023-3
一方その頃、サージスとゾラニーグは数名の修道士を引き連れて、今も王城内に潜んでいた。
外での激しい戦闘は把握している。
テニュスが謎の鎧に乗って出撃し、大活躍したとの報告も入った。
だがそれでもゾラニーグがやるべきことは変わらず――いや、むしろ都合が良くなったと言える。
「テニュスと接触して何をするつもりだ」
「焚き付けるんですよ」
二人がいる廊下は、王魔騎士団の研究所から神導騎士団の詰め所へと向かう道中に必ず通る場所だ。
そこでテニュスの到着を待つ。
「私が見る限り、彼女たちを洗脳した闇の魔術は、単純に意識を操るといったものではありません」
「カルマーロ、とかいう男の魔術と言っていたな」
「おそらく人間の心、あるいは脳に干渉してその人物が抱く“不安”を増幅させているんですよ。そうやって心に隙を作り、そこに信仰を流し込む」
「詐欺師の手口だな」
サージスがそう言うと、ゾラニーグはなぜか不満げだった。
「なぜお前がむっとする、心当たりでもあるのか?」
「……かもしれません。おほん、ですがそこに我々の付け入る隙がある」
気を取り直して、彼は作戦の続きを話す。
「都合のいいことに、テニュス殿は途方もない力を手に入れた。あれが何なのかは気になりますが、改革派からも追い出されそうな私にはどうでもいい話です」
「確かに気になるな……」
「それよりも大事なのはカイン王子に破滅してもらうことですよ」
「いい顔で笑うのだな」
「前からあの甘ったれ坊やが気に入らなかったので」
それは正直なゾラニーグの本音だった。
簡単に創造神ガイオンからエレインに鞍替えする芯の無さ。
そのくせはまり込んだら意地でも曲げようとしない妙な頑固さ。
中間管理職としての経験が長いゾラニーグにとっては、上司にしたくないタイプナンバーワンなのだ。
「ときにサージスさん、今後も教会には聖女が必要ですか?」
「あるに越したことは無いが、すでに死んだ扱いなのでな。主流派としては恩恵を享受しているとは言い難い」
「でしたら構いませんね」
「一体何を……」
未だに作戦の詳細をサージスに語ろうとしないゾラニーグ。
「おっと、来ましたよ」
そのまま、テニュスが彼らの前に現れてしまった。
「本当に大丈夫なのか。貴様を殺すよう命令を受けている可能性もあるぞ」
「そのためにあなたがいるんでしょう? 守ってくださいよ、ちゃんと」
サージスは『相手が悪すぎる』と内心で愚痴りながらも、角から姿を現しテニュスの前に立つゾラニーグを見つめていた。
「いやあ、どうもどうもテニュスさん。毎度おなじみゾラニーグでございます」
できるだけ陽気に声をかけるゾラニーグ。
そんな彼に対し、テニュスの返答は――
「裏切り者が」
首筋に剣を突きつけることだった。
ゾラニーグの頬が恐怖にひきつり、冷や汗がぶわっと額に吹き出す。
だがまだ死んではいない、ならば作戦は決行可能だ。
「待ってください、実はドロセアさんに関して面白い話を耳にしまして」
「ドロセアが?」
一瞬にして殺気が緩む。
ゾラニーグは心のなかでほくそ笑んだ。
(やはり……反応を示した。あなたの周囲を探らせてもらいましたが、最も大きな感情を向けている相手はドロセアという少女なのは正しかったようだ)
改革派やカイン王子の派閥とは関係なく、彼は個人的に部下に色々と調べさせていた。
ゾラニーグはお世辞にも魔術師として優れているとは言えないし、家柄も大したことはない。
そんな彼が権力者や高位の魔術師と対等に接するには、情報が不可欠なのだ。
(まあ、ガサツな女のくせに、部屋の引き出しに似合わない思い出の押し花なんてものを大事にしまってるんですから、その時点で確信はあったのですが)
言うまでもなく、それはマヴェリカのところで過ごしたとき、ドロセアと一緒に集めた花だ。
彼女はこっそりとマヴェリカに押し花の作り方を尋ね、今も大事にそれを仕舞っていた。
「近々カイン王子が聖女の力や存在を公表するつもりだという話はご存知ですか?」
「あたしには関係ない話だ」
「即位に合わせて国民への手土産とでも言いますか、聖女の魔力向上の力を利用して民の心をぐっと掴むつもりでいるようです」
「そこにドロセアがどう関係してくる」
早く結論を話せと言わんばかりに、テニュスは剣を握る手に力を込めた。
だがさっきほどの恐ろしさはない。
(そしてドロセアという少女は、どうやら聖女様を取り戻すために奮闘しているようだ。Z級魔術師のくせにS級魔術師からも一目置かれているというのは解せない話ですが、すでに相当近くまで迫ってきている。カイン王子の元に残っていたら私も狙われていたでしょうねえ。おお、怖い怖い)
