018-2
ベッドの上で目を覚ましたドロセアは、手のひらで額を拭う。
額は汗に濡れており、前髪が張り付いて気持ち悪かった。
ここは王都裏通りにあるアパートの一室。
「またあの夢か……」
ドロセアはそう呟くと、上体を起こし深めのため息をついた。
奇跡の村で起きた一件を境に、彼女は王都へやってきた。
リージェを救うため。
そしてマヴェリカを殺した簒奪者や、それに関わっているであろうエルクたちとケリをつけるために。
まだリージェの居場所はわからないが、今のところエルクの戦力を削ぐのはうまく行っていると思う。
そろそろ、彼も自らの命が危険にさらされている恐怖から、不用意な動きを見せるはずだ。
ベッドから起きたドロセアはキッチンに向かうと、コップを手に取る。
そして魔術でよく冷えた水を生み出し、それに注ぐと一気に飲み干した。
トラウマに乱れる感情を、強引に冷ます。
だが不安は拭えない。
結局、あれは何だったのか。
簒奪者、教会の改革派、そしてエルクは繋がっている。
簒奪者が異形化せず、人型と理性を保った魔物だと仮定する。
教会はリージェを監禁し、彼女の血を使った薬を作り続けている。
そしてエルクは、その薬で得られる力や富、名誉を目当てに動いているに違いない。
ではその三者が最終的に目指す場所はどこなのか。
そのために、あの奇跡の村での惨劇が必要だったというのか。
母体から胎児を引きずり出し、それを殺す必要がどこに――
「どんな理由があったって、あんなの許されるはずがないッ!」
ドロセアは拳で壁を叩くと、そう声を荒らげた。
まるで自分に言い聞かせるように。
そもそも彼らはマヴェリカを殺しているのだ。
その時点で、完膚なきまでにドロセアの敵だ。
今はそれ以外、考える必要ないのかもしれない。
荒ぶる感情を抑えるべく、もう一度水を飲もうとすると――誰かがドアをノックした。
「ドロセア、私だ。すごい声が聞こえたが大丈夫か」
ドロセアが扉を開くと、心配そうなジンが立っていた。
ひとまず部屋に招き入れる。
「大丈夫です、発作みたいなものなので」
「その方が心配なのだが」
椅子に腰掛けるジン。
一方でドロセアは壁にもたれ、少し疲れた様子で息を吐き出す。
「前に話したじゃないですか、師匠や村で起きたこと。あれを思い出すと平常心でいられなくなるんですよ」
「……そうか、災難だったな」
「結局、改革派が何のつもりであんなことやったのかはわかってないんですよね」
「私が調べた限りでは、な。だが進展がありそうだ」
「何かわかったんですか?」
「エルクの動きが慌ただしい、そろそろ尻尾を出しそうだぞ」
ドロセアは笑いながら胎児を殺す彼の姿を思い出し、強く拳を握った。
「ようやく、あいつと決着を付けられそうですね」
「あまり前のめりになるなよ。おそらく奴は誰よりも聖女の血と適合している、強力な魔力を手に入れているはずだ」
「負けませんよ。それでも勝てると思ったから、私はここに来たんです」
ドロセアは奇跡の村の時点で、エルクの魔力保有量を“視て”いる。
あれなら勝てる。
その確信があった。
◇◇◇
レイヴンとレイムダールの死は、エルクにかなり恐怖を与えた。
取り巻きの中でも特に仲の良かった二人が死んだのだ、ならば次に狙われるのは最側近のカウデスか、はたまたエルク本人か――
アジトのテーブルに両肘をつき俯く彼は、いつになく暗い声で横に立つカウデスに声をかける。
「なあカウデス、レイムダールの死に様、聞いたか?」
「……うっす」
「体、真っ二つにされてたんだとよ。仲間も近くでバラバラにされてたらしい」
「ひどい、っすね」
「ああ、ひでえよなあ。レイヴンだってそうだ、首だけ残されて、あんなクソみてえな死に方して……許せねえよ。俺のダチがあんな死に方して良いわけがねえ……!」
ドロセアへの怒りを通り越し、悲嘆が彼の心を覆っていた。
この広い部屋にエルクとカウデスしかいないのも、エルクが他の人間を追い払ったからだ。
もはや彼にはボスを気取る余裕すらなかった。
「あいつら、村に居た頃から一緒に馬鹿やって笑って、同じ時間を分かち合ってきた仲間だったんだよ。クソ、死んだと思ったら途端に寂しくなってきやがった」
