019-1 寄生母体殲滅作戦(後)
「いやぁぁぁあああああああっ!」
教会から響く女性の叫び声。
偶然にも近くまで来ていたドロセアは、それを聞いて慌てて走り出した。
剣を手に扉を蹴り開くと、誰かに覆いかぶさる男――レグナスを発見する。
「その人から離れろぉおおッ!」
両脚を魔術で強化し、ドロセアは容赦なく斬りかかる。
すると彼は人間離れした脚力で大きく飛び上がり、離れた長椅子の上に着地した。
「は……あぁ……あ、ありがとう、ドロセアさん……」
「ラパーパ!? 大丈夫だったの」
「う、うん、でもレグナスが……」
なぜか自分に襲いかかってきた男性を心配するような素振りを見せるラパーパ。
訝しむドロセアだったが、レグナスの肉体に異変が生じていることに気づく。
「何あれ……体の中から、何かが出てこようとしてる……?」
「どうして邪魔をするんだ……俺は、俺はただ、好きな人と子供を共有したかっただけなのに……」
すると騒ぎを聞きつけた修道女たちが、礼拝堂の奥の扉から顔を出す。
レグナスの視線がそちらに向いた。
「こうなったら……」
彼は獣のように無防備な修道女に飛びかかる。
「やらせないッ!」
ドロセアはその場から斬撃を飛ばし、レグナスを撃ち落とした。
男はバランスを崩し地面を転がる。
だが体に傷はなかった。
(シールドで防がれた感じもなかった。単純に肉体の強度が上がってるんだ、でもどうやって?)
術式が浮かび上がっていないし、魔力も動いていない。
彼は魔術を一切使わずに、あれだけの身体能力を手に入れているのだ。
レグナスは起き上がるとすぐさまに再び修道女に飛びかかろうとする。
だが接近したドロセアが剣を振り下ろし、それを阻止した。
彼は苛立たしげに後退すると、壁面に掘られた創造神ガイオス像の上に立つ。
「どうしてわかってくれないんだ、俺の気持ちを。あれ? でも俺は……俺はこんなことをしたくて、ここに来たわけじゃ……」
ふいに、レグナスの目つきが変わる。
わずかだが理性を取り戻したようだ。
彼は自らの腕や腹に浮き上がる赤子の肉体を見て、目を見開く。
「う、うわぁぁああぁあああっ! もうここまでっ、こんなところまで、俺の体っ、体あぁああぁっ!」
体を掻きむしるレグナス。
その様子にドロセアや修道女たちは困惑しっぱなしだ。
少なくともあれば魔物化ではないことは、ドロセアの目で認識できている。
「助けてくれラパーパ! もう俺には、お前と一緒になる以外の道が――」
「ごめんなさい」
ラパーパは苦しげに、悲しげにそう告げる。
「好きな人がいるから、一緒には行けません」
きっぱりと振られたレグナスは――
「う、うあ、うわあぁぁああああああッ!」
ステンドグラスを突き破り、教会の外に飛び出した。
肩を落とすラパーパに、騒ぐ修道女たち。
何が起きているのか把握できないドロセアは、ひとまずラパーパに寄り添い彼女を落ち着けることにした。
◇◇◇
数時間後――ジンがドロセアの部屋を訪れると、そこには彼女とラパーパの姿があった。
「そろそろテニュスとの約束の時間だ、どうする」
ドロセアはラパーパの顔を見て少し考えたあと答えた。
「ラパーパも連れて行っていいかな」
「私は構わんが、巻き込めば彼女の身にも危険が及ぶぞ」
「話を聞く限り、もう巻き込まれてるみたいだから。むしろ立場がはっきりしてた方が守りやすいでしょ」
ジンはラパーパに視線を向けると、同情するようにわずかに目を細めた。
当の彼女は、レグナスのあの姿がよほどトラウマになったのか、体調があまり優れない様子でうつむいていたが。
あれだけ憧れているテニュスに会えるというのに落ち込んでいるあたり、心に負ったダメージは相当なもののようだ。
「ねえラパーパ、さっきの話をできればテニュスにもしてほしいんだ。大丈夫?」
「私なんかで役に立てるなら、喜んで話します。それにも私も、レグナスの身に何が起きたのかは知っておきたいデス」
ドロセアもラパーパから事情は聞いたが、正直何もわからないというのが現実だった。
教会の一部の人間が参加したという、寄生母体殲滅作戦。
