022-3
見えない口による噛みつきを避け、ドロセアは至近距離で岩を放つ。
確かに異形の敵はひしゃげて弾けたが、すぐに元の形に戻ってしまった。
再生はこれで四度目だ。
斬って潰して燃やして凍らしてと様々な方法でとどめを刺してみたが、どれも効果が無い。
遠くで戦っている簒奪者の方も似たようなもので、どれだけ巨大な氷で相手を押しつぶしても、すぐに再生されていた。
「やっぱりそっちの体は見せかけなんだね」
おそらく、見えない部分こそが本体なのだ。
あっちの白い異形の方は、興味を誘い引き寄せるための“疑似餌”とでも呼ぶべきか。
幸い、相手は積極的にドロセアに噛み付いてくる。
魔力の流れが見えるおかげで、はっきりと口――もとい“本体”の位置もわかるため、攻撃を仕掛けること自体は容易なのだが――
ドロセアは「よっと」と高く飛び上がり、噛みつきを避ける。
そして即座に腕力を強化し、敵に剣を突き刺した。
しかしカキンという音と共に刺突は弾かれる。
続けざまに斬りつけてみるが、斬撃でも結果は同じだった。
噛みつきが不発に終わり、本体はにゅるりと肉体へと戻っていく。
「見るからに軟体って感じなのにあんなに硬いんだもんなぁ」
見えている部分は柔らかいが不死身。
見えない部分は岩よりも遥かに硬い。
かなり厄介な相手だ。
現状、ドロセアが出せる最大火力は剣による斬撃になる。
腕力の強化、及びジン直伝の剣術を上乗せした一撃なら、大抵の相手は斬り捨てられるのだ。
確かに模倣魔術により様々な属性を操ることはできるが、それらは模倣である限り、コピー元よりも威力が劣ってしまう。
どれだけ模倣の精度を上げ、魔力を注ぎ込んでも、出力は元の八割と言ったところだろうか。
それゆえに斬撃が通用しない敵は、基本的に魔術による遠距離攻撃も通用しないのである。
加えて、この化物はドロセアと相性が悪く――
「せめて魔術使ってくれればっ、魔力を溜め込んで一気に放出とかもできるんだけどっ!」
駆け出し、飛び上がり、民家の壁を蹴って宙で体をひねり相手の咬撃を避けるドロセア。
そう、魔術を使う敵ならば、これらも全て避ける必要は無いのだ。
シールドで魔術を分解してやれば逆に魔力を溜めることもできるし、仮に分解が間に合わないほど高威力の魔術を使ってきたとしても、その一部だけでも分解できれば魔力は補充できる。
それらの全てが封じられているため、“硬い敵”に対してドロセアが取れる手段は限られていた。
(意識を研ぎ澄まし、次の一撃に全てをつぎ込む)
相手の外殻を突破できないのなら、連続で攻撃を仕掛けても意味はない。
求められるのは“質の高い一撃”だ。
敵が本体を展開する。
右目で見る限り、それは十メートルにも及ぶ、無数の牙が並んだ巨大な口だ。
“最大”という表現になるのは、大きさが可変であるためで、人一人を狙う場合は1メートル程度の大きさまで絞ることもあるようだ。
そして小さいほどに動きは素早くなる。
逆に今のように大きなサイズにすると、動きは緩慢になってしまうのだ。
パーツは上顎と下顎しかなく、縦に開くのではなく、横に――閉じられたときにドロセアを挟み殺せる形で出現する。
形状、及びサイズの把握を完了。
ドロセアは最小限の高さ――足裏を異形の牙がかすめるほどギリギリに飛ぶ。
ガチンッ、と閉じられる口。
空中にて剣を高く構えたドロセアは、赤い術式を腕に浮かび上がらせながら、それを真っ直ぐに振り下ろした。
ところで、ジンやテニュス、ドロセアが身につけた剣術は王国において王牙流と呼ばれている。
これはガイオルース王家に由来するもので、本来は王家の血を引く一部の人間にのみ伝えられてきた剣術である。
この剣術は、剣を振るった際に発生する空気の断裂を利用した剣技を得意としている。
基本の剣技として頻用される飛翔する斬撃も、この断裂そのものと言ってよい。
