019-5
そこは現在は使われていない、古い酒場の跡地だった。
大昔は王都で一、二を争うほど賑わっていた店らしいが、建物の老朽化で移転したあとは、元の建物は放置されているのだ。
屋根は半分ほど崩れ、床も穴だらけ。
いつ倒壊するかもわからない場所で、少なくとも人が住める建物ではなかった。
エルクは、そこで朽ちた椅子に腰掛け待っていた。
ドロセアの気配に気づくと彼は立ち上がる。
「よう、久しぶりだな」
「本当にエルクがいるなんて……」
「そりゃこっちの台詞だぜ、本当に生きてるとはな」
エルクは完全にドロセアが死んだと思っていた。
ゾラニーグの話を聞いても、まさか彼女が生きているだなんて信じられなかったのだ。
今、この瞬間――こうして本物と相まみえるまで、死者の亡霊に追われている気分だった。
「その件はどうも。おかげで強くなったよ、私」
「そうかいだったら感謝してくれ。神は乗り越えられない試練は与えないっていうだろ? あのときの俺は神だったんだよ」
「その神に狙われてるくせに」
「不敬だよなあいつら、首撥ねてやりてえわ」
互いに皮肉たっぷりに言葉を交わす。
特にドロセアは殺意をむき出しにして、すでに手には剣を握っていた。
「で、何でお前来たんだよ。あの依頼を信じる人間なんていねえだろ」
「罠なのは承知してるよ」
「馬鹿なのか?」
「踏み壊して乗り越えられるだけの力は身につけたと思ってるから」
以前のドロセアらしからぬ強気の発言に、エルクは「ひゅう」と茶化すように口笛を鳴らした。
「まあしかし、俺としては助かるな。あんな見え見えの罠、乗るわけねえって思ってたし」
「そのくせにここで待ってたの?」
「健気だろォ?」
「気持ち悪い」
「傷つくんだが。傷心の俺にはダメージ倍だわ、ああ胸が痛え痛え」
「くだらない話はいいから本題に入ろうよ。何でここに私を呼んだの?」
エルクは不敵に笑うと、手を差し伸べる。
「書いてたとおりだ。ドロセア、俺と手を組め」
それに対してドロセアは、
「馬鹿なの?」
そう冷たく返した。
わかりきった答えだったからか、エルクは肩を震わせ笑う。
「そうだよなあ、冗談だって思うよなあ。けどマジなんだわ、それが」
「ふざけないでよ」
「こっちだって必死なんだよ。てめえにダチ殺されて、教会に追われて、袋小路でどうしたもんかって頭をひねってたわけ。そしたら天啓が降りてきたんだわ、リージェを人質に生き延びればいいって」
「ぶち殺す……!」
「落ち着けって、助けたいんだろ、あいつのこと。俺ならリージェの居場所もわかるし王城にも入れる、お前が潜入するより楽に奪い返せるかもしれねえ」
「信用できないよ。だったらまずリージェの状態から教えて」
「話を聞き出そうってか? ま、それぐらいなら教えてやるよ。あいつは寝てる。故郷を出てから今まで、九割ぐらいずっと寝てんじゃねえの」
「でも血を抜かれてるんでしょ」
「そりゃあ、そこが最大の利用価値だからな。でも安心しろよ、教会もあんな貴重な人間を簡単に死なせたりはしねえよ。利用できる限りは大切に扱うだろうし、雑に扱えば簒奪者のやつらが許さねえ」
「なんで簒奪者が……」
「さあな。あいつら価値観がよくわかんなくて気持ち悪いんだわ」
とにかくリージェは無事、ということらしい。
血は抜かれているが、差し迫った危機もなく――それどころか今もずっと眠ったままなので、孤独を味わうこともない。
それだけは安心できる点だった。
「さ、これで信用してくれただろ?」
「するわけないじゃん」
「頭硬ぇなあ、利用できるもんはしとけよ」
「仮に手駒を失い、教会に追われたとしても、あんたが私に縋るとは思えない」
「なるほど、そこまで追い詰められているようには見えないから、裏に何か企みがあるんじゃないかって思ってるわけね。わかったよ、じゃあ話すわ。もう一個、俺がお前を頼るしかなくなった理由がある」
エルクがそれを話そうとしたとき、何者かの足音が近づいてくる。
二人は警戒態勢を取ると、同時にそちらに視線を向けた。
現れたのは――カウデスだった。
「はぁ、はぁ、エルクさん、ここにいたんすね。探したんすよ、急にいなくなったりするからっ!」
「カウデス、お前か」
エルクの取り巻きの中でも、一番親しくしていたのがカウデスだ。
典型的な腰巾着だったのでドロセアもよく知っている。
カウデスは肩を上下させながらエルクに歩み寄ろうとするが――エルクは術式を浮かび上がらせ、接近を拒んだ。
「エルク、さん?」
「聞け、ドロセア。俺がお前にすがった理由はこいつだよ」
「何を言ってるんすか」
