021-2
王都の城門前には、二台の馬車が待機している。
そこに乗り込もうとしているのは少女二人――ティルルとルーンだ。
先に乗ったティルルがルーンの手を握り、引き上げる。
割と中は広いはずなのに、わざわざ寄り添って隣に座る姿を見て、ドロセアは微笑んだ。
「何から何までお世話になったわね」
「あ、ありがとう、ドロセアさん」
「馬車の手配をしただけだから大したことしてないよ。故郷で幸せになってね」
「もちろん、ルーンが一緒なんだから幸せになるに決まってるわ」
「う、うん……そう、だね」
二人は膝の上で手を繋ぎ、指を絡める。
ルーンの頬がぽっと赤く染まった。
ドロセアが心配するまでもなさそうだ。
扉が閉まり、御者が鞭をしならせる。
離れていく馬車に向かって、ドロセアたちは手を振り続けた。
「行っちゃいましたね」
見送りにきたラパーパが言った。
「本当に残ってよかったの、トーマさん」
ドロセアがそう尋ねると、トーマはふっと笑った。
「他の街に行くにしても、あの馬車には乗れないよ」
「それもそっか。でも王都に残るのは危ないと思うよ、何が起きるかわからないし」
「だからこそ助けを必要とする人がいる。もちろん死にそうだと思ったら出ていくけどね、死ねばルーンが悲しむ」
彼はルーンのことを、しっかりと幼馴染の友人だと認めたようだった。
ティルルの方は、友人としても完全に諦めるしかなかったようだが。
「確かにルーンさんは寂しがってたね」
「仕方ないデスよ、前倒しになったんですから」
ティルルとルーンが故郷に帰ることは決まっていた。
しかし今日、馬車に乗ることになったのは、半ば強引にドロセアが決めたことである。
カインとクロドの対立が激化する中、レグナスが野放しになっている今の王都は、何が起きるかわからない。
ドロセアが守れる範囲にも限界があるため、早いうちに別の場所へ移動してもらうことにしたのだ。
それはあの母娘も同じだった。
「次は私たちの番か」
「寂しくなるわね」
メーナとミーシャは、馬車に近づきながら言う。
すると二人の母親は、わざわざドロセアの前に来て深々と頭を下げた。
「本当にお世話になりました」
「体の調子、ずいぶんと良くなったみたいですね」
「ええ、あなたのおかげです。このご恩は、いつか必ず返しますから」
「うんうん、まともにお金も払ってないんだもん」
「必ず店を立て直して、何倍にもして返してみせます」
「報酬目当てじゃなかったんだけどな……」
困り顔で頬をかくドロセアを見て、メーナとミーシャは笑った。
そして馬車に乗り込み、三人で手を振る。
「またねー!」
「また無事に会いましょう!」
やがて声も聞こえなくなり、ドロセアは寂しげな表情を浮かべた。
「短い付き合いとはいえ、別れは嫌だね」
「そうですねえ、仲良くなれそうでしたし。でも良かったじゃないですか、あの三人は親戚の家に住めることになったんデスし」
ラパーパの言う通り、メーナたちは今度こそ落ち着いて暮らせる場所を見つけたようだ。
少なくとも、ドロセアのあの狭苦しいアパートよりは遥かに住みやすい環境だろう。
「一時的にね。エルクたちに奪われてたお金も全部じゃないけど取り戻せたみたいだし、すぐに自分たちの家に住めるようになるんじゃないかな」
「一番は王都に戻ってこれることだと思います」
「それはしばらく無理かもね」
「そんなに荒れそうなのか」
トーマが心配そうに尋ねる。
ドロセアは深くうなずいた。
「トーマさんは人助けをしたいんだよね」
「ああ、そうだが」
「だとしたら、王都で何か起きたときに下手に戦おうとしない方がいいと思う。誰かを助けることに専念するべきだよ」
「戦力にならないということか」
「A級魔術師が体を真っ二つにされて死んでた」
それはもちろんカウデスのことだ。
ドロセアが見る限り、魔力量的にA級魔術師相当だろうと判断した。
「僕と同じ等級の人間か」
