020-2
「痛ぇよぉ……頼む、助けてくれえぇ……!」
泣きべそをかくエルクを連れて廃墟を出たドロセア。
すると男性が彼女を待つように立っていた。
ムル爺が連れてきた“若いもん”のうちの一人だ、ドロセアとも顔なじみである。
「すごい音してますけど、もしかしてジンさんが騎士と?」
「ええ、ドロセアさんは早く私たちの拠点に!」
彼女は心配そうに音のする方に視線を向けた。
(ジンさんも苦戦する相手って、まさか……)
色んな意味で心配でしかたない。
しかし――
(相手はエルクを狙って騎士まで使ってきた。改革派にとって“都合の悪いこと”の生き証人だから。私たちの目的は戦闘の勝利じゃない、エルクを連れ帰ることを最優先しないと)
相手もエルクがドロセアたちの手に渡ったと知れば、撤退するかもしれない。
そう自分を納得させ、彼女は男性に案内されムル爺の拠点へと向かった。
◇◇◇
そこは古びた一軒家の中にあった。
床板を持ち上げると階段が現れ、その先には地下室が並ぶ。
薄暗くじめじめとした空間は、かすかだが血の匂いがするような気がした。
「ここです、ドロセアさん」
そう言って男が案内したのは、金属で補強された木の扉の前。
扉を開くと、中には様々な拘束具や拷問器具が並んでいた。
「これって……」
「や、やっぱり……そうじゃねえか……噂通りだ……」
今まで静かだったので気絶していると思っていたが、エルクは部屋を見るとか細い声で怯え始めた。
「噂?」
「ムル爺が冒険者に恐れられてるのは、S級だからって理由だけじゃないんです」
「俺たちが勢力を広めるとき……一部を、参考にしたのが……」
「ああ、そういうこと」
ムル爺の支配するエリアでは身勝手で理不尽な犯罪は起きないが、決して治安が良いと呼べる場所でもなかった。
半ばスラムのような区域もあるし、ドロセアたちが暮らしているアパートだって、このあたりでは上等とはいえ狭いし汚い。
「その恐れられた最たる理由が、この部屋ってわけですよ。実在するかもわからない、ムル爺に逆らう冒険者を矯正するための拷問部屋」
「本当に逆らっただけの冒険者を拷問してたの?」
「……目には目を、歯には歯を。ちょっかいをかけた人間に相応の罰を与えてきただけです、無意味な暴力は行っていませんよ」
そう言いながら、男は拷問器具の準備を進める。
ドロセアは言われるがままに、拘束具の上にエルクの体を置いた。
「手を離すとシールドは解除されるんですよね」
「うん、ラパーパに最低限の治療だけしてもらおうと思ってたんだけど、ここにはさすがに呼べないかな」
「でしたらこちらで手配します」
「何を?」
「拷問用の治療魔術を使ってくれる修道士がいるんですよ。金さえ払えば快く引き受けてくれるでしょう」
「拷問用の……」
「ち、治療魔術……」
エルクの声が震えている。
ドロセアもさすがに驚きを隠せない、そんなものを生業にしている修道士が存在するとは。
「拷問については俺が……いや、ドロセアさんが自分でやりたいですよね」
「教えてもらえるならそれに越したことはないけど」
「では僭越ながら俺が指導役をやらせてもらいます。腕はムル爺ほどじゃないですが、あの人にも筋は良いってよく褒められるんですよ。ちなみに人体構造についてはどれぐらい知識あります?」
「体の仕組みについて記した医学書なら、何冊か暗記してるかな」
「素晴らしい、さすがストームさんが認めた人だ」
「たまたま本を読める環境にいただけだから……」
「では細かい説明は省略して、人体に最大限の苦痛と恐怖を与える方法を――」
男は針を手に取ると、笑いながら言った。
「実践しながら学んでいきましょう」
ただし目は笑っていない。
その冷徹な眼差しを向けられ、エルクは戦慄した。
◇◇◇
一時間後――エルクの体力が限界を迎えたため、尋問は一旦終了となった。
途中、彼は魔術を用いて脱出を試みたが、当然体内の聖女の血は取り除いてある。
不発に終わり、“おしおき”と称された凄惨な拷問により、エルクはさらなる地獄を見ることとなった。
ドロセアは一旦そのアジトから出ると、自分のアパートへ戻る。
そこへ現れたのは重傷を負ったムル爺と、そんな彼に肩を貸すジンだった。
「ジンさん、まさかその傷――」
「ラパーパを呼んでくれ、早急に治療が必要だ!」
ラパーパは一時的にドロセアの部屋に身を寄せている。
ムル爺の様子を見るに、階段をのぼって部屋まで連れて行くのも難しそうだ。
ドロセアに呼び出されたラパーパは、ムル爺の傷の具合を見て顔を青くすると、すぐさま外で治療を開始した。
一方でジンはひどく疲れた様子で地面に座り込み、壁に背を預ける。
「ジンさんに怪我はありませんか」
「この程度は傷と呼ばん」
