027 共に幸せな夢を見る
レプリアンを一刀両断したドロセアの守護者。
彼女は魔術を解除し生身に戻ると、動力を失い膝から崩れ落ちたレプリアンに駆け寄った。
その四肢はボロボロで、シールドで補強していないと身動きすらできないほどだ。
戦闘が終わり脳内麻薬が切れてきたのか、痛みも強まる一方で、ドロセアは顔を引きつらせながら脚を引きずっていた。
それでもリージェが目の前にいるという事実が体を軽くするのか、レプリアンの前に立つと軽々と自分の身長より高く飛び上がり、切断面に着地する。
見下ろした先には、虚ろな瞳でぐったりとしているテニュスと、額に汗を浮かべるリージェの姿があった。
「リージェぇっ!」
数年ぶりに見る愛おしい人の姿に、ドロセアの声は上ずる。
ただ見ているだけなのに、心は震え、瞳には涙が浮かんだ。
ドロセアはコクピットに飛び込むと、緊張した面持ちでリージェの体に手を伸ばす。
そしてそっと抱き寄せ、全身で体温と重みを噛み締めた。
「生きてる……生きて、また会えたね……リージェぇ……っ」
ボロボロと涙を流すドロセア。
そんな彼女の姿を、テニュスはぼんやりと見つめる。
(はじめて……見る表情だ……)
テニュスが好きになったのは“リージェを愛するドロセア”だと言っていたが、正確にはそれも違う。
これまで彼女が見てきたのは、“リージェを失ったドロセア”だ。
飢えた獣のように力を欲し、優しさと凶暴さを兼ね備えた戦士なのだ。
しかしリージェを目の前にしたドロセアは違う。
優しく、穏やかで、暖かく――まるで包み込む太陽のように、守るべき相手を抱きしめている。
(そっか、何もかも……違ったんだな……)
愛おしさは諦めへと形を変える。
ずしりと重しに絡め取られて、深海の奥底へと沈んでいくような気分だった。
体を包む倦怠感。
これに身を任せて意識を手放し、二度と浮上したくないと思った。
けれど――
「テニュス」
リージェを抱きしめたまま、ドロセアはテニュスの方を振り向いた。
確かに彼女はリージェのために生きている。
しかし、それは決してテニュスを“見ていない”わけではない。
友人として、好敵手として、共に切磋琢磨した相手のことを、ドロセアなりに大事に思っているのだ。
伸ばした手が、テニュスの額に触れる。
彼女はパチン、と脳内で何かが弾けた気がした。
途端に意識からモヤが晴れ、クリアになっていく。
「これで大丈夫、かな。簒奪者の魔術は消えたと思う」
「ああ……あたし、は……馬鹿な、ことを……」
「でも、本音だったんでしょ」
ドロセアは辛そうにそう言った。
大切な友達で。
でも、決してその想いを受け入れることは無い相手。
テニュスも理解はしている。
断る方も、辛いのだと。
「ああ、そうだ。あたしは、ドロセアのことが、好きだった……」
「私にとってテニュスは友達だよ」
「それじゃあ、足りなかったんだ」
「そっか、でも想いに答えることはできない。私が愛するのは、生涯でリージェ一人だけだから」
けれどドロセアは優しいから。
たとえテニュスから一方的に押し付けられたものだとしても、それが残酷なことだと知った上で、きっぱりと断る。
己も、心に傷を負いながら。
「だからテニュス……これからもずっと、私といい友達でいてね」
今は再会の喜びではなく、決別の痛みに瞳を潤ませ、そう告げた。
テニュスにも、改めて“振られた”という実感が湧いてきて、涙がにじむ。
唇を噛まないと、嗚咽が漏れてしまいそうだ。
重苦しい空気が漂う搭乗席内――すると、ふいにドロセアの表情が崩れる。
いや、無理をして作っているのだろう。
「それと、体温をあんなに上げたら一緒にいるリージェも危ないでしょ」
「あ……それは、すまん」
テニュスはそこで気づいた。
ドロセアの守護者が完成するまでは、まだ時間がかかると思っていた。
だからこそ全力を出して畳み掛けたのだ。
しかし、その途中にドロセアは覚醒とも呼ぶべき急速な進化を遂げ、魔術を完成させた。
何が引き金となったのか――それはリージェの存在だったのだ。
レプリアンの周囲が揺らめくほどの驚異的な熱気。
それはテニュスのみならず、リージェをも追い詰めていた。
あのまま長時間、高温となったコクピットに閉じ込められていれば、脳が茹だって危険な状態になっていただろう。
その危機感、そして怒りが、急速にドロセアの魔術を引き上げたのだ。