だが当然、王牙流の真髄はただ遠距離に攻撃することのみではない。
現在のドロセアのように、敵と接近した状況において、直に相手を斬りつける際にも威力は発揮される。
刃により空気の流れが断ち切られ、断層が発生する。
それを飛ばすのではなく纏うことにより、斬撃の威力は何倍にも引き上げる。
「うおぉぉおおおおおッ!」
先ほどまで弾かれていた刃が、肉に沈む。
傷は生じた。
だが斬り抜けることができず、斬撃がそこで止まってしまう。
まるで沼に体が沈み込んだように両腕が重い。
だがここで完全に止まってしまえば、これ以上傷を広げることができない。
ドロセアは歯を食いしばり、さらに多量の魔力を両腕につぎ込む。
浮かび上がる赤い術式が光を増し、柄を握る手の甲に血管が浮かび上がる。
「斬れろぉおおおッ!」
まるで剣が気迫に答えるように、異形の肉を斬り進む。
「グゲエェェェエエッ!」
さすがにこれには敵も堪えたのか、疑似餌が悲鳴を上げた。
もっとも、それは声というよりは、吐き出す息と大量の唾液が絡まったような、汚らしい音だったが。
そしてついにドロセアは剣を振り抜き、敵の本体に大きな傷を刻んだ。
本体は慌てて体内に戻り、さらに疑似餌の方も背を向け逃走を図る。
「逃がすかっ!」
無論、ドロセアはすぐに追いかけた。
下手に逃げられれば、避難中の市民が食われる可能性だって出てくる。
彼女は追跡中、ちらりと空中で戦うアンターテの方を見た。
すると先ほどまでは明らかに戦い方を変えている。
疑似餌ではなく、見えない本体に向かって氷の槍を突き刺す簒奪者。
(あいつ、私の戦いを見てたの……?)
正直かなりムカつくが、一方で明らかにアンターテの方が魔術の威力は高い。
的確な攻撃が可能となったことで、着実に侵略者は追い詰められていく。
(あれだけ串刺しになっても弱るだけで死んではいない。私は傷一つ付けるのにも苦労したっていうのに)
だがドロセア自身、自分の戦い方が決定打に欠けるという自覚はあった。
(あれを試すしかない、か)
無論、解消仕様のない欠点としてそれを受け入れたわけではない。
ドロセアにも“切り札”はある。
問題は、それがマヴェリカの元で修行をしていたときも、まだ未完成だったことだが。
徐々に侵略者との距離は詰まっていく。
敵は前方に逃げる一般市民の姿が見えた途端、大きく口を広げて捕食しようとした。
「まずは脚部に展開」
ドロセアの両脚をシールドの淡い光が包む。
それはまるで生きているかのように形を変え、やがて彼女の脚部は白い鎧を纏った。
額に汗が浮かぶ。
魔術の模倣以上に大量の魔力を消耗しているようだ。
しかし――その消耗すら対価として安すぎるほどの、莫大な力が両脚に満ちる。
「飛べ」
地面を蹴った。
ボゴォッ! と周囲の石畳が吹き飛び、土台の土もえぐられ地面に大きな穴があく。
飛び出したドロセアは、時を限界まで切り刻んだ一瞬で疑似餌の横を通り抜け、一般人を食らおうとする本体に接近。
だが彼女自身、あまりのスピードに呼吸もできず、全身の筋肉が引きちぎれそうな痛みを感じていた。
また速すぎて制御できず、空中で剣を抜くことすら出来ない。
だから、そのまま敵にぶつかることにした。
技術の介在する余地のない、単純明快な膝蹴り。
しかし人間の限界を超越した速度から繰り出されるそれは、威力もまた常識外れだった。
生じた衝撃で近くのレンガが砕け散り建物が破壊され、逃げていた人々もふっ飛ばされる。
地面に落下したため死んではいないのが幸いだ。
無論、直撃を受けた本体も無事ではすまない。
打撃でひしゃげ、潰れるだけではない。
弾けて、肉をえぐり取られる。
先ほどの斬撃とは比べ物にならないダメージだ。
疑似餌がさらなる苦悶の叫びを響かせる。
一方で、ドロセアは侵略者との衝突で勢いが衰えたおかげで、スピードを制御できるようになっていた。
