018-4
その日の夕方、ジンは再びドロセアの部屋を訪れた。
「テニュスから連絡があった、さっそく話をしたいそうだ」
エルクが王城内で何をしたのかを掴んだのだろう。
「場所は?」
「いつも私とテニュスが使っている酒場がある、信用できる店だ」
ジンとテニュスは、ドロセアが魔物になっていた間も頻繁に連絡を取り合っていた。
だがドロセアとテニュスは互いの声すら聞いていない。
半年ぶりの再会になるわけだ。
「どうしたドロセア、何か引っかかることでもあるのか?」
「なんだか緊張するなあ、って」
「はは、それは向こうも同じだろう。もっとも、それ以上に早く会いたいと思っているだろうがな」
「私が王都に来てることは知ってるんですよね」
「ああ、私が伝えたからな。ここにいると教えただけで目に涙を浮かべていたぞ」
テニュスにとっては、自らの命をかけて救ってくれた相手なのだ。
かなり重めの感情を抱いていても不思議ではない。
その後、ジンはドロセアに酒場の場所と待ち合わせ時間を教えた。
「まだ結構時間がありますね」
「あいつも忙しいみたいだからな」
「んー……ラパーパにも話だけしておこうかなぁ」
「あの修道女か」
「はい、いずれテニュスに合わせるって約束してるんですよ。彼女、テニュスの大ファンみたいなんで」
「あいつにファンか、やはり騎士団長ともなると違うな」
「何を言ってるんですか、ジンさんこそ熱烈なファンが身近に何人もいたじゃないですか」
「あれは、ファンと言えるのか?」
「ええ、行き過ぎたファンです」
スィーゼの重たさを“ファン”の一言で片付けられ、ジンは思わず肩を震わせ笑った。
「だがさすがに今夜連れて行くことはできんぞ」
「それはわかってますよ。後で会ってたってことがバレたら文句を言われそうなので話を通しておくだけです」
そう話すドロセアだが、暇つぶしのために教会に行く、というのも大きな理由だった。
今日は掲示板にも依頼が書かれないし、追い詰められたエルクたちが暴れる様子もない。
街は平和そのものだった。
◇◇◇
その頃、ラパーパは上機嫌に鼻歌を歌いながら教会の礼拝堂を掃除していた。
王都はかなり広いので、中央教会以外にもいくつもの教会がある。
それぞれに回復魔術を使える修道女が複数人配置されており、実質的に病院の役割も果たしているわけだ。
エルク一派が暴れて事件が起きると怪我人も増え、修道女も忙しくなったりもするが――今日は久しぶりに街が静かだ。
「きっと“冒険者殺し”が戦ってくれたおかげデス」
何人もの人々を救ったドロセアの姿を思い出し、微笑むラパーパ。
このまま何事も無く一日が終わればいい――そう思ったときに限って来客が来るものだ。
扉が開く。
現れたのは、ラパーパと似たようなローブを纏った男性だ。
「レグナスですか?」
「よかった……ラパーパ、いたんだな」
レグナスは、中央教会で働く修道士だ。
ラパーパとは同期で、以前からそこそこ親しくしている友人であった。
しかし今日のレグナスは様子がおかしい。
顔色は悪く、頬はやつれ、歩き方もぎこちなかった。
「大丈夫ですか、レグナス」
「ああ、ありがとう……」
駆け寄り、体を支えるラパーパ。
ひとまず近くの長椅子にレグナスを座らせると、彼女もその隣に腰掛けた。
「明らかに顔色が悪いデス、魔術では治らない病気ですか?」
「そんな感じだよ……」
「薬も効かないんですか?」
「ああ、“気”の部分から来ているものもあるから、魔術も薬も意味がないんだよ」
そう話すレグナスは、なぜか笑顔だ。
ラパーパは不気味な違和感を覚える。
「ところで、今日はラパーパ以外、誰もいないんだね」
「私は掃除中でしたから。他のみんなは奥に居ますよ、呼んできましょうか?」
「いや、いい。ラパーパ一人の方が、都合がいいんだ」
「はあ……私に話があるってことですか」
困惑するラパーパ。
するとレグナスはそんな彼女の腕を掴んだ。
「ひぇっ!?」
「ラパーパは、好きな人はいるかい?」
「す、好きな人……ですか。一応、いますけど」
「そうか……それは、誰か聞いてもいいかな」
「王牙騎士団の団長、テニュス様、デス」
痛いほどに強く腕を掴まれていることに怯えながらも、ひとまずラパーパは正直に答える。
「一度助けてもらってから、もうメロメロでして……あのかっこよさを前にすると、他のことなんて考えられなくなるんデス、よ?」
「よかった」
「よかった……?」
「つまりそれは、憧れだろう? 恋じゃ――」
「恋デスっ!」
急に大声を出され、レグナスは面食らう。
「これは間違いなく、恋なんデス! レグナスでも否定はさせません!」
「そうか……そうか……」
「とりあえず、これ、外しませんか? 痛いんデス……」
レグナスは無言で腕を離す。
ほっと息を吐き出すラパーパ。
だが彼の違和感ある行動はまだ終わらない。
レグナスは糸が切れた人形のように俯くと、震えた声で語りだした。
