019-3
国王サイオンは、余命を宣告されてからというものの毎日のように大聖堂に通っている。
創造神ガイオスの像の前にひざまずき、祈りを捧げるその背中はひどく小さく見えた。
そんな彼を心配そうに見守る白髪の中老の男性――ひときわ豪華なローブを纏ったその男こそが、ガイオス教の教皇であるフォーンだった。
彼は長椅子に腰掛け、難しい顔で国王の背中を見つめていた。
「熱心に祈るものよのう」
ここにはフォーンとサイオンしかいない。
護衛の人間すらも扉の向こうにいるだけだ。
教皇と国王――国の象徴となった人間にとって、貴重なプライベートの空間と言える。
「祈ったところで過去は変わらぬよ、サイオン」
「教皇がそのようなことを言うでない、心が折れそうになる」
「余命が近いからといって縋りすぎるのも考えものだぞ」
「神導騎士団はお前たちの悲願であろう」
「我々の、であって我の悲願ではない。感情で先走ると国のバランスは崩れるぞ」
「どのみち私がカインに王位を譲れば、嫌でも王国はガイオス教側に傾く。今は過渡期のようなものだ」
祈りを終え、立ち上がったサイオンはフォーンの方を向いた。
以前よりもやせ細り、顔色も悪い彼は、杖が無ければまともに歩くこともできない。
そんな友の様子を見るサイオンの表情は悲しげだ。
「これもまた……報いなのであろうな。欲をかいた、報いだ」
「ふむ……」
「必ずしも、王位を継承するのは私の子である必要はない」
たっぷりと時間をかけてフォーンの隣に座るサイオン。
息を切らしながら彼は言葉を続ける。
「それが偽りの子だというのなら、なおさらのことよ」
「しかしお前には子供が――」
「おらぬ。結局、一人も」
懺悔するように、サイオンはそう吐き出した。
フォーンは眉間にしわを寄せ、天井を見上げる。
「妻が……ガイオス教に傾倒したのは、私のせいだ。あれはお前への裏切りでもあった。思えば馬鹿げた頼み事だ、いくら王族の遠縁とはいえ、他人に自分の妻を抱かせるなどと」
「あの頃のお前にとってはそれが正しかったのだ、未来で否定しても仕方あるまい」
「ああそうだ、妻も、あのときは仕方のないことだと了承した。しかしどうだ、結局あれをきっかけにあいつは心を壊し……」
「我にも責任はある」
「あるものかッ! あってたまるものか!」
かすれた怒鳴り声が響き渡る。
悲しいかな、それでも弱った彼の声はさしたる声量ではない。
「あれは、私の罪だ。これは、私への報いだ。どれほどの人間を裏切った。どれほどの人間を裏切り続けている。マヴェリカさんも、ジンも、みな……ああ、怖い。私は怖いのだよ、フォーン。死後、間違いなく地獄に堕ちるとわかっているからこそ――」
「あまり背負うな、気を落とせば体にも障る」
「では誰が背負えばいい! 私が死ねば、真実を知るものはフォーンだけだ。私は無責任に命を落とし、挙句、友に罪を背負わせ逝くというのか!?」
「我のことは気にするな。誰にも伝えなければ、カイン王子はお前の子のままだ」
フォーンはサイオンの背中に手を当て、労るようにさする。
「伏せることで幸せになれるというのなら、永遠に真実など暴かれる必要はない。それは罪などではないのだよ、サイオン」
「本当に……そうなのだろうか。では、クロドはどうなるというのだ……あいつは……」
杖に体重を預け、不安に声を震わせるサイオン。
体が弱れば心も弱る。
ならば治療の見込みの無い彼は、これからも弱り続けるだけなのだろう。
着実に終わりへと向かっていく友の隣で、何もできぬ自分に歯がゆさを感じながら、フォーンは彼を励まし続けた。
◇◇◇
テニュスがドロセアと再会した二日後、王牙騎士団の宿舎は騒然としていた。
とある騎士は団長であるテニュスの部屋に駆け込むと、慌てた様子で報告する。
「団長、カイン王子が来られています。騎士を全員集めてほしいとのことです!」
それを聞くテニュスは椅子に深く腰掛け、落ち着いた様子であった。
「そうか、もう来たのかよ」
だるそうに立ち上がった彼女は、玄関へと向かった。
◇◇◇
宿舎の中で全員が集まれるほど広い場所は食堂ぐらいしかない。
生活感溢れる部屋に案内されたカインは、やけに余裕のある表情で椅子に腰掛けた。
護衛は一人。
フード付きのローブを纏った長身の怪しげな人物だった。
王子は集まった騎士に向け、さっそくこう宣言する。
「みんなには僕の力になってほしいんだ、王牙騎士団ではなく、新たな騎士団のメンバーとして」
神導騎士団の噂を知っているのはごく一部の人間のみ。