「エルクさん……」
「カウデス、お前はいなくならねえよな? 俺を一人にしねえよな?」
「っす……でも、俺も不安なんすよ。いつドロセアに狙われるか……」
「だよなぁ。卑怯なことに、あいつは俺を直接は狙わねえ。俺はあいつからしか何も奪ってないってのに、あいつは周りから奪っていきやがる。だったら俺も……」
凹んで萎んで終わりだなんて、エルクはそんなに殊勝な男じゃない。
その瞳に仄暗い殺意が宿った。
◇◇◇
エルクがカウデスを率いて訪れたのは、王城の裏側。
ここには裏口があるわけだが、当然、衛兵が警備している。
普通、エルクのようなゴロツキ冒険者は追い払われて終わりだ。
しかし声をかけられた衛兵は、まるで貴族にそうするかのように頭を下げ彼を中に招き入れた。
エルクを尾行していたドロセアとジンは、その様子を隠れて観察していた。
「てっきり教会の関連施設に向かうと思ってたのに、王城に入るなんて……」
「……そういうことか」
「ジンさんは何か知ってるんですか?」
「国王陛下が体調を崩しているのは知っているか」
「新聞で読みました、今回は重い病気みたいですね」
元々、国王サイオンは体が弱い男だった。
ドロセアがマヴェリカの元で修行していた頃も体調を崩したため、王位継承権を巡って貴族たちが騒ぎを起こしたこともあった。
それがきっかけで、ジンは魔物へと変えられたわけだが――あの時よりさらに重い病にかかったとなると、さらに大きな騒ぎが起きる可能性もある。
「王に近い立場の人間から聞いたのだが、陛下は余命を宣告されたそうだ。治癒魔法でもどうしようもない病らしい」
「国王様が死ぬんですか?」
「ああ……そして死に直面した彼は、急激にガイオス教に傾倒しはじめた」
「もはや神様にすがるしかないんですね……では王城内に教会の手の者が入るのも簡単だと」
「今ならな」
つまり、王城内に改革派が拠点を構えていてもおかしくはないということだ。
「確かにリージェを隠すならうってつけの場所ですね」
「強引に踏み込んだりするなよ、まだ確定はしていないんだ」
「わかってます」
それでも気持ちが逸っているのはジンの目から見て明らかだった。
「内部での情報収集は、内部で動ける人間に任せればいい」
「テニュスですか」
「ああ、すでに彼女には話を通してある。教会が怪しい動きを見せたら探れ、とな」
ドロセアも、テニュスに任せられるのなら、と少し落ち着いた様子だった。
だが手の届く距離にリージェがいると思うと、どうしても完全に冷静にはなれない。
(早く会いたいよ……リージェ……)
抱きしめて、連れ去って、二人で平穏に過ごしたい。
そう強く願いながら、彼女はジンと共に一旦その場を離れた。
◇◇◇
「おいゾラニーグ、いるか!」
ノックもせずに乱暴に開くエルク。
室内で“ゆりかご”を眺めていたゾラニーグは、呆れ顔で彼の方に振り向いた。
「ゼッツさん、ここは聖女様の寝室ですよ。ご静粛に」
「それどころじゃねえんだよ!」
エルクは大股でゾラニーグに歩み寄ると、その肩に手を置いた。
「リージェの薬を大量にくれ。今すぐにだ!」
「物騒ですね、何があったんですか」
「俺の命が狙われてるんだよ!」
「誰にです」
「ドロセアだッ!」
ゾラニーグは訝しむように「ドロセア……?」とその名を繰り返した。
「ひとまず落ち着いてください、座って話をしましょう」
「チッ……仕方ねえな」
部屋の隅に置かれた椅子に腰掛ける二人。
ここは王城内にある部屋だが、その面積の大半をリージェが眠るゆりかごが占有しているため、あまりスペースは広くなかった。
「はぁ……相変わらずリージェは寝たまんまなんだな」
「ええ、魔女に施設を破壊されたときはどうなるかと思いましたが、仮死状態というのはそうそう簡単に途切れるものではないようです」
「だったら血液の採取は順調に続いてるんだろ」
「順調、と言い切ることはできませんね。ご覧の通り、以前の施設よりも遥かに狭い場所ですから。どうしても研究の進度は遅れていると言わざるを得ません。王魔騎士団の協力を得られれば話も変わるのですが――」
「そっちの内部の話なんてどうでもいいんだよ、研究が進んでるなら薬だって溜め込んでるはずだ」