要するに、今の彼女はテニュスに激怒したい気分なはずだ。
しかしドロセアはあれは簒奪者に操られていたからだと言い聞かせ、己の感情を噛み殺し、あくまで友人として接する。
「簒奪者の魔術のせいだとはわかってる。けど、これぐらいのおしおきはしていいよね」
そう言って、ドロセアはテニュスの額にデコピンをした。
テニュスが「あいたっ」と思わず声を出すと、ドロセアはくすくすと笑う。
「じゃあね」
わずかに緩んだ空気。
その間に、ドロセアはリージェを両腕で抱えて飛び去った。
残されたテニュスは、釣られてわずかに笑った。
が、その姿が見えなくなった途端に表情はくしゃりと歪む。
にじんでいた涙がこぼれ、声も溢れ出した。
「っ……ドロセア、あたし……あたしはぁっ……!」
断られてもいい。
でも、もっと言っておけばよかった――そんな後悔が、今更になって心の沼の奥底から這い出てくる。
「好きだったんだよっ、本気でぇ……っく、うぅ、お前の、ことが……ずっと……こんなに、人を好きになったのは、初めてでぇっ……!」
自分は、いつまで報われない想いを抱き続ければいいのだろう。
そんな絶望が胸を焼く。
大好きな家族はみな死んだ。
ジンは遠かった。
ドロセアは別の人のものだった。
だったら、どうしたら――自分は一体、誰と生きていけば――
「あたしを、一人にしないでくれよぅ……う、うぅ、うああぁぁぁあああああああっ!」
憎たらしいほどの青空の下、血に汚れた少女は一人、叫び声をあげた。
◇◇◇
一方その頃、王都の町中では冒険者たちが手分けをして、避難誘導や救助を行っていた。
ティルルやルーンと別れ、王都に残ったトーマもそのうちの一人だ。
魔術で瓦礫を砕き、下敷きになった怪我人を聖職者の元へと運ぶ。
「音が収まったな、戦いが終わったのか?」
大聖堂方面を見つめながら、険しい表情で呟くトーマ。
彼はふと、ドロセアに言われた言葉を思い出していた。
『だとしたら、王都で何か起きたときに下手に戦おうとしない方がいいと思う。誰かを助けることに専念するべきだよ』
あのときも、決してその言葉を信じていなかったわけではないが――
「自分の無力さが嫌になるな」
実際に戦いを目にすると、実感が湧いてくる。
まあ、あの言葉があったおかげで、誰よりも早く救助活動を始め、多くの人の命を救えたわけだが。
しかし、冒険者となったからには“上”を目指したいと誰もが思うもの。
だが壁はあまりに高い。
するとそんな彼に向かって、どこからともなく現れた聖職者が言った。
「上には上の悩みがあるものデス。ワタシたちはワタシたちなりに頑張るしかありません」
「ラパーパさん、あなたもここにいたのか」
「さっきまで治療で大忙しでした、でも少し落ち着いてきたみたいなので」
大聖堂の方へと向かおうとするラパーパ。
トーマは訝しみながら彼女を止める。
「そっちはまだ危ないぞ」
「どーしてもワタシが治療したい相手がいるんデスっ!」
ラパーパはそう言って走り去っていった。
向かう先はもちろん、テニュスの元だ。
◇◇◇
同時刻、大聖堂付近にて――カインたちはレプリアンが両断される瞬間を見届け、戦闘が決着したことを知った。
「負けるのか……あの兵器が……」
安堵よりも先に、驚愕する。
何もかもが、彼の理解を越えた戦いだった。
しかしそれはカインに限った話ではない。
共に見つめていたシルドもまた、別次元の戦いの目撃者であった。
「こうなると、魔術師の等級という肩書きも大した意味を持たないのかもしれませんね」
レプリアンと戦ったあの白い鎧の主がドロセアであることを知っている彼は、しみじみとそう呟く。
すると道の向こうから、数名の騎士を引き連れた男性が近づいてきた。
足音に気づいたカインが振り向くと、そこには兄――クロドの姿があった。
「兄様、ご無事だったんですね!」
反射的に、年相応の声で喜ぶカイン。
しかしクロドの表情は険しいままだ。
「兄様……?」
「カインが無事で何よりだよ。さっそくだが移動しよう」
「どこへ行くのです?」
「大聖堂の跡地だよ、フォーン教皇ともすでに話はつけてある。予定通り戴冠の儀を行う」
「この状況で!?」
「この状況だからこそだろう」
語気を強めてクロドは言う。
「この混乱の中、王位が空白のままでは何が起きるかわからないからね。形式だけでも戴冠は済ませておく必要がある」
「ですが……それだけでは」