事情を把握していない騎士たちがざわつく中、テニュスは真っ直ぐに彼を見て言った。
「お断りしますっつったらどうなりますかね」
「父上には許可を貰っているよ、今日からここは王牙騎士団ではなく、神導騎士団の宿舎になるんだ」
騎士たちの困惑はさらに大きくなる。
王牙ではなく、神導――つまり王の駒から神の、教会の駒へと変わるということを、彼らはすぐさま理解し、不安を抱く。
毅然と対応するテニュスがいなければ、混乱はより大きなものとなっていただろう。
「王の牙はもう必要ないと」
「王牙騎士団は無くならないよ、移籍という形になる」
「どれぐらい人間を残すつもりなので」
「次期団長は副団長の経験もあるスィーゼに頼もうと思ってる。あとは彼女が必要と思う人員を二名ほど残そうと思っているよ」
王牙騎士団に所属する騎士はおよそ五十名。
その中から残されるのはほんの三名――だったらいっそ無くすと言って貰ったほうが気分はいい。
テニュスは不快感を隠しもしなかった。
「殿下、たった三名で何ができると?」
「優秀な騎士なら何でもできるでしょう」
「いくら殿下と言えどそれでは筋が通りませんよ」
「陛下との間では筋を通しています。あなたがたが王の牙を名乗るのなら、従うべきではないですか」
やけに強気なカインだが、額には汗が浮かんでいる。
殺気立つテニュスを前に緊張しているのは明らかだ。
言ってしまえば、仕えるべき主を王から神へと変えろと言っているようなもの。
しかもカインはまだ王位を継承したわけではない。
世が世なら、ここでテニュスがカインを斬り捨てていてもおかしくはないのだ。
無論、テニュスもこの場は穏便に収めたいと思っているが――しかし譲歩する必要も無い。
元より無理な要求をしているのはカインの方なのだから。
「牙だからこそ反論しているのですよ。王が弱っている今、あたしらはより鋭い刃である必要がある」
「では僕を殺してでも止めてみせますか?」
「王子があたしよりも前のめりになってどうするんですか。まあ、茶ぁでも飲みながら少し話しましょうよ」
「その必要はありません――スィーゼ・イーゴー、速やかに騎士二人を選別しこの部屋から出ていきなさい。これは命令です」
「殿下ぁ、焦るのはどうかと思いますがねェ」
「話し合いの場を設けても構いませんが、僕が話すのは神導騎士団の人間とだけです。王牙騎士団の人間には退室していただく」
テニュスは舌打ちをした。
何を焦っているのかは知らないが、今日のカインはやけに強気だ。
とりあえずテニュスは指でテーブルを叩き、スィーゼに合図を送った。
彼女は嫌そうな顔をしたが、しぶしぶ優秀な騎士二人を選んで部屋を出る。
「これで残ったのは、殿下が言うところ神導騎士団の人間だけになりましたよ」
「ええ、全てが丸く収まりそうでよかった」
「はっ、話し合いはこれからでしょうよ。何を安心して――」
「やりなさい」
護衛の男がローブを脱ぎ捨てる。
中から現れたのは、長身だが病的にまでに細い紫髪の男だった。
異様な気配を感じたテニュスは、とっさに背負った剣の柄を握る。
他の騎士たちも同様に戦闘態勢に入る――が、それより前に部屋に暗い靄が満ちた。
「闇属性の魔術!? クソッ、なんだこれ、力が……入らな……ッ」
それに気づいたときにはもう手遅れだった。
テニュスは腕を上げることもできなくなり、膝から崩れ落ちる。
他の騎士たちは一瞬で意識を失い、口から涎を垂れ流しながら白目を剥いていた。
「あたしの部下に何しやがった、カインッ!」
「噂を流して様子を見ましたが、当然ながら反抗する様子でしたので――」
S級魔術師を一瞬で行動不能にするこの魔術。
テニュスには心当たりがあった。
「簒奪者か……ッ! んな化物を、王国に引き入れるつもりかよ、あんたはッ!」
「彼らのことをご存知でしたか。でしたらなおのこと、あなたを野放しにはできませんね」
細身の男はゆらりとテニュスに近づき、頭部に手のひらをかざした。
「やめろ……来るな……ッ! ジンやスィーゼを苦しめたお前らを、あたしは……あたしは……ッ!」
さらに濃度を高めた闇が、彼女の意識を奪う。
すでに体は麻痺しきっているのだ、この距離で抵抗できるはずもなかった。
「ドロ……セア……」
他の騎士同様に、テニュスの体から完全に力が抜ける。
カインは悲しげな顔で彼女の前に立った。
「これは世界を救うために必要な犠牲なんです。テニュスさん、あなたには教会の剣になってもらいますよ」
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