「俺、おかしいよな。わかってるんだ、おかしいことは。ここしばらく、ずっとこの調子で、おかしいんだ、今日も」
「レグナス……休んだほうがいいですよ。体の調子もよくないみたいですし」
ふとラパーパは気づく。
座った彼のお腹が、妙にぽっこりと膨らんでいることを。
元々レグナスは体を鍛えており、引き締まっている方だ。
だからこそ腕を掴む力も強かったわけで――それは今も変わっていない。
なのに腹部だけが膨らんでいる。
「同僚からもおかしいって言われた。俺もおかしいっていう自覚はある。おかしいまま、欲望のまま、仕事も放り出してラパーパに会いに来たんだ」
「頼りにしてもらったのに、何もできなくて、申し訳ないデス」
「いや、十分だよ。十分すぎるほど俺は満たされてる、この子も喜んでる」
「この子……?」
「実を言うと……ああ、これは言っちゃいけないんだが、もういい、言わせてくれ。教会の機密情報だけど、ラパーパには聞いてほしい」
「さすがにそれは聞きたくないんですけど……」
はっきり拒否しても、レグナスの喋りは止まることはなかった。
喋り口調こそ落ち着いているのに、明らかに彼は正気を失っている。
だがラパーパにはそれを止める術がなかった。
「改革派に近い一部の修道士に、命令が下ったんだ。表面上は災害の起きた地域への派遣ってことになってたけど、実際は違う。あれは、もっと、おぞましい。あってはならない、信心を試すもの、だった」
「そんなことが、あったんです、か。でも私、どちらかという主流派の方で……話さない方がいいのでは?」
「頼む聞いてくれラパーパ。聞いてくれないと、頭と腹が張り裂けそうなんだあぁぁッ!」
叫び、目を見開きながらレグナスはラパーパの肩を掴む。
やはりその力は強く、ラパーパは抵抗すらできなかった。
「ひっ……わ、わかりました、聞きます。聞くだけは聞きますから、落ち着いてください!」
「ありがとう、聞いてくれるんだな。やっぱりラパーパは優しいなあ、昔から素敵だと思ってたんだよ」
「そ、それで、改革派の命令っていうのは……?」
ひきつり、声を震わせるラパーパに対し、妙に流暢に彼は言った。
「寄生母体殲滅作戦」
聞いてもよくわからないその言葉を聞いて、彼女は首を傾げる。
「きせい……? 何なんです、それは」
「排除、しなくちゃならない。かつ、傷を負ってはいけない。傷口から侵入される。そう、聞いていたから。怖かったんだ、俺は。それにちょっとした切り傷ぐらいなら平気だと思って」
「あのぉ、レグナス?」
「でもさああぁぁぁッ!」
「ひっ!?」
「駄目だったよ。その傷も、言うべきだったんだ。いや、言ったところで俺ごと処分されるだけだから命が惜しくて報告しないのは当たり前のことだよな。悪いのはゾラニーグ様だ、俺じゃない、俺は悪くない、俺のせいじゃないっ!」
「お、落ち着いてくだ……さい」
「俺は落ち着いてるよ嫌になるほどさあぁぁあああッ!」
「ひうぅぅぅっ!」
大声をあげながら、ついにレグナスはラパーパを押し倒した。
長椅子に背中を強打したラパーパは、恐怖に体をこわばらせガタガタと震える。
レグナスは興奮した様子で瞳孔も開ききっており、話が通じる状態ではなかった。
「これが幻覚なら、幻聴ならどれほどよかったことか! でもッ、でも現実だからぁ! だから、前向きに考えるしかないんだよ」
「何を……言って……」
「これは、天からの授けものだ、って。ほら俺、ラパーパのこと好きだろ? だから、愛の結晶だと思うことにしたよ」
馬乗りになったレグナスはローブをめくり上げ、腹部を見せつける。
そこには、人の赤子のような顔が浮かび上がっていた。
「ひ、ひっ、な、なに、レグナス……それ、一体……」
「子供だよ」
「へ……?」
「俺の子供なんだ。妊娠したんだ、あの奇跡の村で」
彼の発する言葉の全てが理解できなかった。
だが確かにレグナスの腹は膨らんでおり、その中には人間の赤子らしき物体が存在している。
そいつは肉体の内側から外に出たい、外に出たいと主張するように顔を押し付けている。
言うまでもなく、普通の子供ではない。
妊娠なんて単語で表せる現象ではない。
それこそ、レグナスの言っていた“寄生”――それこそが正しい言葉であるようにラパーパは感じた。
「ラパーパ、頼むよ……」
レグナスは泣きながら――ねばついた涙かもわからない液体を流しながら懇願する。
頬に小さな手の形が浮かび上がった。
額に顔が浮かび上がった。
開いた口の向こうから泣き声が聞こえて、まるでラパーパを引き込むように幼子の手がずるりと出てくる。
一体何人の――いや、何匹の子供が彼の体内にいるのか。
もはや言葉を発してるのがレグナスなのかもわからない。
「俺と一緒に、終わってくれ」
「い、いやぁぁぁあああああああっ!」
ラパーパの顔に赤子の手がぺたりと触れる。
悲痛な叫び声が礼拝堂に響き渡った。
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