彼の身に起きた異変はそれがきっかけだったとして、一体どのような作戦だったのか。
いくらテニュスが騎士団長をやっているとはいえ、そのことまで知っているかはわからない。
ただ――
「ドロセア、お前も顔色が悪いようだが平気なのか」
ジンに指摘され、彼女は慌てて笑顔を作った。
「少し考え事をしていただけです」
「ならいいのだが」
――もし“奇跡の村”で起きた事件と関係があるのだとしたら。
そう思うと、どうしても当時の光景が脳裏に浮かび、吐き気がする。
ドロセアは少し青ざめた顔で、テニュスとの待ち合わせ場所へと向かった。
◇◇◇
「あ……あぁ……本当に、生きてたんだな……」
貸し切りの酒場で待っていたテニュスは立ち上がると、ふらふらとドロセアに近づく。
すでに目には涙が浮かんでおり、雫が頬を流れ落ちていた。
「う、ううぅ……ドロセアあぁぁああああっ!」
ついに我慢できずに、彼女はドロセアの胸に飛び込む。
かなりの勢いにドロセアはよろめいたが、どうにか両腕で受け止めた。
「テニュス、大げさだよ」
「大げさなもんかよっ! あたしがどんだけ心配したと思ってんだっ! 生きてるって聞いても……ぐすっ、顔見るまで、安心できるわけねえだろうが……っ!」
騎士団長らしからぬ感情むき出しの表情で、彼女はそう強く主張した。
ドロセアはそんなテニュスの背中に腕を回すと、ぽんぽんと優しく撫でる。
その間、テニュスは胸に顔を埋めて、ぐすぐすと少女のように嗚咽を漏らした。
そんな二人のやり取りを、ラパーパはぽかんとした表情で見つめている。
「驚いたか」
ジンがそう尋ねると、彼女はコクコクとうなずいた。
「お友達とは聞いてましたが、ここまでとは予想外デス」
「ドロセアは命を賭してテニュスを助けたんだ。そのときぶりの再会ということになる」
「そ、そうなん……デス、ね」
説明を受けても、やはり戸惑う。
最初は驚きだけだったが、後から『この二人はどんな関係なんだろう』という疑念だったり、『むきー! テニュス様と抱き合うなんてズルーい!』という嫉妬も湧いてきて、ラパーパの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「本当によかった。ドロセアが無事に戻れて、本当に、本当に……」
「師匠が、寝ずに治療してくれたから」
「あ……マヴェリカ、は……」
ドロセアの表情が曇る。
当然、テニュスもマヴェリカがどうなったのかは聞いている。
だが彼女の場合、同時にマヴェリカには“肉体のスペア”があることも知っているのだ。
ジンによって、それはドロセアに話さないよう口止めされているが。
「私は簒奪者を絶対に許さない」
「そう……だな。どうせ聖女を監禁してる件にも関わってるんだろうし、いずれぶつかることになるかもしれねえ」
「二人とも、ひとまず椅子に座らないか。店主が用意してくれた料理も冷めてしまうぞ」
「おうっ、そうだなストーム」
「かなり豪華な料理だね」
「今日はドロセアが無事帰ってこれた記念も兼ねてるんだよ。ところで、何でその子連れてきたんだ?」
そう言ってテニュスが見たのは、もちろんラパーパの方だ。
「あ、わ、私はっ!」
憧れの人を前に、明らかに彼女は明らかにテンパっている。
するとテニュスは「にひひ」と笑って言った。
「ラパーパだろ、顔も名前も覚えてるよ。あのときはチンピラに絡まれて災難だったな」
「覚えてくれてるんですかっ!?」
「『ありがとうございます』って百回ぐらい頭下げてくれたろ? あそこまでされたら覚えてるっての」
「やった甲斐がありましたデスっ!」
酒場にラパーパの喜びに満ちた声が響き渡る。
なんだかんだ言って本物のテニュスを前にするとテンションが上がっているようで、下手な言葉で励ますよりも効果はあったようだ。
「で、なんであんたはドロセアと一緒に?」
「それは……」
「まずひとつ、ラパーパがテニュスの大ファンだってこと」
「あたしのファン? ははっ、そりゃ嬉しいな。ドロセアを使ってまで会いに来てくれたってことか」
