022-2
「馬鹿な……!」
王城を出ようとしていたはずのゾラニーグは、誰も居ない倉庫に身を潜めていた。
その腕からは血が流れている。
「最初から、私を切り捨てるつもりだったということか、カイン……ッ!」
怒りに顔を真っ赤にするゾラニーグ。
しかし足音が聞こえるとその体は恐怖にこわばった。
(正しき選択の暗殺者……まさか兵士に化けているとは。それとも常に、兵士のふりをして城内にいるのか? クソ、あいつらも私ではなくカインと繋がることを選んだということか!)
この調子だと、改革派の幹部や、力を貸してくれる貴族もどこまで信じられるかわかったものではない。
(僕がいなければ、改革派は……いや、教会だってここまで力を持つことはなかったというのに)
彼が強く握った拳には、悔しさがにじみ出ている。
(信仰で目が曇った連中のせいで、教会の内部は腐り切っていた。僕がいなければ、強引な方法を使ってでも改革を進めなければ、組織運営も、王国との繋がりも、金のやりくりも、今ごろ手遅れになってたんだぞ!?)
実際、ゾラニーグの功績は大きい。
だから30代前半で大司教にだってなれた。
改革派という巨大派閥の長にもなれた。
彼を慕う教会の人間だって少なくないし、教皇だって頼りにしてくれている。
彼の自己評価は決して間違っていない。
だがゾラニーグは誤った。
元々、信仰以外に興味を示さない極端な主流派が権力を握っていたため、教会はめちゃくちゃになったのだ。
そして今、彼はカイン王子と簒奪者という、“エレインの狂信者”たちと一緒にいる。
そう、気づけばまた、信仰以外に興味を示さない集団に呑まれようとしていたのだ。
(確かに改善された今となっては、私は不要かもしれない……しかしッ、私は自分のことをこんな簡単に切り捨てられていい人間だと思ったことは――)
新たに近づいてきた足音が、倉庫の前で止まる。
彼は呼吸すらも止めて気配を殺したが、無情にも扉は開かれた。
(足音……複数人、か……?)
先ほどの暗殺者は一人だったはず。
だが、だからと言って安心はできない。
すると、そのうちの一人が室内の異変に気づいた。
「血か……?」
ゾラニーグの腕から滴る血に気づいたのだ。
点々と落ちたそれを辿っていくと、やがて彼の元までたどり着く――
「ここにいたか、ゾラニーグ」
目の前に現れたのは、暗殺者ではない。
天敵であるはずのサージス教皇代理だった。
「サージス、なぜあなたが……」
「クロド殿下に会いに来てみれば、修道士の一人が奇妙な声を聞いたというのでな。不審に思い周囲を探ってみたらご覧のとおりだ」
認めたくはないが――ゾラニーグは、安堵していた。
サージスはそれを見て鼻で笑う。
「貴様が私を見て安らぐ瞬間を見ることになるとはな、長生きはしてみるものだ」
「我ながらみじめだとは思いますよ」
「誰にやられた」
「正しき選択です。どうやら私はカイン王子に捨てられたようですね」
「カインめ、王城内に薄汚い暗殺者を引き込んだか。おい、誰でもいい。軍と王導騎士団に連絡しろ、逃げられる前に捕らえるのだッ!」
サージスが命令を出すと、修道士のうちの一人が走り出した。
「そんなことをしても捕まりませんよ」
「カイン王子の立場は悪くなろう」
悪意もなくそう言い切るサージス。
さらに彼はゾラニーグの前にしゃがみ込むと、傷口に手を当て魔術による治療をはじめた。
ゾラニーグは肩を揺らして笑う。
「自分でできますよ」
「恩を売りたい」
「何を企んでるんです」
「以前から思っていたが、貴様のやり方は信仰心に欠けておる」
「欠ける? あまりに視野が狭いですね。私には信仰心など微塵もありませんよ、本当は教会にだって入りたくなかった」
「ならばなぜ――」
「光の魔術が使える時点で強制的に、ですよ。私にも私の夢があったんですがね。ですのでそれを教会の中で叶えることにしたんです――結果はご覧の有様ですが」
「それが改革派を動かす貴様の原動力か。道理で信仰心を感じぬわけだ」
「あなたがたのやり方が感情的すぎるんですよ」
「貴様のやり方は不愉快だが、それが教会という組織に力を与えたのもまた事実だ」
「……驚いた、あなたが私を評価するとは」
「聖女に加え、神導騎士団結成……内容はどうあれ、功績は功績だ。そこで一つ相談なんだが……私と手を組まんか」
ゾラニーグは思わず「は?」と反射的に聞き返す。
水と油が混ざり合うぐらいありえない提案だったからだ。
