018-3
エルクとゾラニーグが会話を交わしていたとき、王城内の別室にはテニュスとスィーゼがいた。
静まり返った部屋の中、テニュスはペンを片手に握り、両目を隠したスィーゼは意識を集中させ何かを喋っている。
「でしたらおかえりください、わたしもいそがしいので」
「……これで終わりか」
「そのようだね。十分に成果は得られたんじゃないかな」
張り詰めていた空気が緩み、スィーゼは軽く息を吐き出した。
「それにしても、復帰早々にこのスィーゼをこき使うだなんて、テニュスも団長が板についてきたようだね」
「それ褒めてるのか?」
「貶してるのさ」
「……少しは遠慮しろよ」
「はは、遠慮してこれなんだよ。テニュスだって、ジン団長の足元にも及ばないことは自覚しているだろう?」
「わーってるよ、んなことぐらい」
相変わらずテニュスに対して棘のある物言いをするスィーゼ。
彼女はリージェの偽物――アルメリアの魔術により視力を失い、ひどい火傷を負った。
今も視力は戻っていないし、火傷の痕も全身に残っている。
己の美しさに自信を持っていたスィーゼとしてはかなり辛い状態ではあったが、テニュスに発破をかけられたこと、そしてジンの生存を知ったことで再奮起。
目が見えないなりに己の剣術を磨き、一般団員として王牙騎士団に復帰している。
「だが団長になった以上、やるしかねえんだ」
「そんなのは当たり前じゃないか」
「だったらお前も愚痴なんて言ってる場合じゃねえだろ。せっかくいい耳を持ってんだ、大人しく役に立てっての」
「言い方が気に食わないんだよ」
「んなもんお互い様だ」
バチバチと火花を散らすテニュスとスィーゼ。
しかし今は、喧嘩に無駄なエネルギーを使っている場合ではない。
「しっかし、薄々予想は付いてたが案の定って感じだな」
「スィーゼの耳で聞いた限りだと、聖女は王城の中に運び込まれ、改革派はゼッツと手を組んでいるようだね」
スィーゼは視力を失ったかわりに、残る“四感”はさらに鋭敏になった。
特に聴力はテニュスも舌を巻くほどで、違う階層の別の部屋にいても、離れたエルクとゾラニーグの会話を聞き取ることができるようだ。
「しかも王城のあのエリアは第二王子のカインが使ってる。元から改革派との繋がりは強いとは言われてたが、ここまでとはな」
「ここまで堂々と協力関係を結んでいるのは嫌な予感がするね」
「国王陛下も余命宣告されてからは教会とべったりだ。場合によっては――」
「聖女の血の存在を、公にする可能性すら出てきた、と」
「カイン王子が王位を継承するんなら、ありえないことでもない。誰でも魔力を得られる夢の薬なんて、みんなが欲しがるだろうしな。そのために少女が一人犠牲になったところで誰も気にしねえ……一人を除いてな」
「ドロセア、だね」
仮に王国がどうなろうと、リージェがどう扱われようと、ドロセアは自分のやることを曲げはしないだろう。
「あたしは、あいつが追い詰められるような事態になってほしくない」
「現状、聖女はカイン王子の保護下にある。王城に潜入して強引に奪えば騎士団を敵に回すことになるだろうね」
「聖女の血の存在が公になり、民に受け入れられた場合、それだけじゃ済まねえよ。リージェを奪ったドロセアは王国の敵にされちまう」
「そのためには改革派を悪者にする必要がある」
「それができるのは、内部にいるあたしらだけだ」
「……まあ、牙さえ抜かれなければ、の話だけどね」
そう言ってスィーゼは苦笑する。
テニュスも悔しげに拳を握った。
「あの噂、本当だと思うか」
「ゼッツとゾラニーグの会話にも出てきたじゃないか、“神導騎士団”の話が」
「王牙騎士団を解体して神導騎士団として再編する……構成員はそのまま、名前だけを変えるだと? あたしがそんなもんに従うと思ってんのか?」
「陛下の命令なら従うしかないよ」
「陛下は、騎士団に“神導”なんて名前をつける意味を本当にわかってんのかよ!」
声を荒らげるテニュス。
本来ならスィーゼは彼女のこういう暑苦しい部分が嫌いなはずなのだが、今ばかりは共感するので文句は言わない。