幸い、ゾラニーグとドロセアは今のところ接触していない。
まあ、リージェを教会に連れてきて軟禁するよう指示した首謀者なので、会えばまっさきに殺される可能性が高いが、会わなければいいだけだ。
「ドロセアさんの存在って、実はカイン王子にとっても脅威――というか不安の一つのようでして。王位継承の場で暴れられると都合が悪いじゃないですか」
「あいつなら……そうするだろうな」
「ですから先に抱き込むつもりのようですよ」
「あたしらの仲間になるってことか? どうやって!?」
もはやテニュスは興味を隠さない。
強い興味とは、すなわち強い感情がそこに存在するということ。
彼女はカルマーロにより、どんな“不安”を増幅させられたのか。
どうやらそれはゾラニーグの想像通りだったようだ。
「聖女様の騎士に任命するんですよ」
そして彼はテニュスの不安にとどめを刺す。
「聖女様は精神面で不安定であるがゆえに、眠らせておくしかなかった。ですが眠り姫のまま公表すると非人道的な扱いだと民から糾弾されかねませんから、目を覚ました上で、今まで通りに活躍していただく必要があるわけです」
「そのためにドロセアをっ!?」
「ええ、彼女を聖女様専属の守護者にして一緒に生活してもらえば、誰も損することは無い。違いますか?」
微笑むゾラニーグの顔は、サージスから見るとまさに詐欺師のそれであった。
不安により冷静さを失ったテニュスは、それを疑うことができない。
「何でだよ……」
彼女の手から剣が落ちる。
空いた右手は拳を握り、彼女はそれを顔の前まで持ってきた。
爪が食い込んだ手のひらから、ぽたぽたと血が落ちた。
「おかしいだろ、そんなの……何で、何でドロセアがリージェといっしょに……」
顔を赤くし、こめかみに血管を浮かび上がらせながら、まるで鬼のような形相で怒りをたぎらせる。
「いや、違う、それは正しくて。でもそうなったらあたし、それを近くで見てることしかできないってのか!? せっかく、せっかく力が手に入ってドロセアを私のものに……できると思ったのに……ッ!」
まるで破裂寸前の風船のようだ。
ゾラニーグは興味本位で、そんな彼女に声をかける。
「大丈夫ですか、テニュスさ――」
「黙れえぇえぇぇええええッ!」
爆ぜた感情で、テニュスは真横の壁を殴りつけた。
ガゴォンッ! と壁に大きな穴があき、その衝撃でゾラニーグは吹き飛ばされる。
「うおわあぁぁああっ!?」
「大丈夫か!」
とっさにサージスが助けに入り、修道士と共に彼の体を受け止めた。
「あ、ありがとうございます、サージスさん。このご恩は必ず返しますので」
「それよりあれはどうなっている!」
サージスが言っているのは、暴れ狂うテニュスのことだ。
感情のたがが外れた彼女は、叫び、わめき、体をかきむしり、額を壁にぶつけ、体を血で汚しながら激情をぶちまけている。
「ふざけるな、ふざけるなあぁあっ! あたしはこんなことのために従ってるんじゃ! 信仰は! 神はあたしを救ってくれるんじゃなかったのかよぉおおおッ!」
とてもではないが、話が通じる状態ではなかった。
「ひとまず逃げましょうか。これでやるべきことは終わりました」
ゾラニーグはサージスと共に、騒ぎが大きくなる前にその場を離れた。
「どういうことか説明しろ!」
「テニュスさんの心にある最大の不安とは、ドロセアさんのことだったんですよ。思春期の少女の叶わない恋、それが簒奪者の魔術により増幅され、歪んだ感情に変えられていたんです」
「それを煽ったのか」
「ええ、きっと彼女なら――カイン王子の企みをぶち壊してくれると思いますよ」
「聖女はどうなる」
「最悪死にますね」
さらっと言ってのけるゾラニーグ。
サージスは戦慄した。
「き、貴様というやつは……!」
「そこにドロセアという少女が現れるのか、はたまた簒奪者が止めにくるのか。我々は機を見て漁夫の利を狙えばいいのですよ」
「いつか恨みに殺されるぞ」
「今更すぎる忠告ですね」
改革派を大きくする道程において、出た犠牲は一人や二人ではない。
ゾラニーグ自身も、数え切れないほど命を狙われていた。
それが良いことだとは本人も思っていないが、恨まれるのは慣れっこらしい。
現場から立ち去る元凶二人。
廊下に残ったテニュスは、いつの間にか暴れまわるのをやめていた。
「やっぱりそうだ……リージェが……聖女がいるからドロセアはあたしを見てくれないんだ。だったら、あたしがやるべきことは――!」
行き場のない感情は、ついに一つの終着点を見つける。
もちろん、それがまともな目標なわけがない。
すっかりぼろぼろになった廊下を離れるテニュスは、破滅的な終わりへ向けて虚ろな瞳で歩きだすのだった。