「今後、トーマさんが死ぬようなことがあれば私も後味悪いから、無理しないでね」
「……わかった」
ドロセアの警告を重く受け取ったトーマ。
だが決して過剰な表現ではない。
トーマとはその場で別れ、ドロセアとラパーパは部屋に戻るべく歩きだす。
「さっきトーマさんに言ってた話、もしかしてレグナスも関係してマス?」
「私は犯人が彼だと思ってる」
「テニュス様も……敵になっちゃったん、ですよね」
「必ず元に戻すよ」
「本当にやれるんデス? そんなに敵だらけで」
少し間を開けて、ドロセアは答える。
「私たちがクロド王子側についたことで少しわかりやすくなったんだけど、今の王都には大きく分けて三つの勢力があると思ってる」
「そのうち二つは、カイン王子と、クロド王子ってことデスよね」
「うん、それぞれに改革派とか主流派とかくっついてるけど、大きなくくりではそれでいいと思う」
「じゃあもうひとつは……」
「レグナスさん。というか、寄生母体ってやつ」
「あれ、改革派とは関係ないんデス?」
「レグナスさんが参加した寄生母体殲滅作戦は、文字通り殲滅するための作戦だった。つまり、改革派にとってもあれは敵なんだよ」
人間に寄生して、人間のフリをして生まれてくる生物など、人類の敵そのものと言ってもいい。
まあ、簒奪者に人類を守るつもりがあるかは疑問だが。
「寄生母体って何なんデス、かね」
「なかなか子供が生まれない夫婦に紛れ込んで、子供のフリをする人間じゃない何か」
「それって何のためなんデス? 奇跡の村って昔から呼ばれてたなら、もうすでに生まれて、人間に紛れてるやつもいるってことですよね。でも今のところそんな人が暴れたなんて話は聞いたことはないデス」
つまりうまく人間社会に溶け込んでいる、ということだ。
そしておそらく、それを区別する方法は無い。
「それを続けて……人間と入れ替わるつもり、とか?」
「それは確かに不気味デス。でもレグナスは……あんなふうになってしまって」
それはまるで寄生に失敗したかのように。
レグナスの体内に入ってしまったのは、“彼ら”にとっても想定外だったのか。
「カイン王子や改革派から聞き出せばわかるんだろうけどね。それが人類にとって共通の敵だって言うんなら、普通にそう言えばいいのに」
「確かに……なんで隠す必要があるんでしょう」
「後ろめたいことがあるんじゃない」
あるいは、人類を救うという共通の目的を持っているフリをして、私腹を肥やそうとしているのか。
ゾラニーグの悪そうな顔を思い浮かべながら、ドロセアはそんなことを考えていた。
◇◇◇
その頃、ジンは王城を訪れていた。
勝手に入ったわけではなく、スィーゼに連れられてきたのだ。
『陛下が団長をお呼びなんだ』
今から数十分前、ジンの元を訪れたスィーゼはそう告げた。
ジンは簒奪者に殺されたことになっているが、まだ存命であることを一部の人間は知っている。
彼を頼りにしていたサイオン王もその一人だ。
国王の命がもう長くないと聞いていたので、ジンは二つ返事で承諾し、王城まで来たのである。
案内されたのは謁見の間ではなく、サイオンの自室だった。
部屋の中に入れるのはジン一人だけ。
室内にはベッドで横たわるサイオン以外の姿はない。
近づき、そのやせ細った顔をみたジンは悲しげに唇を噛んだ。
王はゆっくりと視線を彼の方に向け、弱々しく口を開く。
「おお、来てくれたか……」
「私はすでに死んだ身、招き入れるのは不用心が過ぎます」
「はは、死者と死にかけ。お似合いではないか」
「陛下……」
嘆きに歪むジンの表情。
それを見て、サイオンは笑みを消し真剣な表情で告げる。
「過去、お前ほど頼れる騎士はおらんかった。どうしても、礼を、言いたくてな」
「私は……教会を暴こうとしました、今の陛下にとっては敵のようなものです」
「ふ、改革派の件であろう。そのようなことは、どうでもよいのだ。私が教会に縋ったのは、自分の罪の重さから逃げたかっただけなのだから」