「まったく、せっかちな人ですね。ゼッツさんはドロセアとやらから命を狙われているとのことでしたが、なぜそのようなことに?」
「わかんねえよ……そもそもそれがドロセア本人なのかもな」
エルクはわしわしと頭をかくと、死んだ仲間のことを思いながら苦しげに語る。
「最初は、ガイオス教の修道女にちょっかいを出してたやつが殺されたんだ。それをきっかけに、ゼッツ派の冒険者を狙う“冒険者殺し”の噂が広まり始めた」
「修道女ですか……その方の名前は?」
「確かラパーパとか言ったはずだ」
「聞き覚えがありませんね、ですが覚えておきましょう。そのあとはどうなったのです」
さらに彼は、レイヴンとレイムダールが死んだときのことを、できるだけ詳細にゾラニーグに語る。
特に彼の表情が変わったのは、レイヴンの死体の状態を聞いたときだった。
「頭部だけを魔物化させて送りつける、ですか。それをドロセアという人物がやったと?」
「わかんねえ。ドロセアは魔物になって死んだはずなんだ、あの状態から生きてるとは思えねえし、あいつの名を騙る別人の可能性もある」
「魔物になって……?」
「リージェの血を飲ませたのさ、ハイマ村から出発する直前のことだ」
ハイマ村とは、エルクやドロセアの故郷の村の名だ。
どうやらあのとき、ゾラニーグも教会から派遣された一団に加わっていたらしく――
「まさか、あのとき私たちの部屋から薬を持ち出したのは……」
「ああ、俺だよ。人間を魔物に変えられるとか面白そうな話が聞こえたからな。でももう一年近く前の話だ、時効だろ時効。それより重要なのはどうやって俺が生き残るか、だ」
あくまで保身しか考えないエルク。
しかしゾラニーグは珍しく顔を真っ赤にして激昂する。
「あなたという人はッ! あのときの薬の紛失がどれだけ大きな騒ぎになったのか理解しているのですかッ!?」
「んだよ、キレんなよ。たかだかリージェの血だろ?」
「改革派内部で死人が出るほどの騒動になったのです!」
「そうかよ、すまなかったな」
「たかだかと言いますが、その血が貴重だからこそ聖女として保護したというのに――まったく、信じられない野蛮さだ!」
「血のために人さらいする連中が言えたことか?」
「人聞きが悪い、保護と言ったはずです」
「そういう姑息な言い訳をしない分、野蛮な俺らの方がまだ人間味あると思うぜ?」
「野蛮なくせに口ばかり回る……ッ!」
ゾラニーグが捨て台詞を吐き捨てると、エルクはにやりと笑った。
どちらが悪かと言えば、どちらも悪だ。
それを互いに理解しているからこそ、一旦ここで矛を収めたのだろう。
「それで、そのドロセアという人物の顛末をしっている人間は他にいるのですか」
「いるが、そいつらが殺されてる」
「なるほど、ではあなたは本人が生き延びた可能性があると」
「だからわかんねえって言ってるだろ! ドロセアはZ級魔術師だ、もし生きていたとしても薬を飲んだレイヴンやレイムダールを殺せるだけの力を持ってるとは思えねえ。だが仮に――」
「薬の作用により魔力が増幅しているとしたら、ですね」
頷くエルク。
確かにそれはありえない話ではない。
そもそもこのエルクという男自身が、他人よりも多くの薬を接種しても、魔物化せずに魔力増強の恩恵だけを受けているサンプルなのだから。
しかし、それはあくまでリージェの血液を研究し、効果を調整して作られた薬を飲んだ結果に過ぎない。
エルクがハイマ村で盗んだ薬は、限りなく原液に近いリージェの血だ。
普通はそんな血を飲めば一瞬で魔物に変わって終わりだ――簒奪者並の適合を果たさない限り。
しかも、ドロセアは間違いなく一度は魔物に変わっている。
それをエルクは知っているのだ。
だからこそ、今、ドロセアを名乗る何者かに命を狙われている現状が理解できない。
「実を言うと、私もドロセアという名前に心当たりがあるのですよ」
ふいに、ゾラニーグはそんなことを言い出した。
驚いたエルクはうつむいていた顔を上げる。
「どこで聞いたんだ?」
「簒奪者です」
「あいつらが、ドロセアのことを?」
「時期はちょうど、あなたがたが例の作戦を終えて帰ってきた頃でしょうか」