「私も貴様のことは好かん。しかし今の混沌とした王国で教会が生き延びるには、貴様のような“信仰外の知能”も必要なのだろう」
「外部の助言者扱いですか」
「敵方の情報を我らに渡すのなら待遇は保証しよう」
「あなた、そんな狡猾な提案をする人でした?」
「真なる邪悪を前にそのような些事を気にする必要はない。それで、どうするのだ」
「……暗殺者が私を狙っている以上、誰かに守ってもらう必要はある。それに私にも意地はあります」
サージスはわずかに笑みを浮かべ、「ほう」と相槌をうつ。
その表情はどこか嬉しそうだ。
「一方的に切り捨てられて、何も報復せずに終われるほど聞き分けのいい人間ではないんです。カイン王子の横っ面を一発殴るぐらいしてやらないと気がすまない」
「ふ、貴様らしくない感情的な言葉だな」
「ですので一発殴る準備のため、手伝ってもらえませんか。その結果によって、手を組むかどうか考えましょう」
「いい方法があるのか」
「ええ、“人の感情”ってやつがどれほど御し難いものか教えてやりますよ」
好戦的にそう言い放ち、立ち上がるゾラニーグ。
サージスは彼の前に立つと、手を差し伸べた。
両者は握手を交わすと、倉庫を出る。
目的地は――王魔騎士団の研究所だ。
◇◇◇
王都が戦火に包まれる中、テニュスは王魔騎士団の研究所を訪れていた。
彼女は用意されていた巨大な黒い鎧に乗り込んでいる。
鎧の前に立つ、白衣姿のアンタム。
王魔騎士団の団長である彼女は、どこか緊張した面持ちでテニュスに話しかける。
「調子はどーよ、体痛いとかない?」
『不思議な感覚だな』
鎧はまるで生きた人間であるかのように腕を持ち上げると、手のひらを顔の前に持ってきた。
『まるで自分が巨大化したみてえだ』
もっとも、自由に動かせるのは腕ぐらいのもの。
それ以外は、事故を防ぐために金属の拘束具を取り付けられている。
「神経の接続もうまくいってるみたいだねー、じゃあ完全に成功ってワケだ」
『何なんだこれは』
「前からテニュスのデータ取ってたっしょ? あれを参考に作った新兵器」
『そうじゃねえよ、どんな仕組みで動いてんだって聞いてんだ』
「基本はあんたの魔力」
『巨大なもんを動かしてる割には魔力消費がやけに少ねえみてえだが』
「そうなるようにあんたのデータ取ってたの。他の人間が中に入っても動かないから、そいつ」
『こんだけ手が込んでるのにあたし専用だなんて、不便なもん作ったな』
「試作品だからコストとか度外視なの。せっかく外が騒がしくなってるし、軽く試験運用したら実戦やってみよっか」
『待て、せめて名前ぐらい教えろよ』
「あーしらはレプリアンって呼んでる。まあ個体名じゃなくて、同じ形式の魔術兵装全般のことそう呼ぶんだけどさ」
『じゃあこいつは何なんだよ』
「個体の名前は別に無いよ、試作一号みたいな感じ」
『味気ねえが、今はそれでいいか』
「名前付けたいなら勝手にやりゃいいじゃん、どーせあんた以外動かせないんだからさ」
『考えておく。で、試運転ってのはどうすんだ。特例であたしだけこっちに来れたが、上から出撃の指示が出てんだ、できるだけ急いでくれ』
「聞いてきたの自分じゃん……あんま慌てないでよ、こっちも実際に人を乗っけて使うのは初めてなんだからさ」
『そうも行かねえだろ、あの外の様子じゃあよお。あたしが出なけりゃそんだけ死者が増える』
テニュスは鎧に乗り込む前、突如として現れた異形の姿だけは確認している。
そして彼女は、それがあらゆる人間にとって最悪の敵になりうることを見た瞬間に獣のごとき本能で理解した。
無論、アンタムも悠長に時間を使っている場合ではないことは理解している。
研究が主体とはいえ騎士団長の一人、しかもS級魔術師でもあるのだ。
テニュスほどでないにしろ、あの異形の危険性をある程度は把握している……が。
(正論なんだけどさー。いやマジ、いきなり実戦オーケーとか何考えてんのさマヴェリカ、何が起きても知らないからね?)
搭乗者が正気ではないことも、アンタムは理解しているのだ。
だからこそ恐怖する。
自分に指示を出す“彼女”は、果たして本当にこの先の出来事を予測できているのだろうか、と。
(それとも――むしろ何か起きることを望んでるとか、そんなことはないよね)
常に背中に張り付く嫌な予感。
すぐにやめたい気持ちに抗いながら、アンタムはついに試作一号の拘束を解いた。