026 完成形
ドロセアとテニュスの極限の戦いは続く。
『いい加減に折れろよ! 痛いんだろ!? 辛いんだろッ!? だったらあたしに飼われればいいだろうがッ!』
レプリアン越しに聞こえてくる狂乱したテニュスの叫び。
同時に勢いよく振り下ろされた巨大な刃がドロセアに襲いかかる。
少し前までは、彼女はそれを剣で受け止めることしかできなかった。
だが、今は違う。
「言ったでしょ、幸せだって! この痛みが、苦しみが、全てがリージェを救うことに繋がっているのなら、私はあぁぁぁああッ!」
互いに斬撃を打ち合い、相殺している。
巨人サイズのレプリアンが振るう剣と、人間のドロセアが振るう――その巨人と同サイズの剣の威力は、拮抗しているのだ。
無論、代償の無いテニュスと違い、ドロセアは剣を動かすたびに手足の機能を失い激痛を感じている。
だが先ほど自身で言った通り、痛みは幸福だ。苦しみは歓びだ。
苦痛は彼女の動きを止めるどころか、その瞳をさらに見開かせ、気分を高揚させていく。
『諦めろ、諦めろ、あたしのものになれぇぇぇえッ!』
「リージェ、リージェ、リージェえぇぇえっ!」
『あたしを見ろよぉおおおおおッ!』
「リィィィィィジェェェェエエッ!」
狂気と狂気がぶつかり合い、ガゴンッ! ガゴンッ! と王都中の空気を震わせる。
テニュスの表情には焦りが浮かぶ。
明らかにドロセアは守護者を使いこなし始めている。
剣による攻防の最中、不意打ち気味に素手で彼女に掴みかかる――が、その体は鎧に包まれ、防がれてしまうのだ。
さらに鎧の姿は徐々にくっきりとしていく。
(完成に――近づいてやがる!)
レプリアンは守護者の模倣体。
直感でわかる、“本物”には勝てないと。
いや、すでに現時点でそうだ。
ドロセアはこの巨体と互角に打ち合えている。
(どうする、どうすれば勝てる? どうすればドロセアをあたしのものにできる!?)
レプリアン越しに、充血した瞳でドロセアを見つめるテニュス。
ドロセアの手足は紫色にうっ血していて、体中傷だらけの血まみれで、鼻血まで垂れ流しながらも、なおも美しい。
何より楽しそうだ。
そのとき、彼女はふと気づいた。
――なぜ自分は楽しめていない?
愛する人と、あのドロセアと殺しあえているというのに。
命と命をぶつけ合う――そう、ただの“稽古”では、友人では味わえない至福ではないか。
そんな貴重な時間の中で、なぜ自分は焦っているのか。
(ああ……そうか、あたしは勘違いしていた)
この恋は成就しない。
最初からテニュスはそれを知っていた。
だってドロセアはリージェを愛するからこそ今のドロセアとして生まれてきたのだから。
それでも振り向いてほしかったから、せめて愛ではなく、憎悪として――そう、妥協の末に、苦しんでもドロセアを自分のものにしたいと思っていた。
けどその先に幸せはない。
幸せのためにドロセアと一緒になりたいのに、今のままではドロセアと一緒になれない。
(あたしは……狂い足りなかったんだ)
常識なんて捨てろ。
四肢を切断してドロセアを切断する。
ドロセアに憎悪される。
(いいじゃないか、それで。想像してみろよ、ぞくぞくする。ぞわぞわする。幸せなんだよ。十分、それは、あたしにとってッ! 命を張るに値する幸せさなんだ!)