ラパーパは乙女のように、頬を赤くしてもじもじしている。
本当にテニュスのことが好きでしょうがないらしい。
「もうひとつは、テニュスに伝えたい話と関わりがあるの」
「……教会絡みってことか?」
「たぶんね」
「曖昧だな」
「私もまだはっきりとしたことはわからないから。もしかしたら、テニュスなら何か手がかりを掴んでるかも、と思って」
「なら食いながら話すか。とっとと座ろうぜ」
ひとまず席につく四人。
乾杯を済ませ、料理に舌鼓をうつ。
ジンやテニュスといった要人が気に入っているだけあって、マスターの料理の腕は相当なもののようだ。
ラパーパも「おいしい……」と自然と口から出てしまうほど満足度の高い食事だった。
それだけに、味わっている間はあまり暗い話をしたくないと感じてしまったのか、本格的に情報交換が始まったのは料理の大半が食べ尽くされたあとだった。
「さっそく本題から行くけどよ、リージェの居場所がわかった」
「本当にっ!?」
テニュスのもたらす核心的な情報に、思わずドロセアの声が上ずる。
「王城の中だよ、第二王子のカインが管理してるエリアに改革派の連中が陣取ってやがる」
「やはりエルクが出入りしていたのも聖女に関連していたか」
「リージェがあの城の中に……カイン王子が管理してるってことは、騎士団でも手出しはできないってこと?」
「陛下が味方になってくれりゃ可能かもしれねえが、現状は厳しいな」
「サイオン陛下は、体調を崩してから頻繁に中央教会の大聖堂に顔を出すようになったみたいですね」
それは修道女であるラパーパの耳にも届いていた。
教会という組織としては、国王との繋がりが強まることは大歓迎だが、テニュスとしてはあまりおいしくない展開だ。
「ああ、元から教皇とは年齢も近くて仲も良かった。けど最近はただの友人にしては便宜を図りすぎてるとこがあるな」
「今の陛下が信心の強いカイン王子の敵に回るとは考えられんな」
「いざとなれば強引にリージェだけでも私が連れ出す」
「ドロセアが最終的にそうするだろうってのはわーってるよ。けどいくらリージェがいても、一生お尋ね者にはなりたくねえだろ?」
「リージェがいるなら私はそれでもいい」
頑固なドロセアに、テニュスは困り顔で腕を組む。
「お前がそういうやつだってのはわかってるよ。だから、そうならないように改革派を弱体化する方法がほしいってわけだ」
「……私も、今すぐに、突っ込もうと思ってるわけじゃないよ」
「突撃してえって気持ちが顔に出てるぞ」
「それは……」
「まあ、機会が来るまで我慢してくれるならそれでいいさ。とにかく大事なのは、どうやって改革派の連中を排除するかだ」
「薬の流通……だけでは弱いのだったな」
「魔物化の危険性を取り除いたリージェの血は、ただ魔力を増強するだけの夢の薬になります。依存性のある危険な薬物ってわけでもないので、公表すれば逆に国民はそれをほしがる可能性すらありますね……副作用が無ければ、の話ですけど」
魔力が多いほどに魔物化の危険性は増すのだ。
いくら薬の接種で魔物化しなくなったと言っても、あくまでそれは問題の先延ばしに過ぎない。
魔力を増強した時点で、タイムリミットは間違いなく縮まる。
ドロセアは、仮に教会が安全性を全面に出して聖女の血の存在を公表したとしても、信用できないと感じていた。
「ひとまず薬のことは横に置いとこうぜ、他の方向性で攻めた方がよさそうだ」
「テニュスは何か改革派の弱みを掴めているか?」
「ゾラニーグの野郎がエルクなんて外道チンピラとつるんでるのはウィークポイントだと思ってる。それにな、どうもゾラニーグはエルクたちを使って何らかの作戦を実行に移したらしいんだ」
「それって……」
「ああ、おそらくはドロセアが見たっていう例の村での出来事だろう。あれは改革派主導で行われていったわけだ」
ジンを経由して、テニュスにも奇跡の村での事件は伝わっている。
あの常軌を逸した光景――いかなる理由があったとしても正当化されるものではないが、“改革派”という大きな集団が正式な作戦として実行したのならば、あの作戦が表沙汰になるリスクを負ってでもやる意味があったということだ。