「……あれか」
当時のことを思い出し、エルクはまるで真っ当な人間であるかのように表情を曇らせる。
それを見てゾラニーグは苦笑した。
「あなたがたは楽しんでいたではないですか」
「母親の腹からガキを引きずり出して細切れにする――後から考えてみたら胸糞悪い作戦だと思っただけだ。で、ドロセアの話を続けろよ」
「計画を妨害する“魔女”には弟子の少女がいる、と。その少女の名がドロセアでした」
「魔女の弟子だと……? 魔女ってのは、たしか教会本部の地下をぶっ壊しにきて、リージェの偽物を殺したっていうあいつだよな。自爆して偽物もろとも死んだって話じゃなかったのかよ」
「彼女は命を使い捨てることができる――各地にスペアとなる肉体を用意し、本体が死んだらそちらに命が移るようにしてあるのだとか」
「何だそりゃ、化物じゃねえか!」
「そうですね、化物なんです。少し調べてみると、どうやら魔女はマヴェリカという名前らしく……大昔から王族とも関わりが深いのだとか。アポ無しで国王陛下に謁見できてしまうらしいですよ?」
「そいつが……ドロセアの師匠だってのか」
顔をしかめるエルク。
仲間の死がよほど堪えているらしい。
「考えられる可能性としては、魔物化したドロセアをマヴェリカが発見し、何らかの方法で人間に戻した。その後、魔術を教えて我々を潰すための尖兵として送り出した、というところでしょうか」
「だとしたら、やっぱ本物のドロセアってことじゃねえか! しかもリージェの血の力も手に入れたんだとしたら……」
「簒奪者にしてみれば、魔物から人間に戻す手段が発見されると非常にまずい。見下している我々に協力を仰いでまで消そうとするのは、必死さの現れなのでしょう」
「ドロセアを殺すのは改革派にとっても重要な任務なんだろ? だったら俺を守ってくれ、そう遠くないうちにあいつは俺を直接殺しに来るはずだ!」
必死でエルクはそう呼びかけたが、ゾラニーグはまるで品定めをするように冷たい視線で彼を見つめた。
「な、なんだよその顔は……言っておくが、俺とあんたは一蓮托生なんだ。見捨てたりしたら、教会の悪事をばらまくことだってできるんだからな!?」
「恐ろしいことを言いますねえ。わかりました、では修道士を一名派遣しましょう、怪我をしてもこれで安心です」
「ふざけんなよ! もっといるだろ、騎士とかよお!」
「教会は戦力を保持していません」
「神導騎士団はどうなったんだ!」
「まだ団は存在していません。数日待てば使えるかもしれませんが、それまで待てますか?」
「く……だったら簒奪者は使えねえのか」
「彼らを使える者などいませんよ」
「薬は、どうなんだよ。もっとあれをよこせよ! そこらの冒険者を強化して使えば、ドロセアだって!」
「あの薬も過剰摂取すれば魔物を生み出してしまう。あるいは、相性の悪い人間が使えば一度の接種でも魔物化してしまうかもしれません。王都で魔物を生み出して、犠牲者でも出たらどうするつもりです」
「ぺらぺらと、正論みてえなこと言いやがって……ッ! 結局は、俺のこと見捨てるって言ってるだけじゃねえかッ!」
声を荒らげ、ゾラニーグに掴みかかるエルク。
一連の会話を見ているカウデスは、ずっと気まずい顔をして肩身が狭そうだ。
「私とて救いたいとは思っているのですよ。どうか数日、神導騎士団の結成まで耐えてはいただけませんか」
「耐えたら……ドロセアを潰してくれるんだな?」
「ええ、それが上司の望みでもありますから」
「クソがッ、嘘だったらてめえのことぶち殺してやるからな」
そんな捨て台詞を吐き、エルクはゾラニーグを解放した。
ゾラニーグは涼しい顔で乱れたローブを元に戻す。
「話はこれで終わりでしょうか」
「そうだよ」
「でしたらお帰りください、私も忙しいので」
「……チッ」
舌打ちして、エルクはカウデスと共に部屋を出る。
それを見送ったあと、扉が閉まるとゾラニーグはにやりと笑みを浮かべ呟いた。
「ドロセア……魔物を人に戻せる人間、ですか。まさに簒奪者の天敵。利用できそうですね」
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