騎士団の団長が暴れまわり、多数の被害者を出してしまった。
王国の信用に関わるあまりに大きな事件だ。
それを、戴冠の儀の強行だけで解決できるとは思えない。
「確かに民の混乱は収まらないだろう。戴冠の儀が終わり次第、すぐにでも国王の声をみなに伝えるべきだろうね」
「しかし、どのような言葉で……」
「さすがに騎士団長が全て悪かった、とは言えないだろうね。実際のところ、この事件の引き金を引いたのはカイン自身だ」
「それはっ!」
「言い訳できるのかい」
「っ……」
言葉に詰まるカイン。
王牙騎士団の団員に魔術をかけ、強引に神導騎士団を結成した。
それが全ての原因である。
多くの王都の民が犠牲になった――その咎を真に背負うべきは、カインなのである。
「……では、僕が騎士たちを操ったせいだと、そう言えばいいのですか」
「困ったことに、それでも混乱は収まらない。余計に広まるだろうね」
「僕が罪を認めて、兄様に王位を譲ればいいではないですか」
「それをこの最中にやれと?」
「では……騎士団長はクーデターを起こそうとした」
「その筋書きは無理だろうね」
「なぜです!」
「他の騎士団長が納得しない。本物のクーデターの引き金になるよ」
ふとカインがシルドに目を向けると、いつになく厳しい目つきであることに気づいた。
彼はテニュスたちが魔術により心を乱されていたことを知っている。
挙句の果てに、彼女たちに責任を押し付けるようなことがあれば――
「では……では、どうしろと……別の誰かに責任を押し付け……ん? 別の誰か……?」
「幸い、ちょうどいい標的がいるね」
「侵略者……!」
都合のいい“敵”の存在を思い出し、カインは思わず手を打つ。
「そうか、先日の戦闘での接触でテニュスが影響を受けたことにすれば。いや、しかし民の不安を煽ることに……これに乗じて王国軍の軍備の補強を宣言するか……? それなら騎士たちの不満も多少は」
「そこは国王陛下の腕の見せ所だよ」
「兄様に皮肉でそういうことを言われると悲しくなります」
「僕はもっと悲しい思いをしてるけどね」
肩をすくめ冗談っぽく言うクロドだが、半分は本気だ。
だからこそカインの心は痛む。
「とにかく、共通の敵を作ることで民の一致団結を促し、混乱を収める。それが今のカインにできる最善だと僕は思う」
「僕も……兄様と同じ考えです」
「ただし一つ心配があってね」
「なんですか」
「カイン派の大臣の助言よりも僕からの助言を優先したとなると、後で揉めそうだ」
「……それは僕がどうにかします」
「大変だね、国王っていうのは」
「だからやめてください……シルド、引き続き護衛をお願いします」
「承知いたしました」
シルドと共に、カインは大聖堂跡地へ向かおうとする。
するとクロドがそれを引き止めた。
「ああ、ところでカイン。お前に聞いても知らない可能性の方が高いが――」
「今度はなんですか」
「サージスの居場所を知らないかい。連絡が取れないんだ」
「すみません、僕は何も」
「そうか、それなら仕方ないな」
問答を終えると、今度こそカインはその場から姿を消した。
そして騎士と共に残されたクロドの元に、聖職者が駆け寄ってくる。
どうやら付近で治療活動を行っていた男性のようだ。
「クロド殿下っ! た、大変です!」
「どうかしたのかい」
「サージス様とゾラニーグ様があの氷塊の下敷きにっ!」
男の指した場所には、空から落ちてきた巨大な氷の塊が突き刺さっていた。
レプリアンと守護者の戦いの最中に、突如として現れたものだ。
大半の人々はそれを、テニュスかドロセアのどちらかの魔術によるものと思っているのだろうが――
「簒奪者め、あの二人を狙ったのか」
クロドはその“犯人”を知っていた。
◇◇◇
レプリアンから離れ、リージェとともに王都からの脱出を目指すドロセア。
混乱の最中、警備の穴を突くのは簡単なようで、右往左往する民衆のせいでうまく進むことすらできない。
また、その手足の怪我の具合のせいで変に目立ってしまうため、ドロセアは路地に身を隠していた。
「まずいな……さすがに、無理しすぎたかも……っ」
痛みは強くなる一方で、心なしか体も重くなってきた。
するとそんな彼女の前に、人影が落ちてくる。
「ジンさん!」
「ようやく見つけたぞ。どうやら無事にリージェを助けられたようだな」
「おかげさまで」
「避難場所を確保してある、移動するぞ」
「何から何までありがとうございます!」