ぶちん、と脳内で何かが切れた音がした。
きっとそれは、ドロセアはとっくに捨てていた“何か”だ。
そう、ようやく彼女も同じ境地に至れたのである。
『はは』
打ち合いの後、レプリアンは大きく後ろに飛んで距離を取った。
これまでとは違う動きに、首を傾げるドロセア。
『ごめんな、ドロセア。あたしたちこんなに殺し合ってたのに、あたし、まだ乗り切れてなかったらしい』
「リージェを返して」
『でももう大丈夫だ』
「リージェを返して、テニュス」
『あたしも、お前みたいに命を燃やしてみるよ!』
「リージェ、リージェぇっ!」
ドロセアは真っ直ぐにレプリアンに迫り、剣を振り下ろした。
だが、姿が消える。
いや――その燃えるような気配が背後にあることは、すぐにわかった。
だが気配の検知に、体がついていくかは別の問題。
『お、ご、ぐがあぁぁぁぁああああああッ!』
血反吐を吐き出すようなテニュスの咆哮。
同時に放たれる一撃は、防御、回避、全ての選択肢を奪う圧倒的速度でドロセアの脇腹を薙いだ。
「が、ふっ……!」
鎧を顕現させたとはいえ、直撃を受けたドロセアは口から血を吐き出しながら、さながら弾丸のように吹き飛ばされる。
その軌道上にあった木々をなぎ倒しながら、大聖堂の壁に叩きつけられた。
霞む視界。
だが暑苦しい殺気を感じ、顔を上げる。
目の前には、ゆらめく陽炎を背負ったレプリアンが立っていた。
『ぐげっ、げひゃ、ぎひゃあぁぁぁぁああああッ!』
笑い声なのか苦悶なのかもわからない声を響かせ、放たれる刺突。
ドロセアはとっさに背後の壁を蹴り、転がるように回避する。
直後、大聖堂の壁にレプリアンの刃が突き刺された。
ヒュゴッ――そんな空を切るような音とともに、大聖堂の壁から天井にかけて巨大な穴が開き、消し飛ぶ。
「ああ……」
それを見たドロセアは、そう一度だけ吐息を吐き出した。
今のテニュスが自分と同類であると理解したのだ。
テニュスが用いたのは――おそらく自身の体温を急激に上昇させ、肉体の代謝を急上昇させているのだ。
元々、火属性の魔術で筋力を向上させ肉体を強化することはあった。
それをもっと極端に、肉体に破滅的な負荷がかかるまでに強めたものだ。
結果、テニュスの肉体のみならず、それと同調するレプリアン自体も高熱を放っている。
『ドロセアあぁぁぁあああッ!』
スピード、パワーともに、人類の限界を突破した動き。
それは巨体でありながらも、ドロセアに感知できない領域にまで達していた。
回避不可能の斬撃は無情にも少女に叩きつけられ、その体を吹き飛ばす。
「ぐがあぁっ!」
『感じるっ、ドロセアの、感触をぉおおッ!』
そして吹き飛ばされた場所に先回りしたレプリアンは、今度は空へとドロセアを打ち上げた。
『ドロセア、ドロセア、どおぉおおおっ! ああぁぁぁあああああ!』
空中に浮かび上がるドロセアに、無数の斬撃が襲いかかる。
レプリアンは浮遊しているわけではない。
飛び上がり、斬り掛かっては王都のどこかに着地し、そしてすぐさま飛翔しているのだ。
その繰り返しにより、王都のいたる場所にクレーターが生じる。
だがそれは人類に認知できる速度ではないため、空に浮かんでいるようにしか見えなかった。
『ああぁぁあああああ! うがっ、がぐぅう、ぎがぁぁぁあああああっ!』
当然、それだけ自身の体温を上げればテニュスにも異常は生じる。
まずは脳だ。
茹だった脳は正常な思考能力を失い、彼女を本能のみで動く完全なる獣へと変えた。
それにより人間的な“躊躇い”を完全に消し去ったために、むしろテニュスの反応速度を上げる結果となった。
しかし筋肉や臓器の方はどうか。
もちろんそれだけの酷使に耐えられるはずもなく、悲鳴をあげている。
音速を越えた動きは全身に無茶な負荷をかけ、ぶちぶちと筋肉を引きちぎり、ぐちゃぐちゃと臓器を潰し、煮立てる。
口から垂れ流す涎にはピンク色の血が混ざり、鼻のみならず、目や耳からも血が流れ落ちる有様だ。
だから、幸せだった。
ドロセアと同じ領域に到達できたことが、ただただ、ハッピーなのだ。
『ぐぎゃはははっ! ぎぎゃっ、ドロしぇ、せっ、ああぁぁぁぁぁああっ!』