「“王牙”、“王導”、“王魔”。騎士団には必ず王の名が入ってる。これは王のために、そして王国のために存在する騎士団だからだ。けど“神導”は違う。神に導かれる騎士団――王のためでも、民のためでもねえんだよ! 教会なんて権力組織の犬になれって言ってんだ!」
「陛下にとってはそれだけ教会が大切だってことだろうね」
「てめえが天国に行くために国を売っても良いってことかよッ!」
「王城内でそういう発言は控えた方がいいよ、聞かれたら反逆罪に問われかねない」
「誰より反逆してんのは陛下だろ!」
「どうどう」
さすがに言い過ぎと感じたのか、犬をあやすようにテニュスを落ち着かせるスィーゼ。
もちろん逆効果なのだが、テニュスは自力で冷静さを取り戻したようだった。
「はぁ……なんとかして、神導騎士団が生まれる前に教会の裏の顔を暴かねえと」
「スィーゼたちは情報を集めることはできるけど、立場上、王族や教会に対して強く出ることはできないよ」
「近いうちにジンと話すことになってる」
「そこで任せるしかないだろうね」
「……歯がゆいな。団長になりゃ、もっと自由に動けるもんだと思ってたんだが」
「ますますジン団長のことを尊敬しただろう?」
「ああ、そうだな……」
そう言って軽く流すテニュスに違和感を覚えたのか、スィーゼは首を傾げた。
「テニュスさ」
「んだよ」
「前より団長への愛が薄れているよね」
「はぁ!? んなわけ――い、いや、そもそも愛なんてねえけど!」
顔を真っ赤にして否定するテニュス。
もちろん顔はスィーゼに見えていないのだが、声だけでどんな表情をしているのかは想像ができた。
「他の人間に目移りするなんて、よほど魅力的な人間だったんだね……ドロセアって子は」
「な、なんでそこでドロセアの名前が出てくるんだよ! 確かに魅力的ではあるけどよぉ」
スィーゼはニヤニヤと笑いながら、いじわるな言葉でテニュスの心を突く。
「うぶだねぇ。恋する乙女は可愛らしいと思うよ、テニュスは元ががさつだからギャップもあっていい」
「ざっけんじゃねえ、何が恋する乙女だ!」
「違うのかい?」
「平団員のくせに団長を舐めやがって……いつか絶対に処分してやる!」
そんな捨て台詞を残して、部屋から出ようとするテニュス。
「どこに行くんだい、桃のように赤い顔をして」
「散歩だよ、散歩。ここにいたら落ち着かねえからな!」
彼女はそう吐き捨てて、大股で部屋から出ていった。
◇◇◇
誰が見ても不機嫌なテニュス。
そんな彼女とすれ違ったのは、タイミングの悪いことに第二王子のカインだった。
さすがに王族の前ともなると失礼な言動はできないので、テニュスは団長らしく態度を取り繕う。
カインは相変わらず人の良さそうな笑顔で彼女の前に立った。
「おやテニュスさんではないですか、王城で会うだなんて珍しいですね」
「はっ。昨今は王国内の治安も不安定ですので、王城内に怪しげな魔術が施されていないか見て回っているのです」
「それはそれは、頼もしいですね。あなたのような優秀な騎士が僕の力になってくれると思うと、安心します。これからもよろしくお願いしますね」
握手を求め、手を差し伸べるカイン。
テニュスは笑顔を作りながらも、感情を完全に殺しきれずにひくりと頬を震わせた。
「これからも、これまでも……あたしは王牙騎士団の団長として、変わらず王国のために尽くすつもりでいます。それでは」
彼女は冷たくそう告げると、そそくさとカインの前を去る。
取り残された王子は少し寂しそうにその背中を見送った。
するとそんなカイン王子に、偶然通りがかった男性が声をかける。
「冷たくあしらわれてしまったな、カイン」
「クロド兄様」
第一王子のクロドだ。
カインより大人びた雰囲気の彼は、弟に対し優しく微笑んだ。
「どうやら騎士団長にも例の噂は届いているようだ」
「それほど神に仕えるのは嫌なものなのでしょうか」
肩を落とし、そう呟くカイン。
「その言い方だと、噂は事実なんだな」
「騎士団の名前が変わるだけです。王国のために尽くすことは変わりませんよ」
「そう単純な話ではあるまい。神導騎士団は、教会にとって悲願だった独自の戦力の保持を叶えるものだ」
「あくまで王国に所属する騎士団です」
「そのような言葉遊びをしているから、騎士団長にも嫌われてしまうのではないか」