「妊婦の虐殺か……考えられる可能性としては民族浄化だが」
ジンはラパーパに視線を向けた。
ドロセアも彼女の方を見ている。
当のラパーパは、唇を噛んでうつむいていた。
「んだよ、ラパーパが何か関係してんのか?」
「テニュス様の話と関係あるかはわからないんデス。これは今日、教会で起きた出来事なんデスが――」
彼女が語ったのは、当然レグナスの起こしたあの事件のことだ。
一通り話を聞き得たテニュスは、頬を引きつらせながら絶句した。
「んだよ、それ……寄生母体殲滅作戦? 傷口から侵入される? どういうことだ、新手の魔物か?」
「私が見る限り、あれは魔物じゃなかった。魔力で動いてる生物じゃない」
「じゃあ何なんだよ、どっから湧いて出てきやがったんだ!」
「落ち着けテニュス」
「それは無理な話だろ、ストーム! いくら何でも理解ができねえ。しかもそれを今、ここで話したってことは――エルクが参加した作戦こそが、その寄生母体殲滅作戦だって言いたいんだろ?」
「可能性の話だよ。でも、私が見た光景とあまりに合致しすぎてる」
「要するに、ドロセアが見たその赤ん坊ってのは……赤ん坊の形をした、未知の生物だったってことか?」
ドロセア自身、信じられない。
あれはどこからどう見ても人間の赤子だった。
だが――まだ未熟な胎児を腹から引きずりだすところなど見たことがない。
あれが正常な人間かどうかなんて、ドロセアには判断できない。
「奇跡の村の妊婦を、改革派は“寄生母体”と呼称したのだろう」
「確か奇跡の村って呼ばれてた理由は……子宝に恵まれるから、だったよな」
「じゃ、じゃあ、そこで出来た子供は、人間じゃないんデス?」
「子供ができるんじゃなくて、母親に何らかの生物が寄生する村……なのかもね」
ドロセアは自分で言って、吐き気がした。
同時にあの日、簒奪者に言われた言葉を思い出す。
『あなたはあれをどう思う?』
『正しいか、間違っているか』
『無知を恥じるか、悔やむのか』
『おぞましい』
当然、あの少女は村の実態を知っていたのだろう。
「そっか、だから簒奪者はあんなことを……」
とはいえ、何の事情も知らないドロセアを痛めつけるのは、ただの野蛮な暴力に過ぎないのだが。
しかし違和感は他にもあった。
マヴェリカだ。
『買い出しなら私が行くよ。ドロセアは鍛錬で忙しいだろう? 雑用は師匠に任せときな』
彼女はなぜかドロセアを村に近づかせようとしなかった。
言い訳は不自然ではなかったので、暮らしていたころは疑問には思わなかったが、もし彼女があの村の秘密を知っているのだとしたら。
「もしかして、師匠も……」
仮にそれが、ドロセアへの寄生を防ぐためだとしたら。
「あの村が異常で、危険だってことを知ってて、あえてあの場所に? どうして師匠はそんなことを」
マヴェリカがあの場所を拠点に選んだ理由が、村の観察、あるいは研究だとしたら。
積極的な排除を選んだ改革派と、あくまで観察に留めたマヴェリカ。
どちらが正しいのか。
本当に正しいと思っているのなら、ドロセアに隠す必要など無いはずだ。
いや、疑問を抱くのもそうだが、そこにはもっと他の問題もあって。
「あれだけ一緒にいたのに、何も知らないのは、私だけで……」
リージェを救うために真っ直ぐに進むドロセアの邪魔をしたくなかったのかもしれない。
しかし簒奪者に狙われた時点でそんなものはもう手遅れで。
本当にそう思うなら、奇跡の村の近くで暮らす必要もなかったはずで。
結局、マヴェリカはドロセアのことを全然信用してなかったんじゃないか――いや、魔物から人間に戻してくれた時点でそんなことはありえないのだが、しかし良くない考えも次々と湧いてくる。
「結局、師匠は最後まで何も言わずに……」
一人悪い方悪い方へと向かってしまうドロセアを、テニュスたちは心配そうに見ていた。
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