しかし――レプリアンはそうもいかない。
それを最も理解しているのは、開発者たる王魔騎士団の団長、アンタムだった。
彼女は研究所で突如としてテニュスにぶん殴られ、意識を失っていたところを、ジンに救助されていた。
現在は研究所から少し離れた場所で、ジンと一緒に苦しげな表情で空を見上げている。
「こーなんのわかっててやってたんなら、さすがにあーしマヴェリカさんのこと殴るし」
「さすがに想定外と思いたいがな」
「つかさ、レプリアンの耐久性は通常時のテニュスに合わせて作られてんだよね」
「今のテニュスは、魔術により人体の潜在能力を強引に引き出している状態だ」
「人体もぶっ壊れるだろーけど、あそこまで無茶な使い方したらレプリアンもどうなるかわかんないんですケド」
開発者の予言めいたそんな言葉の直後――レプリアンに異変が生じる。
「今の一撃、視認できたな」
そう、空中でドロセアに向けて振り下ろされた斬撃が、ジンにも見えたのだ。
「明らかに動きが鈍ってんだよねー」
無茶な動きをしすぎたせいで、腕と脚の関節部が損傷している。
レプリアンの稼働限界は近い。
しかし、それ以上に異常なことがある。
「……どうなっているんだ」
「あーしもそれ思ってた」
アンタムは、恐れすら感じながら呟く。
「なんであそこまでされて、ドロセアは生きてるワケ?」
空中で好き放題に切り刻まれるドロセア。
誰の目に見ても、すでに絶命しているはずだ。
だがジンやアンタムのような騎士団長級の人間は気配でわかる。
そこに“命”があることを――
『が、ぎゃがあぁぁああああっ!』
血を吐き出しながら叫ぶテニュス。
一見して追い詰めているような彼女だが、再び感情に“焦り”が生じる。
それは理性から生まれるものではなく、獣の本能からにじみ出る、本物の焦燥。
勝負をすぐに終わらせるために、テニュスは命を賭けたのだ。
そう、実際力の差は圧倒的で、とっくに決着は付いているはずだった。
だというのに――
(何だよ、あれ)
最初は確かに人の形をしていた。
ドロセアは身を守るために鎧を具現化させていた。
それがやがて、全身を包んだ。
だがそれでも斬撃の威力を殺しきれずに、足は砕け、腕はひしゃげ、体は潰れていった。
そしてドロセアの体は肉団子みたいにぐちゃぐちゃになった。
――と、獣は思っていた。
しかし目の前にあるのは、肉の塊ではない。
球体だ。
血で汚れてはいるが、白く、そして淡い光を放つまあるい球体。
(卵、みてえじゃねえか)
それは幾度となく剣を叩きつけても、傷ひとつ付かない。
何なら、レプリアンが地面に着地し空を見上げても、落ちてくることすらなかった。
見上げる。
放つ淡い光を見ていると、自然と気持ちが落ち着いていった。
嘘みたいに殺意が萎えて、肉体を強化していた火の魔術も解けた。
心が浄化されたとか、そういう話じゃない。
『あんな、もの……』
テニュスは見上げて、呟く。
空中に浮かぶ球体はやがて形を変えて、ついに人型へと変形した。
大きさはレプリアンと同じぐらい。
しかし色は対称的に白く、さながら騎士を思わせる姿をしていた。
きっと神聖なものを守るために生まれてきたんだろう。
天使、あるいは女神か。それを象徴するような紋章が胸元に浮かぶ。
そして手には、透き通った刃の片手剣が握られていた。
そいつはゆっくりと大地に降り立つと、レプリアンを見つめる。
『はは、勝てるわけねえじゃん』
――諦観。
それがテニュスから戦意を奪ったものの正体だった。
偽物で勝てるはずがない。
あまりに圧倒的な力の差――それを証明するように、ドロセアの守護者が動いた。
その剣を両手でかかげると、ぶれのない美しい動きで空を両断する。
(ああ……なんて、綺麗な……)
光の刃が飛翔し、レプリアンに迫る。
一応、テニュスは剣で防ぐような素振りを見せた。
しかしドロセアの刃は素通りするように剣を裂く。
搭乗者を避けるようにレプリアン本体も切断する。
黒い鎧の上半分がごとりと地面に落ちる。
先ほどまでの狂騒が嘘のように、静かに戦いは決着した。
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