兄からの厳しい言葉にカインはむっとしたのか、強めの口調で反論する。
「教会は王国にとって必要不可欠な存在です。それを守るための騎士が存在することの何がいけないんですか?」
「教会と王国は別だよ」
「しかし父上はガイオス教に心酔しています」
「だからこそ、教会に近い自分が王位継承するに違いないと?」
「そ、そんなことは考えていませんっ! 僕は兄様こそが……次の国王にふさわしいと思っています、だから……っ」
両手をぎゅっと握るカイン。
するとクロドは少し申し訳無さそうに、その頭を軽く撫でた。
「すまない、貴族たちの殺気にあてられて気が立ってしまっているようだ」
「兄様……でしたら、僕のお願いを聞いてはくれませんか」
「それは断ったはずだ」
「ですが、兄様さえ改革派と組んでくれれば、問題なく王位継承は行われるはずなんです!」
クロドを自分の方へと引き込もうとするカインだったが、兄の背後からぬるりと大柄の男が現れる。
教会のローブを纏ったその男性を、カインはよく知っていた。
「相変わらず兄弟仲がよろしいようですな」
「サージス教皇代理!?」
それは改革派と敵対する主流派のトップ、サージスであった。
貫禄のある髭面を前に、カインはたじろぐ。
「しかしクロド殿下に思想を押し付けるのはよろしくない」
「そんな……兄様、主流派と組んだのですか」
「陛下がああなってしまった以上、王位を継ぐには教会と手を組むしかないからね」
「では改革派でも――」
「ガイオス教を装った偽物を信用しろと?」
「っ……」
いつになく強い言葉を選び凄む兄に、カインは息を呑んだ。
「これは警告だよ、カイン。あまり彼らに入れ込まないことだ」
さらにクロドは弟に顔を近づけ、言い聞かせる。
「あいつらは、侵略者なのだから」
そしてそう告げると、サージスと共にカインの前を去っていった。
一人取り残された第二王子は、壁に拳を叩きつけて唇を噛む。
「なぜ僕が、大好きな兄様と対立しなければならないんだ……」
信仰と王位、血縁と親愛。
権力闘争の波に揉まれ、カインの心は荒んでいく。
そんな彼を影から見守る男が一人――カインはその視線に気づき、曲がり角に意識を向けた。
立っているのはカウデスだった。
彼はカインと目が合うと、そっとその場を離れようとしたが――
「僕はあなたのことを知っていますよ、“正しき選択”さん」
その言葉に、足を止める。
そして今度はしっかりとカインの前に姿を現すと、カウデスはチンピラらしからぬ所作で王子の前に跪いた。
「左様でございましたか、失礼いたしました」
「兄様もサージスも僕に直接の危害は加えることはありえません、警戒する必要も無いでしょう。それに――あなたの役目はゼッツの監視のはずです、彼から目を放していいのですか?」
「お手洗いに行ったということになっていますので、もうしばらくは問題ありません。それにあのような小物の監視よりも、王子の護衛の方が大事な役目ですので」
「あまり侮るものではありません。ああいった自分の欲望に素直すぎる人間ほど、何をするかわからないものです」
「ご安心を。不穏な動きを見せたときは、私が――」
「……殺す、ですか。そうですね、平和のためには時に犠牲も必要なもの。あなたがたの働きに期待していますよ」
「はっ!」
カインはカウデスに背を向け、立ち去る。
カウデスも“役”に戻り、チンピラになりきってエルクの元へ戻った。
「やっと帰ってきたか。場の空気にあてられて腹が痛くなったって、お前いつまでも頼りねえなあ」
「すんません、自分でも良くないってわかってるんすよ」
「ったく……そんなんじゃドロセアに殺されちまうぞ。頼むからお前までいなくなってくれるなよ」
弱気なことを言い、前を歩くエルク。
カウデスは彼にとって最後に残った友人であり、そして最も付き合いが長く深い、幼馴染とも呼べる存在だった。
しかしエルクは、とうにカウデスが死んでいることを知らない。
カウデスに成り代わった誰かは、エルクの背中を冷たい目で見つめていた。
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