「でもジンさんをそれだけ疲弊させるなんてとんでもない相手です……テニュスが来たんですね」
ジンは特に返事をしなかったが、それが肯定を意味するとドロセアは即座に理解する。
彼女はため息をつき、夜空を見上げた。
しかし故郷ほどの星は見えなかった。
「簒奪者……絶対に許さない……!」
「カイン王子も共謀しているはずだ、敵は大きいぞ」
「関係ありません。彼らの最終目的が何かは知りませんが、リージェを助ければ阻止できるでしょうから」
「テニュスがああなってしまった以上、力ずくで行くしかないか……」
王国を敵に回せば追われる身にはなるが、何よりも最優先すべきはリージェの救出。
テニュスを元に戻す方法――いや、そもそも何をされたかもわかっていないのだ、そこに光明を見出すにはあまりに視界が悪すぎる。
だが強引な方法を選んでも成功率が高いわけではないことも理解していた。
暗い気持ちでムル爺を治療するラパーパを見つめる二人。
そこに来訪者が現れる。
ジンは立ち上がり、声をあげた。
「スィーゼ!」
「団長が元気で何よりだよ」
以前より少し柔らかくなった表情で彼女は微笑んだ。
背後には三名の騎士が付き添っている。
「お前たちは正気のようだが……全員がおかしくされたわけではないのか」
「スィーゼと数名だけが王牙騎士団に残ることを許されたんだ、最低限の譲歩ってところだろうね」
「気遣いになっていない気遣いだな、カイン王子の仕業か」
「よくご存知で。ところで、さっきからドロセア嬢の熱烈な視線を感じるんだけど」
「お久しぶりです」
「あのときはどうも。君たちのおかげでどうにか復活できたよ」
少し話をしただけが、おそらくテニュスとの会話で発破をかけられたのだろう。
もっとも、今はそのテニュスが敵の手に落ちているのだが。
「それで、スィーゼの美しさに見とれていたのかい? それとも別の理由で見ていたのかな」
「スィーゼさんたちだけを王牙騎士団に残した理由が気になりまして。いくら視力を失ったとはいえ、ジンさんの片腕だったスィーゼさんの実力をカイン王子だって知っているはずです」
「確かに、舐められた……の一言だけでは納得できないね。何か心当たりでも?」
「意識や心なんて曖昧なものを直に操る魔術なんて聞いたことがありません。記録に残っている限りでは、風の魔術を用いた音による暗示だったり、火の魔術で脳の温度を上げることで幻覚を見せる、あるいは光の魔術で視覚を操り――」
「……そうか、目の見えないスィーゼを騎士団には引き込めなかったわけか」
ジンがそう言うと、スィーゼはぽんと手を叩く。
「譲歩案に見せかけて種明かしを避けたかったわけかい。それにしても、ドロセアの魔術の知識はさすがだね。元がただの村娘だったとは思えないよ」
「ただ頭に詰め込んだだけです」
「それができないんだけどなぁ。まあいいや、それで本題なんだけど――実はとある人をここに呼び出したんだ」
「誰だ」
スィーゼは答えずに、なぜか周囲を見回す。
「団長、ここらに人が集まって落ち着いて話せる場所、無いかな?」
「言えないということか」
「本人の口で説明するまでは黙っておいたほうがいいと思ってね」
「それだけの大物ってことですか。ジンさん、ムル爺はあの状態ですし私たちで場所を用意しましょう」
「そうだな……」
「ラパーパ、治療はどうなってる?」
ムル爺とラパーパの顔色は、最初に比べるとずいぶんと良くなっている。
「出血は止めました。傷を塞ぐまではもう少しかかりますけど、できればベッドに移動したいデス」
「じゃあ先に私が部屋に連れて行って――」
さっそく動こうとするドロセアを、スィーゼが止める。
「そういう雑用はスィーゼの部下に任せるといいよ。場所さえ指定してもらえれば彼らが連れて行く」
「じゃあお願いします。ラパーパ、あの人たちと一緒にいって」
「わかりましたデス!」
スィーゼは運ばれるムル爺を視線で見送る。
「あの怪我で生き延びるなんて、相変わらずタフなご老人だね」
「スィーゼさんも知ってるんですね」
「王都で騎士やってれば嫌でも知ることになるよ」
肩をすくめ、彼女はそう語る。
どうやらあまりいい思い出があるわけではないようだ。
「さあ、スィーゼたちは場所を準備しようじゃないか。急ごしらえとはいえ最低限は整えておかないと騎士団長の面子が立たないからね」
「概ねの予想はついたが、よくこんな場所に呼び出したな」
「それだけ切羽詰まってるってことだよ、団長」
何やらわかりあった様子で話すジンとスィーゼだが、ドロセアには何が起きるのかさっぱりわからなかった。
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