「カウデスが?」
思えば、ここに彼が姿を現したのも不自然だ。
ジンが周囲を警戒しているはずなのだから。
一流の暗殺者が持っているような高等な技術で気配を消さない限り、建物には立ち入れない。
「カウデスはかわいいやつだったよ。少し情けないところはあるけどよぉ、ガキの頃からいつだって俺の後ろについてきて、従順で、道化で、理想的なダチだったんだ」
ドロセアは思わずため息をつきそうになったが、話の腰を折りそうだったので今はぐっと我慢する。
「他の連中が死んでも、俺自身とカウデスさえいればまあどうにかなるだろうって思ってたんだわ」
「だから、いるじゃないっすか。そんな女を頼らなくてもどうにかなりますって、エルクさん!」
「近づくんじゃねえッ!」
ついにエルクは魔術を放つ。
直撃はしなかったが、火球は彼の肩を掠め火傷を残した。
「ぐっ……エルクさん、なんでこんなこと……」
「てめえが偽物だからだよッ!」
大げさに痛がるカウデスに対し、エルクは吼えた。
「ドロセアから逃げるために身の回りの整理をしてたらよお、お前が外の誰かと連絡取り合ってる形跡が見つかったんだわ」
「それは……」
「カウデスはいつだって俺のそばにいた。入れ替われるとしたら、寄生母体殲滅作戦のときぐらいだろうな。あのとき、カウデスは殺され、お前と入れ替わった。俺は、一人ぼっちになっちまったんだよぉおおおッ!」
今度は確実に殺すべく、出力を上げた炎を放つエルク。
するとカウデスの顔つきが変わった。
彼は懐からナイフを取り出すと、素早い身のこなしで魔術を避け、エルクに迫る。
(エルクの話が本当なら、カウデスは改革派が雇った暗殺者だ)
ドロセアも、改革派がエルクに監視を付けているであろうことは想像していた。
まさかカウデスと成り代わっているとは思わなかったが、ここで実際に見ればよくわかる。
カウデスはエルクの手下なのに、リージェの血を取り込んでいないのだ。
エルクの近くにいても気づかれないほどの完全なる変装――改革派内部にそんな人間がいるとは思えないので、おそらくは“正しき選択”から派遣されてきたんだろう。
ドロセアはどうせエルクを殺すつもりではあった。
しかし彼から十分な情報を得られたわけではない。
このまま改革派の思い通り、彼を殺させていいものか――葛藤の末、ドロセアが選んだのは、
「ドロセア、お前……!」
エルクの救出だった。
ドロセアのシールドの刃はカウデスのナイフを受け止めていた。
彼は暗殺失敗を悟り、即座に後退。
ためらう素振りも見せずに建物から消えた。
「殺すときより逃げ足の方が早い……」
「は、はは……マジで助けてくれるとはな。つまり依頼を受けてくれるってことで」
一瞬で繰り出された斬撃が、エルクの両手両脚を切断する。
「いい……い? あ、あぁっ、はぎゃぁぁあああああっ!」
大量に失われる血と、少し遅れてやってきた痛みに女々しく叫ぶエルク。
ドロセアは冷めた目で彼を見下ろす。
「私の前で油断するなんて本当に馬鹿だね」
彼は気づいていなかったのだ。
これまでは警戒して、わざわざ距離を取って会話していた。
だが暗殺者から庇われた瞬間、彼はドロセアの剣の間合いに入った。
その上で、彼女に助けられたからといって警戒を解いてしまった。
シールド展開の準備ぐらいしていれば、スピード重視の軽い斬撃では四肢切断はできなかったろうに。
「お前っ、ドロセアてめへえぇぇええっ!」
「凄んでも声が震えてる。あのときの私と逆の立場になった気分はどう?」
「は、はひっ、殺すのかよ……リージェのこと、まだ話してないことだってある、ん、だぞ……?」
ドロセアはエルクの髪を掴むと、体を持ち上げ目線を合わせた。
「だったら拷問でも何でもして聞き出せばいいでしょ?」
「か、ひ……っ」
恐怖にエルクの表情がひきつる。
もはや目の前にいるのは、彼の知るドロセアではない。
暗殺者よりも恐ろしい死神だ。
「ほら、シールドで止血してあげる。死なれたら嫌だからね。私の仲間には拷問慣れしてる人もいっぱいいると思うから、その人たちに教えてもらいながら色々試してあげるよ」
「あ、ああぁあああっ! 助けて……カウデスぅっ、レイヴンっ、レイムダールぅ! 誰か、助けてえぇえぇえええっ!」
もはやエルクを守る人間は誰もいない。
自力で自身を守ることすらできない。
孤独な青年は、かつて彼が手にかけてきた犠牲者たちと同じような叫び声を響かせながら、ドロセアに連れて行かれるのだった。
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