「陛下に罪など……」
「あるさ。どうしようもない、救いようのない罪が。思えば……その罰を待ち続ける人生であった。ようやく、それがやってきたということなのだろうな……」
死を前にしたサイオンは、悲惨なほどに悲観的だ。
声を聞いているだけでジンは涙が込み上げてくる。
「みな……カインに王位を渡す理由を、私がガイオス教に傾倒したからだと、思っているのだろう?」
「違うのですか」
「これは罪滅ぼしだよ。ああ……墓まで持っていくつもりでいたが、そうできるほど強い人間でもなかったか……」
「何を、隠しているのです」
意を決して尋ねると、サイオンはなぜか穏やかな表情で言った。
「私には、種がないのだ」
「種?」
首を傾げるジン。
サイオンはよりわかりやすい言葉で伝える。
「子供が、作れんのだよ」
ジンは思わず首を傾げた。
言葉は理解できる。
だがそれは、あまりにありえない告白だったから。
「何をおっしゃっているのです、クロド王子も、カイン王子も陛下のお子さんでは」
「王魔騎士の診断でなあ。クロドが生まれたあと、わかったのだ」
「ではクロド王子は……」
「誰の子か、わからぬ」
場の空気が凍りつく。
ジンは思わず王の前で「馬鹿な」とつぶやき、絶句した。
なおもサイオンは懺悔を続ける。
「あのとき私は、妻を責めた。クロドは誰の子なのだと。しかし、どれだけ調べようと妻は何も言わなかった。それがきっかけで……妻は少しずつ、心を病みはじめたのだ……ガイオス教にすがる先を求めたのも仕方のないことだろう」
「では、カイン王子は……」
「誰の血筋かもわからぬ子を王にはできぬ。そこで私は、唯一無二の友である教皇のフォーンに頼んだのだ。子を、作ってくれと」
二度目の衝撃的な発言に、ジンは頭を支えるように額に右手を当てた。
「陛下……それは、つまり……クロド王子も、カイン王子も、王家の血を……引いていないということ、では……?」
「フォーンは遠縁ではあるが王族だぞ」
「しかし王位継承にはっ!」
「うむ……優先順位は低いだろうなあ……」
「でしたらそれをなぜ、なぜ私に話したのですか、陛下っ!」
「すまぬ、それが私の弱さだ。どうしても、吐き出したかったのだ。そうできる相手はお前しかいなかった」
「どうしろと言うのですか!?」
「利用するのならすればよい」
「今さらどちらの王子にも王位継承の権利がないなどと、言えるはずが無いでしょう! 国が分かれてしまう!」
泥沼の内紛が目に見えるようだ。
ジンはあまりに大きすぎるその秘密を、一人抱えて生きていくしかない。
無論、国王でもあり、父でもあるサイオンよりはマシな重圧ではあるだろうが、それでも。
ジンが愛国者であるほどに、重荷になってしまう。
「ああ……結局、クロドは誰の子だったのだろうなぁ……私が悪かったのか……? わからぬ……終ぞ、今わの際まで答えが出ることは……」
うわ言のように呟くサイオン。
その様子のおかしさに、ジンは彼の顔を覗き込んだ。
「陛下?」
「なか……った……」
声はさらにか細くなり、目も閉じていく。
もはや未練などない、とでも言うつもりなのか。
「陛下、陛下ぁっ!」
ジンが体を揺らし、サイオンを呼び続ける。
しかし彼が目を覚ますことは二度となかった。
騒ぎを聞きつけた兵士が部屋の中に駆け込んでくる。
ジンを疑うものは一人もいなかったが、彼自身が限界を迎えていたため、後の処理は任せて部屋を出た。
そして壁に背を預け、両手で顔を覆う。
「こんな爆弾、私にどう扱えというのだ……!」
まるで呪いのような真実だ。
おそらく、抱えたまま生きていくしかない。
ただでさえ親愛なる王の死で心が乱されているというのに、それまでも背負わされる二重苦。
胃にぐちゃぐちゃとかき混ぜられるような気持ち悪さを感じながら、ジンはうなだれた。
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