ジンに先導されながら向かった先は、王都の外ではない。
貴族の屋敷が立ち並ぶ一角だった。
「ここは……」
「王魔騎士団、アンタムの屋敷だ。彼女はどこの派閥にも所属していないからな、隠れ場所として疑われにくい」
そう言って、裏口から屋敷へと侵入する。
どうやらすでに使う部屋も決まっているようで、ジンは迷いなく廊下を歩いた。
すれ違う給仕たちは、ボロボロのドロセアを見てぎょっとしていたが、敵意は感じない。
「アンタムって、テニュスが乗ってたレプリアンを作った人ですよね」
「それに関しても彼女からドロセアに話がしたいらしい」
「やっぱり師匠が関係してるんでしょうね」
「十中八九な。ただしその前に、お前には治療を受けてもらうぞ」
「リージェの方は――」
「見たところ、意識を奪われ眠り続けているだけだ。後回しにしても命に別状はないだろう」
「……そうですけど」
「一刻も早く声を聞きたいのはわかるがな、その昏睡状態を作り上げているのはおそらくゾラニーグだ。一筋縄ではいかないだろう」
「会ったこと無いですけど、顔を見たら無条件でぶっ飛ばします」
「私も止めはしないさ」
部屋に到着すると、ドロセアはベッドに寝かされた。
リージェも同室の別のベッドに横たわる。
ドロセアは同じベッドがいいと主張したが、かなり血で汚れているのでそれは許可されなかった。
彼女はそこで、ようやく手足のシールドによる補強を解除する。
体内にシールドの芯を生み出すという強引な手段を使っていたため、解除した直後は激痛が走ったが、しばらくすると逆に楽になってくる。
しかし、手足に一切の力が入らない自らの肉体を感じていると、相当無茶をしたのだ、という実感が湧いてきた。
「しかし、ここまでの無茶をしたやつを見るのは初めてだ」
ジンにも同じことを言われてしまう。
「でも師匠はこれがお望みだったみたいですから」
「守護者、か……私は人間には過ぎる力だと感じたよ」
「必要なんでしょうね、師匠が求めるってことは」
「あの人は私たちを何と戦わせようとしているんだろうな」
「簒奪者……ってわけでもなさそうですもんね」
「そう感じるか」
「あいつらも侵略者とは敵対関係にあるみたいです。おそらく師匠が見据えている本当の敵はそっちなんでしょう」
「そのために必要な力が、守護者というわけか」
「正直、そういうの私はどうでもいいと思ってますけど」
それはドロセアの本心だ。
彼女の心は、どれだけ強大な力を得ても変わらない。
何ならむしろ、リージェが近くにいるからこそ余計に想いは強まっている。
「早く治療して、リージェを抱きしめたい……」
「ふ、それでいいと思うぞ。まずは自分の望みを一番に大切にするべきだ」
微笑むジン。
ドロセアはまだ幼い、そんな彼女に世界の命運だの、使命だの役目だのを背負わせるのは間違いだ。
テニュスに関しても心配はしていたが――やはりそれも失敗だったのだと、今回の結果を見て感じる。
無論、簒奪者やカインの介入があってのことではあるが、
「でも、何だか眠くなってきました」
「体力を使い果たしたんだろう、抗わずに寝るといい」
「リージェが隣にいないのに、寝たくありません……」
「はは、わがままだな。いや年相応か?」
「ジンさん、すいません、せめて……手を、繋がせてくれませんか……」
「隣まで連れていけばいいのか」
「はい。そうしたら、きっと、素敵な夢が見れると思うので」
「抱きかかえるが文句は無いな」
「そこまでの独占欲は……いや、ありますけど……今は、目をつぶります」
「ふっ、後で恨んでくれるなよ」
ジンは眠るリージェをドロセアのすぐ横まで運ぶ。
彼女はリージェの顔を見つめながら、大事に大事に指と指を絡めた。
「リージェ……ちゃんと、ここにいるんだよね……」
目を細め、改めてその体温を、その存在を感じる。
「私、助けられたんだ。ああ、やっと、リージェと……二人……戻、れる……」
そして達成感に包まれながら、意識を手放した。
ジンはその様子を見て――テニュス同様、ドロセアの表情が今まで見たことのないものであると気づく。
「そうか、今までずっと……無理をしてきたんだな」
そして彼は、悔いるようにそう呟く。
次にドロセアが目を覚ましたのは、それから三日後のことだった。
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