膝蹴りを食らわせたあと、バランスを崩して空中に投げ出されたが、体勢を持ち直し、片手をついて滑るように着地する。
「はっ……はっ……はっ……」
鎧の着用から着地まで、一秒も経っていないほどわずかな時間の出来事だった。
だがその一瞬で息が切れ、心臓が握りつぶされそうなほど痛い。
「連続では使えないな、これ……でも」
おかげで侵略者にかなりのダメージを与えられた……が、まだ倒れてはいない。
苦しみ悶える疑似餌は、再び恐怖から逃げ出すかと思われたが、その叫び声は徐々に怒気を孕んだものへと変わっていく。
怯えは怒りへと転化し、それをさらに殺意へ変えてドロセアへぶつけようとしているのだ。
「ゲェェッ、ゲヒュッ、ゥゲエェエェエエエッ!」
開かれる口。
吐き出される本体。
無惨にも一部がえぐりとられたそれは、しかしまだ捕食部としての機能を失ったわけではない。
「まだ死んでないってんなら、やるしかないよね」
ドロセアは一旦剣を手放し消した。
そして右腕をシールドで展開する。
先ほどと同じ要領だ。
(私は魔物化した自分の肉体を人間に戻すために、“裏返したシールド”を使用した)
彼女はエルクに魔物に変えられ、そしてマヴェリカのもとで人間に戻ったときのことを思い出す。
(それはつまり、外から身を守る盾ではなく、内から溢れ出ないようにするための盾)
思えばシールドとは不思議な異質な魔術だ。
術式は存在しないし、精霊の力も借りない。
人間が自らを守るために生み出した、唯一の“オリジナル”とも言えよう。
(どうして人がシールドなんて魔術を生み出したのか。何から身を守ろうとして生まれたものなのか。考えてみれば、自ずとこの魔術の“正しい使い方”はわかる)
彼女は思う。
現状、それに唯一気づけたのがドロセアだっただけで、本来は当たり前のように誰の体にも宿っているものなのだと。
だからこれはオリジナルではない。
(私の本能よ、具現化しろ)
“人の本能”の模倣である。
ドロセアの腕が白い鎧に包まれていく。
右腕だけだ。
反動の問題で今は片腕が限界だった。
それは人が纏うにはあまりに大きく、ゴツすぎる鎧で、右腕のみにそれを装着したドロセアの姿はひどくアンバランスだった。
そしてその腕に握る剣もまた、人が扱うには大きすぎるもの。
元よりドロセアの剣はシールドによって作り出された模造剣、サイズなど自由に変えられる。
彼女はその剣を高く掲げ、振り上げた。
「本当はエルクや簒奪者をビビらせるために用意してたんだけど」
その巨腕から放つ剣術は、もちろん王牙流。
「まあ――見られてるなら、同じことか」
「グゲアァァアアアッ!」
食らいついてくる侵略者。
その脳天を叩き潰すように、剣は振り下ろされた。
直後、ズドンと刃は地面を叩く。
刃と地面の間には敵の本体があったはずだ。
ドロセアが傷をつけるだけであれほど苦労したそれを、巨腕の一撃は空気を斬るように切断した。
さらに大地は砕け、飛び散る瓦礫――生じた空気の断裂も無数に飛散し、街並みごと侵略者の肉体を細切れにしていく。
「クヘッ、ヒヒャッ、ゲシャアァァアアアッ!」
斬と打の奔流に呑み込まれ、ミンチへと変えられる異形。
もろとも破壊された王都の一角は、上空から見るとさながら巨竜の爪痕のようにも見えた。
◇◇◇
実際に上空にいたアンターテは、侵略者の本体を氷塊で押しつぶし、トドメを刺す最中にその光景を目撃する。
目を見開き、怒りに声を震わせながら彼女は呟いた。
「ドロセア……やっぱり彼女こそが、エレイン様の最大の障害……!」
まるでその力こそが敵対する理由そのものだと言わんばかりに、憎悪をたぎらせる。
一方、別の場所で戦闘を繰り広げていたカルマーロもまた、静かで冷たい視線でドロセアを見つめた。
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