はすでに修正済みよ。聖女のおかげでうまくいきそうなの」


「聖女は守護者に奪還された」


「血は十分にあるわ」


「数がいくらあろうと、守護者は止められないだろう」




 マヴェリカは自信をもってそう言った。




「どんなにドロセアを避けて計画を進めたところで、エレインが全人類の魔物化を目指す限り、いずれあの子にぶち当たる。完成した守護者(ガーディアン)は、あんたにとって避けては通れない壁のはずだ」




 対するエレインは落ち着いた声で答える。




「そうね」




 わかっている、そう言わんばかりに。




「てっきり、あなたは私を殺しにきたんだと思っていたわ」


「あんたを人間に引き戻すために400年も生きてきたんだ、今さら殺すわけないだろう」




 そう言ってマヴェリカが指をぱちんと鳴らすと、地面から椅子の形をした岩が生えてくる。


 水のクッションもセットだ。


 彼女は敵地だというのに堂々とそれに腰掛けると、脚を組んでふんぞり返った。


 そんなマヴェリカを前に、エレインは執事に指示を出す。




「ガアム、マヴェリカは客人よ。丁寧にもてなしてあげて」




 執事は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに会釈をするともてなしの準備をするために部屋を出た。




「お茶でも飲みながら観戦しましょうか、この世界の行く末を。人類はその役割を奪われ終わる瞬間を」


「そこであんたは知ることになる」


「世界を守るのは人類で十分だ、と?」


「いいや」




 おそらく――ずっとエレインに言ってやりたくてたまらなかったのだろう。


 マヴェリカは人生一番のしたり顔で言い放った。




「あんたとあたしの400年がどれだけ無駄だったのかを」




 己の時の流れすら否定しながら、マヴェリカは不敵に笑う。


 エレインの表情はわからないが、声は「ふふ」とわずかに微笑む。


 そして部屋の壁に映像が映し出された。


 それはドロセアの旅路だ。


 本人も知らないうちに世界の命運を背負わされた彼女の、新たな戦いが始まろうとしていた。




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